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  3. 高橋洋一さんのレビュー一覧

レビューアーランキング
先月(2017年8月)

高橋洋一さんのレビュー一覧

投稿者:高橋洋一

105 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本オペラ楽園紀行

2001/08/24 22:15

ヨーロッパ19世紀に花開いたオペラ作品を検証し、その成立の背景に楽園への強い憧れがあったことを示す

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 オペラという総合芸術は、今やわが国でも広範に親しまれていると思われる。オペラ人気の根底をなしている要素とは一体何か。素晴らしい音楽、優れた歌い手が発する美しい声の響き、華麗な舞台などは、オペラには欠かせない魅力であり、その空間に入り込んだ人々は、しばし日常生活から隔絶された夢のような世界を堪能できる。

 小宮正安著『オペラ 楽園紀行』は、「オペラの時代」とも呼ばれたヨーロッパ19世紀に花開いたオペラ作品を検証しつつ、当時多くのオペラ作品が生まれた背景に「楽園」に寄せる熱烈な夢想や憧れが存在したと説く。
 ヨーロッパが群雄割拠の時代を迎えていた中世末期からルネッサンスにかけて、各国の君主たちは、支配の正当性を明らかにするため、自分こそギリシア文化の後継者だと主張した。このギリシア文化の根源をなすのが「アルカディア」と呼ばれる至福の楽園なのである。支配者たちは、ギリシャ風の庭園を作り、その中に野外舞台を設け、そこでギリシア神話を題材とした音楽劇が上演され、ルネッサンス末期になって、現在のオペラの原型が生まれた。だからこそ、オペラの根源には常に「楽園」のイメージが潜んでいる。

 こうしてオペラがイタリアの片隅に生まれると17世紀にかけてヨーロッパ中の君主に受容され、いわゆる「宮廷オペラ」が18世紀末まで花開く。ヨーロッパでは19世紀にかけてフランス大革命をはじめ、絶対主義は市民革命によって打倒され、オペラ劇場の実権は、王に代わって、劇場支配人へと移り、市民の応援を得て劇場を切り盛りし始めた。
 オペラの楽しさを知った市民たちは、オペラに脈打つ「楽園」の伝統を受け継ぎ、「至福なる空間」というイメージで拡大し、多様な「楽園」を享受していくのである。

 著者は、このような基本的視点から、19世紀オペラの傑作「カルメン」「椿姫」「タンホイザー」「ヴォツェック」など7作に「楽園」のイメージを探っていく。
 ビゼー作曲のオペラ「カルメン」は、カルメンが発散する「危険で自由な生命力」が非難を巻き起こした一方で、多くの市民を魅了したが、上演は失敗に終わった。ビゼーの死後、友人のギローによって、親しみやすい作品に作りかえられた。カルメンの野生的魅力は巧みに抑制され、「情熱の恋」へと修正され、観客にとって快適な、恋のスリルを楽しめる「楽園」へと変貌したのである。

 ヴェルディ作曲のオペラ「椿姫」で、ヒロインのヴィオレッタの悲嘆にもかかわらず、恋人アルフレードは結局、父とともに彼の「楽園」である故郷の南仏プロヴァンスに帰ってしまう。ヴィオレッタにとっての安らぎの地「楽園」は、あの世にしか存在しなかった。だから観客は、現世の「楽園」から排斥されるべき、犠牲者ヴィオレッタを聖女として崇め、本物の「楽園」に行き着くことが出来た彼女は、憧れの対象となったのである。

 作品が生まれた背景や時代に旅して、オペラの魅力を再発見する楽しい試みの書だ。 (bk1ブックナビゲーター:高橋洋一/評論家 2001.08.25)

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特捜検察の闇

2001/07/24 18:15

リクルート事件など特捜部の歴史には輝かしいものがあったが、ここ数年の検察の変貌を著者は危ぐする。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 リクルート事件などを通信社社会部の司法担当記者として取材した著者は、九六年に退社後、『特捜検察』(岩波新書)などを著し、フリーランサーとしての活動を続けている。

 五年前に書かれた『特捜検察』では、「特捜検事たちの活躍を抜きに、九三年の自民党の一党支配の崩壊やその後の政治改革の動きは考えられない」と、特捜を礼賛し、検察絶対主義への傾斜を示した。しかし本書では、「自分が知らず知らずの間に検察=正義という幼稚で危険な発想をしていたことに気づかされた」と素直に反省している。この事情については、「前者で示した検察像を、自らの取材体験をもとに止揚し」と説明する。

 東京地検特捜部は、稚拙なマスコミにしばしば「日本最強の捜査機関」などと持ち上げられる。だが特捜部も行政機関である検察庁の一部にすぎない。もとより「正義の権化」などではない。行政権に属する検察権の行使については、国家行政組織法上、内閣が国会に対し責任を負うことから、法務大臣の指揮監督の下にある。そうした限界を持ちながらも、敗戦直後の昭電事件や造船疑獄、元首相を逮捕・起訴したロッキード事件、リクルート事件、ゼネコン汚職の摘発など、特捜部の歴史には確かに輝かしいものがあった。

 著者は、司法、検察がここ数年で変貌したと危ぐする。「住専問題が起きた九〇年代後半から、日本経済の先行きに対する危機感を背景に弁護士も裁判官も検事も『国策の遂行』という一つの目標に向かって歩き出すようになった」と述べ、「司法界の翼賛体制」を厳しく批判する。

 その実例として田中森一、安田好弘両弁護士のケースを取り上げている。元特捜検事の田中は、巨額手形詐欺の石橋産業事件で許永中の共犯として逮捕・起訴された。オウム真理教教祖の主任弁護人を務め、死刑廃止運動のリーダーでもあった安田は、強制執行妨害で逮捕・起訴された。事件を詳細に分析した結果、これまで特捜を高く評価してきた著者は「検察の正義」に重大な疑問を抱く。金融政策の失敗を糊塗(こと)するための国策捜査であり、「国民の前に“生け贄のヒツジ”を差し出して金融政策の失敗に対する怒りや不満をそらすもの」と非難する。そしてこうした捜査は、新たな冤罪の温床となり、検事のモラルも崩壊させると警告する。

