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まんでりんさんのレビュー一覧

投稿者:まんでりん

34 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本歴史とは何か

2003/05/25 02:31

<前提のない議論に歌い踊る時代もまた歴史なのか?>

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 少し前に歴史教科書の議論をテレビでやっていた。
 少しく喧(かまびす)しい。
 『歴史とは何か』という前提を横において話し合っているのだからどこまでいっても話が噛み合うわけがないではないか。

 この本はカーの連続講演を翻訳したものである。

 「現代のジャーナリストなら誰でも知っている通り、輿論を動かす最も効果的な方法は、都合のよい事実を選択し配列することにあるのです。事実はみずから語る、という言い慣わしがあります。もちろん、それは嘘です。事実というのは、歴史家が事実に呼びかけた時にだけ語るものなのです。いかなる事実に、また、いかなる順序、いかなる文脈で発言を許すかを決めるのは歴史家なのです。」(p8)

 「歴史上の事実というものは、歴史家がこれを創造するまでは、どの歴史家にとっても存在するものではない」(p25)

 「偉大な著述家は、『彼が人間の自覚を進めるという点で重要なのである』」(p77)

 「歴史は現在と過去との対話である」とカーは繰り返し述べる。

 このような対話を十分に行わないで己の思い込みを互いに押し付け合うだけの言い争いにはもういい加減うんざりだ。
 歴史「教科書」ではなく、まずは「歴史」とは何か、をこそ語り合うべきなのである。
 違うかね?


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<いくら考えても叱られはしないよ>

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この本の著者を指して「女子高生がそのまま40過ぎのオバハンになったようなものだ」と評した文章を目にしたことがあるが、なるほど的確に言い当てているものだと妙に感心した。
 もちろん、読まずにそう言っているのではなくて読んだからこそ、これを否定したり肯定したりと評価が下せるわけである。そしてこの人は、おそらく否定的に評価しているのであって、「女子高生」をなにかしら世間知らずで愚かな存在の典型とでも言いたげな語り口なのであった。
 一般に四つになったら夜が明けるといって、「死ぬ」ということを認識できるようになるらしいのだが、私もちょうど四歳のときにそのことに気がついて布団の中で怖くて眠れなくなったことを記憶している。つまり、「死」は「女子高生」でなくても多少気の利いた子供なら四歳からでも考え始めることが出来るテーマなのである。
 では、「死」というものが今では分かっているのかといえば、その頃から少しも先に進んではいない。今もって不可解。ありていに言えば、死を想うと恐ろしいので普段はなるべくそこを避けて通ろうとしているというのが正しい。そういう妥協の仕方を身につけたのはいつごろだっただろうか? 「死」に正面から取り組む代わりに、回り道して「学問」に走ったのではなかったか。たとえば、宇宙を考える代わりに物理学を勉強しようと思いついたりしたのだった。そこに何か答えがあるかもしれないと期待したのである。ないと気がつくまでに10年以上かかったのは我ながら笑える。笑えないのはその先にも同じ誤り遠回りを繰り返し続けたという点である。
 「自分で考えて答えを出しなさい」といえば聞こえはよいが、「答え」があるという前提からしてもう間違っているのである。はじめから「答え」がある勉強を散々繰り返す結果、考える代わりに浅ましくも安易かつ安直に答えに飛びつこうという習性を身につけてしまうのである。この意味では、14歳にしてすでに遅きに失する感がある。さりとて一般にはものを読んで理解できる年齢というとそれくらいなのかもしれない。
 ともかくも「考える」という営みは個性的であると同時にわがままなこととされてしまうのが残念ながら現状である。奨励されるのに、いざそうすると叱られてしまう。「考える」と世間や社会と歩調が合わなくなるからだろう。で、この本は、おそらく時宜を得てもいるのだろうが「いくら考えても叱られはしないよ」と教えてくれているのである。この本が売れているということは時代がそういうところにまでやっとたどり着いたということなのかもしれない。この意味で、いささかの皮肉と逆説を込めて名づけたのであろうが、個性とわがままということを併せ説いた初めての「教科書」なのである。

