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  3. 木村由利子さんのレビュー一覧

木村由利子さんのレビュー一覧

投稿者:木村由利子

26 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本クマのプーさん 新版

2001/05/25 19:17

テディベアものの老舗は、やっぱりこれだ!

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

数年前とある学校で、テキストにクマのプーさんを使ったら、登場人物の関係がぜんぜん理解されてない。?と思って尋ねてみたら、子どもの頃読んだことのある学生がひとりもいなかった。

が〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん!!

あんまりショックだったので、別の学校(それも児童科)の学生に同じ質問をしてみたら、こちらもひとりもいなかった。

がんがんがんが〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん!!!!!

それでも不思議なことに、プーさんというクマの存在は知ってるのね。
あの、脳ミソつるつるの顔した、どぎつく黄色い、ディズニーのアニメ・クマのおかげで!
そりゃプーは「頭の悪いクマ」だよ。でもご本家には、英国生まれにふさわしいうれいってものが備わってるの。そしてどことなくけばだってて、ひょっとしたらパンヤがはみだしてそうなよれよれのぐたぐたさがほの見えて、ああ、クリストファー・ロビンにかわいがられてるんだなあと、よくわかるわけ。
プーやコブタやトラー(ティガーじゃないからねっ!)の住んでいる森だって、いつも霧雨がしみしみ降ってそうな、薄暗いところなんだけど、だからこそたまのピクニックとか、桃色のお砂糖のかかったおたんじょうびケーキとかが、ぱあっと明るく暖かく浮かび上がるのね。

アニメを見たことがないから知らないんだけれど、多分お話の中身はおんなしなんだと思う。でも本を読んだら違う。きっとぜんぜん違うって。「頭の悪いクマのうたえる」詩は、一つ残らず暗唱したくなるし、みんなの思い違いと思いこみが作り上げる言葉遊びのおもしろさは、類がない。
そう。それはひとえに日本語訳のすばらしさから来ている。プーの言い間違える、ノウレンゲエキョウとかカシテキショウユとか、しっかり日本語になってて、しかも超訳なんかじゃない、堅実な訳なの。

「クマのプーさん」の面白さのかなりの部分は、この日本語訳にあると言っても過言ではない。少なくとも日本語版は、フランス語版、デンマーク語版、スウェーデン語版のどれよりも原作の意をくみ取っていると断言しよう。

「知ってるつもり」ですませてないで、今からでも遅くないから、「クマのプーさん」の本を読んでみて。

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紙の本めざめれば魔女

2002/05/31 14:53

超能力少女ローラは、愛しい弟を魔から救うため、魔女となる決心をかためる

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 普通子供の本の作家世界は、けっこうはっきりと住み分けがされている。例えば幼年もののうまい書き手は、めったにジュニア小説を書かないし、ヤング・アダルト本作家は、幼年向けも少年向けも10代向けも何でもござれ。しかもどれをとっても、水準を遥かに越えている!
 これは若き魔女の覚醒の物語だ。14歳のローラは、母親と幼い弟との3人暮し。先祖のポリネシアの血が家族で唯一はっきり表れた風貌のせいか、凶事を予感できる。ただしそれを防げる力はない。ある日彼女は生命の吸血鬼ともいうべき男ブラックに出会い、目の前で弟に魔の刻印を押されてしまう。弟は見る見る衰弱していくが、周囲の大人は、それが魔なるもののせいだとのローラの主張に、耳を傾けてくれない。途方にくれたローラは、上級生の少年ソリーに助けを求める。ソリーが魔道士であることに、早くから気づいていたからだ。ローラが恋心を告白にきたと思い込んでいたソリーは失望し、つれない態度を取るが、すぐに事態の深刻さを悟り、自分の家に招じ入れる。ソリーの母と祖母も、「月の娘」すなわち魔女だった。3人は、ローラ本人が魔女にならなければ、弟を助けられないと告げる。ローラはソリーの家で、命をかけて魔女になる試練に身を投じる。
 浴室で自分の血を混ぜたワインを飲んだローラは、異なった時と次元が混在する世界に投げ込まれる。結界のバスマットに繰り返し立ち戻りながら、ローラはめまぐるしく異次元を漂う。そしてソリーの支えも得て、見事に魔女として開花し、弟を救うのだ。
 魔女への変身は、少女から女への変身でもある。だからセックスに触れずにはすませられない。ローラをセックスに対して閉じていない少女に設定し、また母親と恋人が迎える朝を当然のこととして描くマーヒーの筆に、ためらいやわざとらしさはない。母親が一人の女、いや人間であること、場合によってはセックスが最高の精神的支柱になることを、ローラはソリーに指摘される。そしてローラは、それを認めざるを得ない。
 魔女になるため、異世界に通じる黄色のれんが道に足を踏み入れるローラは、オズに向かう新たなドロシーだ。しかし彼女のそばに控えるのはライオンや案山子ではなく、りりしくてちょっとうぬぼれ屋の魔法使いである。ローラは魔女になることによって、家族の愛を取り戻し、生涯つづくであろう恋にも出会う。これは、さまざまな要素を取り入れながらも全く破綻のない、ファンタスティックでリアリスティックな、希有で欲張りな物語なのだ。

