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山 さんのレビュー一覧

投稿者:山 

28 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本不思議のひと触れ

2004/01/20 14:04

「本日のオススメ」に出てなかったら“ひと触れ”もできなかった、これぞマスト傑作選!!!

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 bk1にアクセスするとトップページに「本日のオススメ」というのがある。さいしょ無視していた。
 これ、たぶん知られていないことだと思うけど「本日のオススメ」というのは、アクセスした人みんなに同じ本を紹介しているのではなく、その人のアクセス履歴や購入した本などによってセグメントされた本が「本日のオススメ」になるらしいのだ。

 つまり「本日のオススメ」というのは理論上、アクセスした人の数だけ存在しても可笑しくない(そんなことはまずないだろうが)。詳しいシステムや本の選択方法は知らないけど、その人の好みそうな本が毎日ラインナップされるのは確かで、当たり外れはあるが、この本『不思議のひと触れ』も年末に「本日のオススメ」に紹介されていた。
 買うつもりなどなかったが作者の紹介(もちろんシオドア・スタージョンなんて作家、知りませんでした)と書評を読んで、なんかグイッと惹き込まれて買物カゴに入れてしまった。

 結果、大当たり!!! というか、こんな面白い短編集ここ2年ほどでは読んだことはない。なんなんだ、この粘り着くような読み口(目と頭に絡み付くような文体)と唸るような多彩なグルーブ感(ストーリーもリズムも一本調子でなく幾重にも相互作用、化学変化している)は。
 河出書房の「奇想コレクション」にラインナップされているが、“奇想”というのは作家としてのシオドア・スタージョンのカテゴリーのことであり、本書は、ありとあらゆるジャンルの要素が詰まった短編集で、その一遍一遍がきら星のごとく脳髄をビカビカ刺激して、まさに「小説を読むこと」でしかイケない境地に読者を誘う。

 ぜんぶの作品が、まさにマスト!!! なんだけど一品だけ採り上げるしたら「ぶわん・ばっ!」。
 ジャズプレーヤー、いわばドラマーの成功物語なんだけど、これ、ストーリーもいいんだけど、文体がもう完全にイッてる。まるで音楽。
 本を読んでいるわけだから(しかも日本語に翻訳された作品だから)、英語原文のリズム感というのは、よくわかんないんだけど目で読んでくだけでカラダの細胞が疼くというか蠢くというか、ともかく読んでる最中にリズムを刻んでいるんだね。ぶわん・ばっ! とか しゅっ! とか、そういう擬音語も挿入されているわけだけれど、読みおえたあと、なんだか一曲のジャズ名演奏をナマで観て興奮してブルブル震えているような感じになった。こういう経験って、ちょっとないよ、ほんと。

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“フローレンス”を“フィレンツェ”とい(ゆ)う理由とか、「『行う』と『行なう』の<違い>」とか、「行う。」とカギカッコ内にマルを付けてよ(い)いのかなどが解(か)る本。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 じぶんだけが読む「日記」ならともかく、他人が読むことを前提にした文章を書いていると、些細なことでいちいち引っかかってしまう。それは僕だけじゃないと思う。会社などで書く公用文書ならもちろんのこと、友達に書くメールだって「この表記って間違ってるんじゃないか?」なんて疑問を残したまま送信すると、なんだか後味が悪い。

 たとえば、
●「手」は「上げる」なのか「挙げる」なのか? 
●「解る」と「解かる」は、どう使い分けるか?
 などという初歩的な知識もおぼつかないし、
●会話文などのカギカッコの中に「行なう。」みたいにマルをつけていいのか悪いのか?
●ヒゲカッコとも呼ばれるダブルクォーテーション(“”)とクォーテーション(‘’)の使い分けは?
●ヤマカッコ(<>)の使用方法は?
 みたいな普段、無自覚にいい加減に使用しているものへの疑問とか、
●「見れる」は間違いで、やはり「見られる」じゃないといけないのか?
●「触れる」というのが良くて「見れる」が間違いというのは可笑しいんじゃないか?
 のような一時期騒がれた問題に対しての解答も定かでないし、
●「コンピューター」はどうして最近「コンピュータ」と表記されるようになったか?
●「ウオッチ」と「ウォッチ」はどちらが正しいのか?
 なんて外来語の問題についても、まるで解っていないじぶんがそこにいる。

