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  3. 五十棲達彦さんのレビュー一覧

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    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

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    中野 ジェームズ修一 (講師),日本放送協会 (編集),NHK出版 (編集)

    5つ星のうち 4.0 レビュー詳細を見る

五十棲達彦さんのレビュー一覧

投稿者:五十棲達彦

11 件中 1 件~ 11 件を表示

紙の本あいまいな日本の私

2003/04/05 20:36

あいまいな日本の私

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書は1994年度のノーベル文学賞受賞記念講演「あいまいな日本の私」を含む講演収録である。大江健三郎以外の日本人のノーベル文学賞者は川端康成であるが、川端はその授賞式で「美しい日本の私」という講演をした。大江はこのタイトルのもつ神秘主義を鋭く指摘した上で、明治維新から引き継がれてきた「あいまいさ」こそが日本人の精神構造における本質であるとしている。大江健三郎は戦後文学の旗手として時代精神をリードしつづけてきた。大江文学の魅力は個人的な具体性からテーマ性へと止揚しているところにある。この「あいまいな日本の私」を読むことで、はじめて大江が追求してきた日本人の精神性とその責任性について知るとこができるが、それ以上にこの題名の「あいまいな〜」が世界から見られている日本と日本人を言い表す一番的確な文学的表現であるといえるのではないか。一読するには十分過ぎる内容である。

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知識経営のすすめ

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書は「知識」が齎す経営的な意味について書かれている。情報が経営に必要な要素であることは誰しもが認めるところである。しかし情報と知識の違いが経営にとってどのように影響するのかは定義されてこなかった。本書はこの点も詳しい。また暗黙知と形式知について多くの紙面を割き、そのダイナミックスが今後は最も重要な経営資源となることを力説している。

野中郁次郎、竹内弘高共著の「知識創造企業」にも競争力としての知識がいかに大切な要素であるかが説かれている。本書は知識経営に関してさらに理論的に述べられていて読み応えがある。世界に通用する日本発の経営書である。

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販売の科学

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

■本書は販売を科学的に思考するために書かれた良書である。

■この本の中に「データ活用で商売を広げた豆腐屋の話」というのがある。高円寺の豆腐屋が売れないので店仕舞いをしようかと悩んで相談に来た。一計を案じてこの豆腐屋に地図を渡し、リヤカーで豆腐を売りに回った時に豆腐が売れた場所・時刻を必ず記入させた。半月後、毎日豆腐が売れた場所と時間を記入した地図通りにリヤカーを引かせたところ、豆腐が売れに売れた。その後この豆腐屋さん、食品会社の社長になったそうである。これは感と経験では売れなかった豆腐屋が統計学的に販売をしたことで売れるようになった事例である。

■販売不振のときに読めば目から鱗である。

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紙の本ゲーム理論入門

2003/04/12 08:38

ゲーム理論入門

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本書はゲーム理論の入門書である。ゲーム理論はフォンノイマンとモルゲンシュテルンの「ゲームの理論と経済行動」を出発点とする意思決定の理論体系を指している。ミクロ経済学への応用の他、政治学、社会学、情報工学、OR等の様々な分野で利用されている。本書では数式的な説明を避けているので初心者にも解り易く読める。
 ゲーム理論で思い出されるのは、ラッセル・クロー主演の映画「ビューティフル・マインド」である。映画は主人公の苦悩と夫婦愛がテーマであるが、映画のモデル、ジョンナッシュはナッシュ均衡を確立して後にノーベル賞を受賞した経済学者である。このナッシュ均衡もゲーム理論の中核をなしており本書に詳しい。
 経済学初心者向けのお薦め良書である。

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中国経済は成功するか

2003/03/25 07:35

近くて遠い国

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この著者のことは、実を云って何も知らなかった。今春の経営情報学会春期研究発表会の特別記念講演「中国の時代は来るのか」で渡辺利夫氏の話を聴いたのが初めてであった。その特別記念講演の話が極めて面白かった。現代中国の実相を見事に捉えた内容で、単なる学問的な講演にとどまらず、今日的な側面として、即ち世界経済、日本経済との対比の中で中国経済の実力が果たして、われわれが考えている通りの実力なのかどうかという点において魅了された。この講演を聴き、すぐさま購ったのがこの本である。講演会は、この本が出版された1998年から数えてすでに4年が経ている。当然のことながら多少の相違があるが、いずれにしても渡辺氏の眼を通した「中国」には変わりがないことだけは確かである。
 渡辺氏はこの著書のなかで(講演会でもそうであったが)、1992年に当時の最高権力者トウショヘイがおこなった「南巡講和」を境にして、それ以前とそれ以後では、中国と中国経済が大きく変容したとしている。トウショウヘイのこの生産性重視論こそがまさに現代中国の路線そのものであり、事実またその通りなのである。
 たとえば「郷鎮企業」=農村地帯における国有企業ではない民間企業、の存在は毛沢東時代には想像も出来なかった「組織体」である。それが今日では半数を占める割合になっている。またその「郷鎮企業」の生産性は国営企業に比べ高い。
 一方で国有企業の改革も「パータオハンシャオ」のもとに、大企業は少数グループに集約し、小企業は切り捨てる政策。つまりリストラクチャリングを大胆に実行している。
 中国はこの国策を「社会主義市場経済」と論理的に定義し、社会的整合性を堅持しようとしている。渡辺氏はしかし、社会主義と市場経済は対立概念であり、論理矛盾であると分析している。
 