 政府の司法制度改革審議会がこの六月、意見書を首相に提出した。「審議会路線の根底にあるのは、規制緩和がもたらす『弱肉強食』の社会に適応する司法制度を整備しようとする発想」と批判し、必要なのは「基本的人権と自由を徹底的に擁護する司法である」と正論を説いている。 (bk1ブックナビゲーター:高橋洋一/評論家 2001.07.25)

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かつて憧れの的であった団地族は昭和30年代の生活を革新した。彼らの暮らしを現代に引きつけて検証している

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 戦後の住宅不足を解消するため、昭和30年(1955年)以降、わが国の各地に建てられた鉄筋コンクリート構造の集合住宅である団地は、当時の人々の憧れの住宅でもあった。団地建設推進の中心となっていたのは、昭和30年に設立された日本住宅公団(現・都市基盤整備公団)であり、そのほか公営住宅、社宅団地などを含めると「団地」居住者は100万人にも達した。これらの人々は、羨望を込めて「団地族」と呼ばれた。

 青木俊也著『再現・昭和30年代 団地2DKの暮らし』は、こうした当時の団地居住者たちの生活を千葉県松戸市に建設された「常磐平団地」をモデルとして構成されている。これら団地族は、耐久消費財購入に積極的であり、パン食、椅子のある生活など洋風の生活をいち早く取り入れたことも大きな特徴をなしている。昭和30年代における生活革新の先駆けを実現した彼らの暮らしの様式を、本書では現代に引きつけて検証している。

 昭和35年この団地に入居し、7年間で6700カットにもなる家族写真を撮影し続けた小櫃亮さんが提供した写真が当時の憧れであった「2DK生活」を雄弁に再現している。今でこそマンションや一戸建てで3LDKぐらいの広さはほとんど一般的になっていると言えるであろうが、当時二部屋の和室(寝室)とダイニングキッチンという間取りを示す「2DK」という言葉は、食事室と寝室を別にする「食寝分離」、夫婦と子供の寝室を別にする「分離就寝」が実現されることを意味していた。

 松戸市立博物館では、常磐平団地の2DKの生活を展示室復元している。そこには、テレビをはじめとする電化製品、家具、衣類、食器などのパッケージまで含めて、昭和37年当時の団地生活が再現されている。

 今から見ると、思わず吹き出してしまうような表現が、当時の「常磐平団地入居の栞」にある。「洋式便器は、便器に背を向けてお座り下さい。便座(蓋のようなかんじの額縁式のもの)は、大変壊れやすく、勢いよく降ろしますと、ヒビが入り、約三〇〇〇円の損失となりますので、取り扱いには充分御配慮下さい・・・。」

 当時の2DK生活というものは詰まるところ、アメリカのホームドラマの生活のように明るく豊かで、便利なものであったのだ。

 小櫃さんの写真からうかがえるものに、とりわけ食生活の変化がある。その代表格が私たちの生活に入り込んでいるインスタント食品だ。昭和33年には初めて即席ラーメンが発売された。電化製品と同じく大量生産という点で、今日の大量生産のシンボルでもある携帯電話をはじめとするITのツールとの類縁性を感じさせる。団地の2DK生活とは、現代の大量消費を予告する生活様式であった。本書からはそうした推論が可能であろう。 (bk1ブックナビゲーター:高橋洋一/評論家 2001.07.20)

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紙の本歌舞伎手帖 新版

2001/04/05 18:15

歌舞伎に対して食わず嫌いの人でも、分かり易く、親しみ易く、一種の入門書としても興味深く読める

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 阿国(おくに)歌舞伎に起源を発し、江戸時代に盛んとなり、独自の発達を遂げたわが国固有の総合舞台芸術、歌舞伎は21世紀に入って古典としての輝きを一層増すものと思われる。これもやはり長い伝統を持つ能などに比べると大衆的な芸術ではあるが、欧米の伝統的舞台芸術オペラと少し似たところがあって、ある種のとっつきにくさが否めない面もある。「浮世柄比翼稲妻」や「三世相錦繍文章」といった題名からしてそういった印象を与える場合が多いのかも知れない。

 歌舞伎に対して食わず嫌いの人でも、分かり易く、親しみ易い一種の入門書として興味深く読めるのが演劇評論家・渡辺保(たもつ)著『新版 歌舞伎手帖』である。初版以来18年を経て、当初の版元が倒産したのを機に、講談社からの新版として刊行された。

 冒頭の「凡例」によると、収録の310作品は、今日歌舞伎として上演される演目のうち、比較的上演頻度の高いものから選んだという。殆ど上演されなくても、作品として面白く、上演されることが望ましいものは極力加えることにしたとしている。
 表題は一番馴染みのある通称を首題として、次に正式の題名にあたる本外題(ほんげだい)、別名題、その幕ごとの別称を記したとしている。またひとつの方針として、歌舞伎は本来役者の芸が中心のものだが、現在では戯曲そのものの分析も問題になっているところから、物語を出来るだけ詳細に記したということで、そのため、初心者等にも分かり易くなっている。親切な配慮と言えよう。

