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  3. 流花さんのレビュー一覧

レビューアーランキング
先月(2017年8月)

流花さんのレビュー一覧

投稿者:流花

24 件中 1 件~ 15 件を表示

松陰先生は20代!

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 安政6年、江戸伝馬町牢内にて刑死。享年29歳。・・・29歳?! 今夏、萩を訪れた際、恥ずかしながら初めて知ったのであった。あの肖像画の風貌は、どう見ても50代男性。中年どころか、むしろ老境にさしかかっていると言っても過言ではない。松下村塾にて教鞭をとり、伊藤博文や木戸孝允など、後の明治政府の中枢を担う数々の人材を輩出した“松陰先生”。20代で、そんなに多くの人々の尊敬を集め、多くの弟子達を育てることができるなんて、吉田松陰という人物、いったい何者なのだろうか。
 “郷土の英雄”として、ご当地では絶賛されがちである。だが、客観的資料に基づいた本当のことが知りたかった。筆者は、山口県生まれ、現在、京都学園大学学長、京都大学名誉教授、教育学博士である海原徹さん。ご自身の研究を、私たちにも惜しみなく、わかりやすく、淡々と披露してくださっている。何よりも、“郷土の英雄”を絶賛していない。
 松陰は絶筆「留魂録」の中で『吾が性激烈怒罵に短し』と述べている。さらに筆者は『お世辞やお追従らしきものがまったくできない、世渡り下手の典型のような人間であった。』と評している。孟子の「至誠にして未だ動かざるものなし」を実践し、自分の考えていることは正しいことであると疑わず、“真心を込めて説得すれば必ずわかってくれる”というのだから、楽天家というか、考えが甘いというか・・・。『彼の場合、一旦決断すると、猪突猛進してしまい、状況判断しながら進退する柔軟性や融通性にいささか欠けることがあった。(中略)周到な準備を積み重ねる過程は意外にお粗末であり、(中略)しばしば拙速、粗暴と避難されたのはそのためであるが(略)』——要するに、あの肖像画から受ける“冷静で思慮深い印象”とはうらはらの、“純真で生真面目な直情径行型の人”であったのだ。だが、そんな松陰先生では、とても多くの人の尊敬を集められそうにない。
松陰が「松下村塾」で教鞭をとったのは、晩年のわずか1年半ほどである。塾生達がなぜ松下村塾を選んだのか、筆者はこう推測している。『萩城下の若者たちにとって、海外密航の夢破れて牢獄に繋がれた松陰は、これまで見たことも聞いたこともない、限りなく謎に満ちた人物であり、(中略)、親たちが忌避すればするほど、彼らは松陰という人物に興味を持ち、関心を募らせたようだ。』なるほど、いつの世の若者たちも同じである。一歩先を進んでいる、自分とあまり年の違わない松陰先生に、憧れや魅力を感じるのは、至極当然のことだろう。しかも個性尊重。テキストも授業の時間帯もその人に合わせて自由。また遠くからの塾生は寄宿させ、起居を共にする。筆者曰く『松陰にとって教えるということは、教師がそのお手本を示し、自らが正しいと信じるところ、理想とする生きざまを弟子達の前にさらけ出してみせる、その意味では何も教えない、何かを教えるというより、無為にして化すやり方であった。』そして、それは“若い松陰先生”にしかできない教育であったに違いない。
『数え年僅か三〇歳で死んだ若者になぜ何十年もお付き合いをするのか、(中略)、吉田松陰とはそもそも何者であるのか、私にとってこの人物は一体何であったのか、この本を書き終えた今でも、はっきりとした答えが出たわけではない。(中略)今私は松陰という人物が限りなく好きだという以外に、うまいコトバを探し出すことができない。』筆者は、「あとがき」でこう述べている。だが、この言葉ほど、“吉田松陰”という人物を物語っている言葉はないのではなかろうか。
才能あふれる若者の未熟ゆえの一生懸命さ——それが松陰の魅力なのだろう。かつての塾生達は、後年、そんな松陰先生の主宰した「松下村塾」に、自分の心のふるさとを見いだしたに違いない。教育とは、そういうものなのかも知れない。

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紙の本大地の子 4

2003/08/19 22:27

大地に足をつけて読むべし。原作は辛辣である。

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 『大地の子』は、テレビドラマ化され、何回か再放送されている。つい最近も再放送があった。そのたびに見てしまうのだが、見るたびに心に残るものが違ってくることに気付いた。今回は、「私は、大地の子です。」という言葉だった。テレビでは「父の目に涙があふれるのを見た。きっと父はこの言葉が永遠の別れの言葉と知ったのだ。」という一心の独白がつづく。何とも言えない重いものが、ずしんと頭に残った。それで、原作を読んでみたくなったのだ。
しかし、『大地の子』の原作を読んでみると、美しく情緒的なテレビドラマとは裏腹に、かなり辛辣である。登場人物の心の動きも行動も、人間臭い。ドラマでは、俳優の演技や間に委ねられていた心の襞が、小説となると細かく(時として露骨に)描写されていたりして、テレビドラマでの印象が儚く崩れ去り、悲しい気持ちになったのも事実である。でもそれが“事実”に近いのだ。
GISの点検のしつこさ。疑わしきを許さない徹底ぶり。日本人に対する猜疑心は並大抵ではない。『「…今度はわれわれが陸一心を使う番だ」』38年ぶりにやっと再会できた父子も、国家のために利用されていくのである。“日本の戦争責任”…この言葉の前に怒りは燃えたぎり、敵意をあらわにする。だからいくら“中日友好”と言っても、『(軍事委員会主席)登平化はふんと鼻先で笑い、「…日本人はよくよくおめでたい人種だ。」侮蔑するように、云った。…「今度の工事で高い金を払って日本の技術、品質管理のノウハウを買ったんだから、第二、第三の製鉄所建設に当たっては、技術は中国、金は日本から出させればいい…」と嘯くように言い放った。』——中国という国の恐ろしさ。日本人に対する限りない猜疑心。日本人として悲しくなってくる。でも、これもきっと事実に近いのであろう。こんな場面はドラマ化できないわけだ。
 盗聴、密告、陥穽…しかし、それはまた、中国人同士でも同じなのである。国家の重大なプロジェクトも、政権争いの道具とされ、繰り返される失脚、復権、左遷、破滅…。これが中国という国の本質、5千年の歴史なのだろうか。
 『大地の子——、それは日本の父に対する惜別であり、自分自身の運命に対する無限の呼びかけに他ならない。』一心には中国人としての人生が始まってしまっているのだ。『(松本は)四十年間、この大地に育ち、生きてきた息子とは、もはや埋めようのない隔たりがあることを思い知った。』
 “大地の子”。結果的に一心は“中国人”を選んだ訳であるが、“大地の子”という言い方は婉曲な言葉と思っていた。しかし今回、本当に“大地の子”なのだと思った。日本人でも中国人でもない、ニュートラルな人間。国で人を区分することの無意味さ。どちらを選ぶかということではなく、人間として、自然にありのままに生きていきたいということなのではないか。与えられた運命を精一杯生きる、ただそれだけである。それは“諦観”ではない。なぜなら、そこには“希望”があるからだ。原作はここで終わっているが、テレビドラマでは、一心が自ら望んで西蒙古鋼鉄公司に戻るという設定で終わっている。それはきっと、この『大地の子』のエンディングに“希望”を見いだしてほしいからであろう。
 人は生きている。今、この一瞬一瞬を生きている。こう言ってしまうのが、とてつもなくおこがましいことと承知の上で言わせてもらう。この小説は、陸一心を巡って、偶然、この中国という“大地”で出会い、この“大地”を舞台に、もがき、苦しみ、“生きた”人々の、たくさんの有名無名の人々の“生きた証”なのだ。そして、ここまで取材し、小説に仕上げた山崎豊子さんに、果てしない敬意を表すばかりである。


