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先月(2017年6月)

ろこのすけさんのレビュー一覧

投稿者:ろこのすけ

21 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本小説日本婦道記 改版

2004/03/09 20:08

むだな描写は木の葉一枚でも許さぬという心意気で書かれた作品

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

武家の時代に男は命をかけて主君に使えていた。一方それを支えていた妻や女達も献身的に、時には不遇を予期しても凛とした生涯をつらぬいてきた。
本書はそんなつつましくけなげに生きてきた多くの日本の母や妻や女たちの生き様11篇を編んだものである。主題は聡明な日本女性の魂の力強さと美しさにある。「それはその連れそっている夫も気づかないというところに非常に美しくあらわれる」と作者自身が語っている。
11篇の中でも第1作の『松の花』は本書の巻頭になくてはならない作品だ。
『主人公藤右衛門64歳は古今の誉れ高き女性達を録した「松の花」の稿本の校閲をしていた。そんな折、妻やす女が不治の病で臨終の床にいた。妻の末期の水を唇にとってやった籐右衛門は夜具の外にこぼれた妻の手を夜具に入れ直してやろうとしてはっとする。そのまだぬくみのある手は千石という豊かな禄を得る主婦の手ではなかった。ひどく荒れた甲、朝な夕な、水をつかい針を持ち、くりやに働く者と同じ手であった。なぜこんな荒れた手に? その疑問はやがて解明する。そして籐右衛門は「これほどのことに、どうして気がつかなかったのであろう。自分が無事にご奉公できたのも、陰にやす女の力があったからではないか、こんな身近なことが自分には分からなかった。妻が死ぬまで、自分はまるで違う妻しか知らなかったのだ」』
…の述懐となり、「世に誉められるべき婦人達は誰にも知られず形に残ることもしないが柱を支える土台石となっている」とつぶやく。

これを読んで私は亡き母の手を思い出した。母の手も何十年と水をくぐった荒れた手だった。生前の母にねぎらいの言葉や感謝の言葉をかけることをしなかった父や子供の私。もしかしたらこの『松の花』のように母のことを何も知らないで過ぎてしまったのかもしれない。

本書は一時「女だけが不当に犠牲を払わされている」と批判されたこともあるようだが、さにあらず。作者自身は声を大にして「夫が苦しんでいるときに、妻も一緒になって苦しみ、1つの苦難を乗り切っていくという意味で書かれたものであり、女性だけが不当な犠牲を払っているわけではない。世の男性や父親達に読んで貰おうと思って書いたものだ」と述べている。

また本書は戦時中の用紙困窮している時に書かれたものだったので「むだな描写は木の葉一枚でも許さぬ」という心意気で書かれたものでもある。

読後、静かにわき上がる感動の涙と、襟を正して端座する心持ちになったのは私だけではないであろう。

本書を持って直木賞を受賞したが、氏は直木賞をはじめあらゆる文学賞をすべて辞退した。
氏にとって読者から与えられる以上の賞があるとは思われぬという固い信念の所以でもある。

じっくりと本書を味読されたし!

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日日松風を聴く

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

蔵書として手元にいつでも読みたい本というものがある。
赤ペンで印をつけたり、ページを折ったり、風呂の中で読んだりと…すさまじい読み方に耐えてきた風雪まみれの本には愛着がある。
私の一番の風雪本は「茶道雑誌」という表千家の月刊誌だ。一冊の月刊誌をぼろぼろになるまで読む。それこそ朝も晩も、風呂の中でも、もう中身を暗記するまで読むのだからすさまじい。そして背表紙に朱で自分なりのタイトルを記入する頃、次号が出る。気に入った号は次号が出ても併読する。暗記するほど読んでもまだ読むのだから我ながらあきれる。
そんなに執着し、愛着し、愛読してきた本をやめた。
師事していた先生が亡くなられてしまったから。
素晴らしい師の後に継ぐ師はおらず、一人で茶を嗜む程度になった私はあんなに熱情を傾けていた茶道雑誌から遠のいていった。
師を失って、弟子仲間と月に一回我が家の茶室で研究会を行うのみとなった。
弟子仲間の二人は私以上に茶道が好きなようだった。女3人集まればかしましいと言われるが、3人集まって朝から晩までお茶の稽古に励む間、交わされる雑談は皆無。
松風(釜から湯が沸く音がさながら松風の如しというまさに風雅な表現)だけが静かな茶室に聞こえる悠久。
みんなそれぞれ結婚し、子供もいて、職業を持つ主婦と職業人の顔を持つ忙しい女3人。
こんなに静かに熱く深く打ち込む「茶の道」とは何だろう?
自らにそう問うてみたその答えとは…?

