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先月(2017年6月)

冬樹蛉さんのレビュー一覧

投稿者:冬樹蛉

7 件中 1 件~ 7 件を表示

紙の本銀河帝国の弘法も筆の誤り

2001/04/10 05:36

“アホSF”を成立させる唯一の作家

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 いずことも知れぬ荒涼たる星の上。巨大なサソリのような大目玉の怪物。怪物に捕えられた半裸の美女。背景にはこれ見よがしに巨大な有環惑星と、意味もなく飛ぶロケット。そして、眼光も鋭く、いままさに敢然と怪物に立ち向かおうとしているのは、もともとヘルメットのような頭にさらに透明なヘルメットをかぶり、凜々しく袈裟を翻した(細かいことは気にしない、細かいことは)ひとりの僧侶ではないか——といったパルプマガジン風の懐かしい雰囲気の表紙画に目を見はり、これはもしや《キャプテン・フューチャー》のような古きよきスペースオペラではないかと手に取る人がたくさんいるにちがいないが、これはあなたの思っているような本ではない。たぶん。
 では、どういう本かというと、古くはない、よきスペースオペラである。度胆を抜くアイディアといい、ひと癖もふた癖もある魅力的な人物たち・非人物たちといい、どこかおもちゃめきつつもワイルドな夢を湛えたガジェットといい、ページをめくる手も顫える手に汗握る展開といい、みごとな“なんでもあり”のスペースオペラではある。ただ、その……本書に於いては、それらのスペースオペラ然とした属性はみな、ある至上の課題に奉仕するためにのみ存在する。その課題とはすなわち——駄洒落を成立させること。
 ……と解説すること自体がとてつもない愚行にしかなり得ないような、批評を拒否した、いや、すべての批評を無化する怖るべき作品集である。なに? そんなに高尚な文学的実験なのかって? さあ。「〈人類圏〉存亡の危機に立ち向かう伝説の高僧・弘法大師の勇姿を描く表題作」などと恥ずかしげもなくアオリ文に書いてあるくらいだから、編集者も“グル”なのである。このアオリを読んで、「おお、そうか、〈人類圏〉存亡の危機に立ち向かう伝説の高僧・弘法大師の勇姿か! 読みたいぞ!」と乗ってくる人だけは、本書に涙すること(どういう涙かは保証しないが)請け合いだ。“バカSF”と分類される作風の作家は海外にも国内にも少なからずいるが、“アホSF”と呼ぶべきサブジャンルを成立させているのは、宇宙広しといえども、田中啓文ただひとりである。
 宇宙服の中でゲロを吐く話やら、神道の呪詛を超光速通信に用いる話やら、下手に説明すると終わってしまう話やら、抱腹絶倒の駄洒落アホSF五篇を収録。五篇それぞれに、小林泰三、我孫子武丸、田中哲弥、森奈津子、牧野修が、田中啓文を貶しまくった解説を寄せているうえに、帯にも錚々たる作家たちが「私たちは、この本を推薦できません」と名を連ねている。どこから見ても、遊びたおした“企画モノ”に見えてしまうのが、この本の不幸であろう。たしかに“企画モノ”にはちがいないのだが、なんともアホなものを読んだなあと、読後ふと我に返った読者は、愕然とするにちがいないのだ——「そういえば、これほどわくわくするスペオペを読んだのもひさしぶり……だよな?」

(冬樹蛉/SFレヴュアー http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ray_fyk/)

