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  3. カワイルカさんのレビュー一覧

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先月(2017年6月)

カワイルカさんのレビュー一覧

投稿者:カワイルカ

44 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本何があっても大丈夫

2005/07/11 09:39

孟母三遷

20人中、20人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

櫻井よしこはなんとなく気になる人だった。他の女性キャスターとは雰囲気が違うなあと思いながら『今日の出来事』を見ていたのだが、この本を読んでその理由がよくわかった。
 カバーの経歴を見ると、敗戦直後のベトナムで生まれと書いてある。父親は全財産を失い、家族は着の身着のままで外地からの引き揚げている。それだけでも大変なのだが、引き揚げて来てしばらくすると、父親は家を出ていってしまう。しかし、写真を見ると、母子家庭とか片親という言葉から連想される暗さがないだけでなく、むしろ育ちの良さを感じさせる。
 母親は新潟県の山間の村に生まれたのだが、広い世界を見たいと思い、自分で織った着物を売って上京し、美容師になった当時としては型破りな女性である。常に前向きで「何があっても大丈夫」と子供たちを励まし続ける。著者に涙を見せるのは、別居している父親のせいで兄がぐれてしまったときだけだ。だが、そのときも、「モーボサンセン(孟母三遷)」とつぶやき、環境を変えるためにすぐに実家に引っ越す決断をする。自然豊かな環境の中で兄は元に戻るが、今度は子供の教育を考えて長岡市に引っ越す。学歴はないが、常に先のことを考えている聡明な母親なのだ。
 著者の生き方もつくづく母親と似ているなあと思う。高校一年のときに、教え方が気に入らないと英語の教師に文句を言いに行くところはかなり型破りだし、大学へ入るために父のいるハワイに行く行動力もある。ジャーナリストになってからもそれは変わらない。『今日の出来事』のキャスターとして成功を収めるが、言論活動に専念したいという理由であっさりとやめてしまう。どこまでも自分に忠実な人なのだ。
 面白いだけでなく、いろいろ学ぶところの多い本だった。子供のいる人は子育ての参考になるだろう。90歳を過ぎた今もなお向上心を持ち続ける著者の母親、そしてその教えを意識的、無意識的に実践した著者の生き方は感動的である。
Dolphin Kick 2005

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日本文学が亡びるとき……水村美苗著『日本語が亡びるとき』

16人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 水村美苗が日本語について書いた本というだけで興味深いが、この悲観的なタイトルはどういう意味なのだろうか。
 アイオワ大学のIWPというプログラムで海外の作家との交流が語られる第1章は、小説のように面白い。著者はそこでアジア系などのマイナーな言語で書いている作家たちと接しながら、英語が<普遍語>になりつつあることの意味を問いかける。
 英語が<普遍語>になれば非英語圏では<母語>よりも英語を使う人が増え、その結果<自分たちの言葉>が「亡びる」のではないか、と著者は考える。だが、ここで言う「亡びる」とは、その言葉が話されなくなるということではない。作家にとって「<自分たちの言葉>が『亡びる』ということは、私たちがその担い手である<国民文学>が『亡びる』ということに他ならない」。タイトルを『日本文学が亡びるとき』と言い換えるとわかりやすい。では、「日本文学が亡びる」とはどういうことなのだろうか。
 日本では明治以降はやばやと<国語>が成立し、その結果日本近代文学が生まれた。それが世界の「主要な文学」として知られるまでになり、ノーベル文学賞の受賞者を出すに至った。その要因として、日本が植民地にならなかったことなどがあげられるが、それはほとんど奇跡的なことだと著者は言う。そして今、日本文学が亡びつつあると著者は憂えているのである。
 英語の世紀となったいま、「これから四半世紀後、漱石ほどの人物が日本語で書こうとするだろうか」と著者は問いかける。たんなる娯楽として読み流すような作品が書かれるだけで、<叡智を求める人>読みたいと思うような作品は書かれないのではないか。日本文学が亡びるというのはそういう意味である。
 著者は最後に、日本人が日本語を大切にしてこなかったことを指摘している。日本に水があるのが当たり前であるように、日本語があるのが当たり前だと考えられてきた。そのために日本語が亡びることなど誰も考えていないというのだ。言われてみれば確かにそのとおりである。日本で生まれ育った我々には見えていなかったことが、日本と米国で暮らした著者だからこそ気がついたのだろう。そういう点でとても参考になるし、考えさせられる本である。
 しかし、本書の魅力はそれだけではない。著者の日本語と日本文学への思いが強く感じられ、日本文学の素晴らしさを再認識させてくれる。もういちど『私小説』や『三四郎』を読んでみたいし、読みそびれた他の日本文学の名作も読みたいとさえ思う。これから日本語がどう変わるのかわからないが、我々日本人が日本語と日本文学を守るために何が出来るかを真剣に考えようという気にさせられる。文学好きにとって共感できる本である。

