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ガブリさんのレビュー一覧

投稿者:ガブリ

46 件中 1 件~ 15 件を表示

常識的な古代ギリシア史

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

以前にどこかでなにかの特集で読んだと思うのだが『黒いアテナ』というタイトルは覚えていたので早速手にとってみた。古代ギリシアは黒人文化だったというような驚くべき内容のように記憶していたが実際に読んでみたらあまりに常識的な内容に拍子抜けしてしまったというのが正直な感想である。

2巻上に展開されているのはクレタ文化、ミケーネ文化へのエジプト文明の影響である。言語学やエジプト考古学、地中海考古学を専門的に勉強したわけではないのでここで展開される論がどの程度の位置付けになるのか分からないが、提示されている年代や言語の解釈に誤りがないとすればものすごく説得力のある納得のいく内容と思える。ということは、この内容に反論するならば言語学的解釈の違いとか年代解釈の違いなどの素人には手におえない瑣末な部分での論争にしかならないのではないだろうか。
著者は古代ギリシアが黒人によって作られたといってるわけではなく、交流と交易によって古代地中海地域はエジプト文化圏の範疇だったと言っているに過ぎない。

クレタ文化がエジプト文化を取り入れたからといって何の問題があるのだろうか? ギリシア語がエジプトやアジアの言語を取り入れてるからといって何の問題があるのだろうか? エジプトのファラオが地中海や黒海沿岸を遠征したことがあるかもしれないという何が問題なのだろうか? アレキサンドロス大王のインド遠征は認められてもファラオのギリシア遠征は考慮にも値しないというのはどういう理由なのだろうか。少なくとも宇宙人が地球に人類のタネを残したという論よりマトモだと思うが。
考古学の成果は気の長い地道な作業によるものだとは承知しているが、地中海考古学は大戦前の西洋至上主義から未だにパラダイムシフトしていないように見える。

ミケーネに代表される古代地中海文化はドーリア人の南下によって滅びたと授業で習った覚えがある。クレタ文化は噴火によって滅びたと聞いた覚えもある。それらは実はエジプト文明の停滞期における交易の衰退によるものではないかというのが著者の提議だ。黒海沿岸の中部ヨーロッパからアフリカ内部までを網羅した活発な古代交易網がパックス・アエギプティアカ(エジプトの平和)のもとに行われていたが青銅器文化末期の争乱によって途絶え、交易によって栄えていた古代地中海文化は衰退したという。その後のドーリア人の南下以後のポリス社会はこの本の範疇ではない。

この上巻は2巻全12章のうち6章までだが序文に12章までの各章の要約があるので全体の構成もつかめる。古代史に興味のある人ならば楽しく読めるだろう。
できれば下巻を早めに、1巻も是非出版してほしい。

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たかがミミズ、されどミミズ

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ここ数年むくむくと好奇心が膨らんではしぼんでるのがミミズの飼育である。
環境問題に特に熱心なわけではないのだが、電気を使うゴミ処理機よりミミズのゴミ分解のほうが絶対におもしろそうではないか!
しかし、たかがミミズ、されどミミズ。
ミミズと聞いただけで周囲に嫌ぁーな顔をされてしまう。
臭いんじゃないかとか、虫が湧くんじゃないかとか。
実は自分もそれが心配だったのだがこの本を読んでそれが偏見だったことが分かった。
正しく飼えば臭くもないし虫もわかない。むしろ居心地が悪いとミミズは脱走してしまうらしい。
エサが気に入らなくても逃げてしまうというのだから美食家でもあるようだ。
この本にはたくさんの実例が載っていて中には笑ってしまうようなエピソードもある。
ビニールハウスでミミズの養殖をしたところ豪雨の翌朝ミミズがすべてビニールの壁にへばりついて干からびていたというのだ!
さてミステリーである。ミミズに何が起きたのか?
真相は、豪雨で酸欠状態になったエサ床から壁を伝って逃げ出そうとしたミミズは雨上がりの朝日に焼かれてしまったのだ。
ミミズはとっても動きがノロかった。
エピソード満載のこの本を読めば、ミミズがかわいく思えてくること間違いなし!
ミミズの飼育は当分できそうにないのでとりあえず読んで楽しむことにした。

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時の旅人クレア 1

2003/05/21 02:28

歴史小説ファンもファンタジーファンもミステリーファンもラブロマンスファンも満足できるかもしれない本って稀有じゃありませんか?

