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ゆうどうさんのレビュー一覧

投稿者:ゆうどう

83 件中 1 件~ 15 件を表示

日本人は、自虐史観から脱却しよう

22人中、17人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 こんな本を作りたい、と思っていたテーマの本に出会った。世界に向けての日本/日本人論だ。

 本書では、日本、日本人の優れた点について、古今東西、さまざま実例を探し出してきて論じている。日本は日本の良さを海外に発信し、世界は日本の良いところを学んでほしい、そして日本人は、自分たちにもっと自信を持ってほしい、そんな思いを綴った書だ。

 実は、海外の人たちは、日本及び日本人をずいぶんと評価してくれているのだ。それを知らないのは当人たち、日本人だけだ。島国で日本語という特殊な言語を使用している身としては、世界の情勢に疎くなるのは仕方ないことかもしれないが、日本人も自分たちに関する認識を改め、もっと自信を持つべきなのだろう。

 「特殊な言語」と書いたが、これは言語系統的に孤立し、世界的に普及していないという意味である。しかし、本書によれば、tsunami、otaku、hentaiなど、日本語から英語に取り入れられた語はいくつもある。2005年ノーベル平和賞受賞者のワンガリ・マータイ(ケニヤ環境副大臣)氏により、「mottainai」という言葉も世界語として広まった。さらに、日本で江戸時代から明治にかけて様々な西洋の科学用語が翻訳されたが、中国語では、社会科学と人文科学分野の用語の約7割がそうした和製漢語だそうだ。そもそも「中華人民共和国」という名称、中国古来の語は「中華」のみで、「人民」も「共和国」も和製漢語だというのだから傑作である。

 それでは、日本のどんなところに人気があるというのだろうか。

 日本の人気は、クール・ジャパンと評されるアニメやマンガだけではない。『ミシュランガイド東京』では、星付きの店の数が「パリ版」の2倍に及んだという。日本料理が評価された結果だ。また、モノづくりの匠と真面目さの例として、ウズベキスタンのナヴォイ劇場を上げる。第二次世界大戦で抑留された日本人が作った建築物だ。震度8を記録し、首都タシュケントの建物の約三分の一が倒壊した、1966年の大地震でもまったくの無傷だったという。強制労働という「理不尽かつ非人道的な状況」でも手抜きをしない日本人の姿勢は、ウズベキスタンの親日感に結びついている。

 しかし、何といっても日本人が世界に誇るべきは「和」の精神であろう。著者は言う。

 「日本列島以上の広さを持つ一地域で、二百年以上戦争がなかったのは、人類のすべての歴史の中で、日本の平安時代と、日本の江戸時代の二例しか存在しない」。中国、インド、欧州では、200年以上平和が続いたことがないのだとか。ここまでいくと我田引水的ではあるが、聖徳太子の十七条の憲法に代表される「和を以て貴しとす」る思想は、世界に受け入れてもらいたい考え方だ。宗教戦争も、非戦闘員への大規模な攻撃も、有史以来の日本ではほとんど起こらなかった。平和で持続可能な世界を築くために、「もったいない」精神とともに海外の人たちにも学んでほしい日本人の生き方である。

