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先月(2017年4月)

未来自由さんのレビュー一覧

投稿者:未来自由

359 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本靖国問題

2005/06/19 17:07

なぜ首相の靖国参拝がこれほど国内外の大問題になるのかを論理的に解明したタイムリーな書

31人中、30人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

なぜ、首相の靖国参拝がこれほど国内外の大問題になるのか。その根本的な問題がどこにあるかを論理的に解明する本書は、時期的にも内容的にも意義深いものがある。
著者は、「靖国神社がどのようなものであるのかを知らなければ、首相の参拝がなぜ問題になるのかは理解できない。参拝がなぜ問題になるのかを理解できなければ、それに対する自分の意見を持つこともできない」という視点から、靖国問題を論じている。
最初に感心したのは、「靖国神社とは」から始めるのではなく、遺族や被害者の「感情問題」から論じていることである。
「靖国問題を難しくしている最大の要因のひとつは、明らかに『感情』の問題にある。とりわけその中心には『遺族感情』の問題がある」として、「遺族感情」を論じている。そして、この「遺族感情」には「首相の参拝によって、深く傷つけられた日本人遺族も存在する」と、「遺族感情」がひとつではないことを明らかにしている。なぜ、そのような両極の感情があるのだろうか。
「靖国の論理は戦死を悲しむことを本質とするのではなく、その悲しみを正反対の喜びに転換させようとする」レトリックがあるからである。
そもそも、戦前の靖国神社は「『お国のために死ぬこと』を名誉と考え、進んでみずからを犠牲にする兵士の精神を調達するため」の役割を担っていた。だから、戦没者の「追悼」ではなく「英霊」としての「顕彰」が必要であった。ちなみに「顕彰」とは、戦争行為そのものを褒め称えることである。
では靖国神社は、日本が起こした戦争に対し、どう考えているのか。『靖国神社忠魂史』では、「日中戦争とアジア太平洋戦争以前の日本の無数の戦争の歴史が、それらすべて『聖戦』」と記述され、「植民地獲得と抵抗運動弾圧のための日本軍の戦争が、すべて正義の戦争として記述されている」と著者はいう。
『靖国神社忠魂史』の一部を引用すると、台湾で、「わが領土たるを欲しない多くの住民は、各処に徒党を組み、二三督撫の後援を期して共和国を建設するに決し」「台湾沖でこの情況を聴くに及び断乎武力を以って任務を果たすべく決意」したとある。台湾を植民地にしようとしたが抵抗したので戦闘を開始したという論理である。これが、どうして「正義の戦争」なのか。
そして、「靖国神社はいまなお、かつての日本の戦争と植民地支配がすべて正しかったという歴史観に立っている」。靖国神社を参拝することは、このような靖国史観を肯定することに繋がるのは明らかである。ここが最大の問題なのである。
小泉首相は、この靖国史観と政府見解は違うと国会で答弁した。ならば、参拝は止めるべきである。首相がいくら「追悼」という「感情問題」を言っても、靖国神社自身が認めていない論理とは相容れないではないか。
相容れない靖国神社を参拝する「政治的意思」こそが問題であり、この政治的意思を変えない限り靖国問題は解決しないと著者は力強く項主張する。「靖国問題」を考える手引きとしてぜひ読んでほしい。
ところで、他の書評の一部に、「売国奴」「国家を毒する獅子身中の虫」だとか、「反日サヨク」「思い上がったさよく」だとか、人にレッテルを貼って貶めるような論調があることに不快感を覚える。書評というのならば、内容で論じて欲しいものだ。

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政府が説明もできない改定理由

18人中、17人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 憲法守れ、教育基本法守れの声が広がっている。国会では成立を強行する動きも活発で、緊急に教育基本法改悪の本質を知らせ、反対する声を広げることが求められている。
 先の国会で提出された教育基本法「改定」法案。そのどこが問題なのかを、国会での質問の論点を中心にまとめたのが本書である。
 端的な話、なぜ「改定」なのか。政府さえ、これにまともに答えることができなかったのが先の国会であった。
 高知新聞の社説が紹介されている。「改正を主張する人たちは、いじめや不登校などの教育荒廃、少年による凶悪犯罪などと基本法を絡める・・・だが、それらの問題と基本法を結びつけるのは筋違いだ。基本法をきちんと読めば分かる。・・・第一条は、教育の目的をこううたっている。『人格の完成』、言い換えれば『人間的な成長』に目的を置いているのであり、教育の使命としてこれ以上のものがどこにあるというのだろう。教育をめぐるさまざまな問題は、基本法の施行から59年間、目的実現への努力が十分でなかったために起きているのではない」
 極めて核心をついた主張である。
 教育のさまざまな問題は、その理念を踏みにじり続けた自民党政治にこそ、問題がある。その具体的な問題を指摘している追求に、政府はまともに答えることさえできないことが明らかになったのも先の国会であった。
 教育の荒廃を理由にしながら、教育の自由や子どもの人権を踏みにじり、愛国心を押し付ける。これが、なぜ教育問題の解決と結びつくのか。
 憲法にも違反する教育基本法「改定」案は、国家に従順な国民づくりにこそ、その最大の目的があることが明らかになっている。
 憲法や教育基本法を読んでいる人はどれだけいるのだろうか。将来を大きく左右する憲法と教育基本法をぜひ読んでいただきたい。
 本書には、教育基本法と政府改定案が収録されている。

