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レビューアーランキング
先月(2017年8月)

芹沢俊介さんのレビュー一覧

投稿者:芹沢俊介

8 件中 1 件~ 8 件を表示

援助とは、心に余裕をもたらすことだと著者は述べる。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 分裂病の患者、ひきこもりの少年、痴呆老人、人格障害の青年——かれらの室内を目にするといかにもそれぞれの精神病理を反映した様相を呈していることが多い、と著者は記す。たとえばガラクタであふれかえる部屋は、精神がまとまりを失いばらばらになっていくといった分裂病者の心のイメージに対応しているというわけだ。
 この本にはそういった通常は覗き見ることが不可能ゆえに、好奇心を強く刺激してくる家族内の光景が、その住人の病んだ精神の姿とともにふんだんに描き出されている。
 この人は何者だろうと思う。病んだ人びとを援助すべくかれらの家を訪れるという役目を負った者だと著者は答える。なるほど、それで観察ややりとりがリアルなのだと納得する。精神科医で、精神保健福祉センター勤務していた時代の体験が語られているのだ。
 率直にいって内容は刺激的であるのに、読みにくかった。平易な文書で綴られているにもかかわらず、である。理由を探してみた。一つはすぐ見つかった。仕事仲間に向かって書いていることによる。看護や介護や保健などの地域の医療福祉の仕事にたずさわっている人が読者なのである。素人の私に感触がつかめなくても当然であったのだ。
 理由の二つ目は、読者である私の立場が、著者が俎上にのせている当の家族の側にあることであった。私は論じる側ではなく、論じられる側に身を置いているのだ。たとえば著者は医療的援助に対してかたくなに拒否的になっているような「家族を攻略する」と書く。そう書かれると、ああ、おれは攻略される側にいるのだと自覚せざるをえなかったのだ。
 そのことが不快なのではない。逆でもし我が家族が援助の対象になるようなときは、著者のような人にかかわってもらいたいと切に思う。でもなんだかつらい。
 こうしたつらさに著者は鋭敏である。それでいてなお、援助者としての自己の役割に徹しようとする。援助とは、心に余裕をもたらすことだと著者は述べる。心に余裕ができれば、今よりも少しは生きやすい状況がうまれるだろう。そのような援助を可能とするような援助者の心得を著者は誠実に探っている。繰り返し対話してみたい本である。 (bk1ブックナビゲーター:芹沢俊介/社会評論家 2002.01.24)

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明治・大正が刻んだ子ども像を前に、言葉にならない感慨が次々とわいてくるのをおさえることができない。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 『近代子ども史年表』を前にすると、「一粒で二度おいしい」というキャラメルのキャッチフレーズが思い出される。読んでおいしく、見ておいしい。
 ところで「一粒で二度おいしい」というコピーのつけられたキャラメルはグリコ(アーモンドキャラメル──戦後の製品)である。そこで索引でグリコを探し、ページを繰ると、グリコが栄養菓子として発売されたのは大正11年(1922年)2月11日。一粒300米というコピーが人気を呼ぶ、というふうに出てくる。
 一頁は上欄にこのような、そのとき何があったかについての短く的確な記述がいくつも並び、下欄に図版あるいは写真という構成である。グリコについての記述がある下には、初めて行われた東京の女学生連合運動競技会という説明文とともに、女学生たちの輝くような笑顔をみることができる。
 大正5年(1916年)を開いてみる。私の母の生まれた年だ。拾い読みしてくと12月9日に夏目漱石が死亡。49歳、とある。その次の項には日付がないまま、熊本県の小学校が児童の好きな遊びを調べたという記述が置かれている。読んでいく。
 男子がまり投げ、兵隊ごっこ、たこ揚げ、テニス、竹馬。女子はまりつき、人形遊び、羽根つき、お手玉。すぐ後にこう書かれている。「ただし実際には家の手伝いに追われている子がほとんど」。
 左ページの下欄には、女子の学校教育にナギナタが導入されたという説明文とともに、二人の女学生が木製ナギナタの先端を合わせて、いまにも勝負がはじまろうとしている写真が載っている。
 膨大な事項のうちのほんの4点を紹介しただけだが、これだけでも私の中に言葉にならない感慨が次々とわいてくるのをおさえることができない。
 時代はその時々場所場所でさまざまな子ども像を数え切れないほど刻んでは壊してきた。いま私たちは下川耿史らのおかげで、明治元年から大正15年までの60年に限ってではあっても、その無数の子ども像の破片を眺めることができるのである。 (bk1ブックナビゲーター:芹沢俊介/社会評論家 2002.04.24)

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エリクソンそれは障害なんですか、それとも財産?

