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大高智子さんのレビュー一覧

投稿者:大高智子

10 件中 1 件~ 10 件を表示

紙の本精神科医はいらない

2002/03/29 22:15

よい精神科医とはなにか?

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書の主題は大きく二つ。一つは、精神医療、精神科医への根源的な批判。もう一つは、精神病への偏見をなくす、つまり精神を病むというのは誰でもなりうる、ということである。

 この本は、下田さん自身のうつ病体験が基礎になっている。分裂病は100人に一人、そううつも同じ程度。神経症やうつ、強迫性障害は5〜10人。100人につき20人程度は精神が失調している、と下田さんはいう。花粉症が100人のうち10人、高血圧が30人というのと同じ程度なわけだが、なぜか精神病には暗い影がつきまとう。
 「怖い」「気味が悪い」というイメージの先行。それは、疲れると時々うつっぽくなったり不安が高まったりして、「人ごとじゃない」と思う私自身にしても、やっぱりぬぐうことがとても難しいものである。
 しかし、原稿が1年半も書けず(私なら3ヵ月でダウンである)妄想を起こした下田さんの、精神疾患の人たちへの眼差しは暖かい。

 もう一つの主題、ズバリ「精神科医はいらない」とは、正確にいえば「マスコミ受けする精神科医はいらない」ということだ。とくに、佐賀バスジャック事件で有名になった町沢静夫医師には1章をさいて、下田さんらしく皮肉たっぷりに批判している。
 ろくに診断もできず、「精神病は治らない」という偏見にあぐらをかいて患者を薬漬けにする精神科医をベールをはがし、精神医療は科学ではない、「ブンガク科にすぎない」と喝破する。
 逆に良い精神科医とは何か。それはもちろん、「本人をよく診ずに、報道された内容だけでは診断できない」とする医師。何回か薬を投与すれば、患者にピッタリと合った薬を処方できる医師。でも、これが当たり前の専門家の姿というべきだろう。

 この本の中で、何度も繰り返し読みたくなるほど感動したところがある。85歳の女性センさんの物語だ。若いときに発病したセンさんは、まだ薬も開発されていない時代、周囲の人たちの暖かな配慮の中で、ただ「変わっている人」として幸せな人生を送った。ここに、心を病むとは何か、治癒とは何かの本質がほの見えてくるように思った。 (bk1ブックナビゲーター:大高智子/福祉ライター)

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紙の本がんばらない

2001/11/30 22:16

病院の玄関に飾られた「がんばらない」という書。その言葉に込められた医師たちの想いとは?

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 20年前のこと。著者が親しみを込めてよぶ「たぬきのおばあちゃん」のご主人が白血病にかかり、当時の常識で告知はされず「貧血」と告げられた。

 病は1年ほどでじいちゃんの命を奪い、著者はある日、「たぬきのおばあちゃん」に、言われる。

「先生、じいちゃんの病気のこと、なんで教えてくれなかった? 治らない病気と知っていたら、じいちゃんの布団の中に入って、いっしょにいろんな話をしてあげたかったのに」

 ばあちゃんは、畑を心配するじいちゃんを気遣って、じいちゃんの世話より畑仕事を優先してしまったからだ。鎌田ドクターは、この出来事を胸に、本人にも家族にもできるだけウソをつかないようにしよう、と決意する。

 鎌田さんは、信州、茅野市にある諏訪中央病院の院長。諏訪中央病院といえば、地域医療で有名だ。今、民主党の国会議員の今井澄さんは、鎌田さんの前の院長である。
 30年前、赤字続きの自治体病院だった同病院に、東京から今井さんや鎌田さんのような医師が招かれ、最先端の成人病治療、脳卒中の予防、在宅ケア、ホスピスなど時代に求められる医療を次々とうち立てていった。今や最も医療費の低い地域として脚光をあびているが、それだけではない。
 本書には、「死ぬまでその人らしく」を支える医療とケアのエピソードが、信州の美しく厳しい自然とともにつづられている。一つひとつが、「こういう死に方だったらいいなあ」「うらやましいなあ」と思えるものばかりだ。

 「がんばらない」とは、障害をもつ人が書いた「書」で、病院の玄関に飾られているのだそうだ。この書をみてドクターたちは、心を引き締める。がんばって病気と闘っている患者さんには、さらに「がんばれ」ということがその人を追いつめることもある。
 もう一つ。皆が一様にがんばってめざましい発展を遂げた20世紀は終わり、がんばる人もがんばらない人も「そのままでいい」次の時代への思いも込められている。 (bk1ブックナビゲーター:大高智子/福祉ライター)