 本書は以上のような問題を片っ端から取り上げて、懇切丁寧に回答へ導こうとする。しかし、ほとんどの場合正しい「答え」なんてものはなく、明治以降(もっと遡る場合もある)の口語文が一般化してきた時代の変遷により日本語も変化してきたという事実が提示され、けっきょくのところ「使う人しだい」であると結論づけてあるように読めました。

 たとえば作家の村上龍は「ナマ」と発音する「生」を小説内では「生ま」なんて表記したりするけど、それは作家のワガママな使い方なんじゃないかと僕は思っていたけど、明治の小説家なんて、ほとんど「じぶんが日本語を作っているんだ」という気概のようなものを持っていたようで、使い方に「統一感」さえあればかなり自由に日本語を操っていたようだ。そうやって日本語が形成されてきたらしいのだ。

 つまり「常用漢字表」とか「現代仮名遣い」などという国が決めた使い方にも、それほど束縛されなくてもよいらしくて、本書を読んでいて僕はなんだか気持ちがラクになった。
 もちろん妙としかいいようのない使い方や誤用というのも厳然としてあるわけで、ある一定のルールぐらいは知っていないと恥をかくこともあるから、そういう知識は本書でバッチリ身につけて、今後は日本語の自由度を楽しみながら書いていこうと思いました。

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生きあぐねている人にも。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この本、小説を書く人に向けられていることに一応なっていますが、小説を書こうと思っていない(書けるとは思えない)僕などが読んでも驚くほどさまざまな示唆に満ちています。

 テクニックで小説は書けない、まずこれは、テクニックで人生は生きられないことをそのまま言い換えているように思えました(そんなの当たり前だと言わないでほしい。なぜって皆それが判っているのに無自覚に稚拙なテクニックに走っているから)。
 小説というのは普段はないものとして生きている「個人の闇」というか、社会的規範によりどうしようもなく抑圧されている「その人特有の思いとか感じ方とか記憶」などを著すものであるはずなのに、そういうことがまるでないがしろになっている。だから書けない(うまく生きられない)のだと。
 なんでも効率的なフローチャート図で説明できるような人が優れた人であるとされている現在、小説(人生)とは、ぜったいにチャートになどできない、そこからこぼれ落ちてしまうことをこそ書かなければ(生きなければ)、小説にはならないし幸福な人生なんか送れない。

 テクニックで小説を書くということは、たとえば『マジソン郡の橋』を例にとって、すべてを“描写以前の描写”ですませて、すでにあるようなストーリーを模写しているだけのことだとし、そういう小説で一時的に感動する人もあるかもしれないけど、その行為はその人間の内面生活に何ら関わりを持たない。ただ通り過ぎるだけ。
 「書く」ことと「生きる」ことが同義であることこそ、そもそもの小説の成り立ちであるはずなのに、小説(実人生)以外でできるようなことを小説(人生)に持ち込むなんて愚の骨頂、意味もないし苦しいだけ。そういうことをしているから小説を書きあぐねている(人生を生きあぐねている)のだ。

 つまり僕らがしなくちゃなんないのは“本当に書きたいことを書く”という実にシンプルなことで、それは本当にしたいことをするとか、本当は気になっているんだけど他人かに妙な目で見られるから(社会的規範から外れているから)除外していることを、きちんと人生(小説)に持ち込むことなのだ。

 この本を読んで、もういい加減本気で、上っ面だけの体裁を整えて生きるのは止めようと思った。今後、小説を書くか書かないかは判らないけど、日々の瞬間瞬間に濃密な時間が流れていることを意識的に認識して、それが記憶に守られているものだと感じてみたり、生きていることがかけがえのない「思い」の連続なのだと自覚して“本当に感じたことや思っていること”をないがしろにしないぞと決めました。

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紙の本阿Q正伝・藤野先生

2003/10/27 12:58

手垢がついてるから面白くないというのは嘘です。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ぞくぞく新刊される小説の中で面白そうなのを買っては途中でやめ(つまり面白くなかったということ)、でもそれでも何でもいい夢中にしてくれる小説がないかと希求する気持ちが強くて本を買うのをやめられなくて、ついうっかりというか、なんとなく手にした本がコレ。