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紙の本縛られた巨人 南方熊楠の生涯

2003/05/25 02:17

<世界の著名人にして日本の無名人?>

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「学校嫌いの勉強好き」
  熊楠はその頃の百科事典を全巻書写し諳んじたという。
  しかも、読んだものは野山に出て現場検証する。
  勉強好きの子供には百科事典をあてがっておけば足りるとわかる。
  無論、存分に遊べる(=好奇心を充たしてくれる)自然も不可欠。
 「書かれたものは鵜呑みにしない。我が目で必ず観察する」
  蟹の助け合いを例に引いたクロポトキンの『相互扶助論』に感動し、革命運動を始めるのが文科系だとしたら、蟹を傷つけて他の蟹がそれを救助するかどうかを自分の目で確かめようとした熊楠は、さしずめ理科系だろう。
  実は、傷ついた蟹の傷口からその肉をほおばっていたのであった。
 「世界」を放浪し、孫文と親交を結ぶ。
  出会いはすべて必然なのである。
  熊野の自然を守るために命がけでたたかう。
  その根底にあるのは大好きな粘菌。
  金も名誉も権力もこの男の眼中には入らない。
  只管(ひたすら)好きな研究実践あるのみ。
  終生、癇癪持ちで手のつけられない子供であった。
  誰にも臆するところがなかった。
  が、女房殿には頭が上がらなかった。
  まことに愛すべき人物である。
 他に
  南方コレクションが河出文庫に収録されているし、
  『南方熊楠』      (講談社学術文庫528:鶴見和子著)
  『南方熊楠 一切智の夢』(朝日選書430:松居竜五著)
  津本陽著 『てんぎゃん』 (少年ジャンプ連載)の原作
 なども読んだ。
 どれを読んでもその都度、面白い。
 元の人物が八方破れに面白いのだから、どこから切っても<お・も・し・ろ・い>と出るのも、蓋し当たり前。

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<深く広い脱線話の楽しみ>

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

  大宮で人と待ち合わせたときに暇つぶしの読み物はないかとそごうの三省堂に立ち寄った。
  ふと目に入ったのが「落語から法哲学へ」というタイトルだった。
  私は上方落語が好きだ。
  落語家の書いた戦中記まで小学4年生くらいで読んでいたと記憶する。
  好きなものだから字が読めなくても読めてしまうのである。
  この戦中記は、その頃、九州へ一人旅したときに車内で読んだ。
  門司あたりまで大阪から7〜8時間はかかったからねえ。

  で、落語が一体どうして法哲学になるのか?
  著者は「怪しい法哲学者」長尾龍一である。
  アメリカ生活の苦労話を何かで読んだ記憶があり、これは良質な暇つぶしになると踏んだ。
  まずまず私の読みはあたった。
  この本を読むと「埒外に出ること」と「偶然の楽しさ」がよくわかる。

  なかでも「先祖の墓地VSゴルフ場」という話は面白かった。
  1990年インディアンと白人との間に銃撃戦が起こった。
  今もカナダ先住民は50万人、その代表が200以上いて、先住民の最高会議を形成していると言う。
  合衆国は、その成り立ちにおいて先住民の80%を虐殺し、彼らを欺いて一部の居留地に追いやることで決着をつけた。
  そういう因縁が今もなお残存している。
  (トマス・ペリー『蒸発請負人』(講談社文庫)からもそのことがうかがえる。)

  権力の交代にも凄惨な裏の駆け引きがあり、それが何百年も消えない。
  たとえば、徳川幕府は直接には室町幕府を継受している。
  織豊政権の残滓をことごとく討滅し破壊し尽くしたことは有名であるが、上州館林に直系親族を置いて足利への物資・情報の流れを絶ち、再興することのないようにとどめをさしたことはあまり知られていないようである。
  ために、あえて誤解を恐れずに言えば、いまだ足利は「寂れた」ままなのである。
  しかし、今となっては、里山などの多く残るこの地域はその現状を是非とも保存していて欲しいと私は思う。