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紙の本タクラマカン

2001/02/19 17:25

“箸休め”なしの贅沢な短編集

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 たとえば、あなたが一日に必要な緑黄色野菜を野菜ジュース一本で摂るタイプの人であったとしたら、向こう一年分の“SF成分”必要最少量は、最近出た二冊で十分に摂取できる。グレッグ・イーガンの『祈りの海』(山岸真訳、ハヤカワ文庫SF)と、この『タクラマカン』だ(あくまで“必要最少量”ですぜ)。
 小川隆氏の解説にもあるように、スターリングはもはや“サイバーパンク”の作家ではなく、SF界を代表する作家だ。そう目される理由はいろいろあるだろうが、私はスターリングの最大の強みを二点に絞りこんでいる。
 ひとつは、彼はもともと“未来人”である点だ。視点ははじめから未来にある。たまたまなんらかの方法で現代に現われて、故郷のようすを小説に書いているだけなのである。よって彼の小説は彼にとっては“いま”の話で、彼にとっての“いま”の種になる(と彼は知っている)現代のことどもを、まるで懐かしむがごとくに小説に盛り込むのだ。え? それじゃあ、未来の通常小説になってしまって、SFらしくないのではって? たしかにウィリアム・ギブスンはそうかもしれないが(それはそれですごいことだ)、そこがスターリングの不思議なところだ。未来人じゃない作家が現在を描いてSFを成立させることができるように、未来人のスターリングは、未来の目で未来を見ているのに、ちゃんと未来人をも驚かせるにちがいないものの見かたをしてくれる。彼は、未来から過去にやってきて未来のことを書けば自動的にSFになるだろうなどと甘いことは考えていないはずだ。未来でもSFと楽しめるものでなくては、過去の人(つまり、われわれだけどね)の度胆を抜くこともできないと知っている。
 いまひとつのスターリングの強みは、SFで“中景”が描けることだ。SFの強みであり同時に弱みでもあるのは、個人の物語、いわば“近景”が、いきなり神やら宇宙やらの物語、“遠景”に繋がってしまいがちなところで、力量のない作家がそれをやると、はなはだ薄っぺらい、おもちゃっぽい印象を与えてしまう。だが、スターリングはちがう。個人の“ひとまわり”外にあるコミュニティーや組織や社会や国家といった“中景”を、切れば血の出るリアリティーで骨太に描くことができる。個室に閉じこもって宇宙をオモチャにしているつもりのオタクの妄想とはわけがちがうのだ。
 本書は、そんなスターリングのラディカルな作品が詰まっている、いま最も贅沢なSF短篇集である。どの作品も濃密で“箸休め”などない。ラディカルであることは現実的であることだ。最もラディカルな思索は、最も地に足の着いた頭脳が飛翔するときに生み出される。とくに、《チャタヌーガ三部作》と呼ばれる「ディープ・エディ」「自転車修理人」「タクラマカン」の三篇は、まさに個人−社会−宇宙をテクノロジーで串刺しにするスターリングSFの醍醐味を存分に味わわせてくれる。NAFTA、EU、アジア協力圏と第三世界が対立する二一世紀半ばの近未来でひと癖もふた癖もある“ディープ”な人物たちが躍動する物語は、どんな倍率のレンズで読む者も魅了せずにおかないだろう。

(冬樹蛉/SFレヴュアー http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ray_fyk/)

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過ぎ去りし日々の光 上

2001/01/01 00:39

楽観的作風の巨匠と悲観的作風の俊英、夢の合作

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 イギリス人SF作家、巨匠と俊英との夢の合作である。
 巨大彗星が五百年後に地球を直撃するという極秘情報をひとりの女性ジャーナリストがすっぱ抜いた。西暦二○三三年のことだ。むろん、人類はそんな大災厄を回避する手段を持っておらず、五百年のうちに得られそうな技術は全人類の生存にとっては焼け石に水である。その報は、人々から急速に未来への関心を奪ってゆき、地球を使い捨てにするがごとき退廃的なムードが世界に広がりはじめる——といった『神の鉄槌』(アーサー・C・クラーク/小隅黎・岡田靖史訳)の変奏は中心的プロットではなく背景設定にすぎない。そんな世界で、メディア界のトップ企業アワワールド社が、ワームホールを用いた画期的な通信手段を完成させる。空間の障壁を超え、目的地点になんの装置を設置する必要もなくその場所の光景を見ることができる夢の遠隔眺望装置〈ワームカム〉は、報道や犯罪捜査などに革命的な変化をもたらすのだった。さらに同社は、同じ原理の装置で“過去”の映像をも得られることを発見、過去と現在のあらゆる場所、あらゆる時点を“のぞく”ことができるワームカムはまたたく間に普及し、ちょうどインターネットがそうであったように、人々のありかたを根底から変えてしまうのだった——。
 時空を超えて映像を得るというアイディアはさほど目新しいものではないが、本書ではそのアイディアが、ファンタジー的な道具立てとしてでも文学的な語りの装置としてでもなく、あくまでテクノロジーとして徹底的に掘り下げられている点が読みどころである。おっと、勘ちがいなさるな。物理学がわからなくたってなんの支障もない。むしろ、そうした“サイエンス”面の設定はそこそこもっともらしい説明のみに留めてある(素人でも突っ込める“逃げ”があるくらいだ)。このとんでもない“テクノロジー”が、上は外宇宙の研究から下は品性下劣なデバカメ行為に至るまで、どのように人間を変えてゆくかを、イギリス人らしいブラックな滑稽味を交じえつつ丁寧に描いているから、現代に生きる読者になら誰にでも楽しめるはずだ。世界を塗り替えることになるワームカムが、気宇壮大で高尚な思想から出てくるのではなく、他社を出し抜いて報道業界で優位を得ようとする経営者の純資本主義的な発想から開発されるあたりが、とくに鋭くかつ痛快である。人間を変えるものとしてのテクノロジー(もしかしたら、人間を変え得る唯一のものとしてのテクノロジー)が、人間のせせこましくくだらない面に対しても、崇高ですばらしい面に対しても、まったく等しく働きかけるさまの洞察には、楽観的作風のクラークと悲観的作風のバクスターとの持ち味がバランスよく出ていると言えよう。ちっぽけな個々の人間と種としての人類とを科学技術の糸で壮大なドラマに織り合わせる、じつにSFらしい醍醐味が存分に味わえる傑作だ。