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

惜しい! 実に惜しい!!
なにがってこの本がラブロマンスを求める人にしか読まれないかも知れないのが惜しい。
西洋歴史小説が好きな人やファンタジー、海外ミステリィが好きな人にもオススメの一冊かもしれない。
歴史小説ファンとしては実に珍しい時代を扱っているということがひとつ。
16世紀のエリザベス1世の時代やもっと遡ってアーサー王伝説はよく知られているが、この18世紀スコットランドは実に面白い時代なのに日本ではほとんど知られていない。
この時期を扱っている小説は古くはウォルター・スコットの「ウェイバリー」が名高いが翻訳されていないし、映画になった「ロブロイ」が時代が違うが雰囲気を伝えているのみなのだ。
1745年のジャコバイトの反乱は日本でいうならば天下分け目の関が原である。
スチュアート朝再興を期してボニー・プリンス・チャーリーを旗頭にイングランドを目指した反乱軍は首都ロンドンに20kmまで迫りながら敗走し、最後はカローデンの荒野で全滅した。
主人公のクレアは第二次大戦後から1743年にタイムスリップしたのでまさしく反乱前夜である。
クレアはこの反乱の結末をもちろん知っているから、恋人のジェイミーが反乱に巻き込まれることを恐れるが、自分の素性を言えないのでそれを言えないジレンマに苦しむ。
1巻ではまだあまり出てこないがジャコバイト派に付くか付かないかはこの本の重要な要素でもある。

ファンタジーファンとしてはこの本の雰囲気がなんとも言えない。
これを書き上げる前に現地取材はしていないと作者は言っているそうだが、それにしてはスコットランドの描写は生々しい。
垢だらけシラミだらけ血だらけの汗臭い男たちがゾロゾロ出てくるラブロマンスってあんまりないんじゃないだろうか?
クレアが大戦中に従軍看護婦だったため戦傷に慣れていてハイランドの荒くれ男たちに治療師として受け入れられたというのもうまく繋がっていて面白く読める。
イバラをかき分けての闇夜の行進や土埃と石の感触のする城の生活などの描写がすべて18世紀スコットランドの古臭さを醸し出しているのも見事だ。
ファンタジーでもこの味を出している本はそうはない。
大広間で吟遊詩人がバラード歌う場面ではスーザン・プライスの「エルフギフト」を思い出させる。
地の女神や古き力によって異次元に迷い込む迷い人の伝説。
スコットランドはファンタジーの宝庫である。
作者はその要素をふんだんに取り入れて雰囲気つくりに成功している。

またこの本を読んで思い浮かべたのはシャム猫ココシリーズのクィラランだ。
クィラランは自分の母方がマッキントッシュの出であることをいつも強調し、アンティークショップでカローデンの古戦場跡からでたというタータンの切れ端を額に入れて飾ったりする。
スコットランドツアーに参加してジャコバイト反乱の話で盛り上がったりもする。
他にもマクラウドのシャンディ教授シリーズ「オオブタクサの呪い」なんかも雰囲気が似ている。

歴史小説ファンもファンタジーファンもミステリーファンもラブロマンスファンも満足できるかもしれない本って稀有じゃありませんか?

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紙の本妖女サイベルの呼び声

2004/02/29 03:15

始まりと終わりの物語

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

マキリップの翻訳されたファンタジイ、この本と『イルスの竪琴』のシリーズを評するのに「タペスリーのような」という言葉がよく使われる。ひとつには文字通り、言葉が織りあわされるように文章ができ一枚の織物のような物語になっているから。いまひとつは出来上がった物語が、特にこのサイベルの方なのだが、「貴婦人と一角獣」のような中世の色褪せたタペスリーを想像させるからなのだ。

この本の原題は「エルドの忘れられたけものたち」という。サイベルの暮らす世界は中世を感じさせる。中世には幻獣はすでに記録のなかにだけいる存在だったが、人々はその存在をまだ信じて畏怖していた。サイベルの物語に登場する幻獣たちもその名声にもかかわらずエルドの山中でひっそりと暮らし、時折、人の口の端にのぼることで満足しているようだ。
また、サイベルに預けられて羊飼いと遊ぶ王の子タムローンはオイディプスのように見えるが、どちらかというと私は中世のアーサー王伝説を思い起こす。サイベルが求める伝説の白い鳥ライラレンは形をかえた聖杯とも思えるのだ。サイベルが心のなかに聖杯を持つケルトの白い貴婦人だとするとサイベルに求婚するコーレンは聖杯探索の騎士なのかもしれない。

