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  3. 青木謙知さんのレビュー一覧

レビューアーランキング
先月(2017年6月)

青木謙知さんのレビュー一覧

投稿者:青木謙知

23 件中 1 件~ 15 件を表示

真相を追求することの重要さを再認識させる1冊

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 世界初の原子爆弾は、ご存じのように広島に投下された。今日日本では、その爆発時間は午前8時15分とされていて、毎年の慰霊祭でもその時間に黙祷が捧げられている。原爆投下の時、広島に住んでいた著者は、同窓会での友人の一言から、この「8時15分」に疑問を抱いて調査を開始する。そしてその友人の言葉をはじめとして、多くの「8時15分よりは早かった」という証言を聞かされることになった。朝礼の時間や、始業開始の時間、あるいは日頃の行動パターンから、8時15分よりも前だったと認識していた人が多かったのである。また、当時の放送や気象データを当たったりして、正確な時刻を調査し、8時15分以外で止まっている時計を発見したりもしている。
「8時15分」説の原点になったのは、アメリカ人のジャーナリストが書いた1冊の本であることを突き止め、その著者に面会したり、手紙のやりとりも行なった。さらには、原爆を投下したB-29「エノラ・ゲイ」号のチベッツ機長からも手紙で回答を得ている。その結果、アメリカでは「8時16分」で統一されていることが分かった。「8時15分」説を記したジャーナリストは、筆者からの指摘の結果、アメリカの公式見解である「8時16分」に著書を変更した。ただそのアメリカの公式見解時刻も、確たる根拠のあるものでないことが、本書では解き明かされている。
 原爆の爆発時刻が8時15分だろうが、8時16分だろうが、あるいは8時6分だろうが大きな違いはない、と言えないことはない。しかし当事者としては、実際は8時6分だったものがもし本当に8時15分だったら、被害に遭わないで済んだ人がいるかも知れないと考える(逆にそれで被害を被る人がでるかも知れないが)。そして、それ以上に驚かされるのは、日本で「8時15分」説を補強するために、データの改ざんが行なわれていた可能性を著者が突き止めたことだ。
 おそらくは、正確な爆発時刻を突き止めることはもはや不可能だろうし、一つの目安として日本では「8時15分」が使われるのもやむを得ないことかも知れない。しかし、そのことに問題意識を感じ、素朴な疑問から出発して、国家ぐるみの改ざんの可能性を発見する過程は、ジャーナリズムの醍醐味を改めて教えてくれる1冊である。

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紙の本第二次世界大戦 下

2000/10/17 01:25

第二次世界大戦史の名著、復活

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 第二次世界大戦世界大戦を詳細に分析し、その内容に定評があった本書は、1970年にイギリスで初版が刊行されたもので、日本でも1978年にフジ出版から翻訳版が出版されたが、その後長く品切れ・絶版となっていた。本書はその復刻版であり、従って決して新しいものではないが、第二次世界大戦全体の概略を知る上では必携の書とといえ、それが入手できるようになったのは非常に喜ばしいことである。

 前書きや解説も含めて上巻628ページ、下巻519ページという極めてボリュームのある作品だが、第二次世界大戦の背景や、主要な戦いで採られた戦略・戦術などを解説していくと、当然このくらいの分量にはなる。全体の構成は暦年毎に章立てが行なわれていて、同時期に進行しているものについてはヨーロッパ方面、アジア太平洋方面の順で記されていて、戦いの流れを容易に把握できるようになってる。下巻の巻末には、年表と細かな索引(地名、人名、事項別)があるのも嬉しい。

 復刻版であるから、本書から新しい事実を見つけることはできないが、第二次世界大戦を知る上での基礎的な本であり、この戦争あるいは特に戦史に関心のある向きは必ず手元に置いておくべき1冊である。

(青木謙知/航空・軍事評論家)

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紙の本第二次世界大戦 上

2000/10/17 01:23

第二次世界大戦史の名著、復活

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 第二次世界大戦世界大戦を詳細に分析し、その内容に定評があった本書は、1970年にイギリスで初版が刊行されたもので、日本でも1978年にフジ出版から翻訳版が出版されたが、その後長く品切れ・絶版となっていた。本書はその復刻版であり、従って決して新しいものではないが、第二次世界大戦全体の概略を知る上では必携の書とといえ、それが入手できるようになったのは非常に喜ばしいことである。

 前書きや解説も含めて上巻628ページ、下巻519ページという極めてボリュームのある作品だが、第二次世界大戦の背景や、主要な戦いで採られた戦略・戦術などを解説していくと、当然このくらいの分量にはなる。全体の構成は暦年毎に章立てが行なわれていて、同時期に進行しているものについてはヨーロッパ方面、アジア太平洋方面の順で記されていて、戦いの流れを容易に把握できるようになってる。下巻の巻末には、年表と細かな索引(地名、人名、事項別)があるのも嬉しい。

