サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

  1. hontoトップ
  2. レビュー
  3. 石塚雅人さんのレビュー一覧

レビューアーランキング
先月(2017年9月)

投稿数順ランキング
先月(2017年9月)

  1. 1

    UP

  2. 2

    UP

  3. 3

    UP

  4. 4

    UP

  5. 5

    UP

    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    中野 ジェームズ修一 (講師),日本放送協会 (編集),NHK出版 (編集)

    5つ星のうち 4.0 レビュー詳細を見る

石塚雅人さんのレビュー一覧

投稿者:石塚雅人

6 件中 1 件~ 6 件を表示

中国庶民生活図引 食

2001/09/19 12:14

写真観察の目を鍛える、島尾伸三、潮田登久子『中国庶民生活図引』

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 これは、中国料理の解説本ではない。中国人の(それもタイトルにあるとおり庶民よりの)食にまつわる生活の中にある物品/人物/事柄の「図引」だ。つまり写真に番号がふってあって、その番号順に逐一著者が説明していく図引の部分と、その項全体の解説の部分がセットになっている本なのだが、特徴的におもしろいのはやはり前者、図引の部分だ。ひとつの写真の中に10〜20番前後のナンバーがふってあって、微に入り細に入り観察を強要される。執拗に観察を強要される感覚は、その文章の(おもしろいんだかまじめなんだかよくわからない)味もあって、とてもここちよい。
 たとえば、上海蟹の売り子の写真に番号がふってあり、その説明はこうなっている。

「魚欄〈ユラン/広〉(魚卸商)からカニを運んできた人。カニが逃げ出さないように足と爪を結わえてあった水草をほどいて、後ろの水槽に入れようとしています。日焼けをした精悍な顔は彼女たちが海で働いていることを物語っています。二人ともピアスをしています。大肚〈ダイトウ/広〉(大きなお腹/妊婦)になっても働いている女性が意外と多く、右の人は6カ月以上と思われる大肚です。」(〈広〉というのは広東語マーク)

 写真の上では奥の霞んでぼけているようなものにも逐一番号がふってあって、確認を求められる。漁師の家族が漁船の上で食事をしているところの写真では、奥に5ミリぐらいの白い線が写っていて、そこにも番号がふってある。説明はこうだ。

「男の子をつないでいる命綱。幼児が水に転落しないようにしています。子供が舟から転落して溺死したという悲しい話を、いくつも聞かされました。」

 みると、その線の前には番号をふたつもふられた子供が写っている。なるほどー、この子供を繋いであるのか、という具合に、筆者は普通は気が付かないところ、眼が素通りする物品の物語まで、懇切丁寧にあかしていく。


 
4番の包丁は、果物用でやくざなどはこれで喧嘩をする、そうだ。

 人それぞれ「本を読む」という作業にそう違いがあるわけではない。スピードの差こそあれ、字を追って読んでいくという基本作業の積み重ねを一冊の本が終わるまで続けるだけだ。だが、その本が写真集だった場合どうだろうか? 写真集は「読む」ことを強要されない。観察を強要されない。学校で、本の(字の)読み方は教わるけれど、写真の読み方は教わらない。それゆえ、写真集は自由な「読み方」をする余地が残されているのだ。しかし、これは「写真集を読もう」とすると、自ら読み方を獲得しなくてはいけない、ということでもある。

 しかし、ここにうってつけの練習素材がある。本書がそれだ。観察から想像というプロセス過程を学習ドリルのように練習できる。そしてこの本を読み終わったあかつきには、写真を観察する眼は確実に鍛えられている。そして写真にはどれが主役で、どれが脇役かということがないということも本書で知ることになるだろう。写っているすべてのものは、物語を持っている。その物語を引き出すおもむきのある文章がとても良かった。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