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遠い歴史じゃなくって、今起こっている問題だ

15人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 これ、すごい!
生きた体験とその体験に学んだ女子大生のナマの声が満ち溢れている。絶対お薦めできる。まずは読んで欲しい!と言いたい。
 従軍「慰安婦」の問題を扱った本というのはテーマがテーマだけに重いイメージがある。もちろん、従軍「慰安婦」の問題は性奴隷という許されないことであり、それを直視する必要はある。しかし、本書はそれだけには留まらない内容をもっている。
 大学のゼミで「慰安婦」問題をテーマにすることさえなかなかできることではない。それにも関わらず、それに参加した女子大生の意識の変化に驚かされる。
 「慰安婦」と言う言葉から、兵隊を慰め安んじた看護婦のイメージを描いていた生徒さえいる。その彼女たちが、「慰安婦」問題を勉強し、その後で韓国へ元「慰安婦」に会いに行っての衝撃と変化!学ぶとは何か、歴史を学ぶとは何か、それを受け止めた女子大生の言葉に心打たれる。
 事前に学んだのは、「慰安婦」とは何か、そして戦後どのようにこの問題が扱われたのかなどなど。「『慰安婦』被害者の数が数万から数十万とはっきりしないのは、敗戦時に、政府と軍が関係書類を焼いてしまったから」「すべての証拠が焼き尽くされた」わけではなく、「関する文書が見つか」ったなど、「慰安婦」をめぐる認識の深まる政治的、歴史的過程も研究されている。
 そうしたことを本で学んだことと、直接会って話を聞いた後の変化の大きさ、ここに本書の意義がある。まずは女子大生の声を聞いて欲しい。
 「悪いことをしたら、相手に謝って反省せなあかんなんて、だれでもわかることやと思う」との言葉が、政府の無責任さに向けられる。
 「まだ生きてはって、目の前でその人がそのことを語ってくれている−−私たちが本で読んだりしてきたのは、遠い歴史じゃなくって、本当にすぐ最近のことなんだ」
 「そういう『今起こってる問題』でもあるんだ」と気づいた女子大生の感想と、これから自分たちが何をすべきかを確信した報告に胸打たれる。
 そして、この問題がけっして過去の問題や別世界の問題ではなく、現在の日本の政治の現状を物語っていることを認識していること。今の政府や改憲を主張する人たちが、あの戦争を誤った戦争だったと認識していないことへの怒りと、そんな政治ではいけないとの意識に注目した。
 うまく伝えることができないのが歯がゆいが、活きた経験をした女子大生たちの真実と現在・未来を考える姿勢が写しだされたものとなっている。
 とにかく、騙されたと思って読んで欲しい!

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紙の本偽装請負 格差社会の労働現場

2007/06/25 05:27

働いても希望のもてない社会であってはならない

12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

  「ワーキングプア」「ネットカェ難民」など働くものの生活難が具体的にクローズアップされ、「格差社会」なるものの本質が徐々に明らかになってきている。そんな中で、「勝ち組」企業の労働者使い捨ての実態がもっとも顕著に現れているのが偽装請負と派遣社員の使い分けかもしれない。
 本書は、その偽装請負の実態、その違法性(犯罪)と罪悪を具体的に示し、今後のあり方を問う力強い書である。若者が「いくらがんばっても認められない。働いても希望がもてない」社会であっていいはずがない。本書のあとがきにある言葉にうなずく。
 「労働者を供給し、そこから利益を搾取する『人夫出し稼業』は戦後、職業安定法で禁じられ、違反者は刑事罰に処せられることになった。労働者の供給を受ける側にも刑事罰はある」
 だが、「勝ち組」といわれる企業にとって、「電話一本」で集められる請負労働者はたまらなく魅力的な存在だった」
 本書に書かれた内容の一部だが、これだけとっても偽装請負の犯罪性は明らかだ。それだけではない。
 偽装請負を頻繁に行い、何度も行政に注意・指導されている企業のひとつがキャノンである。そのキャノンの御手洗会長は、政府の「経済財政諮問会議」の一員である。そして、その会議で、違法状態を反省するどころか、違法にならないように法律を変えろと発言する厚顔無恥な人物である。それを安倍首相がかばい続けているのだから、政府と企業の癒着振りはあきらかだろう。
 犯罪を繰り返して、ばれたら法律を変えろと圧力をかける、あまりのひどさに仰天するしかない。
 事実、労働者派遣法制定、その「改定」による製造現場への派遣合法化、さらには期限の3年への延長へと、労基法が次々と改悪された。その改悪の狙いが何であったか、それをはっきりとわからせてくれる。
 戦後、なぜ『人夫出し稼業』が禁止されたのか。労働者を使い捨て、人間の尊厳を奪う人権無視の搾取が認められない当然のことだったのだ。ところが、それを徐々に拡大し、それを悪用した企業を罰するどころか、その企業の違法を合法にしようとする政府の罪悪はいうまでもない。