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紙の本ムーミン谷の十一月

2000/11/24 15:49

ムーミン一家の留守宅に集まった人たち。あなたはその中のだれ?

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ムーミン・シリーズの最終巻。だけどムーミン一家は出てこない。この本の主役は、ムーミン屋敷と、そこに集まってきた「人々」だ。
 スナフキンは、冬を迎えて一旦旅立ったが、ハーモニカのメロディーを置き忘れてきたのを思い出し、いそいでムーミン谷に引き返す。
 秋の大掃除に大失敗したフィリフヨンカは、恐くて掃除のできないからだになってしまった。彼女にできるのは、掃除と料理だけだというのに。自分のレゾン・デートルに不安を抱いた彼女は、ムーミン一家とおしゃべりすれば、問題が解消すると思いつく。
 ひとりぼっちのホムサ=トフトは、まだ見ぬムーミン谷をお話に作り、いつも自分に話し聞かせて眠りについた。そしてある日、本物のムーミン一家、特にムーミンママに会いたくなって、谷に向かう。
 せっかくヨットを持っているのに、一度も乗ったことのないヘムレンさんは、乗らなければのプレッシャーに押しつぶされそう。心の憂さを晴らすにはどうすればいいかと悩んでいる折り、楽しかったムーミン谷でのひと夏を思い出す。
 100歳のおじいさんは、ある朝目覚めると、自分の名前を忘れていた。何でもかんでも忘れてしまい、その度に周囲の若いものにやいやい言われるのに飽き飽きしたおじいさんは、スクルッタおじさんと名乗ることに決め、新しい人生を踏み出した。
 
 それぞれ問題を抱えてムーミン屋敷をたずねた人々は、家族が留守だと知って気が抜ける。何があってもわが道を行くスナフキンと、妹のミイに会いたくてふらりと立ち寄ったミムラねえさんをのぞいて、全員が裏切られたような想いを抱く。それでも彼等は主の居ない屋敷で、ひきずってきた問題を解決しようと動き出す。
 
 登場人物たちは、それぞれがある人間のカリカチュアだ。読者は屋敷に集うメンバーの誰かに、自分を重ね合わせることができる。何度読んでも同じ人に共感する人も、読む度に感情移入する相手が違う人もいるだろう。人の世話をすることでしか、自分の存在を実感できないフィリフヨンカ、仕切りたがり屋のくせに、自分だけの考えがなく、一人で行動できないヘムレン‥‥。ヤンソンの筆は容赦ないが、読者に彼等を嫌わせない優しさも備えている。今回私がもっともずんと来たのは、スクルッタおじさんだった。これまでは誰よりも興味の抱けない人物だったのに。老いがようやく実感をともなって近づいて来たのだろうか。
 
 屋敷を右往左往する人々の誰かに自分を重ね合わせ、北欧の寒々しい11月に、身を委ねてみよう。あなたは彼等の誰? あなたの問題も、一緒に解決できるかもしれない。

(木村由利子/翻訳家)

