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ぶりゅんさんのレビュー一覧

投稿者:ぶりゅん

8 件中 1 件~ 8 件を表示

文学を世に送る力とは

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 坂本一亀の名を知る人はそう多くはいまい。だが、この本で取り上げられる作品群—「真空地帯」、「仮面の告白」、「永遠なる序章」、「シオンの娘等」等々—を読まないまま日本文学愛好者を称する人もまた稀なのではないか。坂本一亀はそれらの作品の編集者であった。
 本書を書いたのは、河出書房新社で坂本の下で働いた女性である。こうした個人の業績を伝える書では往々にして、まず賛美ありき、になりがちだが、ここでは必ずしもそうではない。編集者としての坂本の情熱や純情を描くと同時に、部下に対する絶対と軍隊調の有無をいわせぬ指示、過酷な労働の押し付けなども隠されない。しかし、いずれも淡々と。したがって評価は読み手に任されている。
 だが、どう控えめに評価したとしても、 坂本が同人誌を渉猟し、隠れた才能が紡ぎだす見事な作品を世に送り出したという功績は、後世に伝えられてしかるべきである。今ほどではなくとも、当時、すでに文学が作家だけの手では生み出せない時代だったことを知った。世に生み出すためには「お産婆さん」の力が必要であったのだ。無論、さらにそれを支える河出社長のような人物も。
 この本は面白く読めるか、と聞かれれば、それもまた読み手に任されている、と答えたい。内幕を暴露するようなエピソード満載の「読み物」を期待して読めば、裏切られるかもしれない。著者である田邊園子さんの主観や解釈が極力押さえられているからだ。坂本の仕事とそれに纏わる作家たちの言葉、及び当時の状況が記述の基本であり、引用には出典が注記される。巻末の年表もおざなりでなく、社会情勢を思い起こしながら、興味深く読める。この本を面白いというか、無味乾燥というか、はすべて、戦後文学に対する読者の姿勢にかかっているといってよい。
 さて、雨後の筍もかくや、と思うほど、次々と新刊が送り出される現在だが、30年後に残る本はどれだけあるのだろう。薄っぺらな作品が安直に消費されているこの現状が何によるのかを簡単に断じることはできないが、本書が編集者の姿勢を改めて問い直す一冊になることは間違いがない。
 

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ホロコーストを記憶しつづけるために

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この本は、収容所暮らしの辛さを主眼とはしない。もちろん収容所生活が辛いことは述べられている。しかし、著者はそのときわずか10歳で、大人の収容者とはかなり感性も異なるし、環境も異なった。子供は子供なりに収容所の理不尽を知り、生きる逞しさも身につけていくが、むしろ、肝心なのは、10歳から13歳までの短い間に刻まれた収容所の記憶と体験が、その後の彼女の生に与えた影響である。収容所出身者として生きることの意味といってもよい。

彼女は生き残ったために、今度は別のストレスにさらされる。収容所出身者へのステレオタイプ的な理解のされかた、あるいは、子供でも生き延びたのだからたいしたことなかったのね、とか、あなたよりも不幸な私の知り合いの誰それ、さらには、ユダヤ人社会内での種々の矛盾、性差別、うやむやに和解を押し付ける人々、…彼女を彼女自身の歴史的真実から引き抜いて、真実から遠ざけよう、風化に巻き込もう、あれはもう終わりにしなくては、と共謀する<平和>な世界の住人たちのたくらみに抗いつづけなくてはならない。

しかも、彼女は母語をドイツ語とするユダヤ人で、解放後もしばらくドイツで教育を受け、その後、アメリカへわたるが、ドイツ語の詩を書き、ドイツ文学を生業とする者となるという、ある意味では皮肉な生を<生きつづける>人である。一方的にドイツすべてを否定することは出来ず、何を拒まなくてはいけないのか、を常に選択しなくてはならない生である。一方への肩入れが許されない、孤独な自由を生きつづける。

ホロコーストや収容所生活の体験は、これまでは主にヨーロッパの教養を身につけた成人としてそれに直面した人々によって語られてきた。それらから学ぶものはもちろん多いが、この『生きつづける』は、ありきたりな反省を文字の上だけで理解している戦争体験のない者たちが、体験者の言をどう受け止め、どう記憶しつづけるか、という点で、読み継がれるべき一冊だと感じた。

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恐すぎる!でも、女性にこそ薦めたい。

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

生まれて初めて読んだ経済小説である。
経済小説といえば、女性が恋愛小説の主人公に自分を擬して読むように、男性が凄腕のビジネスマンに自分を擬したり、繰り広げられる情況に自分の会社を重ねたりするもの、そして、随所に男好みの人情、ないしは色模様、と決め付けていた。
ところがこの作品を読み、私の先入観は見事に破れ、新聞紙上を賑わしていた銀行や生保のゴタゴタはこういうことだったのか、と、経済、とりわけ金融というものの力を見せつけられた。

