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  3. 綾瀬良太さんのレビュー一覧

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    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    中野 ジェームズ修一 (講師),日本放送協会 (編集),NHK出版 (編集)

    5つ星のうち 4.0 レビュー詳細を見る

綾瀬良太さんのレビュー一覧

投稿者:綾瀬良太

21 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本私の嫌いな10の言葉

2003/05/25 02:14

今だから言えます。私もその言葉、嫌いです。

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ここ数年の中島先生の活躍ぶりには目を見張るものがある。変人が多い哲学者の中にあって、中島先生は異彩を放っている。追随を許さないほど“筋金入りの変人”である。その瞳には、世間で「普通」に見えていることが「異常」に映っているのである。「人生を半分降りる」ことの啓蒙者であり、独自の「不幸論」を展開し、「ぐれる!」ことを推進する戦う哲学者は、自身が認めているように、かなり偏屈である。普通の社会人が交わすつきあいを嫌い、駅のアナウンスに抗議をする。私はそんな中島先生の屈折した、かたくなさに好感を抱く。自身の弱さを認め、積極的に孤独と向き合い、しゃぶりつくすように孤独を楽しむ先生の生き方に、したたかな「強さ」を感じる。
 同書は「もっと素直になれよ!」とか「ひとりで生きてるんじゃないからな!」といった「嫌いな言葉」を公表するスタイルを取っているが、実は「言葉」につっかかっているだけでない。言葉に文句を言ったり、因縁をつけているのではない。中島先生はその言葉の背景にあるマイノリティーの感性に異論を投げかけているのである。私たちは子供の頃から、日本人の美徳とされる「言葉」に縛られて生きてきた。時には「相手の気持ちを考えろ!」と説教され、「もっと素直になれよ!」と促されてきた。私はそういった言葉を聞くたびに、「うざったい」思いを抱き、どこか嘘っぽいと感じてきた。耳から入ってくるたびにイライラした。それらの言葉は、どこか居心地が悪かった。なじめなかった。そんな理不尽なことを言わないでほしい、と感じていても私には反論する言葉がなかった。多くの子供、少年少女は私と同じように「善良」な大人の発するものわかりのいい台詞に調教されてきたのである。
 しかし、中島先生は長年に及ぶ個人的な戦いを経て、そういった現実を批判するだけの言葉を手に入れたのである。先生は「善良」な大人があびせかける言葉が個人語を根こそぎ奪っていると追究する。さらに「個人の言語を潰す日本文化」に嫌悪感をあらわす。言葉で戦うことができず、真剣に考えることができなくなった日本人に向かって、中島先生は苛立っているのだ。そう言えば「相手の気持ちを考えろ!」と叱責されると、正論だけに文句が言えなかった。でも、美徳という援軍を従えた正論だけど、どこかうさんくさいと感じてきたことは確かだ。中島先生はそんなわだかまりをスッキリ解決してくれた。反対から読めば、本書は「そんな善良な人たちの、美徳らしき言葉に惑わされずに、自分の言葉を養え、自分の精神を鍛えろ」と促す哲学者のメッセージなのである。ぬるま湯のように居心地のよい世界から抜け出し、ボロボロになってもいいから戦え、と。読み終えたら、新しい自分に出会った。いや、受け止め方が変わった自分を発見していた。今だから言えます。私も中島先生が嫌いな言葉を、とても嫌っていました。先生が公言してくれたので、私も「カミングアウト」します。そして「私もその言葉、嫌いです」と語れる自分が好きです。こっちのほうが居心地がいいんです、中島先生。口火を切って下さって、どうもありがとうございました。えっ? あっ、そうか、中島先生はそういう言葉もお嫌いでした、ね。