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紙の本明智光秀 新装版

2005/04/30 13:33

謎は深まった。でも、ある意味、腑に落ちた。光秀のイメージが変わった。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

光秀というと、故実に明るい教養人、常識的、保守的で、叡山焼き討ちなど絶対できない男というイメージがある。だが、本書を読んで、そのイメージが揺らいだ。
本書は、光秀について書いてある史料を徹底的にあたり、見解を述べた学術書である。著者高柳光壽さんは、初めての光秀の伝記と自負している。といっても、読むのをためらってしまうような、難解なものではない。高柳さんによると、光秀について書いてある文学書は多いが、史実を書いた歴史書、それも本能寺の変、山崎の戦以前の記述となると、全くないと言ってもよいくらいなのだそうである。また、史料にも、良質なものと悪質なものがあり、『明智軍記』などという光秀の伝記のような体裁をとっているものもあるが、これは事実と食い違っているところが多く、高柳さん曰く、“事実から遠く離れた誤謬充満の俗書”なのだそうだ。また、秀吉の側から書かれた『太閤記』などは、秀吉を良く書き、光秀を悪者にしようという筆者の魂胆が見え透いているという。さらに、『細川家記』などの他家の記録も、その家の立場で書かれているので、鵜呑みにはできない。だから、高柳さんの研究は、いろいろな史料を比較、検討し、信頼できる史料を慎重に選びながらの作業で、本当にたいへんな仕事であったと思う。でも結局…わからないのである。出自も、年齢もわからない。濃姫の従兄弟であるというのも“俗書”の類から出たものである。いったい光秀とは、どんな人物だったのだろう。
高柳さんは、光秀は合理主義者であるとの見解を述べている。『老人雑話』という書物に、光秀の言葉として“仏のうそは方便”というものがあるというが、「この言葉は合理主義からでなければ出ない言葉である。」というのである。「彼の合理主義は同じく合理主義的な信長とうまがあったであろう。それゆえにこそ出世もしたのである。だから、叡山の焼き討ちにも、本願寺の攻撃にも、光秀は少しも精神的な苦痛は感じなかったであろう。」…なるほど。光秀を合理主義者と割り切ってしまえば、今まで何か腑に落ちなかったことが、ストンと落ちるのだ。まず、朝倉義景に見切りをつけて、彼の下を去り、将軍義昭を奉じて、信長に仕えたこと。主人を平気で換える(裏切る?)なんて、光秀を常識的で保守的な男と考えると、どうも不自然なのである。だが、光秀は、合理的に考え果断に実行する——そんな男なのだ。だからこそ、その究極の行為、“本能寺の変”を起こすに至ったのであろう。
以前『完訳フロイス日本史』を読んだ時、光秀は「裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で、独裁的でもあったが、己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった。」と書かれていて、ショックを受けた。これは、信長のまちがいじゃないか? いくら謀反人だからって、ここまで悪く言うことはないじゃないか、と思った。——だが、今は、もしかしたらそんな男だったのかもしれない、と思えてきた。信長の陣営に来て、わずか12,3年で、宿老を凌いで、大将分となった光秀である。やはりただ者ではなかったのだ。
信長は、光秀の働きに対して感状を贈っている。光秀も、彼の定めた軍法の最後に、「自分は石ころのように沈淪しているものから召出された上に莫大の兵を預けられた」と、信長の恩恵を述べている。だから高柳さんは、光秀が謀反を起こしたのは、怨恨ではなく、「光秀も天下が欲しかった」からだと考えている。…だが、やっぱりどうも腑に落ちない。“計略と策謀の達人”である光秀が、何であんな無計画とも言えるようなことをしたのか? 光秀はきっとあの世で、ニヤリとしているのかも知れない。