 魯迅なんてというと確か教科書にも載ってるような偉い作家なので、ふつうなら買わない。それなのに買ったのは冒頭の「狂人日記」をぱらぱらと目で追っていて、これなんかイケそう!! と直感したからで、それは大当たり。

 たぶん文体が平成を生きてるぼくらにも違和感なく読めるというのが入り口で、あとは内容が現代文学ではもう素朴すぎて取り上げないようなテーマに焦点が当たっていて、でも、そこがまさに文学のおいしい部分で、狂人というのは自分でそれに気づかないからこそ狂人なのであり、ぼくらはみんな携帯電話を持った狂人だ、なんてことまで感じされる短編でした。

 その他の収録作品の中には、あまりに純朴すぎてアレッと肩透かし食うのもあるけど、なんといっても読みやすいし(これホントに何十年も前に中国で書かれたの?)、気持ちが和みます。すらすら読める。

 もし読むなら、満員電車の中なんて苛烈な環境は避けて、夜寝る前に一篇ずつか、あるいは休日に書斎でひとりきり読む、そんな読み方がいいと思います。
 手垢がついてて、なんかもう目にもしたくない、そんなふうに感じてしまう本の中にも面白いのがあることを証明する一冊。

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しあわせの理由

2003/07/25 18:10

イーガンのなにが凄いって、そりゃキミ「まったく新しい」ってことだよ。

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  「かつてない手法で描かれた××時代の文学」とか「これまでどこにもなかった小説」とか、そういう宣伝文で紹介されるのは小説だけではなくて、映画でもアートでもビジネスでも同じなんだけど、実際に触れて(読んで)みると、ぜんぜん新しくない! みんな嘘!! 紋切り型に見せないよう手法とか論理をゴチャゴチャにしてたり、一見新しいんだけど描かれてる世界が浪花節だったり、そういう意味で言えばフィリップKディックだって、まったく古い! ……なんて思ったのは実はイーガンを読んだからで、ぼくたちはイガーンを読んだ以前と以降では、まるで違う人生を送るようになる。大袈裟だなんて思わないで。ほんとにそうなんだから。たとえばこの短編集のタイトルにもなってる「しあわせの理由」。人間の、しあわせな気分の原因は、いいことがあったとかバイオリズムの上がり下だりだとか好景気だとか、そういうことだと、一応そういうことにしとかないと「人生の意味とか」がなくなるから、みんな無自覚にそう思って生きているけど、ほんとは「脳内物質とかホルモンの分泌」で決まっちゃってるんだ。こういうことは今ではよく言われるけど、でも「脳内物質とかホルモンの分泌」レベルのことを起点にして書かれた小説なんて、誰も思いつかなかったし、書こうとしても書けなかったんじゃないかな。少々いや相当に読みにくい作品もあるけど、イーガンの小説を読むと、これまで無自覚に信じていた価値観とかモノサシ……そのせいで不幸だった自分というのが浮き彫りになり、ぼくの場合なんかだと、これまで生きてきた価値観の全部がでんぐり返るくらいの衝撃を得て、しかも、そこで終わりじゃなく、実人生でも小説に描かれた「イーガン世界」の延長線を生きてる気がずっとしてる。ぜったいに騙さないから、読んでみて!

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紙の本指輪物語 新版 第1部 旅の仲間

2003/04/09 15:43

ぜったいに映画を観てはならない!