 本書あとがきの「いくらがんばっても認められない。働いても希望がもてない」社会であっていいはずがない。という主張はもっともである。
 みなさん、ぜひ、このことの本質を知っていただきたい。本書はその一端を知ることのできる書である。一読をお薦めする。

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紙の本治安維持法小史

2006/07/04 15:45

「共謀罪」が治安維持法の再来と危惧される理由

12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 治安維持法よる弾圧や拷問、特高の実態や犠牲者などの実態を研究した書はかなり出版されている。しかし、法制度からの視点から治安維持法を包括的に分析した書は少ない。
 本書は、「小史」と名乗りながら、治安維持法の制定前から廃止に至る歴史を、法制面から分析した稀有な書である。1977年10月刊行の文庫版化ではあるが、「共謀罪」が継続審議となった今日、「稀代の悪法」と言われた治安維持法を知るためにもタイムリーな出版だろう。
 著者は、世間では『治安維持法』というと1925年に制定されて以来、一本の線をまっしぐらに悪法たる性格を進んだと思われがちだが、それは事実を反映していない、という。そして、治安維持法の準備期から、数度にわたる改悪を追いながら、その歴史的史実と本質を分析する。
 その歴史には1920年12月、「日本社会主義同盟」の結成や1921年国際コミンテルンと日本国内組織の連携、社会主義思想の国内への広がりがある。政府は1922年2月「過激社会運動取締法案」を提出したが、野党やマスコミの反対によって廃案となった。ここで、野党が法案の趣旨には反対ではなく、普通選挙制度要求などの絡みなどから反対したことが注目される。今日、「共謀罪」を民主党案を丸呑みしてまで成立させようとした自民党と民主党の駆け引きを考える時、まるで同じ論理が成り立っているように思われる。
 ところが、1925年「治安維持法」はスムーズに可決された。この国会では「普通選挙法」と「治安維持法」がセットで可決されていることに注目される。
 そして、最初に治安維持法が適用された事件が京都学連事件で、その適用根拠が「協議」であったことは、「共謀罪」を考えるうえで重要である。
 治安維持法が本格的に適用されたのは1928年3月15日、いわゆる3・15事件であった。これも同年2月の普通選挙前から準備されていた弾圧事件であった。
 この準備された3・15事件を仕立て上げることによって、治安維持法の改悪を、緊急勅令という当時の法体系からも異常な形式によって実施したのである。
 それ以後、法よりも拡張解釈や恣意的な運用で猛威を振るうこととなった。そして、1933年、1941年の改悪によって、政府に都合の悪いものをことごとく取り締まる法へと変化し続けたのである。
 本書では、その性格上、治安維持法による拷問や虐殺、犠牲をほとんど記述していないが、いかに治安維持法が悪法であり、その法成立前の言い分がいかに政府の都合によって変化させられたかを明らかにしている。
 民主党案を丸呑みしてまで「共謀罪」を成立させようとした自民党の腹のうちを考えれば、治安維持法の再来といわれることが、まったく的外れでないということが伺われる。
 秋の国会までに、これらの史実と「共謀罪」の真の狙いを人々に知らしめることが重要である。本書は、そのうえで重要な視点を示してくれる。

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紙の本天皇の玉音放送

2006/07/04 15:50

ウソとホントの二重構造のトリックを暴く

13人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「堪え難きを堪え忍び難きを忍び・・・」、1945年8月15日の天皇の玉音放送の一節、テレビなどで繰り返し聞かされ続けている天皇の肉声による「終戦の詔書」の一節である。
 ポツダム宣言を受諾し、無条件降伏を決断した天皇の英断として、昭和天皇を平和主義者だったとする言説さえある。戦争を終わらせる「力」を持つ天皇が、開戦を決める時には「力」がなかったなどという言説がまかりとおるところに、この国の曖昧さ、悲劇があるのかもしれない。
 著者は、この「終戦の詔書」から「人間宣言」といわれる詔書の内容を分析しながら、現在の歴史認識にもつながるウソとホントの二重構造によるトリックを明らかにする。
 「終戦の詔書」は、日本が起こした戦争の責任を認め、降伏することを宣言したのだろうか。ポツダム宣言の受諾は「米英支蘇四国」に行われているのに、この詔書には「米英二国に宣戦」したことしかふれられていない。中国への戦争については口を閉ざしているのだ。
 さらに、米英への宣戦も「自存と東亜の安定」のためであり「朕が志にあらず」と、「自存」自衛の戦争であり中国への侵略から始まった非を認めないばかりか、天皇自身の責任を逃れようとする卑劣な内容なのである。結局は「国体」天皇制を維持するための宣言であった。
 次に「人間宣言」といわれる「新日本建設に関する詔書」は本当に民主的な趣旨を語った「人間宣言」なのだろうか。この文章の巧妙なトリックに「五箇条の誓文」の引用が隠されていることを著者は指摘している。
 「五箇条の誓文」5番目の項目に「智識を世界に求め大に皇基を振起すへし」とあるが、ここに「天皇が国家を統治することが宣言されている」のである。この冒頭に記載された「五箇条の誓文」の導入によるその後の文脈こそが、「これから『建設』されるところの『新日本』とは、とりもなおさずヒロヒトが統治する国家」を示しているのである。
 結局、「終戦の詔書」でヒロヒトは責任逃れに終始し、「新日本建設に関する詔書」で国体の護持を宣言したのである。
 また、昭和天皇ヒロヒトがマッカーサーに戦争の「全責任」を負ったという言説があるが、その事実はまったく存在が確認されておらず、天皇を平和主義者にしたいと願う者の願望でしかないことを明らかにしている。
 字数の制限があり、これ以上本書の内容を紹介するわけにはいかないが、現在の歴史認識をめぐる論争の出発点に「終戦の詔書」があることを著者は明らかにするとともに、事実を認めることの重要性を強調している。
 憲法を改悪しようとする人たちの歴史認識は事実を認めないところからはじまっているだけではない。民主主義さえも認めようとしない根本的な欠陥があることも知る必要があるだろう。そんな人たちに都合のよい憲法にさせてはならない。