 早速、「油地獄」を引くと、あぶらのじごく=女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)とあり、大坂天満の油屋河内屋の次男与兵衛が遊女小菊にうつつを抜かし、遊ぶ金欲しさから親しい人妻お吉に借金を断られた末、お吉を殺して金を奪い、小菊と遊びにふけるが逮捕されるという物語である。「みどころ」で、殆ど現代劇といえる生彩を持つと評価され、「成立」を見ると、歌舞伎では江戸時代を通じてほとんど上演されず、明治になって松竹の白井松次郎が二代目実川延若に勧めて復活させたのが今日の上演の起源、とある。あの有名な近松門左衛門作の世話浄瑠璃なのにこれは意外な発見であった。
 「一本刀土俵入」は、酌婦お蔦に恩を受けた下級力士が、十年後立派なやくざになって偶然にもお蔦とその家族を助けるという物語だが、「成立」を見ると、初演の六代目菊五郎は、自分で戯曲を読み、反対を押し切って上演し、当たり芸とした。これも興味深い発見。また「鰯売恋曳網」は三島由紀夫作。今では殆ど上演されない元禄歌舞伎の戯曲の様式を現代に再生させることに成功した、とある。

 頁を繰っていくと歌舞伎を観るのが楽しくなりそうな事典である。 (bk1ブックナビゲーター:高橋洋一/評論家 2001.04.06)

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ヨーロッパ・ロシアのロマン主義の系譜の多彩な作家らが次から次に登場するさまは誠に壮観というべきである

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 前世紀末のデカダンス芸術についてのパノラマ的名著といえば、フランスの世紀末芸術研究家・画家のフィリップ・ジュリアンによる『耽美家の魔術師』(邦訳『世紀末の夢──象徴派芸術』)が挙げられよう。その一方で、19世紀のイタリア、フランス、イギリス、ロシア、ベルギーに至る広範囲の多彩な文学、絵画作品を渉猟して「18世紀のプレ・ロマンティスムから、19世紀末および今世紀初頭のデカダンスの文学にいたるヨーロッパ文学における〈黒いエロス〉」(あとがき)を追求した本書『肉体と死と悪魔 ロマンティック・アゴニー』は、こうしたテーマを扱ったものとしては、ジュリアンの魅力的な労作を豊かに補う、まさに決定版ともいえる内容を備えている。

 著者のマリオ・プラーツ(1896−1982)によると、前世紀末のデカダンティスムは、ロマン派文学の発展に過ぎないとして、「主としてロマン派文学を、その最も顕著な特徴のひとつであるエロティスムの感性という面から検討しようと」したのが本書に他ならない。イタリアのローマ生まれ、ボローニャ大学で法学を学ぶかたわら、イギリスの悪魔主義の詩人と言われたバイロンに熱中して文学を志し、官能的で享楽的な唯美思想の詩人・作家ダヌンツィオを博士論文にしたプラーツらしい考え方だが、それはすでに現代における世界の文学思潮の捉え方を先取りするものであったと言える。見る者を石と化す魔女メドゥーサを歌ったイギリスのロマン派詩人シェリーの詩に、新しい美の感覚、新しい戦慄を見いだし、「この恐ろしくも魅力あふれるメドゥーサが、19世紀全体を通じてロマン派、デカダン派の陰鬱な愛の対象となっていく」と断じ、「ミルトンサタンの遙かな末裔」である「反逆者」を造形したバイロンや、彼に深い影響を与えたフランスのロマン主義の開祖シャトーブリアン、吸血鬼伝説などを論じ、現代人に最も偉大な影響を与えた作家としてバイロンとサドを挙げるフランスの文芸批評家サント・ブーブの論考を紹介し、サドの小説とその哲学を論ずる。

 プラーツはさらに、イギリスのボードレールとも言われた詩人・批評家スウィンバーンの、ラファエル前派から深い影響を受けた「つれなき美女」という女性像のデカダンス文学での蔓延ぶりを検証し、ワイルドのサロメ、黒魔術の大家ペラダン、ボードレールが「堕天使たちの訪れる血の池」と絶賛した画家ドラクロアを崇拝したモーリス・バレスらの死と悦楽、苦悩と愛がたちこめた世界に分け入り、「男色の殉教者」ジイド、悪魔主義のベルギーの画家ロップスの重要さを確認する。とてつもない博覧強記ぶりで、ヨーロッパ、ロシアのロマン主義の系譜にある有名、無名の無数の作家・画家らがプラーツの論旨展開にともなって次から次に登場するさまは誠に壮観としかいいようがない。 (bk1ブックナビゲーター:高橋洋一/評論家 2000.10.20)

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紙の本こんなにも素敵なパリ

2001/09/28 03:15

日仏文化研究家としての著者が体験した20年間のパリ生活の生き生きとした記憶は、生きたアドバイス集である

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 永井荷風、岡本かの子、金子光晴、与謝野晶子、遠藤周作・・・。過去に、多くの文人たちがパリに暮らし、素晴らしいパリでの生活を書きとどめた作品を残している。彼らの時代、パリへ行くには南回りの遠洋航路でマルセイユ港に上陸し、鉄道にリヨンを経由してパリに入った。現在、パリへは11時間半で直行でき、比較にならないほどパリ行きは便利になった。

 『こんなにも素敵なパリ』の著者で、現在、日仏文化研究家としても活躍している吉村葉子さんが、パリでの生活をスタートさせたのは、今から20年前、20代の後半のことだが、当時は、アンカレッジ経由で24時間かかってのパリ行きが普通であった。今、吉村さんは、20年間にわたるパリ生活にひとまず区切りをつけ、これからは、東京での生活を満喫しようと意気込んでいる。
 パリから東京に生活と仕事の場を移して2年が過ぎたが、その間にも7回もパリに仕事で出かけた。だが、いったん東京に戻ってから訪れたフランスはすでに、住んでいた時のフランスとは異なる表情を見せたと吉村さんは言う。
 本書は、そうした吉村さんが親しみ、体験したパリでの20年間の数限りない出来事の“記憶”が、生き生きと綴られ、これからパリに行きたい、行って生活してみたいと考えている人たちにとっては格好の“生きたアドバイス集”となるであろう。
 フランス人(とりわけパリの人々)の生活に入り込んだ一日本人、女性、母親、仕事人としての立場から、率直に親しみを込め、フランス文化への共感も交え、パリと、その街に生きるフランスの人々をしなやかな視線で捉え、見事な“パリ文化論”としている。