  ずいぶん脱線したが、歴史上の因縁はそうおいそれとはなくならないことを言いたかった。
  この本は、いわば、脱線の連続で私にはそこが何より面白い。
  もちろん学者である著者は周到に話の裏をとってまわっているし、語り口にもいささか学者を意識したところもあるが、どこか懸命さのようなものが感じられて愛らしいのだ。
  広く浅くと言うが、これは偽りである。
  広いものは必ず深い。
  浅いものは必ず狭い。
  そう思う。
  この本はそう思わせてくれる。 

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<言葉の定義は高度に権力的行為なのである>

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この本も「愛」の定義から始まっているなあ。
 しかも、10ページに及ぶ引用がなされている。
 これを探し出してきた編者たちは暇人と言うほかない。
 それにしてもこれは何という情熱だろう。
 全部で580ページに及ぶこの本は、多くの言葉を取り上げているように見えて、古来繰り返し取り沙汰されてきた言葉が何であったかを裏から炙り出してくれている。
 そう考えると案外少ないようにも思えてくるのではあるが。
 いや、やはり編者たちの趣味が色濃く出ているだけかもしれない。
 たとえば、

 【結婚:孤独が怖ければ、結婚をするな。 チェーホフ『手帳』】

 のようにいたって「まじめな」ものが多い。
 すべては書物や言い伝えや映画の中の科白など、引用からなるこの本はコンパクト版書評集とも言える。
 私は、箸休めのようにしてこの本を読んでいるが、たったの1行で東西の古典名著を知る者のように見られることもあって結構重宝している。
 まあ、バカと思われるよりはましといった程度ではあるが…。

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紙の本ラ・ロシュフコー箴言集

2003/05/20 17:36

<たまには思い切り生きた人間の残した言葉に耳を傾けたまえ>

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 物事の表面を飾る美名という仮面を引き剥いで、その下に潜む醜怪なる人の業を炙り出す辛辣なフレーズのかたまりを紡ぎ出したこの人物は文武にわたる類稀なる実践者でもあった。
 友情や友人についても多くの言葉を残しているが、たとえば、「友達の友情が冷めたことに気づかないのは、友情に乏しい証拠である」(169ページMS66/590)などと言う。
 友情は熱量に関係し、同等の熱量を持つもの同士の間に成立することが前提なのである。
  それを「冷める」「乏しい」という否定表現で語るのがこの人の特徴である。
  青春を充分に燃焼し尽くした大人の表現である。
  だから社交界においても通用する言葉を持ちえたのであろう。
  だが、いくつになっても大人になりきれない私にはこの本はいつまでたっても苦い薬のようなものなのである。

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俺たちの日

2003/05/17 11:32

きょうはおれの死ぬ日じゃない

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

よろしかったら少しばかりお付き合いいただこうか。

 ピート・カラスは、子供のころから足をつぶされて生きていくなら死んだほうがましだと想っていた。
 
 子供のころ、ギリシャ移民、イタリア移民、中国移民、黒人、みんな貧しさに囲まれていた。

「とりあえず寝床はあるし、友だちもいるし、腹が減ったときにはなにかしら食べ物がある。病気や死など、笑い話のネタにすることしか知らなかった。人生の深い闇は、まだ遥か彼方にしか感じられなかったのである」。

 戦場では、

「きょうはおれの死ぬ日じゃない」。

 と、思っていた。

 無事帰国した。

 移民社会はあいかわらず貧しかった。

 「移民連中ときた日には、この国の言葉を覚えようともしない。…家族を養うために働きづめで、覚えているひまがないのさ」

 「戦争から生きて帰ってきたからって、…思いどおりになるわけじゃないのよ…生きて帰ってきたからには、自分はもう死なないんだと思い込んでる。…あなたたちが手に入れたのは、ただの執行猶予」。

「呑気に遊んで暮らすのもいいが、今は地道な仕事を考えるときだぞ」

「若いもんは、どうしたって遊びが先になるんだよな」

 そして友に裏切られ、足がつぶされた。

 カラスは、以前カラスに忠告をしてくれたニックの店でコックをやることになった。

「ニックが欲しいのは金じゃない。仕事なんだ」。

 そのニックの店に、かつての友ジョー・レセボがやってきた。
 
「たとえて言えば、子どものときに無くしたものを何年かぶりに見つけたと思ったら、それが自分にとってはもはや何の意味ももたないものだとわかってしまったような、そんな気分だった」。

