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  3. 大笹吉雄さんのレビュー一覧

大笹吉雄さんのレビュー一覧

投稿者:大笹吉雄

27 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本役小角読本

2001/06/21 15:17

実像のはっきりしないわが国古代史の役小角とは何もので、何をしたのか。その謎を追った興味の尽きない読本

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 役小角(えんのおづぬ)あるいは役の行者といえば坪内逍遥の大作戯曲『役の行者』をただちに連想するものの、その実態についてはわが国の修験道の開祖という漠然としたイメージしかなかった。ただ、気にはなる存在で、役の行者関係のイベントを一、二度見た経験がある。それでもよくわからなかったというのが正直なところだ。本書を手に取ったのは、役の行者を知る上での、何らかの道しるべになればという程度のことがきっかけである。
 一読して驚いた。表紙のカバーが流行の陰陽師ものを思わせるおどろおどろしく妖しい感じで何となく手を引きそうになるのとは反対に、中身は真摯な研究書と呼んでいいものであり、著者の記述に強い説得性がある。本書によって、はじめて役小角の正体がよく理解出来た。
 著者の立場ははっきりしている。役小角の実体に迫る上で、信頼に足る唯一の史料である『続日本紀』と、説話集の中でもっとも早く小角を取り上げるとともに、小角伝説に決定的な影響を与えた『日本霊異記』だけをよりどころにし、それらを深く読みこむこと、そこから得られた小角は従来のとらえ方のように仏教者ではなく、仙人になることを目指した道教の神仙道の雰囲気を濃厚にただよわせていることからの、道教関連の諸書を補助線にしたということに尽きる。ここから実に興味深い小角像が浮かび上がる。
 著者は最初に知られる限りの小角の生涯を略記し、以下、九章に分けてその細部を詰めていく。「小角と呪禁師広足」「小角と加茂役君」「神仙道修行」「仙薬と服餌」「呪術と鬼神」「小角飛行」「黄金と蔵王権現」「一言主神の謎」「捕縛と登仙」。
 各論の進め方がいずれも潔くてこころよいが、一例に小角と朝鮮半島の百済との関係。

 小角が山中に入って神仙の道を求めたとすれば薬草や仙薬の知識がなければならず、それを得るのは当時の医薬の知識のあり方として百済からの帰化人からか、百済の知識と接点のあった人物以外にない。そして小角の生まれた大和国葛木郡には、百済の影が満ちていた。
 「隣村には百済村があり、百済大寺があった。生まれ育った郡内には、百済系帰化人を支配して権勢を誇った蘇我氏の祖廟や巨大墳墓があり、それらの造営には、まずまちがいなく百済系帰化人も動員されていたはずだ。
 小角が寄進したとの伝説のある当麻寺にも、行者の祈願力によって『百済の国から』飛んできたという四天王像がある。また、(小角が修行した)葛木山(現在の金剛山)の東南中腹には、かつて石寺と呼ばれた寺があったが、この名は、小角が『百済から招来した』薬師如来の石仏を安置したところから名づけられたという。(略)小角と百済には、実に多くの接点が見いだされる。これはいったいどうしてなのか。おそらく、小角と百済の間には、今に伝わらない何らかの深いつながりがあったのだ」
 小角の実像への迫り方とともに本書の面白さのもう一点は、古代のわが国と朝鮮半島や大陸との交流をまざまざと想像させることにある。その意味で本書は、「もう一つの古代史」でもある。 (bk1ブックナビゲーター:大笹吉雄/演劇評論家・大阪芸術大学教授 2001.06.22)

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紙の本京劇 「政治の国」の俳優群像

2002/05/13 22:15

清朝下での誕生時からプロレタリア文化大革命期まで、京劇は政治権力と密接に結びついていた。その実態報告

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 中国の代表的な演劇である京劇は、しばしば来日公演を持つから、わが国でも多くのファンがいると同時に、解説書の類いも少なくない。が、中公叢書の一冊として出された本書は、従来のそれらとは異なる角度からの京劇の案内書であり、京劇をめぐるノンフィクションとしてとても興味深い。
 副題に「『政治の国』の俳優群像」とあるように、著者が取った方法は、京劇の俳優たちのエピソードを軸にして、京劇と政治との関わりを説いていく。そこにはわが国の演劇とはまるで違った環境と展開があり、京劇と政治との深い関係に驚嘆せざるを得ない。
 京劇は中国の標準語である北京語で演じられるが、その北京語は満州人が創始したという記述がページを開いてほどなくあって、まずこのことに驚かされる。京劇も満州人が樹立した清朝のもとで成立し、清朝は漢民族をはじめとする異民族統治の一手段として京劇を利用したという。つまり、京劇はそもそもが政治権力と密接にからみあっていて、それが今の中国を建国したリーダーの毛沢東まで、一貫しているというのである。
 こういう視点で京劇を語った著書はなかった。だからその切り口の鮮やかさがもっとも印象的だが、したがってまた、京劇の俳優たちのエピソードも、政治とのかかわりの中で生まれたものが、多く採録されている。別に言えば、清朝の皇帝から新中国の国家主席だった毛沢東まで、政治の最高権力者が京劇という演劇の愛好者であり、いかなる意味でか、それを政治的に利用した。ここがわが国の演劇の歴史と大きく異なる。
 興味深い話は尽きないが、その中から一つだけ紹介する。
 今だに謎の多いプロレタリア文化大革命は、一九六五年の十一月に、新編歴史京劇『海瑞罷官』への批判論文で口火が切られた。文革中は従来の京劇が徹底的に批判・弾圧され、革命模範京劇と呼ばれた八本の京劇しか上演を許さず、毛沢東の夫人だった江青らが先頭に立って、猛威を振るった。が、毛沢東は七四年以来、江青たち「四人組」の文芸路線に不満を持つようになり、やがてそれを批判する言葉を口にしはじめた。とはいえ、病気をかかえた高齢の毛沢東には何もできず、無力感と絶望感の中で、最後に回帰したのは古典京劇の世界だった。極秘裏に北京と上海で古典京劇の映画を撮らせ、余命いくばくもなかった毛沢東は、わずかに見える左目で、撮影を終了したものから順次、京劇映画を見て自分を慰めた。毛沢東は演劇を政治に利用した最後の政治家だったが、著者はこの映画鑑賞を「最後の宮廷演劇だった」と書いている。
 とまれ、今まで知られていないエピソードに満ちた、異色の京劇案内書である。 (bk1ブックナビゲーター:大笹吉雄/演劇評論家・大阪芸術大学教授 2002.05.14)

