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  3. 望月新三郎さんのレビュー一覧

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先月(2017年8月)

望月新三郎さんのレビュー一覧

投稿者:望月新三郎

15 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本ちからたろう 改訂

2001/05/11 19:21

力は強いが心もやさしい

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 いつぞや、田島征三宅を訪ねた時、アトリエの隅に、力太郎の大きな土偶が転がるように置かれていた。力太郎の絵を描いてから制作したのか、その前だったか聞きそびれたが、多くの絵本の中で力太郎は、田島征三の代表作であることに間違いない。(この作品で第2回世界絵本原画展金のりんご賞を受賞しているのだから。)

 絵本の中で、今江祥智の文は力づよいが、さらに絵は、文をのりこえて迫力を持っている。

「力強く、土くさくかきたかったのです。」と述べているが、力太郎は、まさに土くさい民衆のエネルギーが全体に溢れている。

 お話はこうだ。貧しくてお風呂などめったに入れなかった爺さまと婆さまが体中のこんび(あか)を落として、それを集めて小さな人形を作り、こんび太郎と名づけて、ご飯をあげたら、何と手をのばして食べたのである。それから、こんび太郎は、食べる分だけ大きくなったが、えじこの中で寝たきりだった。ところが、あるとき口をきいて、百貫目の金棒を持ってきてくれという。銭をかきあつめて作ってやると、こんび太郎は、その金棒をつえに、えいおうとたち背がのびて百貫の金棒をふりまわすのでそれから力太郎とよぶようになり、人の役に立ちたいと旅に出る。それから、日本一力持ちと豪語するみどうこ太郎、石っこ太郎と共に大きな町に出た。ところが、町は静まり返っている。その日は、化けものに長者の娘を一人差し出す悲しい日だとわかる。三人は、長者の屋敷で巨大な化けものを退治する。町の人たちは、大喜び。お礼に何がよいかと聞かれると、釜いっぱいの飯を炊いてくれ。それでよいというので、長者は、欲のない人たちだと娘三人の婿に迎えてくれた。城から召し使いにと使者がやってくるが「おらたちは、村で暮らす方が気が楽じゃ。」とてんで相手にしなかった。それから三人は力を合わせて働くもんだから田畑はぐんと実りが良くなり豊かになったという。なんと力強いバイタリティーのある、土を愛し、土に生きる人びと、働く人々を励まし語りついできた話といえよう。

 紙芝居にもなっているが、人形を創って、人形劇として演じても、子どもたちに受ける作品である。

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紙の本赤神と黒神

2000/11/24 15:51

雄大な山々と、海に秘めるロマンス

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 沖縄の友だちから、近くアーマンチューのハマヒガに、行くから、写真を送るねと電話をもらった。アーマンチューとは、沖縄に人が住めるようにと、天(太陽と月)と地を創り出した巨人のことだ。日本列島にもいたるところに巨人伝説がある。山が背くらべしたことや、大沼(相模野)は、大昔、ダイダラボッチが、富士山を背折って歩いているとき、足をふんばって、めり込み、そこに水が溜ってできたなど、巨人が、山や沼や海を創ったという話しが地方にも沢山伝わっているから楽しい。この作品も何と北海道と津軽は、離れたという土地形成の物語りだ。
 巨神の赤神と黒神が、実に雄大な恋をしたとき、悩み、苦しみ、激しく戦ったというのだから驚きだ。
 文体は、長編叙事詩そのものである。初めの女神が機を織る場面は、こうである。
女神は、くる日もくる日も、手に巻いた玉飾りをさやさやと鳴らしながら機を織っていた。
 きったん ぱたとん
 きったん ぱたとん
機の音は、深いブナの森にひびき、湖の上にひびいた。機を織りながら女神は、歌った。

 やがて、八郎潟で笛を吹いていた赤神が歌声にひかれてやってきて、ひとめぼれする。   
 機を織る女神のそばで女神の歌う声と合わせて笛を吹く赤神の姿。丸木位里の絵が大胆で素晴らしい。一方、八甲田山の遙か向こうに龍飛の黒神が住んでいる。やはり女神を見て好きになる。二人の神に愛された女神は、悩んでしまう。
 ——黒神を想い、赤神を想い、女神の心はふたつに裂かれるよう。おもわず、機の上に涙を落すと、ブナの森の山バトたちも、一斉に、ホロホロと鳴いたという——
 
