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  3. 毛布犬さんのレビュー一覧

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先月(2017年3月)

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    3月のライオン(1)

    3月のライオン(1)

    羽海野 チカ(著),先崎 学 (将棋監修)

    5つ星のうち 4.5 レビュー詳細を見る

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    はらぺこあおむし 改訂

    はらぺこあおむし 改訂

    エリック=カール (さく),もり ひさし (やく)

    5つ星のうち 4.5 レビュー詳細を見る

毛布犬さんのレビュー一覧

投稿者:毛布犬

13 件中 1 件~ 13 件を表示

絵が描きたいだけ

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「絵が描きたいなあ、でも具体的にはどうしたらいいやら…」という初心者 、興味はあっても「時間はないし、道具もないし、絵心まるでないし」と思いこんでいる人、「もっと上手くなりたい!!」あなた、 是非手にとってみて下さい。また私のように「絵が好き。でも絵を描いている人の絵の話はもっと好き」という、多少倒錯した趣味をお持ちの方にもオススメしたい一冊です。決して「永沢氏のような絵、イラストを描きましょう」という本ではないので、たとえ氏の絵が嫌いでも大して問題はありません。
 とにかくこの本、本当によく出来た入門書、指導書なのです。ヘタなカルチャーセンターで「???」と思うような講師につくよりは絶対得(約800円!! リピート受講無料!!)。テクニックや道具についての具体的な指示と、抽象的な講義とが程よくミックスされています。
 具体的な指示とは、まず実物を見て線でとらえることからはじよう、色を塗るときは心をひらく、揃える道具は描きやすいピグマ・ペンとかサインペン・リブが便利、鉛筆は3Bか2Bがいい、初めての人はどんなモチーフを選ぶと良いか、などなど実践的なこと。縛りの少ない的確な指導で、初心者もすぐ実物スケッチを体験できるようになります。またこの本の教えが素晴らしいのはデッサンに一度は挑戦したけれど途中でイヤになった人や美大受験族石膏デッサン挫折派の根深いコンプレックスも一掃してくれること。過去は水に流し、改めて楽しい気分で描きたくなる手法が紹介されています。「絵が上手くなる三つの法則」「その補足」、まずはだまされたと思って読んで下さい。
 一方講義っぽい章では、自分がどのように絵と出会ったか、絵の技能を活かした仕事での挫折、再び生き生きと描き出すまで、などの自分史。今までどんな作品を描いてきたかという仕事の変遷。また実技において推奨している「(光と影でなく)線でものをとらえる」方法が良い理由、簡単な美術史などが語られています。人間「絵が描きたかったんでしょう。さ、思う存分描いてくださいね。法則通りにやれば絶対大丈夫!」と言われても、今ひとつとまどいが残り、しっくりいかないこともあるもの。先生の苦労談や、メソッドの裏付け、スケッチ旅行の思い出話などが柔らかく肩を押してくれる場合も多いわけで、これらのページは実技の方法を無理なく有機的に理解する手助けになります。
要するに本書は手を動かす部分と、頭で理解する部分が適切に入れ替わってはぐんぐん絵の世界へ導いてくれる紙上授業。多くの入門書は難しかったり、説明が足りなかったりで読んでいるうちにやる気がみるみる失せてくるものですが、この教室では終始描きたい欲求が尊ばれ大切にされています。ページの中に、暖かい、希有な時間が流れているのです。
 個人的には、一時中断していた絵を再び描こうと思いなにげなく手に取った一冊でした。が、講義の上手さ、永沢氏の線の変容など、実技指導以外でもあちこちに感動したのです。絵を教える人、絵を読み解く仕事の人も参考になる部分がそこここにあります。全編親切で優しい口調の本だけれど、根底には岡本太郎の「今日の芸術」などを思い起こさせる絵に対する青く熱い理知が光っている所も魅力でしょう。
 「絵が描きたい」気持ち、とは「自由に生きたい」気持ち。絵の学校に入らなくても、贅沢な道具が揃わなくても、自分の小さな部屋で、旅先でスケッチを始めてみよう…自由に生きるのに正式な方法や免状は要らないのだから。描きたい気持ち一つあれば、あとは何とでもなる!! 体の芯からそう思えてきます。
 読後、久しぶりに翼を伸ばした気持ちになれる一冊。名著です。