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紙の本こんな美しい夜明け

2001/10/24 22:16

デビュー以来40年、舞台で、映画で、テレビで活躍する俳優加藤剛の、心あたたまるさわやかなエッセイ集。

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 「文は人なり」ということを、しみじみと、心優しく改めて伝えてくれるのが、俳優・加藤剛のエッセイ集たる本著だ。タイトルは加藤がいつもふとつぶやくという草野心平の詩、『空気祭』の一節から採られているが、これがまたまことに著者の人柄にふさわしい。
 おそらくテレビの『大岡越前』の主人公としてあまねく知られる著者だが、このヒーローは、ある意味で著者の分身のようでもある。決して冷徹な法の番人ではなく、血も涙もある情にあふれたさわやかな正義漢。本書の読後感もこれに等しい。とにもかくにもさわやかな著書だ。

 早大を卒業して俳優座の養成所に入り、一九六二年にテレビドラマ『人間の条件』(五味川純平原作)の主人公・梶で俳優としての第一歩を踏み出して以来の、新劇その他の舞台や、木下恵介監督の映画に出演したエピソードなどがつづられていく。それらは必ずしも編年体によってはいず、全体を六節に分けた各節に俳優としての著書の歩みが振り分けられている構成で、それを著者の両親を含む家族たちの生活雑感が包んでいる。中での異色は著者の二人の息子たちの文章や意見がところどころにはさみこまれていることだが、これが時に読者をしてハッとさせる。たとえばロダンの彫像『歩く人』をめぐる著者と次男とのやりとり。
 幼かった次男が、著者にこれにはなぜ顔がないのかと聞く。想像するのだと著者は答える。後年、次男はこういう著者のエッセイを読む。
「これは何と役者の人生に似ていることか。私には顔がないのだ。ある男の虚構の人生と重なり合った時、はじめて私に顔ができる。ロダンの才はもとよりないが、他人の魂をわが肉にくいこませ、血潮の熱を加え、胸の炎で焼き、自分の顔としてかりそめに打ち出す。これが私の生業だ。だからいつも役という憑き物が私の顔には座っている。」
 次男は『歩く人』に顔のない意味を理解する。

 本書のさわやかさの一因が、こういう家族の心の交流と発見にあることは疑いがない。子を持つ親に、あるいは親子に、勧めたい一冊である。 (bk1ブックナビゲーター:大笹吉雄/演劇評論家、大阪芸術大学教授 2001.10.25)

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倭人は日本人ではなく、百姓は農民ではなく種々の生業を営んでいた。日本史の「常識」に挑む大胆な日本論。

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 講談社から全二十六巻の「日本の歴史」が刊行されはじめたが、本書は雑誌で言えば「巻頭言」に該当する総論とも言うべき巻である。これが従来の多くの説に対して挑戦的で、根本的な書き換えを求めている。その意味で刺激的で、歴史学の素人にも納得させられるとともに、薮を拓かれることがたくさんある。

 まず「日本」および「日本人」について。
 国号としての「日本」が誕生したのは七世紀末のことであり、これが対外的に使われたのは、七〇二年にヤマトの使者が唐の国号を周と改めていた則天武后に対してだった。
 「倭」から「日本」への国号の変更とともに、ヤマトの支配層は「王」の称号を「大王」から「天皇」に変えた。したがって「日本人」とは日本国の国制の下にある人間集団を指すのであり、「日本国」成立以前の倭人は、日本人ではない。だから日本国の成立・出現以前には日本も日本人も存在せず、その当時の国制が及んでいない東北中北部や南九州の人々は、まだ日本人ではなかった。たとえば聖徳太子は倭人であっても日本人ではなく、倭人による倭寇も、全体として西日本の海の領主や商人、済州島や朝鮮半島の南部、中国大陸の南部の海上勢力の海を舞台としたネットワークの動きであって、日本人によるものではなかった。したがってまた「縄文時代の日本」や「弥生時代の日本人」といった教科書の記述も正確ではなく、天皇号の定まる以前の天皇を、歴史の教科書やあらゆる歴史書が何の疑念もなく「雄略天皇」とか「推古天皇」とか書いているのもおかしい……。

 もう一例、「百姓」について。
 「百姓」を「農民」だと解釈するのは根本的に間違っている。「ひゃくせい」とはそもそも「庶民」「人民」の意味であり、同じ字を使う中国や韓国では、今もその意味で使っている。「百姓」を「農民」だとするのはわが国だけだが、そう使われている「百姓」は実態として多様な生業を営む人々が含まれていて、廻船、さまざまな商業、製塩経営なども営まれていた。「百姓」を「農民」だと解釈させたのは明治五年に作成された壬申戸籍が決定的で、これの職業別百分比では「農」が七十八%、「工」が四%、「商」が七%、「雑業」が九%、「雇人」が二%となっていて、従来の研究者がこれに基づき、前近代の社会を基本的に農業社会だと考えた結果、「瑞穂の国日本」「日本は農業社会」だという「常識」やイメージを醸成させた。が、種々の実例から判断すれば、これはまったくの虚像である……。