 こうした女神の想いをよそに、赤神と黒神は、すさまじいい戦いを始める。黒神は、戦いに勝って、十和田湖へ、しかし嵐の後、静まりかえった湖には女神の姿はなかった。女神は負けた赤神が可愛いと男鹿の岬にいってしまったからだ。黒神は、がっかりして龍飛にたどりつき、ため息をつくと地面が割れて津軽と蝦夷は離れ、その間を津軽海峡が流れたと言う。心あたたまる巨人たちの大いなるロマンに拍手をおくりたい。

(望月新三郎/作家)

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紙の本やまんばのにしき

2000/10/27 12:49

切っても切ってもたえない宝の布

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 「あたし そんなに怖いかなあ 昨日も、やまんばっていわれたのよ!」いくらか甘えた声でいう。こんなとき作家、松谷みよ子の素顔をかいまみた感じだ。やまんばというと、大人も子どもも怖いというイメージが先たつ。なぜだろう。だって追いか けてきて、牛までバリバリ食べちゃうじゃん。そうよ。「うまそうな体をしているぞ」なんて、人を食べようとするからよ。なるほど、なるほど。やまんばは、恐ろしい。怖いという人が多い。

 さてこのお話はどうだろう。ある日、村の者たちが、月見を楽しんでいたら、にわかに曇ってきて、風がごうと吹いてきたと思ったら空からー「ちょうふくやまのやまんばがこどもをうんだで、もちついてこう。ついてこねば、人も、うまも、みんなくいころすどお。」ーと叫ぶ声がした。村の者は、みんな青い顔をして、村中から米を集めて餅をついて桶に入れた。さて、誰が餅をやまんばのところへ持っていくか相談。その結果いつも村であばれんぼうで、いばっている、だだばちとねぎそべに行ってもらうことになった。

 二人は、いつもいばりちらしているものだから、いやだとは言えず、しかたなく行くことになってね。案内する人には、あかざばんばが決まった。険しい山を登って行くと、すごい風が吹きつけてくる。木の根っこに、しがみついて、風の止むのを待って、あかざばんばが、ふり向いたら餅の桶が重ねてあるきりで、二人は逃げていなくなってしまった。ここで正義の味方、あかざばんばは、村のためと思って頑張りぬいて、やまんばの家を訪ねる。餅は。途中に置いてきたというと、生まれたばかりの赤ん坊に取りにいかせた。さすが、やまんばの子どもの「がら」という子どもは、たちまち風のように出かけていって餅を持ってきた。するとやまんばは、くまのすまし汁を作って食べるからってくまをとってこいという。がらは、たちまち、くまをとってきた。いや!くまのすまし汁なんてうまそうだな。見開きいっぱいの絵を見ていると、食べたくなっちゃう。やまんばは、あかざばんばに。手伝ってくれた御礼にと、それはそれは素敵な、にしきの布を一ぴきくれた。このにしきは、ふしぎなにしきで沢山の人にあげてもまた翌日にはまた布になっている。