 復刻版であるから、本書から新しい事実を見つけることはできないが、第二次世界大戦を知る上での基礎的な本であり、この戦争あるいは特に戦史に関心のある向きは必ず手元に置いておくべき1冊である。

(青木謙知/航空・軍事評論家)

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あるオーストラリア兵の戦いの記録

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 著者のケニス・ハリスンは、マレー半島に配置されていたオーストラリア陸軍第4対戦車連隊の一兵卒であった。1941年12月8日の日本軍による真珠湾攻撃は太平洋戦争の開戦として有名だが、時を同じくして日本軍は、タイからマレー半島にかけて上陸作戦を実施し、わずか2か月でこの地域を制圧している。そして著者はそこで、日本軍とのごく初期の戦いを行なった。
 マレー半島とシンガポールを植民地としていたイギリス軍は、オーストラリア軍などとともに日本軍と戦ったが、破竹の勢いの日本軍を止めることはできなかった。著者の部隊もうち破られて敗走を開始するが、1942年2月末に日本軍に投降し、そこから終戦までの3年半に渡り著者は日本軍の戦時捕虜であり続けた。捕虜だから戦っていないのではないか、と思われるかも知れないが、そうではない。捕虜には捕虜の、厳しい戦いが待っていたのである。
 厳しい収容所での掟、食糧不足、不衛生などと戦いながら、著者達はシンガポールからマレー半島を抜けてタイに送られ、タイメン鉄道の建設作業に従事した。それが終わると今度は、著者達が『ビョウキマル』と呼んだ船に乗せられて日本に送られ、長崎の造船所で働かされ、最後は福岡の捕虜収容所に送られた。この間に、著者の最初からの同僚だった捕虜は全員死亡し、また一緒になった捕虜も次々と倒れていく。著者は、捕虜収容所の中の面白い出来事とともにそれを綴っているが、いかに悲惨であったかは十分に伝わってくる。
 タイでの厳しい作業をやり抜き、『ビョウキマル』はアメリカの潜水艦の攻撃を受けず、しかも原爆の投下前に長崎から福岡に移るという、常に死と隣り合わせでいながら、強い体力と精神力、そして幸運にも恵まれてついに生きたまま終戦を迎えた著者の戦争体験は、正に厳しい戦いの連続であったといえよう。日本軍の戦時捕虜に対する待遇がどうであったかも、よく分かる。本書は、これまではあまり知らされることのなかった日本軍の捕虜となった兵士の生活を、実際に経験した人の言葉で知ることのできる貴重な1冊である。また巻末の訳者註も、よく調べてあって、本書のより深い理解の一助になっている。巻頭には9ページの白黒写真ページがある。 (青木謙知/航空・軍事評論家)

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安全と戦うパイロットの受難

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 9月11日のアメリカでの同時多発テロは、世界中を震撼させた。ハイジャックした航空機を使っての自爆テロは、正に想定外の出来事であり、新しいタイプのテロに対する無力さを浮き彫りにした。本書は、この自爆テロをテーマにしたものではないが、正に絶妙のタイミングで出版が計画され、それに対する考察も急遽書き加えられている。
 本書のテーマは、安全な運航の確保、すなわち航空事故と戦うパイロットの姿を描いている。旅客機による大きな事故は、発生率は極めて低い(100万便に1件強)ものの、それでも年間に20件以上発生している。大事故に至らないインシデントの数は、それこそ無数に及んでいるが、事故やインシデントの発生には人的な要因が必ずと言っていいほど関与しており、筆者はそれを冷静に分析している。
 その分析は、観念的なものになりがちなのだが、本書で筆者は、日本人の記憶に残る実際の出来事を事例とすることで具体的に取り上げ、また不必要に深く入り込むことを避けて、航空に余り知識のない一般の人にも分かり易くすることで、航空事故問題に対する関心を広めようとしている点に好感が持てる。
 昨年夏のコンコルドの墜落事故、あるいは1999年のエジプト航空のニューヨーク沖墜落事故など、まだ事故調査の最終報告がまとめられていない事例についても、中間報告や各種の情報を基に可能な限りの分析を加えていて、本書には近年の主要な航空事故を数多く網羅されている。事故をテーマにした本は、センセーショナルになりがちなところを冷静に記述し、読者の恐怖心をあおるのではなく、きちんと問題を提起し、また事例によってはパイロット達がどのように対応したかを述べて、それぞれの事故における問題点を浮き彫りにしている。惜しむらくは、製造会社側の研究などについて触れられていないことだが、これはまた別の本にまとめられるのかも知れない。いずれにしても、航空事故とは何かの基本を学ぶには、理解のしやすい書である。 (bk1ブックナビゲーター:青木謙知/航空・軍事評論家)

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旧ソ連秘密文書が明らかにするヒトラーの死亡を確定した根拠