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小林多喜二の名作『蟹工船』がマンガになった

11人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 21世紀に蘇るべきして蘇った小林多喜二。映画になり、歌になり、今度は『蟹工船』がマンガになった。
 人間の生と尊厳を熱く語り続けた多喜二。『マンガ蟹工船』には、人間の生と尊厳を踏みにじり、金儲けのためには人間を物以下にしか扱わない、資本主義社会の本質が生々しく描かれている。そして、命さえ脅かされても抵抗すらできない労働者。その両者の極端な姿が生々しい。
 もっとも優れていると思われるのは、雑多の集団だった労働者が、ひとつのまとまった集団へと変化していく様を巧みに描いているところだろう。命さえ脅かされるもとでも、様々な「ごまかし」に惑わされ、なかなか団結できない労働者。その労働者が目覚めていく過程を、一本道として描くのではなく、雑多な労働者がいくつものジグザグな進展・後退を繰り返しながらも、やがてまとまっていくところが巧みである。
 多喜二が描こうとした資本主義の本質、その本質は現代にも当てはまる。ますます巧妙になった現代の「ごまかし」の本質を、この『マンガ蟹工船』を読むだけでも、考えることができる。浅川監督のような直接的な暴力は無くなってはいても(現実には少数ながら存在することを見逃してはならないが)、過労死や精神疾患の増加などに見られるように労働者の命さえ削り取っていく搾取はいまなお続けられている。
 この『マンガ蟹工船』を、現代の問題として読み取って欲しいと願わずにはいられない。『マンガ蟹工船』を現在の問題として読めば、多喜二文学がいまもなお読み継がれる理由がおのずと明らかになるだろう。
 この『マンガ蟹工船』には、マンガでは異例とも言える長文の「解説」が島村輝氏によって書かれている。この「解説」が、小説『蟹工船』への良き導きとして優れている。「ことばの仕掛け」の読み解き、小説『蟹工船』を読むことが楽しくなるような内容に満ちている。
 今回、『マンガ蟹工船』を読むにあたって小説『蟹工船』を事前に読んだ。多喜二を読んだ初めての作品が『蟹工船』であった。もう30年ほど前になる。その後も繰り返し読んだが、今回『マンガ蟹工船』を読んで気づいたことがある。
 島村輝氏の『臨界の近代日本文学』の中の『一九二八年三月十五日』に関する論に、「語り、駆り立てる」と「示し、知らせる」ということに触れている。
 多喜二は、「『示し知らせる』ことを目的としたのではなく、『自分の眼で見せつけられた』事件の相について『語り、駆り立てる』ことを主な目的とした」という評価である。
 多喜二の作品の魅力はなんと言っても、生とその尊厳への慈しみ、それを踏みにじるものに対する怒りを全身で語ったことではないだろうか。
 多喜二が多喜二自身の心からの叫びとして「語られた」作品は強く読者の心に響いてくる。「示し、知らせる」ことを急いだ作品には何か不足を感じる。
 『一九二八年三月十五日』が読むものの心を強く揺さぶるのは、多喜二の「語り」にあるのだと思う。『蟹工船』の中にも「語り」が満ちている。
 ぜひ『マンガ蟹工船』を読んで欲しい。現代にも通用する多喜二の魅力が溢れている。