 切っても切ってもでてくる布をもらったあかざばんばの勇気はすごい。このやまんばはみんな怖くないよ。大好きになれるやまんばだよ。手まねきをしてるよ。読んでね。

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紙の本さるのひとりごと

2000/09/01 16:57

海を舞台に詩的な詩情をかきたてる

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——『むかしが あったげな
  あるとき 一ぴきのさるが
  いつもいつも 山ばっかり みとるけえ
  つまらんなあ
  海ばたへ でてみようか
  そうおもうて でかけたげな』——
で、はじまるこのお話は、民話を題材とした詩的な文章である、司修さんの絵がこの詩情に合っていて、なかなかいい。山も、海も渋い色に押さえて抽象的に描いて、さるのひとりごとに調和している。そう、ひとりごとが独唱とみるならば、絵は、尺八の音かな。風や浜が音楽的に描かれている。
——『海は、ええなああ
  かぜは ぶうぶう ふくなり
  なみは どんどとうつなり』——
と、ひとりごとを言うと、うんうんと返事をするもんがいる。松の木からおりてみると石の下に、かにがいる。そのかにを石でつぶして、また『海は、ええなあ』とひとりごとをいうと、返事がない。さるは、寂しくなってまた松の木からおりていくと、かにのだんごをつくって、石のところに座らせた。
また木に登って『海はええなあ』とひとりごとをいうと、返事をするというお話であるが、日本の民話としては、珍しいモチーフである。さるとかにという組みあわせより、人間と海という悲哀すら感じさせる。
——さるは 
  木から すべりおりると
  石のところへいって 
  つぶしたかにを
  まるめて だんごにして
  ちゃんとすわらせた——
これってちょっと残酷じゃないの、という御意見もありそうだけど、人間と海という立場に置き換えて見ると、いたずら心というか、このような童心も広い海を舞台なら許せるような気がする。
それに団子が返事をするなんてメルヘンの世界ならではだもんね。
原話は『出雲昔話』(立石憲利/山根英佐恵 日本放送出版協会)

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あたまにかきのき

2002/08/30 12:45

たくましい想像力に共鳴して大笑い

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 カンボジャに絵本を贈る会の仲間と、カンボジャのプノンベンに出かけたとき、学校の先生、図書館の職員などにワークショップでペープサートの作り方と演じ方を教えた。そのとき、ニロード寺院の図書館で、「あたまにかきのき」など日本の民話を語った。驚いたことは日本語でも、反応がよかったことだ。絵本をみせたこともあったのだろうが、表情、ジェスチャーなどで、ある程度通じることが判った。それとカンボジャにも柿の木があって小さいけれど実が成るということで話がやり易かった。とにかく、頭の天辺に柿の実が落ちて芽が生えることから始まるおかしな話であるだけに、はじめはどうなることかと思った。
 頭に柿の木が生えて、実が成るのだから、柿の木が実際にあった方がいい。それだけでない。切り株になめこが生えてくる。今夜は何かな。子どもはこの辺に来ると、期待をわくわくさせてくる。切り株が堀りおこされると、池が出来て、鯉など魚がすむ。すると池が埋め立てられて、野原となる。この野原のところで、私は農民が本来の農に生きる民として、描きたかった。土を耕し、水をとり入れ、田んぼにして、米を作るという。頭の上はごく自然な小宇宙なのである。
 私は、このお話を語りながら書いた。語りの口調を生かしながら。さて、このお話、多くの類話のなかには、池ができたとき、なぜか、男は自らこの池に身を投げて、自殺をすることでおわらしている。とんでもない。
 これでもか、これでもか、頭の上の作物というか宝物を、次々に邪魔されてきた男が、どうして自ら命を命を失っていいものか。たくましく生きるべきである。幸せをつかむべきであると思って資料を集めて、健康的なお話に仕上げたのである。けつまづいても、転んでも、土に生きる姿こそ、農耕民族のあり方ではないかと思う。

—「えーあまい あまい かき、うんまい あたまがきは いかがや」—

—「えーいきの よい あたまごいは いかが」—

と、つぎつぎと声をはりあげ、売りに歩く男に、子どもたちは、眼を輝かして、中にはウソーといいながら喜んでくれる。
 そう、そう真似をする子どもたちもいるよ。
 本当の話ではないと思っていても、心のどこかでたくましい想像力に共鳴してくれる子どもたち。大いに笑えるお話だ。私はペープサートにしてみたが、人形劇 劇あそびなどにも活用されはてはいかがでしょう。

