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    3月のライオン(1)

    3月のライオン(1)

    羽海野 チカ(著),先崎 学 (将棋監修)

    5つ星のうち 4.5 レビュー詳細を見る

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    はらぺこあおむし 改訂

    はらぺこあおむし 改訂

    エリック=カール (さく),もり ひさし (やく)

    5つ星のうち 4.5 レビュー詳細を見る

今福龍太さんのレビュー一覧

投稿者:今福龍太

10 件中 1 件~ 10 件を表示

紙の本茶と美

2001/01/26 19:36

柳の方法論は、いまだ考え抜くべき可能性を残している

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 大柄な思想が、民衆の日常のものづくりの現場から発するような例はきわめて稀である。柳宗悦はその点で、20世紀の日本思想の一つの特異点を形成しているといえるだろう。私自身が、ブラジルの東北部の民俗工芸の世界を近年発見するとともに、柳の民藝の思想のアクチュアリティに気づきはじめた。その根幹の関心は、柳が民衆の「手の技芸」を文化理論や理念としてではなく、あくまで日用品というものが生産され流通するハビトゥスに介入する政治・経済領域への思想的批判として具体的な場と現実に即して考えていたことである。ブラジルの民芸品はいま、ツーリストアートとしての形骸化のなかで危機に瀕しているが、これに現代の西欧デザイン思想を接合させて工芸経済を甦らせる運動に私が介入しはじめるきっかけになった背景には、柳の著作の示すアクチュアリティがあった。近年は、ポストコロニアリズム批評の視点から、ヒューマニズムの仮面をかぶったオリエンタリズムとして批判されることの多い柳であるが、モノの手触りの感覚から日常茶器の美と技芸の深層によこたわる人間の叡知へと向かう柳の方法論は、いまだ考え抜くべき可能性を残している。筑摩書房版の全集はあるとしても、『茶と美』のような形での文庫復刊は、柳の再評価をめぐる一般的端緒をつくるためにも歓迎である。

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紙の本時間と自由

2001/09/06 17:35

精緻な思考力に感嘆

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ベルクソンの時間をめぐる哲学へと私を誘ったのはドゥルーズである。ゲームやスポーツにおける時間相の特異性、とりわけ現在時の持続について考えていた私に、ドゥルーズの『意味の論理学』は大いなる啓示として映った。なにより、ストア派の時間論からベルクソン経由で導入されたアイオーンという無限に分割可能な時間のありかたに、私は私が昂揚するサッカーの時間相そのものを見出して興奮した。過去・現在・未来を因果律のもとに結びつけ、ひいては「歴史」という抑圧的にもふるまう言説を生産する「クロノス」的・否可逆的な時間の傍らで、未来を過去がはらみ、過去を未来に開くことの直感に支えられた、無限定な「いま」の持続としてあるアイオーンの宣揚を、私は興奮しながら読んだ。そしていま、新訳によるベルクソンの『時間と自由』が文庫判として登場し、読み進めれば、まさにドゥルーズの思考の源泉に降り立つ思いがする。本書の原題は『意識に直接与えられたものについての試論』であるが、空間的外在化の思想を排し、意識に直接与えられた内在的な純粋持続としての時間に拠りながら、自由と直感について考え抜くその精緻な思考力に感嘆しないものはいないだろう。(今福龍太/文化人類学者 2001.5.29)

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詩的な凝集力

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 『生きられた家』の初版(田畑書店版、1976年)が当時の私に与えた衝撃はひときわ大きかった。その衝撃とは、頭脳を一撃する瞬時のインパクトであったというよりは、むしろ意識と情動のはざまから深々と身体にひろがってゆく、はかりしれない知力の浸透というほうがあたっていた。

 現象学的な考察を機軸に、私たちの社会的「自己」をミニマルに形成する極小の「生きられた世界」としての「家」。人々が住み、集まり、屯する起点としてのリアルでかつイマジナリーな「生きられた家」の由来と意味を語りながら、著者の思考は、人間が生きる根拠とは何かという、もっとも日常的でかつ深遠な哲学的問いにむけて、限りなく自由に開かれていた。

 「どんな古く醜い家でも、人が住むかぎりは不思議な鼓動を失わないものである」。この冒頭の書きだしから、私は「日常」という思考と感情の端緒から厳密なテクストを紡ぎだす文章の詩的な凝集力に打たれた。本文庫は、この初版『生きられた家』を数年後に記号論の成果を取り入れてより理論的に精緻に加筆した新版(青土社刊、1984年)の文庫復刊ということになる。初版本は、若い建築家志望の知人にあげてしまって手元にないので、いま再びこの文庫判で、いまだに私の体内に浸透するあの知の凝集力の記憶を追体験したいと思う。(今福龍太/文化人類学者 2001.2.27)

