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  3. 桜井哲夫さんのレビュー一覧

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先月(2017年5月)

桜井哲夫さんのレビュー一覧

投稿者:桜井哲夫

13 件中 1 件~ 13 件を表示

紙の本ヒトラーの呪縛

2000/07/30 06:15

デスラー総統はヒトラーなのか?日本のサブカルチャーにおけるナチス・イメージのすべて。

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 学生の頃見た「宇宙戦艦ヤマト」のデスラー総統は魅力的だった、と佐藤卓己は、本書の序章で述べる。そして「ヤマトより愛をこめて」を歌った沢田研二が、その年出した「サムライ」(阿久悠作詞)を歌うときの服装は、ナチスのような服装で、鉤十字の腕章をつけていたことに触れている。

 デスラーは当然ヒトラーをもじったものであり、沢田研二の腕の鉤十字はさすがに物議をかもして×印になった。そのころ、若者の間にひそかなヒトラー・ブームが生じていたと佐藤は指摘する。ドイツ国防軍、親衛隊の制服やらモデルガンに群がる少年たちの存在は、面白半分に報道されても、その実態は、詳しく分析されてこなかった。これはおかしいのではないか、と彼は感じたという。

 彼は、かつてレニ・リーフェンシュタールの記録映画「意志の勝利」を見たとき、「ファシズムは魅力的だからこそ警戒すべきなのだ」と考えたという。その思いが、日本のサブカルチャーに浸透しているナチス・イメージの分析を行おうという試みにつながった。あえて紹介すれば、編者の佐藤はメディア史及びナチズムに造詣の深い研究者である。

 本書は、佐藤を代表とする日本ナチ・カルチャー研究会の面々が、日本においてナチズムがマンガ、小説、映画、政治などにおいてどのように描かれているかをカルチュラル・スタディーズ風に検討を加えたものだ。

 従って、かなり内容は雑多である。ナチズムを信奉する極右団体主催者からナチスの軍服を扱うミリタリーショップの主催者のインタヴューまである。驚くべきことには、一番高いヒムラーの服が六千万円、襟章だけで千八百万円!唖然呆然とする世界だ。

 ヒトラーは、絶対悪の象徴として、たとえば様々なマスメディアの言説のなかに現れるのだが、どれもこれも紋切り型にすぎない。オウム真理教がヒトラーを英雄視していたとか、神戸の酒鬼薔薇事件の少年が『わが闘争』を読んでいたという風に扱われるのだ。

 ナチズムを正しく認識しようというのではなく、絶対悪として斥けてしまうだけならば、逆にこわいもの見たさで覗こうとする人々が現れるのは当然だろう。ナチスの軍装マニアだけではなく、戦車やら戦闘機やらに魅了されるマニアの世界は、倒錯世界にすぎないと斬って捨てるのは間違っている。独裁者への渇望を生み出した「ロンリネス(寂しさ)」(ハンナ・アーレント)は、今もなお世界中の若者たちに蔓延しているからだ。

 ただし、浦沢直樹の『モンスター』と比べて手塚治虫の『アドルフに告ぐ』を貶めるのは感心しない。また、市川崑の「東京オリンピック」がリーフェンシュタールの「オリンピア」の日本版をねらったという記述があるのも気になる。市川崑はむしろ、その脱構築を図ったのだ(拙著『思想としての六〇年代』参照)。とはいえ、研究会の今後の活動を大いに期待したい。

 なお、ナチスカルチャーのデータは、出版社のサイト(http://www.asukashinsha.co.jp/)にリンクした研究会のコーナーに掲載予定とのこと。 (bk1ブックナビゲーター:桜井哲夫/東京経済大学教授 2000.07.29)

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紙の本歴史・レトリック・立証

2001/05/30 18:17

歴史はレトリックなのか。現代イタリアを代表する歴史家の理論的挑戦。

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 カルロ・ギンズブルグと言えば、『チーズとうじ虫』や『闇の歴史』などの傑作を思いおこす人も多いだろう。私も、かつて興奮しながら彼の歴史探究を読んだ記憶が鮮明によみがえってくる。

 本書は、ギンズブルグが、60年代以降の歴史実証主義に対する思想家たちからの厳しい批評を受けとめながら、歴史的事実を再構成するというのは、一体どのような行為であるのかを考え抜こうと試みたものである。決して読みやすい書物ではない。いや、それどころか、自分自身の迷いもふくめて叙述しているので、簡単に理解してもらおうとは思っていないふしもある。

 真理などというものはない。その時代の人間的諸関係の総和を表現しているものであって、強調されたり、飾られたりしているうちに、規範として拘束力を持つようになっただけのものだ、とニーチェは述べる。
 ギンズブルグの思考は、この言葉を起点として、古代のアリストテレスのテクストから、中世のロレンツォ・ヴァッラのテクスト、19世紀の作家フローベールの小説などを経めぐってゆく。