サイベルの物語に出てくる魔術師は魔法を使わない。書物(知識)と言葉の魔力を有するのみである。ここでも言葉を知ることに力のあった中世の雰囲気がある。ラテン語で書かれた聖典が一握りの知識人のみの特権であった時代。世界の秘密を求めて孤独な探索を行っていた錬金術師と呼ばれた人たち。サイベルもこれらの魔術の系統に連なるのだが、女性であるがゆえに愛を求める探索へ彼女は一歩踏み出す。

サイベルの物語の鍵を握るのは「支配と所有」の謎である。サイベルは言葉(心)の力で幻獣たちを縛っている。しかし、サイベル自身が他の魔術師によって心を縛られそうになり彼女はその恐ろしさを知ることになる。憎しみによって支配の恐怖を退けようとするが、その方法は彼女自身が憎しみの対象と同じ存在になることだったと気づくのだ。
サイベルは無批判に受け入れていた父や他の魔術師の方法を放棄することによって、彼らが決して手に入れることの出来ないライラレンを得た。

『指輪物語』の指輪は「所有と支配」の感情を指輪をもつ者の心に増大させ破滅させる。指輪を持つフロドを破滅から救ったのは友情である。
サイベルを所有しようとした魔術師とそれを命じた王ドリードは愛を信じずに破滅した。愛に背を向けて孤独の闇に落ちようとしていたサイベルを引き戻したのはコーレンの愛情だった。
物語の始まりで愛を知らぬまま女たちを支配していたサイベルの父祖たちの欠落は埋められ、サイベルはコーレンの愛を得て完成された一対となったのである。

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ミシェルと語り合おう!

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

モンテーニュ伝の第三巻「ミシェル 城館の人 精神の祝祭」は題名の通りその魂の軽やかさで圧巻である。
ミシェルの時代はその生涯を通じて国内戦争の血みどろのときであった。前巻、1572年には史上有名なサン・バルテルミーの虐殺があり、これを命じたとされるカトリーヌ・ド・メディシスは冷血な悪女として有名だが、彼女も困難な時代にあって国の崩壊をとどめようとした強靭な精神の持ち主であった。
二巻目以降ミシェルは城館にこもる暇もなく呼び出され国事にかかわっている。
三巻目ではイタリア旅行に出ているがボルドーの市長に選出されたとの報を受け帰途についている。
その当時の国内は三すくみ状態にあった。
カトリーヌの最後の子アンリ3世の王権と、カトリック教会を味方につけスペインから援助をうけ王位を狙うギュイーズ公と、次期王位継承者とされながらプロテスタントの旗頭となっていて身動きできないナヴァール公アンリ。
息詰まるような極端な政治的状況にあってミシェルも政治交渉に駆り出され奔走している。
目まぐるしく動く国内状況を影法師は語り、ミシェルは動き、読者は固唾を飲んで見守る。三者がひとつとなる瞬間である。そしてここから、ミシェル、堀田氏(影法師)、読者であるわたしの三者の語り合いが始まる。
<精神を鍛錬するのに最も有効で自然な方法は、私の考えでは、話し合うことであると思う>
語り合おうではないか。人間について、精神について、その他もろもろのことについて、語り合おうではないか。
<私は万事談話風に語る>
<言葉は、半分は話し手に、半分は聞き手に属する>
この瞬間に向けて三巻をついやして影法師はミシェルを観察してきた。
三巻をかけて影法師に導かれ読者はミシェルの魂の核まで入り込み、そこで精神の祝祭の場に立ち会うのである。
この困難な時代にあってなんと伸びやか精神。その精神と語りあえることの喜び。まさしく精神の祝祭である。

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紙の本可愛いエミリー 改版

2003/09/24 21:30

人間関係を楽しむ方法を教えます

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この本を手に取るのは何歳の頃だろうか?
エミリー・ブックと呼ばれるこのシリーズが本当に意味を持つのは大人になってからであると思う。アン・シリーズがモンゴメリーの表の顔とすればエミリー・シリーズは裏の顔である。この本の中に潜む奥深さを小学生や中学生に理解できるとは思えない。

エミリー・シリーズの第一作「可愛いエミリー」(原題 Emily of New Moon)は父を亡くしたエミリーが母の実家である伝統あるニュー・ムーン農場に引き取られ、成長していく過程を書いている。
文庫版で500頁に及ぶエミリーの幼少期は初めて読むときには長くて退屈なものにみえるかもしれない。しかし、これは自伝なのだ。エミリー(=モンゴメリー)の魂がどのように形作られたのかを知るためにはこの一巻が不可欠なのである。その証拠に最後の三巻を読み終えたとき必ず第一巻の始まりからまたエミリーの成長の秘密を辿りたくなることだろう。