 察するに著者のいわんとするのは、日本の歴史は新しく書き直されるべきであり、本シリーズがその端緒だというに尽きる。本書は多種の最新の研究成果を踏まえていて、このシリーズは全体としてそういうものになるだろうから、著者の自負するだけのことはあると思える。期待の大きいシリーズである。 (bk1ブックナビゲーター:大笹吉雄/演劇評論家・大阪芸術大学教授 2000.12.19)

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僕のカラダは考える

2002/05/27 22:15

演劇人生30年のベテラン俳優が書きおろした自伝的エッセイ。舞台の楽しさと苦しさを語る人生への応援歌

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 本書は俳優市村正親の自伝的エッセイである。
 今もっとも輝いている舞台俳優の一人である市村は、一九七三年の劇団四季公演、ロック・ミュージカル『イエス・キリスト=スーパースター』(再演から『シーザス・クライスト=スーパースター』と改題)のヘロデ役がデビューだから、三十年になろうというキャリアを持つ。わたしはこの初舞台を見ているし、以後もずっと市村の仕事を見てきたので、本書を手にしてひとしおの感慨がある。
 若いファンを想定して語るごとく書かれているから、とても読みやすい。父親が地域の新聞を主宰しているもののそれだけでは生計を立てられず、母親が居酒屋を経営していたという家庭の一人っ子として育った著者は、高校時代に滝沢修の舞台を見たことが一つのきっかけで俳優への憧れを強め、卒業と同時に舞台芸術学院に入学し、無遅刻無欠席で熱心に通う。その真面目さが買われ、ここの講師をしていたベテラン俳優で、晩年はテレビの人気番組『水戸黄門』の主役として知られた西村晃の付き人になる。三年間無事主人に仕え、そろそろ独立したいと思いはじめたころ、『イエス・キリスト=スーパースター』のオーディションがあることを知り、それを受ける。五次にわたるオーディションを突破し、役を射止めてデビューしたのが七三年である。
 以後、四季の中心俳優として『エクウス』や『エレファントマン』といったストレート・プレイをはじめ、『コーラスライン』『エビータ』『オペラ座の怪人』などミュージカルでも大活躍し、一時代を築く。が、三度目の『オペラ座の怪人』でも主役を務めるつもりのはずが劇団の都合で別の舞台に回されたのを契機に独り立ちを決意して九〇年に退団、以後もいろいろな演出家と組んで『ラ・カージュ・オ・フォール』や『リチャード二世』や『ハムレット』、一人で何役も演じる『クリスマス・キャロル』など、活発な活動を展開しているのはご存じの通りだ。
 本書を読んで何よりも感銘を受けるのは、演劇に対する愛である。それだけに自分に厳しく他人にやさしい。というのも、舞台は集団の仕事であり、自分に甘く他人に厳しくしていると、たちまちアンサンブルを崩すことになるからだ。その意味で舞台を務めることの極意は、人生のそれに通じる。本書が一種の人生訓を含んでいるのはこの点であり、他人とのコミュニケーションの取り方に悩む若い人には、多大の励ましをもたらしてくれるだろう。だれもが楽しく読める本だが、わけても若い世代に一読を勧める。 (bk1ブックナビゲーター:大笹吉雄/演劇評論家・大阪芸術大学教授 2002.05.28)

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歌右衛門合せ鏡

2002/05/24 22:15

昨年没した稀代の名女形中村歌右衛門の人生と芸のありかを、多くの関係者へのインタビューとともに浮彫する

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 四月の歌舞伎座は一代の名女形、六代目中村歌右衛門の一年祭が開催されたが、それに合わせるようにして、長年にわたって歌右衛門の舞台を見てきた著者による歌右衛門追悼の本書が出た。歌右衛門をよく知る人の、歌右衛門への思いがあふれんばかりの本である。
 歌右衛門が没した日は、まことに不思議な日だった。平成十三年三月三十一日。
 例年より早く桜が満開になり、夕方からその花に雪が降り積もった。そして歌右衛門が自宅で息を引き取ったころには、雪がやんで月が出た。こういう気象条件が重なる日は、百年に一度あるかないかと言っていいのではなかろうか。
 著者のインタビューに、晩年の歌右衛門としばしばコンビを組んだ現市川団十郎が、こう答えている。
 おじさんの生き方、死に方は極め付きですねぇ。御自分の思い通りに生きてこられて、亡くなった日の印象づけ方も、これすごいですよ。人間の執念がこれだけ具現化していいのかな、と思うほどですからね。亡くなる時に『墨染』のテープ聞いてて、桜が咲いて、雪が降って、あとで月が出る、なんて、選びすぎですよ。ぜいたくすぎます。もう少し寂しいところがあってもいいのにな、と思う。(略)あれは伝説として語り継がれますよ」
 まったくその通りだろう。が、ここにあらゆる意味で「ぜいたく」だったこの俳優の、エスプリがあるとも言える。
 俳優として位人身を極めた。芸術院会員、文化勲章受章、勲一等瑞宝章受章。
 これらの栄誉を四十代、五十代の比較的若い時に受けたのが歌右衛門で、今後こういう俳優は出ないと言っても過言ではない。だからだれからも恐れられたが、また一方でだからこそ、だれからも敬愛された。本書は歌右衛門のこの両面をよく伝えている。
 四章から成る第一章と第二章は、著者による最晩年の歌右衛門の聞き書きである。生い立ちから家族のことや趣味や芸談など、話題はさまざまな方面におよぶ。中でも面白いのはアメリカ公演でハリウッドの大スターを魅了したということで、ニューヨーク公演でグレタ・ガルボが歌右衛門の女形芸に夢中になり、毎日劇場に通って舞台の袖で見たあげく、別れ際にピンクの卵型の水晶をプレゼントしてくれたのみならず、ロスアンジェルスに移るとそこの劇場にガルボからの「LOVE LOVE LOVE」との電報が届いたという。のちにモナコ王妃になったグレース・ケリーも歌右衛門に熱をあげ、後年来日するとレーニエ国王と一緒に歌右衛門の楽屋を訪ねて、贈り物をくれたという。歌右衛門の芸が海外でも人を感動させた証拠だ。
 第三章は養子の中村梅玉と中村魁春、梅玉夫人、中村福助、中村橋之助、市川団十郎、尾上菊五郎、中村勘九郎、坂東三津五郎、片岡仁左衛門、沢村田之助、中村鴈治郎、中村雀右衛門らの歌舞伎俳優をはじめ、歌舞伎の裏方へのインタビューから構成される。つまり、周囲から歌右衛門を浮上させる工夫で、歌右衛門がいかに感性にすぐれ、また、研究熱心だったかがよくわかる。何人かには歌舞伎の後事を託すとも漏らしている。そして『関扉(せきのと)』のテープを聞きながらの死。しみじみと名優を偲ばせてくれる。 (bk1ブックナビゲーター:大笹吉雄/演劇評論家・大阪芸術大学教授 2002.05.25)