擬実録小説といってもいいようなこの小説を読むには専門的経済知識はあまり要求されない(わかればもっと面白いかもしれないが、わからなくても読める)。

非常に安直な「ためになる」レベルでいうなら、生保や銀行、政府筋の持たれ合い姿勢がよくわかるし、一連の経済危機に納得がいく。
女性としていうなら、会社人間といわれがちな男たちが、その会社に何を要求され、どう応えようとしているのか、あるいは、彼ら自身のどういう部分が会社と連動しているのか、会社のどこに「人」の影が垣間見えるか、などそういったレベルでの読み応えもある。
経済中枢に無縁な女性こそこれを読んで学ぶところは大きいかもしれない。

しかし、この作品の主眼はそんなちゃちなところにあるのではない。
この作品の真の主人公には姿も形もない。
勝組にせよ、負け組みにせよ、そのどちらのサイドにもしっかりと取り付いて離れない、数字をむさぼる資本主義のカルマのようなもの、それこそが主人公なのだ。

これが実に恐ろしい。
筆者など、経済記事は見出しを見るだけに終わり、各種経済指標の意味するものもとんとわからないまま生きているが、そして、日々の生活はそれで一向に困りはしないのだが、そんなことではいけない!と叫び出したいほどである。
この国が理念に導かれる国ではないことは大方の了承するところであろうが、理念に代わってこの国をリードしている金の力をもっと知らないことには、毎日の生活は本当に危うい。
どんな市民運動に身を投じようが、経済のシステムに無知であっては、ずるずると金に流され、国境を越える金に侵蝕されていく国を救えはしない。
仮に自分の財布を開閉するのが主婦感覚というものだとすれば、これからの市民はその対極にある感覚も兼ね備えなくてはいけない。
経済・金融こそ21世紀の市民の必須教養だと痛感した。
まず、それを感じるために、ごく普通の市民、とりわけ女性に読んでもらいたい作品だ。

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紙の本吾輩はロンドンである

2003/08/19 00:49

体当たり漱石論…憑依されたその挙句は?

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

いままでに漱石を体感した人はいただろうか? ロンドンにおける漱石ゆかりの地を訪ねた人はいただろうし、ロンドンまで文献を求めていった研究者もいただろう。しかし、いったいどこの誰が漱石になりきってヴィクトリアステーションをよちよちと歩いてみただろう? 女王の葬儀の際に漱石が肩車でみたからといって、イギリス人に肩車を頼み込んだりしただろうか? はたまたロンドンで漱石の好物のうなぎを食べてみたり…ほとんど漱石に憑依されたのではないかと思うほどのエピソードが続く。これだけのことなら、ヴァラエティー番組御用達の若いタレントにやれ、といえばやるだろう。そして、あー、面白かったね、と終わってそれだけだ。

しかし、この著者は自嘲しながらもなおも漱石に深く迫り続ける。最初は若い人の書いたものかと思っていたのだが、読み進むうちに、著者は立派な中年のおじさんとわかる。しかも、奥付を見れば、なんと天下のNHKにお勤めであったとか。しかし、そんなおじさんがなぜそこまで漱石にこだわったか —— そのわけを知るころには、漱石のみならず、文学の受け止め方、世の中へのまなざし、そして、昨今全く問題にされないことの一つだと思うが、人生いかに生きるかという大問題に果敢に立ち向かう一人の人と出会うことになる。

軽やかに楽しく読み始めて、最後には、そうか、と妙に考えさせられる。体感的漱石論であると同時に、自分の生を追い求める著者の生真面目な告白といえるだろう。不況の中で沈み込みがちな中年諸氏には特にお薦め。元気が出るかも。

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紙の本ソーネチカ

2004/02/29 23:56

紙の、いや、神の恩寵そのもの…ソーネチカの暮らしの穏やかさ

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

不細工な容姿のソーネチカ、世間並みの幸せを諦め、本にうずもれるように暮らしていたとき、反体制芸術家とめぐり合い結婚。夫が芸術家として再び評価されるようになると、出入りの人々も増え、いろいろなことが起きる。風変わりな甘えっ子に育った一人娘ターニャはつまらない男たちと関係を持つようになり、進級不可で夜間学校へ転校、ここでまた、もっと凄腕の娘ヤーシャと出会い、ヤーシャはターニャの家に入り浸り、ついに、ターニャの父、つまりソーネチカの夫の愛人となる…。

こう書いてくると、いかにもありがちな三文小説のようだけれども、そうしたものにつきものの、涙や罵り、悲嘆や絶望、神への祈りが殆ど見られない。ソーネチカは雨が降ったり、風が吹いたりするのを受け止めるかのように、大事件を受け止めてしまう。当事者たちを非難せず、ことをそれ以前の状態に復元しようなどとせず、人の安全を願い、変化を理解して静かに暮らすのである。まれに興奮したときでも、夫のその場しのぎの慰めをこれまた素直に受容れる。

夫が若い娘と暮らしていることを夫のために喜び、その娘を我が子のように愛し続け、世間のゴシップを寄せつけないでいられるのはなぜだろう?
気ままな生活を送る、いわば堕落した娘のことを「何て素敵な人生!」と思ってやれるのはなぜだろう?