一巻目では書くことに目覚めているとはいえまだ幼く自分のオリジナルを持っていなかったエミリーだったが二巻目では言葉の端はしに鋭いきらめきを見せ始める。
尊敬する先生から想像力を抑制して平凡な生活に範囲を限って書きなさいと言われたエミリーの返答は「平凡な人生なんてものはないわ」である。
教条的に言われるとこれほどつまらない言葉もないが、ある程度の年齢になって振り返ってみればこれほど深い言葉もない。

三巻目は前の二冊に比べると短く(とはいっても300頁)描写もあっさりしているように見えるが、この巻は深い苦悩に満ちているように思える。
作者の近況に近づいたためだろうか、創作の苦しみ、人生の苦しみが抑制の効いた筆致でつづられている。

アンと比べてみると、エミリーは「百人もの先祖を持つ人間は自由になどなれない」ことを知り、言葉少なく思慮深くならざるを得ない人間だ。
アンは孤児ながら素直で闊達であり人生においての希望と幸福を最後まで信じる人間である。キャラクターが違うといってしまえばそれまでだが、エミリーのおじのジミーさんの言葉を借りれば、「どうしてできるんだろう? どうしてできるんだろう! あの話の中の人々は生きている」その創作上の秘密はこのエミリー・ブックの中にあるのだと思う。その秘密に近づきたいがために時をおいても何度もこの本を読み返したくなるのだ。

人生を知らなければエミリー・シリーズを真に楽しむことは出来ないと思う。
迷い惑ったあとの人にこそ読んでもらいたい本である。

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紙の本時代と人間

2004/03/01 11:55

歴史と現在のシンクロニシティ

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この本は1992年にNHK講座で放映されたもののテキストなので堀田氏のエッセイとはいささか違う堅苦しい語り口になっています。ジブリが本書の同時に発売した映像の方も併せて見たいのだけれど今のところちょっと値段に手が届かないのが残念。堀田氏がしゃべっている姿はぜひ見てみたいのだが。
ジブリがなぜ堀田善衛を?という疑問はジブリWEB上に<復刊記念サイトhttp://www.ntv.co.jp/ghibli/h_books/>があるので興味のある方はご覧になってください。

この本は1992年時点までに堀田氏が書き続けてきた歴史上の人物たちの非常にわかりやすいテキストでもあります。鴨長明「方丈記」、藤原定家「新古今」、法王ボニファティウス8世、モンテーニュ「エセー」、ゴヤ。堀田氏が彼らを通じていかに歴史を捉えていたかがよく理解できます。
私は堀田氏のエッセイをあんまりにも若いころに読んだのでその独特な歴史感覚がよくわかっていなかったようです。自分なりに日本や西洋や世界というものを考えていろいろなものに手を出したあと、最近になってまた改めて読んでみると堀田氏が「私はこう捉えますよ。こう考えますよ。」と言っていることが実に適切であることに驚きました。
その考え方を表現する言葉としては今は「適切」としか思い浮かばないのですが、中庸に近いけれどそれだけではない明確さがあります。

この本でまたひとつ気づかされたのは私が持っている土着的な歴史感覚と彼ら(西洋の人)の持っている歴史感覚はシンクロする部分があるのだということです。
私が西洋文化の感覚を捉えようとしたときに彼らが継承したというギリシャ・ローマ文化はまやかしなんじゃないかという感じが常にありました。ガリア地域の西ヨーロッパ文化はギリシャ・ローマとは一度途切れているはずだし、ルネサンスで再発見していそいそと自分の懐に取り込んだだけじゃないか、と思っていました。
そうじゃない、彼らの足元には常にローマの遺物があったのだと言われてハタと気づいたのです。彼らはずーとそれらが何なのか分からない時代にもローマを感じていたのだと。
私が育った地域は縄文時代の遺物だらけで道を通したり、家を建てたりすると縄文土器がザクザクというところでしたので自然と縄文と自分の時代はつながっているような感覚がありました。それと同じものを彼らは感じていたのだと知ったのです。
ローマの遺跡は私も実際に見たことがありますが、見ても考えないというのはこういうことかとまたも気づかされる始末です。
堀田氏の感覚は「適切」だとしか言いようがないのは自分の考えが迷っているときに実に明確な示唆を与えてくれるからなのです。