 ニーチェの言葉から出発する相対主義者たちは、歴史(ヒストリー)と虚構(フィクション)との区別は厳密にはつけがたいと論じて、歴史家からは、知的遊戯に走っていると論難される。しかし、歴史家たちが後生大事にする、書き残された資料とは、絶対に正確な歴史的事実を表現しているのだろうか。
 日本でも、従軍慰安婦をめぐる歴史叙述に関して、あくまでも書き残された資料にこだわり続ける歴史家に対して、歴史資料は絶対ではないと批判するフェミニストの批判を思い起こしてもらうといいかも知れない。

 ギンズブルグは、ベンヤミンの言う「歴史を逆撫でする」という表現を引いている。そして、歴史家は、歴史的証拠を「逆撫で」しながら、それを作成した人間たちの意図に逆らって読み込むすべを身に付けなければならないのだ、と述べる。
 歴史資料を、全面的にその時代のイデオロギーに染まったもの、つまりレトリックのひとつの形態だとしてしまう歴史的相対主義は、やはり軽率だと彼は考える。とはいえ、資料の絶対的正しさを盲信する実証主義の立場にも組みしない。この微妙なバランスが、ギンズブルグという希代の歴史家の資質なのだろうと思う。
 むろん、こういう立場は、ポストモダニストからも実証主義歴史家からも疎まれるだろうことは想像に難くない。訳者の解説によれば、実際彼のこうした理論的試みは、あちらでも正確に理解されているとは言い難いようである。むろん、晦渋としかいいようがない彼の議論の組み立て方にも問題がないわけではない。本書にしても、もう少し素材や構成を入りやすいかたちにしてほしかった、というのは、評者の身勝手な希望だろうか。 (bk1ブックナビゲーター:桜井哲夫/東京経済大学教授 2001.05.31)

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蹲る骨

2001/05/28 22:18

ご存じスコットランドのエジンバラを舞台とする、異端の刑事リーバス警部最新作。

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 「上司にめぐまれない」という嘆きは、ほとんどの組織の末端の人々が抱く本音だろう。なぜこんなヤツの下にいなければならないんだ、という叫びは、世界のあちこちに氾濫している。しかし、なぜか能力がないくせに保身にたけており、出世の階段を上り続ける連中も多いのが、組織というものだ。
 本書なら、ロージアン&ボーダーズ地方警察本部(通称フェティス)から派遣されてきたデレク・リンフォード警部などその典型かもしれない。20代の若さで警部となり、副本部長のおぼえもめでたい。その副本部長に、出世の階段を上るつもりなら、早く身を固めなくちゃなと言われると、忠告にしたがって、ただちにいそいそとセント・レナーズ署の女性刑事シボーン・クラークに言い寄ろうとしたりする。シボーンが自分の思うようにならないと、彼女のアパートの向かい側からのぞきをするというイヤーな男なのだ。

 というところで、どれほど難事件を解決しようとも、上におぼえめでたくないリーバス警部は、今回もスコットランド新議会の保安問題を検討する委員会という閑職にまわされてしまっている。上司のファーマー・ワトソン主任警視は、あとわずかばかりの定年までの数年をおだやかに過ごしたいので、異端児リーバスに暴れまわられたくないのだ? とはいえ、そんな閑職にまわされてもこの男には事件のほうがふりかかってくる。新議会関連の建物に生まれ変わる予定の歴史的建造物の見学中、地下室から20年前に殺害されたと見られる白骨が見つけられたのである。俄然やる気をみせるリーバスに対して、手柄をたてたいリンフォード警部がしゃしゃり出てきて妨害をする。

 そうこうするうちに、数日後、同じ敷地内で、有力なスコットランド議会立候補予定者ロディ・グリヴが撲殺された。グリヴ家は、有名な一家だったから、てんやわんやの大騒ぎとなった。
 さらに、橋の上から駅のプラットフォームに飛び降り自殺をしたホームレスがいた。調べると、彼は40万ポンドもの大金を預金していた。一体このホームレスは何者だったのか。さらに、シボーンが調べていた、つきあう相手を捜すための独身クラブのメンバーが被害を受けたレイプ事件。
 これら、一見関係のなさそうな事件が、次第につながりを見せ始めてゆく。おなじみの熟練した手さばきで、編み物を編むように丹念に作られた物語は、どこへ向かうのか。

 なかなか成果をあげられないリーバス警部のあせり。さらに、犯罪の元締めビッグ・ジェル・カファティが突然のごとく刑務所から出所してくる。一体なぜなのか。リーバスのあせりは増幅する。
 いつもながらの見事な構成。昨年の『死せる魂』に引き続き今年の各種ミステリ・ベストテン入りは間違いないところだろう。 (bk1ブックナビゲーター:桜井哲夫/東京経済大学教授 2001.05.27)

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紙の本憎悪の果実

2001/04/19 18:16

探偵ジョン・タナー・シリーズ最新作。あいかわらず格調高い秀作。

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 これぞ探偵小説という本はなかなか見つからなくなった。2001年4月、トマス・ハリス原作の『ハンニバル』が上映され大ヒットしていて、見てきたのだが、なるほどリドリー・スコットらしく、豪華絢爛、ケレン味たっぷりで、うんざりしているところだ。原作と違うラスト設定は、いかにもハリウッド・スタイルだ。おおむね原作と大きな違いはないが、思えば原作も映画にすることを目的にしたような趣があって、いささかうんざりしたものだ。