それが本書の最初から終わりまでに脈打つものだ。
一言で言い表せる類のものでないもの。あえて言うなら「一期一会」を味わうことなのだろう
過去へ戻ることは出来ない。
未来へ先回りすることも出来ない。
今を味わうこと、一瞬一瞬に没入し、打ち込むとき、みえてくるものは限りなく広がった自由。
過去にも未来にもとらわれない、今にこそ自由を感じる。

寒い時は寒さを味わう。雨の日は雨を感じる。その瞬間を味わうこと。どんな日も、どんな時にもその刹那を味わうことにより自由な自分を生み出せるもの。
「お茶」とはそんな「生き方」。
「一期一会」
その瞬間は二度と同じでない。
その日、その時を慈しむ生き方。

お茶の稽古をはじめてから25年の年月が過ぎた著者が稽古の中から得た様々な感慨と自らの成長を重ね合わせた本書は同じ茶の道を愛す私と符丁し、共鳴し、一つ一つが腑に落ちて感動を覚えた。森下さん、よくぞ書いてくれました!

お茶を通じて「一期一会」、二度と同じでない瞬間を、その日を、その時を、その刹那を慈しむ生き方を学び取った著者の、自らを育んできた宝物を多くの読者にも味読、熟読、愛読して頂きたい。

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紙の本人生力が運を呼ぶ

2004/02/27 02:14

闇屋あがりの哲学者とテキ屋あがりの英文学者の希有な対談

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

73才の英文学者と75才の哲学者の対談を元に起こした本というので、学者でおじさんで、哲学だの英文学だの…つまらない堅苦しいおじさん同士の本だと思ったら大間違いだった。

お二人とも奇しくも同郷の出(山形県鶴岡)。
木田氏は満州、海軍、原爆、敗戦、闇や、引き上げ家族の家計の柱となった経歴の持ち主。
片や渡部氏は敗戦後のどさくさを露天商をして糊口をしのいだ経歴。

早い話が闇屋あがりの哲学者とテキ屋あがりの英文学者。

こんな経歴の学者が他にいるだろうか?!
めったなことでは聞けない話が満載で、一人分の話だけでも十分本が一冊できあがるような話題ばかり。それが二人とあっては勿体ないくらいの本である。

闇屋とテキ屋を経験した二人の学者の共通した青春とは、すぐれた先生との出逢い、乱読雑読の読書経験がその後の生き方に大きな影響を与え、それが「人生力」となったことだろう。

この対談で気付くことは渡部昇一氏の徹底した聞き上手にあると言える。自分を語る前に相手の木田氏を知りたい、氏の話を腰を据えてじっくり聞きたいという思いが相手の話を泉のように沸き出させ、それに添うようにまた自らを語ると言う「話し上手は聞き上手」のお手本のような対談となった。

特筆すべきは木田氏の集中的な語学習得法。
英文学者の渡部氏も頭(こうべ)を下げるほどの学習法とは、

 「種も仕掛けもありません。要は丸暗記ですよ。
 まだ中学生のころです。父から教わった暗記法のポイントが三つですね。
 人間は昨日のことは覚えているが、一昨日のことは忘れるものだ、と父はいうわけです。だから、毎日やらなきゃだめだと。一日でも空けたら忘れる。忘れたら面白くないからやめてしまう。だから、何かをマスターしようと取りかかったら、一日も休んではならないと。毎日やる。これが一つですね。
 それから、普通の頭なら五日間続けて同じことをやったら、まず覚えるものだ、と。だから、最低五日間は同じことを繰り返せというわけです。これが二つ目。
 三つ目は、目で見ただけではなかなか覚えないものだ、というのです。手を使って書きながら覚えろということですね。」
この暗記法に基づいて、一日八時間から十時間、ドイツ語ばかりをやったという。薄い文法書を使って文法の骨格を覚える。あとは、カントの『純粋理性批判』を、辞書で片っ端から単語を引いて、出てくる単語はすべて丸暗記。これをみっちり脇目も振らずに三か月。それでドイツ語をものにしたという。
 
さらに木田氏はこうも言う。
 「文系でも経済学には実社会の経済という実体があり、社会学ならこれも実社会の現象や風俗という研究対象があります。では、哲学には何があるのか。テキストしかないんです。テキストを研究することによって考えていく。これが哲学をやるということの実質であるわけです。だとしたら、テキストを正確に読む訓練をしなくてどうするんですか。テキストを正確に読むことが哲学をやる基本、哲学の王道だと私は思っているんです。」

かくして青年期に幾人ものすぐれた先生との出逢い、乱読雑読した読書体験とが育んできた燃えるような知的情熱が礎となって学問に精進してきたその道は「人世力」と繋がるものと言えよう。