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紙の本狂乱 新装版

2003/07/05 23:46

影法師〈レクイエム〉

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「これだけ世間から見捨てられた俺だ。このままいつまでも、こんな暮らしをしていられるか。こうなれば…狂い死にに死んでくれるぞ!!」
 石山甚市、35歳。両親に先立たれ、不遇な生い立ちの中で、剣を頼りに生きてきた。しかし、身分の低い石山が、身分の高い者たちをうち負かしてしまった時、すべての歯車が狂いだしたのである。『遠ざけられ、疎まれて…青春は踏みにじられ…いつも孤独…こういう若者が、どのように変形していくことか?…』誰もが、自分を蔑み、まともに扱ってくれない。…たった一人、まともに接してくれた豊田でさえ、周囲の圧力に耐えきれず、「出て行け!」と言う。そしてとうとう、そんな彼の姿を見て笑いを漏らした者から始まって…爆発したのである。小兵衛の差し延べた手も、あと一歩のところで届かなかった。
 自分が親切を踏みにじっているのはわかっている。挫折したり、狂ったりするのは、自分に責任があるはずだ。それもわかっている。しかし、それに耐えられない人間の弱さ。また、耐えていかなければならない運命の重さ。人は“平凡な人生”と簡単に言う。しかし、その“平凡な人生”を歩むことが許されなかった者たちの、悲痛な叫び声が聞こえてこないか?
 かつて、小兵衛も牛堀九万之助と勝負をしたことがある。勝った方が土井家の剣術指南役に、ということを二人とも知らずにである。『双方とも下段の構えで、睨み合うこと一刻に及んだ』とあり、結果は引き分けであった。九万之助曰く、「小兵衛どのが、引き分けにしてくれた」。二人とも指南役は辞退したということである。まかり間違えば、九万之助も、この手の犠牲者になってしまったかもしれなかったのだ。九万之助は、今でも道場を構え、弟子たちに“剣の道”を教えている。無用な立ち合いをせず、礼儀や心を大切にして…。
 挫折した人間、歯車を狂わされた人間が、いかにまともに生きることができないか。小兵衛は、そういう男を何人も見ている。しかも、己の手によって、その世界に突き落としてしまった男もいるのだ。彼らは、所詮、弱い人間なのか。やはり世の中、強い者が勝ち、弱い者は淘汰されていくのか。悪いのは彼らか? それとも、勝負、勝負と簡単に口にし、人を試すことを何とも思わない輩か? それとも、これぞと思った男を、徹底的に馬鹿にし、いじめ抜くことによって、己の保身を図る奴らか?
 “平凡な人生”を歩むことが許されなかった者たち。身の置き所を失くし、恨みをぶつけるところもなく、人生の歯車を狂わされた者たち。彼らへの鎮魂歌を歌い続けること…それが剣客の使命なのかもしれない。

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光秀は、やってないのだ。やってないのにやったことにされてしまっている。だから今まで腑に落ちなかったのだ。

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「光秀冤罪論」と聞いて、目から鱗が落ちたような気がした。著者井上慶雪さんは、自称明智光秀の末裔。「信長暗殺、光秀でない。冤罪である!」と声を挙げた。ケネディー大統領暗殺事件の犯人とされたオズワルドのごとく、光秀も何者かによって、犯人にされてしまったというのである。
本能寺の変に関しては、怨恨説、野望説、黒幕説などがあるが、これらは、あくまでも「光秀が実行犯」という《固定観念》から抜け出せていない。茶道家である井上さんは、《茶会記》、《茶伝書》を分析して、《固定観念》の自縛を解き放ち、光秀の冤罪を晴らそうとした。
井上さんは、まず、その《固定観念》——「家臣・明智光秀の謀叛によって織田信長が弑逆された」という歴史認識を検討している。光秀の《怨恨単独犯の主な動機》として挙げられている事柄は、信頼できる史料にはない。捏造記事満載(?)の『川角太閤記』などに記載されているだけである。つまりフィクションなのである。また『信長公記』に《是ハ謀叛歟、如何ナル物ノ企ゾ・・・明智ガ者ト見エ申候》とあり、これによって、《信長殺しは光秀》と決定づけられてしまった。だが、作者の太田牛一はその場にいたわけではない。
さて、こうして《固定観念》を取り払ってみると、光秀が信長を討つ必然性はなく、その証拠もないのだ。《茶会記》にも、天正十年正月の光秀の茶会は、信長直筆の書を掛け、信長から拝領した「八角釜」を使用して行われたと記されており、これが半年後に「主殺し」をする光秀とは到底思われない。と井上さんは言う。そこで、何者かが信長を討ち、光秀にその罪を着せたのではないかという「光秀冤罪論」が、浮上するのである。
本能寺の変に関して、誰もが不思議に思うことがある。「本能寺襲撃時に光秀はその場にいない」こと。「信長親子の遺骸が見つからない」こと。「信長弑逆後の光秀のビジョンの欠如」。だが、この不思議こそが、「光秀冤罪論」の根拠となるのである。
『兼見卿記』に、「光秀は当日、午前九時入洛、午後二時出洛」とある。井上さんは、こう考える。——周章狼狽の態で入洛した光秀は、すでに灰燼に帰した本能寺に、信長の遺骸を探したが、見つからない。とにかく安土へと向かうが、途中瀬田大橋を山岡景隆によって炎上され、仕方なく坂本城へ帰る。——光秀謀反なら、まず信長親子の首を取り、晒すはずである。遺骸は光秀到着前に、実行犯がどこかに運び去ったのではないか。また、この事変は、無実の光秀にとって不測の事態だったので、その後のビジョンなどあるわけない。さらに、朝廷が黒幕なら、光秀は《朝敵・織田信長を誅す!》と堂々と宣揚するはずである。朝廷も光秀を庇護してもよいはずだ。・・・なるほど。そのとおりである。
では、この本能寺の変が、光秀冤罪の仕組まれた出来事だとしたら、「信長を丸腰に近い状態で上洛させなければならない」し、「そこに都合よく光秀が現れなければならない」のだ。そこで、茶道家の井上さんの面目躍如。信長は、博多の茶人、島井宗室の所持する大名物茶入《楢柴肩衝》がどうしても欲しかった。“茶の湯御政道”の信長の弱みを衝いた誘惑があったのではないか。また、光秀には、森蘭丸発として「信長が陣検めをするので上洛するように」という伝令を送ったのではないか。——そしてその黒幕は・・・陰のコージネーターは・・・そこには限りなく侘び茶の香りがするのである。