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紙の本わたしの外国語学習法

2003/02/24 20:45

語学に効く漢方薬

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 5カ国語の同時通訳、10カ国語の通訳、16カ国語の翻訳をこなす女性による「時間のない大人のための」外国語学習指南書。訳は大学院を出たばかりの米原万里。
 面白そうだけど、しかしこの人めちゃめちゃ外国語のセンスがあるんだろうし、ハンガリー人だから勉強しやすいんだよね、ヨーロッパ系の言語。日本の普通人に役に立つのかなあ…。半信半疑で読み出した。しかし、結果的には驚くほど役に立ったのだ。こういった本には向き不向きがあるとは知りつつも、多くの人に勧めたくなる一冊だ。
 そもそもカトーさん、語学が苦手で大学も理系を選んだクチ。しかし専攻した化学を活かす仕事がなく、食べるために英語教師を目指す。全く英語は知らないのに。たいして若くもなく、語学的才能に溢れているとも言い難い彼女の手持ちの札は、
・母国語ハンガリー語ができる(ただしハンガリー語はウラル語族に属し、他のヨーロッパ系言語とはつながりが薄いそうだ)
・得意とは決して言えないが、ラテン語とフランス語の素養がある。
・本が好き、辞書が好き。
・言葉への強い興味、尽きないあこがれがある。
これだけ。子供の頃から親もあきれる語学オンチであり、また家庭教師を雇うことも出来なかったのに、どうして次々と外国語をマスターすることが出来たのか。彼女が手持ちの札をいかに活用したか。本書にはそれが平易な言葉で記されている。練り上げられた「本格的に学びたい人のためのアドバイス10項目」「すべての言語に通用する架空言語アジール語学習法」これらを読むだけでも、かなりモトはとれる。
 ただ、具体的学習法の体得を目論んでいた人は、ひととき戸惑うかもしれない。この本は百花繚乱のカトー・メソッドを披露するといった類のものではないからだ。もちろん単語暗記法、発音のコツなどの項目はあるが、それら実際的なことと同じくらいの比重でことばとは何か、語学教育の歴史、彼女の学習遍歴等にページが割かれている。「文法はこう覚えよう、とか、そういうの無いのね…」。一瞬、私も落胆したのだ。
 しかし、読み進むうちに分かってくる。もっとも淀みない口調で分かりやすいから、自然とぐいぐい読めるのだが、彼女は「これだけで安心の熟語集200」などという、すぐ効いてすぐ意味が無くなる薬を出すつもりはもともと無かったのだ。効果が出るのに多少時間はかかるかもしれないが、一生もののコツを伝授してくれていたのである。
 それは彼女の手持ちの札の中でも最強にして普遍的なカード「言葉への強い興味、尽きないあこがれ」、言い換えれば言葉の感受性、をいかに育むか。その秘訣だ。読んでいるうち、多くの人に彼女の言葉○チガイが伝染してくる、この本はそんな仕組みを持つ珍書なのだ。語学学習を吐きそうな「苦役」から一生手放したくない「楽しみ」に変換する秘薬、そんな嘘みたいなものが仕込まれている貴重な本だとも言える。
 著者は、戦時下の防空壕内で「ハンガリーの百科事典にロシア小説を張り付けたもの」まで作ってロシア語を会得したという、ちょっと変でかわいいおばあちゃんである。彼女の口調は無駄が多いようで精選されており、常に本質を射抜いている。そして何より、読み手である後輩を思いやっている。じわじわ、じわじわ効いてくるのは当然かもしれない。おばあちゃん手ずからの漢方薬、そう思うと愛おしくさえなる一冊だ。
 春の語学講座スタートにはまだ時間がある。今からじっくり読み込み、飲み込んで、語学体質の向上をはかっておいてはいかがだろうか。

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偉大なる食事芸術家との10夜

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 井伏鱒二の名訳により版を重ね「これを知らなきゃ日本の子供のもぐり」とも言われているドリトル先生シリーズ。しかし、実はまだ訳されていないドリトル一家のストーリーがあった!! それが南條竹則の翻訳による、本書である。
 獣医であり(もとは人間を看る医師だったのだが)動物語の流暢なドリトル先生とともに暮らすアヒルや犬、冒険家のオウムにふくろう、たまに来るべらんめえ調のスズメ。その中にひときわ食いしん坊で、慌て者で、気取りやのブタがいた。それがガブガブだ。
 このドリトル一家における「カツオ君」的? ブタが10夜にわたって家族にしゃべった「食事に関するあれこれ」が「ガブガブの本」。記録をとったのはご存じ先生の名助手、トミー・スタビンズ(人間)という設定。
 内容は歴史的なトマト戦争の話、冷蔵庫探偵スコーンズの活躍する食べ物ミステリー、きれいで純真だけれど死ぬほど料理の下手な娘が父親を助ける寓話、ピクニック王の足跡など多岐に渡る。そして会話の中にはガブガブの食事芸術、食物発見史、食物地理学、食餌療法などの該博な知識が惜しみなく散りばめられており、はじめは単なる食いしん坊ブタの戯れ言程度にしか見ていなかった家族が、だんだん彼の話を心待ちにするようになるほど、奥が深い。読者も聞き出したら、いや読み出したら、たぶんページを憑かれたようにめくり続けるはずだ。
 もちろん、地理や歴史といってもすべてが史実や事実に基づかない荒唐無稽の作り話ではあるのだが、それがまったくばかばかしくなく、むしろリアリティさえもって楽しめる。これはドリトル先生シリーズに一貫して言えることなのだが、要するに典型的な優れたフィクションなのだ。
 さて、この本ではドリトル先生は多忙のため登場しない。しかしその他の家族はほぼ勢揃いで、相変わらずイギリスの沼のほとりの寒そうな家でマイルドなモンティ・パイソンとも言える茶々を飛ばし合いっている。細かい会話の妙は、大人が読んでもうなるほど面白い。また、南條氏もあとがきに書かれているが、言葉遊びの豊富さもいつも通り、いやそれ以上。誠実な翻訳家として、氏は日本語にすると面白さが伝わらない「固有名詞、パロディ等一覧」のリストを付記した程で、英語好きな方はこちらも楽しめる。それからロフティング本人による挿し絵、これも健在だ。
 ドリトル先生というと、映画や「ムツゴロウさんみたいな人でしょ」という偏見から、なんだか奇妙に明るい子供だましの人物を思い描く人もいる。しかし、実際の作品を読むと先生はいわゆるまっとうな人から見たら、放送禁止用語のオンパレードに等しい人物だ。世界中の動物から尊敬されてはいるものの、医者はやめてしまう、刑務所に入ることが好き、お金はすぐに使ってしまう(動物にたしなめられる程)、人間の友達は「ネコ肉屋夫妻」。助手トミーも貧しくて学校にも上がれなかった靴屋のせがれである。このことを知って読むとシリーズは数倍面白く読めるのだが…、いや、知っても知らなくても、そんなドリトル(Dolittle)先生を心から慕う、不思議なぬくもり溢れる動物家族の夜…この空間は、一度踏み込んだらきっと病みつきになる。