お二人は今の世情をこう見る。
今は将来に制約がない。自由だとはいっても、必ず望むような生き方ができるわけではないんだから。望むような将来を手にするためには能力とそれ以上の努力がなければならない。努力の度合いは制約がほとんどない、今のほうが大きいかもしれない。

本著は実に面白くかつ得るものは多い。

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紙の本ひとり暮らしののぞみさん

2003/10/16 12:53

そらいっぱいの「一」

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「ひとり暮しの のぞみさん」は物語絵本。
絵は大野八生さんの絵でこれが素晴らしくこの絵本にマッチしていてほのぼの、ひたひた、心に染みて実に、実に良い。

ひとり暮らしののぞみさんの部屋にはからっぽの鳥かごが一つある。ある日そのとりかごがどんどん大きくなって部屋いっぱいのおおきさになってしまった。そこへおおきめの小鳥とちいさめの小鳥がやってくる。

そこからこのお話がはじまる。
のぞみさんとこの2羽の小鳥たちの生活ぶりはまるで寒い日に飲むあったかいココアのよう。読みながら自然と顔がほころんでいる自分にきがつく。ぽかぽか、にこにこ読み進めるうちに、急にぽっかりと心に穴があく。大きめの小鳥が南の国へ渡っていってしまったからだ。
のぞみさんは「三から一をひいて二になった というのではなく一と一とをたして ニなのだ ということだった」と言う。この個所で私はどっと涙が出てきた。
母が亡くなった後のことを急に思い出したから。
そうだ、そうだ。ひいてニになったのでなく、一と一をたしてニにしたことが今の今になって気がついた。残されたもの達の心が寄り添いあって「ニ」にしたのだった。やがて小さめの小鳥まで去って行って「のぞみさん」は「三から二をひいて 一になった」。
でものぞみさんはこう思う。「三から二をひいて 一になった ともいえるがはじめから 一だった ともいえる」と。
でものぞみさんの「一」は今や空いっぱい、宇宙いっぱいの「一」であって、数なんかであらわしきれない大きな「一」となった。けっしてひとりぽっちの「一」なんかじゃない。
遠くへ行ってしまっても決して「ひとりぽっち」ではない大きな「一」を残して行ったものは何か?

私を長い間さみしくつらく、苦しめてきた「喪失感」がこの絵本で変わった。
あたたかくゆったりと「一」を噛み締める。
そんな絵本にめぐりあえた。
あったかい。

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紙の本壊れた脳生存する知

2004/03/23 03:05

脳が壊れた者にしか分からない世界。正常な人は気付かない、誰も立ち止まって見たことのない脳の中を赤裸々に描いた貴重な本である。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

著者は整形外科医の女医さんであるが、医大2年生の時に「一過性脳虚血発作」という軽い脳梗塞になり、医大6年生のときに「もやもや病」による脳出血、34歳で脳出血と脳梗塞、37歳の時脳出血と通算4度の脳卒中を経験する。

34歳の時の脳梗塞の後遺症により著者は「高次機能障害」となる。「高次機能障害」とは、ものの位置関係が理解しにくいもので靴のつま先とかかとをぎゃくに履いてしまったり、トイレの水の流しかたが思い出せない、時計が読めなくなったり、などの障害がでる。3歳児の子供を抱え、主婦として医者として著者は障害との苦闘がはじまる。

この本は脳が壊れた者にしか分からない世界。正常な人は気付かない、誰も立ち止まって見たことのない脳の中を赤裸々に患者側の目からと医者でもある著者の目から描いた貴重な本である。脳を病んでいても心も知能も壊れていないことを著者は身をもって立証して見せた記録でもある。

著者は病気を科学してみようと奮起する。
「脳卒中後、毎日繰り返す失敗やつらいリハビリをぼやいても病気がよくなるわけじゃない。へこんだまま立ち止まっていたくない。なぜ自分がこんなことで苦しんでいるのか原因が知りたかった。この障害を客観的に見つめて正体を突き止めたかった」と語る。

脳の障害に苦しんでいる人に著者はこういう。
「どんな脳でも必ず学習する。ただし、それには前提として、やろうという意志の力が必要である。それがある人は必ずよくなる」
ここを障害で苦しんでいる人に是非読んで欲しい。

また家族やセラピストの方々に著者は次のようにお願いする。
「どうかやたらと叱責したり「しっかりしなさい」とお尻を叩くのを控えて頂きたいと思う。出来なくなったことばかりに目を向けるのではなく、現状で「これもできる」「あんなこともできる」ということを捜し、患者さんのプライドを尊重しつつ、サポートしてほしい」と声を大にする。