 パリで最初に住んだアパルトマンは、エレベーターなしの5階。そこでの生活で実感したのが、いかにも軽い足取りで階段を上がってくるフランス人と、途中でスローダウンする日本人との体力差。それは、初めての出産で入院した病院での体験でも追認させられた。楽に娘さんを出産した後、食事に出てきた「草履のように大きなステーキと、半切りのグレープフルーツ」に唖然とし、産んだばかりの赤ちゃんを片手に抱き、ボストンバッグを持って、ハイヒールでつかつかと病院の廊下を闊歩してきた19歳の「旺盛な、美しいパリジェンヌの体力」にも驚かされる。

 老舗宝石店Cの職人だったときに、アトリエ主任だった既婚のステファンと、14年間も息がつまるような真剣な不倫をして、ようやく彼の妻から別れるOKを貰った友人ナタリー。二人は、南仏ヴィオット村の素晴らしい景観の鷹の巣村に移住して新生活に入る。
 専門バカには見向きもせず、博識なジェネラリストを評価するなど、伝統ある文化に裏打ちされたフランスのさまざまな面が、具体例と共に紹介される。 (bk1ブックナビゲーター:高橋洋一/評論家 2001.09.28)

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サーカスの非日常の恐怖をスリリングに描いた、サーカスをめぐる物語で吸血鬼とからめた筋立てがユニーク

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 少年、少女時代に家族や兄弟、友人たちと見に行ったサーカスの記憶は、多くの人々にとって独特のものであろう。さまざまな曲芸、猛獣たちに芸をさせる女調教師、人々の失笑を同情を買う道化たちの仕草…。一見楽しいその空間に繰り広げられるのは、非日常的な驚異の世界で、観客たちはショーを見ながら、漠とした不安も感じる。それは、例えば、サーカスが終わった後で、自分だけがその場に取り残され、再び家族や友人たちのところに戻れなくなるのではないかといった理由のない恐怖に近いものかもしれない。
 サーカスには、目に見えない「人さらい」が隠れていて、目をつけた少年少女を拐かして曲芸師に仕込んでしまうといった物語は色々あるが、それが物語の世界だけでなく現実に起こりそうな雰囲気がサーカスにはある。
 ダレン・シャン作『奇怪なサーカス』は、こうした非日常の恐怖じみた雰囲気をスリリングに描き出した、サーカスをめぐるミステリアスな物語で、吸血鬼とからめた筋立てがユニークである。

 主人公のダレン少年は、学友から巡業サーカスのビラを見せてもらい、強い興味を持つ。その「シルク・ド・フリーク(異形たちのサーカス)」のチラシによると、演目は、蛇少年スネークボーイ、狼人間ウルフマン、歯女ガーサ・ティース、ラーテン・クレプスリーと曲芸グモのマダム・オクタなどで、ダレン少年は、どうしても見たくなる。
 先生と親の目を盗んでチケットも手に入れ、首尾よく土曜日の夜、親友のスティーブと見に行く。会場は、昔映画が上映されていた古い劇場だった。その不気味な劇場に入ると、シルク・ド・フリークのオーナーであるミスター・トールことラーテン・クレプスリーが会場まで案内してくれた。

 檻を揺すってうなり声をあげる狼人間、ガリガリに痩せた肋骨男アレクサンダー・リブスなどが次々に登場するが、ダレン少年が最も心惹かれたのは、クレプスリーと共に登場した、見たこともないほど大きな毒グモのマダム・オクタだった。籠が開けられ出てきた大グモは、胴体は緑と紫と赤が入り乱れ、長い足は毛むくじゃらで迫力がある。それが、クレプスリーの言うままに腕をするするとはい上がり芸をする。ダレンは「まちがいなく、世界一の素晴らしいペットだ」と思う。

 このあたりから物語は急展開する。スティーブは、ダレンに見られているのに気付かず、吸血鬼であるクレプスリーに、自分も吸血鬼になりたいと言って拒まれる。ダレンは、マダム・オクタをクレプスリーから盗み、スティーブは遊びに来てダレンの飼っているマダム・オクタに咬まれて毒が廻り、親友スティーブの命を救うためにクレプスリーの言うことを聞いて“半”吸血鬼になり吸血鬼の手下となって、闇の世界へと動き出す。 (bk1ブックナビゲーター:高橋洋一/評論家 2001.09.21)

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紙の本狂雲集

2001/05/16 15:17

戦乱で混沌とした室町の世相を反映しているだけに、全体を貫く諧謔と風刺の精神が痛快で、今も新鮮だ

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 一休宗純(1394−1481)は、一般に一休という愛称で親しまれている室町中期の臨済宗の僧で、狂雲という号を持ち、詩と狂歌に優れ、書画をよくたしなんだ。諸国を渡り歩く漂泊の人でもあり、さまざまな奇行で有名だが、終生世俗的なるものへの反逆の心を持ちつづけた求道的な自由人であり、その本質は詩集「狂雲集」に凝縮されているといってよいであろう。

 その一休の「狂雲集」が、中公クラシックスの一冊として柳田聖山訳で刊行された。本書の底本は、寛永19年(1642年)に西村又衛門が開版した「狂雲集」上下2巻である。一休は、後小松天皇を父として生まれたともいわれ、6歳で京都安国寺に入り、天衣無縫な「風狂」の生活の中で、貧富や身分にとらわれない禅本来の精神を在野から主張し続けた。「狂雲集」は、戦乱で混沌とした室町の当時の世相を反映しているだけに、集全体を貫く諧謔と風刺の精神が、ひとつひとつの作品から滲み出ていて痛快であり、時折もれでるペーソスの悲哀も親しみを感じさせる。さまざまな面で混迷が著しい今日の世相の中で、読んでみると、その魅力は一層増大すると思われる。

