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りょうちんさんのレビュー一覧

投稿者:りょうちん

4 件中 1 件~ 4 件を表示

紙の本女神

2003/09/23 01:44

こんな女に出会うのは、男にとって幸か不幸か。しかし間違いないのは、そんな女が男女を問わず、誰をも魅了するという事実である。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

魔性の女は、とかくバッシングの的になる(ほとんど女性陣から)。が、この本を読むと、決して女だけが悪いのではなく、男が望んで、その手の女性に引きずりこまれていくというのがよくわかる。生活感のある魔性の女はいない。母性本能たっぷりの魔性の女もいない。魔性の女は、ただそこにいて、刹那的で破滅的で投げやりな微笑を浮かべているだけである。それに触れてしまった、ちょっと敏感な男だけが、家族も仕事も過去も未来も忘れて、現実感の微塵もない詩的な世界に飛び込んでしまうのだ。ん〜こわい。

本書の主人公であるムウちゃんは、中原中也に小林秀雄、坂口安吾に大岡正平などなど、それこそ教科書レベルの文豪たちに、こぞって求婚されたという折り紙付きの魔性の女。その数奇きわまりない人生が、久世光彦特有の叙情的な文章でつづられている。自殺という最期を選んだムウちゃん(その事実を知っても物語の魅力は少しも薄れないのであしからず…)が心の内を回想するという形をとっており、展開にスピード感はないが、その心の襞を細かく美しく描写していて飽きることはなかった。

果たしてこんな女に会った男は、幸せなのか不幸なのか。久世さんは、著者インタビューのなかで、あれこれ資料を集めているうちに、ぞっこん惚れてしまったと述べている。その文章のなかにムウちゃんの面影を見出したボクも、まったく同感である。いや、そんな気持ちになるのは男だけではない。本書の中にもあるように、宇野千代は、ムウちゃんの媚態を前にすると、女でも変な気持ちになると語っている。白州正子だって、同じようなことを言っている。

その白州正子だが、ムウちゃんが自殺した数日後、文藝春秋に、ムウちゃんと関係を持った数々の男たちのスキャンダルを実名で発表し、世間を驚愕させている。文壇の重鎮たちを向こうに回し、いかなる批判や圧力にも動じなかったというその態度には敬意を表する他はない。かといって、別に白州が無鉄砲だったわけではないだろう。どれだけ不利な状況に陥っても、死んだムウちゃんの魅力を語らずにはいられなかったのだ、とボクは思う。

魔性の女は、男にだけ魔性なのではあらず。男にも女にも、ぜひ手にして欲しい一冊である。

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紙の本京のことのは

2003/12/04 00:39

男子が京言葉の女性に情緒を感じるのはなぜ……?

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男子の会話で京都弁の女性はいいよねとかいうやり取りをしばしば耳にする。おいでやす、はんなり、いけず、かんにん——、なるほど、しとやかで物腰やわらかい音感を持つその言葉は、えもいわれぬ色気を帯びており、加えて、どこかキャッチーな響きがあって耳にもよく残る。印象深いからか、おっちょこちょい、まったりのように、全国に広まった言葉も少なくないようだ。

しつこく男子の話をして恐縮だが、ことほどさように男子が京言葉を操る女性に情緒を感じるのは、その言葉の響きのなかに、かの地で培われてきた文化の薫り、いわゆる京情緒を垣間見るからだと想像する。町屋が軒を連ねる通りの風情、竹林のある瑞々しい日本庭園、四季折々の表情をたたえる山水、そして神社仏閣がかもし出す歴史の匂い。京都の町には、あちこちに情緒が落ちている。

そうした京都の風景は、やはり風情あふれる独自の言葉でもって語られてきた。そんな言葉を集め、一冊にまとめたのがこの本。当該の言葉を使った文芸作品をたびたび引用し、さらに鮮やかな写真をたっぷり散りばめた、なんとも洗練されたできばえに、おのずとページをめくる手つきも上品になる。

春の曙、おばんざい、紫の京、色無き風、丹波太郎、晩夏光——、そこに収録されている言葉の数々は、著名なお寺の別名から、気候の通称、風の名称、料理名など、大きなものから小さなものまでさまざま。ごちゃまぜに詰め込んだ感じが、対象を身近に感じさせてくれて、またいい。

言葉を知ることで、それまでに気付かなかった世界が見えるようになることは、ままあるものだ。逆に言えば、言葉が忘れ去られることで、世界は消えてしまう。この本には、失われつつある、かつての都の残像が記録されている。次に京都を訪れるとき、どれだけ本書の中の「言葉」が見つけられるか、今から楽しみである。