重篤な右頭頂葉障害の手記は医学的にも希有な記録であるので医療関係者には熟読しおおいに参考文献として活用して頂きたい。また本書は回復への苦闘の実話でもあり、途中離婚経験をし、女手一つで子育てをし、医者を続けながら敢然と障害と闘い、自分を裸にし、さらけだして、不屈の意志の強さで生きていく女性の手記としても胸が熱くなり励まされる本である。

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紙の本本はこうして選ぶ買う

2004/02/10 23:21

当代きっての読書人の「とっておきの話」

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「おいしいもの」は、他人に教えてあげたいような、隠しておきたいような、そんな出し惜しみしたくなるような、痛快にして白眉きわまりない本である。

当代きっての読書人である著者は、のっけから実に痛快で小気味よく斉藤孝氏の「読書力」をサマーセット・モームの短編集「コスモポリタン」序文を引き合いにだし「検討」と称してばっさりと快刀を振り下ろす。
もうこうなると読者は一膝も二膝も乗り出して次の章へ進みたくなってうずうずしてくるではないか。
次に著者は「鎖鎌」を出してきて読者をぐいぐいとたぐりよせる。
…というのは著者独特の比喩を借りたまで。つまり「鎖鎌」というのは読んだ本に関連のある他の書物に食指を伸ばし、「鎖鎌」よろしく読んだ本の枝葉を生やそうというのである。

かくして話は文庫、新書の内容と価値、辞書類の評価、史書、辞書の買い方、古本屋とじっこんになる法など、話題は多岐に渡り、自らが豪語する「とっておき」のエピソードが織り込まれ、「本を買う、読む、読書の快楽」のアラベスク模様が彩なされるというわけである。

中でも「ほー」と思ったのは書評についてのエピソード。
新聞社が嫌がる「批判」をせずに書評する達人、向井敏さんの至芸とは:
「隅から隅まで誉めていながら、文章の背中で衝くべきは衝く、という手品のような腕前」
つまり良く知った間柄であろうと、本人にだけは必ず分かる痛いところをチクリと衝く。つまり「紳士の批評を志す方向」としての書評となるわけだ。

書評のまねごとを試みる私としては、この箇所を読んでさすがとこうべを垂れると共になにやら身がすくんでしまった。

かくして本書は当代きっての読書人である著者の「とっておき」の「本の話」なのである。

鋭い刀さばきかとみまごう程の筆さばきには、書物をこよなく愛する著者の熱き想いが込められていて、白眉極まりなくしかも面白い書であった。

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紙の本ちひろの詩

2003/11/03 21:11

沈黙の余情

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

そろそろ花やさんの店頭にシクラメンの花が並ぶ頃となった。

赤いシクラメンの花をみるたびに思い出すのが「いわさき ちひろ」さんの詩と絵「赤いシクラメンの花」。
シクラメンの花びらのひとひらに子供の顔が悲しげに描かれているのが印象的。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
赤いシクラメンの花

(前部省略)
ひとつひとついつとはなしにひらいては
仕事中のわたしとひとみをかわす

去年もおととしもその前の年も
ベトナムのこどもの頭の上に
爆弾はふった

赤いシクラメンの
その透き通った花びらのなかから
死んで行ったその子たちの
ひとみがささやく
    あたしたちの一生は
    ずっと戦争の中だけだったのよ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ちひろさんは声高に戦争反対などとは言わない。だけれども、戦争で傷つき死んで行った子供と母の目から詩を紡いだ。
この詩ができたベトナム戦争の惨禍からさらにまた、別の戦争が次々と起きている。そして対岸の火事のように安穏としていた日本が今、自衛隊を戦火の渦中に送り出そうとしている。

赤いシクラメンの花がほころびるとき
その花びらのひとひらに、ほほえみがこぼれるような、そんなひとときがいつの世にもあることを祈らないではいられない。

ちひろさんの絵は、背景を描かず余白がとても多くとられている。
それは見る者の心にそれぞれの考えを喚起する余白。
ちひろさんの沈黙の余情。

この「ちひろの詩」は、ちひろさんのうつくしくやさしいもの、素朴だけれど大切なものたちで溢れている絵と詩の本です。
この本を読んだ後、ちひろさんの余白、沈黙の余情に、あなたの心を投影してみてください。

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紙の本遠い朝の本たち

2004/03/31 18:58

魂の静寂を思わせる文章の礎となったものたち

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「何冊かの本が、ひとりの女の子の、すこし大げさに言えば人生の選択を左右することがある。その子は、しかし、そんなことには気づかないで、ただ、吸い込まれるように本を読んでいる。(省略)その子のなかには、本の世界が夏空の雲のように幾層にも重なって湧きあがり、その子自身がほとんど本になってしまう」