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紙の本ハゴロモ

2003/09/21 23:57

恋のない日々

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 うーん、なんてかわいい小説なのだろう。東京での不倫の恋に破れ身も心もぼろぼろになった女の子が、地元に帰ることで少しずつ気力と希望を取り戻していくという、Uターン回復物語。雪と川の田舎町で、彼女が自分自身を静かに確かに肯定できるようになるまでの軌跡が、幻想と現実の絶妙のあわいを縫うよしもとさん独自のタッチで描かれている。
 決してメッセージ性の強い作品ではないが『すべてに無理をしないで、時間をかける』『人が決めたゴールではなく、自分の納得できる場所に流れ着こう』そんな作者の思いが、読み手へ優しい雨のように降り注ぐ。ほんとうに心地良い。
 主人公のほたるは、優しく個性的だけれど、打たれ弱く、甘やかされて育ったからそれほど人生や仕事について考えたことのない20代。8年間も写真家と不倫関係を続けていたが、ある日突然問答無用に別れを切り出され、失意のうちに故郷に帰って来た。疲れ果て、幽霊のようになって。そこに父母はいないが、喫茶店を営む祖母、父と再婚するはずだった女性の娘るみ、なぜか前に会ったことがあるような気がするインチキラーメン屋の店主やその寝たきりの母ら沢山の人達がいた。彼らとの何気ない会話や自然の懐に抱かれること、それからいくつかの奇蹟によって深い傷は徐々に癒されていく。重く暗かった心が光を発し始め、ゆっくりと自分の未来を探そうと思えるようになる…。
 いつもは推敲に推敲を重ねているようにお見受けしていたよしもとさんだが、今回に限って一部明らかに文章のリズムが狂っていること。地元の人のセリフに方言が一片も登場しない不自然(リアリティの問題もあるが、主人公が今までと異なる言語圏に入っていく、帰っていくという面白さを作者がどうして手放したのか?)。自然の描写が、田舎に住んでいたものから見ると、どうも今ひとつ真に迫ってこないこと。気になる箇所はいくつかあった。またどんな場面も展開もこれまでのばなな作品の匂いが濃厚に漂っており、今まで彼女の作品群に親しんでいた人には、先が読めるような気がしてしまうのも残念だった。
 しかし、とはいえ、読み出したらぐいぐい止まらないのは、感情移入せずにはいられないすぐれたキャラクターの力だ。ほたるは真剣だけれどお間抜けさんで親近感が持てるし、るみちゃんはセリフの一つ一つが印象深く絶対友達にしたい。インチキラーメン屋は誠意をこめてインスタント麺ばかり煮て微笑ましく、その母も凛々しく潔いけれどどこか頼りない。全員、どこかひ弱な子供じみている。でも頼りがいのある何かの庇護を望むより、彼らは自分内部のか弱さを育み、不甲斐なさを頼みにしているようにも見える。そんななんとも言えない雰囲気の人物達が要所に配置されうるのは、きっと作家内部で凄まじい新陳代謝が行われているからだろう。これまでと似たモチーフを扱いつつも、テーマをとらえる視点の深化が絶え間なく続いているのだと思う。常に新たな、そして真実な着地点を模索し続けている証ではないか…そう思えるほどの愛おしい登場人物群なのだ。
 それからもう一つ、この小説の持つ素晴らしい引力は「色恋沙汰」以外の部分だ。恋が陽に当たる花だとすると、それを支え育む根や地中の闇、日常生活についての描写の斬新さ。恋をせず、ぱっとしたこともなくただ生きている人の姿がこんなに素敵に描けるなんて…!! よしもとばななを全部読んでいるわけではないのだが、彼女が恋愛以外の普通の生活のドラマチックさを「ハゴロモ」ほどに書き込んだ作品があるだろうか。恋からもオカルトからも遠く離れた平凡な暮らしの素晴らしさをこれほど懐かしい感じに描いたことがあっただろうか。深く豊かな闇を手に入れたよしもとばななの花ー恋愛小説ーはこれからいっそう見事に咲くだろう…そんな期待も抱かせる、密やかで確かな一冊。

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紙の本虫けら様

2003/03/23 20:15

天体虫眼鏡

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 小中学生の頃、顕微鏡を覗くのが好きだった。植物の葉をかみそりで切ったり、牛乳を水で薄めたりする作業が終わると、机の水平を確認し、おぼつかない手つきでレンズの倍率を確認、鏡の向きをあれこれ考える…そのいちいちが楽しい。
 今思えば使っていた顕微鏡は玩具みたいなものだったけれど、緊張して手先をふるわせながらピントをあわせた。そして、ふっ、と像がクリアになったとき、毎回決まって「っおー」とか「げっ」なんて小さい声をもらしたものだ。細胞や粒子があまりに綺麗だったから。そしてごくごく小さいものを見ているのに、そこに宇宙の入り口があるような、くらくらする感覚を味わえたから。考えてみれば当時、あのほこりっぽい理科室には顕微鏡の数だけ、宇宙があったのだ…。
 というような事を、つらつら思い出してしまった。
 理由は虫づくしのこのマンガ本。登場人物(生物)の約85%が昆虫や小動物のこの世界には、小さくひよわなものたちがこれでもかこれでもかと集っている。一見、偉大な人間様から見たら視界に入っても入らなくてもどうでもいい、とるに足らないものたちばかり。しかしいったんその世界に入り込めば、一つ一つの生物が永遠を孕んだ一瞬と、果てしない奥行きの空間にいると分かる。ページをめくりだしたが最後、読者はやすやすと取り込まれてしまう。
 内容は土蜘蛛草子絵巻や鼠の草子絵巻をベースにしたもの、虫の生態からヒントを得て紡がれたショートストーリー、民話の味わいがある小品や西洋の童話風、あるいは繊細な絵本風と様々。どれもかなり完成度が高く、短いながら絶妙な後味がある。内田百間の香りもする。付録の対談に作者の「虫は魂を運ぶ、ということを私は本当に信じてまして」というコメントが収録されているが、確かにこれら作品の虫達は読者に人間の深層を届けてくれるようだ。
 絵柄は、…かわいい!! そして上手い。とても「ガロ」でデビューしたとは思えない、と言うと語弊があるが、表題作「虫けら様」のフユシャクのけなげなかわいさ(裕木奈江みたい)、アメイロケアリの無邪気な悪女ぶり(どこか西村知美)、アリズカムシのコミカルなくせになぜか悲しい感じ(ひとひねりすればシティボーイズのコントになりそう)などなど、キャラクター達は少女マンガ雑誌のおまけシールに出来そうな愛くるしさに溢れている。ぬいぐるみにもなりそうだ。
 表題作の他では、伊藤若冲(模写が納められている)、杉浦日向子、さくらももこの一枚絵、エロール・ル・カイン、水木しげる、ひいてはボスやレメディオス・バロまで思い起こさせる絵が満載。作者の技量と個性がマンガや絵画の知識と融合し、二つとない不思議な空気を作っている。こんな凝った愛おしい絵柄でさらりと「魂」レベルの話までしてしまうのだから、秋山作品は「キュートと幽玄の見事な合体」とも言えるのだ。
 どの作品も好きなのだが、「蚤のサーカス」がことに心に残った。老いて腕の落ちた蚤使い師のもとに、ある夜やってくる身なりの良い青年。彼の馬車に乗り、老人はいつか見たことのある街に連れて行かれる。そこは…。
 これを読むと、虫はやはり単なる生物ではないと思う。人間の所行を天に伝え、天の思し召しを人に伝える小さな天使なのだ。また、思し召しそれ自体でもある。
秋山亜由子に出会って、私達はその天使をはっきりと見ることが出来た。普段気にしていなかった小さなものの無上の面白さ、尊さに気づいてしまった。このマンガは、巨大な虫宇宙につながる小さいが確かな入り口なのだ。