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ミルトン・エリクソンは、私たちに馴染みのあるアイデンティティという概念を作り上げたあのエリック・H・エリクソンとは別人である。二人は同世代(一九〇〇年代初頭に生まれている)ではあるけれど、一方のエリック・エリクソンは精神分析家であるのに対し、他方この本の主役ミルトン・エリクソンは心理療法家であり、家族療法の創始者の一人である。以下エリクソンと書くときは、ミルトン・エリクソンのことである。

 私たちはページを開くやいなや、エリクソンの驚異的な家族面接技法に触れることになる。それは技法というよりほとんど天分としかいいようのないほどのものだ。
 この天分と思えたものが実は、エリクソンの身体障害者体験に核があることを知ったとき、聞き手のJ・ヘイリーは思わず「先生がなさってきたことは障害から得られたものなんですね」と言ったのだった。それに対し、エリクソンが即座に聞き返した、「それは障害なんですか、それとも財産?」。

 ヘイリーが聞き出したエリクソンの半生(「付録 エリクソンの半生」)は、あきれるばかりに障害を財産にすることの才能に富んでいたエリクソンの姿を浮かびあがらせている。このことを治療論的場面に置き直すと、エリクソンにはいま直面している家族関係の難題が、そのまま新しい関係に組み替えられていくチャンスに見えている、ということになるだろう。ヘイリーの言葉を使えば、心理療法家たちにとって家族に対し否定的、悲観的で、しばしば反親、反母親に傾きがちな事態──家族という障害──がエリクソンの目には変化を引き起こすための絶好のチャンス──財産──として映っていたのである。

 エリクソンの障害とは小児麻痺である。高校を卒業した十九歳のエリクソンは小児麻痺にかかり、身体感覚を失う。足がどこにあるのかわからない、腕がどこにあるのかわからない、探さなくてはならない。位置関係がつかめない。
 回復過程は、まず一つひとつ順に身体の配置の感覚を作り上げていくことだ。次はどうやって、たとえばつま先をうごかすのか、するとどんなふうに感じるのか、足を動かすとき肩はその筋緊張のゆえに何をしなくてはいけないのか、というように考えていく。
 エリクソンは自分のこのような麻痺体験およびその回復体験を、家族が麻痺状態に陥っているときの根底に捉えるのだ。だからいまどうなっていて、どこが問題で、またどういうことが効果的で、どういうことが事態を悪化させるかが洞察できる。

 ほんの少しだけ本文から片鱗を紹介しよう。十二歳のジョニーは毎晩おねしょをしていた。彼は母親に反抗していた。おおまかに事情をつかんだうえでエリクソンはジョニーにいった。「先生はその治し方を知ってるんだけど、その方法を君は好きじゃないと思うよ(中略)だけどね、君のお母さんの方がもっとそれを嫌いだと思うよ(笑い)。さて、ジョニーは何だったらできるでしょう? もし彼以上に母親が嫌うものがあるとしたら、それはOKだよね。母親をもっと悩ますことだったら、彼は我慢してやれるかもしれない。そこで私は、結構単純なことをジョニーに提案しました」。
 グレゴリー・ベイトソン、ジョン・ウィークランド、それにヘイリーが加わっておこなわれたいまからざっと四十年前の座談会、対談だが、分析家でも心理療法家でもない私にはいま読んでも十分におもしろかった。 (bk1ブックナビゲーター:芹沢俊介 2001.10.31)

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紙の本教育勅語の研究

2001/09/04 22:15

教育勅語が導入されると、学校になにが起きるか。この本は過去の事実を示すことによってそれを明らかにする

3人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 朕惟フニ(チンオモウニ)とはじまり、御名御璽(ギョメイギョジ)でおわる教育勅語(以下勅語と記す)が発布されたのは、明治23年10月30日のこと。勅語作成の狙いは、西洋志向を強める子どもたちの現実にブレーキをかけ、同時に国家に柔順な民を育成することであった。勅語の謄本が天皇制国家の道徳律として、全国の学校に配布された。以来、全文315字のこの文章が、教員や子どもに深刻な脅威をもたらしたのであった。