と言う書き出しではじまる「まがり角の本」の章。
幼い須賀さん自身がほとんど本になってしまうほど吸い込まれた本「ケティー物語」。北米の庭の広い家に暮らすケティーとその弟妹たちの物語。ケティーが須賀さんと同じ長女で総領だったことに親近感を覚えたという他に、庭についての想い出が重なって惹き付けてやまなかったこの本を12歳の須賀さんは愛読して終わりだったわけではない。

繰り返し読んだこの本の中に理解できない言葉「サテンの帯」(アメリカ人のいう「帯」ってなんだろう?)「車つきベッド」(一体何だろう?)、それらが須賀さんを「大きくなったら外国に行きたい」と思わしめ、「外国へ行ったらきっといろいろなことがわかるだろう」と誘(いざな)った。

つまり、冒頭の「何冊かの本が、ひとりの女の子の、すこし大げさに言えば人世の選択を左右することがある。」に至るのだった。

須賀さんが60歳に手が届くとき、長い間、実体のわからない言葉だったこの「車つきベッド」の存在をアメリカ旅行中に偶然にみつけ、ようやくその意味を知ることとなった。

50年間、この謎の言葉が「いくら窓を開けても出ていかない、しつこい煙みたいにくすぼり続けていたのを知って、私は大声をあげそうになった」と言わしめる。

1冊の本が人生の選択を左右し、深く内在しつづけ息づいていることは須賀さんにとって読書がもはや肉体の一部になっていることの証左なのであろう。

また「葦の中の声」の章では、アン・リンドバーグが指し示す「まやかしのない言葉たち、ものごとの本質をきっちりと捉えて、それ以上でもそれ以下にも書かないないという信念と、重かったり大きすぎたりする言葉を使わない」というアンの思考自体が須賀さんにとって均質なものだと吐露するに及んで、この思考はまぎれもなく須賀さん自身のものでもあることを読者は作品に伺い知ることが出来る。

人生が多くの翳りと、それと同じくらい豊かな光に満ちていることを知らなかった「遠い朝」、須賀さんが読んだ様々な本たちは、友達、弟妹、父母、叔父たちとの愛おしい思い出と紡ぎあって須賀さんという人物の陰影を深く濃いものにして私達の前にみせてくれた一冊。須賀さんが病床から推敲を加えた最晩年の作。

須賀さんの物事の本質をきっちりと捉え、それ以上でもそれ以下にも書かないない。重かったり大きすぎたりする言葉を使わない。といった自らを厳しく律した魂の静寂を思わせる文章の礎となった「遠い朝の本たち」。
本書は読者の心にいつまでも忘れ得ぬ「須賀敦子」を刻んでいく。

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無名

2004/02/05 23:11

父の骨を一つ一つ拾うがごとき鎮魂の作

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89歳で亡くなった沢木氏の実父への鎮魂の作。

抑えた筆致でしかし渾身の息子の想いがこめられていて感動をよんだ。
作者の父88歳の米寿を祝う席で、その父親が「少し長く生きすぎてしまったかもしれないな」と言う言葉に作者は無名で何事も為さず一合の酒と一冊の本を読むだけだった父の「無名の人の無名の人生」が決して長すぎなどしなかったことを、どうにかして父に知らせる方法はないかと考え始める。

そんな父が発病し、やがて死が遠くない事を漠と悟った作者は父に生きるはりをもたせるために、句集を出すことを考える。

結局は句集は間に合わず父は亡くなってしまうが、父亡き後に句集の編纂にあたる作者は、父親の句を一つ一つ選び拾っていくうちにそれは「父の骨を拾いなおしている」ような気がしてくる。

この作品はそう言う意味においても父の想い出を一つ一つ拾い集め、悼み、父の骨を拾う作品であると思った。

作中の介護の様子がまるで私の父親の時を思い出せて身につまされた。
病床の父の背中を熱いタオルで清拭していた時、父が「お父さんはね、死ぬのを待っているんだよ」とぽつんと言った言葉が忘れられない。私もぼんやり父の死を覚悟していた時だったので返す言葉がどうしても見つける事が出来なかった。
父に「生きて」と励ますことをしなかった私。
沢木耕太郎さんのように私も書く才があれば父の骨を一つ一つ拾うように書くだろう。

作者が当初思い立った
「無名の人の無名の人生」が決して長すぎなどしなかったことを、どうにかして父に知らせる方法はないか」と考えたことが、こうして奇しくも鎮魂の書として世にでたことは深い意味を持つ。