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世界のトンデモ法律64

2004/08/06 18:34

法律を読んで笑ったのは、生まれて初めて。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 たとえば、小粋なジョーク集のように読むことができる。でも、ジョークはあらかじめ誰かを笑わせるためにつくられたものだ。法律は「笑い」を取るものではないだろう? 
 しかし、この「世界のトンデモ法律64」は、法律を紹介している本なのに、十二分に笑わせてくれる。法律っておもしろい、と感じたのは初めての経験だ。
 たとえば、カナダの法律「魔法の使用は禁止」。この一行だけで苦笑する。だって魔法が使えることが前提になっている法律だからだ。「息がたまねぎ臭い子は、学校に来てはいけない」(アメリカ)という法律もぶっ飛んでいる。学校が子供を差別することをすすめているようなものだ。「『進化論』を教えてはいけない」(アメリカ)に至っては、時代錯誤もはなはだしく、時計が逆回転したかのようだ。
 また、法律は各国が抱えている問題を浮きぼりにしてくれる。「ドイツ語ができなければ国外退去」(オーストリア)や「フランス語が英語より小さな看板をあげたら罰金」(カナダ・ケベック州)などは、ナショナリズムの萌芽を感じさせる法律だ。
 本書は、そんなヘンな法律(日本人にとって)が生まれた背景、理由、その国の事情がユーモラスにつづられている。法律の本を読むというより、「異文化コミュニケーション」の本として受けとめたほうが賢明だ。「トイレで水を流さない人は罰金」(シンガポール)なのも、理由を知れば、当然の法律と納得! 
 
 「世界のトンデモ法律64」は、変わった法律を軽いタッチで紹介しているが、じつは異文化を紹介するためのひとつのアプローチなのだ。私は笑いながら、感心した。

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紙の本なにも願わない手を合わせる

2004/01/22 23:24

生きているうちに、死を想え。そして自分のために祈るのだ。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 親しい人が他界すると、生に向かう気持ちが変わってくる。自らも死に向かって生きている生物であることを自覚する。深い思索を続ける藤原新也は、兄の死を契機とした四国巡りの際に「祈りの迷走」を繰り返す。
 やがて題名のような境地に至る。それは悟りとは異なる、藤原新也流の「祈り」だ。彼は独白する。
 「海のような自分になりたい」
 解脱ではない。超越でもない。荒れ果てようとする、俗世間に生きることを自覚し、他者の不安や心の荒廃をも受けとめようとする、強い意志である。それは放置したまま、やり過ごすのでなく、抱きしめるような姿勢だ。
 生きている者が死を想うとき、生を見直す機会になる。同書からあふれる藤原新也の視線は、「東京漂流」のころから比べると、ずいぶん慈しみにあふれているように映る。だからといって藤原の批判精神が鈍ったわけではない。いや、本質をつまびらかにする視線は、すこぶる鋭敏だ。けっして錆びてはいない。
 同書に挿入された自作のカラー写真は、哀しく美しい。しかも、はかない。藤原の目に映る世界が、ゆるやかに変化している。それは「許すこと」を受け止める強さであろう。家族の死を受け止め、そして自身の老境を受け止める。
 「なにも願わない手を合わせる」には、静かな晴れた午後だが、冷たい風が吹いている。その冷たさは緊張感をもたらすほど心地よい。身が引き締まる一冊だ。

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私の脳が、私であることの不思議を、どうしても知りたかったのだ。

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 どうして脳という物質に、意識が生まれるのか。心とはどこにあり、どのように誕生するのか−。茂木さんも、そのことに没頭したのであろう。
 自分だけが感知する質感(クオリア)は、なぜ生まれるのか。それを問うことは、「私は何?」と自問することだ。
 茂木さんは説明する。「私の心の中で感じられるクオリアも、脳の中のダイナミックな神経機構を通して生成されてくる」と。だとすれば、私が見たもの、聴いたもの、触ったもの、味わったもの、嗅いだもの、映画、小説、舞台、自然、人工物、他人の言動、テレビなどすべてが、脳の中でミックスされ、ぐるぐるとかき回され、私だけの「意識」が生成されたということになる。それが私の意識であり、茂木さんの意識であるらしい。そしてその意識が、神経細胞の接続のふるまいによって、「考える」ことをしたり、記憶したり、話をしたりするわけだ。
 よーし、ここまではわかったきたぞ。と、私の脳が話しかける。いや、意識する。意識は、見ることや、聴くことや、触ることを含んで成り立つ。これは難易度の高いアクロバティックなことを、平気でこなしているわけだ。
 噂には聴いていたが、すごいじゃないか、脳は。
 「意識とはなにか」を読み進めれば、「意識とはなにか」と考える自分に出会う。その答えは、茂木さんとは異なるかもしれない。経験が異なり、言葉の定義が異なれば、やむをえない。それでも、意識に迫るアプローチは、大いに学べた。と、私の意識が喜んでいる。
 茂木さんは脳科学と言語学、コンピュータの垣根をとっぱらい、独自の目線で、人類の永遠の課題に取り組んでいる。私も自分なりに、自分のモノサシで考えてみた。そうだ、私の脳が、私であることの不思議を、どうしても知りたかったのだ。