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紙の本作家の日記

2004/02/23 01:10

ある一人の若者の日々

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

あまりの新鮮さに驚いた。
50年前、戦後間もない時期に留学するというのはどんな感じがするものかと気軽に手に取ったのだが、一人の留学生の苦く青く美しき日々がここにある。
今はWeb上で留学生の日記をリアルタイムで見ることもできる時代だが、今留学中とupされても信じてしまいそうなほどに若々しい記録だ。
もちろん途中に歴史的事件は起きている。スエズ運河を航行中に朝鮮戦争勃発の報を受け(著者はマルセイエーズ号で渡欧した)、サンフランシスコ講和条約も渡欧中に締結された。
ときどき、これは戦後まもなくの話なのだ、まだ日本は瓦礫と焼け跡の時期なのだ、と念じてみても一向に感覚が50年前に飛んでくれない。
この新鮮さはどこからくるのだろう? 著者の若き感性だけの問題だろうかと気になってきたのは本の半ばまで読み進めていたときだった。何かを見過ごしている気がする。

この日記は留学中に大学ノートに記録されたものでこの当時は遠藤周作はまだ作家ではない。1980年に出版された時のあとがきで、「これは『作家の日記』ではなく『作家を志した青年の勉強日記』というのが正確な題名だろう」と言っている。
1950年6月にカトリック留学生として横浜港を出発し、1ヶ月かけて7月にマルセイユに入港。9月までの2ヶ月をルーアンのホストファミリーの元で過ごし、それからリヨンでの大学生活に入っている。

この日記を三部に分けるとするならば、第一部は出発から航行中の見聞とルーアンでの時期、このとき途中インドで見た貧困の衝撃が若者の身のうちに沈んでゆく様子が見てとれる。ルーアンでは慣れぬ異郷での孤独と緊張が、美しくのどかなノルマンディの風景とホストファミリーの善良な信仰に包まれて夢のように過ぎてゆく。
第二部は大学での研究の時期、カトリック文学の勉強のために渡欧した若者は芽生え始めた西洋カトリシズムへの懐疑を身に抱えながらひたすら読み、書き、分析し続ける。
第三部は結核の再発のためにアルプスの麓の療養所で過ごした日々。勉強への焦燥と挫折感、そして死への恐怖が次第に純化されていく様子が見て取れる。

この本の日記は療養中の1952年8月で終わっているが実は続きがある。翌年2月に帰国するまでの日記が抜けているのだ。この残りの日記と留学中『カトリック・ダイジェスト』に寄稿された渡欧記が「ルーアンの丘」(PHP研究所)として著者の没後出版されている。なぜ、抜かれたのか?
療養中で読書もままならず内容に乏しいため、あるいはフランス人女子学生との恋愛秘話のため、などが解説に載せられているがそれだけではないだろうと思われる。
この残りの日記はすでに日記ではなく創作ノートなのではないかと思う。
若者のリヨン大学での勉強はすでにカトリック文学研究から創作研究へと移っていた。研究者ではなく作家になろうと決めたのは渡欧の船の中であったと著者は言っているが大学在学中はまだ揺れていたのではないか?
西洋カトリシズムへの懐疑を胸のうちに沈めた若者が日本人としてカトリシズムを受容するには西洋の既存文学の研究では出来ぬと思い定めたのはいつなのだろうか。
目覚しいほどの勢いに見える勉強の最中に重苦しい不安と逡巡が常にのしかかっているように見えたのは、結核の再発を疑い死への恐怖にとらわれていると見えたのは、カトリック信者としての若者の死ではなかったのだろうか。
そして、復活はなされたのだと思う。
復活は残りの日記の最後の三日間で起きたのではないか。ただ、その出来事、フランス女子学生との旅行を書いた夢のような三日間がすでに創作であった可能性もある。

「作家の日記」と「ルーアンの丘」この二つは表裏ではあるが別の物語なのかもしれない。
しかし、この夢のような新鮮さは…!

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英国を軸として見たイタリア北部の異端派小村の驚異

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『ピエモンテの谷に住む異端の末裔ヴァルド派。
宗教迫害を行きぬいてきた彼らが、存亡の危機を迎えたのは、17世紀末、時代はすでに「啓蒙の世紀」。』

表紙に印刷された文字を見たときに異端カタリ派の話かな?と首を傾げた。
装丁の軽さと何ともロマンティックな題名と中身をパラパラと読むとヴァルド派の谷らしき場所への旅の話もある。
ヨーロッパ異端派の史跡探訪記かな?
などと考えながら軽く読み始めたら、なんのなんの手強い!