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紙の本歴史教科書と日本の戦争

2005/04/17 09:00

過ちを認めながら成長し続けられる大人になって欲しい

14人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書冒頭に、井上ひさしの特別寄稿が掲載されている。そこで意外な事実を知ることができた。国連の費用分担率がもっとも高いのはアメリカで25%、二位が17.98%の日本。
ところがアメリカはこの分担金の未払い常習国であるそうだ。
それが、9・11テロの発生後、慌てて未払い分担金の一部を払い込んだそうである。
「アフガニスタン空爆を始めるに当たって、やはり国連に味方をしてほしかったようで、この現金で、子どもっぽいやり方は世界の心ある人たちの失笑を買った」そうだ。
さて、本書は「新しい教科書をつくる会」がつくった扶桑社の『新しい歴史教科書』が、いかに歴史を叙述しているかを詳細に分析した本である。
『新しい歴史教科書』がいかに真実を歪めたり、歴史の真実を省みないものであるかを、政府資料も使って詳細に批判している。さずが、という内容である。
もっとも驚いたのが、『新しい歴史教科書』には「日本が起こした戦争の記述をするにあたって、『侵略』をという言葉を使っていない」ことであった。日本以外の国の起こした戦争には「侵攻」「侵入」などの言葉を使っているの…。
ここに本質があるだろう。『新しい歴史教科書』は、「日本がやった侵略戦争について、何の反省ももたず、それが他国に対する『侵略』であったことさえ認めようとしない人たちが、自分たちのその独断的な考えを次の世代に押し付けるために意図的につくった教科書だ」と断言する。
だいたい「つくる会」の会長は、「何も反省すべきことはない」と断言している。そのような人たちがつくった教科書を子どもたちに教えるなど空恐ろしいことだ。
中学生と小学生の子を持つ親として、過ちは過ちとして認め、その反省のなかから成長し続ける子に育って欲しいと願っている。過ちの認められない人にはなって欲しくない。そんなことを真剣に考えてしまった。

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紙の本憲法九条はなぜ制定されたか

2006/06/10 16:18

軍事力では平和は生み出せない

10人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本ブックレットの主題は、「憲法九条はなぜ制定されたか」で、その論も興味深いが、「歴史から何を学ぶべきか」「軍力力で平和は生み出せない」が一番興味深かった。
 「憲法九条はなぜ制定されたか」では、天皇の戦争責任免罪と天皇制存続の思惑が分析されている。マッカーサーの思惑を読み解くことによって、「天皇が将来に向かって自ら積極的に憲法をつくろうとしていることの証として、日本国民に対するとともに、連合国に対して必要であったのです。そのためには、戦争放棄条項が盛り込まれた憲法を、東京裁判の被告人選定段階で、直接天皇の言葉である勅語を付して発表する必要があったのです」
 著者は「どれをとってみても天皇の戦犯問題と戦争放棄条項を一対のものとして解して、マッカーサーの意図を説明」するものだと、様々な証言から示している。この論稿と沖縄との問題も興味深いものがあり、ぜひ読んでみてほしい。
 私が注目したのは、「歴史から何を学ぶべきか」である。
 「憲法九条は、単に日本が戦争をしないというだけでなく、日本が二度と戦争しないことを連合国、あるいはアジアの戦争被害者にたいして誓った誓約書でもあるのです」
 「『武力によらない平和』の主張に対して『もし、外国が攻めてきたらどうするか』という質問がよく出されますが、それでは、軍備を持ち、戦争のできる国になったら高枕で寝ていられるというのでしょうか。むしろ、近隣諸国を刺戟することによって、軍備競争を加速化することは歴史が示しているところです」
 「軍事力によらない平和の創造は、暴力の連鎖が続く現実を直視するとき、多くの困難がともなうにちがいありません。しかし、人類はいつの時代にも眼前の困難をおそれず、それに立ち向かって、歴史をつくってきました。いま、私たちが軍事によらない平和を創造すること、それは私たちの歴史責任であるとも言えましょう。そのためにも、憲法九条は必要なのです」
 引用ばかりになってしまったが、いま必要なことが後段に詰まっている。繰り返しになるが「人類はいつの時代にも眼前の困難をおそれず、それに立ち向かって、歴史をつくってきました」という歴史を学ぶことがどうしても必要だ。
 このことは平和だけに関わらず、自由や人権獲得の歴史にもあてはまる。共謀罪が内心の自由に踏み込み、自由や人権を奪う危険性をもつものであることは、歴史が教えてくれる。
 私たちは二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、歴史に学びながら、「眼前の困難をおそれず、それに立ち向かって、歴史をつくって」いくことが必要だろう。

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人権無視のえげつない搾取

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ついに最も単純明快な強奪による原始的な搾取に還った。現在の日本資本主義を一言で言えばそうなるだろう。
 戦後日本資本主義の軌跡を辿りながら、そのことを明らかにしていく。著者の心の底からの怒りが届いてくる。経済と経済を語った本ではあるが、感情のこもった文章にぐいぐい引き込まれる。
 ワーキング・プア。働いても生活保護水準以下の生活を強いられる人々。労働者がどうなろうが、儲けさえすればいいという強者の論理。
 そんな企業の人権無視のえげつない搾取を可能にしたのは何か。政府の「国家的権力の意図的な介入、強権支配力によっておこなわれた」のだ。
 いまや「無権利」「使い捨て」「非人間的扱い」の資本の論理が大手を振って進められている。ここで闘わなければ、ますます「強奪」ともいうべきえげつない搾取が進められる。
 いま、「人間の労働力をたんなるコスト(費用)としかみない貧弱な思考=新自由主義を乗り越えるかが問われてい」る。
 「これを乗り越える力が社会的連帯という豊かな、創造的な思考に裏打ちされた国民の運動にあることは、日々たたかわれている多様な動きが示しているところ」だ。
 企業の儲けさえすればよいというえげつない搾取と、その搾取を可能にした政府の実態を知ることができる。そして、このような強奪政策からの訣別をはからなければならない」と著者は力説する。
 まったく同感である。そのためにも前述の「連帯」と「運動」を進めることが重要であろう。