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紙の本動物会議

2002/03/29 15:35

ものごとはもっとシンプルに考えようって、動物たちが言ってたよ

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 人間たちは毎日毎日会議を開き、世界平和への道をさぐっていた。はずだった。
 ところが実際は各国のおもわくが先行し、らちがあかない。問題はちっとも解決しない。そんな人間の愚かしさにとうとう堪忍袋の緒が切れて、動物たちがのりだした。
 あのケストナーが書いたお話が、ほんとにほんとに久しぶりに、新訳なっての再登場。はっきりいって設定自体はユニークじゃない。一般公募の童話コンクールに、2つや3つは混じっていそうなお話だ。さまざまな肌色の子供たちの書き方が、ステレオタイプなのも否めない。衛星放送が当たり前な、現在の目からすれば、交通通信の手段がいかにも古くさい。
 でもね、それら弱点をおぎなってあまりあるのが、お話の持つ「勢い」だ。それは作者の自信、いいかえれば楽天主義から生まれる。半世紀前の作家たちは、今よりずっと人間に期待できたんだと思う。人間は前進できるんだって、信じられたんだと思う。
 お話に出てくる人間たちは、馬鹿で頑固で仕方が無いけど、動物 たちの単純で健康な作戦に、あっさり足をすくわれる。動物たちは人間の世界から子供を取り上げたのだ。そして今より単純で健康だった大人たちは、手もなくバンザイしてしまう。
 世の中そんなに問題が簡単に片づいてたまるものか、と言われるかもしれない。現代は昔のようには行かないんだよ、って。でもほんとにそうなんだろうか。いつだって物事が変わるきっかけは、驚くほど簡単なことなんじゃないかと思う。50年以上も前に書かれたこの絵本と同じ目で、周りを見なおしてみたらどうかな、なんて。
 ところで、子供の頃なぜか妙に好きだったみみずのフリドリン、なんですが、今度読んだらフリードリーンになってました。ほかの名前も表記が変わってしまってちょっと悲しい。こっちのほうが正しいんだろうけど、元に戻してくれないかなあ。原音主義なんて大っきらいだあ!(翻訳家の言うことだろうか)
 ま、とにかく。元気な時代のお話を読んで、ちょっと力をもらおうよね。

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紙の本ポケット詩集

2002/03/08 12:25

自分への言葉を見つけよう

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

昔の少年は、詩をよく読んだものだ、と、この本の編者は語っている。
たしかに読んだ。ジャック・プレヴェールとか、好きだった。あんましべたべた甘くなくって、それでいて、過激に前衛でないやつね。
それは多分、自分への言葉を求めていたのだ。いろんなもどかしい思いを、うまく言い表してくれ、まとめてくれる言葉を。
あらゆる書物に言葉は用意されているけれど、詩人たちは他の誰よりも、簡潔にわかりやすい形で、それらを差し出してくれた。そして少年少女たちは、サンタクロースにもらったハンカチさながらに、言葉を大切に胸にしまいこんだのだ。
でもここ数十年は、ソングライターが詩人の代わりをつとめる。彼らは年齢もそうかわらない。だから、古くさい、国語辞典を引かなければわからないような言葉は使わない。彼らは今の聞き手たちが、今の今聞きたい言葉を用意してくれる。
それは悪いことではない。流行歌だからとそっぽを向くより、耳を傾ける方が、ずっといい。なぜって、今では教科書に出ているような「詩」だって、かつては流行歌みたいなものだったんだから。
昔の人の知恵、なんて言葉があるじゃない。流行歌だって、たまに昔のをきくのも面白いかも。そういう意味で、この「ポケット詩集」は、いい入門書になるだろう。編者の性格からだろうか、ちょっとお説教っぽいのが多いんだけど、詩との出会いの場としては、よくできている。
深ぁく重ぉく考える詩人、軽やかに人生をちゃかす詩人、だれをお買いあげするか、しばし迷ってみるのもいいだろう。詩は短いけれど、選ぶには時間がかかる。自分への言葉は、時間をかけて選ぶから、意味がある。
こういう詩集から言葉を見つける方が、色紙に書かれたような人生訓にとびつくより、ずっと気が利いていると思わない?