 ともかく『羊たちの沈黙』が、その後のミステリーの異常犯罪満載の傾向を決定づけたとも言える。書いた本人に罪はないのかもしれない。しかし、その後日本でも同傾向だが、ミステリと言えば、残酷趣味、異常趣味ばかりが先走ってしまった。
 しかし、かつて書いたこともあるのだが、ミステリと精神分析の登場が同時期だというのは、産業社会の出現の中で、安定した自己を保てなくなった人間の「本来の自己探し」だからなのである。探偵も精神科医も、混乱した自己の「深層=真相」探しを行うのであり、共通のテーマは、ひとを自己分裂に追いやった「家族の秘密」なのだ。
 こうして、探偵とは、家族の秘密を求めて、街路をさすらう旅人なのである。今のミステリは、こうした面影を失いつつある。その点で、本書が13作目のジョン・タナーものなどは、本当に安心できる。

 弁護士資格を持った知性派探偵も、49歳となった。前作で、親友の警部補をやむなく射殺してしまう羽目となり、深い傷を負ったタナー。このまま探偵稼業をやめてしまうのではないかと思われたのだが、入院中に精神的に支えてもらった若い女性リタが、退院後殺害されたために、現場に復帰する。

 今回の舞台は、カリフォルニアのハシエンダスという人口二千人足らずの田舎町である。大地主が支配する苺栽培の畑が広がる土地で、リタは、劣悪な苺つみの農業労働者の待遇を改善しようと望んでいたらしい。腰をかがめての過酷な労働をおこなうのは、ほとんどがメキシコ系労働者である。
 大地主のゲルブライド家が支配するハシエンダスで、ターナーは、様々な妨害にあいながら、リタ殺害の謎に迫ろうとする。手がかりは、メキシコ系労働者たちを過酷に搾取するゲルブライド一家の「家族の秘密」に他ならない。タナーは、町をさまよいながら、「聞き上手」に徹して、謎をあかそうとするのだ。ここには、派手なアクションも、倒錯趣味もない。好景気にわくアメリカとは異なる「もう一つの底辺のアメリカ社会」をさまよいながら、正統派の探偵物語が進行してゆくのである。
 倒錯趣味に飽きて、興趣に富んだ、かつての正統派ミステリの語り口を懐かしむ人々には、絶対のおすすめである。 (bk1ブックナビゲーター:桜井哲夫/東京経済大学教授 2001.04.20)

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月面着陸100周年を迎えた月世界での、想像を絶する結末。奇才カーの真骨頂、ディズニー映画化決定。

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 フィリップ・カーのデヴュー作『偽りの街』(新潮文庫)を読んだとき、ナチス統治下のベルリンを背景とした刑事物という設定のおもしろさを堪能した。このシリーズは、その後2冊出て3部作となったのだが、そのころは、カーが、マイケル・クライトンばりのSF冒険小説を書こうなどとは想像もしていなかった。

 だから第4作の『殺人探究』(新潮文庫)で近未来の連続殺人鬼を扱ってもまだミステリーの延長上だと思っていたのだが、『殺人摩天楼』『エサウ』ときて、まるで違う作家になったかのように感じたものだ。

 いずれもハリウッドで映画化進行中であり、本書も1998年に刊行されるやベストセラーとなり、ディズニーに250万ドルで映画化権が買われ、映画化が進行中である。

 本書は、人類が月面に到達してから100年後の2069年の地球を舞台としている。人類の8割は、ヒトパルボウィルス22、通称P2という強力な殺人ウィルスに感染している。感染すると、10年から15年で死に至るウィルスの治療法は、体内のすべての血液を健康な血液に代えることだけである。

 かくして、地球上は、健康な血液をもった少数派とP2に感染した多数派とに分裂し、少数派はシェルターに守られ厳重に警備された地域に住んでいる。そして、健全な血液は、何よりも貴重品だから、厳重な警備がしかれた血液銀行に保存され、血液の先物取引市場が開かれている。

 デーナ・ダラスは、健全な血液を持つRES1級で、世界の防犯警備を請け負うテロテクノロジー社の主任設計技術者である。会社につとめて20年。何も不足はないはずであったが、唯一の悩みは、やっとさずかった娘キャロが、サラセミアという遺伝的疾患で、その処置のためには莫大な費用がかかるという問題であった。

 テロテクノロジー社の代表取締役キングは、ダラスが、この娘の病のために破産しかねず、そのため会社にとって不利益な行動にでる可能性があることを知り、一家の抹殺を指令することになる。

 ダラスは、かろうじて助かるが、妻と娘は無惨にも会社の警備主任リマーに殺害されてしまう。こうして復讐にとりつかれたダラスは、P2に感染した元パイロットのゲイツらを仲間にして、月世界で量子コンピュータが管理し、厳重に警備されている血液銀行を襲って血液を奪うという計画をたてるのだ。