悪のドラえもんが放つ写真集。中野正貴『TokyoNobody』

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

『ドラえもん』の(というかドラミちゃんの)道具に「みえなくなる目薬」というのがあった。のび太は、「ほかのヒトから自分自身が見えなくなる薬」を欲しいのだが、ドラミちやんは間違って、「のび太の眼に、ほかのヒトが見えなくなる薬」を与えてしまうのだ。のび太は、間違った薬を渡されたことに気付かずにその薬を使ってしまう。その結果がこの写真集だ。ところが、さすがののび太は、使ってしまっても結局ぜんぜん気付かないのだ。どういうことなんだ! 本書は、そもそも『Tokyo Nobody』という題名だし、帯にも「誰も写ってないんです」とうたわれているから、この写真集をみてヒトがまったく写っていないことに気付かない人はいないと思うが、それにしても気付かないか、のび太よ。発狂レベルに気持ちがわるいと思うんだけど。ほかの人間が消えたりするのは、一般的な恐怖なんだろうか、まんがなどでは結構よく眼にするシチュエーションだけれど、写真で見せられるとうなってしまう。いやあ、しかし、のび太。一体、鈍感なのか、大人物なのか、よくわからない人だ。

さておき、企画ものの写真というのは、なかなかむずかしいと思うのだ。つまり、この写真集だって、「誰も写っていない東京の写真です」と説明されてしまうと、もう写真を見なくたって、大体、想像できてしまうような気がするし、人間の想像力って結構偉大だから、想像が現実を写した写真に優ってしまうことも往々にしてある。見なきゃよかったってことになりかねないのだ。でも大丈夫。この写真集の緻密さは(少なくとも私の)想像力に勝つ。そして、「ミタコトナイコトミテミタイ」的なドキドキ感と、「モウダレモイナクナッテシマッタ」的ドキドキ感が複合して爆発している(爆発ということで言えば、中性子爆弾爆発!っていう感じでもあるけれど、それでは人間の死体が残ってしまうし、シチュエーションとしてはやはり「見えなくなる目薬」が正しいかな)。

この写真集は作者が10年がかりで撮ったという超労作だ。とにかく気持ちが悪くきれいだ。ここまで完成度の高い気持悪さを(そしてうまさを、きれいさを)ポケットから出されてしまえば、もう著者の中野正貴のことを「悪のドラえもん」と命名してもかまわないだろう(と思うがどうだろう?)。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本民族

2001/04/25 18:20

21世紀に語り継ぐ、20世紀日本の最後の『民族』

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 出ました。たぶんこういう写真集が出るんじゃないかなあ、と、うすうすは思っていたんだけれど、やはりって感じで、そしていいタイミングで出ました。つまりこれは、去年(2000年)あたりまでにほぼ絶滅した「ミンゾク(=ガングロ、ヤマンバな人々)」のポートレイト写真集なのだ。「ミンゾク」な人々のアップが30点ほどの掲載されている。彼女たちが街に(まだかすかにいるけど、とりあえず)いなくなったという、とてもうまいタイミングに出版されたなあ、と思う。もう本物が見れなくっても、この写真集があれば安心(?)だ。

 この『民族』というタイトルは、著者が渋谷のセンター街でみた、通りすがりのおばさんに「あんたたちなんなの?」といわれ、彼女達のひとりが「ミンゾクだよ!」と即答したという光景がヒントになっているらしい。

「あんたたちなんなの?」
「ミンゾクだよ!」

っていう掛け合い。すごいなあ。自分達のことすごくよくわかってるなあ。二の句がつげなくなってるおばさんの顔が浮かんでくる(笑)

 でも本当にそういう感じだ。なんだろう、こどもの頃外国映画をみて、登場人物の区別がぜんぜんつかなかった感覚ととても似ている。脳内に西洋人の顔を見極める回路がまだできあがっていなかったからなのだろう。同様に、彼女たちの「ミンゾク」な顔を認識して、分類、管理、登録するなんの回路もないせいで、私にはその顔は全く覚えられない。そのための脳内回路を作り上げられないでいるうちに、彼女たちははやばやと絶滅してしまった。