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近代日本の礎を築いた「漢文の素養」

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

論点を一言で表現するならば、明治維新以降の近代日本の礎を築いたのは、それまで日本人が2000年かけて培ってきた「漢文の素養」である、ということだろう。
(おそらく)意味もわからずに鏡や刀に漢文を刻んだ古代の人々によって、「威信財」として漢字が受容され始めた。この頃はまだ、為政者の権威の象徴として、あるいはファッションとしての意味しかなかった。その後、徐々に文字としての漢字が普及し、7世紀から19世紀まで、漢文は「生産財」として機能した。「生産財」とは、政治的・外交的な意思伝達の道具、また、文学上の感情表現の道具というほどの意味であろう。筆者は、その辺の消息を、具体例を列挙しながらつぶさに説いていく。近世以降、中流実務階級が漢文の素養を身に付け、中国の士大夫階級(韓国では両班)の代わりを果たしたことが、世界史上でも特筆すべき江戸期の教養国家を作り上げ、日本の文化度を押し上げる要因となった。江戸時代の日本の書店では、清の国家機密である「実録」や、清国で禁書となった書籍まで販売されていたという。商売が成り立つほど、これらの純正漢文が読める読者層が形成されていたのだ。
幕末の動乱期からすんなりと明治維新の近代化が達成されたのは、漢文の素養を基礎として、社会の中間層に教養ある実務階級が形成されていたからである。その人々が、近代化の推進力となった。一方、中国と韓国では、早くから漢文を操れる上流階級たる士大夫層(韓国では両班)と、下層階級との分離が進み、中流実務階級が育たなかったことが、近代化の遅れの原因となった。「優秀な中流実務階級をもつ文明は強い」ということだ。
しかし、20世紀以降、漢文は、学者など一部専門家のみの教養となってしまった。「生産財」としての機能を失い、「消費財としての教養」となってしまった。日本人の漢文のレベルは、低下の一途をたどっている。最後に筆者は、漢文的素養の復活を望み、21世紀のあるべき漢文的教養の姿を提唱する。それは、「東洋人のための教養」であり、「生産財としての教養」であり、「実務階級の教養」であるという。
漢字と日本人の関わりについての具体的なエピソードなど、非常に面白く読ませてもらった。確かに、我々現代日本人は漢文が読めなくなっている。それは悲しむべきことでもあるが、一方で、近代以降の中流実務階級が欧米化を進める上で「英文の素養」を受容してきた結果とも言えるのではないだろうか。古代以来、東洋に位置する一国として文明化するためには、漢字を吸収・消化せざるを得なかったのと同じ理由で、明治以降の日本は、世界の先進国と伍していくために世界語たる「英語」を受容したのだ。そのため、「漢文的素養」が衰退していった。しかしながら、その過程には、漢字を受容したのと同じ日本的な精神が反映されているのだと思う。

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長崎目線の近世史

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 長崎という土地に的を絞った江戸時代外交史および人物伝である。江戸時代といえば、政治の中枢「江戸」を中心に語りたくなるが、あえて長崎という、西国はるかかなたにある「幕府の表玄関」の窓から300年の歴史を眺めてみるのである。
 もちろん、この視点には必然性がある。長崎は当時の外交の窓口であった。漂着船も含め、日本にやって来た外国船は、長崎に回航させるのが幕府の決まりであった。すべての外国との交渉は、長崎で通詞(当時の通訳)を通して行われていた。鎖国(この言葉もオランダ通詞志筑忠雄がオランダ語から翻訳した語らしい)を敷いてからの日本で、幕末のペリー艦隊が恫喝外交によって扉をこじ開けるまで、オランダ、中国以外の国の船を受け入れることはなかったが……。それでも日本との交易は魅力的だったようで、通商を求めて来航するポルトガル船、イギリス船、アメリカ船はあとを絶たず、その顛末や、出島にやって来た外国人(実にガリバーまでも!)の消息を紹介している。
 さらに文化の面でも、江戸時代を通じて京都、大阪、江戸へと文化の中心が移るなか、長崎は常に西欧の新しい文化を取り入れるもう一方の「中心」だった。戦国時代から江戸時代初期にかけて、イエズス会の影響下にあった長崎では、南蛮文化が花開く。教会の数が10を超え、セミナリオ(中等学校)、コレジオ(大学)ではラテン語、ポルトガル語、音楽などを教えていた。京都や江戸とはまったく異なる文化圏を形成していたのである。
 ポルトガル人たちが追放された 1612年の禁教令以降、西欧人(オランダ人以外にも、ドイツ人のケンペルや、スウェーデン人のチュンベリー=ツンベルクなどがいた)は、「東京ドームの三分の一にも達しない」出島に押し込められたが、物理学、天文学、医学など、西欧の最新知識を日本に伝える窓口としての地位を、長崎は江戸時代を通じて守り続けた。その媒介役として、オランダ通詞たちが大きな役割を果たしたのである。本書でも、吉雄幸左衛門や志筑忠雄の事績について多くのページを割いている。さらには、「長崎が生んだ三巨星」として、吉雄以外に西川如見、高島秋帆についても詳述している。
 このように、徹底して長崎に視座をすえた近世史なのである。長崎生まれの著者の、郷土に対する矜持と愛情を感じる。これは、とても素敵な着眼点だと思う。
 地方の時代と言われて久しいが、その土地の窓を通して日本史、世界史を眺めるという著作が今後もどんどん出てきてほしいし、読んでみたい。中央すなわち為政者側から見た歴史だけでは、時代の全体像をつかむことはできない。地方目線での歴史記述が、読者の歴史認識に新しい地平をもたらしてくれるだろう。地方を見直すきっかけになるし、その地に住む人たちの自信と郷土愛を育てる役割を果たすことになる。そういった歴史書が、地方振興の一助となるのではないだろうか。