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リセット

2004/02/17 20:15

逃げることは、脱走ではない。逃げることは、反撃なのだ。

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 目の前の問題から逃げる方策が「リセット」につづられている。私はそう考えてページをめくった。会社や結婚や借金を「リセット」するあらゆる手段は、確かに現実から逃げるかのように映る。しかし、最後まで読み通し、考えを改めた。
「リセット」の奥底には、本当のプラス思考の灯りがぼんやりとゆれているのだ。一般的には、この本は「マイナス思考のススメ」とくくられる。しかし、ここに描かれている現実は、必ずしもそうではない。
 絶望を直視しながらも、光を見出そうとするパワーがある。マイナス思考の底辺まで降りてゆき、そこから反撃に転じているからだろう、抜き身の迫力がある。これが骨太のプラス思考でなくて、何がプラス思考か。
 私たちは、いつも直面する問題の淵をウロチョロしながら、きわどく生きている。人生はおおむね苦しみの連続で、ラッキーストライクなど滅多にあるものではない。だから、逃げることは、決して脱走ではない。逃げることは、反撃なのだ。
 「リセット」はありままの自分を受け入れるところからスタートしている。弱さと惨めさと卑怯な自分を認め、それでも、誰かをアテにすることなく、人生を「生き直す」ことを淡々と説いている。筆者が感情を押し殺して書いているからこそ、現実が透視できる。目をそむけるな、これが現実だ、と。
 私たちは、直面する問題に四苦八苦している。その最中に奇跡的な勇気がわいてくることを、ごく小数の人間のみが経験する。
 「リセット」は残酷な人生を、少し距離を置いて眺めることのできるテキストである。誰もが知るように、危機的状況に鼻歌を歌える奴がいちばん強いのだ。

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紙の本13歳のハローワーク

2004/01/21 00:09

君は何に没頭しているときが、いちばんハッピーなの?

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 村上龍の小説には、日本人嫌悪を感じる。それは日本というシステムに対する不快感なのかもしれない。
 小説では「物語」のカタチでそれを指摘できる。しかし、現実に起こっている事態に肉薄する手法は、ほかにもある。「13歳のハローワーク」がそれだ。

 子供の頃、政治家の汚職事件を見るたびに、「金儲け」=「拝金主義」=「不純なもの」と刷り込まれてきた。それはときに本質を把握していたであろうし、まったく誤っていたこともあった。今になってみれば。
「金に汚い」ことが、「金が汚い」に移行していたのかもしれない。
 さて、働く、とは何か。自己実現とは、何か。
 自分の好きなこと続けながら、それを生活の糧にしていく方策を、中学校では教えてくれない。「そんな余裕はない」と、中学校の教師をしている友人は答える。それが現状だとすると、「この仕事、別にやりたかったわけじゃないけど、僕にできるのは、これくらいしかなかったから」と、弁明する青年が多く生まれることになる。仕事がおもしろくない。不本意だが、これが仕事だ。仕方がない。そんな思いで仕事を続ける青年が親になり、そんな親を見て育った子供の仕事観は、たぶんゆがめられるだろう。