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紙の本隠れ簔 新装版

2003/07/07 17:24

影法師〈罪ほろぼし〉

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 知らない者は幸せである。病で盲目となりながらも、28年もの間、“我が父の敵”と探し求めていた男。まさにその男が、長年影法師のようにぴったり寄り添い、身の回りの世話をしてくれた老僧だったとは。その老僧の腕の中で、「長い長い間…かたじけない」という言葉を残して死んでいった年老いた武士。その最期は、きっと安らかだったであろう。…「やっと終わった…」敵を討つことはできなかった。だが、長い長い辛苦の旅は終わったのだ。家族も青春もやすらぎも捨て、ひたすら敵を探し求めた歳月。貴重な人生を敵討ちに費やし、気がつけば棒に振っていた…しかし今、解放されたのである。そのことだけを思って、安らかな世界へ旅立って行ったのであろう。
…かたや、自分を敵と狙っている男が盲目となったのを隠れ蓑に、ずっと騙し続けた男。善良な僧を装って…。今、その騙し続けていた相手が亡くなったのだ。やすらぎは訪れただろうか。彼にとって、隠れ蓑生活は人生そのものになっていた。相手の男が亡くなった今、彼の人生も終わった。だが、彼は生きなければならない。今度は自分が騙していた人間の影法師に、ずっとつきまとわれて…。敵討ちは不条理である。追う者も追われる者も、人生をめちゃめちゃにさせられる。だが、その種をまいたのは、他ならぬ自分である。彼は、死ぬまで生きなければならない。それが、罪ほろぼしなのだから。
 「嘘も方便」という。人生において、嘘が必要な場合もある。無益な争いや、無駄な心配をさせずにすむように。『梅雨の柚の花』で、大治郎の道場に新たに弟子入りした笹野新五郎は、田沼意次の側用人生島次郎太夫の子であると知らされていない。生島は、笹野家の子となった新五郎の影となって、気付かぬように新五郎を守り抜くのである。
 騙している人間は、騙されている人間の影になる。影となって、密接にくっつけばくっつくほど、騙している人は苦しい。だが、それはしかたない。騙しているのだから。
 知らない者は幸せである。こんな愛嬌のある幸せ者もいる。傘屋の徳次郎を“筋の通った盗人”と勘違いし、二人で盗めをしようと誘ってきた男。しかも押し入る先が、鐘ヶ淵の小兵衛の隠宅というのだから、笑ってしまう。話に乗った(ふりをする)徳次郎。しかし予想外のことが起こる。「徳どん、逃げろ」。…彼は斬られ、彼の死んだ兄に似た徳次郎の腕の中で息絶えた。昔の女房の話なんかしながら…。

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紙の本待ち伏せ 新装版

2003/07/07 17:16

三冬浪漫〈夫婦〉

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「恋はゲームじゃなく、生きることね」…こんな歌があった。すべてが輝いていた恋の季節を経て、男と女は結婚し、夫婦となる。結婚するということは、「この人と生きる」ということである。喜びも悲しみもともにし、同じ人生を歩む。二人の人生は一つになるのである。大治郎とともに、人生を歩み始めた三冬。そして、二人の人生が一つになった証として、子どもを授かるのである。
 ここに、もう一組の夫婦がいる。佐々木周蔵と、りくである。周蔵は、主人の汚行を一身に引き受け、「敵持ち」として逃げ回る生活を送ってきた。りくも、「敵持ち」という重荷を背負った周蔵とともに、同じ人生を生きてきた。ある日、周蔵と間違えられて大治郎が襲われる。それを知った周蔵は、大治郎に迷惑をかけてはいけないと、わざと討たれるのである。討たれた直後、大治郎に発見され、無言の帰宅をする。こうなることを覚悟していたりくは、動転するどころか、血に汚れた大治郎を気遣い、着替えや風呂を用意するという気丈さをみせる。しかし、大治郎にすべてを語り、大治郎が周蔵宅をあとにすると、りくは号泣するのである。外にも聞こえるくらいの大きな声で。敵持ちということは、いつか討たれる日が来るということである。しかも、主人の身代わりにである。こんな理不尽な処遇に甘んじながらも、周蔵とりくは、一つの人生を生きてきたのである。支え、支えられながら、二人で生きてきた人生は、ある意味、幸せだったのではないだろうか。いつかこんな日が来ることはわかっていた。だが、夫の死が現実のものとなり、夫に与えられた運命を思ったとき、夫があまりにも哀れに思えてならなかったのであろう。そして、このようなかたちで自分たち夫婦を分かつ、武士の世界の理不尽さを思うと、切なくて、切なくて…。その切なさを、どこにぶつけたらよいのか…。りくの涙は、堰を切ったようにあふれてくるのである。
 もう、恋の季節は終わった、大治郎と三冬。夫婦となったからには、どんなことがあろうと、これからは二人で世の中の荒波を渡っていかなければならない。そんな二人に、あまりにも悲愴な夫婦の人生を見せてくれた、佐々木周蔵・りく夫妻。
 『冬木立』の中で、小兵衛がこう言う。「初めての男に、おのが躰へきざみつけられた刻印は、おきみにとって、よほど深かったに相違ない」。三冬は顔を赤らめ、うつむいてしまう。大治郎は傍を向いて、咳払いをする。溜め息を洩らして立ち去った小兵衛を見送る大治郎と三冬は、声もなく顔を見合わせた。…「私には、三冬しかいない」。「私には、大治郎さましかいない」。…「この人と生きる」。夫婦とは、理屈を超えた深いもので結ばれているのだ。
 しかし、しかしですよ、大治郎さま。三冬さまは懐妊したことを、一番最初に大治郎さまに言いたかったと思いますよ。というか、私たち読者も、その時大治郎さまがなんて言うか、聞きたかったですよ! 大治郎さまって、こういう時、いっつもタイミングが悪いんだから!!