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紙の本ウイスキーは日本の酒である

2011/12/10 04:21

世界が認めたジャパニーズ・ウイスキー

9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 日本は、世界的にも立派なウイスキーの一大産地である。しかも、世界の五大ウイスキーの一つに数えられる。ちなみに他の4つは、言わずと知れた本場スコットランド、そしてアイルランド、アメリカ、カナダである。これらに次いで5番目に日本が加わるところが味噌だ。もしかすると、それ以前は「四大ウイスキー」と呼ばれていたのかもしれない……。

 しかし、消費量ではインドが世界一で、それなりの生産量もあるらしいのだが、インドを差し置いて日本が「五大」の一角を占めているのは、それなりに世界的な評価を得ているからだ。2010年には、世界的な酒類コンペティションである「第十五回インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ(ISC)」において、「山崎1984」が「シュプリーム・チャンピオン・スピリット」を受賞したという。これは、ウイスキー部門のみならず、同コンペティションにエントリーした全部門、約1000点の頂点に立ったことを意味する。文字通り、世界一の蒸留酒(スピリッツ)という評価を得たということだ。しかもこれは単なるフロックではなく、2003年に「山崎12年」がISCの金賞を受賞して以来、毎年のように日本のウイスキーが最高賞トロフィーや金賞に輝いてきた成果の結晶なのである。さらにはこの年、サントリー酒類株式会社が「ディスティラー・オブ・ザ・イヤー」に選ばれ、ダブル受賞となった。

 本書では、そのサントリーのチーフブレンダーが、ウイスキーに関する薀蓄と、日本のウイスキー作りの特徴を余すところなく語ってくれる。

 1983年をピークに、サントリーのウイスキーの売上げは下降線をたどる。著者が研究所や蒸留所の品質管理部門、貯蔵部門で過ごした後、ブレンダー室に異動になったのは1991年であるという。すでに40歳を過ぎていた。ここがサントリーという会社のすごいところだ。日本酒ブームや焼酎ブームや押されてウイスキーの人気が落ちていく中、負けずにさらに良いウイスキーを作るべく、布石を敷いているのである。それが、樽と熟成の研究に従事し、いくつもの現場を経験した輿水のブレンダーへの抜擢だったのである。

 ブレンダーは、当時社内に5人しかいない、要の仕事である。それまでのメンバーは、ブレンダー一筋という職人たちであった。ここに、現場と一体となったウイスキー作りを推進するため、輿水が送り込まれたのである。将来、ウイスキーの捲土重来を期した会社の戦略だったのだと思う。そして、こうした諦めない物作りの姿勢が、前述したような世界的な評価につながっていくのである。

 本書を読んで、焼酎党の私も、バーに行きたくなった。その思いが嵩じ、ジャックダニエルのストレートを舐めながら本文を書いている。残念ながら我が家にはサントリー・ウイスキーがなかったのである。なんせ、焼酎党なので……。

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紙の本宗教で読む戦国時代

2011/02/27 09:01

戦国時代の日本人の宗教観

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 戦国時代の特筆すべき宗教はキリスト教だろう。なにしろ南蛮渡来の新しい神様である。本書でもキリスト教にかなりの紙数が割かれている。ここで著者が強調するのは、無理なくキリスト教を受容する日本人の宗教観であり、理知的にキリスト教を吟味する日本人の姿勢である。
 まず日本人の宗教観について、日本人がキリスト教を受容する上で問題となったのは、日本の古来の宗教が多神教であったのに対し、キリスト教が一神教であったからなのではない、と説く。本地垂迹の思想にも表れているように、日本の宗教観にもすべての神は阿弥陀仏の仮の姿であるといったような、唯一絶対神的な考え方が存在する。それが、戦国時代の日本に広まっていた「天道」の観念でもある。宣教師たちも、「天道」はキリスト教の唯一絶対神である「デウス」と同じ性格を持っている、と記していたらしい。案外すんなりと、当時の日本人はキリスト教を受け入れることができたようだ。
 ただし、その際に問題になったのがキリストの正当性であった。デウスが唯一絶対の神であるという根拠とそれが論理的に正しいかどうかである。宣教師たちにとって当時の論争的な禅僧たちは辟易とさせられる存在だったようだ。高度な論理性を備えた彼らを「折伏」するのは相当に骨であったらしい。僧侶たちの説教に日頃から親しく接していた都の人々も高度に宗教的であり、宣教師たちに簡単には説得されない。日本人の宗教意識の高さに彼らは驚かされた。
 また、戦国時代のもう一つの宗教上の事件は一向一揆であろう。浄土真宗と戦国大名との争いについても2章を割き、それが宗教一揆ではなく、当時の社会状況の中で生まれた政治抗争であった点に光を当てている。教団として、対立する戦国大名たちのどちらにつくのか、という問題である。本来は内面の信仰に根ざして成立する教団が、歴史のうねりのなかで政争に巻き込まれていくのである。加賀一向一揆にしろ、石山合戦にしろ、純粋に宗教的な感情から発生したわけではないのである。
 このように、戦国時代の人々の宗教観と、当時の宗教的な事件がなぜ、いかにして起こったかということを分析している。戦国時代とは、中世から近世への分かれ目であり、現代に通じる日本の国家の原型ができた時期でもある。その際に醸成された宗教観は、現代の日本人にも通じる。