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友だちが死んだとき

2002/09/10 12:15

子どものための本だけど、大人でも癒される

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 原題は“When A Friend Dies;A Book for Teens Grieving & Healing”ティーンエイジャーのための本である。著者は、アメリカでも有名な教育学博士で、子どもの権利やニーズに焦点を当てた仕事をしている。三児の母親でもある。

「どうしたら、この痛みに耐えられるの?」「どうして何も感じることができないの?」「みんなで集まって楽しんではいけないの?」「友達が変わってしまった。その子たちまで失ったような気がする」「両親がつきまとうので、息苦しくてたまらない」
 そんなティーンの悩みと、グートマンさんの答えは、きめ細かく、暖かい——「驚きが大きすぎて何も感じられないのは、心が痛みからあなたを守ろうとする働きです。あなたの感情が蘇ってくるまで、あなた自身に時間をあげてください」

 振り返れば中学・高校時代はいうにおよばず、中年にさしかかりつつある今でも、「死」にドギマギする。まだ亡くなるはずのない人の訃報に接したとき、まずやってくるのはぽっかりとした感情の穴。次の瞬間、その穴に吸い込まれるように「なぜ? どのようにして? 死の直前に、何を思っただろう? 家族はどんなに無念だろう? 神様はなんて残酷なことをするんだろう?」というたくさんの「?」が怒濤のようにわき起こる。「死」と直面しておこる自分のだらしなさは、ごまかしようのない「私自身の生きてきた」総決算に間違いないが、グートマンさんは言う。「自分の痛みや反応を、他人のものと比較してはいけない」と。

 子どものための「良い本」は、大人のための入門書でもある。心象風景をさらりとしたタッチで表現したイラストも本書によくはまっていて、本棚にずっと置いて大切にしたいと思う本である。 (bk1ブックナビゲーター:大高智子/福祉ライター)

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聞こえない不便をビジネスに聴覚障害の社長、10年の奮戦記

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 普段音があふれている私たちは、音のない生活ということになかなか思いが及ばない。だが、本書を読んで、目覚まし時計で起きられない、病院などで呼び出しが聞こえない、消防車のサイレンが聞こえない、という聴覚障害者の生活を知れば、私たちがどれだけ音から貴重な情報を得てとっさに行動しているかに思いをいたすことができる。

 著者の中園社長が起こしたワールドパイオニアは、こうした聴覚障害者の不便を解消するための生活便利品を扱っている、社員18人の小さな会社である。振動で眼を覚まさせる目覚まし時計、振動や光で呼び出す機器や簡易筆談器などなど。聴覚障害者の生活になくてはならないものであり、中園さんたちは「サポート器具」と呼んでいる。

 中園社長は52歳。3歳のときに猩紅熱で耳が聞こえなくなり、大学までは普通に進んだが、就職試験ではどこも門前払いであった。フリーのカメラマンを経て、大手の補聴器メーカーに就職。ところが理解ある社長の退陣で、聴覚障害者の支援機器を開発するプロジェクトが解散となり、退職を余儀なくされた。91年6月にワールドパイオニアを設立。大手メーカーと提携して、上記のような機器を開発、販売してきた。「聴覚障害者のバリアフリーに関するものなら何でもある、何でもわかる」がモットー。同社では、社員の3分の2が聴覚障害者でもある。

 私が本書をイチ押ししたいと思った理由は二つ。一つは、いわゆる福祉ニーズをビジネスチャンスにして起業してみたいという人に、その本当の厳しさを知る良いモデルになると思ったこと。福祉機器メーカーには、高齢社会だから成り立つという甘い見通しと、開発そのものが障害のことを何もわかっていないという二重の間違いで、参入した途端、あっという間に撤退していく企業がはいて捨てるほどあるからである。
 二つめには、障害者に福祉から手当てを出すのでなく、一緒に働いて税金を払う社会がこれからは必要だということだ。そのために私たちは障害のことをもっと理解する、障害者の人たちには福祉に頼る姿勢を改めてもらう。中園さんは明らかにそのパイオニアである。 (bk1ブックナビゲーター:大高智子/福祉ライター)