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おおきなかぶ ロシア民話

2002/06/21 13:58

みんなで力を合わせてうんとこしょどっこいしょ

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大きな大きなかぶをみんなで引っぱる表紙の絵は、子どもたちが大好きだ。「でっかいかぶだ!」と、子どもたちは目を輝かす。この大きな、大きなかぶがいつぬけるのか。きっとぬけるぞという期待感を持ち、いつしか自分も一緒になって、大きな声も出して、「うんとこしょ どっこいしょ」と声援がひびく。佐藤忠良の絵がとてもよい。人物はもちろんだが、犬、猫、鼠に到るまで生き生きとした表情と動きのある線がたくみだ。ロシア民話らしく民族衣装もあざやかだ。おおきなかぶの絵の線と同じにおじいさんの労働する手がリアルである。はじめの腰をかがめて「あまい、あまいかぶになれ」と期待をこめてかぶを植える姿から大きなかぶに成長して小躍りするおじいさん、その手も表情もたくみだ。
ことばも単純でリズミカルだ。大きなかぶが全ページに実に鮮やかに描かれているので単純なテーマだが、劇的に展開していく。芝居でいうと一幕ものでありながら一人と一ぴきずつ登場人物が増えてきて、みんなで、うんとこしょと大きなかぶをひっぱるのですから。
このおじいさんの唱える言葉に応じて、かぶはみごとな大きなかぶへと成長していく。
ーうんとこしょ どっこいしょ
 ところが、かぶはぬけませんー
やがて、犬、猫、鼠までやってきて協力しあってかぶを引っぱるところがクライマックスである。ここで大きなかぶは、ぬけました。この頁で、おじいさんも、おばあさんも、孫も犬も猫も鼠までみんな喜びの歌を唄って踊る。大切に大切にお世話して育てた作物、その愛情にこたえて大きく大きく成長したかぶ。そしてみんなで力を合わせての収穫の喜び。この絵本は、楽しみながらみんなで協力することの大切さを子どもに感じさせてくれる。子どもたちが面白がる傑作絵本である。

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紙の本ゆきおんな

2002/03/22 15:52

悲哀にみちた別れのことばは・・・・。

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新潟に仕事で出かけたとき、橋の上で猛吹雪にみまわれた。川の下から吹き上げてくる風、そして前方をさえぎるように吹きつける雪に、しばし動けなくなった。短靴は、ぐっしょりと雪にうずもれ、傘などさせるものではない。もし、これが険しい山道だったらどうなるのだろうか。このときの想いを浮かべながら、私は、ゆきおんなに、おきかえて考えることがある。
——ゆきは、まいはじめ、みるみる はげしい ふぶきと なったそうな。
 まえも みえん、うしろも みえん。 そのなかを はうように、もさくは みの きちをよび、 みのきちは ちちおやを よびながら、 山ごやへたどりついた。ー
と、もさく、みのきちの親子が吹雪に逢って、山小屋にたどりつく様子が実にリアルに描かれている。朝倉摂の絵もこの吹雪の荒れ狂うような様子、親子の姿、山小屋を訪れた雪女の姿をよくとらえて描いている。
——「いま みたことを、けっして人に いってはいけませんに。もしいったときは、おまえのいのちはない。・・・」ーと、みのきちに、白い息を吹きかけたこと。自分の見たことに、他言無用の口止めの言葉は、恐ろしく、またあやしい。雪女が子どもをあやしながらうたう唄がある。
「ののさま どちら いばらのかげでねんねをだいて はなつんで ござれ はなつんで ござれ」
とても可愛い哀調をおびた童うたである。私は松谷みよ子がこのうたをうたうのを聞いた。「十五夜」「お正月」などのうたといならんで彼女の好きなうたのひとつである。
さて、また、お話にうつって、みのきちが雪女と結婚して、やはり吹雪の夜、もさくが死んだ山小屋のことを話してしまった。そのとき、ゆきおんなは、自分だったことを告白——「おまえの言う通り、ゆきおんなですに・・・」
このときの雪女のことばは、悲しい。人間の女になりきっていた雪女の別れなければならない運命に、切なさがにじみ出ている。朝倉摂の絵も、白く悲しい。この絵が表紙にもなっている。おわりの文章も詩的である。
——よめさんの こえは ふるえ くろい目は うるんでおった。と その姿は いつか消えて ただ粉雪がまっておったそうな。 それも消えたと。——
このお話は、よく語られているが、雪女が己の正体を告白した場面ー「・・・おまえのいうとおり ゆきおんなですに・・・」のことろを悲哀をおびながらも泣きの語りにしないように・・・と語りのあり方に百家争鳴となる。あなたならどう読んで、どう語るかな。