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紙の本音楽少年誕生物語

2002/03/25 18:15

著名な音楽評論家の東京音楽学校(現東京芸大)に入学するまでのおもしろおかしい自伝的回想の物語。

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 新国立劇場のオペラ部門の初代芸術監督を務め、音楽評論家として著名な著者の、音楽との出会いを回想した自伝的読み物が本書である。
 今は北九州市の一部になっている門司市で生まれ、洋楽は限られたレコードを聞くのがせいぜいだったという著者が旧制中学の四年生になった新学期早々、受験志望校を知らせよと担任の教師に言われ、苦手の数学が受験科目になかったという理由だけで、東京音楽学校(現東京芸術大学)と書いて出す。と、教員室で教頭をはじめ数人の教師に囲まれて、「上野を受けるって? ははは……。やめろやめろ」とあざ笑われる。これへの反抗と意地が現在の著者を生む──という物語で、数々のエピソードが面白いというにとどまらず、昭和初期の音楽をめぐる生き証言としても興味深い。とりわけ著者@は@地方都市の出身だけに、現在とはまるで違うそこでの音楽的な環境が描かれている文化史的な側面もある。
 洋楽はレコードを聞く程度だったが、中流サラリーマンの家庭に生まれた著者は、音楽と親しむ少年時代を送る。というのも、父親が尺八を吹き、母親が琴と三弦のお師匠さんで、姉もまた琴を弾くという音楽一家だったからだ。そういう家に生まれた著者は、小学校三年の時に羽織・袴の正装で、子供向きの琴を弾いてステージ・デビューする。幼少から音楽的な環境に恵まれていたわけで、邦楽の家庭音楽会も開かれたという。よほど特殊な家でない限り、今ではほとんどあり得ないだろう。
 やがて著者はレコードで洋楽に親しみはじめ、前述のような理由で音楽学校を志望するが、その裏には雑誌の投稿小説で片岡鉄兵や川端康成に才能を認められながら、著者の学費を捻出するために、その道に進むことを諦めた姉の自己犠牲がある。男尊女卑の社会なればこそで、こうしてわが道を行くことが出来た少年は、それこそゴマンといたに相違ない。
 ピアノも弾けずヴァイオリンも駄目だからと著者は音楽学校の声楽科を選び、受験の準備に上京して、音楽学校の教授に個人レッスンを受ける。意味もわからずイタリアの古典歌曲を習い、必要なピアノのレッスンも受ける。その戸惑いの毎日が本書の核心部分で、思わず笑わずにはいられないエピソードに満ちている。その一つが著者も習っていたイタリア歌曲の『愛のよろこび』で、『愛のよろこび』と題されてはいるものの、愛のよろこびは一日とつづかない、悲しみこそ一生つづくという内容にもかかわらず、音楽学校の教授が教え子の結婚式でこの歌を歌ったというものだ。トンチンカンは受験生の著者ばかりではなかった。
 一年浪人した揚げ句、音楽学校に無事入学したところで本書は終わるが、音楽学校での生活からオペラ歌手としてデビューするこの後は、音楽雑誌に連載中だという。続編が待ち遠しい。 (bk1ブックナビゲーター:大笹吉雄/演劇評論家・大阪芸術大学教授 2002.03.26)

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紙の本狂言サイボーグ

2002/01/31 18:16

狂言界の貴公子であり、各世代から広く支持されている野村萬斎が独自の視点で語る狂言についてのエッセイ集

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 あるジャンルに偉才や人気者が出現すると、とたんにそのジャンル全体が活性化するのは、今も昔も変わらない。狂言という古典演劇における野村萬斎は、さしずめかつての歌舞伎界での坂東玉三郎のごとき存在だと言えば、おおかたの納得を得られやすいのではなかろうか。玉三郎の登場がどんなに歌舞伎を活性化させたか、今さら述べるまでもあるまい。

 野村武司という前名のころから、萬斎は狂言界のホープとして知られてはいた。が、その世界を超えて人気に火がついたのは、萬斎を襲名して三年後、九七年のNHK朝の連続テレビ小説『あぐり』で、ヒロインの夫役を軽妙に演じて以来のことになる。以後の萬斎の活躍が、文字通り八面六臂であるのを知っている人も多いはずだ。