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紙の本新妻 新装版

2003/06/22 22:12

三冬浪漫〈大治郎さま!〉

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 とうとう来てしまった! 三冬ファンなら、誰もが夢見ていたであろう、その日が。そう、三冬が大治郎の妻となる日が。
 しかし、ただでは妻とならせないところが、心憎いではないか。“三冬さま危機一髪”のところを救い出す…そんな演出があってこそ、妻となる喜びも大きいのである。やはり“大治郎さま”は、助けに来てくれるのである。そればかりか、“大治郎さま”の苦悩も、見事に描かれていて、「三冬うれしい」!
「三冬どのは、練香の在処を曲者どもに洩らすまい。そうなれば、どのような拷問に合うやも知れぬ。それが…それをおもうと、私は…」(絶句)
「そんな悠長なまねをしていて、どうなる。三冬どのは、どうなる!!」
「長次。たのみがある。秋山大治郎が一生一度のたのみだ。聞いてくれるか…」
(三冬どのは、もはや、この世の人ではないのではないか…?)
 堅物で、不器用で、三冬への気持ちなど、とうてい口に出すことなどできない大治郎だが、『品川お匙屋敷』では、ここぞとばかりに、大治郎の気持ちが噴出されている。この救出劇を受けて、田沼意次が、「三冬めを、妻に迎えていただけぬか。」と申し出るのである。…でも、三冬ファンとしては、ちょっと物足りない。聞きたかったなぁ。そう、大治郎さまのプロポーズの言葉。…池波正太郎さん、そんな構想はなかったの?
 機は熟していたのかもしれないが、何かあっけない感じは否めない。だが、池波正太郎さんは、ちゃんとフォローしている。次の話、『川越中納言』の中で、小兵衛に、こう言わしめている。「…三冬どのが他の女性より特に優れていると申すのではない。ただ、大治郎にとって、かほどに似合いの妻を得たことが仕合わせと申したのじゃ。」…とは言っても、新婚早々、大治郎を旅に出すのは、ちょっと意地悪ではないか。その旅先で知り合った、大治郎と同姓同名の男の妻が、まさに本書の表題作の『新妻』なのであるが…。『「秋山殿の新妻が、夫をはげまして自害したことを聞かなんだら、私は、秋山殿を助けたかどうか…?」「大治郎さま…」「何です?」「その、おこころが、三冬うれしい」膳を押しのけるようにして、三冬が大治郎の胸にすがりつき、「ようなされました」「む…」…三冬を抱きしめた大治郎が…』ちゃんと新婚ムードは用意してあります。…三冬さま、やっぱり夫婦は、いつも一緒でなくてはいけませんよね。いつもそばにいるからこそ、生きているからこそ、励ますことができるのですよね。

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紙の本剣客商売 新装版

2003/06/15 13:05

三冬浪漫〈幻影〉

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「女武芸者」。この、男臭さがぷんぷん漂う『剣客商売』という本のイメージからは、一見無縁のように見え、しょせん殿方はクノイチがお好みなのねと感じさせる題名のついた話が、本書の第一話である。
 “女武芸者”佐々木三冬。十九歳。かの老中田沼意次の妾腹の娘である。他家に養女に出されていたのだが、十四歳の時に田沼家へ引き取られた。しかし、賄賂の横行する政事の渦中にいる田沼の威勢を汚らしく思う三冬は、田沼のもとに寄りつこうともせず、七歳のときから習い始めた剣術に一層のめり込み、男装をも始める。そして、井関道場の四天王と称されるほどの“女武芸者”となる。
 『髪は若衆髷にぬれぬれとゆいあげ、すらりと引き締まった肉体を薄むらさきの小袖と袴につつみ…さわやかな五体のうごきは、どう見ても男のものといってよいが、それでいて、「えもいわれぬ……」優美さがにおいたつのは、やはり、三冬が十九の処女だからであろう。』三冬は、本書『剣客商売』第一話「女武芸者」の中に、こう描写されている。
 時は、安永六年(1777年)。ここで、ふと、ある幻影が頭をよぎる。江戸から何千里も離れた異国の地で、ブロンドの髪をひるがえし、軍服に身を包み、革命の渦中に身を投じていった、あの“男装の麗人”オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ。そう、あの『ベルサイユのばら』の主人公である。奇しくも、三冬とオスカルは、洋の東西こそ違え、同時代を生きた“女武芸者”だったのである。
 現代なら宝塚のスターに憧れるように、少女は、“男装の麗人”に憧れてしまうものである。そう、三冬も、オスカルも、少女から慕われる。しかし、興味深いのは、この二人の《“男装の麗人”にして“女武芸者”に心を奪われる男》の存在である。そう、それは、オスカルにとってアンドレであり、三冬にとっては言うまでもなく……。また、この二人の男性というのが、なんと似ていることか。無口で、控えめで、堅物で…。そしていずれ、オスカルも三冬も、この男たちに惹かれていくのである。
 時はあたかも、賄賂が横行し世に悪政といわれる田沼の時代。そしてかたや、王制の崩れさろうとする、フランス革命前夜。洋の東西こそ違え、奇しくも同時代に、“女武芸者”として生きた二人が、どんな男性と出会い、どんな恋をし、どんな運命をたどるか。そんなことに思いを馳せるのは、あまりにも少女趣味であろうか。
 この『剣客商売』シリーズのトップを飾って登場した“女武芸者”佐々木三冬。ここに、作者池波正太郎さんの隠された思いがあるのではないか。剣の道を探りながら、人の道を辿る。そんな剣客の一人として、この“女武芸者”の辿った道が、私たち読者に教えてくれるのではないか。女の幸せとは何かを。