(冬樹蛉/SFレヴュアー http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ray_fyk/)

『過ぎ去りし日々の光 下』へ

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紙の本侵略者の平和 第2部 観察

2000/11/28 03:00

異色のファースト・コンタクトSF、第二弾

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 林譲治が放つ異色のファースト・コンタクトSF、第二弾である。
 第一部で図らずも奇妙な接触を果たした那國文明とエキドナ文明。エキドナ人と那國文明圏人とがどうやら生物学的にほとんど同じ人間であるらしいという謎は未だ解明されないが、第二部では、双方の内部事情がさらにフクザツに絡み合い、不幸なコンタクトがますますこじれてくるから面白い。一千年分はあろうかという技術水準の差を超えて、エキドナの科学者姫様シズノらが“宇宙人”の実像に着々と迫ってゆく過程はじつに痛快。一方、進んだ科学技術を持つ那國側の内部には権謀術数が渦巻き、ファースト・コンタクトはすっかり政争の具と化してくる。那國・エキドナ双方の“ワカッテル人”と“フツーの人”と“ボンクラ”とが入り乱れて織りなす、すれちがい・勘ちがいのドラマは、SFに疎い読者をも捉えて離さないにちがいない。
 試験管的に美しい思考実験としてのファースト・コンタクトだと、接触する文明Aと文明Bはそれぞれ一枚岩であるのがふつうだが、このシリーズの特異なところは、それぞれの文明圏が抱える“お家の事情”が次々と不測の事態を招き、ハードな科学考証の中にもたまらない滑稽さを醸し出している点である。つまり、ファースト・コンタクト・テーマで緻密なシチュエーション・コメディーを展開しているのだ。異星人と最初の接触をする人がたまたまなんの変哲もないサラリーマンであったり農協のおじさん・おばさんたちであったりすることはよくある(?)けれども、そうしたとんでもないコンタクトの面白さを、林譲治は一枚岩でない組織群対組織群を本格的に設定することで増幅しているのである。“個人”からいきなり“社会一般”へと、さらには“種”へと視点がオーバーシュートしがちなSFというジャンルに於いて、具体的な“組織”を骨太に描ける林譲治という才能は貴重だ。ひと粒で何度もおいしい多層コンタクト・シミュレーションとも言うべきこのシリーズ、いわゆるSFファンだけではなく、組織のすばらしさとバカバカしさを身に沁みて感じているビジネスマンの読者に強くお薦めしたい。

(冬樹蛉/SFレヴュアー http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ray_fyk/)