 失踪した姉・ローラを探しにフローレックがワシントンにでてきたころ、売春婦が連続殺害されていた。ニックの店で働くことになったこの若者のためにカラスは、一肌脱ぐことにした。

「男をぶちのめしたり、やくざ者とつるんだり、悪い道に走ったりするのには、頭は使わない。頭は使わないかわりに、最高の気分にもなれないのさ」

 そんなカラスにニックは言う。

「そろそろ古いバスを降りなくちゃいけない時機なんだ」


 殺人犯を突き止めたカラスはレセボに言う。

「たしかにおまえとおれも、悪さをしなかったわけじゃない。だが…常軌を逸している。人間のやることじゃない」

 殺人犯逮捕で、やくざになった旧友レセボの協力を得て、幼友達のジミー・ボイルに手柄を立てさせてやるものの、しかし、とうとうレセボのボスにニックの店が狙われることになった。

 レセボの車を借りたカラスは思う。

「この車はたしかにすばらしい。だがこんなものがどうして必要なんだ。こんな箱に閉じこもっていると、なにもかも逃してしまうぞ」

 そして「俺たちの日」がきた。

 それから10年後。
 ニックは言う。

「あくせくしたってはじまらんさ。それより、少しは人生を楽しもうぜ」

 かくして、ペレケーノスは、語り継がれるべき自分たち移民の物語をきちんと書き残した。

 ついでながら、
  
 今もパレスチナでは、死んでもかまわないと思いつめた人間がごまんといる。毎日が「俺たちの日」なのである。こういうことは日本にはまったく伝わってこない。報道記者が足を現地に踏み入れてもそのことがおそらくわからない。
 北朝鮮では、「死ぬための」戦いもできないまでに人々は貧窮を極めている。そして日本人のほとんどはそういうことが皆目わからなくなるまでに精神が貧窮してしまった。どちらにも「俺たちの日」はついにやってこないのかもしれない。
 日本は、豊かにはなった。
 が、語り継がれるべき物語を消し去り「俺たちの日」を失った。
 それがその代償なのかもしれない。



<きょうはおれの死ぬ日じゃない>

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紙の本東京の空間人類学

2003/05/25 01:27

<あまりにも見事な江戸の街づくりに学べ>

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 東京を離れて10年をこえた。
 都内およびその周辺をあちこちと移り住んだ。
 板橋、神奈川、谷中・千駄木、千葉、小石川、亀有。
 時と距離を隔てて眺めてみると渦中にあったときとは違ったように見えてくるのは何事によらずそうなのだが、東京も例外ではない。
 著者は、現在法政大学の教授で、イタリアのベネチアと東京の類縁を解き明かす。
 キーワードは水の都である。
 川にせよ水上交通網にせよ、今の東京の何処ににあると言うのか?
 地名にその名残を残すのみで水上交通網は自動車中心の道路交通網にとって代わられてしまったのである。
 マンションは地形を無視して無造作に建てられている。
 春日通の斜面にマンションが林立するのを見て、私はやばいなと思った。
 川崎の、これも斜面に家が建っているのを見てやばいと思ったのはバブルのずっと前のことだったが、案の定、土砂崩れが起きた。
 江戸時代は地形に逆らわずに建築したらしい。
 地形に合わせて、高台に武家屋敷が、谷あいに町人町が形成されたようだ。
 明治維新後は言うまでもなく、戦後に至るもこの基本構造は残されてきたようである。
 ヨーロッパは、山を削り森林をなぎ払いすべてを平らにして石畳を貼り付けて道路を舗装して都市を創る。
 この点で、東京は特異な都市構造を持つと言えるらしい。
 住んでいるときは、坂がやたら多いなとか道が京都や大阪とは違って自らの使命感を感じていないと憤慨することが少なくなかったが、こうして離れて眺めてみると、結構いいところもあったなと思えてくるところが不思議である。
 現在にいたって、これまで自覚的にせよ無自覚的にせよ温存されてきたこの都市構造が忘却され等閑(なおざり)にされてしまうのは忍び難いものがある。
 都知事をはじめとする為政者は、この点への眼差しや配慮を忘れないで欲しいものだ。
 そんなことをあれこれ思い起こさせ、考えさせてくれる本である。