こんな息子を持ってこのご尊父は幸せだ。

抑えた文がこのご尊父の生き様を実に清々しく表わしていて白眉。
抑えたがゆえに息子の父を想う心が深く刻まれていて温かい。


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紙の本熊の敷石

2003/11/25 02:53

ホモイの貝の火を輝かすもの

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芥川賞受賞にふさわしい作品で読後、この作者への傾倒がさらに増すのを覚えた。
読後作者に会ってみたくなる、そんな作品の筆頭かもしれない。
三島由紀夫賞受賞作品「おぱらばん」で知られるように、仏文出身のこの著者の作品は不思議な雰囲気を醸す。
背景がフランスであるのに対して登場人物は常に移民たち、
ディアスポラ状況にあるものたちであるとことろがこの著者の特徴。
プロットがとても巧妙で洒落た構成になっていて、読後それに気づいた私は、思わず声にならない声をあげてしまった。

キーワードは「熊」「投げる物」「寓話」「ホモイの貝の火」「さまよえるディアスポラ」。

「熊の敷石」とはラ・フォンティーヌの寓話で、親友の老人の寝顔にハエがたかるのを追い払う役割の熊が、どうやっても追い払えない蝿にごうを煮やして敷石を投げ、ハエもろとも親友の頭までかち割ってしまった熊のお話。。
この訓話から転じて、「熊の敷石」とはいらぬお節介のこと。

登場人物のユダヤ系フランス人の友ヤンは父、祖父母のホロコーストの歴史を持ち、
日本人の主人公は過去に命のかかった逃亡などない時代に育った。
そんな二人の関係を主人公は
「社会的な地位や利害関係とは縁のない、ちょうど宮沢賢治のホモイが取り逃がした貝の火みたいな、それじたい触れることのできない距離を要請するかすかな炎みたいなもので、国籍や年齢や性別には収まらないそうした理解の火はふいに現われ、持続するときは持続し、消えるときは消える。不幸にして消えたあとも、しばらくはそのぬくもりが残る」と思う。

主人公は自分が大切に思ってきた「貝の火」を共有する距離について自問自答する。
自分と他者との距離、歴史に対する距離とどう関わっていくか。
言いかえればそれは「潮の引いたモン・サン・ミッシェル湾さながら、ふだん見えない遠浅の海でどこまでも歩いていけるような錯覚のうちに結ばれる」関係。
しかし、それは互いに見えないハエを叩き合っていて、投げるべきものを取り違っているのではないか、つまりあの熊の敷石のごとく。
人間や歴史、他者との関わりを個人としてどこまで共有できるのか。
それはホモイの「貝の火」のように種類をたがえて燃えて行くことなのか。

この作品はいくつかのエピソードをまじえているが先に挙げたキーワードにもあるように
主人公と友人との出会いのきっかけは「投げるもの」つまり、ペタンクと呼ばれる石を投げて遊ぶ競技が縁だった。そして列車でとなり合せた学生の「カマンベール投げ」のエピソードがあり、最後のオチでもあり、主題でもある熊が「投げた」敷石と繋がる。

実にさりげなく、しかし、力量を感じさせる筆はこびで温かな雰囲気と哀感をたたえた堀江ワールドに満ちていて白眉な読後感だった。

久しぶりに芥川賞と呼べるものに出会った。

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おばあちゃんの出発点は「勇気、度胸、笑い」

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77歳のおばあちゃまの英語留学記。

やー。すごいの一語につきる。感動した!(小泉総理じゃないけれど…)
90歳、現役医師日野原重明氏に影響され、また96歳の元女医、石田文枝さんの話に頭を「ガ−ン」となぐられたような気になり発奮。76歳で留学を決意。

留学前には不登校だったお孫さんと同居し、いつしかこの孫もおばあちゃんのパワフルな生き方に感化され大検に合格、見事早稲田大学理工学部に入学したという体験もふまえた人物。

2ヶ月のサマーセミナー英語留学はカナダでの大学寮生活からスタート。
留学生活では孫のような男子学生に慕われ、未知のコンピューターにもチャレンジ、趣味の短歌を英訳し、英文推理小説を日々愛読し、最後はコース終了生代表として名スピーチをするに至った。そのスピーチではカナダの風景を詠んだ短歌の英詩訳を織り交ぜ、われんばかりの拍手に送られて卒業。

中学程度の英語力から、かくも素晴らしい成果をあげたのはひとえに努力のたまものと言えるが、やはり尽きせぬ勉学への情熱。

77歳岡崎さんからのアドヴァイス は「勇気」「度胸」「笑い」で積極的に質問し、みんなに話しかければいつのまにか日常の英語が身に付くとのこと。
「英語に自信がない」と思っているひとでも「やる気」さえあれば楽しい学生生活が送れると言う。
具体的な日を追っての留学日記なので失敗あり、喜びあり、授業風景など、臨場感があって一気に読めるところが面白い。
岡崎さんいわく:
「留学したい」と思ったら、先ず第一歩を踏み出してみること!