 冒頭の講演会の論調において、最も印象的であったのが「中国は経済大国ではない」としている点であった。通説は、いや今の日本においては中国脅威論が圧倒的なプレゼンスがある。しかし渡辺氏は、そうではないとしている。この著書においても、中国は経済大国ではないと断言している。果たしてそうなのか、と思うのは私だけなのか。ここが渡辺氏の著書を読もうと思った点である。経済大国でないとする根拠は、未だ中国内に統一的な国内市場経済がないことが、理由となっている。渡辺氏は中国経済大国論を虚妄としている。虚妄とは、広辞苑で「うそいつわり」と記述されている。

 この著書の中に、北朝鮮に関しての記述がある。北朝鮮は相変わらず統制経済であるとのこと、その惨状が痛ましい。
 
 中国が株式制度の導入を行い、経済拡大路線=社会主義市場経済で、利潤極大化原則に沿うことで、共産党支配の「溶解」が将来に起こる。これが渡辺氏の慧眼である。

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紙の本文明の衝突と21世紀の日本

2003/03/25 07:27

対立とは

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この著書のテーマは、冷戦後の世界の対立関係の分析と日本の選択についてである。
 冷戦時代、世界は“イデオロギー”にもとづいて識別されていた。しかし、冷戦後は“文化”、もしくは“文明”にもとづいて識別されるとする。また、自らのアイデンテイテイーの危機に直面して、「われわれはいったい誰なのかという問いである」、と。
 世界の主要文明は、西欧文明,東方正教会文明、中華文明、日本文明、イスラム文明、ヒンドウー文明、ラテンアメリカ文明、アフリカ文明に大きく分類される。
 「パワーの構造」。ソビエトとアメリカが冷戦時代の二極軸であった。ところが、冷戦後はアメリカが、唯一の超大国として存在している“一極世界”構造になっている。しかし、こうした一極集中はアメリカを孤独の道に向かわせている。排他的な国家、アメリカ。
 日本も孤独な国家である。日本は日本一国の孤独国家である点が、特異である。また、日本史において“革命”がなかった、と。この点に関しては、日本の歴史家の中で永年にわたって論争が続けられてきたが、世界史的には日本史上に革命がなかったと、みなされても致し方ないかもしれない。日本はアメリカ追従から中国追従(追随)に傾くと予測する。
 また、東アジアの運命は、中国、アメリカ、日本が鍵を握っている、としている。

 この著書のモチーフは、世界政治が文明や文化の境界線にそって再構成されているとしていることである。現在の国際政治のモデルは「一極・多極体制」である。一方の超大国アメリカが取る強制手段は「経済制裁」と「軍事介入」の2点である。その意味においても、アメリカは慈悲深い覇権国という幻想をすてなければいけない、としている。

 人々は先祖や宗教、言語、歴史、価値観、習慣、制度などに関連して自分たちを定義する。
旧ユーゴスラヴィアでは、ロシア人がセルヴィヤ人を支援し、サウジアラビヤ、トルコ、イラン、リビヤはボスニア人を支援した。これも文化的な血縁意識のためである。
 人類の歴史は文明の歴史である。文明は人々にアイデンテイテイーを与えてきた。
 文明を定義する上で最も重要なもなは宗教である。文明はまた最も範囲の広い文化的なまとまりである。また、文明はきわめて永続的な実態である。
 メルコによると メソポタミア、エジプト、クレタ、古代ギリシャ・ローマ、ビザンテイン、中央アメリカ、アンデスと中国、日本、インド、イスラム、西欧が文明とする。

 冷戦後の国際関係の主要な舞台はアジアである。二つの中国、二つの朝鮮。しかし、親戚同士(同じ文明を共有する国家同士という意味)が戦うには限度がある。
 ハンチントンは、「中国の発展は、アメリカにとってよりぬきさしならない挑戦となる可能性がある」としている。中国の台頭。中国脅威論。
 中国の躍進とその課題に関しては、別途検討するに値する。