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紙の本死なないでいる理由

2002/05/07 22:15

いまの時代を生きる意味を問う

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 この本を手にしたとき、装幀にとまどった。
 真っ白な地に、か細い明朝のタイトル文字。字間があいていて、見るからにはかなげで不安定。しかし、読んでなるほど。「現代人の『いのちの根っこの弱さ、寂しさ、壊れやすさの理由を都市生活から解き明かす」(帯)という内容そのものなのである。
 前著『「弱さ」のちから』はケア論ということで、福祉ジャンルにピッタリのお薦めだった。しかし、本書は違う。もっと広い、いまの時代を生きる、ということの意味である。
 福祉や教育の現場で悩む人、「私は悩みすぎる」「考えすぎる」と苦しむ人にはお薦めできると思う。哲学的な論考に慣れない人にはI部「寂しい時代」の所有論、幸福論は苦痛かも知れないが、II「ひととひとのあいだ」IV「哲学とファッション」の1「妙に哲学的な時代」は、ヒントと希望が織り込まれている。自分の抱える悩みが、現代という時代を生きる悩みそのものであることに気づき、ふっと力が抜ける瞬間にめぐりあう。
 タイトル「死なないでいる理由」は、『「弱さ」のちから』にも何気なく出てきて、ずっと頭に残っていた言葉である。人間は死ぬとわかっていてもなおかつ生きようとする、その理由を考えずにはいられない存在だ。そのことは古今東西変わらないかもしれないけれど、今の時代、誕生、病、死、そして食べるために生き物を殺さなければならないことも含めて、生きる上での基本的なことがどんどん見えなくなっていることが、私たちのいのちを徐々に浸食している。そんな中、私たちがよって立つべき希望はあるのか——。
 この本に、答えはない。あるのは、悩む人々に添おうとする著者の冷静でかつ体温を感じる姿勢そのものである。わいてくる言葉や思いをいつくしむように書かれた文章を、鷲田ファンの私たちもまた、いつくしみながら読む幸せを味わいたい。 (bk1ブックナビゲーター:大高智子/福祉ライター)

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死体好き女子高生が明かす死体の秘密

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 美術系の女子高生、ペンネームめぐみさんは、なんと死体大好き。それが高じて葬儀屋でバイトを始めた。それは、高校卒業、専門学校、そしてプータロー時代とつづき、タイに死体取材旅行に出かけ、日本人とタイ人の死生観の違いを知ったりする。
 “マジ”という言葉は使わないオバサンの私も、「マジカヨ」と呟きたくなる。
「めぐみが一番お気に入りなのは、交通事故死の死体。生きているときには想像もつかないような、人間の原形をとどめていない姿かたち、そしてなんともいえない表情…。血まみれで肉とかパックリいってて、目とかもスゴイ方向向いてたりして! めぐみ、死体のそんな肢体が超ーキレイって思うんだ!」
 ホラー映画もまともに見られない私には、信じられない感性だ。まあ、同世代の、変わった子の多い美術系学生の中でも、かなり変わっている子のようではある。
 なぜ死体が好きなのかというと、「人間なのに人間でなく、モノなのにモノでないところ」とめぐみさん。葬儀の人目を盗んでは「ご遺体チェ〜ック」。怖い死に顔の人の式はシラケてたりして、「イイ人生送った人はキレイに死ねる」というのは本当だそうだ。とても真っ当な子なのである。
 最後で、美術評論家、布施英利さんとの対談は、本書の読み方を深めさせてくれる。布施さんは、養老孟司さんの解剖学教室で死体に接し、死体についての著作もある。「死体を好きだ」とか「美しい」ということはどういうことなのか、一連の殺人事件を起こしたサカキバラなどとめぐみがどう違うのか。——不覚にも私も、「興味津々」と「意外と真っ当」という認識の中でしか読んでいなかったと気づかされた。
 本書は、若い子の扱いに悩むオバサンオジサン管理職や、エログロや殺しに関心を示す子どもにどう対処したらいいか悩むお母さん、お父さんにもお薦めである。 (bk1ブックナビゲーター:大高智子/福祉ライター)

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スポーツライターとしての自己の確立を一心に求めている

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 乙武さんのエッセー第三弾。昨年9月にホームページを開設し、そこに載せた日記がもとになっている。2000年9月から2001年11月。乙武さんは24歳から25歳。この間、雑誌『Number』のスポーツライターとして世界中を駆け回り、「ザ、スクープ」などテレビ出演もこなした。プライベートでは結婚あり、父親の死があった。