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ある知日派米国人が見た日本

14人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 著者は知日派として知られるコロンビア大学教授。日本の政治研究の分野では世界的に有名な偉い先生なのだが、語り口はじつに謙虚でエリート臭さはまったくない。本書を読み始めてすぐに著者のファンになってしまった。とくに日本での体験を中心に書いてある前半は面白い。
 著者がはじめて日本の土を踏んだのは東京オリンピックが開かれた1964年。当時はコロンビア大学の大学院生で、一年間東京で日本語を学ぶのが目的だった。西荻窪の四畳半一間の下宿には水洗便所も風呂もない。夏は快適だが、冬は石油ストーブをつけてもなかなか暖くならない。当時の東京の住宅はまだ粗末で、訪ねた家でオーバーを着て玄関を入ると、「どうぞ、そのままで」というのが挨拶だったという。食事は近所の大衆食堂で鯖や秋刀魚を食べる。夜寝る前に銭湯に行くと、食堂のマスターがいて商店街の店主たちとも知り合いになる。苦労はあったけれども、毎日が刺激的で楽しかったという。
 いったん帰国した著者は1966年に博士論文を書くために再来日する。博士論文といっても文献を読みあさるのではなく、衆議院選挙の候補者に密着取材して選挙運動を分析するという型破りのものである。つてを頼って紹介してもらった候補者の自宅に一、二ヶ月泊めてもらう予定が、まるまる一年間になってしまったというから驚きだ。その論文は『代議士の誕生』というタイトルで日本でも出版され、大きな話題となる。
 著者の強みはこうした日本での体験にあるわけだが、それは文献をいくら読んでも得られるものではない。日本への知識と理解の深さは驚異的で、こんなことまで知っているのかと驚かされることも多い
 後半は今の日本の政治状況の分析とアドバイス。それを大ざっぱにまとめるとこんな感じなる。
 日本が欧米に追いつこうとしているときにはうまく機能した政治経済のシステムが、欧米に肩を並べ追い越そうとしたとたんに機能しなくなった。日本は政治経済の制度と構造を、社会の変化に反映するように変える必要があるが、構造改革にはおよそ20年かかる。1995年から2015年までが日本を変える期間だと著者は見ている。すでに半分がすぎているが、日本はどのくらい変わったのか気になるところだ。
 著者の日本政治の見方は的確で説得力があるだけでなく、日本人と日本文化への愛情と敬意が感じられ、読んでいて気持ちが良い。著者のファンになったのはそういう理由からである。

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紙の本サウスバウンド

2005/09/26 09:54

元過激派からのメッセージ

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

奥田英朗の作品はこれで四冊目だが、読むたびにすごい作家だと思う。ストーリーテリングの巧みさと人物描写のうまさに加えて本書ではアイデアがすごい。少年小説なのに元過激派が登場するのだ。一見ミスマッチと思われる組み合わせだが、テーマと密接に結びついていて不自然さはない。
 主人公の上原二郎は小学六年生。それなりに楽しい生活を送っていたが、中学生のイジメにあい平穏な生活を壊される。その上、父は元過激派で、活動から身を引いた今も権力と闘うことを生き甲斐にしている。二郎は中学生の不良と父親に振り回される。やがて父親がかくまった過激派起がこした事件がきっかけとなり、一家は父親の祖先が住んでいた西表島に引っ越すことになる。
 陰湿なイジメが描かれているのに、全体のトーンは明るい。二郎が出発の前夜、友達と別れた後に次のように考えるところがある。
……センチになるのは、いつも大人だけだ。子供には、過去より未来の方が遙かに大きい。
 二郎たちにとってどんな未来が待っているかはわからないが、未来があるということが大事なのだ。
 後半は西表島での二郎たちの生活が描かれる。東京では迷惑な存在でしかなかった父親が、島では伝説のレジスタンスの孫として英雄扱いされる。だが、素朴で親切な隣人たちとのんびりした生活もつかの間、この島にもリゾート開発業者が入り込んでおり、父親は開発の反対運動に巻き込まれてしまう。
 東京とは違い、この島では国家の管理は結構いいかげんである。国家の手先であるはずの駐在所の巡査は上原家に親切だし、何よりも島民たちは二郎の父親の味方なのだ。
 国家との闘いを扱いながら、小学生の二郎の視点をとおして語られるので少しも難解なところはない。本書は観念的な小説ではなく、あくまでも少年小説、あるいは冒険小説として書かれている。二郎の成長を追いながら、同時に国家と個人、文明と自然というテーマが見えてくる仕掛けになっているのだ。初めは非常識にしか思えなかった二郎の父親の主張が、最後には説得力を持ってくる。本書はエンターテインメントとして良くできているだけでなく、読後に深い余韻の残る傑作である。

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紙の本風の果て 上

2007/09/02 09:43

得たものと失ったもの

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

NHKの木曜時代劇で10月から放送予定ということで読んでみたが、予想以上に面白くてドラマが楽しみになった。藤沢周平作品は30作以上読んでいるが、まだまだ知らない傑作があるようだ。