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一番はじめに読んで欲しい家事の「基本書」

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 残業を終え帰ってきたら、家族が鍋を食べたいと言う、ので急いで作ったら生煮えだった(一人が下痢でダウン。後に営業停止鍋と命名)、加湿器に麦茶を注いだまま二日間気づかなかった(だって私鼻炎なんだもん)、頂き物のジャガイモが気づいたら花盛り満開の森状態(眺めていると小川真由美を思い出すのは私だけか)、電気釜を暫く放っておいたら中から日本酒の香りが馥郁と…。こんな日常を送る人間にとって、大概の「家事本」って本当に役に立たない。だってどんな本も
・(家族の誰か最低一人は)きちんと家事に心を砕ける。
事が前提になっている。その上、あ、例外はありますよ、もちろん、でも
・わりとお金がある。 ・比較的時間がある。 ・かなり体力がある。
・親切で元気な親や祖父母、お手伝い、舎弟、奴隷、小人さんのいずれかが同居中。
・家にぐれた子供や病人、飲んだくれ、偏った趣味人、ペットがいない。
これを最低3つはクリアしてる人じゃなきゃ、到底実践不可能な提案のてんこ盛り。
私は仕事が好きで、正直に言って家のことには極力心を傾けたくない。家族は大切だけど、その気持ちを「家事」で表すのが苦手なタイプだ。専業主婦も主夫もうちにはおらず、お金はあまりない。体力の持ち合わせも無い。時間は仕事と睡眠に費やされ、手伝ってくれる人は近隣にはいなく、でもぐれた人間や病人、アルコール好きや非常に偏った趣味の人や犬やカメや、そういうものとは同居している。だったらわきまえ観念してキタナーイ部屋でコンビニ弁当をつついていればいい…と理屈では思うのだが、しかし、体の強くない人間がそんなことをしたらマイルドな自殺に等しく、おまけに変な美意識はあって「自分が納得できるステキな生活」に人一倍執着心がある。こんな生活がいい…というビジョンもある。だから気持ちの休まることがない。煩悩風呂に首まで浸かってあえぐ愚か者、それがオレ…なんとも情けない話だ。
 かくして私は本屋図書館古本屋を巡り、家事本を渡り歩く。秘策や秘策、これだけ多くの人が日夜模索している分野、あるはずなのだ上手い手が…。
 で、コツンとぶつかったのが本書だった。
 大平、森、由井、3人の兼業主婦による家事テク、時間のやりくり例、お手軽レシピ等を集めた一冊。画期的なのはこの本、上記の最低3つをクリアできない人にも「それなり」の家事の落とし所を示唆している所。「それなり」とはいえ決して自堕落を提案しているのではない。省略できることは省き、楽なペースで自分も仕事も家庭も大切にしつつ生活するための発想や知恵が次々披露される。例えば「あー今日の夕飯昨日とそっくり、つーか殆ど同じ? っていうか今日って昨日??」と疲れた頭で悩みだした時、人はどうすればいいのか。「アルムの山へ行けばいい!!」(詳細は本書で)そう教えてくれる本なのだ。私はこの考え方に出会えただけでも、「家バ」を読んで良かったと思う。この発想、大げさでなく家事の強迫神経症を癒す新薬であり、鮮やかな家事哲学の登場だと思う。基本的で普遍的、すべての家事関係者にお勧めしたいページだ。もちろん、他にも面白いアイデアがかなり載っている。
 また、そこここに挟み込まれている森のイラスト、マンガがとてもいい。はじめは「汚い絵だなあ」と思って見ていたが、しばらくすると「この本で一番心に残るのはイラストなんじゃ…」と思えてくるくらい味わいがある。絵柄が似ているわけではないけれど川崎ゆきおみたい。ネームも笑える。マンガ部分だけでも、十分950円のもとはとれるだろう。
 家事の楽しい心得、具体的なテク、そしてマンガが一度に楽しめるお買い得な一冊。