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スリリングな内部と外部の視線の交差

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 宮本常一の『忘れられた日本人』のヴェトナム語訳が刊行されるという。日本列島特有の「世間師」たちの日常が、ことなった民俗世界に生きるヴェトナムの人々にどのように読まれるのか、興味深い。宮本常一のように、日本の伝承的な民俗世界を求心的に探求した人の仕事の意味が日本の外に開かれるとき、なにか新しく風通しのいい社会ヴィジョンが生まれ出るような気もする。
 その意味で、本書によってはじめて集成された旅の記録のなかの、宮本自身がアフリカ行や済州島、中国南部、台湾の旅を語るときの内部と外部の視線の交差は、それじたいスリリングである。宮本の視線の精緻さは、日本列島を前にしたときと同じだ。しかも海外の場合、飛行機に乗っているための上空からの雄大な視線がこれに加わる。上海から昆明までの旅の上空で、一万メートルから眺め下ろす村落構造や土地開発の模様に、条里制と荘園制のちがいを探り当てる鋭敏な目は、宮本民俗学のマクロな構想力として、世間師の心理へのミクロな探求心と見事につりあっている。(今福龍太/文化人類学者 2001.4.3)

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紙の本能 現在の芸術のために

2001/09/11 15:36

「現在の芸術」

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「橋の会」を企画・運営する著者の、能・狂言のプロデューサーとしての八面六臂の活躍を知らぬ人はいない。能の実践行為に製作者としてかかわるという動きが、つねに能という表現を現代社会の劇的な現場における可能性として思索しようとする著者の方法論の核心にある。その時、能は静態的な「古典芸能」であることをやめて、「現在の芸術」として私たちの歴史意識をたえず更新するアクチュアルな思想性をもちなじめる。本書は、能の身体性、物語とテキストの構造、そして世阿弥の能芸論へと議論を進めながら、まさに「現在」という不安定なものとのかかわりの世界へと人間を押し出してゆく感覚知として能をとらえようとする独創的な評論である。いうまでもなく、著者はベンサムの功利主義を大胆に解析する鋭敏な法哲学者であり、ロールズの正義論を精緻に読み解く優れた倫理学者である。だが、能の「現在」を規定するあの不安定なものとのかかわりが、人間のにたいして『いま、ここ」で断ずべき自由と決定の場所を与えるとすれば、それこそが人間の「倫理性」の根拠であるとする著者は、能とのかかわりのなかではじめて倫理という感覚の生成を発見していることになる。このような芸術行為のアクチュアリティの深みへの感覚をかかえた倫理学者をこそ、私は信ずることができる。(今福龍太/文化人類学者 2001.5.8)

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弓と竪琴

2001/08/31 15:55

パス再入門のために格好の文庫

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 20世紀におけるもっとも大柄な詩人・批評家であったオクタビオ・パスによる、もっとも総合的な詩論かつ文化批評が本書である。詩作の実践と批評の実践とが、パスの場合のように豊饒に溶け合いながら一人の文学者の仕事がなされたことも、おそらくなかった。だが、パスについて考えるとき、「詩人」とはたんに詩を書く人のことではない。それは、詩的論理・詩的精密性への直覚的な洞察力によって思想を語る人のことである。歴史家がさかしまの預言者(すなわち過去の見者)であるとするなら、詩人は来るべき世界を予知し幻視することのできる歴史家である。そして驚くべきことに、詩人の見る「像」は、しばしば「歴史資料」なるものが構成する過去の実証的な事実の姿よりも、はるかに真正な厳密性をたたえていることも多い。パスがポエジーと呼ぶこの詩的精密性の原理の由来を、本書は昂揚した情熱と冷徹な思考によって、壮大なヴィジョンとして開示している。パス再入門のための格好の文庫化である。(今福龍太/文化人類学者 2001.6.26)

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さまざまな思考を誘発する刺激的な一冊

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 筆者がフィールドワークの対象として選んだ西アフリカのモシ族は、太鼓の音を鳴らすだけで、歴代の王への賛美を表すことができた。近代社会における文字表現の支配に慣れ親しんでいた著者にとって、これは新鮮な驚きだったに違いない。もちろん、このような、音に託されたもうひとつの人間の叡智のあり方に、私たちの多くはまだ十分に自覚的とは言えない。そこで筆者は、文字と無文字の臨界を見据えながら、文字に隠された無文字性というものにたいする多角的な考察を少しずつ深めてゆく。緻密なフィールドワークと、多彩な文献を通して、文字によって築き上げられてきた「世界」史を、無文字社会の方法論の側から相対化してゆくのである。そこでは、道具の遺物、建造物の遺跡、人骨、口頭伝承、記号化された楽器の音、儀礼、土器などの非文字資料が、新たな相貌をもって私たちの前にあらわれる。初版刊行後25年たっての復刊であるが、「文化のなかの無文字性」に関するさまざまな考察と切り口の多くはアクチュアルな性格を失ってはいない。たとえば系譜や絶対年代などの考察とともに、近代の文字化された「累積的時間」を相対化する神話的な「構造化された時間」などのテーマは、大きな可能性としてまだ私たちの前に横たわっている。無文字性がはらんでいる集合的な無意識を喚起する性格は、現代社会のあり得たかもしれない別の側面を想像するためにも重要なヒントとなるだろう。さまざまな思考を誘発する刺激的な一冊である。(今福龍太/文化人類学者 2001.7.24)