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紙の本ももたろう

2001/08/02 20:46

自由な発想から助っとも沢山いるよ

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 岡山で民話の交流会を開いたとき、立石憲利さんが「黍団子を貰い、鬼退治の助っとになる話は、昔からあったんではなく、明治以後なんだよ」と話された。そう言えば、農民の子が、日本一の黍団子の旗を持って、刀をさして、さむらいの格好をしていくなんて、できすぎているよくまるで富国強兵じゃないの。まさに、その通りで、鎧を着て、日の丸の鉢巻をした桃太郎なんて、本来のむかし話ではないのである。
 このお話は、三年寝太郎のような、食っちゃ寝、食っちゃ寝の男が、あるとき、村の役に立つとか、奪われた娘を奪い返して嫁にするといった嫁取りのお話だよね。その点、松谷みよ子の桃太郎は、農民の桃太郎として描いているので、いかめしいさむらいの格好もしていない。絵画の和歌山静子もそこは心得て庶民的に描いている。それと黍は、とても貴重な食料で、ひとつ下さいといわれたら、半分あげるというのも、理にかなっているといえよう。お孫さんに、「いぬときじとさるだけで、どうしてうさぎがいないの?」といわれて、いろいろ文献を調べてみると、動物たちの応援が多くてもおかしくないと、そう、あの、さるかに合戦に登場した動物たちを加えたという。つまり鬼たちが強くて、桃太郎たちは、敗けそうになった。
 そこで、きじが飛び立ち、
「おーい、むかしばなしの すけっとたち、ももたろうのおにたいじに、きてくれぇ!」とよびかけると、かにが海から、ぞろぞろはい出してきて…、
「さるかに合戦の石うすやら、うしのくそ、つぶくりも、ふねをこいできた。かちかちやまの うさぎも、ふねをこいできた。その上を蜂の群が飛んでいく…。
「ももたろう 今いくぞ」…
 実におなじみで、ゆかいな応援団である。戦前の教科書に載っている桃太郎と、この絵本の絵だけを比較してみても、絵本の方がどれだけ親しみやすく、子どもたちが喜ぶかがわかる。文章もいかめしくなく発想も自由でいい。

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紙の本兵六ものがたり

2001/06/01 20:25

人かきつねか、きつねか人か?口調が楽しい

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 よく人のことを、あいつは、くせものよ、狸にそっくりだ。いや、あのペテン師 そう、化かしぶりは、狐だな。などという。
 むかしは、狐や狸が人を化かしたが、現代は人が人を化かす時代といわれている。政見放送など聞いていると、まさにそんな気がしてくる。このお話は、作者の西郷竹彦が子どもの頃、故郷の鹿児島の吉野原という台地で遊んだ所が「大石兵六夢物語」の舞台だという。何といっても、文体がいい。祭文語りのような口調にしたのだという。
——はなせば ながいことながら、さつまのくには、かごしまの 「大石兵六ゆめものがたり」 じさは、ばさまの まめかむように、ぼつり、ぽつりと、かたると しよう——
 で、はじまる口調は、とても調子がよく、ひとつ語ってやりましょうとなるね。この兵六、人を化かすというのを聞いて、ひとり、吉野の原にのり込んだまでは良いが、大鬼に襟首つかまれ吊し上げられられ、生命からがら、やぶの中の一軒家に逃げ込む。ところが茶屋の女と思っていたのが、のっぺらぼうと、ろくろっ首。いずれも古典的な化け物。夜道を歩いて行くと沢山の小坊主に取り囲まれてしまう。兵六転げ廻っていると、何と周囲いちめん、踏みつぶされたときのこの山だった。
 すると、こんどは、振り袖姿のうっとりするような二人づれの娘に逢う。これこそ、狐に違いないと、ねじ伏せていると役人がかけつけてきて、しばり上げられてしまう。危うく、手打ちにされるところを、和尚が通りかかって「わしにまかせろ」ということから仏門につかえることになって、頭髪の毛をすられて丸坊主になるところで気がつく。これに似た話は、「カミソリ狐」がある。兵六、ようやく夢から覚めて、あちら こちら探して、二体の地蔵をみつける。これぞ狐と見破った兵六 地蔵をしばりあげると二匹の古狐の正体を現わす。箕田源二郎の絵も紙芝居の絵のように、すっきりしていていい。おわりの文章もなかなかよい。
——おにかと みれば きつねなり きつねとおもえば、きのこなり 人がきつねか、きつねが人か——。    ……大石兵六ゆめものがたり……
 となっている「ふたりの町娘や役人たちもみなきつねの化けたものとして語られていますが、私は、きつねと思えばきつねに見え、人と思へば、それはそれとして面白い」と作者は書いているが、文体全体が作者の思想性とあそび心がある作品だと思う。