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キボウノコトバ

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 国際語エスペラントの創始者ルドヴィク・ザメンホフの伝記である。
 幼い頃4つの民族が反目しながら住む地域に暮らしていた彼は、言語の相違が争いの種だと考え、なんと中学生で新しい言語の考案をはじめた。19の時には現在のエスペラントの原型を完成させ、その後ポグロム(ユダヤ人虐殺)に遭遇しつつも眼科医となり、エスペラントの普及に奮闘し続ける。苦労の末厳しい検閲をなんとかクリアした小冊子を刊行。それを手に取る人が増え、じわじわとエスペラントは認知されるようになる。もちろん成功に伴う複雑な人間関係や恒常的な資金不足等で心の安まる時は少なかったが、やがて彼はついに子供の頃の「理想」に少しだけ近づけたと実感できるようになる…。
 非常によく調べられた、かなり長い伝記だ(著者はこれでも不完全であるとはしがきで述べている)。が、抑制の利いた、軽妙で歯切れ良い文体ゆえか、翻訳が素晴らしいためか、とにかくすらすら読めてしまう。あっと言う間の三百数ページだった。
 とくに興味深かったのはザメンホフが国際語にとどまらず「国際宗教」までも考えていたこと、トルストイもエスペラント運動に関係していた事実、何人もの人が「国際語」を考案してはいたが実用化に至らなかった話、繰り返されるエスペランチスト同士の小競り合い、それによりエスペラントの運動が後退することすらあったという歴史、そしてナチによりエスペラントやその周辺の人々が舐めた想像を絶する辛酸の数々…。
 ここには今に通じる「国際理解」の難しさ、いや、人は自分以外の人間といかにつながり得るのか、という哲学的な問題が民族、宗教、言語という観点から繰り返し考察されている。人が諍いを起こす理由は言語の相違だけでは、もちろんない。不和には政治経済や民族感情のもつれなど理由が無数にある。だが、めちゃくちゃな政策、貧困と迫害の中で、自分自身殺されそうになりつつも、ザメンホフが唯一「平和」の手段として信頼したのは言葉であった。それも今までない新しい言葉。その姿は当時の一般的な人々から見たらドン・キ・ホーテそのものに見えたかもしれない。しかし21世紀のこの時代から見ると、崇高で、かつきわめて現実的合理的な考えだったように思う。
 ザメンホフの業績以外にも、どんな逆境であれ青臭いほどの理想主義を捨てず、それでいて具体的で小さな仕事からも逃げなかった(エスペランチスト同士の小競り合いの調停とか…)彼の生活スタイルであるとか、偏屈で一度はエスペラントの基本構想ノートを燃やしてしまうが、結局は小冊子の検閲突破に一役買ってくれる父、誰に対しても慈悲深くザメンホフの国際語作成の最大のモチベーションと思われる母、結婚の持参金をためらわずエスペラント本出版に投入する妻など脇役の記述もみずみずしい。またけっこう変わり者の多い様々なエスペランチスト達の肖像も詳しく、小説的とも言える伝記である。
 実は、私はこの本を読むまでエスペラントにはかなり批判的な人間だった。実体を知りもしないのに「人工語だもん、細やかな表現は無理に決まってる」と思いこんでいた。恥ずかしい。本書には「エスペラント文法の大要」に加えエスペラントによる文学作品も日本語、英語と比較して読めるようになっている。それを見れば素人でも分かる。エスペラントは明快で(あらゆる語は書かれた通りに読まれ、アクセントは常に終わりから二番目の音節、動詞は基本的に人称や数による変化をしないetc…。基礎文法は一時間でマスターできるとも言う)、その上人間の心の奥を十分に表すことが出来るのだ。誰もが平等に学びやすいとはいっても、あきらかにヨーロッパ諸言語を母語とする人が習得しやすいなどの面はあるが…それにしても、ああ、また勉強したい言葉が一つ増えてしまった。

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客席の星

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 「今日仕事の後、小劇場行かない?」と言われたら、あなたはどう思うだろうか。もちろん誰に誘われたかや演目にもよるけれど、肯く前に「なんか不気味」「とって食われなきゃいいけど」という思いが一瞬よぎる。そんなことないさ、と理屈では分かりつつもちょっと怖い…私のリサーチによると約八割の人がそう感じるらしい(残りの二割は演劇関係者である)。私はこのちょっと怯える人達が大好きだ。彼らはまったく正しい感受性を備えている。実際小劇場はその時になるまで何が起こるか分からない、都市に埋め込まれた精神の地雷である。その爆発や不発を目撃せんと進む足取りには、一抹のためらいこそが最も似合う靴なのだ。
 この本はそんな小劇場で、33年も活動し続けた北村想の戯曲と舞台を、その爆発を、常に一観客として期待とおそれをもって見つめ続けた新聞記者(後にライター、演劇評論家)が記録し分析したものの集大成である。演劇師団、TPO師★団、劇団彗星'86、プロジェクト・ナビと劇団名は変わり、役者やスタッフはゆるやかに変化し続けたものの、北村の作品は深化を続けてきた。本書は多作な彼の作品の中でも目覚ましいクオリティの「寿歌」「最後の淋しい猫」「けんじの大じけん」「螺子と振り子」らを取り上げ、それらを宗教(キリスト教、ユダヤ教、親鸞や宮澤賢治の仏教)、哲学、精神分析、物理、数学、天文学、進化論周辺の生物学、マンガ、文学、映画などなど、多様な文献を紐解きつつ解説している。
 例えば冒頭の章「『寿歌』のナゾ」。「寿歌」は言わずと知れた現在も各地で上演される名作だ。この作品は今まで多くの人に「こんなに面白いもの見たことない!!」という思いとともに、沢山の疑問を投げかけてきた。タイトル、設定された時代の背景、登場人物の名前について、食う食われるの仏教的問答の意味、なぜキョウコは頭が弱く、ゲサクは一度死んだのに甦り、ヤスオは何もないところからロザリオを取り寄せることが出来るのか、なぜ彼らは旅回りの芸人なのか…。それらについて、吉本隆明、日影丈吉、「新約聖書」、手塚治虫「ブッダ」、チェスタトン、柳田国男、中上健次などからヒントを得つつ、論考が進められていく。全ての芸術作品を言葉で説明し尽くすことは所詮無理であるし、作者以外にはわかり得ないことも多いだろう。しかし、公にされた戯曲や舞台を丁寧に腑分けし検分することで、作者すら気づかない無意識の「核」があぶり出されていく。「寿歌」の魅力の源、北村の全作品につながる思想の原型がだんだんに姿を見せ始める。そしてこの芝居はあまりにも本質的で、毒が強く、まさに安穏とした心に革命を起こさないではいられない仕組みを備えていたと了解できるのだ。そのシステムとは…。
 このような刺激的作品論が約230ページ、ぎっちりと展開されている。
 昔、三木清の「哲学入門」(岩波書店)で「対象に対する関心や愛がなければ正しい認識は成立しない」という言葉を見つけた。愛ある認識とは、つまり自身を賭けた認識なんだろうと思った記憶かある。本書は資料を交え、分かりやすく論理的で記者らしい冷たいほどの明晰さに貫かれてはいる。が、ベースに揺るぎない北村作品への愛がある。著者が観客として劇場にいることの幸せが詰まっている。読後、私には客席で喜びを押さえきれずわくわくし、幸せな発光体となっている安住さんが見えてきて仕方なかった。その光こそ、闇をただただひた走る、砂漠の旅人のような舞台人にとってのよすがの星であり、希望であり、客席から舞台への唯一の「返答」である。安住さんはそれを知ってか知らずか、自らの光を集めて編んで本にしてみた。すべての舞台人、お芝居好き必携の一冊。