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紙の本負け犬の遠吠え

2004/01/18 23:11

花の命はけっこう長い

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

“どんなに美人で仕事ができても、30代以上・未婚・子ナシは「女の負け犬」なのです。”——こんな帯の言葉に、ドキッとした人が本書を手に取るのだろう。
何も悪いことをしていないのに、別に今のままで幸せなのに、何で“負け犬”なの? だが、本書を手に取った時点で“心当たり”があったはずである。「いつまでも結婚しないで、子供も産まないで、これでいいのかなぁ」、「もしかすると手遅れかも」…だが、人はうすうすわかっていても、それをはっきり認めたくないものだ。
 筆者は、「30代以上・未婚・子ナシ」女を“負け犬”、「既婚・子産み」女(狭義では専業主婦)を“勝ち犬”と定義している。森前首相の「好き勝手なことをして、子供を作らない女性が、歳をとったからといって、税金で面倒を見ろというのはおかしい。」という差別発言に代表されるような、“負け犬”に対する偏見が、世間には渦巻いている。しかも“勝ち犬”たちからの、差別を裏に隠した哀れみも、“負け犬”たちを苦しめる。何も悪いことをしていないのに、なぜ肩身の狭い思いをしなければならないの? こんな“負け犬”の思いを、遠吠えしてみたのが、本書である。
 これだけ価値観や生き方が多様化してきているご時世なのに、「女の幸せは結婚して子供を産むこと」という考え方は、厳然として残っている。これには“負け犬”も弱い。『未婚女を殺すに刃物は要らぬ、「あなたは女として幸せじゃない」と言えばよい。』——しかも、それは“子供を産むことができる年齢”というタイムリミット付きなのである。「俵万智さん40歳で未婚の母」というニュースが、昨年暮れに飛び込んできた。くわしいい事情はわからないが、「リミット前に子供だけは産んでおきたい」という気持ちだったのだろうか。このニュースに、世の“負け犬”たちは複雑な気持ちになったことだろう。
 初めのうちは元気に遠吠えしていた筆者も、終わりのほうに来ると、何かずいぶん落ち着いてくる。雑誌に約1年間連載されていたからかもしれない。筆者自身も“負け犬”を自認し、連載していたわけである。自ら負けを認めた方が気楽と言いつつも、遠吠えしているばかりでは、虚しくなってきたのではないだろうか。おもしろおかしく“負け犬”の実態について書いていても、何も変わらないことに気付いたのかもしれない。“負け犬”となってしまったからには、失ったものを数えていてもしかたがない。これから先の人生を、どう過ごしていくか。それを真剣に考えないといけないのだ。
 「私は結婚や子育てより、仕事を選んだのだ。」と自信を持って断言できる“負け犬”は、この際関係ない。問題は、そこまで断言できない中途半端な“負け犬”である。筆者は、向田邦子さんと長谷川町子さんを、独身女性の憧れ的存在として挙げているが、このお二方のような才能に恵まれた人というのは、そうそう存在しない。では、凡愚な“負け犬”はいったいどうしたらよいのか?
 そのために付けたのが、本書最後の「負け犬になってしまってからの十カ条」であろうか。ついでに言ったら、その前にある「負け犬にならないための十カ条」は、まだまだ“勝ち犬”を揶揄するだけ元気がある。本当に“負け犬”と“勝ち犬”は相容れないんだなと再認識した(笑)。だが、「いかにして負け犬となりし乎」が、人さまざまなのと同じように、「いかにして負け犬人生を送る乎」も、人さまざまであろう。やはり自分自身で考えていくしかないのだ。
 “負け犬”諸君、もはや“勝ち”だの“負け”だの、そんなことはどうでもよいのだ。大事なのは、これからの人生をどのように送っていくかということだ。花の命はけっこう長いのだから。

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紙の本浮沈 新装版

2003/10/15 23:38

黄昏

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 知りたくないことを知ってしまった。おはるは、小兵衛より先にあの世へ行くのである。そして小兵衛は、93歳まで生きるのだ。
 本書には、「小兵衛は93歳まで生きる」ということが3回も述べられている。そして、おはるをはじめ、四谷の弥七など、小兵衛ファミリーの一員が、小兵衛より先に死ぬということが、示唆されているのだ。おはるが死ぬなんて…しかも小兵衛より先に…40も違うのに…。信じられないというか、信じたくないというか…。読者としては、小兵衛ファミリーが死ぬことなんて、考えたくもない。なのに池波さんは、なぜわざわざ、小兵衛ファミリーの死について述べたのだろう。それに、どうも何かただならぬ空気が感じられてくるのだ。本書を読んでいると、この『剣客商売』の結末をどうつけるか、池波さんは、何か急いでおられるような気がしてならないのだ。
 本書で語られている出来事は、小兵衛が66歳から67歳の頃のものである。本書が単行本として発行されたのは、平成元年10月。池波正太郎さんは、その翌年に亡くなっている。奇しくも67歳。本書が、『剣客商売』シリーズ最終巻となってしまったのである。
 人は、自分が生きてきた時代と同じように、時が進むものだと無意識に思っている。だが、世の中は、同じ状態でありつづけることはできない。だから人は、将来に漠然とした不安を抱くのである。かねがね武士の乱れきった姿を見るにつけ、小兵衛は「武士の世もおしまいじゃ」と言ってきた。本書の中では、田沼意次が老中を罷免されることが述べられており、一つの時代も終わりを告げる。 “剣客”という道を生きてきたことに、自信と誇りと満足感を持ちながら、自分と同じ道を選んだ大治郎には、「はたしてこれからの世の中、剣が役に立つのか」と不安を覚えている小兵衛。「孫の小太郎が、お前の年ごろになるころには、世の中がひっくり返るようなことになるぞ。」と大治郎にも言っている。自分の死後、どんな世の中になるのか。その渦中に我が子を残していかなければならない親。だからせめて、親としてできる最善のことをしておいてあげたいのだ。
 ———『剣客商売』の生みの親、池波正太郎さんも、そんな気持ちだったのだろうか。
 四谷の弥七、傘屋の徳次郎、鰻売りの又六、手裏剣の杉原秀、医師小川宗哲、医師であり剣客でもある横山正元、等々…小兵衛のために何をおいても駆けつけてくれる人々がいる。かつての門弟、知人、また、老境に至ってから新たに交誼を持つことになった者。中には、ゲスト出演で登場したのだが、その後何度も登場して、すっかり小兵衛ファミリーの一員になってしまったという者もいる。池波さんは、こういった脇役たちにも、命を吹き込んでくれた。
 そんな中で、本書では、又六と秀が結ばれるという展開を見せる。杉原秀は、亡父の道場を継ぐ女武芸者である。いつも洗いざらしの着物を着、髪は後ろに束ねただけという姿で、まるっきり色気がなく、男に関心などないのではないかと思っていた。その秀が鰻売りの又六と結ばれたのだ。これにはいささか驚いたが、大治郎と結ばれた三冬と同じ、“女武芸者”である杉原秀の行く末を、池波さんは気にしておられたのだ。又六と秀。一人よりは二人で手を取り合って、人生の荒波を渡っていって欲しいという親心だろう。やはり、女の幸せは、好きな人と結ばれて、子を産み、育て、その人と生きていくことなのかもしれない。人間が、はるか昔から営々と営んできた暮らし…その通りに生きることが、平凡だが、幸せなのであるということなのだ。…思えば、『剣客商売』は、「女武芸者」で始まったのだ。
 ———こうして、とにかく、『剣客商売』は幕を閉じたのである。何とも言えぬ寂しさが残った。