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紙の本国家と革命

2001/08/28 13:37

必要な装備品

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 私が、大学時代にもっとも強烈な思想的インパクトを受けた書物が本書である。「国家の死滅」という概念を本書によって知ったときの衝撃はいまもありありと思い出すことができる。言うまでもなく、エンゲルスの『反デューリング論』において提示されたこの概念を、レーニンは帝政末期のロシアという彼の時代環境において実践的な社会主義革命理論として情熱的な筆致によって鍛え上げたのである。七○年の前半になっていたとはいえ、私の周囲には、こうした理論をただちに現実の政治行動の実践的な指針へと読み替える熱い学生たちがまだ残ってはいた。しかし私はそうしたグループとは距離を置きながら、本書を純粋に一人の政治理論家の「思想実験」として読んだ? 家の死滅、暴力革命、粉砕、抑圧、搾取、蹂躙といった過激な言葉が、思想実験としての本書のなかで厳密に取り扱われていることに、私は強く反応したのだった。
 本書があるかぎり、人は搾取や抑圧や打倒を表面的な政治スローガンとして叫ぶうわすべりの認識から脱することができる。私が「政治」や「運動」を見る冷静な視点は、意外にもこのレーニンの熱い革命宣言から培われたといってもいいかもしれない。十月革命直前の潜伏期に書かれたレーニンの本書は、革命によってプロレタリアートが権力を奪取したあとの行動のための綱領としてふつう読まれてきたが、社会主義革命の理念が挫折したいま、「国家機構」というものの近代の抑圧権力としての本性にたいしてつねに敏感でいるためにこそ、レーニンの思想は私たちにとって必要な装備品でありつづけるだろう。(今福龍太/文化人類学者 2001.8.21)

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謹しみ深く繊細な「旅する感覚」を言語世界に移しとることに成功

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 文庫書き下ろしの旅物語は大歓迎だ。旅に出た眼と感覚のフットルースな軽快さと冒険心は、文庫本というメディアにこそ宿るからだ。林巧は現代でもっとも自覚的に「旅の語り手」であろうとする作家の一人だ。日常性の意識の延長に旅を巧妙に忍び込ませて手なずける(村上春樹的感性の常套作戦だ)のでもなく、旅のあてどなさをも徹底的に自己内部のドキュメンタリーへと変化させずにすまない職業的な旅の作家(沢木耕太郎はそのようにして読まれた)として完成することも拒んで、林巧は「旅をする」ことと「旅を書く」ことのはざまにある不連続を、経験と記述の不整合を、正しく見据えながら、謹しみ深く繊細な「旅する感覚」を言語世界に移しとることに成功した。背景的情報と、旅そのものの描写と、思索とのバランスがとてもいいのはそのためだ。チャイナタウンは世界のどこにあもある。華人街という場所を指すというよりも、それはたぶん、移動する民族の、記憶と忘却をめぐ
る、一つの大きな共同意識のようなものだからだ。ロンドン、ニューヨーク、クアラルンプール、マラッカのそれぞれのチャイナタウンが著者の想像力と記憶のなかで結ばれてゆく冒頭から触発されて、チャイナタウンという意識の世界的遍在を私たちは本書で深く実感することになる。

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最近刊行された文庫のなかではとりわけ期待とともに一気に読んだ本

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 最近刊行された文庫のなかではとりわけ期待とともに一気に読んだ本。文庫の書き下ろしとは、復刊の多いこのジャンルにあって、なにより魅力的なスタイルだ。そして期待は十二分に満たされた。一気呵成に書かれた気配を漂わす、きわめてテンションの高い考察。最後の2章、とりわけ、時間をかけた、認識論的にも感覚的にも多元化された経験にもとづく知覚作用をベンヤミンの「触覚的」という用語のなかに読み込み、ミメーシスと触覚、そして「くつろぎ」について展開される著者の独創的な読みは刺激的。ベンヤミンのテクストをポジティヴな発見法として読みたいという、序章の「精読」「注釈」についての著者の態度表明も示唆的。70年前の「歴史の現在」を、いまの私たちを条件づける「歴史の現在」へと接続する想像力のTaktik (触覚)のなかからベンヤミンの言う「根源」が姿をあらわすさまが、これほど明晰に思考のプロセスとして経験されたことはなかった。

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