内容は作者の留学中の様子から始まる。
作者は専門である「イングランド名誉革命の時代に、亡命ユグノーがおよぼした影響について」の原典資料を読み進めるうちにヴォードワという言葉を拾う。そしてそれが中世史のヴァルド派の末裔のことであり近世史料において大文字のValleys(谷)と書いてあればヴァルド派の谷のことであるなどがわかってくる。
専門研究のかたわら史料の中に表れるヴァルド派のアッピア兄弟の手紙が作者の興味をかきたててゆく。
ヴァルド派の谷とはどんなところか、アッピア兄弟とはどんな人生を送ったのか?
作者の興味を辿るように書かれた文章はいつしか読む側の興味と重なり、作者の探求は読む側の探求の旅へと代わってゆき、作者ととともにイタリア北部の小村と17世紀後半から18世紀半ばまで生きたアッピア兄弟の謎にとりくむことになる。
ロマンチックに傾きがちな想像力を引き締めているのは作者のヨーロッパ史への理解の深さである。
当時の国際情勢の中でのヴァルド派の位置付けが、作者の専門が英国史なので英国に身贔屓が傾いてるかなという気がしないでもないのだが、援助を受けていたヴァルド側のしたたかさも見え隠れしている。
その辺りは中世から現代までを生き抜いてきたヴァルド派への作者の驚嘆があらわれているのかもしれない。
ヴァルド派を近景としてヨーロッパ情勢を遠景として、18世紀ヨーロッパ史を理解する絶妙なる一冊である。

読み終えたあとになぜか浮かんだのはイラク戦争のことだった。
プロテスタント的使命感と政治的思惑が混在する英国像はヴァルド派を支援した18世紀と今日の状況と重なる部分があると思えて仕方がない。
それは今日から過去を見るからなのか、歴史は連続するものだからと見るのかは自分では判断がつかないのだが。

この本は山川出版社のhistoriaシリーズの一冊である。
こんな面白いシリーズがあったのかとこの本で遅まきながら開眼させられ同シリーズの他の本も読みたいななどと考えている。

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新たな展開に向かう第三部!

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かのネバーエンディングストーリーではないけれど人気長編シリーズというのは終わってくれるなと願いつつ、次に出るのが待ちきれず原書に手を出して玉砕してみたり、終わってしまったのを嘆きつつ舐めるように読み返してみたり。
この<真実の剣>シリーズはそんな心配は無用。アメリカでも超人気作とあってコンスタントに発刊されてるし、原作は現在七部まで出ているというからまだまだ楽しめる。
この魔都の聖戦1は第三部だが、第一部から読んでみようかという人は運がいい!
第一部と第ニ部は続けて読んだほうが絶対に面白い。謎の敵ダークン・ラールの企みが第2部完了でケリがつき、主人公リチャードの謎もかなり分かってきて満足度100%で次に進める。
わけもわからず運命に巻き込まれた純朴な青年リチャードがようやく自分の役割を理解し、新たな第一歩を踏み出そうとしているのがこの第3部なのだ。新たな敵も出てきて新展開に入り、新刊を待つワクワク感もますます高まってきた。

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ブックガイドにもセンスが欲しい

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本のセレクションはむずかしい。人並み以上に本を読む人ならば誰でも一度は聞かれたことがあるだろう「何か面白い本ない?」
長年本読み街道をともに歩き好きも嫌いも知りつくした友人ならともかく、相手の本棚もよく知らない人に聞かれると困る。
「これ、どう?」と薦めてあまり本気にとられても困るし、かといってあまりに素気なくされてもムっとする。
世にブックガイドは数あれど、どうもピンとくるものが少ない。好みが半分重なっていればいい方で100冊のおすすめのうち2〜3冊くらいしか重なるものがない場合もある。
重なる本(未読も含めて)が少ないときは文章にもピンとこない。これはもう感覚が違うとしか言いようがないのだろう。
たまたま手に取ったブックガイドとは思えないような装丁のこの本は実に80%の確率で重なった(音楽関連を抜かしての計算で…ということは本だけだったら100%?)。未読の本の紹介文も実にそそる内容である。
80%というのは実は恐ろしく不可能な数字なのだ。これはもうブックガイドではない。しかし、本文を読むとこれがもう実に立派にツボにはまるのである。
たとえばこんな本があるとは知らなかった『小さな世界』(デイヴィッド・ロッジ)。唯野教授の元ネタの学会小説だそうだ。読みたい。
書名は知っていたが絶版なので無理して読もうかどうか迷っていた『どこまで行けばお茶の時間』(アントニー・パージェス)。無理しても読みたくなった。
情報量もすごいのだが情報量だけだったら他にもある。ジャンルが偏っているわけでもない。あ、ジャンルはあるのか、オリーブ少女(古い?)
80年代の「マリ・クレール」が身の丈サイズで戻ってきたような感じだ。確かにあれも分からないなりに80%だった。
女性雑誌のブックレビューって今の傾向はどうなっているのだろう?
ブックガイドにも軽やかなセンスがほしいという願望は80年代のあだ花だったのだろうか。いや需要はあるはずだ。本当に欲しい人のもとに届いていないだけかもしれない。