 そもそも、街でミンゾクの方々を見かけていたときにだって、そんなにまじまじとは観察できなかったしさってことで、写真ならではの特権を使って、この本をじっくりまじまじと観察してみると、おお、だんだん区別ができるようになってくるじゃないか。今さら私の脳内に「ミンゾク」の人々の認識パターンを作ってもしょうがないんだけどなあ(笑) 

 自らを「文化」と言い張る、
 消費文化日本の二十世紀最後の民族、コギャル、ガングロ、ヤマンバ……。
 短い間に現れ消えていった彼女達は、確実にここにいたのです。
 十年後、二十年後に、またこの本を開いて、「かつて」を眺めてみて下さい。

 という著者のコメントは、とても示唆に富んでいると思う。時と写真集は切り離せない。写真集について、「いい本は古くなってもくさらない」だとか、「この写真集は時がたって味がでてきた」とか、いろいろ語られるけれど、これだけ時代が写っている写真集は、きっと年を経るごとにさらにいい味を出すはずだ。ファッションは繰り返すという。実際、60年代ファッションが(リニューアルされて)復活した現象も我々は見ているけれど、この「ミンゾク」はたぶん20年たってもおそらく復活しない(もちろんもっとすごい「ミンゾク」がでてくる可能性はあるけれど)。後世に語り継ぐためにも、この写真集は、とりあえず保存しておきたい。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

鋤田正義の透明な画像(イメージ)集『波』

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 眼に心地よいクリアーなステージド・フォト。美少女(ってつまり田中麗奈のことですけど)の、味噌のCMを彷彿とさせる家庭での朝食、学校の廊下、さかだちする少年、海岸、サーフィンする男……。その44点の写真から、物語が、シチュエーションが立ち上がってくる。

 この本は写真集だが、実は写真集であるだけではない。ではなんなのか、というと、これは映画でもあるのだ。
 画像集『波』は、クリック・シネマ(http://www.click-cinema.net/)というサイトで、つまりインターネット上で公開された三部作の映画「好き」の中の一本「波」(主演=田中麗奈/伊原剛志、監督=鋤田正義)が元になった写真集なのだが、まだここで「あ、その映画のスティール写真を使ったのか」と早合点してはいけない。
 どういうことか?
 この映画は、静止画だけでつくられた映画で、その画像はデジタル・カメラで撮影されたものだ。画像集『波』はその画像を使っている。だから、画像集『波』と元の映画『波』が撮影されたレンズ/カメラは同じ、つまり画像も全く同じで、しかも静止画というつくりも同じということになる。写真集として編まれているそれは、つまり映画そのものなのだ。
 この本では映画の音声が(あたりまえだが)ついていないが、そのかわり一般からあつめられた詩が挿入されている。写真を見つつ、詩を読んで、ページをぱらぱらめくっていると、自分の頭の中に物語が——映画が——立ち上がってくる。それはもう一本の映画「波」でもある。自らの「波」と元の映画とを比べてみるのもおもしろい。

 著者の鋤田氏は、これまでも映画「ワンダフルライフ」(監督=是枝裕和)でスティールを担当し、枠にとらわれないその写真群は、『映画ワンダフルライフとその登場人物たちと撮影現場の記録』としてまとめられている。

 写真というメディアはもういろいろなことがやり尽くされていると思われているけれど、これら写真集の、豊かにイメージを増幅するような多層的なつくりを、そして写真をみるとほっとする。そしてもちろんこれがもっとも重要なところだが、この写真集、写真が圧倒的にいい。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本ホンコンフラワー

2001/03/21 13:11

香港のホンコンフラワーな魅力。星野博美『ホンコンフラワー』

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 香港が英国から中国に返還された1997年7月1日。その前後(1996-98年)に、作家の星野博美はホンコンで暮らしていた。香港について著者は「香港はホンコンフラワーに似ている。私は、この街のそんな切ない美しさを愛している。」とコメントする。

 『ホンコンフラワー』は、作者が香港の裏町に住み、香港人の生活を写しとった写真集だ。この本の前に出版された『転がる香港に苔は生えない』(情報センター出版局)のヴィジュアル姉妹版という位置づけのようだ。