 昨日は俗人、今日は僧、生涯、胡乱(うろん)、是れわが能。
 黄衣(こうえ)の下に、名利多し、我は要す、児孫の大灯を滅せんことを。
  折にふれて。

これは、上巻81番の「偶作」と題された作品で、その訳は次のようだ。
 昨日は俗人だったのが、今は出家面している、そんなけったいな暮らし方が、ボクのとりえである。/黄色い僧衣を身につけて、中身は名利の思いで固めている人ばかりの今、ボクは出家の弟子たちに、大灯国師の法灯をぶっつぶすことを求める。
 こうした作品の中に、一休の世俗にとらわれない自由な精神の在り方が窺われるし、実際、世俗的な出世欲、物欲などにとらわれた人物、僧侶などへの一休の言葉は激しい。

 また「狂雲集」を貫く美意識の中に「風狂」「風雅」「風流」、それに「数寄」の要素が根強いのも重要なことである。「数寄」の美意識は、「侘び」と結合し、利休茶道の哲学を生むことになる。ちなみに、数寄屋とは、茶席、勝手、水屋などが一棟に備わっている、茶の湯を行う建物、つまり茶室を指すのである。
 訳者によると、「狂雲集」の用字例は、1字平均15回の頻度となるのに、風字が四百十数回、とりわけ風狂の例が150回で、風流、風雅など他の術語例を引き離しているという。こうしたところにも、「風狂」の人であった一休の面目が躍如となっていることは興味深い事実である。 (bk1ブックナビゲーター:高橋洋一/評論家 2001.05.17)

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紙の本三島由紀夫の家 普及版

2001/03/06 18:17

激しい生を生きた芸術家の「記憶」の刻印を静かにくっきりと浮かび上がらせる「家」の表情に惹き付けられる

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 家とは不思議なもので、住む主がいなくなると、急速に廃れていくと言われる。人が住んでいる方が、家は生き生きとしているものなのだそうだ。家は、そこに住んでいる人と「記憶」を共有する、不可思議な、一種の「生命体」なのかもしれない。とりわけ、その家の主が、常人を遥かに凌ぐ、激しい「生」を生きた人物であった場合、家にはおびただしい「記憶」の集積があり、しかもその「記憶」は根強く生き残っているはずである。

 篠山紀信写真集『三島由紀夫の家 普及版』は、そうした「記憶」の刻印をまざまざと印象づけられる「家」の多彩な表情の堆積からなっていて、見る者を惹きつけずには置かない、一種の、分析を超越した世界を開示している。

 この辺の事情に関連して、篠田達美氏は、「三島由紀夫の家」と題して寄せた一文の中で次のように書いている。「芸術家の家というものはなぜ人の関心をこれほど引きつけるのだろうか。まるでそこにあるものがすべて特別な意味を持っていて、創作の秘密や軌跡に関係づけられるような錯覚さえおぼえる。生活の場であった場所に、無意識や偶然の結果であった意外な品々を見出して、その芸術家の隠された一面を発見した気になり、好奇心が満足されるのがふつうである」。

 ところが三島由紀夫の家の場合、例えば作家の心臓部分にあたる書斎を見ると、設置当時こそ最新鋭のものであったらしいスチール製デスクと、これまた当時最新の機器だったという愛用の電話機が部屋の中心をなしていて、それぞれ誠に事務的な印象をもたらす。いかにも芸術の鬼才、三島由紀夫のイメージとは程遠いのに何か裏切られたような感じを持つ。しかも一方では、この書斎の扉の内側は全面鏡張りとなっていて、三島的世界と鏡との密接な関わりを考え合わせると、極めて矛盾した取り合わせと思わざるを得ない。さらに、この書斎には、自決の日に近づくに従って、自らの鍛え上げた肉体を誇示する小写真のパネル、ジェット機に搭乗した得意満面のポートレートのパネルなど、「書斎の人」から「行動の人」へと過激な往復運動を繰り返したこの希有な文士の生涯の軌跡が、驚くほどの静謐さの中に垣間みえるのである。

 応接間にしても猫脚のロココ風家具が目につく以外は、とりわけこれといった著しい特徴が見受けられない。雑然としてはいないし、単調にも過ぎない。極めて良く配慮された空間として構成されている印象であり、その中でよく見ると異彩を放っているのが、三島の世界における重要なテーマを象徴しているかのような「海景図」であろうか。
 門扉から大理石のアポロ像が立つ庭園、玄関から応接間、吹き抜け空間、暖炉、応接間、二階居間、書斎へと、見る人がそれぞれ独自の三島の「記憶」を辿ることが出来る。 (bk1ブックナビゲーター:高橋洋一/評論家 2001.03.07)

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紙の本生きる読書

2001/01/30 15:15

如何に人を生かし、生き生きとさせる心の糧となりうるかを実感させる、本への愛着溢れたエッセイ集

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 読書という行為は、ハイテクの発達で、とりわけ若い世代の活字離れが顕著であると言われる現代以後において、その重要性をますます失っていくのではないかとされているが、どうしてどうして、その魅力は色褪せず、こうした時代であるからこそ、その輝きを増すと思われる。

 群ようこ著『生きる読書』を読むと、如何に読書というものが人を生かし、生き生きとさせる契機をもたらす心の糧となりうるのかが実感される。群ようこが読む本は実に多岐にわたっている。本書では、一章が終わるごとに「この月買った本」というリストがあり、彼女が購入した本は、興味のある江戸物、小学生の頃から続けてきた編み物に関する指南書、化粧品、食、葛飾北斉伝、ラジオの基礎英語、暮らしの本、詩集、キモノの本、劇画についての読本など、およそさまざまなジャンルが混在するダイナミックな多彩さに溢れる顔ぶれとなっている。