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ハングルは見事に科学的な体系を備えた文字体系である

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 韓国、北朝鮮で使われている文字、「ハングル」に関する概説書である。概説といっても、新書版で300ページを超え、かなり内容は濃い。しかも、朝鮮語の発音体系、ハングル(作られた当初は「正音」と呼ばれていた)という文字の構造から、「正音」創製に至る経緯やその後の歴史、書体の変遷、エクリチュールとゲシュタルトなど、守備範囲も幅広い。

 そもそも「正音」とは、〔朝鮮王朝時代、第四代の王、世宗(セジョン)の命により、一四四三年の陰暦十二月に創られ、一四四六年陰暦九月に『訓民正音』という書物の形で公布された(p.17)〕、朝鮮語固有の文字である。

 その構造は、音素ごとに発声器官の特徴を模して作られた子音・母音、合わせて28の記号を基本とし、それらを「初声」「中声」「終声」として組み合わせて1文字を作る。その造字法は、著者いわく、「形態音韻論的表記法」を採用している。その上、点を打つことによって朝鮮語の3種の高低アクセント(現在は失われているらしい)まで表現できる。さらには、「終音の初声化」(フランス語におけるアンシェヌマン)の表現法まで持っているというのであるから驚きだ。おそらく、世界に現存する(存在した?)文字体系の中でもっとも合理的かつ完璧なものではないだろうか。「風声、鶴唳、鶏鳴、狗吠と雖も、皆得て書くべからん。」(p.207)つまり、正音で表せないものはないのである。

 それまでの文字と異なる点は、「用音合字」、すなわち音を表す字母を組み合わせて作られた文字である、ということである。漢字にしろ、アルファベットにしろ、つまり表意文字にしても表音文字にしても、人類が発明した文字はことごとく象形が基本である。物を象ることから始まり、それが進化して独自の文字体系を作り上げた。しかし、「正音」だけは違う。人類史上初めて、「音」から文字が合成された、画期的な文字体系なのである。

 その正音も、創製から50年後、400年間に及ぶ沈滞期を迎える。現代のような隆盛が始まったのは、およそ100年前のことにすぎないらしい。しかも、きっかけは日本の半島支配にあるようだ。

 朝鮮語学者・李允宰によれば、正音(ハングル)の変遷は以下の4つの時代に分けて考えることができるという(p.282。『東亜日報』1933年10月28日紙上)。

 (1) 正音時代(創定期) 世宗28年から成宗朝までの50年間
 (2) 諺文時代(沈滞期) 燕山朝から高宗30年までの400年間
 (3) 国文時代(復興期) 甲午更張から庚戌までの17年間
 (4) ハングル時代(整理期) 周時経のハングル運動から現在(1933)までの20余年間

 半島で公式かつ日常的にハングルが使われるようになったのは、(4)の時代以降なのである。ちなみに、「ハングル」という呼称は、先駆的な朝鮮語学者・周時経が近代に入ってから名付けたものであるという。それ以前は、「訓民正音」「正音」「諺文(おんもん)」などと呼ばれていた。国民固有の文字である「正音」を「ハングル(偉大な文字)」と名付けることで、日本帝国の押しつける「日本語」に対抗する象徴として利用したのだろう。

 ところで、ハングルでは、単語の通時的な音韻変化にどのように対応しているのであろうか。

 単語は、時代の変遷によって音が微妙に変化してきて、表記と発音の間にずれが生じてくる。日本語に例をとれば、「てふてふ」から「ちょうちょう」に変わったような現象である。朝鮮語でも同様なことが起きるはずだ。

 音を忠実に再現できるハングルであれば、発音が変われば表記も変わるのであろうか?