 「お金があることで幸せが約束されるわけではないが、少なくともお金がないことで起こる不幸からは逃れられる」と、かつてどこかで村上龍は語っていた。お金がないことで発生する不幸、たとえば自殺、盗難、進学、友人関係にヒビが入る……というようなことは、実のところ、小学校で学ぶべきことなのかもしれない。
 そして同時に大切なのが、自分は何をしているときが、いちばんハッピーなのか? それを発見すること。その時期が、中学生なのだろう。
 自分が何をしているときが、いちばん充実しているのか? 寝食忘れて没頭できるものは何か? そして将来、それを仕事にするには、どういうスキルが必要なのか? 不幸なことに、学校ではそれは開陳されない。自分で扉を開くしかない。しかし、不幸にも扉がどこにあるのかわからない子供もいる。だから、村上龍は具体的な扉を用意したのだろう。それが「13歳のハローワーク」この本なのだ。

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「流通オンチ」にも理解できるわかりやすさ。

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 日本の流通システムを考えると、外国の経済学者が「暗黒大陸」と揶揄したことが思い出される。阿吽の呼吸による腹のさぐりあいで帳尻をあわせて、リベートをバックする……。
 なんのこっちゃ。さっぱりわかりません。こりゃ外国から航空母艦がやってきたら、日本の流通業界の言葉は通用しないゾ、と予想していた。
 そういった問題点が、この文庫本をサラサラと読んで、サクサクとわかった。要するに、日本の流通システムには特異性があり、それがこれまで流通経済を支えていたが、これからは「そうは問屋が卸さない」ということになるのだ。このように引用されたダジャレはポンと膝を叩く。実例が身近なので、とても理解しやすい。 難解なシステムを難解に説明するのは、意味がない。それはアカデミックに任せたい。文庫本というスタイルのコンビニエンスを体言化しているわけだから、難解なシステムは翻訳されなければならない。「流通のしくみ」は、それを平明な言葉に翻訳し、流通オンチの私にも丁寧に教えてくれる。だいたい「しくみ」と平かなで綴るくらいだから内容も親切だ。
 ああ、こんな先生が高校時代にいたらな。きっと大学の経済学部に入って、いまごろは流通マンになっていたのに。ま、そんなことはなかっただろうが、それくらいわかりやすい本に仕上がっている。図式をふんだんに使っている点も好感。「トピックス」はややシニカルな文体だが、どれもこれも本質を突いていて苦笑する。そう、本来、身近なテーマである流通は、それくらい気軽に学ぶべきものなのだ。
 これからも、こうったコンパクトなシリーズを待ち望む。CDでいえば、聴きたい楽曲がオムニバスで編集されているような狙いは、多忙な現代人には最適。もっと詳しいことを知りたい読者には、専門書がある。
 流通ルートを経て、本が書店に並び、こうして私の手元に置かれたこと自体が「流通のしくみ」なのだから、これは本人が流通に参加していることを示唆しながら、自然に学ぶことを説いている本なのかもしれない。実用的な文庫本、感心しました。

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多重債務者にとって、どんな経済本よりありがたい「魔法の杖」。