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紙の本「コメント力」を鍛える

2003/09/10 17:50

本質的な本

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 昼のワイドショー「ザ・ワイド」のコメンテーターによる、「超」ハウツー本である。多くのハウツー本が「こんな時はこうしろ!!」という居丈高にして普遍性がない単純な指示を繰り返し、やたら間口が広い割には殆どの人がゴールにたどり着けないシステムをとる中(ぼったくりだなあ)、こちらは浮世離れした丁寧さで多くの人に「自分の言葉を発見する法」を教えてくれる。実際はかなり難解な内容を、豊富なエピソードや引用を交えて分かりやすい文章で書いてあるので、ぜひ手にとって欲しい。読んだ直後からコメント上手・・とはいかないだろうが、数ヶ月後には確実に何かが変わる、損のない一冊である。
 自分が「コメント下手」だ、と自覚している人はわりに多いと思う。公の場できちんとしたことが言えない、それとは逆に場に合ったくだけた発言が苦手、自分が思ってもいないことをつい言ってしまう、知らないうちに人を傷つけていた・・すべては「コメント力」がないからなのだ。だが、その原因はなんだろう? どうしたら適切でかつ人の心に届く言葉を瞬時に編み出すことが出来るのだろう? 考えてみると人生は毎日コメントの繰り返しだというのに、私達はこの「力」の養成を随分ないがしろにしていたようなのだ。
 著者有田さんはまずコメント下手の原因を、はっきり書いている。それは自分の言葉を持っていないから。またコメントを受け取る側の立場や本心を把握できないから。あるいは対象に対しての情報が少なすぎる等の勉強不足であるから。
 つまりぺらぺらしゃべれない口べただから・・・というのが原因ではない。口べたでも、心に届くコメントを発することは出来る。相手を思いやりつつ、必要なことだけを自分の言葉で伝えられればいい。肝心の「自分の言葉をどのようにして手に入れるか」「話相手への感情移入の方法」「情報をいかに集め、捨て、自己流にまとめるか」については本書に明記してあるのでそちらをご覧頂きたい。具体的な指示ばかりなので、本気で「コメント力」をつけたい、と思っている人なら誰でも簡単に実行できる。「書くことで自分の方向性や感受性を認識する」作業を中心にしたこのメソッドは、非常に本質的古典的であり、しかしこの世知辛い現実に即している。きちんと取り組んだ人には必ず何かがもたらされる予感がする。
 もちろん「毎日忙しいし、簡単に上手くなりたいだけでさ・・」とか「私なんかに出来ないかも」と思う向きもあろうが、そんな方は、差し挟まれている本当に沢山の体験談に耳を傾けてほしい。ハイネを読むジャーナリストの話、「CIAのIはInformationではない」、デカルトの主張、テレサ・テンさんの謎の言葉、こういった様々なトピックに加え有田さん自身の情報収集の仕方や一日をどのように使っているか、「ミッチー・サッチー」論争へのスタンス、9.11やアフガン空爆など難解なテーマにどう取り組んできたか・・・などなどが惜しげもなく紹介されている。読んでいるうちに「有田さんも苦労してきたんだ・・」と励まされると同時に、ヒントもかなり貰えるのだ。そして有田さんのコメントが「届く」秘密が自然に理解でき、自分なり「コメント」を掴みたいと思えてくる。
 最後になるが、著書等で明らかにされているように有田さんは共産党と深い関わりがあった。お名前もスターリン(Iosif)由来なのだ、言われてみれば・・。私は共産党についての深い知識を持たない。ただこちらも共産党やロシアと生まれたときから縁のあった作家米原万里さんが、作品の中で「理念よりも人間存在への深い洞察」に向かわれていることと、有田さんがあくまで等身大の人間にこだわり続けることに、どことなく似通ったものを感じ興味深かった。お二人とも食べ物に関する記述が素晴らしいのも味な共通点である。

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風に折れない花

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 ケストナーに「人生処方詩集」という素敵な作品がある。これは「年齢が悲しくなったら」「孤独に耐えられなくなったら」「自信がぐらついたら」という見出しが並び、気になる項目のページを開くとその悩みを解決する詩が読めるからくりの、置薬本。ケストナーらしい深い優しさとひねりある一冊なのだが、この「ソウルコレクション」もほぼ似たようなつくりだ。
 「ソウルメイト」「仕事」「結婚を決める」「エネルギー補給」などの見出しがあり、それぞれにまつわるエッセイが数本ずつ、配置されている。光野ファンにとっては読み慣れた繊細でいて芯のある文章が、豊富な写真と共に宝石箱のアンティークジュエリーのように並べられているのだから嬉しい。まずはその楽しい趣向に喜びつつ、ページに指をすべらせる。今、自分の心がさまよってのは何についてだろう…思い当たる節から、ゆっくりと読んでいきたい。
・「恋する」 恋愛小説の面白さは「キメ台詞の有る無し」で決まるのではないだろうか。キメ台詞、要するにその作者なりの箴言とか哲学。これが物語中効果的に置かれていると単なる「恋してるとか好きだとか」の話が、ひとつまみの塩をふったようにひきしまっておいしくなる。もちろんおいしくなる前提として素材のストーリーに真実みなくては話にならないが。恋も、恋について書くこともほんとうに難しいのだ。
 思い切って恋に飛び込もうとしている少女を描いた「ダイアモンドのピアス」が良かった。ゴールドでもパールでもなく、ダイアモンドのきっぱりとした輝きを自分のものにしたい、という少女の横顔も素敵だが、その子をなんだか少し怖いものでも見るように感じ、「(ピアスって)しばらく痛むよねぇ」と少々晩稲で勘違い気味のコメントをつぶやく高校生光野がかわいい。跳ぼうとする親友を見つめつつ、しかし無意識には自分も愛の暗さや肉の匂いに反応している姿が、はっきりと伝わってくる一編だ。もちろんキメ台詞も多数。
 恋の暗闇にいるとき、適切な言葉は光に他ならないなあ、そう思わせるエッセイである。
・「触発される」 エリック・ロメールがさらりと30分くらいの短編映画にしたら素敵だろう、と思うエピソード「憂いの天使が微笑むとき」も印象深い。
 薄曇りの気分で、最近失恋した友人について思いを巡らせていく。恋を失い、やはり本来の仕事に打ち込もうと決めた友人の唇は珊瑚色で美しく、目もくっきりしていた。彼女は自分の人生を生き始めたのではないか…。考えを深めるうち、自分も苦しさを味わおう、辛さの中に入っていこうと清々しく思うまでを描いている。寒色だが、生命力ある作品だ。
 今までも、彼女の書くファッションエッセイは単なるブランド紹介や新商品の羅列に留まらなかった。何をいつどう着るのか、という事に焦点は当たっているものの、それをどんな人がどんな気持ちで着るのか、まで話は必ず深まる。常にかなり小説的で、家具や洋服の描写にも三島や幸田文らをふまえた奥行きや陰影を備えているから、日本語が好きで、文章のこくに飢えている人にはたまらないものがあった。それがここに来て、「ソウル」という言葉通り、魂の考察まで加わって来たのだ。服装の「自分スタイル」を探す旅は、哲学をも孕んだ「生き方スタイル」探索につながっていたのである。
 読み終わって、一つのイメージが浮かんだ。一本の花。強風に遭えば揺れもするが、しなやかにたわむ茎と健やかな葉を持っている。暗い土にしっかりと根を伸ばし、自分の生を、仕事を淡々と全うしようとしている、たおやかで、つよい花。このエッセイ集にはそうなるためのヒントが詰まっていた。薄いけれど、読み応えのある一冊だと思う。