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暴力装置としての国家の成立過程とその克服

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「国家とは暴力装置である」という前提に立ち、国家とどう折り合いをつけて我々は生きていけばいいのかというのが本書のテーマである。著者の結論は、国家の暴力を抑制するには「社会を強化すること」だ。社会とは、「人間の共同体・ネットワーク」のことである。社会を強化するには、「人間がお互いに尊敬しあい、協力し合うことによって実現」される。

「新自由主義政策の結果、一人ひとりがバラバラにされ、他者や外部世界に対する想像力が弱っている現状を、根本的に立て直さなければなりません。」(p.309)

そして、「貧困がまったく存在しない社会、絶対に戦争がない世界」というような、大きな夢を持つ必要がある。大きな夢とは「究極的なもの」で、実現は不可能かもしれないが、そうした思想、信念を持つことが社会を良くしていくのである。
とまあ、著者の結論を明かしてしまうのは書評にとっては掟破りかもしれないが、実のところ、本書の魅力はこのありきたりな主張にあるのではなく、その論理を紡ぎあげていく過程にある。
マルクスの『資本論』、宇野弘蔵『経済原論』、スターリン「マルクス主義と民族問題」、アーネスト・ゲルナー『民族とナショナリズム』、柄谷行人『世界共和国へ』、カール・バルト『ローマ書講解』などのテキストを読み解きながら、国家、民族、社会、ナショナリズムについて明らかにしていく。その中には当然ながら神学的なアプローチも含まれており、著者の該博な知性を十分に堪能できる内容となっている。

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紙の本日本に古代はあったのか

2008/10/15 07:27

日本に古代はなかった

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

●西欧と中国の共通点

ヨーロッパの歴史は、ギリシャ・ローマの古代、ゲルマン民族大移動後の中世、ルネッサンスの近世、という大きな枠組で語られることが多い。中国では、秦・漢帝国の古代、隋・唐帝国の中世、宋帝国の近世、という時代区分が一般的である。

ヨーロッパにおける古代と中世の画期が、西ローマ帝国の崩壊した476年。中国のそれは、後漢が滅びる3世紀初頭である。いずれも都市国家の形成を経て大帝国が出現した古代から、異民族の侵入による混乱・停滞の中世へと向かうのである。古代から中世への移行は、ヨーロッパ、中国とも、年代のずれは多少あるが、似たような経過をたどる。一説には、異民族の移動は、紀元後から数百年に及んだ寒冷化の影響で、北方の民族が南下したために起きたという。

翻ってわが日本であるが、ローマや漢のような古代帝国は存在しなかった。また、日本史ではおおむね平安時代までが古代に含まれるが、それだと中世の始まりが12世紀になってしまう。ヨーロッパ、中国とのずれがあまりに大きすぎる。

つまり、日本に古代という時代区分を設けるからおかしなことになるわけで、ヨーロッパ、中国のような古代は日本にはなかったことにしたらどうか、というのが著者の主張である。

日本史は中世から始まるのである。国家と呼べる体制を築いた飛鳥、奈良は、隋・唐の体制を模倣して作られたわけであるから、中国の中世との同時代性を認めても良いだろう。また、ドイツやデンマークでもいきなり中世から歴史が始まるので、日本も同様で構わないのでは、ということである。

●関東史観、関西史観

また、本書の後半では、関東史観、関西史観について論じられている。日本の政治史において、鎌倉幕府の存在を重視するかしないか、それが関東史観と関西史観の違いであるという。

関東の人間は、武士による新しい社会の到来として鎌倉幕府を位置付ける。日本の政治の中心が京都から関東に移り、質実剛健な武士の生き方が、華美で軟弱な京都の貴族文化を凌駕したと説く。貴族中心の古代は終わり、鎌倉幕府成立から武士の社会、封建制の中世が始まる。これが「関東史観」である。

一方、古墳時代から日本の中心地であった畿内の人間は「関西史観」の立場をとり、京都中心の政治史を固持する。鎌倉時代に京都が凋落したわけではない。現に、執権北条氏が滅びた後、再び政権は京都に戻り、室町に幕府が開かれたではないか、と。鎌倉時代というのは、荘園からの上がりを取る権力層に、それまでの貴族、寺院に加えて武家が割り込んできただけだ、というのだ。

私が思うに、武士といっても、源氏(清和源氏)にしろ、平氏(桓武平氏)にしろ、天皇の子孫である。その意味では「天皇の政権」は続いているわけで、まったく新しい支配層が登場したわけではない。藤原氏に代わる源氏、足利氏、徳川氏が出てきただけのことではないか。もっとも、徳川が新田源氏の末裔というのは詐称かもしれないが……。