夫や娘と違い、ソーネチカはすっかり所帯じみたおばさんになってしまうのだけれど、何か起きるとときどき本を読む。解決の智恵を求めてではなく、辛いことがあった子どもが、ふとポケットの中のキャンディを思い出すかのように、本を開くのだ。語句の一つ一つがソーネチカだけに優しく語りかけ、彼女をうっとりさせる。ソーネチカのやすらぎはそこにある。

トルストイが描くような素朴さゆえに幸福でいられる人間としてソーネチカをとらえるのは的外れだろう。ソーネチカは十分に知的である。だが、論理の糧としての知に支えられるのではない。知でもって世界を納得しようとする人ではない。むしろ、彼女にとって知は体感する喜び、まさに官能そのものなのだ。

怒り、憎しみ、ねたみ、そねみなどの嫌な感情から解き放たれた日々が得がたいからこそ、人は宗教に救いを求める。<神の恩寵>というものがあり、それゆえ人が平穏に暮らせるとすれば、まさにソーネチカの日々はその恵みの中にある。本の虫ソーネチカのためには<紙の恩寵>と駄洒落をとばしたくもなるほどだけれど、世界のすべてを受け止められる人は、世界を変えられる人と同様に素晴らしい。気持ちのいい話であった。

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韓国の手仕事

2003/09/11 10:08

今度はいつ韓国へ行こうか

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

芸術でなく、「手仕事」、人々の手のぬくもりの中で毎日の記憶がしみこんでいくようなものたち…道具と呼べるものもあれば、伽耶琴や織物、あるいはトルハバン、丹青のようにそうは呼べないものもあるけれど、韓国の暮らしで目に触れる「手仕事」について、作り手へのインタビューともども紹介している。韓国全土から30アイテム、口絵のカラー写真とは別に本文中にも白黒写真2枚。活字も大きめで目が疲れず、ぱらぱら見るだけでも面白い。

こんなものがあるんだ、という発見もあれば、日本のあれに似ている、あれとはここが違う、という読み方もできるだろう。また、韓国で見たあれはそういうことに使う道具だったのか、と知ることもできそうだ。観光案内では覚束なかった説明も、この本を読んで、はじめて納得できる場合もある。

もう一つの魅力は作り手の寸描である。もとが新聞連載という紙面の都合からか、十分な頁をさくことはできなかったようだが、作り手の語り口がいきいきと再現され、ほんの一言のなかから、その人の生活のようすや今後への抱負、あるいはこれまでの苦労を越えての温かみが感じられたりする。どの人も写真に撮られていて、それがまた見事にみなさんいいお顔である。モノを紹介する本でありながら、結果的にはそれを生み出す人と触れ合っているような気にさせてくれる。

とかく朝鮮半島の本というと、政治的思惑が行間に感じられるものが少なくないが、そして、それがせっかくの内容に水を注す結果になるものもあるが、そういう点では、本書は大変気持ちよく読むことが出来る。著者の「韓国の手仕事が大好きだ」という気持ちがすべての根底にあるため、韓国の手仕事で作られたものに興味がある人には間違いなく楽しい一冊だといえる。それぞれについて、メモとして工房の電話番号や入手先などの情報も付されているのもありがたい。この次韓国へいついけるだろう、と思わず、手帳を繰って予定を確かめたくなる。ただし、本書の記述は比較的簡略なので、より深く知りたい人のために参考文献リストもお願いしたかったし、本文写真もカラーだったら、もっと韓国の色を楽しめたのに、と思わないではいられない。

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幼な子の死から人間の存在へ

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私が幼い子供を喪った親の手記といった類のものを読むことは稀である。悲しみはあまりに個人的なもので、それを本という形で打ち明けられたとて、「それはどうも、お気の毒に」と軽く同情して読み終えることしかできないからだ。いや、同調できればまだよいほうで、悲劇を語る筆が暴走したり、あるいは平板に過ぎたりして、つまりは親の悲しみよりもその筆力のなさを痛感してしらける場合のほうが多いかもしれない。