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ロンドン骨董街の人びと

2003/03/10 12:23

霧の中の日常

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 一読して、深いため息をつく。何だろう、この香りと苦みは。もう一読して、やはりため息が出る。面白いなんていう一言では、とても語りきれない。日常の中で、恒常的に足りなかったビタミンが補われたような、砂漠で水を浴びたような嬉しさに、しばらくはじっくりと浸っていた。何だか恥ずかしいが、体の奥底から生命力がぐんぐん甦ってくるような気持ちすらしてくる。その大元が本書に漂う「香りと苦み」とくに苦みに起因するのは確かなようなのだが、一体この正体は何か。引き込まれるように、私は三たび本の扉を開いていた。
 あえて一般的なジャンル分けをすれば、自伝的エッセイということになるのだろう。
著者は日本の大学を卒業後渡英。ロンドン大学、デイヴィッド財団で美術史を学び、イギリスの老舗古美術商スピンクに翻訳家兼日本文化アドバイザーとして働き出す。そこで出会った同居人、同僚、上司、様々な骨董コレクター達。しかし、知り合ってはみたものの繁栄の後を知った国イギリスに住まう精神は、どれも一筋縄ではいかない。誰もが、ユーモアに富みつつも病み、格を重んじあくまで上品でありながら冷酷な面を持ち、優しくかつそらぞらしく、その深みと複雑さは彼らの扱う古美術と限りなく似ている。
 作家は彼らをあたたかく、そして時には背景にあるイギリス文化の功罪も含めて苦みが出るほど厳しく描き込んでいく。美しく逞しい同居人には、背後に貧しく動物のように感情の乏しい母がいる。差別に無関心なイギリス人を忌み嫌うイギリス人の同僚の葛藤。屋敷を売らざるをえない没落貴族と、それを商売にするために近づいてくる古美術商。エイズに感染しつつもガンダーラ美術の仕事に尽くした男、その手先となり様々な国から持ち出し禁止の美術骨董を持ち出す「運び屋」…などなど。まさにタイトル通り、ロンドンと骨董に関わる人々の人生を美化せず貶めもせず、活き活きと映し出したエッセイ集だ。
 優れた人物画がそうであるように、「人」はもちろん背景の出来事や自然といった脇の描写にもぬかりはない。筆裁きも瑞々しく、どんな些末な出来事や端役にも目配りがなされている。一言セリフがあるだけの田舎駅の観光案内係の女の子さえ「かわいい!」し、通勤路の露を含んだ芝生の描写は、読んでいるうち緑が目にしみ出す。随所に冷静で正統、控えめだがきりりと香る文章の技が炸裂していて、これはほんと、ちょっともの凄いの一言だ。
イギリスといえば異なる言葉、重厚な歴史と文化、階級社会など、日本人にとっては訪ねたことはあってもなぜか今一つ敷居高く親しめない、高貴な靄の中に浮かび上がる国家ではないか。ところが本書を通すと、彼の国の靄や霧がひととき晴れ、そこで暮らす人や町並みが一望できる。彼らの生な息吹を感じることが出来る。いい眼鏡を手に入れたような感じだ。この眼鏡は精巧に作られていて、実はしばらくすると曇り出し、読者を決して分かった気にさせない仕組みになっている。が、だからこそ紛れもない名品であり、そしてこの名品に触れているうちに、読み手は自然に気づく…。
 この芳しい香りと苦みの素、それは日本では殆ど覆い隠されている人間の陰影ではないか。死も不具も複雑も偏屈も狂気も執着も意地悪も諦めも、きっちりと認知されこれらと平然と同居しているイギリス、むしろそれらを後生大事にしている国の空気の味なのである。人間という立体を描こうと思ったら必ず陰が必要となる。その暗色が豊かであればあるほど、人は人らしいのではないか。日本にいたら知らなくても済んでしまうかもしれない、でも本当は誰もが味わいたいと願っている知恵と成熟と気品のオーラがこの本にはみなぎっている。肌いっぱいに感じ、心ゆくまで味わいたい。