 アフガン戦争と湾岸戦争の性格。文明間の最初の戦争。アフガン戦争(ソ連の軍事介入に対する、イスラム勢力とアメリカ軍の戦い)は、イスラムがジハード(聖戦)を戦い、自信と勢力が飛躍的に高まった。ソ連の敗北は、アメリカの技術、サウジアラビヤの資金、そしてイスラムの膨大な人口と宗教的な熱意による。アフガン戦争はその後の湾岸戦争、そして昨年の9・11テロから始まるアメリカのアフガン攻撃とイスラエルとアラブ間の紛争につながっていく。

 ハンチントンの特異性は、後追い論ではなく、まさに今起きている時点でパースペクテイブに世界を捉え、理論化したところである。むしろ、世界史が後追いしているかの錯覚を覚えてしまう。冷戦後の世界は一つになるのではなく、文明間での衝突になるという先見性を、すでにベルリンの壁の崩壊前に構築していたことだ。

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紙の本ローマ人への20の質問

2003/03/23 10:18

ローマ人への20の質問

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『ローマ人への20の質問』を薦められたのが6月21日であったので、読了するまでに1ヶ月半も掛かってしまった。感想文を書きながらの読書なんて、何十年振りかの作業であった。いささか大変であった。さて、本題の感想ですが、最終章の「なぜローマは滅亡したのか」は、現在の日本の国家、社会、会社、個人に対してもあてはまることで、この最終章を書く為に、1章から19章が書かれているとさえ思える位である。一方、この本における古代ローマと現代アメリカがどうしても重複してしまうのは私だけのことなのか? この点の感想を聞きたい。現代のアメリカと日本の比較論として、この『ローマ人への20の質問』は一読の価値があった、というのが読み終えての感想である。他の方の感想を伺いたい。

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ザプロフィット

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本書は利益を上げる事が如何に本質的であるかをストリー形式で書いているものである。23の利益モデルをステイーブという若者がチャオとういう賢人に教えを請うという内容の筋書きである。23の利益モデルは実際の企業を詳細にコンサルテングしたものをベースにしているので、読者に説得力をもつ。1章の「顧客ソリューション利益モデル」から23章の「デジタル利益モデル」までがそれぞれ独立した筋立てで、それぞれの利益モデルにたいしてステイーブがチャオに解答しながら理解を深めて行き、利益プロフィットへの関心をもたせる仕組みである。
 
 それぞれの章でチャオはステイーブに参考文献あるいはウェブサイトによる予習を宿題として与えている。これがまた本章の理解を深める手助けになる。

 本書は一見するとハウツー物のようにも思えるが、実は自社自分にあった利益モデルは、粘り強く自分で考えることからしか導き出せないことを教えてくれる。ただし自然に。そして学習という副産物もついて。

 ステイーブはチャオと最初に約束した授業料の借りを返すことが出来るようほどに、利益プロフィットを理解して。

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紙の本族譜の果て

2003/03/23 10:23

族譜の果て

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『族譜の果て』のあらすじは、主人公=在日朝鮮人・高泰人が経営する「青銅美術印刷」が、印刷工場と高価なドイツ製印刷機(たぶんハイデルベルグ製であろう)の設備投資のための返済から、最後には雪だるま式に膨らむ借金と従業員の横領、裏切りの果ての倒産までが描写されている。主人公=高泰人を取り巻く人間関係、抑圧された在日朝鮮人の父と子の関係、その親族との軋轢と断絶などが、この小説を読む側に“痛ましさ”を増幅させる。
 『族譜の果て』の“族譜”とは、この物語に登場する親子、親戚、従業員、組織の人間、金貸しと政治家の系譜だけではない。在日朝鮮人そのものが背負っている“宿命の果て”そのものに他ならない。
 『族譜の果て』をやり切れない気持ちで読んでしまったが、それは在日朝鮮人への日本人としての負債感だけでもない。数万社ある日本の印刷企業の経営実態が「青銅美術印刷」の姿に集約され、かつスケルトンされている。想像を許していだけるなら、この小説が書かれた高度経済成長時代と現在(2003年)では、中小零細企業の経営実態は根本的に異なっている違いない。けれども『族譜の果て』で書かれている、中小零細企業の経営者と従業員の実感は今も昔も然程変わらないのかもしれない。今から思えば、牧歌的な感じさえする高度経済成長時代でも、資本主義経済の冷徹な原則が貫徹されているのである。この『族譜の果て』を経済小説とか、ましてや印刷業界の実態物語りなどと謂えば「無知」の謗りを免れない。だが一方では経済原則がザッハリヒに描かれているのも事実である。決して、マネーゲームの勝者と敗者の世界だけが経済小説の対象ではない。この小説に謂いようのない暗さを感じるのは、いまの日本経済の姿を裏映りさせているからで、作者=梁石日自身が『族譜の果て』を出版した時には予定していなかった副産物に違いない。
この小説の深遠は、在日朝鮮人問題、親と子の隔絶、零細企業の悲惨な実態、組織暴力、資本主義経済の冷徹性を独自の文体で描ききっているところにあるが、戦後文学が持っていた、謂いようのない“重さ”をもっており、最近のJ-POP感覚の小説には到底ない通奏低音が聴こえる“小説”である。
 サルトルが「ユダヤ人のためと同時に、われわれ自身のためにも戦わねばならないことに、そろそろ気がついてもよさそうである」.『ユダヤ人』.岩波新書.は戦後日本のテーマであり、小泉首相の「靖国神社参拝」でのアジア=特に韓国、中国の反応は、経済協力が良好に行われていても、彼らからは決して忘れることのできない負の遺産があることを教えてくれるのであるが、この『族譜の果て』も、私にとってまた同じ意味をもつ。
 