 勅語が作られたことで、「天皇の御真影に最敬礼」「天皇陛下万歳」「勅語の奉読」「校長訓話」「君が代斉唱」と続く学校儀式のパターンができあがった。なかでも子どもたちにつらかったのが奉読であった。手袋をした校長が桐箱から巻紙にした勅語を取り出す。それから、読み終わるまでの数分、寒い日でも鼻をすすること、咳をすることもできず、オシッコやウンコが出そうでも動くことは許されなかった。朗読する校長に対しても、立ち居振る舞いから声の抑揚にいたるまで細かく要求された。また日常においては勅語の趣旨を理解・徹底させるために暗誦、暗写が強制された。小学6年卒業時までに全文、暗写できることが目的であった。だが教える当の教員自身暗写できる者がほとんどいなかった。

 もっと大変だったのは勅語の保管であった。教員の宿直が一般化するようになったのは、御真影と勅語(謄本)が普及するようになってからだという。二つを火事から守ろうと、炎の中に突入して命を失う者が少なからず出た。勅語や御真影が焼失した場合、校長や教員は進退伺いを提出しなければならなかった。−−

 いま勅語を教育に再び導入しようという動きがある。そうなったとき歴史は繰り返されないという保証はどこにもない。勅語をめぐるこうした過去の出来事が悲劇であったなら、今度は再劇として、この本を読むと、そのことが怖いほど伝わってくるのである。 (bk1ブックナビゲーター:芹沢俊介/社会評論家 2001.09.05)

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「女性を探しましょう、雌牛を探すのです。聖なる恵みの母であり、同時に強情で、糞にまみれた雌牛」

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 生は、生物学的な生ではなく、一つの意味を持った生は、一つの優しい母性によって望まれて作られてゆく、とクリステヴァは書く。だがいま、その母性が危機に瀕している。「女性と聖なるもの」の結合としての母性はどうすれば生き延びることができるのか。これをめぐってフランスの女性知識人のあいだでかわされた往復書簡のテーマである。冒頭の言葉は実はクレマンの「人びとは母を欲します。けれど、いいですか、その乳房だけなのです。インド人たちは、そんなふうに気取ってはいません。インドでは、神聖な母牛から乳だけでなく牛糞と尿ももらいうけるのです」という発言を受けて記されたものだ。

 さてでは二人は雌牛をすなわち女性を見つけたか? 見つけることはできなかった。というより雌牛=女性を探すそれぞれ固有の旅の途次からの報告がこの本なのである。
 二人のうちクレマンは怒っている。怒りや苛立ちをクリステヴァにぶつけている。クリステヴァの言葉につっかかっている。クリステヴァはクレマンに沿い、なんとかなだめようとするのだが、自分の言葉もまた感情的になってくるのを押し止どめることはできない。ついにクレマンは書簡を打ち切ろうとし、クリステヴァは書簡の継続を望むのだ。読む側はハラハラし通しだった。

 この対照的な態度の現れは、おそらくクリステヴァが主に西欧で居住し、西欧文化圏を行き来しているのに対し、クレマンがインドやアフリカでの長い生活体験を思考のベースにしていることとかかわりがあると思う。インドやアフリカの政治的社会的貧困のなかに生を強いられている女性たちの絶望的な現状に激しい憤りを覚えつつ、その一方でそこに息づいている自然や大地に心身全体で反応する彼女たちに母性の原型を認めようとするクレマン。それゆえに引き裂かれるクレマン。他方クリステヴァは、西欧の歴史のなかに、具体的にいえば、カトリックが信仰対象にしたマリアに母性の原型を探ろうとしている。この方法は、クレマンと較べて自己のアイデンティティをおびやかされる度合いがずっと低いことは明らかだ。だからクレマンはクリステヴァにあたりたくなる。

 そんな二人が共通して高く評価するのが、『遊ぶことと現実』の著者、イギリスの精神医学者D・W・ウィニコットである。ウィニコットとは誰か。一言でいえば、母性を生の根源に据えた最初の人である。生命にということは子どもに、現存在すなわち自分が自分として<いま・ここに・ある>という感覚をもたらすことができるのは母子一体性段階における母であると述べたのである。これをウィニコットは乳房の女性的役割と呼んで、授乳をはじめとする母の能動的役割(=乳房の男性的役割)と区別し、もっとも本源的な母性の仕事としたのだった。そればかりかそうした母性の上にのみ、子どもと乳房の関係はさらに大きな可能性を拓くことを提示してみたのである。赤ん坊の乳房との戯れに遊びの原型をみたウィニコットは、そうした遊びの発展上に、生における〈自由と成熟〉言い換えれば現存在の深まりと広がりが約束されることを発見したのである。生にとってのこのような乳房の在り方はまさに女性と聖なるものとの結合そのものを語っている。