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「ファンタジーの最高峰」だとか「RPGの原型」だとかの紋切り型の紹介しかされない本書(この物語)は不幸だ。映画が公開される以前には至極マニアックなサイトもあったのに何故かネット上から消えてしまった。古くからのファンは関わりたくないという気分なのだろう。同じ紋切り型で紹介するなら、指輪物語は「剣と魔法による戦いからの解毒の物語」のほうがいい。剣や甲冑、また中世の毒々しいニオイに惹かれてRPGゲームをする人なんてもういないのかもしれないが、私はそうだった。そこには「錬金術」という言葉に象徴される、ぜったいに“黄金”に輝くことはない「不可避な現実」が描いてあった。どんなに失敗し続けても人間は、じぶんの人生が“黄金”に輝くことを、どこかで諦められない。それがあまりに困難で実際には不可能と悟りつつ、それでも人生を諦めることのできないわれわれは、現実を現実たらしめている「悪魔」と戦うことを夢にみる(実際に戦えないからゲームで代用する)。
 「悪魔」とは“運命”なのかもしれないし、人間の“弱さ”なのかもしれないが(指輪物語では「指輪」がそれ)、その不可避な人生の“壁”と戦い、毒を受け、血を流し、もがき苦しむさまを、これでもか、これでもかと畳みかけるように描いたのが本書なのだ(ちなみに本書では「魔法」の本質についても書いてある。魔法とはハリーポッターのように何でもできる「念力」などではない)。
 ロードオブザリングという映画は、本書のダイジェスト矮小版であり、ほんとうに描かねばならなかったことは微塵も描いてないし、ビジュアライズも最低だ。指輪物語に憑依されて描かずにいられなかった「ジョンハウ」や「アランリー」といったイラストレーターの絵(本書の表紙がアランリーなのではなかったか? 確か同出版社からイラスト集が出ているはずだが、いかんせん画質が悪い)を映画に具現すべきだったのに、それをしなかったために映画を観てから本書を読んだという人は、おしなべて矮小なイメージにとらわれてしまう。もし、これから指輪物語を読もうという方は、ぜったいに映画を観てはダメだ。

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歩くとなぜいいか?

2004/06/15 15:12

歩くことはきっと「アタマではないところで考える」ひとつの方法

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 歩くのは、たぶん苦痛な人が多いです。なんとはなしに目的地に行くための「苦行」としてとらえているからです。けれど歩かなければ、どこにも行けない。電車とタクシーを使っても、どっかでは歩かなくちゃ目的地にたどり着けない。

 よくウォーキングをしている人なんかが一日、一万歩が基本だなんていいます(この本にもそう書いてある)。けれど一万歩、歩くなんてタイヘンなことです。ふつうの主婦なんか一日、四千歩強しか歩いていないらしいですが、サラリーマンだって似たようなものらしいです。

 この本は歩くことで健康になることを説いてますが、同時に歩くこと自体のすばらしさを繰り返し繰り返し記しています。
 ぼくは術中にはまってしまい、読み終えて、どんどん歩きたくなりました。
 医学的な根拠や生理学的な説明はほとんどしてありません。さいしょ、そこがちょっと物足りない気がしましたが、読み終えて、だからこそ「実際に歩きたくなる」のだと思いました。
 アタマでわかっても仕方ないんです。

 この世の中、アタマでわからせようとするものばかりです。いくら「理屈じゃないんだよ」とか、かなり古いけど「心の時代」だとか叫んでも、皆がしたいのはアタマで理解して納得することです。そうしないと社会的な存在としてじぶんが確立できないから。

 歩くことはきっと「アタマではないところで考える」ひとつの方法なのだと思います。この本を読むと、歩きたくなり、道を歩いていて、そんなことを考えていました。
 ぼくは一日、一万歩を歩くなんてことは今後もしないだろうけど、意識して「歩く」ということをはじめました。そしてそれは緩いけど、今縛られている諸々の事柄からの解放につながっています。すこしアタマのタガが外れたのかもしれません(もちろんいい意味で)。

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シンクロナイズド・

2003/10/30 11:32

三浦俊彦は保坂和志や阿部和重に匹敵する現代作家なのに、まるで注目されないのは可笑しいぞ!

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 シンクロナイズト、発売当初に図書館で借りて、ずぅ〜っと頭に引っかかっていたのでこのあいだbk1で自分のお金で買って再読して、その価値の巨大さにびっくりしちゃいました。
 描いてある世界は、ちまちました日常とか大学内にあふれる抗争とか、そういったものなんだけど、テーマなんて言っちゃ三浦さんを苦笑させそうだが、彼のテーマは一貫していて(小説も論文もエッセイもみんな同じ)、生きることに付きまとうこの閉塞感だらけの日常打破にある。いわば“可能性”の存在証明。しかもそれを現実的に対処してやっつけるんじゃなく「アタマ」でやっちゃおうというもの。