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紙の本ヤバンな科学

2005/07/31 08:37

二年前にスペースシャトルの安全性を警告!今回の事故が起こる可能性を示唆していた

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 スペースシャトル・ディスカバリーの打ち上げを世界の人々が注目した。しかし、一転して、シャトルの翼損傷が世界に衝撃を与えた。世間話の中では「野口さんたちは帰ってこれるのか」と危惧する声さえあがっている。
 すでに2年前、池内了は、スペースシャトルの安全性を警告していた。「アルミニウム合金製の機体を耐熱タイルで覆うことにしたのだが、その断熱材が意外に脆弱」「信頼性においてもスペースシャトルは万全とは言えないのだ」
 「そろそろ寿命が来ているスペースシャトルに替わる新たな輸送機を開発しなければならない」「経済的な事情がシャトルの安全性への配慮に悪影響を与えていないかどうか、気になるところである」
 「現在の世界のロケット打ち上げの成功率は95%らしい」「人間の乗り物としてのロケットは、まだまだ危険なのである」
 27日、NASA計画部長が「我々は間違っていた」と発言、次回以降の打ち上げ凍結を決めた。本来、事故が起こってからでは遅い話である。安全性を軽視し、しゃにむに打ち上げに突き進んだ背景を厳正に見直す必要があるだろう。
 さて、私は、この科学者の広い視野と、科学と社会に対する真摯な態度が好きだ。そして、間違ったことへの批判を忘れない姿勢に科学者としての誠意を感じる。
 また、暮らしの中から科学を身近にしようとする努力に脱帽する。この人の著作には、寺田寅彦の話が度々登場するが、科学と暮らしを結びつけた話の多くに納得してしまう。
 本書は、昨年発行された本だが、「地球の上で生きるための科学とは?」を問う、楽しい読み物でもある。そして、時には科学が人類の未来をひらくのではなく、人類の破滅さえ招きかねない事態になっていることを警告する。
とりわけ地球温暖化問題では、経済優先政策が限界にきており、その方針転換が迫られていることを明確に指摘している。
 また、科学においては「疑わしきは罰する」という態度が必要だと力説する。水俣病が代表としてあげられるが、因果関係が証明されないことを理由に、被害が拡大した歴史的事実からも説得力がある。著者が提起する、人間や環境への悪影響が疑われるものについては「疑わしきは罰する」という方向に大賛成である。
 著者は、あとがきで「私は、科学の否定論者ではなく、科学がまっとうに育ってくれることを望む人間である。それ故にこそ、厳しい科学批判をする一方、科学の新しい可能性を探りたいと思ってきた」と述べている。
 幾人の科学者が、このような姿勢で科学や社会に対峙しているであろうか。
 人間と科学を考えるうえで、著者の視点は重要である。科学が豊かになることが、人間も豊か(経済的な視点だけでなく心の豊かさ)になる、そんな社会になって欲しいものだ。
 著者は、言うだけではいけないという。一人一人が行動せよと。まったくそのとおりだ。