 主人公の又左衛門が昔の道場仲間(市乃丞)から果たし状を受け取るところから物語がはじまる。だが、その理由が私憤なのかあるいは陰謀なのかよくわからない。又左衛門は果たし合いの前に市乃丞に会って話をしようとするが、いくら捜しても彼を見つけることができない。昔なら誰かが間に入って止めてくれたはずだが、今はそういう人はいない。又左衛門はいつからこうなったんだろうと考える。又左衛門たち五人の道場仲間は身分の差を意識しないで付き合っていたが、名門の家に生まれた杉山鹿之助が家を継ぐことが決まったときからそれまでのような付き合いはなくなっていた。郡奉行の家に養子に入った又左衛門は、頭角をあらわし筆頭家老にまで上り詰めたが、そのために失ったものも多い。権力を争った鹿之助とは仲違いし、今は市乃丞から果たし状を突きつけられているのだ。
 
 政争に勝ち筆頭家老上り詰めた男が、自分の過去を振り返りながらかつての道場仲間がばらばらになった原因を探ろうとする話である。それは果たし合いの理由を探ることでもあり最後まで緊張感がとぎれない。
 五人の道場仲間の描き分けもうまい。又左衛門は人並みの野心は持っているが、権力欲や物欲はない。出世街道を登詰めたとはいっても普通の人なので感情移入しやすい。鹿之助は親切のように見えて人を利用するのがうまく権謀術数にも長けている。生まれながらの政治家なのだ。市乃丞は婿にも勤めにも向かないひねくれ者である。剣技を見込まれて仲間の一蔵の討手に選ばれてしまう。庄六は五人のなかで一番貧しいが、よい妻に恵まれてかくべつ悩みもなさそうである。五人のなかで一番幸せなのは、庄六なのかもしれない。
又左衛門は最後にこう考える。

― ―風が走るように……。 
 一目散にここまで走ってきたが、何が残ったか。

又左衛門は出世と引き替えに友を失い、妻とも心を通わせることができないでいる。不幸ではないが、さりとて幸福とも言えない。この作品を読んで身につまされる人も多いだろう。藤沢周平の他の作品がそうであるように、これは現代にも通用する話である。

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紙の本背教者ユリアヌス 上

2007/07/04 10:48

読者が歴史小説に求めるもののすべてがある

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

面白いとは聞いていたが、長いので読みそびれていた本である。ローマ帝国に関心があったわけではないのに、読み始めたら面白くてやめられなくなった。優れた歴史小説とは歴史を知らなくとも面白く読めるものなのだ。
 物語の舞台は三世紀半ばのローマ。ユリアヌスはギリシャ、ローマの古来の神教を復活させたためにキリスト教徒から背教者と呼ばれた皇帝である。
 ユリアヌスの二代前の皇帝コンスタンティヌスは、キリスト教の信教をを公認し死の直前にキリスト教の洗礼を受ける。あちこちのたがが緩み始めたローマ帝国をキリスト教によってひとつにまとめようとしたのだ。その結果キリスト教の司教は宮廷でも影響力を持つようになる。しかし、キリスト教の教義は統一されておらず、各宗派間や異教徒との争いが絶えない。ユリアヌスが皇帝となったのはそんな時代である。ギリシャ哲学を学んだユリアヌスは、ローマに平和と秩序を回復するためにギリシャ、ローマの神教を復活させキリスト教との共存の道を探るが、頑固で排他的なキリスト教徒には理解されることはなくかえって対立を激化させてしまう。
 西洋文明のふたつの源流であるギリシャ、ローマ文明とキリスト教の対立は興味深いテーマではある。しかし、この作品のもうひとつの魅力は主人公ユリアヌスと脇役たちが生き生きと描かれていることだ。
 ユリアヌスは学問を愛し、純粋で野心がない。皇族ではあるが普通の感覚の持ち主として描かれているので容易に感情移入できる。宮廷では哲学にしか興味がない変わり者と陰口を叩かれるが、副帝になるや戦略的な才能を発揮して周囲を驚かす。為政者としてのユリアヌスの姿勢は次の言葉に要約されている。
「一般人民の福祉のために国家は財源を用いるのだ。それなのに、その財源を確保するのに、一般人民を苦しめるとしたら、それは一個の背理にすぎぬ。それは思想のうえでも通用しないように、現実にも通用しないのだ」
 これは副帝としてガリアを統治しているときに増税の提案に対して発言したものだが、今の日本の政治家にも聞かせたい言葉である。
 彼を取りまく人物も魅力的である。同じ学塾で哲学を学んだ親友のゾナス。ユリアヌスを愛し、彼を助ける軽業師の娘ディア。この二人は作者が創作した人物であり効果的に配置されている。ユリアヌスの父と兄を死に追い込んだ猜疑心の強い皇帝コンスタンティウスからユリアヌスを守り彼を愛した皇后エウセビアも印象に残る。ユリアヌスをおとしいれようとして陰謀を張りめぐらす宦官たち、なかでも侍従長のエウビウスは不気味で悪人としての魅力を持つ。
 史実をもとにしながらそれを膨らませ生命を吹き込んだ作者の想像力は素晴らしい。愛と友情、陰謀と血なまぐさい殺戮、戦争など、この作品には読者が歴史小説に求めるもののすべてがある。文庫本で1200頁という長大な作品にもかかわらず、ほとんど破綻が無いというのも驚きである。物語として面白いだけでなく、古典のような重厚な味わいのある作品だった。