 ユニークなダイエット本で最近人気の「ダダモ博士」の「血液型健康ダイエット」は買ったものの、ほとんど信用していなかったという。ところが、「読んでみたら、私が疑問に思っていたことが数々、氷解してきて、「ダダモは侮れないかも」と見方が変わってしまった」という。最近、ご飯がおいしく食べられないのは、自分の体が悪いせいだと悩んでいたのに立ち直れたのは、日本人でも食べたいときにご飯を食べ、食べたくないときには食べなくてもいいのだということをダダモ博士のおかげで再認識できたからである。

 彼女のように、とにかく本が好きで、欲しい、買いたいと思った本はすぐに入手しないと気が済まないタイプの人には、それだけ、自分の生活を生かす本にめぐり会えるチャンスが多いことも確かだが、とにかく出会った本を自分に引きつけて、心の栄養にしてしまうことが上手なのである。

 その一方では、「おばさんはかっこいい」をテーマにした若手女性デザイナーのファッションショーに親友の俳優もたい・まさこと共に出演したが、観客の服を見る鋭い視線を感じて、ショックを受け、読書による「頭の中の体験と、体で感じる体験とは、…やはり違う」ことを実感し、ショックの余韻でしばらく本が一冊も読めないという経験もした。江戸本からの影響で、念願の三味線を始め、口伝で芸を覚えた昔の日本人の五官の鋭さに改めて驚きもした。さらには、偶然見つけた夭折の詩人、廣津里香の「何をするにも美しくなくてはいけないという美意識」に引かれて、彼女の強烈な個性故の内面の地獄に思いを馳せる。めぐり会った本から、新たな世界を自分の内部に生み出していく群ようこの流儀は、いかにも自然体で、本への愛情に溢れていて好感が持てる。 (bk1ブックナビゲーター:高橋洋一/評論家 2001.02.01)

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詩人の鋭い感性を備えていた画家、竹久夢二がデザイナーとしての多面的才能を発揮した仕事ぶりを紹介

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 竹久夢二は、明治の前半に生まれ、いわゆる大正デモクラシーの時代に、その画業が一世を風靡し、昭和の初期に51歳という若さで逝った。その独特の美人画をはじめとした夢見るような雰囲気の絵画作品などで、今日でも多くの愛好家がいる。女性遍歴の多い生涯であったために、愛と哀しみの画家、愛と漂泊の詩人画家などといった夢二像が定着している感があるが、それは彼の一面に過ぎず、日本画、水彩画、油絵、パステル画、ペン画、版画など極めて幅広い画業において優れた作品を数多く残したほか、今日のイラストレーター、デザイナーの先駆けとも言える仕事ぶりを総体として見ると、そこには新たな「夢二」像が浮かび上がって来る。

 木暮亨著『夢二が好き 懐かしく新しいデザイン』は、根底には詩人のような鋭敏な感性を備えていた画家・竹久夢二が多面的な才能を発揮したテキスタイル、ブックデザイン、レタリング、ポスターデザイン、ファッションデザインなどの分野の、いかにも夢二らしい詩情と創意豊かな仕事ぶりを、多数の写真と、筆者の文章によって紹介している。そのノスタルジックでありながら、現代にも十分に通用する感覚の斬新さは夢二というアーチストの魅力を増幅している。

 木暮氏は、『夢二句集』『大正の音色 大正の灯 かぎりなき夢二の世界』などを著している夢二研究家で、竹久夢二伊香保記念館理事長兼館長を務めている。夢二の作品一万数千点が同館には所蔵されていて、木暮氏は、折りに触れて、これらの作品をもとに夢二の仕事を紹介してきた。

 夢二は、絵のほかに、独特のデザインセンスを生かして、千代紙、便箋、封筒、浴衣、手拭い、ポチ袋(祝儀袋)、巻紙、懸け紙を手掛け、印刷技術の向上に伴って、彼の描いた美人画や挿絵などは、雑誌、書籍、楽譜、絵葉書、ポスターなど、さまざまな種類の印刷物となって世の中に出、多くの人々の生活を飾り、潤した。

 また名曲「宵待草」の作詞などで有名なように、詩歌、童謡、俳句、随筆、小説などの才能は、画家の範疇をおおきく越えて展開した。

 テキスタイルひとつを取ってみても、その素晴らしさは、例えば浴衣の図案などにも窺える。扇散らしなどの縁起物、童話「さるかに合戦」を擬人化した柄や、洋風なバラの図案などモダンで意表を突くデザイン、藤や梅の花をあしらったものなど多彩であり、いずれも大胆でありながら、繊細な美しさを持つのが特徴だ。

 木暮氏は、こうした創作の総体を「夢二の仕事そのものが、スバリ生活と美術を結ぶもの」と評価している。彼という創造性豊かな存在を現代と架橋する卓見といえよう。 (bk1ブックナビゲーター:高橋洋一/評論家 2001.01.29)

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中近東など世界中の朝食を現地の人々との交流を通して味わった、臨場感にあふれた痛快なルポルタージュだ。

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 始めよければ全て良しなどという言い古された言葉のように、食事の中でも朝食は、一日の始まりを司る重要な要素を持っているのではないか。贅沢である必要はないが、さりとて、あまり貧弱な朝食では、その日一日の気分に差し支える。意気も上がらないというものである。こうしてみると、朝食というものは、世界のどんな民族にとっても、身近で大事な存在なのである。

 本書『世界朝食紀行』は、写真家・文筆家・料理研究家・画家として活躍中の西川治氏が、欧米や、メキシコ、オーストラリア、アジア、中近東など世界各国で味わった朝食あれこれを現地の人々との交流を通して綴った、臨場感にあふれたユニークで痛快な“食”をめぐるルポルタージュだ。モロッコの砂漠の民と生活を共にしたり、トルコのとてつもない規模のバザール(市場)に紛れ込みながら、その土地の人々が自然に食べている朝食の“現場”へと自身を融合させていく、その“食探検家”としての手際は誠に見事なものである。