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紙の本潮風のおくりもの

2001/07/27 14:22

「のっぽのサラ」は泣ける映画でしたよね。その原作者が書きました。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 夏休みが終わる日、避暑地の小島に暮らすラーキン一家の玄関に、赤ちゃんが捨てられていた。そのうちきっと迎えに来るからと、母親の手紙が添えられていた。
 両親と祖母とラーキンでなる家族は、たしかに幸せそうだ。けれど彼らは心の底に大きな傷を負っていた。それは、去年生まれてすぐに亡くなり、名前さえ付けられずに埋葬されたラーキンの弟のこと。誰もその子について話さず、そのくせその子を忘れることがない。やむなくひきとった赤ちゃんは、育ち、なつくほどに、死んだ赤ちゃんを思い出させる。生きた赤ちゃんが死んだ赤ちゃんをよみがえらせ、家族の関係を変えていく。
 しんとして、重い作品なのだが、作者は余計な力を込めず、登場人物たちを読者の前に立たせる。だから押しつけがましさを覚えずに、いつのまにか読み進んでいける。親だから子供に心をさらけ出さない父母。両親が好きだから、蚊帳の外に置かれるいらだちを抑える娘ラーキン。読者は双方の気持ちを、ひいきなしに見ることになる。
ラーキンの友人ラロとバードおばあちゃんが、不器用な親子を助ける。でもふたりは「あたたかい」手をさしのべるわけではない。何気ないアドバイス。でもたとえ受け入れられなくとも怒ったりしない。ふたりは大人だ。
 そういえば、この物語にわめきたてる人は出ない。それだけに、人々の言葉や行動は、深く確実に残る。時折はさみこまれる、大きくなった赤ちゃん(ソフィー)の独白と思われることばが、音楽のように物語を彩る。
 打ち寄せる波のような本。または春のこぬか雨のような本。足元を洗い、頬をぬらす。

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紙の本ワニがうたえば雨がふる

2001/07/27 14:14

人材派遣会社が、ワニまで送ってくる時代

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 カナはお父さんとふたり暮らし。でもある夏の初め、ホテルを造る仕事のために、お父さんは南の島へ出張になる。留守宅を守ってもらおうと、お父さんは人材派遣会社に用心棒(!)を求める。程なくやってきた用心棒‘‘それは、頭に赤い花を咲かせた、巨大なワニだった。
 元気な4年生の女の子と、ちょっぴりおマヌケだけれど心優しいワニの、ひと夏の物語、そしてその間に起こる、魔法いっぱいのいくつもの冒険‘‘「童話」ときいて人が思い浮かべる要素が、すべてこの本にはそろってる。文章はありがちな子供だまし風ではないし、掛け合いの台詞はポンポンとリズミカルで心地よい。そしてミョーな思い入れや感傷がなくって、すがすがしい。作者はどちらかというと、国産ものより翻訳物の楽しい本を、どっさり読んできたのではないかしら。
 もう一ついいのは、舞台がきっぱり現代なこと。ワニは人材派遣会社から来るのだし、都会から引っ越してきた男の子は、お父さんの元職場をこう自慢する。
 「三つ星ホテルは七十七階建てでさ、外国から来たVIPが泊まるんだ。ビッグアーチストや、ワールドカップに出場するサッカーチームや、南の島の王様なんかがプライベートで」
 ワニの名前だって「ワニ」。甘ったるいアレンジは、なし。歌だっていっぱいはいってる。
 ちょっと坂田靖子のマンガを思わせる、しゃれてて不思議なお話なんであります。

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紙の本のはらうた 1

2001/05/11 19:34

マザーグースばっかり、ひいきしないでね

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

千代紙みたいな表紙のついた、てのひらサイズの本。何だか懐かしい感じで、そのくせモダン。あれっと思わず、足を止めさせる。
はじめて書店でこの本を見つけたとき、こうして私は足を止めた。
何だろ、これ。
ページをひらくと、おおっ、ひらかなとカタカナばっかり。
童詩、ってやつかな。北原白秋とかが書いてたみたいな。
好きだったけど、子どもっぽさをてらっていたら、今読むのはちょっとなあ。
と、「詩人」たちの名前を見れば、こねずみしゅん? ぐるーぷ・めだか? みのむしせつこ? かたつむりでんきち? わははははあ!
読み出したら止まらず、とうとう最後まで立ち読みしてしまった。
元の場所に返そうとしたが、手が抵抗する。ほしい。この本、ほしい。買って帰ろうよお。
現在うちの本棚には、「のはらうた」全4巻が、背表紙を並べている。
からだになじんだ七五調あり。いわゆる「児童詩」風あり。かと思えば、CMソングのようにおしゃれな歌詞風あり。飽きない。
子供向けの詩は、洋物の方がずっと好きだったけど、この本を読んでから、宗旨替えした。そりゃね、つりがね草とかさんざしとか、羊飼いの少女なんかが出てくる詩は、ロマンチックだよ。でもここに出てくる生き物たちは、註がなくってもすぐ目に浮かぶものばかり。今でもマザーグースのうたは好きだけど、この本を開くたびに、ほっこりするのね。
オレンジは香りがよくておいしいけれど、やっぱりみかんは温州みかん、って。ちょっとちがうか。