 けっきょく人生なんて「考え方しだいだよ」「どうとらえるかで瑣末な現実は輝きもするし干からびもするんだ」なんてことをみんな言うけど、その「どうとらえるか」について深く考察して、こうこうこうすればよいのだという方法論を展開した人なんていないじゃない!! 
 えらい批評家や論壇の人が、もしかしたら小難しいディスクールやら引用だらけの作文なんかですでに説明してるのかもしれないけど、そんなもの誰にも届かないし、そもそも効き目がない。
 保坂和志さんがエッセイと小説で、向かう地点は違う(ようだ!?)けど同じように「ふつうの日常を輝かせる」ために頑張ってるが、どうなの? エッセイはよ〜く理解できるけど、最高傑作らしい『カンバセーションピース』で、どのくらいの日常に苦しむ人が救われたか……かなり難しいんじゃないか!!

 シンクロナイズドの一篇、「ポケットティシュ」が特別に素晴らしい。最初は渋谷や池袋や新宿でポケティ(ポケットティシュのこと)を受け取るだけの大学教授を目指している男(話題のドラマ『白い巨塔』の矮小版みたいな世界)が、自らにとって価値あるポケティしか収受しない術を獲得していって、最後には自作のポケティを創造して街中でばら撒く側に立場を置き換えていって覚醒するという、そのダイナミズム溢れる物語展開は、日本広しと言えども三浦和彦以外にできる芸当ではない。
 ここで読者が受け取るテーマ性なんてのも、言葉にする馬鹿げてるんだけど「意識の自覚的変貌に於ける現実の画期的変容」であり、その“可能性”というのは誰にでも同じように存在し、望めさえすればこの閉ざされた惨めな現実から開放されるということなのだ。

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紙の本虚構まみれ

2003/10/21 16:58

小説家になりたいなら『キャラクター小説の作り方』より、こっちの方が役立つはず。

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 奥泉光さんが現代文学のフィールドで無視できない存在であることは疑えない。文学界新人賞をはじめ様々な新人作家発掘の場に身を置かれ(いずれ芥川賞の審査員もされるだろう)、また自ら新しいブンガクを日々模索され続けている。近年はエンターティメントにも開眼したようで『鳥類学者のファンタジア』なんてファンタジーの名作も執筆された。もはや純文学の垣根など、とっくに超えて「面白い小説」なら何でも書く所存らしい。
 本書は、その奥泉さんが赤裸々に綴った文学への思い、また創作過程の秘密が真っ正直に書かれてある。人の良い方らしく、少々じれったくなるほどの生真面目さも随所に感じれる。本質的に「いい人」のようである。奥泉さんのファンならずとも読後は、もっと彼を好きになる。
 「書きたいことなど何もない」というのが奥泉さんの立ち位置で、けれど「面白い小説を読みたい」との思いは人一倍強く、いま書かれつつある小説の「最初の読者」として小説を執筆されているそうだ。
 この本はいろんな読み方ができる。読者としての奥泉ファンなら彼の人柄や日々の暮らしを知るなんてのに興を惹かれるだろうし、でも僕が思ったのは「小説をこれから書いてみたい」と思う人にとっての貴重な情報、文献なのではないかということ。きっとベストセラーの『キャラクター小説の作り方』を読んで小説が書けたという人なんていないのではないか。説得力はあるけど、やはりノウハウでブンガクは書けない。この何でもアリで物質的にも恵まれた世の中で、いくら筋立ての「物語」を紡いでいっても他人が読むに値する小説なんか作れるはずがないと思う。それは「これを書きたい」というモチベーションがないから。
 小説を書きたいという切実な思いはあっても、「こういうことが書きたい」というものが、まるでない。その何もない“地点”から、いかにブンガクを書くか。それを知りたい人は奥泉さんの日常や感情生活を知るのがいいと思う。この本に、しっかり書いてある。