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都会が憩いの風景に変わる方法

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都会のヒートアイランド現象はとどまるところを知らずヒートアップし続けている。最近では屋上緑化とか壁面緑化の特集もテレビでされるようになってきたが、まだまだ進まないだろう。企業が自社ビルの緑化に努めるのは光熱費の経費削減の面でも有効なのでより熱心に推進して欲しいとは思う。
この先100年の投資として、今、考えて欲しいのは郊外マンションの場合だ。敷地の何%かの緑化規定されている地域でも、砂砂利を敷き、申し訳程度に植栽された公園ともいえないスペースが作られているだけだったりする。
マンションの販売当初だけ見栄えがすればいいとでもいうように、狭い場所にぎっしりと植えられた目隠し用の樹木は一年もしないうちに半数が枯れていたり、幅1メートルもないようなスペースに大木になる樹木が植えられていたり、造園業者が期日指定で有り合わせを植えているとしか思えないような植栽がホントに目立つ。
ビオトープだのエコシステムだというととっつきづらい印象があるが、要は昔からの身近な植物を環境にあった方法で再現しましょうよ、ということだ。
マンションの寿命が短いといわれても30年は持つのだから植栽や緑化環境も10年、20年計画で考えることはできないだろうかとつくづく思う。
ジブリが自社ビルの駐車場を草の生える仕組みしました、と聞いたときは、それだけじゃあねえ、と思ったものだが実は重要なことだった。アスファルトで固めてしまったら何も生えないし、何もしみ込まないのだ。
最新技術を駆使しなくても、ちょっとした工夫で都会にも野生生物の住処を作ることが出来るのだとこの本は気付かせてくれる。
そのちょっとした手間を惜しまないで欲しいと企業関係者に、特に建設関係者にお願いしたい。

個人でも出来るビオガーデン、あるいは水辺については「はじめてのアクアガーデニング」、「手作り!水のある庭」を参照いただきたい。

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紙の本タイの花鳥風月

2004/04/07 15:42

異国を感じるとき

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人はどんなものに異国情緒を感じるだろうか?
私が訪れたことのある数少ない国々、英国、アメリカ、タイ。この中で最も異国を感じたのは同じアジアの国であるタイだった。
文化や建物ではなく樹や草花に強くそれを感じた。日本で高級花とされるランはさておき、名も知らぬ色鮮やかな花々や樹々が堂々と存在を主張し、見知らぬ異国にきたおぼつかなさを感じさせてくれたのだ。
日本で目に入る草花や樹の知識にはいささか自信があったし、英米の旅行の際にも名前はわからなくとも日本に似た植生だったので頭の中がクエスチョンマーク一杯になるようなことはなかった。
しかし、タイではすべての植物が緑濃く色鮮やかに迫ってくるような衝撃を受けた。その昔、欧米のプラントハンターたちが熱狂したのも無理はないと思った。
帰ってからあの雰囲気を再現してくれるものはないかと植物事典なども眺めたがどうも物足りない。そのときに見つけたのがこの本だった。
装丁からすでに雰囲気がある。更紗文様に金、赤、黒を配し、日本風のようでいて異国を感じさせるカヴァーは日本の伝統文様の多くがアジア渡来のものだと思い起こさせる。
著者のレヌカー・ムシカシントーン(旧姓 秋山良子)さんは1940年生まれ、デリー大学留学中に知り合ったタイ人と結婚しバンコクに住んでいる(この本は1988年の出版なので現在はわかりませんが)。
タイの動植物のタイトルをつけた60編近くのエッセイがこの本には納められている。バンコクの日本人向け新聞「バンコク週報」に載ったものだそうだ。
樹や花や動物から思い起こされるエピソードが幼少期の思い出、留学中や旅先で出会った人の思い出、身近なことなど縦横に語られる。敗戦後の貴重なバナナの話はタイのバナナの話と絡まり異国の不思議な余韻を残しておわる。著者の中にタイの風土がしっかりと根付いているのが感じられるのだ。
著者にとっては日常から思い出されるエピソードなのかもしれないが、私にとっては慌しい日本の日常から遥か遠くの異国に抜け出たいときに手に取る一冊となっている。