 あっという驚愕の結末に至るまで、一気に未来世界の話を読ませる技量は、相変わらず巧みである。そのうえ、あのマイクロソフトのビル・ゲイツが、114歳で生命維持装置によって生きながらえていて、会社の指揮をとっているなどという「お笑い」まで入っている。映画化されるとあのシーンはどうなるのか、などという興味もそそられてくる。秋の夜長の読書におすすめである。 (bk1ブックナビゲーター:桜井哲夫/東京経済大学教授 2000.10.10)

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紙の本死せる魂

2000/10/05 21:15

待望のリーバス警部シリーズ最新作、警察活動と犯罪を通して描かれる家族をめぐるドラマ

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 物語は、ジム・マーゴリス警部の自殺のシーンから始まる。なぜ、順調な出世を続けていたマーゴリスが自殺したのか。特に親しかったわけではないが、この自殺にジョン・リーバス警部は気が滅入っている。警察をやめたいと思っていた時に起こった自殺で、他人事とは思えなかったからだ。

 実は、前作(『首吊りの庭』ハヤカワミステリ1685)の事件で親友のジャック・モートン警部を死なせてしまい、娘のサミーも事件のとばっちりを受けて意識不明の重体となり、今では車椅子生活を余儀なくされている。親友を失い、娘を襲った悲劇に衝撃を受け、そのため刑事生活に張り合いが持てなくなっているからだ。

 スコットランドのエジンバラを舞台にしたこのミステリ小説は、本書で4冊目となる。『黒と青』(ハヤカワミステリ1665)、『血の流れるままに』(ハヤカワミステリ1675)、『首吊りの庭』、本書と続くシリーズは、いずれも一見つながりのなさそうな様々な事件が、次第に結びつきあうという構成をとっていて、実に読みごたえがある。

 セント・レナーズ署のリーバス警部は、アメリカの刑事物のようなスーパーヒーローでも何でもない。多くの悩みを抱え込んだ中年の刑事である。娘のサミーとも、恋人の医師ペイシェンスとも、決して意志疎通がうまくいっているわけではない。

 さて、動物園の動物を毒殺しようとする犯人逮捕のために、張り込みをしていたリーバスは、たまたまかつてその逮捕に協力したことのあるダレン・ラフを見かけた。彼は小児性愛者として逮捕されたのだが、動物園で子どもたちの写真を撮っていた。思わず、ラフを追いかけて捕まえたリーバスであったが、そのため現れていた毒殺犯人のほうはおろそかになってしまう。

 そんな状態で意気あがらぬリーバスのところに、ふるさとファイフのカーデンデンから一本の電話がかかってくる。「もしもし、おれを(ミー)覚えていないか」。

 それがもうひとつ、リーバスの心を揺るがせる出会いとつながるのである。電話の主は、同級生のブライアン・ミー。かつてリーバスが好きだったジャニスの夫となっている。息子のデイモンが行方不明だというのだ。警察は家出だと思って相手にしてくれないから、助けてくれないかというブライアンの頼みに動き出したリーバスは、夫とうまくいっていないジャニスと再会する。

 そして、もう一つ問題が生じた。アメリカで2件の殺人事件を起こしながら、15年の服役で釈放されたケアリー・オークスが、しばらく住んでいたという理由でエジンバラに帰ってくるというのだ。かくして、マーゴリス警部の自殺、ダレン・ラフ、行方不明のデイモン、そしてケアリー・オークス、これらが、徐々に結びついてゆく。まさに名人芸と言うべきだろう。 (bk1ブックナビゲーター:桜井哲夫/東京経済大学教授 2000.10.06)

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紙の本この映画見た?

2000/10/05 21:15

映画の楽しみは、細部にこだわることから始まるのだ。

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 かつて朝日新聞で、著者の『荷風と東京』の書評を書いたとき、冒頭に「川本三郎は偏っている」という井上ひさしの言葉を置きました。むろん、言うまでもなくほめ言葉で、井上ひさしが、著者のデヴュー作『朝日のようにさわやかに』につけた推薦文の一節なのです。

 著者のスタイルは、徹底的に細部にこだわることです。他人があまり気がつかないような細部にこだわり続けて、そこから思いもかけないような映画の見方が生まれてくる。それこそが著者の映画批評の方法なのです。その最も優れた到達点が、昨年5冊で完結した『映画の昭和雑貨店』(小学館)でした。

 コカコーラ、スケート、カメラ、テレビ、遊園地、とんかつ、すき焼きなどといったものから、戦後の日本映画を分析してみせる手際の見事なこと!これだけ細かく愛情を込めて戦後日本映画を集大成した仕事はありませんでした。

 本書は、『国文学』に1983年から連載している映画コラム「映画回廊」の中から、著者が自選した批評集です。著者は、この連載が始まってから17年の間の大きな変化は、ミニシアターがふえて、これまで公開されてこなかったアジア映画、ヨーロッパ映画などが公開されるようになったことだと書いています。