岡崎さんが尊敬する日野原重明先生は「新しく創(はじ)めることを忘れなければ、いくつになっても老いることはない」と提唱されている。

まさにそれを体現して実証、77歳にして老いず。
「おばあちゃん」などという形容は取り外さなければならない。

目標を見失っている若者(高校生、フリーター)、中高年の方、ひきこもり、不登校の人達にも是非読んでいただきたい。
そして留学したいと思っているあなたに一言!

先ず第一歩を踏み出してみること!

この本から幾万もの勇気を戴いた。

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紙の本いつか王子駅で

2004/02/08 23:54

文学ってこういうものだったのよね

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三島由紀夫賞受賞の「おぱらばん」、芥川賞受賞作品「熊の敷石」読了以来、すっかり堀江ワールドの虜になってしまった私。

どの作品をとってもその「文学」の品格に酔わされる。
品格ある文の運び方、プロットの組み立て方の妙もさることながら、それに相反するかのように、登場人物は下町の市井の人であったり、移民だったりと、登場人物は隣人のような温もりを感じさせ、優しいまなざしの堀江文学に読者は魅了され、いつのまにか虜になっていく。

さて、この長編「いつか王子駅で」は
正吉という「左肩から上腕にかけてびっしりと彫られた紺青の龍の刺青が湯上がりに火照った肌からひときわ色濃く浮き出し、小柄な身体を拭くために両腕を動かすたびところどころ金を蒔いたふうに龍の胴体がうなって顔見知りの常連客たちをも黙らせるほどの迫力がある…」

という昇り龍の刺青がある印章の彫師、正吉が渋い味をだし冒頭から読者への呼び水を引き出す。

そして主人公の大学講師
「私」が昇り龍の正吉さんと知り合ったのは、東京の路面電車の走る町に越してきて、ちょうど半年ほど経った春先、偶然立ち寄った、定食も出すカウンターだけの小さな居酒屋「かおり」でのことだった。食後の珈琲を頼んだ「私」に、「居酒屋で珈琲を注文するたあ大した度胸だが、もずくを食ったあとに珈琲を飲むなんて無粋な真似は控えたほうがいいな」と声がした。「珈琲アリマス」とお品書きにあったので頼んだまでの話だが、男は一目見てその筋と思えたので黙っていると、彼も珈琲を注文しており、「なあんだ、あなたもですか」と言葉を返したのが始まりとなる。

そして堀江ワールドの別の魅力、本に関する情報が散りばめられていて魅力。
 詩人オーデン、横光利一、ジャック・オーディベルティ『モノラーユ』、島村利正『残菊抄』『清流譜』『奈良登大路町』『妙高の秋』、マーク・トウェイン、安岡章太郎『サアカスの馬』、岡本綺堂『半七捕物帳』、徳田秋声『あらくれ』、小林多喜二『蟹工船』、絵本『スーホの白い馬』などが素材として扱われていてそれを小説にからませて進んで行くあたりはもう見事と言うほかに言葉がみあたらない。

渋い魅力の刺青のある正吉が消えてしまったままになっていて小説が終わっていて、読者は一体彼はどうなったのだろうか?と続編をつい期待したくなる。

都電荒川線界隈の描写、競馬の回想シーン、本の感想、情報などを小説の中にからませて、どこを切り取ってもそこだけでも成り立つ匠わざ。
とにかく文体に品格があって、読ませる「文」。
筆力、文章の素晴らしさに痺れてしまう堀江ワールド。

文学ってこういうものだったのよねなどと思わず独り言がこぼれてしまう。

堀江さんってどんな人なのだろうか?
あってみたい…などともう恋してしまいそう…

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紙の本100万回生きたねこ

2003/11/16 17:58

生涯忘れないサムシングを心に残すとらねこ

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客人が来るという直前に読んだのが不覚だった。
涙が溢れてぐしゃぐしゃの顔になって客を迎えるはめになった。
もう巷に出まわって久しいこの絵本は1977年に第一刷発行。以来75刷を発行するに至った。
ゆうに26年もの長きに渡って読まれ続け、感動を与えてきた絵本だ。