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紙の本イタリアからの手紙

2003/09/15 22:20

大人の国からの大人のエセー

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 「カンターレ! マンジャーレ!」人生を楽しむことにかけては、イタリア人の右に出る者はいない。…イタリアの国民性を述べようとするとき、こんなふうに述べられることが多いだろう。確かにラテン系の国を旅行すると、何だか人生観が変わってしまうような気持ちになる。一言で言うと、「元気になる」とでも言うのだろうか。「いいんだ、これで。」と自分が肯定されたような気持ちになる。
 だが、そんな陽気で自由な国民性が、しばしば、工事の遅滞や、鉄道や郵便の遅滞などの“いい加減さ”に変わる。旅行に行くときも、必ずスリや窃盗に気をつけるようにと言われる。実際被害に遭う人も珍しくないようだ。今のイタリア人って、古代ローマのあの文明を築いた人たち、ルネッサンスの芸術や学問を創りあげた人たちとは、無縁なんですか?と言いたくなる。
 本書を読んだのは、イタリア旅行の前だった。塩野七生さんといえば、古代ローマやルネッサンスを始め、イタリアの歴史を題材にした小説の第一人者である。そんな塩野さんから、イタリアという国のエッセンスを嗅ぎ取りたくて、読んでみたのである。
 だが、読んでみて、イタリアの陽気で騒がしいイメージとは裏腹に、静かな時が流れていくような感じがしたのは、なぜだろうか。最初に収められている「カイロから来た男」の雰囲気が、支配しているのだろうか。淡々とした語り口が、そうさせるのだろうか。
 イタリアに行ってみると、まさに“歴史の中”に住んでいるような町並みに感動する。それはなにも、歴史的に有名な建物や、観光名所がたくさんあるという意味ではない。市民が、何百年も前のアパートに住み、メディチ家の丸薬の紋章のついた建物に店を構えている。彼らにとって、歴史は特別な物ではない。そんな中で生活している彼らにとって、歴史は幾重にも重なって、すぐそこに存在しているのだ。
 長い間文明を栄えさせ、世界をリードしてきた国では、人々も“大人”である。人と人とのつきあい方、生きるための知恵、そのようなものに長けている。「M伯爵」や「仕立屋プッチ」の生き方。「イタリア式運転術」も生きるための知恵かもしれない。血族のつながりを大事にする「マフィア」だって、その一つであろう。本書は、もう30年も前のエセー(塩野さんはあえてエセーと言っている)である。イタリアも、現在とはかなり状況が違うだろう。だが、彼らの本質——人生を楽しむ姿勢は変わっていないだろう。
 「修道士X、そこの頭蓋骨をひとつ、こっちになげてくださらんかね」「いいですとも、修道士Y、わたしの方では骨盤が三つばかり足りないんだが、そこら辺にまだ使わないのが残っていませんか」…これは塩野さんが想像した、骸骨寺の修道士の会話であるが、「そうでも思わなければ、修道士の遺骨をバラバラにして、墓所を飾り立てた彼らの神経が理解できない」と言っている(怖い物見たさに、私もこの骸骨寺を訪れてみたが、骨とは思えないほど、立派なものだった)。…これもある意味人生を楽しんでいるのだろうか。だが、塩野さんは、「狂信から生まれた無邪気さほど、恐ろしいものはない」とも言っている。イタリアには、歴史の教訓も、すぐそこに存在しているのだ。

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英会話を学ぶ古くて新しい方法

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 今さら英会話を学ぶ気はない。だが、何故か手に取ってしまった。
 リアルタイムで出会えた人も、伝説となってから出会った人も、歌詞カードを見ながら、ビートルズの歌を聴いた覚えがあろう。思春期に、初めて出会った“英語”である。中学生ぐらいの少年少女でも、何とかわかる英語もあり、うれしかった。反面英語特有の言い回しにも初めて出会った。「LET IT BE」はどうして「なすがままに」なの?なんて。でもこういう英語特有の言い回しにこそ、イギリス人のものの考え方や文化の背景があるのだ。ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ。彼らはイギリス人なんだ。彼らの生の魂に触れたような気がした。そんな思春期の心のときめきが、よみがえってくる。
 もう30数年も前の曲なのに、すこしも古くささを感じさせない。その分、当時としてはかなり前衛的だったのかなぁと思ったりする。いや、新しいとか古いとかではない。ビートルズの歌には、普遍性がある。だから今でも愛され、ファンを獲得し続けているのであろう。親しみやすく、誰もが共感できるメロディー、サウンド。だがそんな中に、ビートルズの個性がしっかりとにじみ出ている。ボーカルの声はもちろんのこと、ドラムの叩き方から、ベースの動き、ギターの音色まで、これはビートルズだとすぐわかってしまう。そんなビートルズの曲に、命を吹き込んでいるのは、歌詞であろう。
 本書は、ビートルズの歌を利用して、“英会話”を学ぼうという趣旨のものである。いわゆる受験英語ではなく、英語圏の文化の息づいている“生きて使える英語”を学ぼうというのである。「英語勉強法」と言いながら、詰め込み的な強引さはない。大人が気楽に、かつて親しんだビートルズを利用して、もう一度英語に親しもうといった趣である。副題の“リサイクル”の意図はここにある。ところどころの「コラム」も比較文化的でおもしろい。
 今さら英会話を学ぶ気はなくても、本書のページをめくっていきながら、口ずさんでしまう。なつかしい思いに満たされる。まるで初恋の人に再会したように、心は少年少女に帰っていく。本書の所々に散りばめられている、かつてのビートルズの写真のせいでもあろうか。ジョン=レノンが亡くなって23年。ジョージ=ハリスンが亡くなって2年。もはや、二度とそろうことのない四人が、写真の中から微笑みかけている。
 本書を、そんな感傷的な気持ちで読むのは、作者の意に添わぬであろうか。