 私も『五体不満足』では勇気をもらい、『乙武レポート』では彼の自己表現の能力に脱帽した一人だ。
 今回の『ほんね。』では、ベストセラー『五体不満足』の「乙武」とみられることを拒否し、一スポーツライターとしての自己の確立を一心に求めている。芸能人のようにサングラスをかけて人目を忍ぶことさえできず、絶えずプライバシーをあばこうとするマスコミに戦いすら挑む。その姿勢には、心から共感する。
 彼の主張するところ——例えば私も大好きなプロ野球についていえば、ジャイアンツやON(王、長嶋)一辺倒のやり方を批判し、大リーグばかり取り上げるマスコミに違和感を表明するなど、共鳴するところは多い。

 ただ、私がこの本で違和感を感じたのは、やや自己愛的な表現や、自分より年上の人を評価するときのやや失礼と思える言葉の選び方だ。世代の違いだろうか。「(こんなこと書いて)恥ずかしい」と思ってしまった。私が赤面してどーする?
 
 これは、ネット上の記事をそのまま活字にするという本の作り方への抵抗感なのかも知れない。この本、小学生向けにふりがなまでついているけれど、乙武くんより若い子は抵抗なく読んでしまうのかな。すでにオバサンの域に達している私には、ちょっとついていけないところもあった。 (bk1ブックナビゲーター:大高智子/福祉ライター)

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他人の脳は解き明かせるか?

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 ショッキングな本を読んでしまった。私の障害観、心の捉え方、人間観、差別観、どれもこれも、全然甘いなあとぶん殴られるような本だった。
 本書は、24歳で飛び降り自殺した漫画家、山田花子が、心を病む前に実は非言語性LDという障害をもっていたのではないかという仮説を、彼女の描いたマンガや日記、家族や周りの人々の証言から解き明かしていった物語である。
 非言語性LDとは、「学習障害」で知られる普通のLDが、読み書き算数のどれかが著しくできない障害であるのに対して、社会性、人とのコミュニケーション、問題解決能力などに障害をもつものをいう。昔は、不器用児と捉えられ、学校ではいじめにあいやすい。
 著者は、近年様々な事件を起こした17歳の少年たちの中にもこの障害をもつ者がいると示唆しつつ、山田花子の障害を一般化、社会問題化してはいけないという姿勢を、この物語の出発点としている。
 20世紀は「心を解明する」ことに邁進し、私たちもそれで納得してきた。しかし、それは「解明した」と思っている人間の奢りなのだ。21世紀は、「心」ではなく、一人ひとりが違う「脳」を持っていることを尊重する世紀にしたいと著者はいう。そのため、著者は精神科医である自分の解釈ではなく、山田花子の脳がどう考えたか、感じたかをそのまま描く。
 だから、この本では、山田花子のマンガや日記、看護記録などが延々とつづき、読む人間をとまどわせる。それでも、それらをもとに山田花子という脳を、著者の脳が解き明かしていく展開は、私にとってはスリルに富み、ぐいぐいと惹きつけられていった。
 高度な脳の機能というのは、実は「いい加減」にできることであり、非言語性LDは、それができない。だからこそ山田花子は壮絶なストレスを受けて精神を病んでしまったという結論とともに、この本全体の表現方法に、ショックを受けた。 (bk1ブックナビゲーター:大高智子/福祉ライター)

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痴呆・寝たきり老人を「超人」によみがえらせる介護術

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 「超人バッキー」とはなにか?
 著者の愛すべき母上のことである。バッキーは、大腿骨骨折で寝たきり。痴呆もある。介護保険の認定では、一番重い「要介護5」ランク。そんな母上がなんで超人かというと、実の娘である著者の介護で、瀕死の状態からよみがえったからである。歌が好きで口数の多い、超・陽性の寝たきり・痴呆老人に変身した。
 本書はその介護緑だが、半分はイラスト。肩がこらず絵本感覚で読めるのがいい。

 著者、坂口久美子さんは、福岡で薬局を営む薬剤師で、しかも非常に介護に対する問題意識の旺盛な人だ。バッキーを引き取る前から、地域で「助け合い介護クラブ」を作ったり、「健康も病気も、幸福も不幸も、生活のすべての結果である」という金子卯時雨医博の「創健」論に傾倒し、治療のためだけでなく「健康づくり」を掲げた薬局経営をしている。
 この、ただ者ではない薬剤師さんのバッキー介護「テク」が面白い。例えば、老人特有の臭いをとるために熊笹エキスを飲ませるとか(尿路感染症も熊笹エキスで治した!)、夜寝かせるための睡眠薬の飲ませ方、排便を促すための下剤の服用の仕方などなど。新薬は老人の体に及ぼす影響も十分理解したうえで、必要悪として使うという考え方である。