 本書はその萬斎の、日経新聞に書いていたコラムや、自ら主催していた会の会報に寄せた文を編んだエッセイ集である。タイトルがちょっと変わっているが、幼児から型やカマエといった狂言の基礎をたたきこまれたその身体をコンピューターに見立てて、狂言の申し子という意味で使われている。それが嫌みにならないところに萬斎の人柄がある。
 中での異色は新聞に載せた「狂言と『顔』」「狂言と『首』・『肩』」「狂言と『ノド仏』」「狂言と『髪』」といったタイトルの、萬斎の体の一部にピントを合わせ、それを通して狂言やその出し物を解説している文章で、これらはこの人ならではの味わいがある。
 それにしても全体に狂言への愛情にあふれていて、同時にそれがいかに現代に生きているか、強くアピールしている点が印象に残る。萬斎自身、テレビや映画や翻訳劇や新作狂言などにも積極的にかかわっているが、このことはいわば異界から伝統的な狂言を見直し、それへのかかわりをより深めるためのいい補助線になっているのがよくわかる。換言すれば、狂言の申し子としての自分をよく知っている。読後がさわやかなのはそのためである。

 なお、忠之の撮り下ろしの多数の写真が、本書に花を添えている。三つの座りダコのある足のクローズアップなど、普段は目にすることなどあり得ない。そういうものを含めての満載──これはかけことばのつもり──の写真だ。 (bk1ブックナビゲーター:大笹吉雄/演劇評論家・大阪芸術大学教授 2002.02.01)

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紙の本お七火事の謎を解く

2001/11/13 18:16

芝居や小説でおなじみの恋のために放火した八百屋お七の正体と、火事をめぐる将軍綱吉治世下の江戸挿話集。

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 本書を読んで改めて驚くのは、江戸という街にいかに火事が多く、また、その被害が大きかったかということだ。
 この本の一つのポイントは、歌舞伎や文楽などで親しまれている八百屋お七が、御家騒動の渦中にある恋人に宝刀のありかを知らせるために町の木戸を開かせようと、火の見櫓に登って太鼓を叩く場面に集約される可憐な少女と、その名前を取った火事との関係を探ることだ。いうところのお七火事。

 そう呼ばれる火事は、天和二(一六八二)年の十二月二十八日に起きた。午前十一時過ぎに駒込の大円寺の庵室から出火し、折からの強い北風にあおられ、火はたちまち本郷から湯島、神田、日本橋、浜町、さらには隅田川を超えて両国から深川一帯におよび、翌日の早朝にようやく消えた。この火事で七十三の大名屋敷と百六十六の旗本屋敷、四十八の寺院と四十七の神社、それに無数の町家が焼け落ち、正確には分からないものの、三千人が焼死したという。焼死者の数が不明なのは、武家屋敷のそれが伏せられていたからである。
 この大火を江戸後期にお七火事と呼ぶようになったが、実際の八百屋お七の放火事件は、別にあった。
 お七が放火したのは天和三年三月二日の夜で、自宅近くの商店の軒板に、綿屑をワラで包んで炭火と一緒に差し込んだ。が、これはボヤですんだものの、火事騒ぎの中をうろついていて怪しまれ、火付けの材料の古綿などを持っていたので捕らえられた。前記の大火でお七の家も罹災してある寺に間借りしたが、ここで一人の若者を見初め、相愛になった。ところが間もなく新居が完成して移ったことから仲を裂かれる形になり、募る恋心に抗しかねて、もう一度火事になれば会えるとの妄想にとりつかれて、火をつけた。お七は同月中に処刑され、やがて小説や舞台のヒロインになった。
 ところがお七の身辺が謎だらけで、父親や恋人の名前も諸説あってはっきりしない。幕府の正史たる『徳川実記』にはお七のことは一切記載がないのみならず、詳細な日記を残した山鹿素行のそれにもない。なぜか。
 一つはお七にならって、恋愛のために放火するようなことが流行しては大変だという幕府の懸念の反映がお七の周辺を曖昧にしたこと、そしてもう一つは、時の将軍綱吉の母の桂昌院が町人階級の出身であり、父が八百屋だったこと。その実父と養父の名前が、お七の父の名といわれる市左衛門ないしは太郎兵衛に類似する八百屋仁左衛門であり、北小路太郎兵衛だったこと。つまり、父の名がよく似ている八百屋お七の評判が高まるにつれ、桂昌院は自分の前身を世間が思い出すのを極度に恐れ、母思いの綱吉にお七関係の書類を破棄するよう頼んだのではないか。換言すれば、幕府がお七を抹殺したのではないか。

 これが著者の「謎解き」である。興味深い説と言わねばなるまいが、本書のもう一つの要点は、多くの火事とそれを防ぐ幕府のさまざまな対処の仕方で、江戸の防災史の入門書になっている。 (bk1ブックナビゲーター:大笹吉雄/演劇評論家・大阪芸術大学教授 2001.11.14)

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紙の本第二幕

2001/08/30 22:16

ブロードウェイのコメディーのヒットメーカーであるニール・サイモンの、おかしくて哀しい自伝の第二部。

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 『おかしな二人』や『はだしで散歩』などの作者で、二十世紀後半のブロードウェイのストレート・プレイ、つまり対話劇の最大のヒットメーカーがニール・サイモンだ。その戯曲はわが国でも始終日の目を見ているし、サイモンの作品しか上演しないプロジェクトもある。日本でもっとも親しまれている外国の劇作家の一人であるのは間違いない。
 そのニール・サイモンの半自叙伝『書いては書き直し』が一九九七年に刊行されたが、このほどそのつづきである『第二幕』が出て、われわれは現在七十四歳になるこの愛すべき劇作家の、全生涯を見渡せるようになった。同時にそれはブロードウェイという世界最大級のコマーシャル・シアターの、どういう意味でかの内幕を知ることにもなる。ニール・サイモンとブロードウェイは、ほとんど一体だと言っていいからである。