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 「金持ち父さん」になれる本より「金なし倒産」を免れる方法を伝授してくれる本のほうがありがたい。同じ響きの「とうさん」だが、後者のほうがより恐ろしい。なぜなら私が多重債務者だから。それは「他人事」でなく、私が当事者だから。
 かつて多重債務者であることを公言することはタブーであった。かつて1億人全員が世界の中でもっとも「お金持ち」になることを目標に掲げていた頃は、特にそうだった。しかし、今は昔。今日では、その目標のずっと前に「自己破産しないこと」が目標になりつつある。いや、全員でなく、そういう人も確実に増えている。願いは一般的な生活ができること。その先に「金持ち父さん」になれる可能性があるということだ。異なる角度からスポットを当てるなら、これは事実である。多重債務者の私が証言しよう。
 筆者の加治氏は前作「借りたカネは返すな!」で借金に苦しむ人々に「たかが借金、首なんか吊るな!」とゲキを飛ばしてくれた。いや、飛ばしてくれただけでなく、具体的な再生法、平たくいえば借金を返さなくてもいい手練手管を教えてくれた。私はそれを天の啓示のように感じた。購入した当日、その本はバイブルになった。どんな経済本よりも、哲学書よりも、数千倍も価値があった。どんな友人の言葉よりありがたかった。そして決定打が同書である。加治氏は畳み掛けるように「借りたカネは帳消しにできるんだ」ということをあからさまに提示してくれる。具体的な手法をつまびらかにし、誰にでもできる合法的借金帳消し術をくりひろげてくれる。ページをめくりながら、カタルシスを禁じえなかった。
 国は特定の不良債権を抱えた企業に救いの手を差し伸べている。しかし、個人には救いの手はさしのべられてこなかった。それどころか、「ブラックリスト」だの「自己破産」だの、個人をおびえさせ、縮こまらせ、思考停止を促すようなメッセージばかりを大量に流し続けてきた。その結果、多くの債務者が「人間失格」の烙印をおされ、また自ら死を選ぶ人間も増えた。自殺を救うのは、愛の言葉ばかりではない。多くは経済的な問題から自殺を選ぶのである。だからそれを救済するのに必要な方法こそが命を救ってくれる言葉なのである。まず借金を帳消しにすることが先決。次に各自が新たに未来に向かって歩き始めるのである。
 多くの論客が発する「自己責任」の思想を多重債務者に当てはめると、「自分の借金と向かい合い、支払いの責任を放棄するのでなく、解決策を自分で見つけろ」ということになる。しかし、これまで誰もその方法を発信してくれなかった。なぜなら多くの書き手は、読者の高見に立っているからである。そして、書き手は今日明日の生活に窮していないからである。切実さがないから書けない。私小説でも、だ。しかし、加治氏は多くの多重債務者に接して確信したのであろう。弁護士ではなく、自分が借金のカラクリを教えてあげなければ、と。加治氏は借金の問題を「小さなことだね」と諭してくれた。そして勇気を持って借金を返さないことを選ぶという、ひとつの解決策を具現化してくれた。それは私にとって大きな道しるべとなった。同書は多重債務者にとって、まさに「魔法の杖」である。と同時に同書は痛烈な社会批評でもある。加治氏は借金を重ねる人間の弱さを認めながら、多重債務者を増大させる金融システムにも鋭く切り込んでいる。
 実は同書に習って、利息を計算し直したら、私は「ないはずの元金に利息がついて、それを払っていたこと」に気づいた。サラ金ってなんだそうだったのか。そして私は先月、東京簡易裁判所に特定調停を申し出た。これはノンフィクションである。まさにいま、生きている私の話である。

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紙の本「心」はあるのか

2003/05/14 23:48

橋爪先生、僕、「心」を見つけました。

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 おや、今回の橋爪先生の講義は、疑問形のタイトルである。しかも、対象は先生の得意科目である社会学を背景にした憲法や天皇制でもなければ、北朝鮮でも宗教でもない。驚くことに、今回、論客がまな板の上に乗せた素材は、心であった。 「心」はあるのか?と問われると普通の読者は「あるに決まっている」と答えるであろう。しかし、気鋭の社会学者は「心は表出される場所は、言葉や行為である。言葉や行為という表れにおいて、心があるのではないか」と、異論を突きつける。まさか、といぶかしく思った。しかし、ゆっくりと言葉をめくり、心のありかを掘り起こせば、橋爪先生の疑問符の答えは、呼応する。つまり、読み手もまた言葉をたぐり寄せ、理解しようとしているからである。この「言葉」や「読む」というアクションがあるから、読み手の「心」もここにあるのだ。読み手の中に隠されているのでなく、見たり、聞いたり、触ったりする場所にあるのである。「心、ここにあらず」とは方便。橋爪先生は、大脳生理学でも心理学でも解けない真理を、教えてくれた。社会学者の筆者にとって門外漢に思えるテーマ、心の概念を問い直す作業はますます挑戦的で、どこまでも潔い。そのペン先は哲学の領域を通過し、原子や光子を扱う「量子理論」に近い領域までたどりつく。つまり、0か1の世界でなく、0であり、1である「量子論」の概念、心はあるが、心はそこにはない。同時に「ある」ものと「ない」ものが存在する。これは正解ですか、橋爪先生? ともあれ、稀代の論客の洞察は暗黒のように深い。また、真実をのぞきこんでしまった。そんな一冊だ。おや、僕の心が激しく動いたようだ。そしてレビューを書いている。この行為こそが、心がある証明なんですね。橋爪先生、僕、「心」を見つけました。