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紙の本ドリアン・グレイの肖像

2008/02/25 09:27

若さを失った者の小説

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 外国文学の主人公には印象的な名前が多い。日本文学では漱石の小説の三四郎ぐらいしか思い浮かばないが、外国文学となるとジュリアン・ソレル、エンマ・ボヴァリー、アンナ・カレーニナ、テス、ハックルベリー・フィン、ギャツビー、ジキルとハイドなどがすぐに思い浮かぶ。これらは名作の主人公の名前であるだけでなく、典型的なキャラクターをあらわす代名詞のようになっている。
 この作品の主人公ドリアン・グレイもそういった名前のひとつである。悪魔に魂を売って永遠の若さを手に入れた美青年ということになっている。この名前の響きには確かにそういう妖しい魅力がある。ドリアン・グレイの代わりに彼の肖像画が年をとるというところがこの作品の魅力の核心にあるのは間違いない。が、今回新訳(作品の雰囲気を損なうことなく読みやすい訳文に仕上がっている)で再読してみると今まと違った面が見えてきた。
 ドリアン・グレイは友人のバジル・ホールワードが描いた自分の肖像画を見て、自分が若さをいつまでも失わず、代わりに絵の方が年老いていくなら魂だって差し出す、とつぶやく。肖像画を見て自分の若さと美しさに気づいたのだ。だが、20歳そこそこの若者が、自分が年老いてゆくことに不安を感じるものだろうか。自分が20歳の頃は、年老いた自分など想像できなかった。そういうことを考えるのは若さを失いかけてからだろう。
 年譜を見ると、この作品を書いたときのワイルドは36歳。まだ中年とは言えないが、絶対的な若さはすでに失っている。この微妙な年代にこの作品が書かれたのは偶然ではないだろう。ドリアン・グレイの若さに対する執着は20歳の若者の発想ではなくて、若さを失いつつある30代後半の者の発想なのである。
 というわけで、どうしてもドリアン・グレイと作者のワイルドを重ねたくなる。この小説の終わりのドリアン・グレイは38歳でこの作品を書いたときの作者と同年代である。ワイルドはこの後、41歳の時に同性愛の罪で有罪となり投獄されている。二年後に出獄するが、その三年後には病気と貧窮のうちにパリで亡くなっている。ワイルドが自分のその後の人生を予感していたのかどうかはわからない。しかし、作家としての絶頂期にすべてを失うというのはなにか小説じみている。これは自伝的な小説ではないが、作者の心境を読みとることも可能なのではないかと思う。

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登場人物が魅力的なスウェーデン製ミステリ

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 三部作の合計が全世界で800万部を突破という大ベストセラーである。しかし、この作品はミステリのベストセラーにありがちな、薄っぺらなゲーム感覚の小説ではない。物語は自然だし、人物描写が上手く、ユーモアのセンスもいい。こういう作品は何も知らずに読むにかぎる。ここでは最小限のことを書いておきたい。
 閉ざされた島で起きた失踪事件という設定は古典的な本格推理小説を思わせるが、読み終わった印象は古くささはなく、むしろ今までにない新しさを感じさせる作品である。それはスウェーデンが舞台になっているということもあるが、何よりも登場人物が個性的で魅力があるからだろう。
 主人公のミカエルは正義感の強いジャーナリストだが、大物実業家の違法行為を暴くつもりが、逆に相手の罠にはまり名誉毀損で有罪になるという脇の甘さもある。また、離婚した妻とは今も会っているが、雑誌の共同経営者で結婚しているエリカと不倫関係にある。人好きのするタイプなのはいいが、女性関係は節操がない。
 もう一人の主人公はフリーの調査員リスベット。子供のころから問題児として見られ、今も後見人の管理下に置かれているが、天才的なハッカーで警備会社で調査員としての才能を認められる。しかし、人付き合いが苦手で誰にも心を開かない。警備会社社長のアルマンスキーがリスベットに父性本能を持ち、ぎごちない愛情表現をする場面は笑える。
 はじめはこのふたりの物語が別々に語られる。ミカエルの身元調査をしたことがきっかけとなり、彼の協力者となる。彼女はやがてミカエルを好きになっていく。
 この作品はミステリとして良くできているだけでなく、リスベットの成長の物語としても読めるし、ミカエルをとりまく女性たちの微妙な心理描写も面白い。これがデビュー作とは思えないほど完成度の高い作品である。だが、作者は三部作を残して心筋梗塞で亡くなっている。残念というほかない。