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紙の本こぶとりじい

2001/02/16 14:17

踊り上手に福がくる

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 うちのお母さんカラオケも好きだけど踊りも好きだよ。「ほうダンスかい」「ちがうよ盆踊りさ」なるほど。唄に合わせて踊るといえば、すぐうかんでくる。新潟に民話の採訪に出かけたときのこと。やぐら太鼓を囲んで楽しげに盆踊りを踊っているところを見物したが、同じ佐渡のおけさでも普通に唄われているものと一味違っていた。というのは、人によって、歌詞も違い即興なのである、少しエッチでその楽しいこと。方言が入り混じっていて意味がとれないところも多いのだが、人びとは、唄い手の声と歌詞に大喝采。私はこのとき、こぶとり爺をおもい出していた。天狗又は鬼が唄い、踊ってる輪に、お爺さんが唄のリズムに心うごかされじっとしていられなくなり、思わず怖さも忘れて踊りだす。それほど踊り好きな爺さんなのだ。
 昔話には、となりの爺と婆がでてきて、他人のまねをして失敗するお話がたくさんあるが、このお話もそれらに類している。踊りの上手な爺は、こぶを取られ、まねをして踊りの下手な隣の爺はこぶを付けられてしまう意外性がゆかいである。古くは「宇治拾遺物語」(鎌倉時代)醒睡笑(江戸時代)にも載っている。
宮川ひろさんの文体は、ていねいで、しかも民話のもつ、リズムとやさしさが溢れている。爺がこぶを気にする場面では、
——がっつんこ がっつんこと 水を切るたびに ぷりん ぷりんと うっとうしげにゆれるんだったと。——
きこりの労働を通して、こぶがあっては、仕事がやりにくいことをよく描いている。踊りの出る場面もごく自然体で楽しい。おはやしにのって、爺の手や足もひとりでに動いている。「よう よう」子てんぐの、かけ声につられて、爺は、ひょっこり踊りの輪の中へとびだした。このあたり、宮川ひろの語りを聞いている感じがそのまま、伝わってくる。
やはり、唄や、踊りのあるストーリーはリズムがなければ楽しくないわけで、この作品は、その楽しさをよく描いている。

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紙の本へっこきあねさがよめにきて

2001/02/16 13:55

嫁と姑、男尊女卑への挑戦

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 聾学校を訪ねて、語りをしたときだ。「あっ おならのおじさんだ」と、誰かがひと声いっただけで、子どもたちは、私をとり囲んで大騒ぎ。二年前に「へっこきあねさ」を語ったことを覚えていたのだ。
 みんな、おならをどこでする。「お便所」「うん一番多いかな、お便所が・・・」「階段も・・」などと前置きを話していると、すっかりうちとけ仲良しになってしまう。
 私は、大川悦生からも、二度ほど「へっこきあねさ」の語りを聞いたことがある。語りもうまいが再話もすぐれた人だ。
 この話は、例によって嫁の大きな屁で、婆さまが大根畑までふっとばされ、大根を持ってもどってくる話であるがひきへも威勢がよい。飛ばされて、もどってくるんだもんな。
それも千石船のような大きな船までもだ。
 お話は、こうだ。はじめに 大きな屁で婆さんを飛ばして、あにさに里へ帰れといわれ、帰る道で、千石船をへで動かして米三俵をもらって歩いていくと 反物売りが柿をとろうとしているが、取れないでいる。嫁さんが、へをこいで落とせるというと、
——「はあ、ふざけたおなごだな へこいて柿おとすって、そんなげなことできるなら、今やってみろ。かけをしてもいいだ。」——
というので、柿の実を落としたら、馬と反物をもらう約束をする。さて見事落としたので、馬と反物を手にいれる。ここまでは、ごくありふれた「へっこきあねさ」であるが、米三俵、背おってついてきた兄さが、宝嫁だといって、
——あね あね、まってくれ。おらといっしょに もう一度 もどってくれんかや。——
というと、娘さは、攻勢に立つ。こういうこともあるかと思って、へを一ぱつ残してあるというのだ。驚いた兄さは、米俵を放り出して逃げ出したところを、一番大きなへで、ぶっとばす。いやはや、兄さは、山こえ、野こえ、すっとんでく。ところが、けが一つしないで、家の庭にふんわりと落ちていた。
 それから兄さは、嫁のため へやのある家を建てる。このお話は、嫁と姑の葛藤と男尊女卑への嫁の側からの挑戦でもあると思えてくる。