そして数ある名詩のなかで、忘れられないのは、きりかぶさくぞうさんの次の作品です。

       わしは
       いちにちじゅう
       「どっこいしょ」を
       している

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紙の本魔法のことばツェッペリン

2000/09/01 17:22

散文と詩のはざまで語られる、現実と夢のあいだの物語

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

いつだったかハウゲンが来日したとき、編集さんが、「会いにいきませんか?」と誘ってくれました。でも、気が進まなくて断りました。彼の写真を見たら、ハンサムではあっても、歯みがきの広告みたいに太陽の光が似合いそうな、さわやかな青年だったからです。
 私は顔で人を判断します。どんな秀作映画だって、美形が出てなきゃ「いや。お金がもったいない」し、著者近影が暗いハンサムだと、誰もが認める駄作であっても許します。
 さわやか系は駄目、闇が似合う人でなきゃ、の私は、だから会えなくても一向にくやしくなかったのです。ところが彼は北欧作家ご一行とともに、とある講演会で話をすることになり、何たる皮肉か、欠席するのは私にはちとマズい浮世の義理がある会だったのですね。しぶしぶ控え室に向かい、挨拶に振り返った彼と顔を合わせたとたん、言葉が出なくなりました。繊細ではかなげで、風が吹いたら飛びそうで(みんな誉め言葉)、黒のタートルネックとコーデュロイのパンツが似合うその姿は、少女マンガに児童書作家を描かせたらまさにこうだろうという風情。うあー、うあー、うあー、子供の本を書く人にも美形がいるんだあ、「Papa told me」の知世ちゃんのパパみた〜い。握手をしながら作品とは関係なく(おいおい)、「一生ついていきますっ」と心に誓ったのでした。
 この「魔法の言葉ツェッペリン」は、ハウゲンと会う前に訳した作品ですが、ロマンチック美形が書くにふさわしい、幻妙な雰囲気をたたえた物語です。親の過保護に悩むニナは、サマーハウスで幽霊のように出没する少年に出会います。その神出鬼没ぶりに、大人たちはおびえ騒ぎますが、そのうちニナだけが、正体に気付きます。それは親にかまってもらえず、家出をしてきた寂しいただの男の子。それまで親のいうままだったニナは、少年を助けるため、意思を見つけ、強くなっていきます。夢とも現実ともつかない夜の緑の中で、少年と少女は言葉を交わし、心を通い合わせます。やがて、大人であり男であることにしばられてきたニナの父親は、からだの大きさ小ささは、心の強さとは無関係なことを、娘に教えられるのです。
 散文とも詩ともとれる、余分な表現をすっぱりそぎおとした文章で綴られたお話。はやり言葉は使わず、そっけないほどシンプルな会話が、かえって幻想性をたかめます。お話の最後に出てくる月の光のように、柔らかな明るさをたたえ、そのくせ存在感はしっかりと示す、美しい作品です。