 本書ではじめて知ったその一つに、オフ・ブロードウェイでスタートし、やがてブロードウェイに進出して、ほどなくわが国を含む世界中で上演されるようになるミュージカル『コーラスライン』の台本に、ニール・サイモンが一枚噛んでいたということがある。演出・振付を担当したマイケル・ベネットにプレビューを見てくれと頼まれた若者が、劇場へ行く。舞台を見て「ヒットだ。心配ない」と感想を述べる著者にマイケルがもう少し笑いがほしいと食い下がり、結局ニール・サイモンが何ヵ所か加筆・変更する。われわれが見たのはこのバージョンだが、このことは一切公表されず、したがって著者は莫大な著作権料をもらいそこねたという。

 「笑い」はニール・サイモンにとってもっとも大きなテーマだが、ブロードウェイを中心とするエンターテイメントの世界にそれが不可欠の条件であるのみならず、アメリカという社会にとってもそれがいかに大事か、本書を読むとよくわかる。

 著者は最初の妻に死別した後再婚と離婚を繰り返すが、その苦しみを耐えて立ち直るきっかけはユーモアの感覚をどう取り戻すかということであり、それをどれだけ広い範囲の人々と共有出来るかということである。その最小の単位が家族だが、ニール・サイモンの今にいたるまでの「遍歴」は、詰まるところ「家族」という安らぎの場への探求ということにほかならず、作品の上にもこれが色濃く反映している。ここに本書がしみじみと人生を考えさせる背景がある。出来れば前作から読んでほしい。 (bk1ブックナビゲーター:大笹吉雄/演劇評論家・大阪芸術大学教授 2001.08.31)

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オペラとは何か、そしてその魅力はどこにあるのか。この難問を独自の視点と歴史的な見透しの下で解明する。

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 黙って座ればぴたりと当てる……だったか当たるだったか、こういう占いのコピーがあったように覚えるが、このヒソミにならうと、本書を読めばオペラがわかる。しかも記述が平易で面白く読めて、読み終えた時にはオペラのすべてがわかっている。オペラへの案内書として最上のものの一つだろう。

 一部に熱狂的なファンを持つ反面、食わず嫌いを通り越して嫌悪感をさえあらわにする人が珍しくないのが、今もなおオペラへの一般的なリアクションだと言って間違いではない。なぜそうなのか。この謎を本書は見事に説き明かしてくれる。
 著者によれば、オペラとは絶対王制(バロック時代)が始まる十七世紀に、中央ヨーロッパのカトリック文化圏において、宮廷文化として誕生し、フランス革命以後は新しく台頭してきたブルジョア階級と結合し、十九世紀にその黄金時代を迎え、第一次世界大戦後の大衆社会の到来とともにその歴史的使命を終えたところの、音楽劇の一ジャンルである。
 書き上げると仰々しいが、こういうオペラのあり方をその誕生から終焉まで、豊富なエピソードでつづっていく筆致は明快で、一気に読ませる。ことに本書の特色である単なる作品史や観客史にはしないで、オペラを支えた場、オペラ劇場の雰囲気の歴史にしたいという著書の視点が新鮮でもあり問題提起にもなっていて、並の類書とは位相を異にする。が、このことが作品への言及をカットするということではなく、二者をうまく融合させているのが著者の手腕だ。たとえば「モーツァルトとオペラの『人間化』」と題された節。

 バロック時代の宮廷祝典行事だった舞踏会や祝宴や馬上試合などの一種のイベントの、その一つの催しとして生まれ、ギリシア神話と古代の英雄をモチーフとして、カストラート(変声期前に去勢された男性歌手)の超絶技巧をフル活動させるとともに、寓意的な国王賛美に終始していたオペラ・セリアは、アリア中心主義だった。のみならず、アリアで表現される感情と音楽表現もパターンが決まっていた。
 モーツァルトも十四歳の時に『ポント王ミトリダーテ』というオペラ・セリアを作曲したが、ここではパターン通りの設定にはじめて生きた人間の感情を通わせ、等身大の人間としての表現を与えることに成功している(著者による作品分析がある)。そしてモーツァルトをしてそうさせたのは、没落する貴族階級に代わってのブルジョア階級台頭の兆しであり、社会変動の予兆であった。事実、オペラはやがてモーツァルトによってはじめて、対話する人間の登場するオペラ・ブッファの時代を迎える。その時劇場を埋めたのは、貴族に憧れる成り金のブルジョアだった。貴族社会の残映と市民社会の熱気の中で、オペラはもっともオペラらしい衣裳をまとう。

 オペラの途方もない浪費性が、ハリウッド映画に流れたという興味深い指摘もある。そう言えば『風とともに去りぬ』のあの音楽は、どこやらオペラ風でもあったと思い当たる。本書はそういう幅をも持っている。 (bk1ブックナビゲーター:大笹吉雄/演劇評論家・大阪芸術大学教授 2001.08.15)

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紙の本さんずいづくし

2001/06/29 15:17

「さんずい」の付く動詞─一例に流れる─を約50取りあげ、それをネタに奇想を展開するエッセイ集。

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 別役実は劇作家であるとともにエッセイストとしても知られていて、わたしは戯曲同様に、この著者のエッセイも好きだ。わけても発想が飛んでいて、虚を突かれることが多い。戯曲と共通の持ち味である。