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ことわざ悪魔の辞典

2003/05/20 18:08

<読書子諸氏、言葉を尽くして人間関係の円滑さを取り戻そうではありませんか>

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

  【つみをにくんでひとをにくまず】

  そろそろ鼻についてきた女房を、押入った強盗が殺してしまったような場合、罪は罪であるから強盗が刑務所に放りこまれるのはやむを得ないが、時々差し入れにいってやろうかというような気分。


 ことわざをひらがな表記にして、換骨奪胎したり、そのままの意味でも解釈を裏から行ったりと、著者のことわざというものに対する愛情溢れる一冊。

 最近、毎週のように会う知人は、30代も半ばを過ぎて、益々意気軒昂なれども、毎度同じように女房殿やその親御さんにまで遡って、愚痴や非難や苦衷やらを吐露するので、折りよく出くわした上の一節をはなむけに送らせていただいた。
 後日、これを聞かされた奥方は大いに感銘し、感激し、爆笑するとともに、夫婦の円満が回復したと風のうわさに聞いたようなしだいである。
 夫婦円満のありがたい効能をも併せ持つ奇書である。

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遊心譜

2003/05/20 17:54

<歴史を知るには同じだけの長さを生きてもまだ足りない>

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「そもそも歴史家とは、長い眼を以って社会の変遷を追跡する任を荷うものではあるが、その長い眼とは、単なる理論ではなく、実際の長期に亘る体験によって練磨されねばならぬ」。
 著者の師である矢野博士を評して述べた一節である。
 この言葉はそのまま著者にも妥当して、最近に至るまでの時評や回想をまとめた一巻を通貫する心的態度を表している。
 具眼の士の言葉は、その言葉の新旧を問わず、また取り上げる事象の新旧を問わず、常に新鮮で生き生きと響く。
 碩学の論考としてでなく書かれた文章に、なぜか私は引かれる。
 おそらく、むしろそういう文章の中にこそ比較的無防備な形で、著者の裸の視点が露呈されるからかもしれない。
 『科挙』をものした著者は、現在のこの国の試験制度に言及して、「甘やかしてはいけない」と、警鐘を鳴らす。
 中国をこの人ほどよく知る者はないと世界が認めるこの人物にして中国をわかった風に考えてはなるまいと、慎重さを促す。
 素直な耳と目を持つ者であれば、このことの真偽は自ずから明らかなのではなかろうか。

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紙の本噴版悪魔の辞典

2003/05/20 17:46

<憎まれっ子、世に縮こまってばかりいられるものか!>

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 著者連は4人ともねじれの位置にあるような「ひねくれ者」たちで、これを読んだらオリジナルの『悪魔の辞典』の著者ビアスもさぞや苦笑いしたことと推察される。
 初手から【愛:思い込みのもっともはた迷惑な形】とやられたのでは読むしかないではないか。
 したがって、そういう私も人からは偏屈だの、屁理屈だのと悪し様に言われることが少なくないということになる。
 しかしである。
 医者から、「右半身不随になるでしょう」と宣告されたなら、一物をつまんで左に寄せる。
 そういうしぶとさ、あくの強さのある人間が、どうしても嫌いにはなりきれない。
 憎まれっ子世に縮こまる今の時代に是非皆様にも浸っていただきたい世界がここにはある。

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紙の本不実な美女か貞淑な醜女か

2003/05/25 02:43

<正しく達意のタイトル>

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 ロシア語の同時通訳者として夙(つと)に著名な著者のこの本は、タイトルが不適当であるという大江健三郎の横槍で読売文学賞を危うく逃すところだったらしい。
 多少とも翻訳めいたことの経験者であれば、このタイトルだけで話の中身が一瞬のうちに飲み込めてしまう。
 このタイトルにこそ米原流通訳の極意が凝縮されているのだ。
 ま、とにかく面白い。
 「早老」を「早漏」と、「出国」を「出獄」と、「陰影」を「陰茎」と、「団塊」を「男根」と書き間違えたり、言い間違えたりという失敗例の紹介には笑えた。
 必ずしも米原氏の失敗というわけではないのであるが…念のため。
 やはり通訳というものは、言葉を、その字面を伝達するための機械のようなものではありえないのである。
 その場、その瞬間の空気を、やり直しのきかない状況で、たちどころに活写してみせなくてはならないスリルあふれる達人の技なのだとわかる。
 