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紙の本ロング・グッドバイ

2007/03/27 09:16

再読の楽しみ

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この作品を読むのは今回で三度目となるが、清水俊二訳では「かなり多くの文章、あるいは文章の細部」が省略されていることを今回初めて知った。どちらかというと、細部を気にせずに物語りを楽しむための翻訳という感じがする。読みやすい反面、こぼれ落ちたものも少なくないように思う。その点村上春樹訳は原文に忠実で、細部までじっくり味わいながら読みたくなる。細部にこだわった理由は、あとがきの「寄り道の名人、細分の名人」に詳しく書かれている。
 村上春樹の翻訳本は本文を読み終わったあとに、巻末の解説を読むという楽しみもある。今回のあとがきは作品、作者、翻訳の三つの部分からなり、全体で40頁を越える長いものである。とくに作品について書かれた部分は、単なる解説ではなくて作品論といっていい刺激的な内容である。
 その中でももっとも興味深く読んだのは、『ロング・グッドバイ』とフィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』の関連性について述べた次の部分だ。
「この小説はフィリップ・マーロウの物語でありながら、同時にテリー・レノックスの物語でもある(中略)僕はある時期から、この『ロング・グッドバイ』という作品は、ひょっとしてスコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』を下敷きにしているのではあるまいかという考えを抱き始めた。」
 確かに、テリー・レノックスとジェイ・ギャツビー、マーロウとニック・キャラウェイを重ね合わせると理解しやすい。独創的な説ではあるが、村上春樹訳を読めばすんなり受け入れることができる。村上春樹訳の『グレート・ギャツビー』を読んでいればさらに理解しやすいだろう。
 村上説によって、フィッツジェラルド、チャンドラー、村上春樹がひとつの線で結ばれるようになった意義は大きい(自分にとってということだが)。今までは、村上春樹とフィッツジェラルドの関係は理解できても村上春樹にとってチャンドラーがなぜ重要な作家なのかはよくわからなかったからだ。
 もちろんこれはひとつの読み方であって、ミステリとして読むのが悪いというわけではない。が、今までと違った読み方ができるというのはなかなか楽しいことだ。再読の楽しみを与えてくれた村上春樹訳の『ロング・グッドバイ』は読者冥利に尽きる本である。

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ドストエフスキーとハードボイルド・村上ワールド

9人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 村上春樹の文章はひたすら心地よく、そこに書かれている物語はなんとも言えない不気味さがある。それが微妙なバランスを保ちながら、読者を最後まで惹きつけてはなさない。青豆と天吾というふたりの主人公の物語が交互に語られ手法は、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』と同じだが、この作品で完成の域に達した感がある。

 青豆がタクシーに乗っている場面から始まる第1章がまず素晴らしい。渋滞している首都高を走るタクシーの車内には、FM放送からヤナーチェックの『シンフォニエッタ』が流れている。タクシーのカーラジオにしては音がよすぎるし、タクシーの運転手の態度もどこかおかしい。仕事の待ち合わせに遅れそうな青豆は、タクシードライバーのアドバイスに従って首都高の非常階段から地上へ下りることになる。彼女はスーツに身を包み一見ビジネス・ウーマン風だが、彼女の仕事には犯罪のにおいがする。このミステリアスで危険な雰囲気がたまらない。
 青豆は表向きはマーシャルアーツのインストラクターをしているが、じつは女性を虐待した男を殺す裏の仕事を請け負っている。暇なときはシングルバーで男をあさる孤独な女性であるが、やがて彼女には意外な過去があることがわかる。
 青豆の章は村上春樹が愛読するチャンドラーのハードボイルドを読んでいるような面白さがある。さらに圧巻なのは青豆とカルト教壇の教祖の対決の場面である。この場面は『カラマーゾフの兄弟』のイワンとスメルジャコフの対話の場面を連想せるほどの圧倒的な迫力がある。

 もう一人の主人公である天吾は、予備校で数学の講師をしながら小説を書いている。彼は文芸雑誌の新人賞の下読みをしているが、彼が推薦した『空気さなぎ』という作品を編集者の小松からリライトするように依頼される。天吾は詐欺行為に加担することをためらうが、『空気さなぎ』の魅力に取り憑かれ、小松の依頼を受け入れてしまう。リライトされた『空気さなぎ』は出版され、大ベストセラーになる。
 天吾は青豆とは対照的に物静な文学青年といった感じである。同世代の女性との交際を避け、年上の人妻と付き合っている。結婚とか子供とか、責任をとるのがいやなのだ。この自由で気ままな生き方を好む主人公は、『ねじまき鳥クロニクル』までの村上作品と共通しており、村上春樹ファンにとってはおなじみのキャラクターである。

 このふたつの物語は1984年の東京を舞台にしており、青豆と天吾の物語がどのように交錯するのかということが最大の読みどころである。対照的に見えるふたりの主人公の過去が語られるにつれてつながりが少しずつ見えてくる。女性虐待やカルト教団などを扱いながら根元的な悪をテーマにしているが、単純に善悪の区別はできない。そういう意味ではドストエフスキー的な作品だと思う。読み出したら止まらない面白い作品であるが、読み終わってもしばらく余韻が残る。従来の村上春樹と新しい村上春樹が上手く絡みあいさらにパワーアップした村上ワールドをつくり出している。村上春樹の集大成といっていい傑作である。

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紙の本音楽は自由にする

2009/05/05 11:18

坂本龍一が音楽家になった経緯

10人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 坂本龍一ははしがきに「現在僕は音楽を職業としています。でも、どうしてそうなったのか、じぶんでもよくわからない」と書いている。これを読んで意外に思った人は多いだろう。坂本龍一ほどの才能のある人がたまたま音楽家になったなどと言われても信じられない。「また謙遜しているんだろう」ぐらいにしか思わないわけだが、この本を読むと、なるほどそういうわけだったのかということがよくわかる。