西洋史と東洋史を同じ枠組みで捉えようという壮大な構想は目から鱗が落ちるようで、知の地平が切り開かれたような爽快感がある。しかし、最後に関東史観、関西史観という狭量なオチにもっていったのは残念である。

また、いろいろな歴史家の考え方や歴史観を披瀝して実証的ではあるが、著者自身の古代、中世の定義がいまひとつ明確ではない。この点ももっと分かりやすく論じて欲しかった。

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紙の本日本語の古典

2011/05/14 19:54

日本の古典を読もう

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 作品中で使われている言葉に焦点を当て、奈良時代から江戸時代までの古典30編を取り上げ、1作品1テーマで論じる「日本古典文学入門」。独自の視点から日本の古典の世界に誘ってくれる良書である。

 日本語学の専門家よろしく「言葉」に的を絞った古典案内という手法は斬新である。これが、意外と各作品の世界にすんなりと入っていけるのである。自身の古典体験を織り交ぜながらの解説も作品を理解する上での助けとなっており、1作品を7~8ページで簡潔に紹介するというスタイルも成功していると思う。

 学生時代に古文嫌いだった者としては、あの頃こんな教師に出会えていれば、日本の古典の奥深さに触れることができて自分の言語世界ももっと豊かなものになったのではないかと、残念で仕方がない。つまらなかったものなあ、古文の授業……。

 作品ごとにテーマを決めて論じるというやり方は、作品を一面的に捉えてしまい、正しい理解の妨げになると考えてしまいそうになる。さらに言えば、本書は、わかりやすく魅力的に作品を紹介しているので、そのテーマにそって個々の作品を読んでみようという気にさせてしまうのである。それは偏った読み方に繋がらないだろうか、という危惧が生まれる。

 しかし、分かりやすいテーマ設定が、古典作品を読む恰好のきっかけとなることは確かである。誰かの手引きがなければ、七面倒な古典を読もうという気にはなかなかならないものだ。さらに、読んでみた結果、そのテーマに納得できなければ、自分なりのテーマを見つければいい。ワンテーマという切り口は、紋切り型の作品解釈を強要するものではなく、独自の作品理解に達する入り口なのである。

 ところで本書は、恋愛や男女関係に関する言及が多い(ような気がする)。エロチックである。本書の前半部を占め、全体の三分の一を超える平安時代の作品にその傾向が強いからか、著者の嗜好なのか。鎌倉時代の「徒然草」兼好法師も、なぜか女嫌いがテーマである。一方、恋愛小説の嚆矢とも言える「源氏物語」では、主人公の女性遍歴ではなく、緻密で計算された言葉遣いや、秀逸な喩えなど、文章表現の巧みさに焦点を当てているので、私の思い過ごしだろうか?

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真面目な仏教者

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ドイツ出身の大男(身長190cm、足のサイズ29cm)の若者が、日本の曹洞宗、臨済宗の禅寺で修行し、安泰寺の住職になるまでの軌跡。

 寮生活を送った高校時代、先生の勧めで坐禅サークルに参加するようになったのが、仏教との出会いである。その後、ベルリン自由大学で哲学、物理学、日本語を学び、「現成公案」で修士号を取った後、博士論文を書くという名目でもらった奨学金を元手に来日して禅修行に励む。大学在学中に留学して数か月を過ごした安泰寺で、作務と坐禅の毎日を送り、やがて山を降りて京都の臨済宗本山僧堂で臨済禅も経験する。1年弱で「他流試合」を切り上げ、その後、大阪城公園でホームレス生活をしながら坐禅を組む。そこで後の配偶者と知り合ったりする。

 そして、安泰寺の堂頭(どうちょう、住職)すなわち師匠が事故死したのがきっかけとなり、その後継者となって安泰寺を任されることになる。

 「変な外国人」の単なる遍歴譚ではなく、葬式仏教と揶揄され、葬儀サービス業に堕した日本仏教界の現状や、禅寺での修行の様子、そして僧侶たちの考え方などに触れた部分も大変興味深い。求道や生き方に対する、著者の真摯な姿勢がにじみ出ている。本人の思想や、道元の教えなども随所に挿入されていて、気楽に読める仏教の入門書でもある。

 ところで、奨学金をもらって執筆することになっていた博士論文はどうなったのだろうか?