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紙の本蟬しぐれ

2003/08/06 18:47

青春時代の落とし物を拾いに行く少女

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 懐かしさにも似た愛おしさが込み上げてくるのはなぜだろうか。通り過ぎていった自分の青春時代の影を、彼らの中に見るからであろうか。
 ある出来事が、その人の青春時代を支配してしまうことがある。肉親の死。試合の敗北。失恋。試験の失敗…。喪失感、挫折感、悔恨、屈辱感…そしてそれが理不尽であればあるほど、怒りへと姿を変える。
 海坂藩士、牧助左右衛門が一子、文四郎の場合、その出来事とは父の死であった。その理由もはっきり明かされず、切腹させられた父の亡骸を荷車に載せ、真夏の白昼、町中を横切って自分の家まで引いていく十六歳の文四郎。人々の突き刺さるような視線を一身に浴び、蟻のごとく父の亡骸を引いていく少年に、真夏の太陽は照りつけ、蝉時雨が降り注ぐ。少年にとって、こんなに悲しく、屈辱的な出来事があるだろうか。一家は“反逆者の家”の烙印を押され、周囲からは冷たく見られ、親戚からも疎んじられる生活を強いられる。
 だが、こんな重い運命を背負った少年が主人公であるにもかかわらず、この小説が、重さや荒みを感じさせないのは、「少年たちが、苦悩を分かち合いながら成長していく姿を、さわやかに描いた青春ドラマ!」といった趣向をとっているからであろう。牧文四郎、小和田逸平、島崎与之助。ともに海坂藩士の家に生まれた親友同士である。この小説は、彼らの成長物語でもある。学問で身を立てる決心をし、江戸で学業を修める与之助。剣に打ち込み、空鈍流の秘剣を伝授されるまでになった文四郎。大人の遊びの“一日の長”、気のいい案内役の逸平。心の内をさらけ出し、助け合って、十代後半の青春を真っ直ぐに生き抜き、少年から大人へと成長していく三人の姿には、ほほえましさを感じる。それは、誰もが覚えのある青春時代の香りを嗅ぐからであろう。 
 そして、この青春ドラマのクライマックスは、スリルあり、サスペンスあり、大立ち回りありの救出劇である。さらに文四郎は、単身、家老屋敷に乗り込んで、「死者に代わって物申す!」と、時代劇のヒーロー顔負けの活躍をするのである。まさに、「多年鬱積するままにしてきた憤りを解き放った」のである。そして、それはまた、文四郎の青春の終焉でもあった。“不遇”に耐えてきた青春時代のかたを自分でつけたのである。しかし、この小説は決して情に流されたりはしない。青春の勢いにまかせて、“数え切れない禁忌から成り立っている日常”の枠をはみ出すようなことはない。そう、そのまま、手をつないだまま、誰も知らない世界に二人だけで駆けていく…なんてことはない。だからこそ現実味があって、この小説にのめり込んでしまうのだが。だからせめて、“不遇”に耐えてきた青春時代のかたをつける時ぐらい、文四郎には、時代劇のヒーローさながらの活躍もさせてやりたくなるではないか。
 そして…文四郎の青春に綯い交ぜられた、かつて隣家に住んでいた女の子“ふく”の影。「…その日おふくは自分の意志でおれに会いに来たのだと思う。別れを言いにだ。ところが一足違いでおれは会えなかった。…そのときふくにあっていたら、何かを言ったはずなんだ。」手の届かないところへ行ってしまった“ふく”——食い違ってしまった二人の運命を、二十数年後の今日に、もう一度賭けてみる“お福の方”。…青春時代の落とし物は、色あせずにもとのままそこにあるだろうか。青春時代の落とし物を拾いに行く少女。それは、もしかしたら読者の私たちかもしれない。

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紙の本まれに見るバカ

2003/07/12 15:36

バカはユーモアを解さない

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 『バカの壁』という本が売れている。私も買った。そして読んだ。「y=ax」か、なるほどね…。うむ。…でも、なんか頭に入っていかない。ん?! そうか! そこが「バカの壁」なんだ!? …なんて、妙に納得したりして?
 でも、同じバカの本だったら、私はこちらのほうが性に合っている。…『まれに見るバカ』…。ありがとう、勢古浩爾さん! なんとスカッとしたことか。ほんとに世の中バカばっかり。しかも、そのバカがのさばっているのだから、腹が立つ。そんなバカどもを一刀両断! 溜飲の下がる思いとは、まさにこのこと。よくぞ言ってくれました!
 「バカばっかしやってますよ」、「まじめなんだなぁ」…バカの言う言葉は決まっている。まじめ=人間が小さくておもしろくないという図式しか思い描けないお粗末な頭脳(だからバカというのか…)。他人に対して「俺はまじめじゃない」とアピールしたがっている、しけた根性。…まじめであることをバカにするバカ。まず猥談しかできない男。女をハナからバカにしている封建バカ(何が許せないって、こういう男が許せない。でも、世のかなりの男はそうなんじゃないかな。だから失言が後をたたないのだ)。…まさに、「何様だと思っているんだ!」(私はこの言葉嫌いじゃないけど)
 勢古さんは、林秀彦さんの言葉を借りて、バカの根っこはこうだと言っている。『日本人は、知能はあるが、知性がないのである』と。その通りである。日本人のレベルは落ちた。下品なジョーク。内輪でしか受けない冗談に盛り上がるテレビのバラエティ番組。それを面白がって見ている純粋な子供たち。機知に富んだ会話なんて久しく聞いてない。ブラック・ユーモアは、もはや本音そのものである。ユーモアによって、権威ある者をこけ下ろし、自分より優れた者をバカにする。それはもう胸のすくようなことである。しかし、相手に対する敬意というものが失われた時、それはもはやユーモアとは言わない。「ユーモアをどのくらい解するかで、その人の文化的程度がわかる」という言葉を聞いたことがある。まさにその通りである。今の日本人には、ユーモアを受け入れ、楽しむ、精神的ゆとりはない。すべて、本音になってしまっているのである。「まじめな人は、面白みがない。人間としてのスケールが小さい」とか、「頭のいい人は、性格が悪い」とか決めつけてしまう。それは、優れた者に対する羨望から来る偏見なのである。その偏見が、バカを生み、バカを育てるのである。
 「バカは群れて力を持つ」というとおりの、マジョリティの傲慢さ、無神経さが、純粋にして繊細なマイノリティを苦しめる。…バカはマジョリティの側にいることによって、優位に立とうとするのだ。それしか、ステータスを示すものはないのだ。弱い者いじめにも似た、数での優位性である。そして、「バカは横に倣う」のである。「みんながそう言っているから」、「みんながやっているから」。そして、己の保身のため、異質な者を排除する。『前を走っているヤツを「ご苦労だねぇ」と揶揄し、遅れているヤツにたいしては優越感を持って眺める』。…こう考えていくと、これはまさに、いじめの構造ではないか。
 マイノリティだからこそ、“バカ”というものの存在に気付き、嫌悪するのである。“バカ”とは、所詮マジョリティにはわからないものなのだ。いじめている人には、いじめられている人の気持ちはわからない。世の中、そんなものである。…しかし、こうして決めつけてしまうのも、いかにも狭量で、それこそ“バカ”というものはないだろうか。…まあ、このくらいのユーモアを解してくれると、ありがたいなあ。

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