そんな私がこの『ニュウニュウ』を手にしたのはちょっとした偶然だった。ニーチェの研究をする中国人哲学者の赤ん坊ニュウニュウが生後間もなく網膜のガンを発病、両親の看病の甲斐もなく、1歳半で短い生涯を終えるまでの、親の苦悩、病気の進行、医師の対応といった闘病記録、および、こういう言葉を覚えた、こういう仕草をした、音楽がすきだ、よその子より可愛い、賢いなどという親ばか育児記録とが本書に綴られる。それだけでも十分水準以上の出来であるし、こうした状況での中国的考え方を知ることもできる。さらに、ガンが病院側の不注意なX線照射に起因するという点も興味を引くだろう。

しかし、読む者の心を打つのは、この父親である。彼は自分や幼い娘のありさまを人間一般の生の問題へと帰着させようと努める。わずかな希望にすがり、運命に抗う自分は何か、短い命しか与えられなかった娘の生の意味は何か、太古の昔から今にいたるまで子供を喪った親はどうだったのか、人の成長とは? 死とは? 愛とは? 幸福とは? 運命とは? 偶然とは?…彼は問い続け、必死で思索する。

それは決して哲学者としての職業的習慣などではなく、むしろ一人の人間として、自分の持つ精一杯の力を出して、己の精神の崩壊を食い止めようとする営みというべき行為である。そしてその力を生み出すのは理屈とは無縁の無条件の愛なのだ。読んでいるうちに、幼い子を喪う悲しみよりも、これほど悲しくても悲しみでは死ぬことが出来ない人間の悲痛さと、そんな人間を支える愛の不思議さに心を奪われないではいられない。

中国では異例のロングセラーだったという。確かに読むのに難儀をするような本ではない。だが、不運な周家と幼いニュウニュウをめぐり、読後ひとときの感傷に浸って終われるような本でもない。ニュウニュウの父の言説は私たち読者に人間という存在について考えさせないではおかないのだ。

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ベル・カント

2003/09/11 11:06

楽園は人質生活にあり?!

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オペラが好きなので、題名に惹かれて読んだ。ペルー大使公邸占拠事件をネタに、閉ざされた空間での人間模様を描いた作品。普通なら極限状態に置かれた人間の醜いところ—たとえば、自分だけは生き残ろうとするために媚びたり、仲間を裏切ったりする様子、あるいはメソメソと泣き暮らすさま、それとも、そこに新たな権力構造が生まれて、というような、いずれにしても、平和な日常の行動様式をかなぐりすてた人のもがき苦しむ様相が描かれることを期待するだろう。

しかし、この作品中での人質たちはほとんど悩むことなしに、事件によって生まれた日常業務から隔絶された閉鎖空間と有り余る時間を楽しむようになるのだ。忘れていたささやかな喜びを各国政財界のエリートが発見し、オペラ歌手とソニーを思わせる日本企業の社長さん、社長さんの超有能な通訳氏とインディオ出身のゲリラの少女兵士という2つの恋愛が静かなクライマックスになる。ただし、庭仕事に喜びを感じるようになる副大統領が一番うまく描けていると思う。

悩まないことはゲリラとて同じで、日頃の思想教育はどこへやら、テレビやジェットバスをはじめ屋敷にある贅沢な品々を享受する。指揮官の数人以外はゲリラ兵士は少年と少女ばかりなので、こうした行動に出ても微笑ましい限りである。オペラ歌手とゲリラ少女が髪を梳きあうさまなど、「フィガロの結婚」の伯爵夫人とスザンナにたとえられているが、このあたり迄くると、話を楽しむのにストレスを感じるようになる。

結末はもちろん現実と同様に救出部隊が踏み込みゲリラを射殺、と相成り、ファンタジックな世界に幕が下ろされる。救出部隊突入の描写はもっと研究の余地があるかも(まあ、読者層が違うから構わないか…)。

こんなことがあったらいいな、と思いながら読むのなら十分楽しめる小説であるし、随所で言及されるアリアも楽しい。だが、最後の最後まで、ハッピーエンドにこだわる構成にはどうしても納得がいかない。え、なんでこの二人がいきなり結婚するの?と当惑しない人はいないと思う。どうやら登場人物たちは閉鎖空間に悩まないばかりか、恋人の死もすぐさま克服できる人たちのようだ。これには大時代がかっているといわれるオペラの台本作者たちもびっくりするに違いない。

なお、日本人としては、当然、作中での日本人の描き方に興味をそそられる。かつてのようなステレオタイプからは救われていて、ほっとするが、それでもどこやらぎこちない存在らしく、珍しい生き物の恋愛が扱われているような印象も得た。要するにこれは深く追求しないでも安心できる人のための恋愛小説である。

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