 小学生の頃の坂本龍一は映画の『大脱走』を真似て遊んだり、近くの川を筏で下ったりするごく普通の元気な子供だった。一年生のときからピアノを習っていたが、英才教育というようなものではなかった。ところが5年生のときに、ピアノの先生から別の先生について作曲を習うように進められる。本人も母親も気が進まずはじめは拒んだが、先生が執拗に進めるので根負けして芸大の先生から作曲を習うことになる。それにしても、ピアノを習いに来ているだけの小学5年生の作曲の才能を見抜く教師の眼力には驚かされる。
 中学にはいると本格的に作曲の勉強に打ち込むようになる。そしてドビュッシーに熱中する。自分がドビュッシーの生まれ変わりだと思うようになり、ドビュッシーの筆跡を真似てサインまで練習したというから、そののめり込み方がすさまじい。この辺から普通の中学生とは違ってくるが、まだ音楽家を目指していたわけではない。
 高校に入ってもそれは変わらない。授業が終わると新宿のジャズ喫茶に行ったり、相変わらず好きなことばかりやっている。そして高校の先生に紹介されて会った作曲家の池辺晋一郎に作った曲を聴かせると、「芸大の作曲科、今受けても受かるよ」と言わる。それが高校一年のときである。それからはますます勉強しなくなり、好きなことばかりやるようになる。まさに「バラ色の人生」である。しかし、遊んでばかりいたとはいえ、この頃すでに現代音楽を聴いており、音楽的にはかなり早熟だったといえる。
 学生運動に興味を持ったのもこの頃で、三年のときにはストライキを経験する。同じ頃教育大附属駒場高校でストライキを経験した四方田犬彦は、『ハイスクール1968』の中で、封鎖された音楽室で坂本龍一がドビュッシーを演奏していたという噂が流れたと書いている(それについて坂本龍一は、「よく覚えていません。もし、そんなことをしたとすれば間違いなく、モテようと思ってのことでしょうね」と言っている)。
 芸大入学後も授業にはあまり出ていない。音楽学部はお金持ちのお嬢さん、お坊ちゃんタイプが多く、「全体として乙女の花園」という感じだったので、完全に浮いていたらしい。一方、美術学部には「変なやつが多く」、こちらに入り浸るようになったということである。美術学部の学生を引き連れてデモに行ったり、相変わらすである。
 大学3年の頃にはフォーク・シンガーの友部正人と知り合い意気投合し、半年ぐらい一緒に日本中のライブハウスを回っている。その後もジャンルの異なるミュージシャンとの交流が続き、やがてYMO結成に至る。
 
 ここまで読むと、坂本龍一がなぜ音楽家になったのか「じぶんでもよくわからない」と言った意味がよくわかる。若いころの坂本龍一は、好き嫌いがはっきりしていてかなりとんがっていたが、その反面、気が合えばすぐに仲良くなる。素直で人に惚れやすい性格なのだ。クラシックという枠を越えた様々なジャンルの人との交流は、その後の活動に決定的な影響を与える。YMOに参加しなければ大島渚の目にとまることもなかっただろう。さらに「戦場のメリークリスマス」にかかわったことが「ラスト・エンペラー」に結びつく。この自由なこころが坂本龍一の長所であり、魅力なのだと思う。

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紙の本ガラスの宮殿

2008/02/04 09:34

壮大な民衆の歴史

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ビルマ、インド、マラヤを舞台にした三家族の三世代にわたる物語である。それは家族の歴史であると同時に民衆の歴史でもある。この作品はビルマ(ミャンマー)とインドについて多くのことを教えてくれる。しかし、少しも堅苦しさはなく物語を楽しむことができるのがうれしい。イギリスで50万部を売り上げるベストセラーになったというだけあって、作品としての面白さは群を抜いている。

 物語はインド人の孤児ラージクマールとビルマ王妃の侍女ドリーとの出会からはじまる。イギリス軍がビルマの首都マンダレーに侵攻して大混乱に陥っていたときの出来事である。その後、ドリーはイギリスによって軟禁された国王と共にインドのラトナギリで暮らすことになる。20数年後、材木の商いで成功し大金持ちになったラージクマールは、ドリーを探しだし彼女に結婚を申し込む。ドリーははじめ躊躇していたが、インド人の収税官夫人ウマの仲立ちによって結婚を決意する。ふたりの友情は終生続くことになる。ドリーとウマの細やかな感情描写はとても男性の作家とは思えない。
 このふたつの家族とラージクマールの父親代わりの中国系のサヤー・ジョンの家族を中心に物語は展開する。このあと彼らはやがて大きな歴史の流れに翻弄されるが、ラージクマールが「自分の愛するものは自分で選ぶより仕方がない」というように、決して受け身にはならない。彼らが愛し合い、ときに対立しながら運命に立ち向かう姿は感動的である。