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ネコカッパ

2003/03/04 15:53

とても見たかった悪夢

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 たとえば、私はある種類の風に吹かれると、いてもたってもいられない腹立たしいほど切ない気持ちに陥ることがある。が、しかしその風がどんなものか、言葉で表現するのは不可能に近い。風の強さ、向き、匂いや湿度、それらがないまぜになって、ひとつの独特な空気の流れを作っているからだ。だから、その風についてあえて他人に何か言えるとしたら「あ、今、ヤなのが吹いた…」などとモゴモゴつぶやき、目を細めていることぐらいが関の山。こういうことは、一人でかみしめ、耐えたり味わったりするべきものらしいのである。
 前置きが長くなったが、逆柱いみり作品とはそんな「風」である。その良さや楽しさを伝えることがとにかく難しい。しかし難しくはあるが、私にとって逆柱は安心の優良ブランド、いつでも買って納得読んで興奮、絶対失望させられない作家のひとりである。はっきり言えるのは、彼のマンガ、尽きない面白さの台風なのだ。
 作風は、強いて言えば東南アジアあたりを旅行した後の武田百合子と深沢七郎がキャッキャッ言いながら原作を作り、つげ義春と水木しげるが下絵と所々ペン入れをし、その様子を滝田ゆうがふらりと覗きに来たかと思えば、山野一と蛭子能収が落語を聞きながらかなりの部分を書き足し、根本敬も手伝い、その全体をねこぢるがくわえ煙草で眺めている、だろうか。
 要するに平凡な口当たりのよさではないけれど、普遍的なこくが備わっている。まずは手にとって、その世界に入り、ネコカッパとともに歩き出してほしい。ほら、今までに嗅いだことのない臭いがまずしてきて、初めて遭う妙な風が首のあたりにぶつかって来る。
 彼が舞台に使うのは、汚い工場や荒れ果てた都市、寂れすぎて誰の視界にも入らないようないじけた村。どこにでもあり、誰もが悪い夢の中で一度は見た風景、一度は歩んだ道ばかりだ。一般的には好意を持たれないし、大概の人間があえて語りたいとも思わない所ばかりを選んでいる。それらを決して美化することなく、建物やそこに住まう妄想も含め、できるぼーっとありのままに写しとっていく。自然、画面は全ページかなり細密で黒く暗く、けっして普通の意味で美しくはない。
 そしてそこにいるどこかあっけらかんと世を捨てた人々や動物、死んだように不毛な仕事をする肉体労働者達がたんたんと描かれ、語られる。先導者のネコカッパは彼らの嘗めた辛酸や、なんだか全てがどうでもよくなるくらい突飛な出来事の遠く近くを歩きつつ、いつもひょうひょうとしているのんきな傍観者だ。すっとぼけていていい加減、ちょっと賢くほとんどずるく、欲深いくせにイノセント。悪夢のガイドにふさわしいお人柄と言えよう。
 読者は彼とともに、じっくりと描き出される、心地よくグロテスクで鄙びた風景を子細に眺められる。ベトナムの片田舎、上海の裏通り、日本海側の過疎地域、あるいは寺山修司の見せ物小屋…いや、そのどこでもない、もっと身近な地獄の光景だ。自分の心の中にもよく似ている。見ているうちに、ツーリスト達の眼や心はみるみる活き活きし「そうそう、これを見たかったんだよ、待っていたんだ…うわ、気持ちえー…」ため息すら漏れ出す。ふと気づいた時には既に逆柱中毒者の一員となっているのだ。
 というわけで、まずは手にとって頂きたい。ただ本書は今までの作品を分かりやすくまとめ、ぐつぐつ煮詰めたすぎたエッセンスの感もある。5つ星の面白さは確かなのだが、本書のみでこの作家の魅力は語りきれない。入手困難ではあるが以前発表された単行本や「ガロ」バックナンバーをお勧めしたい。そこにも、忘れられない佳品が多いのだ。

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紙の本高校生のための上演作品ガイド

2003/02/10 21:49

全ての人のための演劇ガイド

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 「演劇をしたい! だけど演目が決まらない…」そんな悩める高校生のために書かれたのが本書である。しかしもちろん、大学の演劇サークルや会社の芝居同好会会員、町内会のイベントに悩む主婦達にも確実に役に立つ。それから演劇の「え」の字も知らない「お芝居ってなんか怖そう…」「この時代なんでなんでわざわざ『生』?」なんて思っている方、引きこもりつつ「何か」を探している人にも、実はとても効く。非常に広い意味での演劇お助け本だ。
 構成はシンプル、50本の戯曲それぞれについて、あらすじ、内容解説、見どころ抜き書き(簡単な解説つきの引用)、作家作品データが紹介され、巻末には便利な索引(上演時間や登場人物の人数が確認できる)がついている。
 ラインナップは野田秀樹、渡辺えり子といった現代有名どころから、谷川俊太郎や三島由紀夫という「あの人も戯曲書いてたんだ…」という掘り出し物、それに古典の岸田國士にベケット、ベストセラー作家アゴタ・クリストフまで網羅してあり、どれも高校生や初心者が取り組めそうなものばかりである。一部、かなりやる気のある高校生でないと困難なものもあるが、しかし、まあなんとかなりそうなものが多い。
 と、これだけだと単なる「データ本」なのだが、見落としてはいけないのは戯曲選びの確かさ、それから解説等短い文の中にあふれている筆者の演劇への愛情だと思う。
 戯曲への並々ならぬ造詣は元「新劇」編集長だから当然ともいえるが、劇作家の最も上質の部分をすくい上げる手つき、また作品の味わい方を嫌味なく示唆する文章には「こんなに面白いジャンルがどうして下火なのか。芝居は一握りの人間の玩具じゃない。誰でも演じられるし、ごく普通のたくさんの人が観て楽しめるものじゃないか!」という純粋な思いがにじんでおり思わず引き込まれてしまう。「読んでいたらつい『趣味の演劇』が本気になって…」なんてこともありそうなくらいだ。
 しかしこの叫びは、むしろ演劇にあまり縁のないタイプの方が受け取りやすいのかもしれない。まっさらな気持ちでこの本に触れ、パタンと本を置いた後劇場に向かう姿も想像できる。ほんとうに、広いジャンルの人に手を伸ばしてもらいたい。
 最後になるが、私はこの本で「戯曲」という文学ジャンルを再認識した。小説などと違い地の文の少ないセリフのやりとりの記述とは、ほとんど「詩」の世界である。そして私達は小説よりも戯曲に近い、地の文などない世界にいる。戯曲を読むということは、詩を読むこと、そしてこの世界を読むことになんて似ているのだろう。その面白さは「本物っぽい」ゲームの比ではない。楽しき哉!

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