 むろん、著者の好み通りに、本書に収録された批評対象の映画は、ミニシアターで公開されたものが多いのです。ベルトルッチの『暗殺のオペラ』(初期のベルトルッチ好きの私も公開当時見にゆきました)から始まって台湾映画『坊やの人形』、トルコ映画『路』などが紹介されてゆきます。むろん、著者の好きなアメリカ映画も見逃してはいません。『スタンド・バイ・ミー』、『ホテル・ニューハンプシャー』、『地獄の黙示録』、『フルメタルジャケット』、『ブルー・ベルベット』と紹介されています。

 私などは、カナダで作られた、老人ガンマンが列車強盗をする西部劇『グレイフォックス』(1983年)が語られているのがとてもうれしかったのです。さして話題にもならず、テレビでも放映されなかったし、ビデオでも発売されていない、二度と見ることのできない映画なのですが、ぜひもう一度見たい映画なのです。

 最近の映画で言えば、私などはおもしろかったのですが、どうも批評にめぐまれたとは言えない新人監督長尾直樹の『鉄塔武蔵野線』(1997年)。夏休みに、高圧線の鉄塔の源はどこなのだろうと、小学校6年生の少年が、近所の4年生の少年と一緒にたどってゆく話です。あちこちで様々な出来事に出会います。しかしなかなか源にはたどりつけません。しかし、彼は旅をやめようとはしないのです。「この少年は、未知の世界に行こうしているのではなく、かつて見た懐かしい風景をもう一度見ようとしているのだ」と著者は書いています。 (bk1ブックナビゲーター:桜井哲夫/東京経済大学教授 2000.10.06)

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紙の本五年の梅

2000/09/13 00:15

乙川優三郎の待望の新作。人生への深い洞察力に思わずため息が出る。

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 四月に出た著者の『蔓の端々』は本当に傑作でした。私は、当然直木賞を受賞するものと思っておりましたが、残念ながら、どうやらこの傑作をきちんと評価する審査員がいなかったようですね。

 というより、著者のような達意の文章を書ける人材がほとんどいなくなっているのに、その文章表現をきちんと評価できない今の批評家や作家にはがっかりしました。

 私たちが藤沢周平や山本周五郎の小説を読んで、気持ちがなごんでくるのは、なぜでしょうか。私は、何よりも言葉づかいだと思います。私たちの社会は、荒々しくなりました。長い間に築かれてきた様々な表現が貧しくなり、乱暴になりました。言葉が荒れれば、行動もすさみます。心理的にも不安定にもなります。

 しかし、藤沢や山本周五郎の小説を読むと、登場人物の何気ない言葉づかいや相手への思いやりの中に、知らず知らずのうちに、人と人との間を結びつける絆を考え始めます。

 亡き黒沢明監督が山本周五郎の短編を用いて書いた脚本をもとにした映画『雨あがる』を見て、なぜ私たちは、涙が流れるのでしょうか。そこに今では失われつつある、相手への配慮に満ちた言葉づかいと気品とがあるからなのです。宮崎美子の凛とした言葉づかいが、なんと素敵であることか。

 そして、乙川優三郎のこの短編集も同様なのです。この短編集のテーマは、「人生に近道などはないのだ」ということです。

 様々に挫折した男女が登場します。表題作の「五年の梅」では、若さゆえに正しいと思った道を暴走してしまい、結果的に、愛していた女性を不幸な運命にいざなってしまった武士、村上助之丞が描かれます。

 「蟹」では、重臣の妾腹の娘ゆえに、やっかいもの扱いをされてきた志乃が、自分の過去に苦しめられながらも、新しい伴侶にめぐりあって立ち直る話が語られます。

 「小田原鰹」では、25年たって、ろくでなしの亭主からやっと逃れた女性おつねの再出発が語られます。

 みな、人生のあちこちでつまずき、苦しみ、あきらめかけているのです。ですが、そのなかで、自分の失敗に気づき、今からでも遅くはないのだ、と悟って再出発するのです。

 「行き道」のなかでは、苦しい生活のなかでふと迷いが生じた、おさいが、自殺しようとした娘に向かって言います。

 「辛いことなんていくらだってあるわ。でもひとつひとつ乗り越えてゆくしかないの、人間なんてみんなそうやって生きてゆくのよ」。「逃げたらおしまいなんだから、そこから先は何ひとつ変わらないんだから」。

 荒々しいミステリーやらホラー小説ばかりが蔓延する時代のなかで、人への思いやりに満ちた、洞察に富んだ物語を読むと、世の中まだまだ捨てたもんじゃないなあ、という気分になってくるのです。 (bk1ブックナビゲーター:桜井哲夫/東京経済大学教授 2000.09.13)

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「雲の上の存在(雲上人)」華族の知られざる世界のフィールド・ワーク、貴重な証言の数々。

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 明治維新から第2次世界大戦まで日本には、元大名家や公家などからなる華族という制度が存在した。しかし、元華族の回想記などはあったものの、これまで華族の世界は、きちんと学問的対象として論じることは難しかった。それは、ひとえに華族世界と一般社会とが隔絶されていたために、正確な情報が一般社会に提供されてこなかったからである。