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今日的な「高感度消費者」をあぶりだす、手軽なマーケット本。

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書店で平積みされているストライプのカバーが目にとまった。タイトル文字は小さい。「って感じ。」と記してある。パラパラとめくって見ると、実際のアンケートに基づいて抽出された指数から「高感度消費者」とはどのような傾向を示すのかをレポートしていることがわかった。顔の見えない高感度消費者を追うには、その消費スタイルを顕在化させることであぶりだすしか手はない。そこから今日的な「高感度」なライフスタイルを生きる人々が浮かび上がってくる、という図式である。本書で取り上げられている消費者は、総じて可処分所得が高く、可処分時間も多い。つまり、高感度消費者になるには、金と時間が必要なのである。金と時間があれば、精神的な余裕が生まれる。だからファッションにも音楽にもエコスタイルにも関心を持つ。待てよ、これは「デフレスパイラル」の反対の座標軸にある話題ではないか。そうだ、これは適度な消費生活を満喫している人々の実態に迫るレポート形式のマーケット本なのである。そうして読み砕いていくと、ふむふむ、なるほど、アンテナを張り巡らせた人々(成熟した大人)は、このような消費スタイルを実行しているのか、ということがぼんやりと見えてくる。この「ぼんやり」具合が大切なのである。なぜかといえば、ある局面では一人の人間が併せもつ傾向であるし、ある局面では同じ人であっても表面化しない傾向であるからだ。つまり、一人ひとりが情報を選択し、咀嚼し、必要な情報だけを活用している時代にあって、高感度な消費者とは多面性を持つ、まさにカバーに描かれた「ストライプ」のような多重構造を生きているのである。なるほど、だから「って感じ。」なのである。ここには決め付けはない。あくまでも「感じ」な気分なのである。それが1冊のレポートと著名人のインタビューを通して曖昧ながら見えてくる。レポートは各指標を検証する形を取っており、実際の企業やショップの取材を通して得たコメントを事実として紹介することに徹している。押し付けがましい表現がないところは好感。意外な指標があるところも、また勉強になる。マーケット本としては異例の、ビジュアルムック本スタイルであることも、手軽なマーケット本としてポイントは高い。総じて「ポップなマーケット本」って感じである。

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脳の老化でなく、感情の老化が危ない。

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 和田秀樹は「大人のための勉強法」を一読してから、興味を持った人物だ。
 「40歳から『脳』と『心』を活性化する」は、脳と心の老化を正面からとらえている。同書によれば、脳の萎縮や老化は前頭葉から始まるという。これはどういうことかといえば、記憶力が低下するより前に、好奇心がしぼんでいくということなのである。なるほど、そのように指摘されると、心当たりがある。好奇心がなくなると、急に老いていく人がいる。日銀を定年退職した某氏は、退職後、すぐにボケてしまった。一個人として「やりたいこと」や「趣味」がなかったという。こういった人は、夫人や家族からお荷物とされる。残念だが、そういうことだ。
 感情の老化が先に始まり、続いて脳が老化していく。いや、感情をつかさどるのも脳の機能だから、「心」という言葉を使ったほうがわかりやすいかもしれない。
 「心」が不感症になると、人は老いる。60歳、70歳になっても、映画が観たい、おいしいものを食べたい、温泉に行きたい、と願っている老人は、心が老けていないのである。生命のエネルギーが消えていないのである。そういった意味では、老いらくの恋などは、エネルギーを燃やしているわけだから、たくましい限りだ。
 40代で老ける人、さらに充実していく人。この分岐点は明確だ。感情が老化すれば、リストラされる。積極性や意欲がなくなるからだ。反対にいえば、心の弾力性があれば、急に老けることはない。俗っぽくいえば、いろんなことに「スケベ」であることが若さを保つ秘訣なのではないだろうか?
 ほどよく枯れることが老境とされているが、ずっと「スケベ」でいるほうが長生きするような気がする。
 蛇足だが、五木寛之先生にも、ぜひ「老境のスケベ」について執筆していただきたいと思った。