 この作品のもうひとつの読みどころは、ビルマ人とインド人の微妙は関係を描いているところである。資源に恵まれた豊かな国ビルマには多くのインド人が移住しており、彼らの多くはビルマの経済界を支配している。その一人であるラージクマールが言うには、インド人がいなければビルマの経済は成り立たない。だが、ビルマ人とインド人の対立は深まりやがてビルマ人の暴動に発展する。そしてそれを鎮圧するのは同じ被支配民族であるインド人で組織されたインド軍なのである。
 この矛盾は第二次世界大戦でもっと複雑な様相を呈する。イギリスはインド軍で日本軍と戦うことになるのだが、インド兵の中には脱走してインド国民軍に入るものが出てくる。彼らは日本軍と共にインド軍と戦うことになる。ウマの甥でインド軍初のインド人士官となったアルジャンもその一人だ。インド人士官は白人と同じ扱いだが、何かと差別されことが多い。はじめは忠実な士官だったアルジャンだが、友達に感化され悩んだ末にインド国民軍に入る。ゴーシュの父親もインド軍の士官で、インド国民軍と戦ったという。どちらが正しいかということは簡単には言えない。

 これだけ複雑な内容をわかりやすく表現し、しかも面白い作品に仕上がっているのは驚きである。ビルマ人とインド人の視点から第二次世界大戦が描かれている点も非常に興味深い。アミタヴ・ゴーシュの他の作品も読みたくなった。

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紙の本先生とわたし

2007/07/31 08:46

師とはあやまちを犯しやすいものである

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タイトルの「先生」は著者の大学時代の恩師である英文学者の由良君美のこと。今では忘れられた名前だが、当時は渋澤龍彦や山口昌男に並ぶ存在だったらしい。本書は「師であった由良君美の足あとを辿り、彼がわたしに与えてくれた事柄を再検討する目的で」書かれている。東大駒場という狭い世界の話ではあるが、著者との濃密な師弟関係が描かれていて非常に興味深い本だった。
 大学入学後も自分の進路を決めかねていた四方田は、教養課程2年に進級したときに友達に誘われて由良ゼミに入る。由良の講義は英文学という枠を大きく越えたものだった。四方田は由良の圧倒的な知識と読書量に圧倒される。しかし、由良は教室の学生を魅了する一方で、東大出身でない(それは当時の東大としては例外的だった)ために学内で孤立しがちだった。
 やがて大学院に進んだ四方田は由良から翻訳や短い評論を依頼されるまでになる。だが、80年代に入ると由良は元気がなくなる。酒量が増え、奇行が目立つようになったのもこの時期である。いつの間にか立場が逆転し、四方田の方が由良に新しい文学理論を紹介する側になっていた。やがてふたりの間に見えない亀裂が入り、由良の暴力によってその関係は終わる。
 ここまで読み進めば由良が弟子である四方田に嫉妬したのではないかと想像がつく。だが、四方田がそれを知ったのは本書のために関係者へインタビューしてからだった。四方田ははじめは当惑を感じる。「偉大な知のカリスマ」であり続けた師が自分に嫉妬するとは思えなかったからである。それを受け入れることができたのは「弟子の観点から師を仰ぎ見る」のではなく、「師の側にたって弟子を見る」ことに気づいたからだ。50代になってようやく「彼が体験したはずの人生に対する絶望と孤独を、推し量れる」ようになったのだった。
 いつものことながら著者の筆力と構成力には感心させられる。前半はゼミの熱気が伝わってきて『ハイスクール1968』のように面白く、後半は暗く絶望的な内容ながら深い味わいがあった。著者が師の嫉妬に戸惑いながらもそれを受け入れるところは感動的である。もちろんそれによって自己を正当化するわけではない。「師とはあやまちを犯しやすいものである」というスタイナーの言葉は教師である自分自身にも向けられているからだ。師弟関係とはそれほど微妙なのだ。

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紙の本フランク・オコナー短篇集

2008/12/15 18:48

オコナーの短篇と翻訳の素晴らしさについて

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 少し前まではオコナーと言えばフラナリー・オコナーのことであり、フランク・オコナーは思い浮かばなかった。日本で注目されるようになったのは、2006年に村上春樹が「フラナリー・オコナー国際短篇賞」を受賞してからだが、そのおかげで短篇集が出版されたのは嬉しいことだ。現在購入可能な唯一のオコナーの作品集というだけで貴重だが、これが非常に優れた翻訳なのである。

 この短篇集に収録されている「国賓」という作品は、同じ岩波文庫の『アイルランド短篇選』(橋本槙矩訳)にも訳出されているが、読み比べてみると阿部公彦訳の方がはるかに分かりやすく優れた翻訳であることが分かる。この短篇集では橋本槙矩訳で分かりにくかったな文章の微妙なニュアンスが表現されていて、ユーモアや登場人物の感情のぶれを感じることができる。

 物語の舞台は内戦下のアイルランド。語り手で主人公のアイルランド兵の役目はイギリス人の捕虜を監視することである。彼らはお互いに打ち解けて友達のように仲良くなっている。彼らは毎日トランプやおしゃべりをして過ごしていたが、やがて上からの命令でイギリス人を処刑しなければならなくなる。
 主人公がドノヴァンという同僚の兵士から、イギリス人が処刑されることを知らされる場面はとくに印象的だ。その一部を引用してみる。