100万回死んで、100万回生きたとらねこのお話。
100万人に飼われ、100万人に可愛がられ、100万回死んだときには100万人に悲しがられたとらねこ。
でもとらねこは誰も好きではなく、ただただ自分のことだけが好きで死ぬのなんか何とも思わない傲慢な猫…。
しかしこんな傲慢で自分だけしか愛せないとらねこが自分以外に好きな白猫をみつけた。
白ねこと子ねこの存在はとらねこにとっては自分よりも好きな存在でいつまでも生きていたいとおもうようになる。そんなたいせつな存在を失ってとらねこは生まれてはじめて泣いた。なきがらを両腕に抱きしめ天を仰いで泣くようすが見るものの胸をしめつける。
最後のページを繰るとその結末にあっと声をあげてしまう。

最後のページは読者に別の涙を流させる。

作者の佐野洋子さんは森茉莉さんの作品「魔利のひとりごと」の本のカバーと挿絵を書いていてその独特の絵は不思議な魔力を持っている。

この絵本「100万回生きたねこ」ではさらに圧倒的な心象風景をねこに憑依(ひょうい)させているようで、愛する白ねこの亡き骸を両腕に抱きかかえて慟哭するとらねこの表情は読むものの胸をしめつけないではいられない。心にやきつく絵だ。

おとなが読んで感動する絵本。勿論やわらかな感性の子供が読んだら生涯忘れないサムシングを心に残すことだろう。

読書する素晴らしさは読みながら心の中の感動を味わうものだ。そしてその余韻から生まれるさまざまな想いはいつしか深い泉のように心の中に流れ続けて感性の糸車を回させる。

読書する幸せをしみじみ感じた日だった。

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紙の本よこしまくん

2003/10/31 22:00

邪(よこしま)な私が「よこしまくん」で大笑い!

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真っ白なフェレットの「よこしまくん」はよこしまのシャツが大好き。
へそまがりでみえっぱりでええかっこしいだけど憎めないドジな奴って周りに一杯いるよね。
そんな典型な奴「よこしまくん」の日々とセリフが可笑しくって、お腹がよじれるくらい笑ってしまう本。
間違っても電車の中とか、授業中とか、仕事中に読んではいけません。
笑いをこらえるのが「やっとこさっとこ」なのですから!
ページを繰るたびに、にやり、うふふ、どひゃ! わは! おーおー。無理しちゃって! とか独り言が出てしまう本です。
何だか憎めない愛らしさ、すなおになれない「あまのじゃく」な面をいとおしむ気持ちが笑いと共にこみ上げてくる本。どこのページをいきなり開いても笑えます。
落ち込んでいる人、友人、病人、恋人、子供…周りの皆にプレゼントして一緒に笑いたくなる本です。

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忘れられる過去

2003/10/08 18:46

言の葉のたゆたい

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詩人荒川洋治さんの珠玉のエッセイだ。
どの言葉も詩のようで思惟に富んでやわらか。

「畑のことば」から抜粋:

年をとるとどうなるか。ことばとは別のものになる。…省略。
声をかけられて、たとえば田畑のなかから、ふと立ちあがるとき、顔がみえなくても、そこにはいわくいいがたい表情があるものである。また何もしていないときでも、そこから、そのひとから、静かな声のようなものが届けられるような、そんな感じになる。

人が放つ言葉の意味合いに荒川さんは言及する。
おとなが発する言葉に感心し、
積み重ねられた年月からほとばしる博識に感嘆する。
言葉が人間の中心にあって、主役になって働くことにたいして。

そしてさらにおとなになるとどうなるか。
つまり年をとるということ、
年をとるということは、その言葉の持つ意味合いと働きが別ものになるという。
即ち、抜粋として挙げたこととなると荒川さんは思うのである。

つまりことばよりもやわらかなもの、ゆたかなものが、新しく加えられるというのだ。
それは人生が、その仕上げに向けて創り出す光景のひとつであると。

年老いた父と母が庭でくつろいでいるときなど、互いにかわすまなざしの中にことばよりもやわらかなものをみいだすことがある。

言葉とは言の葉である。
四季の移ろいのように人生は青き春から朱夏へ、そして白秋から玄冬へとたどる道すがら、常に言葉はその中心となり主役を演じ、繁る葉であり続ける。
しかし、玄冬を迎える時、その言の葉は枯れるのではなく別のものへと昇華して行くのだろう。

もはや言葉はたんなる言葉でなく、それよりもやわらかでゆたかなものへとたゆたって行くのだ。

何と美しく思惟に富んでいる言の葉達であろうか。

3年の間に発表したエッセイの中から74編を自らが選んだものである。
どれも氏のやわらかな詩人としての言葉が紡ぎ出すもの達。
座右の友として折に触れて読みたいエッセイ。

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