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紙の本言葉の外へ

2003/03/19 18:16

「答え」が書いてあったよ。

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 「アウトブリード」もよかったが、これはそれを超える!
 あまりにも読み返しているのでアウトブリードは一年ほどで本がボロボロになってしまった。しかし「言葉の外へ」は約二週間ぐらいで、本のカドが擦れて印刷が剥がれるほど読んでいる。
 なぜ保坂和志のエッセイを、そうまで読むか? それはもうクッキリと保坂和志が「僕が生きている世界」を解き明かしてくれているから。たとえば「エピソード記憶」と………、やめよう! 具体的に書くと長くなる。僕(ら)が悩んだり苦しんだり被害妄想にとらわれたり人に嫌われたり会社を辞めたり退学したり人を殺したり自殺するのは、じぶんの意識とか心とか自我とかいうものがひとつの塊で、それを「責任感」を持って「首尾一貫」させようとしているからだ。しかし実は意識とか自我とかは「塊」ではなく無責任に「考えたり」「感じたり」しているものの集合体で、結びつきなんかない。紋切り型の解釈で気持ちを編集したりするのは馬鹿げている、そのままにしとけばいいのだ! 「わけのわからない」じぶんでいいじゃないか!
 なんてことを保坂さんは書いていないが、僕はこの本のある部分でそう感じてすごくラクになった。どこを読んでも、このような発見があり(解明かな?)、さらには他の本には絶対に書かれていない「答え」に満ちている(もちろん「わけのわからない」書き方はまったくしてないし、誰にでも理解できる易しいコトバで書いている)。
 生きることや小説を書くことは「答え」を見つけることではないと、そのようにも書いてあったが、僕にとってはこの本が答えてくれたこと以上の「答え」を他の本で読んだことがありません。どうにもならなくなって一歩も前に行けない「人生」を“駆動”させてくれますよ、すごい本です。

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紙の本こよなく愛した

2003/01/07 17:04

「読むものが無いといってるアナタ」試す価値あるよ。

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 近年「保坂和志」経由で小島信夫に巡り合う人が多いのではないかと思う。
 私もその一人だが、保坂さんの小説はつまらない。とても読み進めない。エッセイは面白いが、その面白さをどうして小説にできないか、その答えのようなものまで「こよなく愛した」では読み取れる。
 保坂さんは、作意が前に立ちすぎているのだ。
 小島信夫の小説もぜんぶがぜんぶ面白く読めるわけではないが、面白くない部分も含めて「気になって仕方ない」。小島信夫という小説家が、どこまで「知っている」のか、まるで「知らない」のか(そんなことはありえないが)判らないが、凄いことが書いてありそうで気になって仕方ないのだ。
 読み終えて、いったいどこが「凄いこと」だったのか記憶に残らない場合が多いが、その「凄いことを読んでいる」という高揚した気分は、まるで好きな音楽を聴いているときのようであり、いわば「体験」しているといった感じだ。読んでいるという感じではなく、聴いているとか見ているに近い。もしかしたら「触っている」ところまでいっているかもしれない。頭の中を触られているような、既存の思考パターンを組み替えられたような快感に近い「感触」もある。
 こんな小説は、ほかにはない。小説を読む醍醐味は、そもそも、こういうことなのではないかと思う。物語が面白いとか、劣等感を肯定してくれるとか、そういう読み方では飽き足らなくなった読者に最適な一冊であり、小島信夫の入門書としてもよいと思う(といって他に三冊と最近の文芸誌掲載の短編しか読んでないが)。
 むろん「こよなく愛した」が、ツマラナイという意見にも同調できる。それは尤もだとも思う。しかし読書というのは、人生の秘密を解き明かすことであると、そういうふうに考えている読者ならば、また巷にある小説では最早効かなくなった読者なら、いちど試す価値はある。私は死ぬほど面白かった。

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紙の本綺譚集

2004/10/06 17:39

こ〜ゆ〜のこそ“エクスタシー”っていうんですよ!!