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<マスコミ報道に目を向ける前に読んでおきたい一冊>

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 身もふたもない事実の本である。
 あれこれ思惑をめぐらせる前にまず現実を見なさいと言っている。
 1970年代、根拠もなく、世をあげて北朝鮮を賛美していた頃、NK会主催・玉城素(もとい)は、「水の使用量を分析して北朝鮮の経済が破綻していることを突き止めた」(関川夏央『退屈な迷宮』新潮文庫)という。
 裏打ちのある言葉を知る稀有な人物なのであろう。
 この点では、北朝鮮以上に謎めいている。

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紙の本言語を生みだす本能 上

2003/05/25 01:57

<休日の午後、コーヒーカップを片手に、言葉で言葉を語る「ジャグラー」の技をしばし楽しむ>

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 今こうして書いている私も、読んでいるあなたも、言葉を通してこの本についてのなにがしかのイメージを与えようとしており、またつかもうとしている。
 実物を読んだことがないのに何ほどかは伝えられるし知ることができるわけだ。
 そういう能力=言語能力こそヒトという種の最大の特徴だという。
 そして蜘蛛が見事な巣を張るのが本能によるものであるように、この言語能力がヒトの本能であるという。
 つまり、
 言語は学校で教わって身につくものではないということだ。
 教わらなくても生まれながら持っているものなのである。
 発せられた音声や書き留められた文字をいくら研究してみても言語の謎は解明し尽くせない。
 言葉を使って言葉を探るのは、自分の頭をつかんで自分を持ち上げるに似て無理な相談であろう。
 だから言語を映すいわば鏡として「本能」という中間項を設定する。
 さて、この言語という本能の山にどのように迫っていくのか?
 その登山記というか冒険の記録がこの本なのである。
 身近でわかりやすい例をふんだんに引いて巧みに読者を誘導してくれるお手並みは見事と言うしかない。
 

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紙の本からだの見方

2003/05/25 01:48

<この人は「目の人」だな>

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 この人の本を紹介し始めるとほとんど全部書き出さなくてはいけなくなる。
 それは息つく暇もなく展開される、ボルト一つゆるがせにできない精密で緻密に構築された抽象的な論理だけからなる構造物だからではない。
 正反対である。
 ふんだんに具体例が挙げられている。
 短くててきぱきとした文章。
 断定的短文と評されるほどである。
 ユーモアや愉快な皮肉に富み、読む者を飽きさせない。
 これだけ断定されてもギクシャクした感じが微塵もない所以であろう。
 論理はしばしば跳躍的で、唐突に結論に飛ぶというのでもなく、尻切れて終わる。
 タイトルをじっと眺めていてわかったことがある。
 すべて『見方』なのである。
 著者自身、視覚に論理はないと言う。
 何枚ものスライド映像を見せて、全体として人それぞれの印象を心のうちに宿せばよい。
 そういう出来栄えになっているのだ、これらの本は。
 だから読んでいる私も全くストレスを感じないですむ。
 好き勝手に読んでくださればよろしい。
 そう著者は言っているのである。
 また、
 名著『唯脳論』も、そう言えば、音楽や聴覚に関する記述になるとぐっと少なくなる。
 38年間、東京大学で、只管『観る』ことを続けてきた修練の賜物であり結果なのであろう。
 『異見あり』(文藝春秋社)も「見る」という字が入っている。
 『文学における身体観の歴史』(新潮社)にも「観」という字が入っている。
 『形を読む』(培風館書店)も「読む」と称して音読ではない。
 かくして、私は養老孟司という人は「目の人」だと断じるのである。
 こういう人の書くものは、結局のところ、わかる人には転瞬にしてわかるのである。
 しかし、わからない人にはどうにもわからないであろう。
 そして、お絵かきというものは途中で止めたのでは何の絵かわからない。
 だから、すべて書き出さないといけなくなるというわけ。

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