 著者は、1930年、日本で生まれて育ったが、戦後アメリカに留学し、学位を得てそのままアメリカにとどまり、ハワイ大学人類学部でながく教えた(現在は名誉教授)。著者は米国にながく住み、そこで教えたので、日本社会にとっては外部の人間となり、そのため有利な立場を取り得た。

 しかも新制の学習院大学(戦前には華族の学校として知られた)を出ており、大学時代の親友の交友関係を通じ華族世界との連絡がとれたのである。著者は、いわば境界領域に属する存在として警戒心を抱かれることなく、元華族の人々とのインタヴューに成功し、多くの貴重な情報を得ることができた。

 さて、華族制度が崩壊してから半世紀がたったが、元華族のうち、住所の判明している世帯の57%が東京都に居住している。かつて相模湾沿いに多くの華族が別荘を持っていた神奈川県に居住する元華族は、16.7%。東京・神奈川に居住する元華族は、合わせて73.7%になる(1980年代のデータ)。

 しかも、東京在住の元華族の3分の2が港区、渋谷区、世田谷区、目黒区、新宿区の5つに集中している。いまだに元華族は、下町地域には住まないのである。ある元華族は、「浅草はニューヨークより遠かった」と語ったという。

 むろん変化はある。著者が調査した73人の元華族世帯が、戦前所有していた土地は、平均で16700坪であったが、現在の80名の土地所有の平均面積は、約700坪に過ぎず、戦前の4.2%に過ぎない。

 華族の家では、「表」と「奥」という対比が重要だったと著者は言う。表には男性の使用人がおり、奥には、女性の使用人がいる。一家の主人は、奥と表の両方に所属しているが、通常は、表の世界と奥の世界とは画然と分断されていた。台所とその使用人が最も低い領域であり、子どもたちは台所のそばを歩いてはいけないと厳命されていた。

 日本の華族制度は、ヨーロッパを模倣していたので、華族の生活は、西洋化していた。みそ汁とご飯という朝食をとったことがない家庭もあった。ある大名家出身の女性の証言によれば、側近が13人、運転手が補佐をいれて3人、女中15人、調理人2人、下位の女中の端女3人が常に傍らにいた。また、華族世界では、母親は、子育てをせず、すべて「お付き」と呼ばれる使用人が子どもたちの面倒を見ていた。

 以上は、93年にアメリカで刊行された本書の記述のごく一部にすぎないが、戦前の華族制度についてきわめて貴重な情報を提供しており、今後の華族制度研究の基本文献と言ってもいいだろう。 (bk1ブックナビゲーター:桜井哲夫/東京経済大学教授 2000.08.26)

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希望への疾走 下巻

2000/07/18 09:15

『ボーン・コレクター』のJ・ディーヴァーが誉めるのも納得のハラハラドキドキ本です

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 1960年代に一世を風靡したテレビドラマにデビッド・ジャンセン主演の「逃亡者」がある。矢島正明のナレーションが独特で、私も夢中になったくちである。妻殺しで逮捕され、死刑判決を受けた医師リチャード・キンブルが、護送途中の列車の脱線事故で逃亡し、真犯人の片腕の男を捜し続けるというドラマだった。90年代にハリソン・フォード主演で映画化されたが、正直言ってテレビドラマほどの迫力はなく、単なるアクションドラマになっていた。逃亡のドラマは、逃げる人間の心理を綿密に描かねば、真に迫ってはこない。

 本書の著者の前作『若き逃亡者』(新潮文庫)は、身を守るために監督官を殺害し、拘置所から逃走した少年が主人公だった。少年をめぐる様々な人間関係と心情を丁寧に描き、逃亡する少年の姿が切なく、サスペンスフルに描かれた秀作だった。そして、本書もまた、逃亡を主題としている。しかも今度は、家族3人の逃亡である。

 1983年、環境保護庁の要請でアーカンソー州ニューアークの陸軍武器庫に調査に入った調査チームのメンバーだったジェイクとキャロリンのドノヴァン夫妻は、突然の銃撃にさらされた。武器庫は爆破され、化学兵器によって周囲が汚染された。仲間たちはみな殺害され、奇跡的に助かった彼らは、逃げ出したあと、自分たちがいつの間にか大量殺人と環境汚染のテロリストとして手配されている事実を知る。

 一度は、出頭して事情説明をしようと考えた彼らだったが、キャロリンの伯父で富豪のハリー・シンクレアが、容易ならぬ事態であるがゆえに、身を隠すように説得し、彼らの長い逃亡生活が始まったのだった。身を隠して各地を転々とし、14年の歳月がすぎた。その間、息子が生まれて成長する。

 しかし、13歳の息子と共に田舎町で一見平穏な家庭生活を営むジェイクとキャロリンに危機がおとずれる。職場で部下が麻薬取引をしていたらしく、FBIが乱入し、ジェイクは、勘違いして思わず捜査官に銃を向け逮捕されてしまう。