 二人の往復書簡がもしウィニコットから出発していたら、母性論として乳房論としてもっと違った展開をしていたかも知れないという思いが、読後に頭の片隅をちらりと走ったのだった。 (bk1ブックナビゲーター:芹沢俊介/社会評論家 2001.05.23)

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紙の本こどものいた街

2001/06/13 22:21

昔、こどもはこどもの群れとともにいた。こどもはこどもの群れとともにいるとき、一番生き生きしていた。

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 いまからたった四十数年前くらいまで、乳幼児期を脱したこどもは家族のものでもなければ、社会のものでもなく、ましてや学校のものではなかった。こどもはこどもに属していた。こどもたちは大人と別の世界を生きていた。こどもはこどもの群れとともにいたのだった。こどもはこどもの群れとともにいるとき、一番生き生きしていた。この時代、こどもと言えば、それは群れたこどものことであった。そのようなそのことがこの写真集をめくってみるとよくわかる。

 こどもたちは道路いっぱいに座り込んでローセキで絵を描き、寝転がり、走り回る。かと思うと駄菓子やの前にたむろしている。縄飛び、まりつき、ゴムダンは女の子の遊びで、野球や相撲や取っ組み合いのケンカは男の子の遊びであった。

 そのように路上はかつてこどものものであった。群れるこどもたちを受け入れていたのがまだ地面の露出している路上であった。乳幼児以外のこどもは昼間は路上にいたのだ。路地に、大通りに。つまり街にこどもはいた。街はこどものものであったのだ。路上からこどもを追い立てるもの─車とテレビ─はまだ大衆化していなかった。テレビは店や街角にあるだけ、路上を走る乗り物は自転車、スクーター、オートバイ、車はアメリカ人のものをのぞけばトラックやバス。そして路面電車。

 ここに収められた写真のもっとも古いものが昭和二十五年である。昭和十七年東京生れ東京育ちの私は、そのとき八歳であった。わりと多いのが昭和三十二年の作品、その年、私は十五歳であった。いつの間にか私は自分のこども時代の面影を探していた。さすがに十五歳の私はいなかった。しかし八歳から十二歳ころの私はいた。群れ遊びのなかで思い思いの素顔をさらしている子どもに自分の姿がダブって見えた。

 懐かしい。しかし懐かしさだけではない。というのも、主に九州福岡の街をテーマにしたこの写真集を見ていると、こどもが安心して街にいられた時代は、せいぜい昭和三十五年(一九六〇年)ころまでであったことが伝わってくるからだ。ちなみに井上孝治の、やはり街のなかのこどもを撮った『想い出の街』(一九八九年)に収められている写真のほとんどが昭和三十二年のものである。この写真集は─前作「想い出の街」もまた─車がこどもを路上から追い払い、テレビがこどもを家のなかに引き込んでしまう直前の時代を写しとっていたのである。 (bk1ブックナビゲーター:芹沢俊介/社会評論家 2001.06.14)

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紙の本「甘え」の構造 続

2001/05/08 22:19

「甘え」概念は精神(病理)の発生のどの地点にまで届いているか。これがこの書評の問題意識である。

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 前著『「甘え」の構造』が刊行されたのは三十年前の一九七一年のことである。日本人の心性の特異な側面を、甘えという西欧語に翻訳不能な日本語に即して、読み解こうという試みは、刺激的ではあったが、同時に食い足りない感じもしたのだった。

 理由は二つ。一つは「甘え」を社会心理(日本人論)として展開しようしていたこと、もう一つはそれにしては個体の心的現象と、日本人全体の心的現象をつなぐ結び目が見えないという点であった。結び目は言葉だということになろうが、そうであるなら「甘え」という言葉の発生についての問題意識があってもよさそうなものだと思ったのだった。
 その一方で「人間はかつて甘えるということを経験しなければ、自分を持つことができない、といってよいであろう」という言葉や、フロイドに依拠しつつもフロイドから微妙にずれていき、マイケル・バリントの受動的愛を甘えと同一であると指摘していることなど心に残ったのだった。要するに当時の私は日本人論には興味はそそられなかったけれど、個体としての人間の心をとらえようとするときの「甘え」には興味尽きないものを感じていたのだ。こんどいっそう刺激的になった続編を読んでそのことを確認したのだった。さてここからが評論だ。