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自然を守ることは、自然の掟、声に耳を傾けること

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 山や森に入ると、いろんな音や、声が聞えてくるよ。ここは、安全かな。せせらぎの音がする 谷は深いのかな それとも危険かな。
                       ひとつひとつ確かめていくことが大切。
 先にも沖縄の久高島でこんな体験をした。
 この島は人口も少なく、したがって自動車などめったにあわない。海にせまる波、風の音が聞えてくるが、実に静かだ。笹のやぶの中に耳をすますと、カサ、カサカサと、小さな音が聞え、しだいに近づいてくる。さて、何だろうと、そっと待っていると、その音の主は椰子蟹であった。蟹の歩く足音が聞えてくるなんて、都会では体験できないことだ。自然があって、生きものと調和し、共存できることは素敵だなと思ったね。
 さて、ならなし……ごく自然な森の中の静かではあるが、その中にある激しさ、を語っているのではなかろうか。危険を知らせる自然の音、リズムを、山の婆さまは聞く耳を持てよ、と教えてくれたと思う。
 中国やモロッコなどで砂漠化の進んだ国は歴史をふり返ってみると、森林の伐採と無関係でないといわれている。私たちは、自然を森や山を地球という恒星として考えていきたいものだ。「ならなしとり」って、いいこと云ってるんだ。と考えていくと、山の婆さまの教訓もわかる気がするよ。

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紙の本ねずみのすもう

2000/10/02 15:46

お餅を食べなきゃ相撲は勝てないチュー

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 ついこの間、語りの会で、若い娘さんが、ねずみの相撲を語った。ところが、どうも、すっきりとこない。秋田で語られている民話というが、選んだ資料がよくない。はじめ、爺さまのねずみは、スポン スポン放り投げられていた。…それを見た爺さまが、その晩に戸棚へ、うまいものどてたくさん入れて置いたので、ねずみは、大喜びして食べた。…
となっているが「うまいものどて」というところが気になる。うまいものではなく、やはり餅であって欲しい。餅は力の出る栄養ある食べものである。類話は、はっきりと餅と語っている場合が多い。秋田で語りをしても、地域の言葉として弱い。
 
 これは、語り手の再話作品に近いのではないかという説も出て、ワイワイ、ガヤガヤと討論となった。つぎに問題となったところは
…「御馳走するから、その代りお金をたくさん持ってこい」…
というところだ。長者のねずみが餅を食わしてくれというところで、爺さまのねずみが、お金を要求するのもいただけない。数多くある類話には、このような欲にからんだ要求もあるかもしれないが、あまり好きでない。以上は、語りの会の資料の問題点であった。
 さて、この本の中で、大川悦生は、友人同志の語りの中で、ごく自然に書いていて、ほのぼのとする。長者のねずみが餅を食いたいというと、貧乏だからだめだというと…「そんだらば、おれ、こっそり、ためておいた こばんを しょっていくぜ」 長者さまのねずみがいうと、じいさまのうちのねずみも「うん」といってね、2ひきは、なかよく、やまをおりていったとさ。…
 この様子を聞いた爺さまは、2ひき分のお餅をついてあげると婆さまも赤い布で、まわしをこさえてあげる。翌日、赤いまわしをつけた2ひきのねずみが、しこを踏んで相撲を取るのだが、梅田俊作の絵のかわいいこと。ねずみたちは、孫のように四つんばいになってえいやこらと相撲をとったって。

 このお話は、何といっても、ねずみを通してのやさしさと、思いやりが美しいから好かれる。

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紙の本殺人レストラン 廉価版

2000/08/16 17:33

草木も眠るウシミツドキって怖いよ〜!!