 星野が写し撮った香港は、昼と夜の違う貌を持つ。昼、強い光によって照らされ、風化があらわになった、ちゃちくて、古びているところが逆にいとおしい建物などの人工物と、強い南の陽の力ではびこり育ったハイビスカスや芭蕉。その上にはPLフィルターをかけたみたいな青い空に立体感のある雲がそびえ立つ。
 夜が香港の「本当の」貌なのかもしれない。さまざまな色の人工的な光の中で、モノのちゃちさは暗闇の中に消え去り、偽物も、いや偽物だからこそ、ネオンの光の中で美しさをみせる。香港人は、むしろ夜という時間のために、ネオンに映えるように街を作り込んでいくのかもしれない。そんな昼と夜がめぐる街の中で、人々の暮らしは活気に満ちている。しかし一方では、写真集の最後の方にさみしい家族の食事風景がある。3世代家族のような10人が冷たい薄暗い蛍光灯下で食事をしている。テーブルの上には、なんと一品のおかずしかない。それも青菜をただ炒めただけです、という感じの。これが、おそろしくうすらさみしい。家族が集まった風景であるがゆえに、より荒涼としている。パック旅行でみさせられるような、ステレオタイプな香港しか知らないものには、「これも香港か」となにかしら感慨がある。

 視覚効果で、とりわけおもしろかったのは、途中、見開きにタテイチの写真を2枚使っているところ。この本を90度回転させると、縦に細長い写真集になる。狭い香港の、街がたてにのびているところとリンクしているようで、ふだん使わない回路から画像を把握させられる感覚がある。

 作家の好きな中国語「相見恨晩」(もっと早く出会っていればよかった。たとえ遅すぎても、あなたに出会えてよかった)という言葉は、この写真集にもあてはまる。もっと早く、この写真集を手に取ればよかった。

 http://homepage2.nifty.com/mitropa/index.htm に、星野博美(とその師匠の橋口譲二)のサイトが公開されている。展覧会情報や日記などの情報はこちらへ。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

夢の領域——花代『ドリームムムムム…ブック』

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

◆机上にあらわれる 夢の領域

文=石塚雅人

 花代2冊目の写真集は、ページが上と下に裁断されていて、見開きで4ページの写真を組み合わせて楽しむことができる。
 でも、乱暴に途中を端折ってパラパラめくろうとすると、ページが引っかかって、進めないのだ。仕方なく、一枚一枚丁寧にめくっていく。仕方なく、といいつつも、だんだんその作業にはまっていく。うーん、こうかな? コレとこれを組み合わせるとかっこいいぞ……とか、自分の好きなコンビネーションを見つけだすことに熱中してしまう。これがなかなか楽しい。おお、これは、上下がつながっていることもあるんだ。おもしろいなあ。

 この本の中で被写体として選ばれているのは羊から始まって、子供や人形、カラフルなケーキや飛行船、街の建物、金魚にいたる、生活の中で、どこにでもある(いる)ようなものだ。被写体は、テレビの中の人物でさえ、作者のカメラに向けて常にポーズを取っている。にもかかわらず、撮られた写真の大半は、ピンぼけで、ぶれていて、被写体は半分フレームアウトしているのだ。なにかすごく異常な感じがする。被写体のことを考えれば、生活っぽい写真集になっても全然不思議じゃないんだけど、まったくそうはなっていない。この異常な感じ——作者の独特の視線——が書名のいう『ドリームムムムム…』ってことなんだろう。この「ムムムム…」ってところは、辻褄のあわない、視線の定まらない、夢の感じを引きずっている感じなのかもしれない。想像だけど。

 この写真集を開くと、その場所が夢の領域として、たちどころに解放される。本を閉じても、「ムムムム…」と余韻が残る、不思議な写真集だ。

 作者の花代さんは、写真以外にも、音楽、パフォーマンスなど、いろいろな分野で活動を展開するマルチ・アーティストだ。http://www.hanayo.com/にその情報がある。現在、ベルリンを中心に活動している。

写真サイトTOPへ→

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

6 件中 1 件~ 6 件を表示