 わが国には古来、「物尽くし」という楽しみがある。その伝統を踏まえて別役にはすでに『虫づくし』『けものづくし』『病気づくし』『道具づくし』というエッセイの連作があるが、本書もそのシリーズの一環で、「さんずい」の付くほぼ五十の動詞にまつわるエッセイである。一端をしめせば「落ちる」「流れる」「溶ける」「消える」「泣く」「泳ぐ」「決める」「演ずる」「汚す」「潜る」「浴びる」「塗る」「減る」「滴る」「混じる」「漁る」「湧く」「渋る」などなど。

 発想が飛んでいるにもかかわらず書き方そのものは真面目だから、実はデタラメなその内容が、ほんとうのような印象を受ける。このことから子供の教育に悪いと母親から「抗議」を受けたことがあるという。「あとがき」で著者は年齢のせいでこの傾向が減じたと言うが、なかなかどうして、わたしは大いに楽しませてもらった。たとえばインターネットというこのメディアにも関係のある「染みる」という項。

 著者はかつて「しみる」というのは、入ってきてはいけないものが、「しみこむ」もしくは「しみいる」場合に使ったのだろうと考える。だから今回、略称を犯調審という「犯罪用語調整審議会」がコンピューターに侵入していたずらをする「ハッカー」を「染みこみ屋」と呼ぶことを提唱したのは理にかなっているのみならず、外来語がカッコよく聞こえるというわが国の文化状況に照らしてみれば、ほとんど「尊敬」されているかのごとくに響く「ハッカー」よりも、「染みこみ屋」の方がいかにも生活にくたびれた犯罪者というニュアンスまでをも漂わせていい。ただ犯調審の提唱にもかかわらずこの名称が世に流布していないのは、コンピューター業界が「染みこみ屋」ではまるでコンピューターそのものが防水処理をし損なった壁紙のように思えるというので「待った」をかけているのである……という風なのだ。

 またたとえば「清める」。葬式に行くと帰りに清めの塩を渡される。それを清めとして体に振りかける仕方に二種類ある。一つは死は一種の穢れだから払うと考える立場で、もう一つは斎場には悪霊が満ちてて時に人について来るから、それを払うという立場である。前者の場合は玄関のドアをあけて体の前方から塩をかけ、後者の立場に立つ人はドアを閉めた後に体の後方から塩をかけるべきだと考える。というのは……。

 「さんずい」の付く動詞をネタに、よくもこれほどいろいろなことが、と感心させられる遊び心にあふれたエッセイ集で、読後、何ということなく楽しくなる。一種の現代の奇書である。 (bk1ブックナビゲーター:大笹吉雄/演劇評論家・大阪芸術大学教授 2001.06.30)

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紙の本漫才作者秋田実

2001/06/05 18:17

萬才ないしは万才から漫才へと表記が変わるとともに芸も変化した。その変革をになった台本作者の生活を追う

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 一九八六年に刊行され、その後絶版になっていた本書が、平凡社ライブラリーの一冊として復刊された。今回はじめて読んだが、復刊されただけのことはあると納得した。
 秋田實という漫才作者の評伝である。といっても、今の若い人たちはその名を聞いたこともないかも知れない。それどころか、漫才に作者がいることさえわからなくなっているのではあるまいか。
 秋田實が登場するまで、漫才に作者はいなかった。本書はその事情にスポットを当てたものでもあるが、一九七七年の秋田の他界後、秋田に匹敵する漫才作者は出ていないと言っていいだろう。つまり、秋田は漫才の世界で空前絶後の存在であり、秋田の死とともに漫才作者という職業も、あたかもなくなったかのごとくに影が薄れて現在にいたる。別に言えば、それだけ秋田實の存在が大きかったということになる。

 わたしはテレビが普及する以前の関西で育ったので、少年のころにラジオで始終、秋田實の名を聞いていた。秋田が関係した『漫才学校』や『夫婦善哉』などといった放送が人気番組で、家族そろって耳を傾けていたからである。ことにミヤコ蝶々と南都雄二が司会していた後者の印象が強い。
 実はこういう環境を整えたのが秋田で、秋田が漫才の台本を書きはじめるまで、漫才を家族で見たり聞いたりするのは、ちょっとはばかられることだった。いわゆる下ネタが多く、寄席はあまり品のよくない男天下だったのだ。そういう日陰の芸能を、日向に引っ張り出したのが秋田である。家族の団欒に漫才を聞くのは、大雑把に言えば戦後になってからに過ぎない。

 本書ではじめて知ったのだが、旧制大阪高校(現大阪大学)から東京帝大へと進んだ若き日の秋田は社会主義思想に共鳴し、実際活動に深くかかわっていたという。秋田が漫才の世界に近づくのは一九三一年に横山エンタツと出会ったことだが、やがて吉本興業に入社して漫才界に身を浸すのは、一種の「転向」だろうと著者は言う。ただし、秋田流の「ヴ・ナロード」であり、「大阪」の「発見」だったとも著者は言う。
 このころ、というのは一九三四年当時だが、漫才は「萬才」や「万才」という祝福芸の名残をとどめる表記から、「漫才」と書かれるようになったばかりで、秋田はこの動きに拍車をかける。漫才の革新であり、近代化である。同時に、大衆と直接出会った喜びが、秋田の漫才への情熱をかき立てた。インテリの漫才作者などいないころで、たちまち秋田は漫才界の中心に位置し、健康で、無邪気な笑いづくりに精を出す。その秋田の勉強ぶりを本書は丁寧に追っていくので、おのずと「漫才論」の側面をも持つ。これは現在のテレビのバラエティー・ショーを考える上でも無縁ではない。

 ともあれ、漫才好きを自認する大阪人の著者の、秋田實という人間への愛情がにじみ出ていて、それがさわやかな読後感をもたらしてくれる。 (bk1ブックナビゲーター:大笹吉雄/演劇評論家・大阪芸術大学教授 2001.06.04)