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 常光徹といっても、ピーンとこない人も、映画『学校の怪談』の脚本の原話を沢山書いた人だよ!と言えば、知っている人も多いと思う。本が出始めた頃は、民俗学の研究者の間で、「何だね俗世間に入り込んで」と後ろ指をさされたというが、「学校の怪談」が子どもたちに読まれ、映画がパート4まで作られるようになると、誰も俗世間なぞと言わなくなったという。坊主頭をかきながら、「股の間から後ろを見ると妖怪の姿が見えるといいますね」と、きわめて学術的に俗信について論じるところは、民俗学者の顔となる。そして、あるときは怖いお話の伝承者となる。

 この話もそのひとつ。今、占いや手相が大はやりという。誰もが未来を知りたい。結婚相手は?幸せは?を知りたいと思っている。さて、未来の結婚相手を知る方法はこうだ。
——それはね丑三つ時に、口に刃物をくわえて、水をはった洗面器をのぞくと、未来の相手の顔がうつるんだって。——

 丑三つ時とは夜中の2時から2時半の間だ。草木も眠る丑三つ時っていうものね。さて、人が眠っている間カミソリを口にくわえて洗面器をのぞく姿を想像しただけでも怖ろしい。ところが、あい子さんは試してみた。十分経っても何も起こらなかったので顔を上げようとした途端、うっすらと人の顔が浮かんできたので、びっくりして口にくわえていたカミソリをポチャッとおとしてしまった。すると、洗面器の水が赤くなった。あら恐ろしや。

 さて、あい子さん、10年経って知り合いの紹介でお見合いをした相手、どういうわけかマスクをしていた。風邪ではないというのでマスクを取ってくださいと頼む。男がマスクを取ると、口から耳にかけて深い傷跡があった。これからが怖い。
——「どうなさったんですか、その傷は?」あい子さんの驚いた顔を見て男が叫びました。
「おまえにやられたんだ!」——
 
 怖いお話して!と子どもにねだられたら、やってみてはいかが。・・・ラストシーンをゆっくり語ると凄みが出ると思うよ〜。

 白い手、峠の一軒屋、等々怖い話が14篇収録されている

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おかしうて、笑いが止まりまへんわ

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 この原画は、二度ほど拝見した。2度目は、今年、船橋で行われた田島兄弟の作品展である。田島征彦の描いた自然の豊かさを願う巨大な布絵もあった。豊かな山と森のある絵である。勿論この絵本の原画もしみじみとみた。一枚、一枚文字が無くても十分に楽しめた。医者のちくあん、山伏のふっかい、歯抜きのしかい、軽わざしのそうべえの地獄にいった亡者たち。はじめのうちは小さくなっていたが、じんどんきという鬼に食われるとわかって、むし歯が沢山あるから抜いてあげると、呑まれる前にと歯を全部抜いてしまう。
— うええ 歯ぬけにしよった —
 文字も大きいが 絵もすさまじい。抜けた歯が飛び出すのと同時に鬼の腹の中が、ガラス張りよろしく、四人の亡者が飛び込むように腹の中に入り込む。
— おにの はらの中にゃ いろんなもんが おまんな。ちくあんせんせい。これ、なんでんねん。さよう、その上から ぶらさがとるひもや。それをひっぱってみ。おにが、くしゃみをしよるぞ —
— はっはっく はくしょーん —
 関西の言葉が生きておりますね。亡者たちは、鬼の腹の中で、あっちを引っぱったり、こっちを引っぱったり、さんざんに傷めつけられ、全部のひもを引っぱって、おならと一緒に外にとびだす。つぎは、釜ゆでにされるところを、山伏のお祈りのおかげで、いい湯だな!となる。それから追われて先は、針の山となるが、こんどは軽わざ師が、3人を軽くかつぎ上げて、東西、東西と登っていく
— ちゃんりん ちゃんりん それ、ちゃんりん ちゃんりん —
 いや!たくましい、技を出し合っての協力体制に、さすがの閻魔大王もあきれ返って、娑婆へ放り返す。おしまいの頁が落語的、あんた生きて返ってよかった。医者を呼びにいったら、死んでしまって大変だったというと、そのいしゃもいまごろきっと生きかえったはるわ。ーのオチがつく。民話、子咄しは、よく落語の題材になる。このお話は上方落語<地獄八景亡者戯>のさわりを受けついでいる。

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