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紙の本猫弾きのオルオラネ 完全版

2000/09/01 17:16

空前絶後!オルオラネとのんべ猫トリオのジャムセッション

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

初めて読んだのは、コバルト文庫。タイトルに魅かれてのことだった。主人公のおじいさんの名前オルオラネが、とても響きのいい音を持っていたから。オルオラネの猫楽団のリーダーともいうべきイルイネドも、不思議な名前だった。
 そして気がついた。オルオラネはオル+オラネ、イルイネドもイル+イネド、どちらも「居る」と「居ない」をくっつけたものだ。つまりこの二つの名前は、ともに存在と非存在を合わせ持っているわけだ。どことも知れぬ架空の町に出現する、この世にいながらいないミュージシャンたち。そこから導かれる意味は何なのか?
 なあんて言葉遊びするのも一興かとも思うが、何といってもこの短いお話の圧巻は、オルオラネと主人公の青年が、3びきの酔いどれ猫イルイネド、マレット、ショフレンを弾く部分だろう。失業音楽家青年とオルオラネじいさんは、声を良くするため猫に酒を飲ませてから、耳やしっぽや肛門やへそをいじくり、つやのある声をひびきわたらせる。その手さばきにより、音階、音の強弱、ハーモニーは自由自在。マレットがイントロをかなで、イルイネドが力強く主音階をひびかせはじめる。
 そして5ページにわたる、猫楽器の即興演奏。活字はサイズを大小に変化させ、上に下に斜めに移動し、さらには逆印字されて跳ねる。たとえばその音は
               ニイッふにゅナーゴ
               ニイッふにゅナーゴ
               ニイッふにゅナーゴ
             ギャゴナッふ
             ギャゴナッふ
             ギャゴナッふ
 という具合。そして酒場<よさこい猫>のゲスト楽団と観客は、渾然一体となって怒涛のエンディングになだれこんでいくのだ。字がまるで音のように頭の中をかけめぐり、読者に解放感をもたらす。これは、文字で音楽が演奏できることを教えてくれた、爽快なメルヘンだ。

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紙の本イングリッシュローズの庭で

2000/08/16 16:22

戦時下でもきちんと青春してます!の英国美人姉妹物語

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本を読んで啓発される、とか、反省する、とかに縁のない人間なので、戦時下ものには手がのびない。寝っころがって読むと怒られそうじゃない? でもこれは、娯楽小説の味付けがきいていて、厚い本なのに飽きさせずに読ませてくれる。

 父が戦死し、女優の母が慰問団に参加したため、残された20歳のダイアナと17歳のローズの姉妹は、海辺の小さな町に疎開してくる。ダイアナは美人で優等生、ローズはそんな姉に劣等感を抱く落第生、とまずは妥当な役の振り分けがなされている。もちろん主人公はローズであり、よくある青春物なら、できる姉が妹を支配していたが、何かのトラブルが起きて弱みをさらけだし……という筋立てを取りがち。でもダイアナは本当に優しくていい子なの。すぐに妹にゆずってしまい、大丈夫かな〜なんて心配になるくらい。で、ローズは頑固でねぇ、こっちはこっちではらはらしてしまう。

 二人はいいところのお嬢さんなので、これまで家事などしたことがない。だが様々な行き違いの結果、否応なしに自立を迫られる。とまどいながら試行錯誤を繰り返す二人。けれども近所のクラレンス夫人や変人だが聡明な本屋のアレクなど、良きアドバイザーに恵まれて、成長していく。また未婚の妊婦ドットと出会った時、自由な精神の持ち主だと自認していたローズのほうが、姉のように彼女を素直に受け入れられず、俗物ぶりを露呈するのも面白い。俗物なのに世間知らずで、ローズは恋愛がよくわからない。だから間違った相手を選んでしまう。相手の男の子はとにかくヤリタイだけで、それが見え見えなマズいアプローチをするんだけど、これが恋だと半ば強引に自分に思い込ませたローズは彼と初体験してしまう。あーあ、やっちゃった!という感じ。しかもこのオトコってば、さっさとヤリ逃げしてしまうのだ。でもそのおかげで、ローズは自分の本当の気持ちに気付くんだけど。

 この他、疎開先の秘密の小部屋で発見した日記から、ローズが亡くなった家主の謎を解いていくという、ミステリの要素もからまっていたりして、読み所は満載。しかも物語の終わり、主な登場人物は、みなハッピー・エンドを迎えます。エンターテインメントはこうでなくっちゃね。