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紙の本迷宮

2004/01/22 23:42

清水義範は、取り扱いに細心の注意を。

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 読めば、読むほど、迷宮に迷い込む。清水義範はパスティーシュの名手と思われがちだが、ミステリー仕立ての同作をもって、その認識を改めてほしい。
 精神分析の手法が、すこぶるよく調べてある。虚構を構築するために必要なすべての「ホンモノ」の情報が塗りこめられてあるから、不気味なリアリティーがある。しかも、きちんとユーモアもふりかけてある。犯人の調書や記事、小説が、犯人の本質に迫るどころか、対面した人々のウソとして映るとき、追っていた者が今度は追われているという構造に陥る。読者はどっちが正常なのか、俺は異常なのか、めくるめく交錯に誘われる。
 清水義範は、あなどれない。社会を冷徹に凝視し、人間のあやうさをどこまでも追求する。シャープな切り口は読み手巧者をも酔わせる。そう、清水は「迷宮」をつくらせたら右に出る者のいない作家だ。もうひとり挙げるとすれば、折原一しかいないだろう。彼らの特徴は、取り扱いに最新の注意を払わなければいけないことだ。読めば読むほどめまいが起こり、自分のあやうさまでも示唆してくれる、現代の精神安定剤なのである。

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歴史は分化する。松井先生、その先の未来は?

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 過去の「モノサシ」で未来を計ることはできない。未来を計るには、新しい「モノサシ」が必要だ。

 と、常日頃、私は考えてきました。なぜかといえば、過去のモノサシ、過去のスケール、過去の事例が、いま生きている自分に、あまり役に立たないからです。最近、特にひしひしと感じています。「あれれ、去年のモノサシ、今年、通用しないじゃん」と。応用問題を毎日こなしていると、未経験の難問・奇問が蜘蛛の子を散らしたように降り注ぎます。そこで、自分で解決するための手がかりを「知の体系」から探して歩きます。
 
 そんなある日、出会い頭に奇妙なタイトルの同書にぶつかりました。松井先生の独自の考え方に出会ったのです。「宇宙人としての生き方」は、決してSFではありません。宇宙論でもありません。
 20世紀の人間圏(松井先生は「圏」という言葉を使う)に成立したいろんな概念や制度をもとに21世紀を考えることはナンセンス。地球システムの中で、人間圏のおかれている条件が20世紀とまったく変わってしまったのだから。だから宇宙からの視点、「俯瞰的な視点」と「相対的な視点」で地球と人間を分析、洞察しよう−そう提言する松井先生は、これまでひとつの学問によりかかって難問・疑問を解決しようと努めてきた私に、新しい発想を示唆してくれました。
 文系の知識だけではおぼつかない。理工学の知識をレンタルしても、まだ足りない。遺伝子学も量子論も法律も建築も音楽も、総動員しないと、本質がつかめなくなっているんですね。つまり、パラダイムチェンジが起っているから、全体を見渡す見方をしないと、諸問題を解決する糸口は見えてこないわけです。
 「複雑系」は、その漢字を見ただけでむつかしく、また近寄りがたい印象を受けます。でも、同書は宇宙からの視点で、現代とはどのような時代か、文明とはなにか、我々とはなにか、我々はどこから来て、どこへ行くのか、といったむつかしいことを説いてくれます。人間が生き延びるために生きている存在ではないことを教えてくれます。
 同書は哲学と生物と歴史と宇宙と社会と環境と脳を、並列に平明に解き明かし、それが同時進行しているのが現代だということを伝えてくれます。
 「世の中はこんがらがっているんだ」と謳い、頭を混迷させる「複雑系」や親近感を抱かない「宇宙論」とは異なり、同書はスケールの大きなところから細部まで降りてくれる文明論であり、人間論であり、未来論なのです。ミクロとマクロを駆使し、時間軸を移動し、二元論や細分化する学問を見限り、新たな学問を構築しようとする姿勢に希望を感じます。
 
 そんな内容の同書は「知の体系」を編集する書店では、どのコーナーに置けばいいのか「?」という内容ですが、それも当然のこと。実は私たちの頭や社会が、すでに固有の領域を超えたところで動いているということの証明なんでしょうね。松井先生は、繰り返し「歴史は分化する」と語ります。宇宙も、地球も、私も、アナタも、分化する。そしてその先の未来はどうなるのか。松井先生は、ほんの少しだけ扉を開けて見せてくれます。
 あとは自分の頭でこじあけてごらん。松井先生は、行間の奥で、にっこり笑っているような気がします。文系にも興味を抱かせる良書です。
 