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闇があるから光がある

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 一言一言を噛みしめ、何度も何度も前の文章を読み返し、やっと読み終わった。一つとして読み落としてはならない、そんな想いにかられた。最近、これほど力を込めて読んだ本はない。
 それほど、著者の全力込めた情熱が伝わってくる。過去に生きた多喜二を語るのではない。いまを生きる私たちが、いかに生きるのか、いま、それが問われているのだ、そんな著者の訴えが身体中に伝わってきた。
 青年期に敗戦を迎えた著者は、「いまの若者が多喜二を知らないように、私たちも知らなかった」「戦後になってはじめて、戦争に反対してたたかった人たちがいることを知った」と、多喜二との出会いで述べている。
 そして、著者は知った事実を身体中で受け止め、その気持ちを高めながら生きてきたようだ。そして、その高まりは今も旺盛である。私は本書から、そう読み取った。
 そんな著者の全身全霊をかけた言葉を、読み落とすわけにはいかない、そして負けてられるか、という意思が沸いてきた。
 お断りしておきたい。本書は一度読んだだけで書評を書くべきでない、と感じた。しかし、私は読み終わった時の情熱と直感を述べずにはいられないところがある。今回もその立場から想いにまかせて書くことにしたい。
 第1章「いま、多喜二を考える」の「考えたこと」に前述の感想をもった。そして、著者の情熱にうたれた。いま、私たちがすべきことを的確に語っている。
 「若き多喜二の彷徨と発見」には、ここまで生身の多喜二をえぐり出す必要があるのか、最初にそう思った。しかし、読み進むにつれ、葛藤と矛盾に苦しみぬいた多喜二だからこそ「闇があるから光がある」とタキに語り、自分に同じ言葉を語ることができた多喜二の人間像が浮かび上がってくると気づいた。
 ただ、多喜二を知らない人には、暗さが強調されるのではないか。そんな危惧をいだいてしまった。
 第2章「プロレタリア文学とその理論をめぐって」は、まったく同感である。とりわけ蔵原惟人に関する記述は、わかりやすいものがある。私は、蔵原の歯切れのよいところが大好きである。その最も蔵原らしい理論を展開した核心が本書で取りあげられている。
 第3章「小林多喜二と志賀直哉」に、いまを考えるうえで重要なポイントがいくつも含まれていると思った。
 「多喜二が直哉に『直哉の立場から』の批判を求めたことは注目すべきことである。階級的、思想的立場が異なっても、そうした立場のちがいを超えて、ひとつの作品に対する芸術としての批評が成り立ち、そうしたちがった立場からの批評を大事にしたいという考えが、多喜二にはあったのだ」
「相互に立場を認めながら、自分の立場を認めながら、自分の立場、自分の気持ちを率直に遠慮なく述べ、また相手の意見を謙虚に聞こうとするところに、立場を異にする者の間の相互批評が成り立つ、この点でも統一戦線の問題がさし迫って重大な意味を持つ現在、多喜二と直哉の往復書簡は大切な問題を提起している」
 引用が長くなったが、今日でも本当に重要な問題であることは著者の言うとおりである。まだまだ、語りたいことは山ほどあるが、字数制限があるため終わりたい。
ぜひ読んで欲しい!

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帝国と核兵器

2007/09/25 05:33

人類と核兵器は共存できない

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 久々に視点も論点もすっきりとしたものを読んだ。アメリカの核開発から広島・長崎への投下の真相、その後も核兵器を開発し使用をほのめかしながらのアメリカの核脅迫という過去と現在を知ることができる。
 アメリカでは、いまだに原爆投下によって、百万人の連合軍兵士の命が救われたと原爆投下を正当化する教えがまかりとおっている。
 それだけではない。そもそも被爆者の実態や真実は60年以上たった今も明らかにすることを、アメリカ政府は妨害し続けている。原爆が人間に与えた影響を知らせることなく、原爆投下を正当化しているために、多くのアメリカ人は政府の言い分を信じているという。

 日本でも歴史認識の問題が問われているが、アメリカでも同じ問題がある。
 「政府が過去を支配しようとするのは、現在と未来を支配するためである」「歴史感覚を持ち合わせない国民はそれを信じてしまう」

 日本でも「核の傘」とか「核抑止論」を主張する人たちがいる。だが、現実を見よ、と言いたい。最も早くから核兵器を開発し多量に所有するアメリカによってどんな抑止力があったのか。朝鮮戦争、ベトナム戦争、現在も続けられるイラク戦争、核抑止力などというものはどこでどのように働いているのか。まったくのデタラメ論であることは明白である。
 アメリカは核の力で他国を脅迫し続けているということを著者は明らかにしている。

 本書の特徴は、そんなアメリカの実態を明らかにするだけではなく、世界各国の核兵器廃絶の運動を紹介し、その核兵器廃絶の運動に大きな力を発揮している日本の運動を紹介している。
 「人類は核兵器と共存できない」という被団協のメッセージの持つ意味を心底から理解し、核兵器廃絶実現めざす運動の意義を強調している。

 「解説にかえて」を立命館大学国際平和ミュージアム館長の安斎育郎氏が書いている。
 ”問題の政治的本質をしっかりと見極め、単なる「非核の世界への願望」というナイーブな意識状況から、核兵器廃絶を実現するための政治的過程を見据えた、地に足の着いた力強い運動へと発展させていくことが非常に重要であろう。被爆の実想を知ることはもちろん、私たちは、非人道的な核兵器を世界支配の道具として利用する「好核国家」の論理とその政策展開、そして、それを支えるための科学・技術や経済、さらには「平和と安全」を標榜して国民を核脅迫政策支持にする(手品のような)仕掛けについても学ばなければならない”
 その最適のテキストのひとつと安斎育郎氏も述べているが、まさにそうだと思った。ぜひ、ぜひ読んでいただきたい。

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多喜二が成長し続けていたように、私たちも成長し続けている!