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紙の本山谷ブルース

2003/11/29 01:32

日本一のスラム街、東京・山谷。さて、そこで何が起こっているかというと……

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おそらく日本社会のもっとも底辺に近い場所が、東京・山谷だろう。ここは日本最大のドヤ街であり、ホームレス、犯罪者、チンピラくずれ、夜逃げ人などなど、社会でダメの烙印を押された人々のメルティング・スポットとなっている、なんとも懐の広い町である。息苦しいほど均一的な管理の行き届いた日本の中でも、例外中の例外ともいえるアナーキーな世界観を共有しつつ、そこに住む人々は生きている。

本書は、そんな山谷に、のべ十六ヶ月間住み(もちろん、調査目的だが)、そしてそこを根城とする人々に、しつこくインタビューして歩いたアメリカ人の記録である。メインは住人数十人に対するインタビューと、著者が実際に日雇い労働を経験し、住人とともに焼酎を飲み…と、そこで過ごした日々の日記。そのフィールドワークは実に緻密であり、本書も文庫本400ページにわたる力作だ。ありのままの見聞が淡々とつづられていて、それだけに山谷の現状(といっても、5年ほど前の話だが)がありありと想像でき、そこを訪れたことのない人でも、その世界の住人の話を実際に聞いたかのような気分にさせるリアリティがある。ほかに、山谷を扱った本を目にしたことはないが、その地の生活者の視点に立った資料としては、間違いなく、世に残るものとなるだろう。

しかし、これを書かなければウソになるから書くのだが、正直、すべてのページを開くことはなかった。飽きちゃったのだ。その理由は明白だ。たしかに、そこに住む人々には、いわゆる普通の人たちが経験することのない、ドラマチックな過去を経験してきたケースが多い。もちろん、社会的には、とことんマイナスの意味でのドラマだが。そんなドラマを読むことは、一つのカタルシスになるわけだが、だけど、どんなに人にも平凡な日常は訪れるのである。山谷の日常をありのままにつづった本書は、そこにも退屈な日常はあるということを教えてくれる。言い換えれば、そこまで、本質的な世界を描いた本なのである。

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ノスタルジックで刹那的、そんな中国詩の妙味を堪能させてくれる一冊

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外国語の詩を日本語に翻訳する作業には、きっと油絵を日本画に描き換えるほどの段差があると想像する。言葉の意味だけでなく、語感や韻律、語のつながりが喚起するイメージなど、言葉の持つ本質的なパワーが凝縮されているのが、詩なのだから。

その意味で外国詩の日本訳は、小説とは比べ物にならないほど、原作とはかけ離れたものになっているのだろう。俳句を英語に訳したものを目にして、なんだこりゃ、と思ったことがある。五七五の韻律がまったく無視されているのである。けど、考えてみれば、そもそも英語には五七五の韻律をヨシとする文化はないわけだから、これは俳句にあらず! などと憤るのはまったくのナンセンスなのだ。ゆえに、相当、日本語に長けている人でもなければ、外国人が俳句の妙味を髄まで味わうのはムリな話であり、それは日本人が外国詩に接するときにもまたしかり、の越えがたい段差といえよう。

前置きが長くなったが、じゃあ、どうすれば本当の意味で外国詩を堪能できるのかというと、この本がその答えの一つではないかと思った。これは、杜甫、李白、王維、白居易といった中国の詩人の名詩選。70編近くが収録されているが、驚くことに、すべてが軽妙洒脱な五七五調の日本語に訳されており、一つひとつの詩が、まさに声に出して読みたい日本語、みたいな、そんな爽快なリズムに満ちている。たとえば、こんな調子だ。

コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガセテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
(干武陵)

いや、これは井伏鱒二の訳だが、この本の冒頭にも収められており、著者はこの訳詩をお手本として自らも励んだ、というようなことが述べられている。なるほど、いずれの訳詩も、これに負けてはおらず、ときに読み返し、ときに書を伏せてしまうほど、起伏のある読み応え。人生、酒、別れ、恋、自然、旅……中国の詩に関しては教科書程度の知識しかなかったが、あらためて読んでみると、強く郷愁にも似た感情をくすぐられ、また刹那的なムードに満ちていて、とてもよかった。

こんな意訳もある。

東京本社ヲ訪ネレバ
君ハ辺地ニ左遷トカ
御地ハ梅ノ花ザカリ
春ノ思イハ如何バカリ
(孟浩念)

原詩は省略したが、当然、本書には収められており、一般的な日本語訳も添えられている。読み比べてみるのも楽しい。

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