 話を「甘え」の概念にしぼろう。『続「甘え」の構造』は甘えを、人間関係において、そうしているという自意識なしに自然に相手の好意をあてにして振る舞うことだと定義する。生れたばかりの子どもは甘えない。母子関係が確立するとともに甘えは現れる。乳呑子が母親を求めるようになると、周囲は「ああ、この子はもう甘える」という。これこそ甘えの原型であると述べる。さらに土居は甘えは相手次第だともいう。相手の好意が先行すると述べる。乳呑子が母親に甘える場合も同様であると述べる。こうした把握に土居の甘え概念の基本が収まっている。

 土居は欧米の理論のなかに甘えと類似した観点を探していく。C・S・ルイスのいう「求める愛」(「与える愛」に対して)が甘えに相当するとされる。またマイケル・バリントの受動的な愛を甘えと同一のものとみなそうとしている。次にハインツ・コフートの「自己対象」つまりその人なくしては自分が持たない相手のこと、という考えを援用し、甘えにおいては相手の好意が先行するという場合の相手という概念を定位させようとする。
 だがアイアン・サティのいう、「乳児にとって唯一の自衛手段であるところの相手に対する生得の需要」という言葉に甘え概念を重ねようとするところまでくると、わずかだがずれが見えてくると言わざるをえない。サティの「求める」は生得の需要であり、それゆえ甘え発生以前の、言い換えれば相手の好意にかかわりなく表出される需要ではないのか。

 私には土居も触れているボウルビーの愛着関係という概念と甘えは対応しているように思える。コフートもバリントもサティも甘え発生以前の段階、少なくとも誕生間もない母子一体化の時期までを射程に入れているように思えるのである。 (bk1ブックナビゲーター:芹沢俊介/社会評論家 2001.05.09)

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紙の本ことばはどこで育つか

2001/04/16 12:15

テーマは子どもはどのようにして、どこで、ことばを習得していくか。

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 さまざまなアプローチはあろうけれど、私がこの本に関心をもった主な理由は、言葉と養育のかかわりである。言葉が養育と交差する地点についての触発的な知見に触れられるかも知れないという期待からである。著者の論述が言葉が養育と交差する地点にどんなふうに届いているかが最大の関心事なのである。そして期待はかなりの程度満たされた。

 前半は、ことばは人間という種に特異なものであるという言語生得説、言語遺伝説についての検証についやされている。確かに子どもを見ていると、誰かに教えられたわけでもなく、言葉を文法的にもあやまりなく話すようになる。たとえ教えられてもその教えられた範囲をはるかに越えて言葉を使うようになる。こうした現実を目の前にすると、人間は言語習得機構をあらかじめ遺伝子のように内部にそなえて生まれてくるというチョムスキーの言語生得説を受け入れたくなろうというものだ。著者は、この言語生得説がはたしてどのくらい説得力をもつものなのかをていねいに検討していく。それが前半である。

 前半の記述も興味が尽きないものがある。だが背筋にスリルと緊張感が走るほどおもしろかったのは後半である。第三章「ことばの生まれる年代」、第四章「ことばの生まれる場所」である。

 早期から異様な環境におかれて育った子どもが、新しくノーマルな環境を得た場合、その子の極度に遅滞した言葉はどこまで回復するか、どの程度発達の遅れを取り戻すことができるか。遅れを取り戻すための年齢的時期的な限界はあるのか、つまり子ども期のどの時期にどのくらいの期間、どの程度の悪環境─遅滞状態─に放置されたならば、子どもの言葉は取り戻し不能な決定的な打撃を受けるのか。─こういった議論がはじまるのである。

 十九世紀のカスパール・ハウザー、「アヴェロンの野生児」として知られるヴィクトールやヘレン・ケラーといった「有名人」の事例だけでなく、専門家しか知らない事例などを幾つも紹介しながら、著者はこの問題を詰めていくのだ。満五歳と六歳で救出された二人の姉弟の発達状態は体も心もともに一歳くらいであった。二人のことばはその後どうなったか。適切な養育者とのあいだに生まれた強い愛着関係を基盤に、しだいに完全にとは言えないまでも、社会生活を送るのには十分な回復をみたのである。

 著者は右の事例を紹介しながら、子どもの言語習熟能力は、苛酷な環境においては冬眠状態に入るのだと述べる。ということは取り戻し不能ということは論理的にはないということを意味している。むろん愛着関係を第一義とする冬眠状態を抜け出すための環境が与えられれば、という条件がつくけれど。この帰結は養育について大きな希望を私たちに与えてくれる。 (bk1ブックナビゲーター:芹沢俊介/社会評論家 2001.04.16)

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