 拘留されたが、すぐに釈放された。だが、指紋は取られた。彼の名前は十大指名手配リストのトップにある。ただちに逃げなければならない。だが、学校に行っている息子はどうする?夫婦は、何とか協力して息子を学校から引き取り、脱出をはかる。

 事情を知らない息子を説得し、なおかつキャロリンの伯父の力を借りつつ、必至の逃亡が始まる。自分たちを罠にはめたのは、一体誰であり、何のためなのか。もう逃げてばかりはいられない。彼ら3人の真実を求めての追跡が始まる。

 次から次へと彼らを襲いかかる危難の数々。一難去ってまた一難。果たして、彼らに安寧の日は訪れるのだろうか。まさに、ノンストップアクションの白眉というべきだ。 (bk1ブックナビゲーター:桜井哲夫/東京経済大学教授 2000.07.17)

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希望への疾走 上巻

2000/07/18 09:15

『ボーン・コレクター』のJ・ディーヴァーが誉めるのも納得のハラハラドキドキ本です

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 1960年代に一世を風靡したテレビドラマにデビッド・ジャンセン主演の「逃亡者」がある。矢島正明のナレーションが独特で、私も夢中になったくちである。妻殺しで逮捕され、死刑判決を受けた医師リチャード・キンブルが、護送途中の列車の脱線事故で逃亡し、真犯人の片腕の男を捜し続けるというドラマだった。90年代にハリソン・フォード主演で映画化されたが、正直言ってテレビドラマほどの迫力はなく、単なるアクションドラマになっていた。逃亡のドラマは、逃げる人間の心理を綿密に描かねば、真に迫ってはこない。

 本書の著者の前作『若き逃亡者』(新潮文庫)は、身を守るために監督官を殺害し、拘置所から逃走した少年が主人公だった。少年をめぐる様々な人間関係と心情を丁寧に描き、逃亡する少年の姿が切なく、サスペンスフルに描かれた秀作だった。そして、本書もまた、逃亡を主題としている。しかも今度は、家族3人の逃亡である。

 1983年、環境保護庁の要請でアーカンソー州ニューアークの陸軍武器庫に調査に入った調査チームのメンバーだったジェイクとキャロリンのドノヴァン夫妻は、突然の銃撃にさらされた。武器庫は爆破され、化学兵器によって周囲が汚染された。仲間たちはみな殺害され、奇跡的に助かった彼らは、逃げ出したあと、自分たちがいつの間にか大量殺人と環境汚染のテロリストとして手配されている事実を知る。

 一度は、出頭して事情説明をしようと考えた彼らだったが、キャロリンの伯父で富豪のハリー・シンクレアが、容易ならぬ事態であるがゆえに、身を隠すように説得し、彼らの長い逃亡生活が始まったのだった。身を隠して各地を転々とし、14年の歳月がすぎた。その間、息子が生まれて成長する。

 しかし、13歳の息子と共に田舎町で一見平穏な家庭生活を営むジェイクとキャロリンに危機がおとずれる。職場で部下が麻薬取引をしていたらしく、FBIが乱入し、ジェイクは、勘違いして思わず捜査官に銃を向け逮捕されてしまう。

 拘留されたが、すぐに釈放された。だが、指紋は取られた。彼の名前は十大指名手配リストのトップにある。ただちに逃げなければならない。だが、学校に行っている息子はどうする?夫婦は、何とか協力して息子を学校から引き取り、脱出をはかる。

 事情を知らない息子を説得し、なおかつキャロリンの伯父の力を借りつつ、必至の逃亡が始まる。自分たちを罠にはめたのは、一体誰であり、何のためなのか。もう逃げてばかりはいられない。彼ら3人の真実を求めての追跡が始まる。

 次から次へと彼らを襲いかかる危難の数々。一難去ってまた一難。果たして、彼らに安寧の日は訪れるのだろうか。まさに、ノンストップアクションの白眉というべきだ。 (bk1ブックナビゲーター:桜井哲夫/東京経済大学教授 2000.07.17)

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なに?カンガルーが主人公の痛快なボクシング小説だって?

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 うむ、梅雨のなか、ユーウツな気分を払ってくれる痛快無比なオモシロ本を見つけた。

 ポール・ギャリコは『ジェニー』という小説はまだ入手できるが、ほかのものは、今は残念ながら入手できない。創元推理文庫は、すでに『幽霊が多すぎる』を出してくれたが、今回、傑作中の傑作の『マチルダ』がお目見えした。

 初訳ではなく、1978年に早川書房から出版されているのだが、今回は新訳決定版とのことである。さて、本書のタイトルの「マチルダ」は、オーストラリアのカンガルーの名前である。オスのカンガルーなのに、何で女性の名前のマチルダなんだって?