 痴呆老人のケアをどうするか。じつは、これは専門家の間でも議論が百出し、答えが出ていない。著者は、バッキーの言うことに決してさからわない、という。プライドを傷つけずに、老人が自分で答えを出すまで待つ。言うは易いが、行うは難しい。議論も分かれるところだ。

バッキー「ねえねえ、今日は温泉に行こう」
著者  「うん、行こうね」

 こう答えるだけで、バッキーは行った気になっている。それは、日々の信頼関係があるからだ。「日々の信頼関係をしっかり築き、たくさんの思い出・喜びにあふれた言葉を捧げたい」
 「何々療法」よりも、痴呆ケアで一番大切なことだと思う。 (bk1ブックナビゲーター:大高智子/福祉ライター)

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<弱さ>が<弱さ>を支えるちから

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 元気の「気」というか、生きるエネルギーのようなものが、どこからか漏れだしてしまったとしか思えないほど、急激に落ち込んでしまうこと、ありませんか? 季節の変わり目とかに起きやすい。注意してても、くるときはくる。毎日「ともかく生きる」ことに精一杯の日が。電話もメールも、もちろん前向きなことはいっさいダメだ。
 鷲田さん流にいうと「こころがひりひりする」、そんな感じ。どんな親しい人でも会えない。「ダメなやつ」と思われることへの畏れ。それは、自分の中に「そういうのはダメなやつだ」と思う基盤があるから。かといって、その価値観は捨てられない。そんなに人間、すっと変われない!
 今回、どうやら私は鷲田さんのこの本に救われた。もともと彼の本は好きだ。というより、読んでいるとそれだけで癒される。

 彼の本は抱きしめるように読みたい。他の本のように、雑な読み方はしたくない。日本語というか、和語調の独特のことばづかいが、丁寧に一つ一つ選ばれていて、読んでいるとそれだけで、しあわせな気分になれるのだ。
 たとえば、
「言葉のいのちをまさぐれるひと」
「喉に詰まっている言葉が、ふと手に掬(すく)えるように零(こぼ)れてくる」
「声には肌理(きめ)がある」(「はだのことわり」と書いて「きめ」と読ませるんだから、涙がでてくる。)

 さて、この本はケア論であるという。私自身も、福祉施設に取材にいって思わずハマッてしまうのだが、ケアする人がケアされる人に深く癒されている——この一見逆説的な、とはいえ陳腐な肯定論にも陥りやすい真実を、鷲田さんは、現代社会の普遍的な問題も視野に入れながら掘り下げている。

 この本には、いわゆるケア——福祉や医療に関係する人だけではなく、家族と住宅にこだわる建築家や、健康ランドを舞台にした小説を書いた作家、前衛生け花作家のほか、ゲイバーのマスターや性感マッサージ嬢まで登場する。ざっとみただけでも、どんなケア論になるのか、とワクワクさせられるではないか。
 それぞれの世界で見事な仕事をしていると思えるこれらの人たちを、鷲田さんは「みなある意味でその存在に、深く深くを抱え込んでおられた」と書く。
 「弱い者たちが弱いままにそれでも身を支えてゆくためには、繕いが要る、支えが要る。その繕いに、その支えに、おのれの弱さに震えてきたもうひとりのひとが身を張って取り組む場面」

 ここで展開されているのは、名著『「聴く」ことの力』でも宣言されてきた、いわば"受け身の哲学"ともいうべきものだ。それは、最近とみに強調されている、いやもしかしたら明治時代以降、日本人に強迫観念のように植え付けられようとした「自立」(近代的自我)の対岸にあるものじゃないか、と思う。「自己実現」よりも「関係の中で生きる」ことに大いなる価値があるということ。吹けば飛ぶような「自己」しかもっていないと思う私は、もはや本能的に、そうだろうと共感する。
 「他者本位に思考と感受性を紡ぐということ。そのためには、専門家ですらじぶんの専門的知識や技能をもいったん棚上げにできるということ。それが、知が、ふるまいが、臨床的であるということの意味ではないだろうか。(中略)じぶんが乱れうること、じぶんをほどくということが、ほんとうの自由だとしたら。そういう自由を他者の存在のがひらいてくれる」
 ここにこそ、ケアという仕事の醍醐味がある。ケアの仕事に悩む人すべてに、この本を読んでほしいとねがう。

★大高智子さんの書評は連載コラム「元気が出る福祉の本棚」へ

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