 土地の人々が日常生活の必要なものを買いにきて、朝から賑わっているトルコのエジプシャン・バザールで西川氏がありついたのは、スライスしたタマネギとパセリが皿に添えられ、親指をやや太くしたような羊の肉を焼いたキヨフテと、ヨーグルトを水で薄めたようなアイラン、木炭で焼いたパンだ。

 耳慣れないコーランの響きで目が覚めたモロッコの朝は、ホテルの屋上で寒風に吹かれながらの酸味、甘味も強く濃厚な冷たいオレンジジュースに、ホプスと呼ばれる素朴なパンで始まり、スークと呼ばれる市場に出掛けて、蕎麦や茶のようにズーズーと啜り込むハリラという粥状の素朴な食べ物を味わった。

 カフェの本場オーストリアでは、リンゴ、干しブドウ、シナモン、レモンの皮などから作った長いケーキ、アプフェル・シュトルーデルをはじめとした魅力的なケーキ類とコーヒーを洗練された雰囲気のカフェで朝食代わりにいただく。

 メキシコのオアハカの常設市場では、焼き立てのタコスの一種、トルティーヤを齧り、内臓や肉片に熱湯を注いだスープを飲む朝食が圧巻だった。

 そのほか、フィジー島では、ココナッツ・ミルクで煮たダロ芋の葉の煮物に浸して食べるダロ芋、ベトナムでは、米の粉で作られた麺フォーを茹で、もやしや鶏の肉などで作ったスープに入れて食べるフォー・ガーなど、西川氏の朝食探求の旅は、いかにも自然体であり、その姿勢から生まれる食のルポルタージュは、行間から、スープや、焼き立てのパンの香ばしい匂いが立ちのぼってくるような親近感が漂う。 (bk1ブックナビゲーター:高橋洋一/評論家 2001.01.07)

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華麗な色使い、大胆な構図などで独特の夢幻的雰囲気がある。或る意味では極めて現代的なポップな感覚が魅力

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 江戸中期の正徳と寛政年間にかけて活躍した画家、伊藤若冲(いとう・じゃくちゅう。1716-1800)といえば、日本の花鳥画の最高傑作のひとつとされる「動植綵絵」の作者として知られる。京都の青物問屋の跡継ぎとして生まれ、初めは狩野派を学び、次いで、中国の宋元画を数多く模し、さらに光琳風を研究して、動植物画のジャンルに、独自の写生的で装飾的な画風を確立した。

 「動植綵絵」30幅は、若冲の支持者で、優れた漢詩人でもあった京都・相国寺(しょうこくじ)の大典(だいてん)和尚によって相国寺に長らく保存され、1889年(明治22年)、宮内庁に献上された。狩野博幸(かの・ひろゆき)著『目をみはる伊藤若冲の「動植綵絵」』は、この「動植綵絵」全30幅と、70年ぶりに発見された“幻の絵巻”「菜虫譜」を収録し、彼の絵の色彩の魅力、独特のリアリズム、その知られざる生涯などが、分かり易く、興味深く書かれている。著者の狩野博幸は京都国立博物館学芸課美術室長で、日本近世美術史専攻。歌麿、広重、葛飾北斎などについての著書もある。若冲の絵画作品、人物・生涯へと連なる、画家としての全体像を知る上で格好のガイドとなろう。

 「老松孔雀図」「薔薇小禽図」「群鶏図」「紫陽花双鶏図」「牡丹小禽図」など「動植綵絵」を構成する作品群は、いずれも華麗な色使い、大胆な構図などによって独特の夢幻的で生き生きとした雰囲気が立ちのぼって来る。ある意味では、極めてポップな感覚に満ちており、200年以上の年月をタイムトリップして、現代絵画に紛れ込んでも違和感を与えないかもしれない。とりわけ、「南天雄鶏図」で描かれている、傲然たる様子で胸を張り、勝将軍のように画面の中央に立ってあたりをにらみつけている軍鶏(しゃも)の存在感はまことに見事としかいいようもない。

 若冲は、修業と模写を中止した後、鶏を観察して写生を続け、草木や鳥、虫や魚を観察した。それらの姿を知り尽くすことで、それらの内に宿る精妙な「神」のようなものを絵筆によって捉えることが出来るようになる、と若冲は、大典和尚に信念を語っていたそうであるが、「動植綵絵」を構成しているこれらの作品を見ると、若冲の信念は、彼独自の画風として実現していたのだと思えてくる。

 本書に、「動植綵絵」と共に収録された「菜虫譜」は、1927年(昭和2年)の恩賜京都博物館の若冲展に出品された後、ぷっつりと姿を消していたのが、栃木県葛生(くずう)町の吉澤家の蔵から発見された。およそ12メートルにおよぶ絹本で、まずはじめに「菜虫譜」の題字が出て、絵が始まる。野菜や果物が季節に従って登場し、延々と続いていく。そのうち、蝶や、さまざまの昆虫が植物と共に現れ、爬虫類、両生類から最後にはガマガエルまでも登場しなんともユーモラスでもある。これまた他の追随を許さない独自の境地が感じられる作品だ。 (bk1ブックナビゲーター:高橋洋一/評論家 2000.09.15)

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紙の本こぼれ種

2000/09/01 18:15

作家幸田文の娘青木玉が、母の思い出を重ねるように、自ら関心を抱いた樹、花、草の魅力を探ったエッセイ集

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 作家、幸田露伴の次女だった幸田文は、小さいとき露伴から、杉も檜も解らないような女は嫌いだと言われて悲しい思いをし、一生懸命植物のことを覚えようとした、と文の娘の青木玉がエッセイ集『こぼれ種』で明かしている。