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紙の本超・博物誌

2000/10/29 04:25

リリカルな本格「SF」

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 体内に核融合炉をそなえたプラズマイマイ、神経繊維を紡いだレーダーで宇宙に満ちる“思い出”の素粒子をキャッチするファントムーン、この宇宙の外をめざして(?)巨大な繭で暗黒の空間をゆくカタパルトリッパー……名前を見ただけでもどんなやつなのか知りたくなる遥かな未来の“むし”たちの生態を、独学の老学者が思い入れたっぷりに描く異色の博物誌である。え?“毛なめくじ”はないのかってあなたそれは別役実の『虫づくし』。
 なんだ、それだけのアイディア・ストーリー群かと勘ちがいなさるなかれ。真に読者を惹きつけるのは、語り手である老学者の、はかなく小さな“むし”たちへの愛情に満ちた視線であり、彼らを語ることでおのずと語られる老学者の波瀾万丈の人生そのものである。山田正紀のSFは、科学的ディテールの妥当性・整合性を武器とする、いわゆる“ハードSF”ではない。また、流行りもの科学の上っ面をアクセサリのようにツギハギした御都合主義だらけの、いわゆる“トンデモ”ではもちろんない。空想だけがどこまでもだらしなく広がってゆく類のふわふわファンタジーでもない。科学が内包する感動を科学に縛られずに描くという一見矛盾したことをみごとにやってのけ、紛れもないSFの感動を与えてくれる魔法使いが山田正紀なのである。本書のアオリ文には「リリカルな本格ファンタジー」などとあるが、これには納得できない。「ああ、ファンタジーなのか」と書店の棚に戻してしまったSFファンがもしいらしたら、悪いことは言わない、いま〈bk1〉で買いなさい。これはSFです。
 そんな山田正紀の魔法が遺憾なく発揮された本書をお読みになれば、見ようによってはギャグにもなりかねないほど荒唐無稽な“むし”たちの生態が、われわれの日常となんの接点も持たないように見える遠い未来の老学者の生きざまが、どうしてこんなにも愛おしく、輝かしいものに感じられるのか、自分でもよくわからないままに涙すらなさることだろう。最後のページだけは、絶対に開かないように読み進めていただきたい。

(冬樹蛉/SFレヴュアー http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ray_fyk/)

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紙の本カジシンの躁宇宙+馬刺し編

2000/09/28 00:51

カジシンのローカル文筆が躍動する“バラエティ・ブック”

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 梶尾真治のお膝元、熊本の地方紙に十五年にわたって連載された爆笑エッセイに、長距離バス車内誌掲載のショートショート・シリーズ、その他ミニコミ誌、ガイド本等に寄せた小文等々、カジシンのローカル文筆活動が躍動する、自称“バラエティ・ブック”である。
 復刊されたばかりの『おもいでエマノン』(徳間デュアル文庫)で梶尾真治の作品に初めて触れ、「いいなあ。こういうしっとりしたの好きだなあ……」と感動したそこのあなた。ふふふ、甘い。あなたはまだ梶尾ワールドの一面しかご存じない。いや、すでにカジシンのブラックでシュールで下ネタ好きで“とつけむにゃあ(途方もない)”側面をご存じの読者ですら、全国ネット(?)とはまたちがった、どこか土臭いのびのびした本書のノリを新鮮に感じること請け合いだ。笑いの中にも、この二十年間の思わぬヒトコマひとこまがひょっこり甦ってきて、一人ひとり、あなたの楽しみかたができることだろう。

(冬樹蛉/SFレヴュアー http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ray_fyk/)

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紙の本影が行く ホラーSF傑作選

2000/08/15 02:07

SFファン・ホラーファン垂涎の好企画

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 一九三○年代から六○年代にかけての眠れるホラーSF傑作を闇の中から呼び覚ます、SFファン・ホラーファン垂涎の好企画。ぬちょぬちょべとべと系怪生物から鋼鉄の吸血機械、狂ったアンドロイドの殺人から馭者座人(?)との対決、ホームズ&ワトソン風の幽霊狩りから幻想的な孤島怪談まで、マニアにも初心者にも楽しめる珠玉の恐怖の詰め合わせだ。《遊星よりの物体X》(五一年)、《遊星からの物体X》(八二年)と二度も映画化された表題作「影が行く」は圧巻。嫌悪感が先に立つ映像の恐怖とはひと味ちがった心理サスペンスを、この残暑、活字でこそ堪能していただきたい。ジャンルの細分化が進行する以前のアメーバのような本書の作品群が持つ原初のいかがわしさは、数十年を経ても十二分に通用する。いわゆる“落ち穂拾い”ではなく、洗練の名の下にわれわれが失いつつあるものを突きつけてくるのだ。読めばきっと“むかしのトマト”が食べたくなる。
(冬樹蛉/SFレヴュアー http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ray_fyk/)


【収録作品一覧】
『消えた少女』リチャード・マシスン
『悪夢団(ナイトメア・ギャング)』ディーン・R・クーンツ
『群体』シオドア・L・トーマス
『歴戦の勇士』フリッツ・ライバー
『ボールターのカナリア』キース・ロバーツ
『影が行く』ジョン・W・キャンベル・ジュニア
『探検隊帰る』フィリップ・K・ディック
『仮面(マスク)』デーモン・ナイト
『吸血機伝説』ロジャー・ゼラズニイ
『ヨー・ヴォムビスの地下墓地』クラーク・アシュトン・スミス
『五つの月が昇るとき』ジャック・ヴァンス
『ごきげん目盛り』アルフレッド・ベスター
『唾の樹』ブライアン・W・オールディス

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