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 SEXですよ、この本。ほんと。大げさじゃなくて。イク〜ッ!! って感じ。
 じつは「読書」に倦んでたんです。なに読んでも面白くないし、文字も筋も追うのツライし、「物語」になんか夢中になれないし。もう小説なんて人生に必要ない!! とまで考えてたんですが……。
 これって、ど〜ゆ〜本なんだ!? 時代設定が京極夏彦なんかがよく使う大正だか昭和の初めで、いわゆるセピア色の世界なんですが、この時代って「死」の香りがするんでしょうね。こっち側(この世)とあっち側(あの世)の境界が薄いようで、スルッとイケるんですよ、ただ読んでるだけで。イクんですよ、マジに。「文字を追ってる」なんて意識はフッ飛んじゃって、もう完全に小説に「没入」ですよ。読んでる間は「生きてる」とか「死んでる」とか、そ〜ゆ〜のも忘れてる。
 もちろん「京極」じゃこんな感じにはならない。つねに「文字を追ってる」って意識は離れない。なんでなんだろ。この本には魔法(呪い?)がかかってるんだろうか。
 再読したらきっと冷静に見えてきて、魔法が剥がれるから、しばらく再読しない。ほうっておく。
 ぜんぜん書評になってないかもしれないけど、そもそも読書の楽しみって「没入」にあったんじゃないかなぁ。読んでる間は完全に時間を忘れてるっていう没我の状態。あれこれと批評眼がつねに気持ちから離れないような小説って、やっぱ読者をとらえきれてないんだよ。
 誰が読んでも僕のようになるかは判らないけど、その可能性は確実にある本。それはリクツでは説明できない。いやできるかもしれないけど、したくない。SEXは「してる最中」が最高なわけじゃないですか。その後のことなんか、ど〜でもいいし、後からあれこれ説明つけても、ほとんど意味ないでしょ。これはマジに気持ちイイ〜本、イケる本、ヌケる本、それだけ!!

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人生、しょせん運不運

2004/06/15 14:43

ぼくは打ちのめされました

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 この本、冒頭からすごいです。
 八十を過ぎて明日死ぬかもしれない、と自覚した小説家・古山高麗雄さんが、まったく飾りっ気も文学色も消し去ってじぶんの人生を回想しはじめます。
 こういう文章はそうはないです。いくら素直に文章を書いても、ここまで「届く」ように書くのはムツカシイです。ぼくは、あまりのすごさに冒頭から忘我になって読みふけりました。

 あなたは本を読んでいて「忘我」になることなんてありますか? ほとんどないと思います。ぼくはこの本を三時間あまりで読み終えましたが、その間ほんとにじぶんを失ってました。本だけに集中していました。

 生きることはツライこと。それは誰でも感じてることだけど、どうツライか、その気持ちをそのままに文章にするのは、とても容易なことではありません。
 このエッセイは「文学っぽさ」はまるでないけど、古山高麗雄さんのどの小説よりもすごいです。
 きっと歳を取ったことでタガが外れたのです。うまく書いてやろうとか、構成をしっかりやろうとか、そういうのがまるでない文章は、ふつう安易な匂いがして、読めたものではありません。しかし「人生、しょせん運不運」は、まるで武装していないのに驚異的に心を打ちのめす武器が随所に隠されてるみたいです。

 読み終えても余韻は強く残ります。
 もう二週間以上まえに読んだのに、ぼくの心には「人生、しょせん運不運」がこだましています。それはフレーズとか書いてある内容ではなく、ひとりの人間の「人生」のこだまで、それはいうまでもなく、ぼくの「人生」を今裏打ちしているみたいに思えます。

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じぶんのことを「人ごと」にしましょう!

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 有名でもない人の「人生相談」本を買うのは初めてだった。が、当たり! というのは常に意外なところに潜んでいるもので、この本、読んだ人は皆スコン! と気がラクになると思うよ。

 人生相談って、だいたい「お悩み」に正面から答えないで、裏側とか横とか斜めとか、ともかくマトモに答えないで肩すかしみたいに答えるのが多いように思うんだけど、というのは、どんな「お悩み」も大局的に見ればありふれていたり、答えようがないというか、答えても人生に役立たない解答になっちゃうからなんだろうけど、末井昭はグジュグジュしてたりドヨーンとした気持ちを、なんとかしてスコン! と抜くために、真っ正直に真っ向から解決しようと取り組んでる。