 幸田文は、後年、60代半ばになって、父・露伴から受けた薫陶を我が物として、植物の諸相を細やかな感性で綴ったエッセイ集『木』をまとめ、独特の境地を開いた。母・幸田文が亡くなって数年。母の身近にいて、その仕事を見守っていた娘の青木玉が、母の思い出を重ね合わせるようにして、自らが関心を抱いた樹木、花々、草々の魅力を探り、リリカルで明快なルポルタージュ風のエッセイ集に仕立てあげたのが『こぼれ種』だ。

 とはいっても、青木玉さんが、植物に興味を持ちはじめたのは、そんなにむかしのことではない。ひとつのきっかけは、木のことなど何も知らなかった13年ほど前に、北欧のフィンランドを訪れる機会があり、ヘルシンキ市内の公園で、風に浮遊する小さな白いもの、つまりヤナギの種、柳絮(りゅうじょ)と出会ったことだ。そしてこの北欧での不思議な記憶がもとになって、都内のどこかで柳絮が見られないか探してもらうことになる。そして、都立水元公園にある立楊(たちやなぎ)の枝先から柳絮がふわりふわりと飛ぶのを見ることが出来た。こうして「十三年の歳月の間に、私はいつか知らず、楊の種が柳絮となって舞うことを知った。もう一度見たい思いが叶えられ満足だった」という思いに至る。この「柳絮」体験が、青木さんを植物の世界へと誘ったようである。

 それと、極めて濃密だったと思われる母と娘の絆も、玉さんが、母親の年齢に近づくにつれて、大きな誘因となってきた。『こぼれ種』冒頭の章「目の前の椋」に登場する、「母(幸田文)の家の前の道に」立っている大きな木の描写が象徴的である。祖父の露伴は、榎だといい、周囲の人達もそういい、玉さんも文さんも榎だと信じて疑わなかった。それが実は椋と分かったのは、六十の手習いのようにして樹木について色々と知ろうとしていた文さんに樹木のことを教えてくれていた人たちの一言だった。

 そして、厚紙に病気のカルテのように樹形、木肌などの項目が整理された、母の遺品の「事典」。「家へ来てくれる植木屋さん、母の所に来ていた方」の両方が椋と榎が並んで植えられてある、目黒の林試の森公園に行くよう玉さんに勧めてくれる。こうして、玉さんは「花を追う」生活に入っていく。伊豆大島の大島桜、静岡の河津桜、房州のスダジイや楠の新緑、青木家の庭に咲いたハンカチの花、湘南の海沿いにあるクサギの花、東村山市の野火止用水を跨いで立つ巨大な欅・・・。玉さんが、日本各地の植物との絆を発見する行脚が始まった。未知の花への童女のように率直な好奇心がみずみずしい。 (bk1ブックナビゲーター:高橋洋一/評論家 2000.09.01)

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わが国のプロ野球を巨人と共に主導し、数々のスターを生んだ熱血球団タイガースの再奮起を願う応援の書

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 阪神タイガースというのは不思議なプロ野球チームである。若林忠志、別当薫、藤村富美男、吉田義男、小山正明、村山実、江夏豊、掛布雅之、ランディー・バースら綺羅星のごときスター選手を輩出し、日本のプロ野球を巨人と共に主導してきたにもかかわらず、どこかしらその存在は劇画的な雰囲気で、今ひとつ現実から遊離して、「阪神」的な現実を形作っているという印象があるのだ。それは、つい昨年まで、チームの四番であった新庄選手がいとも気安くアメリカ大リーグへの移籍を果たし、しかも大方の予想を裏切って、かなりの活躍をしているという「新庄現象」などからも実感できるのではないか。

 熱血、一匹狼的雰囲気、独特のダンディズム、負けん気、一種の超人主義のようなものが、これら往年のスター選手たちの存在から感じ取れるのである。一見、お調子者のような新庄からも、のせると怖いぞと思わせるような、ある種のオーラが発散しているように思える。新庄の場合、阪神球団から提示された高額の契約金を蹴って、新人選手のような契約金で、メッツに入団を決めている。それに、確か新庄本人が言っていたと記憶するが、大リーグで成功したら、いずれ阪神に戻りたいというのである。阪神ファンが聞いたら大感激しそうな言葉であるが、新庄をしてそう言わせるような計り知れない魅力のようなものがやはり阪神タイガースにはまだあるのだろう。

 上田賢一著『猛虎伝説』は、阪神ファンでない、いわば部外者からすると何か理解しがたい魔的な吸引力を持ち続け、ファンからしても理屈抜きでいとおしいであろう老舗球団・阪神タイガースの歴史を、その拠点である甲子園球場が誕生した1924年の前後から21年ぶりのリーグ優勝で初の日本一に輝いた85年、そして10年間のうち実に6年が「最下位」という成績で終わった90年代まで、一ファンの立場から振り返っている。

 36年、名古屋軍、東京セネタース、阪急などを含む7チームで「日本職業野球連盟」が結成され、プロ野球初の公式戦が始まり、巨人・タイガースの二強時代に入る。巨人の伝説的投手、沢村栄治と、タイガースの伝説の強打者、景浦将らを中心としてプロ野球創世記のドラマチックな物語が構成されていく。
 37年には日中戦争が始まり、43年には、甲子園球場の大鉄傘も海軍の軍艦建造のために取り外された。敗戦後の46年からプロ野球の再建が始まり、47年には甲子園の米軍接収解除が決まり、サード藤村富美男、キャッチャー土井垣武らを中核としたタイガースのダイナマイト打線の活躍が始まる。悲運のエース、村山実、巧投・小山の時代を経て、豪腕・江夏、田淵、掛布、バースらが活躍、数々の奇跡を生んだ熱血タイガースの時代となる。本書は、こうした奇跡の再現を願う虎ファンの応援歌である。 (bk1ブックナビゲーター:高橋洋一/評論家 2001.11.21)

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