この小説を紹介していただいた印刷会社エム様に感謝し、捧げる。

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紙の本イスラームと世界史

2003/04/02 23:43

イスラームと世界史

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文明の衝突という視点で中東問題への分析が盛んであるなか異論を憶える著者のこの本に興味がある。歴史の転換点として中東紛争への関心がこの本の原点となっている。米国のイラク攻撃の正当化とイラクの聖戦思想の対立は石油利権に絡む経済対立なのか、文明の対立なのか。そもそも文明とはなんであるのか。そのような疑問にも応えてくれている。中東もイラクもイスラームも一筋縄ではいかない。それぞれの発展段階と矛盾が内包している。われわれ日本人からもっとも解りにくい地政学である。この本を読めばそれが解きほぐされる。

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紙の本希望の国のエクソダス

2003/03/23 08:05

希望の国のエクソダス

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「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」
            「希望の国のエクソダス」p.419.

 2001年の夏、パキスタン北部・アフガニスタン国境付近で、16歳の日本人少年が地雷で負傷したことからこの物語が始まる。関口(=おれ)は取材の為、パキスタンへ飛んで行くが…。
 地雷で負傷した少年はアフガニスタン国境付近で地雷除去作業をしていたのだ。その秋、東京の中学生に異変が起きた。地雷で負傷したこの日本人少年=ナマムギに共鳴して、大量の集団的不登校が起こった。「日本に希望がない」、それが中学生を集団不登校にした理由であった。彼らはナマムギ通信というネットによるコミュニテイーを形成して、集団的なエクソダス(脱出)を試みていく。主人公達はあくまでも中学生なのだが、現代社会を凝縮している。

「ゆっくりと死んでる、幼なじみはそう言ったが、それは多くの日本人に共通の気分だったからも知れない。日本人にとって重要な何かが音を立てて崩れていくような不安感が1990年代からずっと続いていたのだ。結局のところ、それは閉塞感だったとおれは思う」P.170.〜171.
 国際金融論、中国問題、官僚と政治、教育問題、不況に喘ぐ北海道、総てが今の問題をイメージしている。中学生の連帯と脱出を軸にしながら、現代社会の皮相を抉り出す。私の知り合いの中学生教師が、今の生徒を教えることは疲れると云っていた。その実感が分かり難かったが、この「希望の国のエクソダス」を読んで、僅に想像できるようになった。時代背景。それがこの小説の力となっていて、読者を惹きつけるのであろう。同時に、村上龍のニヒリズムを感ぜずにはいられない。

 「希望の国エクソダス」が面白いと云ったのは30代のブルース好きの部下であった。30年振りに逢った高校のクラスメートもまた「面白いよ」と云った。村上龍を読もうと全然思いもしなかった。1976年に芥川賞を取る前に、群像の新人賞で「限りなく透明に近いブルー」を読んだ。残念ながら、村上龍の後輩となった、わたしの妹にその「群像」を貸して以来、村上龍は過去型でしかなかった。もしかしたら、同世代としてのシンパシーをどこかで読んでいるのかもしれないが、もう少しこの人の書くものを見て行きたい。そうすれば、時代精神が分かるような気がする。いまこうして、この小説を読んでいる時にも、米国は世界のイラク制裁反対を無視して戦争決議を国連安保理に諮ろうとしいている。願わくば、ソウナラヌコトヲを祈るだけである。

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