 けっきょく「お悩み」というのは「原因」が必ずあるわけで、その「原因」に眼をつむって、世間や家族や会社のせいにしたり、常識なんかのせいにしてるから絶対にラクになれないんだ。解答にもなってる「ホームレスになったり」「カミングアップしたり」するのって、そりゃ常識で考えれば「できない」ってことになるんだけど、それやんなきゃ解決できないならやるしかないでしょ!
 不幸な気持ちって、そのままにしとくと、いつまでたってもドヨーンと心にひっかかったままだからね。

 この本はヒントをくれるんじゃなくて、ある程度「捨て身」になって生きるということの正しさを説いているように思いました。それから読んでいるうちに、だんだんと「捨て身」になっていく自分がいて、つまりはマインドコントロールとかされてるのかもしれないけど、ラク〜になっていくのよ、気分が(独特の文体で書いてあって、それがイーのです)。
 人生、じぶんのことを「人ごとのように」考えるのが一番なんじゃないかな。そしたら「原因」は、けっこうカンタンに払拭できるんじゃないかな。ちなみに初版だけなんだけど「お悩み相談券」が付いていて、ぼくなんか末井さんから直接手紙で「お悩み」に答えてもらいました。

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紙の本あなたの人生の物語

2004/01/05 15:01

イーガンを初めて読んだときと同じ興奮!!!少々難解じゃないと、やっぱSFは楽しめないのだ。

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 とはいえ、この本はSFなのだろうか!? 読者は皆そう思うはず。そもそもSFの定義付けが「SFとして発表された」とか「初出がSF誌だから」とか「SF界の賞を受賞している」だとかくらいの形式的な場合も多いため、グレッグイーガンやこの本の著者テッドチャンなんかにはカテゴライズなんて無意味なのかもしれない(当然だけど、これは純文学とエンタテインメントなんかの違いとも同じで、科学と哲学の領域の異種混合なんかにも通じるし、ビジネスのインテグレーションなどとも相違しないはず)。
 しかしやはりSFなのである。というのは「SFを書く」という初期衝動がなければ絶対に書かれなかったであろう自由度や世界展望そして難解さがあり、読者の側も「これはSFなのだ」という前提のもとで読んでいるからこそ理解でき、かつ楽しめる小説世界なのだ。むろん僕だってイーガンと並ぶSF界の新精鋭という評判がなけば読まなかった本であることは確か。

 短編小説というのはアイデア一発勝負であったり、プロットそのものの独創性、簡潔性が勝負となるわけだけど、くどくどタラタラと冗漫な長編SFが多い中、本書の短編としての割り切りというか潔さというのは、難解さに隠れてしまっているけど、ほんと気持ちいいものがある。
 この混沌とした現代というか世界を、どう解き明かすか!? この命題はSFだけでなく小説という文芸に架せられた大命題であり、テッドチャンは例えば冒頭『バビロンの塔』(あの地上から天空まで突き抜ける「バベルの塔」のことですね)では“宗教”というツールを用いてバッサリ切り取っている。すなわち「世界とは『上』に行こうとする人間達の幻想で成立している」と。
 「上」というのは「下」のことでもあり、中庸にとどまって分相応に「中」ほどで生きているのがフツ〜の人間。夢とか希望とか、さらに日常的な諍いや戦争なんて揉め事から逃れられない僕たちは、ある一定の役割が与えられており、それは「上」に行っても「中」ほどにいても「下」で嘆いていても同様であり、特権的な役割を与えられて(あるいは夢が叶って)「上」に行って戦ったり活躍したりできたとしても、それは「下」に行くための戦いなのだ、そこではまた「上」を目指す人々の欲望とか闘争心が渦巻いている。

 科学や数学、哲学などの引用というか構成要素がストーリーを難解に見せかけているけど、テーマやプロットは単純明快というか、いや単純ではないんだけど着地点は明快そのもの。読むのに手こずる部分もあるけど、そもそも「難解さ」を楽しむのがこの手のSFというか小説の醍醐味なわけで、頭の中に異物を突っ込まれて掻き回されているような快感が充分に味わえる(もちろん判りやすい話が好きな人には勧められない本だけど)。
 イーガンのような叙情性こそないが、収録作8本はどれもこれもフツ〜の小説では絶対に楽しめない要素がふんだんに詰まっている。それだけでも凄いと思う。つまり、こんな短編集は世界にひとつしかないということ。似たような本は僕の知る限りどこにもない。

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