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 いま、なぜ小林多喜二なのか。多喜二の人生、文学、業績は幾度も語られ続けてきた。それでも、まだ多喜二は語りつくされていない、という。それはなぜなのか。100人の多喜二ファンがいれば100人の受け止め方があるからだ、と私は思う。それほど多喜二の生と死は強烈であり、かつ広く深ったということを示しているのではないだろうか。
 そして、多喜二を語りつくすことはできないだろう。なぜなら、100人の多喜二ファンがいれば、100人の共通する未来があるからだ。多喜二が成長し続けたように、私たちも成長し続けているからだ!
 本書は昨年11月12・13日に中国で初めて開催された「小林多喜二国際シンポジウム」の論文集である。張如意運営委員長は「このシンポジウムの成功は、今日に生きる小林多喜二文学についての共通認識を深めるとともに、日中の文学研究の新たな架け橋となった」と述べている。私は、この論文集を読んでそれ以上の成果があったと思う。その最たるあらわれをシンポウジウムに参加した小樽商科大学生の感想から読み取ることができる。
 「社会の矛盾、その矛盾に対抗するために立ち向かう闘志とその姿を学ぶことは・・・自分たちの将来について見直す機会になる」など、人が真摯に生きることの大切さを学び取った様子が伺われる。また、日中の参加した学生たちが「直接話す機会を頂いた事は、私たちの中国への意識を変化させる大変良い機会になりました」と、対話による相互理解の重要性を認識している。
 シンポジウムの中では、多喜二の小説を中心に、当時における多喜二の先駆性と現代に継がれるべき重要な視点が強調されている。また、今回のテーマでもある「反戦・平和・国際主義」の文学精神を、多喜二の小説ばかりでなく、魯迅の多喜二への友情、鹿地亘の反戦運動などから多面的に深めている。鹿地亘の『死の日の記録』は本書の収録が初公開という。
 本書の特徴は、今日も続けられている為政者による「もっともらしい言葉」による「ゴマ化し」を徹底的に告発し、真実を伝え続けようとした多喜二の精神と文学の統一の解明にある。多喜二は、真実を見抜くための勉強をたえず行い、それを行動に移し、常に最新の視点から小説を書き続けた。「生きる」こととは何か、虐げられた人々の視点から誰もが幸せに「生きる」ことのできる社会とはいかなるものか、どうすればそんな社会が実現するのか。多喜二はそれを問い続け、自分の見つけた信念を身をもって貫き通した。ここに多喜二の文学がいまも読み継がれる所以がある。
 本書で最も力説したいのは、報告者みんな最大の力を振り絞って、多喜二を語り、現代を語り、未来を語っていることだ。みんな共通の未来を見て多喜二を語っている。冒頭の「私たちも成長し続けている!」との言葉はここから読み取った。
 最後に伊豆利彦氏の言葉を紹介する。「多喜二歿後73年のいま、戦争の足音が聞こえはじめ、反動の動きがつよまっているいま、反戦平和の旗を掲げて困難なたたかいの犠牲となった多喜二の生涯、その思想と文学は新しくよみがえり、私たちを励ましてくれる。その死は決して『ただ単なる無駄な犠牲』ではなかった」
 多喜二の「火を継ぐもの」は誰でもない。私たちだ!憲法9条を改悪し「戦争できる国」にし、「公益及び公の秩序」という言葉のもとに自由や人権を抑圧する改憲を許してはならない。
 「国際貢献」「自己責任」「改革」などの言葉には為政者の「ゴマ化し」がある。真実を見極め、誰もが幸せになる社会を実現するのは、私たち一人一人の力にかかっている。そのことを多喜二の文学は教えてくれる。だから、いま多喜二は旬、だと言いたい。

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人は誰でも愛される権利がある

11人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書は、世界中を歩き、世界の人々との交流を積み重ねてきた著者の実体験から「憲法を活かす」世界の人々の姿を語った講演集である。
 大統領を憲法違反で訴えたコスタリカの大学生の話は以前に聞いたことはあるが、2004年9月に「勝った」という話は日本との違いを見せつけられた。コスタリカの大統領がアメリカのイラク戦争に「賛成」と言ったことに対し、大学生が訴え、裁判に勝ち、大統領は謝罪して撤回したというから、憲法がどれだけの力を持っているのかがうかがえる。
 コスタリカでは、小学生でも憲法違反の訴訟ができるという。「もしもし、憲法違反ですよ」と電話一本で訴訟ができる仕組みが整っているという。日本とは大違いだ。コスタリカでは、小学校に入学して子どもたちが最初に習う言葉は「人はだれでも愛される権利がある」で、基本的人権をしっかりと教えられ身につけている。
 憲法とは本来そうでなければならない。本書にはそんな具体例がいくつも紹介されている。

 本書には他にも、カナリア諸島にある「九条の碑」「ヒロシマ・ナガサキ広場」の話、アメリカでの憲法守る闘いなど世界の憲法活かす取り組みが紹介されている。
 「世界の人々は、憲法を盾にたたかっている。憲法で一つでも使えるものがあれば、それをもってたたかっている。私たちの憲法は、9条だけでなく人権も、ほかにもいっぱいいいものがあるのに、使っていない。世界の人々はひどい政治状況の中でも民主化のために、少しでもいい社会になれるように、憲法を使っているのです」
 こんな著者の熱い思いが語られている。

 憲法を日々の暮らしに活かすことが今日ほど求められている時はない。『蟹工船』ブームも、若者たちの生き難い現実に対する行動からますます広がっている。
 人権と平和、いまこの本来の役割実現に、憲法を活かす運動を広げることがますます重要だ。ぜひ読んで欲しい一冊だ。

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