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ギリシャ近現代史

2004/03/16 00:48

西洋と東洋のはざまで

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いつからこの本が書棚にあったのか思い出せない。何の目的で買ったのかも思い出せない。何となく手にとって再読してみた。

「どの国も歴史という厄介な荷物を背負わなければならない運命にある。だが、ギリシャのそれは飛び抜けて重い。」

という序文で始まるこの本は1453年のコンスタンティノープルの陥落から筆を起こしている。そしてオスマン・トルコから独立。領土拡大政策。第一次大戦。第二次大戦後にかろうじて共産圏から脱したが、内戦。つかの間の民主主義。軍事独裁政権。民主主義の復活、と実にめまぐるしい。
この本は実に興味をそそる構成になっていて、歴史的事実を書いた各章の本文の後に図版や写真を載せてそれぞれに解説をつけている。
「独立戦争直前のころのギリシャ人船長を描いたリトグラフ」は海運業の隆盛を伝える項目だが眼を奪われるのはアラブ人にしか見えないギリシャ人船長の姿だったりする。バーに集う庶民の姿や結婚式の風景、著名人の写真などが多数あって飽きずに読み進めることができる。
最後の章は1990年代までをカヴァーしており現在のギリシャの政治状況がこれ一冊で理解できるようになっている。
つい先日(3月8日)ギリシャで総選挙が行われ新しい首相が誕生したが、この本を読んでいなかったらギリシャの政治状況の解説を見ても訳がわからなかっただろう。
今年はアテネ五輪の年であるが、「古代を感じるギリシャ旅行」などの宣伝はみかけてもギリシャが現在どんな国なのかの情報は少ないように思える。
なにより驚いてしまったのはギリシャ史についての本をもっと読みたいと検索をしてみたときだ。この本以外は出てこないではないか!
かろうじて出てきたのが女優であり政治家であったメリナ・メルクーリの自伝「ギリシャ・わが愛—独裁とたたかう女優半生記」。絶版だった。
ギリシャ神話・哲学の本や情報は山のようにあるが、この国の姿を伝えるものはあまりにも少ない。
偉大なる精神的遺産を持ちながら国家としてのギリシャは西洋と東洋のはざまで忘れ去られているとしか思えない。読み終えたあとにいつ何の目的で手に入れた本なのか思い出せないのも実に象徴的なことかもしれないと感じた。

村上春樹のギリシャ滞在記「遠い太鼓」を持っていたことを思い出して本棚から探し出して読んでいる。
もうひとつ関連本あった。ビザンツ帝国時代のギリシャ的愛国心や正教を信仰する人々の当時のカトリックに対する反発心などが書かれている。「ビザンツ帝国の政治的イデオロギー」東海大学出版会

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装丁と内容のミスマッチ…もしくは見事な融合か?

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一見とてもきれいでかわいい本です。
タイトルは「ピーターラビットの謎」
表紙にはピーターがマクレガーさんの庭へ行く場面。
アイヴォリーの紙にグリーンのタイトルスペース。
よく見れば小さいサブタイトル「キリスト教図像学への招待」があるのですが目に入りません。

中をめくればヴィクトリアンな植物デザインの縁取りの中に文章があり、ヒルトップハウスの写真やピーターの絵がたくさん載っています。
所々にキリスト教の絵も入っているがこれも色がとてもきれいです。
なんとも美しくかわいく優雅な本ではないですか。
ただし、内容は手ごわいです…

「ピーターラビットのおはなし」にはキリスト受難の物語が隠されている、というものですが決してトンデモ本ではありません。著者もその点を誤解されることを心配しています。
ぶどうパン、ブラックベリー、黒ツグミ、ヒイラギなどのモティーフを説明しながら徐々に読者を説得してゆきます。
学者の方にありがちな独り善がりの文章ではなく、わかりやすく、考証のしっかりとしたものです。
キリスト教美術の空間や構図の変遷などもわかりやすく、また、ポターの日記に度々でてくるラファエル前派の絵にはどんな意図があったかなどの言及もあります。
さらにヨーロッパの風物の説明に引用されているのは碩学の林達夫です。
読む者がさらに連想を広げ、興味を広げさせてもらえるような内容なのです。
文句なくおもしろく、本好きな知人たちに胸を張って薦められる本だと思います。

しかし、読み終わったときの感想は「なんともミスマッチな…」
意地悪い言い方をすれば、ピーター好き、英国好きな方々が装丁にひかれて手にとり、読んで目を白黒させている光景が浮かんでくるのです。
客層の想定がアンバランスのような気がするのはうがちすぎでしょうか。
でもよい本なのです。

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