「敵はこちらの人間を捕虜にしているが、どうも処刑するつもりのようだ」とドノヴァンが言った。「もし向こうがこちらの人間を処刑したら、俺たちも向こうの人間を処刑する」
「ベルチャーとホーキンズを処刑するってことか?」僕は訊いた。
「捕虜っていうのはそういうものだ」
「それならそうと、僕やノーブルにはじめから言っておいてくれるべきじゃないか」
「何言ってるんだ」ドノヴァンが言う。「そんなのは、わざわざ言わなくても当たり前のことだろ」
「当たり前じゃないよ、ドノヴァン」僕は言い返した。「こんなに長いこと一緒にいたら、当たり前じゃなくなる」


 イギリス人が処刑されると訊いた主人公は激しく動揺する。捕虜を処刑するのはドノヴァンにとっては「当たり前のこと」だが、主人公にとってはそうではない。主人公はまだうぶで無邪気さの残る20歳前後だろうと思われる。だから語り手の人称代名詞は「私」(橋本槙矩訳)ではなくて、「僕」でなくてはならない。彼は戦争の非人間性をまだ知らないのだ。この文章から主人公の驚き、怒り、悲しみが痛いほど伝わってくる。
 翻訳によって作品の印象が異なるのはめずらしいことではないが、とくにオコナーの作品は文章がデリケートで翻訳が難しいように思う。阿部公彦訳のオコナー作品を読むことができる我々は幸運だ。

 この短篇集にはその他、戦争から帰ってきた父親と幼い少年が、母親の愛情をめぐって対立する様子をユーモラスに描いた「ぼくのエディプス・コンプレックス」、亡くなった神父の元に届いた赤い花輪をめぐって神父の女性関係に想像を膨らませる「花輪」など十篇が収められている。いずれも名品、名訳である。

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紙の本運命の日 上

2008/09/28 10:41

娯楽性と文学性を兼ね備えた歴史小説の傑作

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 五年ぶりとなるデニス・ルイヘンの新作は、ボストン市警のストライキを扱った歴史小説である。暗くて地味な素材を面白い読み物に仕上げただけでなく、文学性の高さにも驚かされる。スタインベックの『怒りの葡萄』や『エデンの東』のようなスケールの大きさを感させじる傑作である。ルイヘンはエンターテインメントと純文学という垣根を軽軽と越えている。
 
 物語の舞台は、第一次世界大戦末期の1918年から終戦直後の1919年までのボストン。その頃、アメリカではロシア革命の影響を受けて、社会主義者、共産主義者、アナーキストなどがさかんに活動し、テロも頻発していた。その一方で、それを取り締まる側の警官も、低賃金と過酷な労働条件に苦しんでいた。
 主人公は、有能な警部を父に持つボストン市警の巡査ダニー・コグリン。ダニーは急進派グループに潜入してその動きを探るよう命じられるが、その一方で、警官の会合の様子を探る内に彼らに共感し、組合活動に参加するようになる。組合はストには消極的だったが、警察当局との交渉が難航しストに追い込まれていく。

 ストライキに至る過程がスリリングで面白いだけでなく、生き生きと描かれた登場人物も魅力的である。ダニーは警部の息子なのに出世に興味がない変わり者で、周囲の目を気にすることもなく黒人とも対等につき合う。組合の活動や結婚相手をめぐり父親とは対立するが、お互いに深いところでは理解している。父のトマスはダニーが自分の思い通りにならないことを理解しているが、息子たちの中で最も彼を愛している。この父子に共感する人は多いだろう。
 もう一人の主人公は黒人の元野球選手、ルーサー・ローレンス。物語の冒頭のベーブ・ルースたち大リーガーとの野球の試合で、ルーサーたち黒人チームは白人の不正な判定によって負けてしまう。このエピソードは、当時の黒人たちの置かれた状況をよくあらわしている。ベーブ・ルースはこの後も物語の要所で印象的な役割を果たす。
 この後ボストンにたどり着いたルーサーは、ダニーとノラ(ダニーの恋人)の親友になるが、ダニーやノラのような白人は例外的である。黒人と白人が一緒に歩いているだけで周囲からは白い目で見られるのだ。ルーサーはノラと一緒に歩くとき、彼女の使用人に見られるように一歩下がって歩いたりする。当時は、ルーサーの過去を執拗に探り出すマッケンナ警部補のような、黒人嫌いの白人が多数派だったのだろう。

 この作品に描かれた警官は労働運動を取り締まる権力の側の人間であり、同時に労働者でもある。ダニーはその間で悩むが、やがて労働運動に身を投じることになる。ダニーの父は過酷な労働条件に置かれた警官を理解しながらも権力の側に身を置かざるをえない。また、マッケンナ警部補は権力を使って黒人を差別しようとする。しかもダニーの父とマッケンナは、元はといえば貧しいアイルランド移民なのだ。この作品に描かれたことは、単純に善悪で分けられる話でない。
 作者はこれらの物語にダニーと父の対立、ルーサーとの友情、ダニーとノラの恋愛を描くことによって普遍性を持たせている。これだけいろいろな読み方のできる小説もめずらしい。これはルヘインのベストの作品であるだけでなく、ハードボイルド作家という枠を越えた作品でもある。ハードボイルド・ファンだけでなく、もっと幅広い読者に受け入れられる作品だと思う。

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