 映画「戦場の小さな天使たち」もそうだったけど、シリアスな題材をお楽しみいっぱいの作品に料理してくれる、その見事な腕前! イギリスものって、しゃれてます。

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紙の本はるかな国の兄弟

2002/06/07 15:18

この世の苦しみから逃れた兄弟は、新世界ナンギヤラで戦いに身を投じた。

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「長くつ下のピッピ」や「やかまし村」シリーズが苦手だった私にとって、「ミオよ、わたしのミオ」との出会いは、嬉しい驚きだった。そうか、リンドグレーンはこんなお話も書いてくれるんだ。そして表紙を見ただけでも「ミオ」と同種の作品だとわかる「はるかな国の兄弟」は、出版されたとたんに手に取った。お話もさし絵もすばらしかった(私はこの作品のヴィークランドのさし絵が何よりも好きだ)。ラストは、泣けた。
 語り手のクッキーは、足が不自由で病気がちの男の子。生まれたときから長生きはできないといわれている。対してお兄ちゃんのヨナタンは頭脳明晰、眉目秀麗、容姿端麗、文武両道で、苗字のレヨン(ライオン)をもじってレヨンイエッタ(獅子の心)とよばれる、誰もが憧れる理想の少年だ。ところが何とも皮肉なことに、ヨナタンは火事で弟をかばって亡くなる。ほどなく死んだクッキーは、気付くと、生前ヨナタンが話していた世界ナンギヤラに転生していた。だがナンギヤラも住みやすい世界ではなかった。
 ナンギヤラは、「野営のたき火とお話の時代」の世界だ。騎士としてサクラ谷で一緒に暮らし始めた兄弟は、野バラ谷で独裁者テンギルの悪政に苦しむ人々を救うために立ち上がる。そのためにはテンギルの操るドラゴンのカトラを滅ぼさなければならない。だがヨナタンは、人を殺すことのできない少年だった……。
 残酷に成り得る場面はたくさんあるが、いずれもたくみに回避してある。だからこれはファンタジー風味ではあっても、あくまで「お話」だ。登場人物の心理を深く掘り下げているわけでもない。だからといって、このお話の価値は下がらない。読者は主人公クッキーの、自分に対する歯がゆさ、切なさを一緒に体験する。そして幼い少年の自己犠牲に、胸を打たれるはずだ。リンドグレーンは救いを用意している。二人の少年の苦しみの向こうには、新しい世界ナンギリマが待ち構えているのだから。
 輪廻転生を思わせる世界観は、多くの欧米の児童文学を支配するキリスト教的世界観とは違った不思議な雰囲気を、この物語に与えている。殺生を嫌う慈悲深いヨナタンの姿に東洋的な心を見るのは、うがちすぎだろうか。
 このお話は、映画化もされている。あまりに稚拙なドラゴンの特撮をのぞけば(CGなどない頃の作品だった)、よくできた映画だった。ビデオ化が無理なら、どこかで再放送してくれないだろうか。

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たしかにこわいビヤホールだけど、人間用があれば、行ってみたいな!?

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 マコくんのおばあちゃんは、おしゃれに暮らしてる。ピンクのワンピースにすけたカーデガンはおって、テーブルには装飾がいっぱいの電気スタンド。髪の毛は赤く染めている。もしかしたら、宝塚ファンだったりしてね。
 おしゃれなおばあちゃんはある日、マコくんにクレヨンをかりて、看板を作る。ペチュニアのかげにビヤホールを開店するそうな。お客さんは、ペチュニアを枯らすなめくじたち。なめくじは、ビールをなめていいご機嫌になって、天国にいってしまうのだ…
「ビヤホール」という名称が、レトロで実におばあちゃんの思いつきらしくって、そのくせな〜んかモダンでいいと思いませんか? お客がなめくじだけに、つまみは塩かしら。
 もちろんナメクジだって、黙って殺され続けるほどお人好しではないのですが、それにしてもこの世との別れになる酒盛りをするナメクジたちの、楽しそうなこと。見開き3面にわたるパーティー場面を見ていると、仲間に入っていっしょに昇天したい、なんて気持ちになりますねえ。
 読み聞かせは、この際お父さんにやっていただきましょうか。声色かえてホラー色をつけて。お話をしながら、ビールでのどを湿してね。ビールが進まなくなって、お母さんが喜ぶかも。