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紙の本恋愛の格差

2004/08/06 19:50

女性向けの「恋愛論」でなく、日本人「男性論」として読む。

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 村上龍は、ふがいない日本人、特に男性に嫌悪感を抱いているようだ。乾いた土地に雨が染み込むように、龍のいらだちが読み手にも浸透してきた。正しいか否かは別にして、龍の言い分はすんなりと理解できる。
 たとえば龍は、本書で不意に息を吐くようにこんなことをつぶやく。
「中央線のホームに佇むおとうさんたちはどうだろうか。ホームレスはどうだろうか。何かやりたいことや、やるべきことがあるのに、自殺を考えたり、ホームレスになってしまう人がいるだろうか」
 自分のやりたいことの優先順位が明確になっており、あるべき姿が見えている男性で、依存せずに生きていれば、誰も自殺を考えたり、ホームレスになったりはしない。明白だ。しかし、現実はそうなっていない。日本の閉塞感は、いわばサラリーマンの閉塞感なのである。これは私見だが、フリーランスは誰にも頼れないから、すべて自身で決定しなければいけない。明日から仕事がなくなる。一方、サラリーマンはリストラされない限り給料は得られる。自分の稼ぎを自分の才能や特別なスキルで稼ぎ出しているサラリーマンは、いったいどれくらいるのだろうか。日雇い肉体労働者の私は、実態をよく知らない。
 しかし、会社に食わしてもらっている男性とそうじゃない男性との間に、格差が生まれるのは当然である。それは生き方の格差だ。
 いまだに「勝ち組・負け組」などを意識しているサラリーマン、そんな言葉を使っている役員にも、あるいは恋愛はできないような気がする。
 会社が利益をあげているだけの「勝ち組」より、自分のスキルを研ぎ澄ました「価値組」が台頭すれば、この国の恋愛事情は変わるのだろう。「恋愛の格差」は、若い女性に向けた「恋愛論」の形をとっているが、じつは日本人「男性論」なのではないだろうか。

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紙の本ヒーローでわかる日本経済

2004/08/06 19:04

ウルトラマンも仮面にライダーも経済とリンク。ヒーローでひもとく本経済。

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 「ヒーローでわかる日本経済」は、戦後のヒーロー史を飾ったヒーローたちと日本経済の関係性をユーモラスに、しかしきちんと正面から捉えた稀有な経済本だ。
 サブカルチャーと経済を一緒にひもとく文脈は、どちらの知識が欠けていてもできない技である。構成と執筆者の力量、見識が不可欠である。単なる「おたく」にはできない作業である、と想像する。
 本書を読むと、スラスラと日本経済の大きな流れがわかる。しかも、そこにヒーローが絡むわけだから、1950年〜1970年生まれの読者は、親近感を抱くだろう。特に日本が経済の高度成長を迎える60年代に「ウルトラマン」が登場し、そのクライマックスに「仮面ライダー」が現われたことが、必然性を持つから不思議だ。円谷プロや石ノ森章太郎が、日本経済の流れを把握し、マーケティングに長けていたと見ることもできる。おそらくすべてのヒーローが「経済」活動とリンクしているからこそ、経済事象と符合するのであろう。
 どんな時代でもヒーローは、時代の空気や若者気質の「映し鏡」であった。ヒーローを学べば、日本経済の文脈が理解できる。この難しい企画に賛同した「ゲーム理論」で知られる梶井厚志氏も、じつは遊び心を持った経済学者であったことに安心感を覚える。
 同書を繰り返し読めば、強力なヒーローが、日本経済の転換期に現われていることが見えてくる。それは現実の社会に、大衆が求めるヒーローが不在であるからこそ登場したようにも思えてくる。それでは、そろそろヒーロー界に偉大な救世主が登場するということになるが、はたしてどのようヒーローが脚光をあびるのか。楽しみである。

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