 そこは、飼い主の元英国ライト級チャンピオンだったバーモンジー・キッドことビリー・ベイカーに聞いてみなくてはなるまい。

 「『ワルツィング・マチルダ』って曲、だんな、ご存じありませんかね。マチルダってのはオーストラリアの渡り労働者連中が持ち歩く荷物袋のことなんでさ。そんな連中の一人が自分のマチルダに、母親とはぐれた生後8ヶ月のカンガルーの子どもを入れていたのを見つけたんでさ。わしは、そのちびすけを買い取って、マチルダって名前をつけたわけなんでさ」。

 walz (walk) matilda(自分の包みを携帯して放浪する)と豪州の言葉としてちゃんと辞書に載っております。一つ利口になったかな。こうして、マチルダを手に入れたビリーは、ボクシング好きなカンガルーの中でも、とびきりの才能を持っていたマチルダを仕込み、二人でボクシングをして喝采を浴びるという見せ物をサーカスで行ってきたのだ。

 ところが、サーカスが解散。行き場を失ったこのコンビがすがったのが、駆け出しの芸能エージェントのビミーだった。恋人のハンナにデート費用をおごってもらうほどの情けない弱小エージェントのビミーは、このコンビで大金もうけが出来るかもしれないと夢想するのだ。そして、さるカーニバルと契約して興業中、偶然ながら、世界ミドル級チャンピオンのリー・ドカティが、2ラウンドもったら500ドルもらえるという誘いにのってマチルダのリングにあがり、あっけなくノックアウトされてしまったのだ。

 しかも、なんとそれをデイリー・マーキュリー紙の名物記者パークハーストに見られてしまったから、さあ大変。新しいチャンピオン・マチルダの出現とおもしろおかしく書かれて、大騒動が始まるのである。

 マチルダは、それからボクシング選手との試合を次々とこなしてゆくのだが、行く手には、ドカティの背後にいるマフィアのボスの巧妙な妨害工作が仕掛けられていた。

 さあ、どうなる?マチルダの運命やいかに。ドカティとの再戦は一体どうなるのか? それにしても生き生きとした人物造型の見事さよ。そしてストーリー・テリングの何という巧みなことか。絶対のおすすめです。 (bk1ブックナビゲーター:桜井哲夫/東京経済大学教授 2000.7.11)

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札差市三郎の女房

2000/07/10 20:49

乙川優三郎だけじゃないぞ。オモシロ時代小説みつけた。

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 藤沢周平亡きあと、時代小説をあまり読まなくなっていますが、まぎれもなく彼を継ぐと言っていい乙川優三郎だけは例外なのです。最新作の『蔓の端々』(講談社、4月発行)もお家騒動に巻き込まれた剣の達人の悲哀を描いて実に見事な出来でした。未読の方にはぜひおすすめしておきます。

 さて、今回は、全く知らなかった作家を新発見しました。著者紹介によれば、すでに何冊も発表しているらしいのですが、私はこれまで一冊も読んできませんでした。ところが、この本は、6月21日に偶然、三省堂書店で手に取ってパラパラ読んだところ、気になってすぐに購入したのです。

 いや、実に見事な手練れでした。時代小説は文章が下手ではどうにもならないのですが、もちろんうまい。しかも、経済小説でありながら、理屈っぽくなっていない。ともすると江戸の経済を扱う時代小説は、知識をひけらかそうとして、読みにくくなるものです。

 この小説は、江戸の金融業者「札差」上総屋の市三郎を主人公にしています。しかし、別に経済上の知識を必要とはしません。

 寛政元年(1789年)、幕府は、借金で困窮している幕臣を救うため、棄損令(旗本・御家人が蔵米を担保に金融業者から借りている借金の棒引き)を出しました。領地を持たない下級の旗本や御家人が幕府からもらう年俸(禄)としての蔵米をお金に換える仕事をしている札差88店の損失は、合わせて118万7800両あまりに
達して、つぶれた店も出ました。

 以後、札差は、債権棒引きを恐れて、貸し渋りをするようになりました。このへんがバブル崩壊後の日本の金融機関の行動によく似ていますね。上総屋も、棄損令で1万両の損失を負っています。

 13歳でこの破局に父とともに立ち向かった市三郎は、何とかその苦境を乗り越えて、商売を営んできました。しかし、苦境を乗り越えるべく仕事に打ち込んでいたときに、愛妻のお夕を病で亡くします。市三郎はそれを自分の責任だと感じているのです。そして、このような市三郎が、追っ手に追われていた綾乃を助けたのです。

 綾乃は、禄120俵の御家人の娘ですが、父が亡くなり、母が病に倒れために、高利貸しにたよらざるを得なかったのです。ために、彼女は、身売りのようにして、5千石の旗本の側室にされてしまいます。しかし、そのうち、家を継いだ弟が恨みをかって惨殺され、家は断絶となってしまうのです。彼女には、耐えるための理由はなくなり、そこで板東家から脱出をはかり、市三郎に救われたのです。こうして、二人の運命は交差するのですが、怒り狂った板東志摩守の魔の手が上総屋に伸び始めます。かくして、綾乃も中西一刀流の名手である父から手ほどきを受けた剣の腕を用いながら、市三郎と共に戦い始めます。この逸品をぜひ一読あれ。 (bk1ブックナビゲーター:桜井哲夫/東京経済大学教授 2000.7.11)

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