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紙の本妖精王の月

2001/10/05 16:59

妖精世界の敵と対決する少女たちの、BGMはケルト音楽

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 アイルランドの少女フィンダファーとカナダ人のいとこグウェンは、ともにこよなくファンタジーを愛していて、妖精世界の伝説にくわしい。16歳の夏休み、二人は異世界に通じる扉を求めて、アイルランドの旅行に出かける。不思議な力の導きで二人が出発地点に選んだのは、古えの王国の中心地タラだった。彼女たちは禁を犯して塚山で眠り、その結果フィンダファーは妖精族に誘われてしまう。グウェンは後を追い、無事に妖精族の宴にもぐりこんだ。しかし妖精の食べ物を口にすることで再び禁を犯し、人間界に送り戻される。
 グウェンは、フィンダファーが自らの意思で妖精王のプロポーズを受け入れたことを知る。しかし家族のためにも彼女を取り返さなければならない。グウェンは、味方の妖精がささやいてくれた「赤毛の人間を信じよ」の言葉をたよりに、友人を見つけていく。会社重役のマティー、羊牧場のケイティー、インチ島の「王」でもあるダーラ少年、その大おばで妖精から魔法の技を得たおばば。勇気を胸にグウェンは、ふたたび妖精の群れに追い着いた。だが、フィンダファーはもう人間界には帰らないと告げる。妖精の暦で7年ごと、人間の暦では数世紀に一度、「狩人」こと大蛇クロム・クルアクが人身御供を要求し、それを拒絶すれば妖精世界は滅びる。妖精王を心から愛するフィンダファーは、彼のために犠牲になるつもりなのだ。大蛇を殺すには楽園の七天使が戦士とならなければならない。その戦いも、勝てるかどうかわからない。グウェンはいとこと妖精たちを救うため、戦士となる決心をする。
 妖精王は目の覚めるほど美しく、二人の少女も美しい。残る4戦士のマティー、ケイティー、ダーラ、おばばも、みな美しい人間だ。この本にさし絵はないけれど、文章がそのままさし絵のように、優雅になめらかにながれていく。ハイ・ファンタジーの重厚さはないが、かわりにダンスと音楽が物語に花を添える。妖精たちはルネサンス風の衣装だけでなく、 Tシャツとジーンズ姿でも現われる。名前が出るケルトのミュージシャンは、エンヤ、クラナド、シンニード・オコーナーと、あくまでもポップだ。現代の少女の生活とフェアリーランドが、無理なく融合をはたす。もちろんファンタジーにつきもののバラードも登場するが、それは人間界のパブのステージで、妖精によって歌われるのだ。
 ポップなケルト音楽の味わいをもった、現代ファンタジーの佳作。この際BGMは「タイタニック」のダンステーマでもいいから、気軽にお楽しみください。

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紙の本月の石

2001/09/27 22:38

月がなくした光を取り戻すには、ロシア皇帝の宝石が必要だった。

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 モンゴルの奥地にある神殿で、若い巫女が恐ろしいことに気づいた。聖なる湖の水鏡に、月の姿が映らない! 光を失ってしまったのだ。月を救うには、皇帝の宝石を湖に投じなければならない。だが皇帝の宝石とは何か? またそれはどこにあるのか?
 同じ頃ノルウエーのオスロでは、老女フロリンダ・オルセンとその家族が、何者かに、皇帝の宝石を差し出せと脅迫を受ける。フロリンダはロシア革命時の亡命者だ。その娘は行方不明、孫は宝石の密輸業者、その妻は泥棒(どーゆー家族だ)と、脅迫される理由は充分あるが、宝石のことなど誰も知らない。
 遠く離れた土地で起こった、同じ宝石を巡る事件。二つの場所はやがて時間と空間を越えて、一つにとけあっていく。
 ハウゲンが、新たな手法で世に問うた作品。ファンタジーとサスペンスと寓話集をつめこんだ、エンタテイメントだ。「ソフィーの世界」の映画を見たときも思ったが、ノルウェーもけっこう派手になってきた。鏡くぐりの超能力に、神殿の僧侶誘拐、マフィアを思わせる男たちと、ええっ、これがハウゲンの作品?と思わせる小道具がいっぱいだ。これまではなんだかひとりごとめいた作品ばっかり書いていたのに、ハウゲンさん、どうしちゃったの?
 謎の男に脅されながら僧侶が語る、皇帝の宝石の由来。重責を負わされた若い巫女の、心の葛藤。オスロで闇雲に追いかけっこを繰り広げる人々。ハウゲンはいくつものエピソードを、手際よく組み合わせていき、最後に華やかな大団円にまとめる。そしてその間にハウゲンお得意の、おびえる少年の成長話も、きちんと組み込む。光を取り戻す月のように、物語の結末も明るい。
 ハウゲンのファンだという訳者の熱意も伝わってくる作品。そう。訳者が原作者のファンだというのは、けっこう重要な要素なのだよ。

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