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紙の本さらば脳ブーム

2011/02/05 06:03

研究者による社会貢献

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 象牙の塔にこもって基礎研究に専念するのか、研究成果をいくばくかでも社会実装(科学技術振興機構が使い始めた造語らしい。p74)するのか。川島教授は、この両輪を均等に回すことを使命として研究を続けている。そのことをきちんと主張するため、本書を書かれたようだ。エピソードを中心としたエッセーであるが、興味深く読ませてもらった。
 たとえば、任天堂からの収入(ロイヤリティ?)の管理はすべて東北大学に任せ、その収入で加齢医学研究所に二つの新しいビルが建ったそうである(p110)。このへんの配慮が川島教授の志の高さである。研究者が目指すものは金銭ではない。研究の動機は、研究対象に対する純粋な興味、そして税金でそれをやらせてもらっていることに対する感謝と社会貢献であるべきだ。そのことを肝に銘じ、実践することを心がけて研究を続けている姿がうかがわれる。科学者すべてがこうであってほしいものである。

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紙の本鈍感力

2008/01/16 07:48

五感の鈍さが最高の処世術

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「我が意を得たり」の1冊である。文字数が少なかったこともあるが、1日で一気に読み終えてしまった。
身近な例を引きつつ、医学的な知識を根拠にしながら、「鈍感」になることが、上手に生き、幸せになるコツと説く。ただ、「鈍感力」によって成功している人たちは、生来鈍感なのではなく、意識的に鈍く振舞っている面もあるのではないだろうか。それなりの素質や才能があってこそ、人に秀でることができるのであり、そのために欠かせないのが努力である。素質や才能とは、鋭敏なものだ。彼らにとっては、「鈍感力」こそ努力の賜物なのかもしれない。本来女性の体のほうが体質的に忍耐強くできており、男は精神的な忍耐によって肉体的な苦痛を我慢している、というようなことが本書にも書かれているが、「鈍感力」にもそれは当てはまるのだろう。精神的な鍛錬によって「鈍感力」を養うのである。それを実現し、秀でた素質や才能を生かした者が、世間で成功者となる。
ところどころに医学的な知識を挿入して説得力を挙げているところは渡辺淳一ならでは。もっとも本職は整形外科なので、内科は専門外なのだが。また、全部で 17ある章のうち、「愛の女神を射とめるために」「女性の強さ其の一/其の二」「恋愛力とは?」など、女性・恋愛に関する章が7つあるのもこの著者ならではか?

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生産性革命は終わった——知識労働者が「いかに成果をあげるか」が今後の課題

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新刊時に興味を抱きながらそのままになっていた本を、やっと買って読んだ。

1934年、ロンドンの美術館で日本画に出会って衝撃を受けて以来、明治維新の偉業と戦後の日本の復興に驚異のまなざしを向け、常に日本に注目を注ぎ続けるドラッカーと、彼の「日本での分身たる」上田惇生との共同作業による、ドラッカー集大成3部作の一冊である。主な著作31点から、個人の「生き方・働き方」に関する部分を抽出し、ドラッカー読者のための道案内となるよう再構成、加筆・修正が加えられている。ちなみに他の2冊は、『イノベーターの条件』『チェンジ・リーダーの条件』である。

経済社会では、18世紀の産業革命、19世紀後半の生産性革命、第二次世界大戦後に訪れたマネジメント革命を経て、労働における知識の重要性がますます高まっている。
今までは、肉体労働者の生産性をあげることで、組織が発展してきた。しかし、「知識労働者」の生産性にはほとんど変化がなかった。現在、知識労働者の割合は、「労働人口の三分の一ないしは五分の二を占めるに至っ」ている。組織がこれからの新しい時代を生き抜いていくには、知識労働者の生産性をあげることが不可欠である。同時に、知識労働者がどのように組織と関わっていくか、ということが重要になってくる。本書では、知識労働者の生産性をあげる方法と、「自らの組織よりも長く生きる」知識労働者として望ましい生き方を説く。

本書を概観すると、パート1で産業革命以降の知識の変化を解説し、パート2で「知識労働者」の意味するところについて触れ、自らのマネジメントの方法(パート3)と、意思決定の秘訣(パート4)を説き、自己実現への挑戦を推奨する(パート5)。

まず、現代は、「知識を基盤とする組織が社会の中心である」ということを押さえておこう。組織は、「存在することが目的ではない。種の永続が成功ではない。…組織は社会の機関である」。
組織を動かすものは、知識である。知識社会で成功するためには、教育ある人間にならなくてはいけない。教育ある人間に必要なことは、言葉や思想に焦点を合わせた「知識人の文化」と、人間と仕事に焦点を合わせた「組織人の文化」とを両立させることである。それこそが、現代社会で働き、生きることの意味である。