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紙の本浅草フランス座の時間

2001/03/15 18:15

昭和三十年代前半の渥美清や井上ひさしらが活躍していた浅草とストリップ劇場の興味深いエピソード集

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 珍しい本だと言っていい。「踊り子」をテーマにしている。「踊り子」という言い方が今やほとんど消えたに等しく、だからそれをテーマにしているということは、ただ今現在のことがらが対象ではないという意味でもある。タイトルはこのことを表している。

 連名の編著者は、こまつ座という演劇制作体の座付き作者が井上ひさしだという関係で、この二者が本書を編んだのは、劇作家としての井上ひさしの修業の場が、浅草フランス座というストリップ劇場だったからである。ただし、「ストリップ劇場」にも今や注釈が必要だろう。女性のヌード・ショーを売り物にし、かたわら軽演劇風のコントをも上演していた娯楽を至上とする小劇場のことで、コントには男優も出演した。井上ひさしはその台本の作者だった。劇作家としての修業というのはその意味である。

 時代的には昭和三十年代前半の、浅草フランス座を中心とするあれこれが集められている。浅草が東京の娯楽街として輝いていた最後のころで、井上ひさしが「喜劇の学校」と名づける浅草フランス座のエピソード、井上ひさしと同時期にこの劇場のコントで活躍していた渥美清と井上との対談、舞台写真集や浅草出身のエノケンこと榎本健一をはじめとするコメディアン名鑑、今でも十分な官能美を感じさせるストリッパーの写真集、浅草の芸能年表、戦後のストリップ・ショーのさきがけになった新宿の帝都座での額縁ショーの秘話(文・渡辺昭夫)、ストリッパーへのオマージュ(談・石崎勝久)、高木徳子、水の江滝子、ジプシー・ローズの「三人のダンサーによる踊り子物語」(文・大笹吉雄)、そして初公開の井上ひさしが書き、渥美清や長門勇が演じた浅草フランス座の台本『看護婦の部屋』……。
 通読すると、浅草フランス座にいかに豊かな時間がながれていたか、改めて驚く。もう二度と身を浸すことの出来ない時間である。

 ことに興味深いのは『看護婦の部屋』で、井上ひさしの作劇術がどう芽吹いていったか、これを読むとよくわかる。長門勇の演じたバレエ・ダンサーの患者が、バレエで愛情表現をするという思うだに吹き出したくなるシーンもある。渥美清は渥美清で、上演時間が一時間ほどのコントを、エノケン、ロッパ、大河内伝次郎らの物まねでつないで見せたことがあるという。浅草フランス座はこういうコメディアンを生む土壌でもあったが、大衆芸能史の欠落部分を埋める「資料」としても、本書の価値は高い。 (bk1ブックナビゲーター:大笹吉雄/演劇評論家・大阪芸術大学教授 2001.03.16)

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紙の本シェイクスピアを盗め!

2001/02/08 18:15

シェイクスピアの活躍する17世紀はじめのロンドンを背景に、孤児のウィッジの奇想天外な生を描く青春小説

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 読後感の非常にさわやかな青春冒険小説である。わが国の最近の小説について語る資格を持たないが、テンポがよくてさらっとしていて、どぎつい描写がなくてユーモアがあって、生き生きしていて活力をくれる……というような、いい意味で楽天的な本作のごとき小説は、あまりないのではなかろうか。ふとサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を連想させる。そういえば、この作者もアメリカ人だ。
 加えて、演劇にも関心のある人にとってはもう一つの楽しみがある。十七世紀初頭のロンドンを舞台にする本作は、主人公のウィッジという少年が俳優になるので、シェイクスピアの活躍していた当時の演劇界の裏側を、ウィッジとともに垣間見ることが出来るのである。そのシェイクスピアも登場する。

 孤児のウィッジは牧師のブライト博士に引き取られ、そこで速記術を教え込まれる。博士は速記術の開発者で、いい説教を集めて本にするとの名目で、ウィッジを近くの教区へ行かせ、ほかの牧師の説教を速記させる。
 速記に上達したころ、ウィッジは、新しい主人サイモン・バスに買われる。バスは事業の一つとして芝居の一座を経営している。が、すぐれた座付き作者がいないので観客が少ない。そこで客を増やす手段に、ヒットしている舞台の戯曲を盗むことを思いつく。といっても、一冊しかない台本はどの一座も厳重に管理していて、盗み出すのは容易ではない。そこでウィッジを観客として劇場に行かせてその場でせりふを速記させ、それを台本に起こして上演しようというわけである。
 折からグローブ座では、シェイクスピアを擁する宮内大臣一座が『ハムレット』を上演していて、評判が高い。バスは早速ウィッジを芝居見物に行かせる。むろん、『ハムレット』のせりふを盗ませるためだ。ウィッジは必死で速記するが、次第に舞台に引き込まれていく。そのせいもあってせりふを完全には盗めず、穴を埋めるために別の日にもう一度劇場へ行く。が、ウィッジのちょっとしたいたずらがきっかけで劇場が火事になり、ウィッジはつかまる。その言い逃れに役者志望だと告げたことから、せりふを盗みに来た一座の一員に迎えられる。バスはウィッジをどうするか。

 当時は女優がいなかったので、ウィッジは女役を演じる少年俳優として舞台に立つが、その楽屋裏や街の様子が活写されていて、さながら十七世紀にタイムスリップした気にさせられる。同時に、孤児として育ったウィッジが人間的に成長していく物語でもあり、グローブすなわち地球という名の劇場で、一座という家族を得る話でもある。
 どの世代も楽しめるが、わけても十代から二十代の、若い人たちに勧めたい。訳文もとても読みやすい。 (bk1ブックナビゲーター:大笹吉雄/演劇評論家・大阪芸術大学教授 2001.02.09)

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