「知識労働者」をキーワードに、これからの新しい社会で生き抜くための方法を教えてくれる。

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秀忠こそ、徳川家繁栄の功労者

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 徳川秀忠は、忍耐強く律儀に父・家康の意向に従ったために二代将軍としての地位を保つことができたというのが一般的な評価だ。その通りであろうが、家康亡き後、厳格に幕府の掟を適用し、それに違反した者は容赦なく処分し、徳川家支配の体制を盤石なものに仕上げていった。その意味で、秀忠こそ徳川幕府の基礎を築き、260年に及ぶ支配を可能にした功労者と言えるであろう。そんな秀忠の行跡を数多くのエピソードを交えて紹介した評伝である。
 秀忠の律儀で厳格な性格は、乳母(養育係)の大婆局(おおばのつぼね)の影響によるところも大きかったようだ。彼女は賢く慈悲深く、しかも懐の深い女性だった。それでいて厳しさも兼ね備えていた。臨終の際、配流されていた自分の息子を許してはいけないと、秀忠にきっぱりと言っている。天下の大法を曲げてはいけない、というわけだ。そんなしっかりした女性に育てられたおかげで、二代目としての器量を涵養することができたのだろう。

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紙の本島津家の戦争

2011/02/27 11:58

都城の盆地から眺める近代ニッポン

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 『都城島津家日誌』を種本として、幕末から戦後に至る島津家(主に都城家)の時代との関わりを綴った歴史読み物。と言っても、物語風の誂えになっているわけではない。学術論文ほど硬質ではない歴史評論で、達意の文章で、生き生きとそれぞれの時代の様子が描かれている。

 主人公は、幕末の京都の治安維持に赴いた久静(ひさなが)、維新の廃藩置県、西南戦争という激動の時代を生きた、「息をのむほどの美貌の持ち主」久寛、日露戦争に陸軍大尉として出兵した久家、第二次大戦後、都城で丸十産業株式会社を興した久厚である。とはいえ、都城島津家4代(もっとも、久寛に子がなかったので、久家は叔父の子どもである)の年代記ではなく、当時の時代描写のなかに島津家当主たちの生き様を織り込むという手法をとっている。種本が『日誌』となっているが、これは当主たちの日常生活や感情を書いた「日記」ではなく、島津家の家令による「業務日報」である。当主たちの個人的なことに関する記述はそれほど多くはないのだろう。記録の中から類推するしかない。だから、これまで歴史学者たちが明らかにしてきた歴史的事件の中に、主人公たちの日常を断片的に挿入するしかないのである。それでも、幕末から現代に至るまでの封建領主がどのように考え、どんな生活をしていたのかが十分に伝わってくる。

 近世の武士道は、儒教や禅に基づく倫理観を土台としている。戦がなくなった江戸時代には、武士はサムライではなく行政官となり、武士道も理念的、観念的な規範へと変容していった。相次ぐ転封で支配層たる武士団が土地から切り離され、理念化はさらに促進されていったであろう。

 しかし、関が原合戦後も転封がなく、700年にわたって島津家に支配された辺境の地「薩摩」には、中世的な気質が残っていた。薩摩武士の行動原理は、「一所懸命」に代表される中世武士道に根ざしている。彼らは土地と結びついており、己の領地を自ら耕す武士も少なからずいた。明治4年当時、士族の比率は全国平均で約5パーセントだったが、鹿児島は25パーセント、さらに都城では42~43パーセントに及んだという。当地の武士階級の多さは際立っているが、単に支配して年貢米を徴収するだけではなく、半農生活を送っていたからこその数字なのである。

 700年間にわたり、領主が土地と結びついていたから、島津家の当主たちは領民との結びつきも強かった。そして、島津家は代々賢侯を輩出している。たとえば陸軍少尉に任官され、明治34年に休暇で都城に帰ってきた久家は、官軍に参加して亡くなった旧領民たちの招魂祭に参加した後、あえて西南戦争で西郷軍に加わった兵士たちの招魂祭にも足を運ぶ(p96)。二つに引き裂かれて戦った民たちの間に横たわる溝を埋め、再び地域を一つにまとめる力を島津の殿様は持っていたのである。

 鹿児島、それもとりわけ都城(現在は宮崎県に属する)を中心にすえた近代史ではあるが、ある一族の生き方を通して日本全体の時代の様相が浮かび上がってくる。ミクロの世界を覗き込むことによってマクロな世界が見えてくるようである。

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