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 第二次世界大戦のナチス・ドイツを率いたアドルフ・ヒトラーは、連合軍に攻め込まれる前に、ベルリンの地下壕で、女優であり死の直前に妻となったエヴァ・ブラウンとともに自殺した、ということが今でははっきりとしている。しかしこのことが、確たる証拠を備えて揺るぎない真実となったのは、比較的近年のことだった。もちろんヒトラーの自殺はかなりの確度を持って信じられてはいたが、証拠が乏しかったことから、どこかに逃げ延びたなどとする説がたびたび浮上し、それらが突飛のないものであっても証拠が乏しいために完全に否定しきれなかったのである。
 第二次世界大戦を終える時、極めて重要だったことの一つに、ナチズムを完全に葬りまた復活させないということがあった。そのためには、できればヒトラーを捕らえて公式の場で断罪しなければならなかった。しかしそれはかなわず、またヒトラーの死体も見つからなかった。
 本書では、ベルリンに攻め入ったソ連は、ヒトラーを捜し回ったが、1941年4月30日にヒトラーは自殺し、ソ連はそのことを早くも5月1日午前3時50分に知り、すぐにスターリンにも伝えられたことが明確に述べられている。そしてソ連はその後も、捕虜にした多くの側近達から証言を集めて、自殺が真実である信頼できる根拠を揃えていたこと、またヒトラーとエヴァ・ブラウンの死体は自殺後、すぐに消却されてその近くに埋葬されたが、ソ連はそれを掘り起こしていたことも記されている。こうした事実のほとんどは秘密扱いとされ、またスターリンはヒトラーの死を確実なこととは明らかにせずに、むしろ生存説さえほのめかした。スターリンは、ヒトラーの死を、戦後の世界政治の中でソ連が優位に立てるように利用しようとしたのである。またスターリンは、掘り起こした死体を旧東ドイツ内に再埋葬したが、そこに基地が作られることになると工事の際に発見されるとまずいと考え、掘り起こしてそれを川に投げてもいたことも分かった。
 ソ連が崩壊して、多くの当時の機密文書が公開されたことで、それを見ればヒトラーの自殺は疑いのないものであることが明らかになった。本書は、2000年に公開されたそれらの資料や証言、証拠などを収録したものであり、もはやヒトラーの自殺は揺るぎないものとなった。本書に収められている元KGBの機密文書などの内容は、極めて興味深く説得力があるし、また極めて資料価値の高いものだ。 (bk1ブックナビゲーター:青木謙知/航空・軍事評論家 2001.10.17)

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明らかになったソ連の各開発秘話

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 いろいろな意見はあると思うが、核爆弾が第二次世界大戦の終戦を早めたことは確かである。そして『マンハッタン計画』の名で進められていたアメリカの核兵器開発については、いくつもの本が発行されるなどしてかなり公開されている。それに対して、もう一方の核大国となった旧ソ連については、ソ連が秘密主義であったこともあってほとんど知られることがなかった。本書は、近年までに公開された膨大な文書と資料を基に、まずそのソ連の核開発の経緯を明らかにしている。
 そこには、驚くほど多くのアメリカ人関係者による情報提供があり、どのような情報がどう流れたのかを知ることができる。戦争中は、アメリカとソ連は最終的に協力関係にあり、核兵器についてもソ連は少しは知らされていたが、スターリンはスパイによる情報収集でより重要なことを多く知っていたことが分かる。しかしスターリンは、アメリカが日本に核爆弾を投下してその成果を目の当たりにするまでは、この兵器に現実味を感じていなかったことも本書でよく分かった。
 しかし、核兵器が実際に投下されると、それは一変して、ソ連でも本格的に大がかりな開発が着手される。そしてまた核兵器は、核分裂によって強大な爆発エネルギーを出す『核分裂兵器』(広島と長崎に投下されたものはこの方式であった)から、二つの原子核が一つに合体した時に生ずる核融合エネルギーを使った、『核融合兵器』に発展した。この『核融合兵器』は、『熱核爆弾』あるいは『水爆』と呼ばれるもので、より大きな爆発力を持つとともに、放射線効果も高まった。この水爆の実用化によって、米ソの核による冷戦構造のテンションはますます高まることになったのである。
 本書では、この水爆の開発経緯、そして米ソがそれを保有したことから生じたいくつもの問題点も指摘している。内容は、時には技術的にかなり細かな部分もあって、核兵器の原理などに関心のない方には読み進めるのがつらいところもあるかも知れないが、20世紀の冷戦構造の裏にあった真実を知ることのできる、貴重な本である。 (bk1ブックナビゲーター:青木謙知/航空・軍事評論家 2001.09.19)

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明らかになったソ連の各開発秘話

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 いろいろな意見はあると思うが、核爆弾が第二次世界大戦の終戦を早めたことは確かである。そして『マンハッタン計画』の名で進められていたアメリカの核兵器開発については、いくつもの本が発行されるなどしてかなり公開されている。それに対して、もう一方の核大国となった旧ソ連については、ソ連が秘密主義であったこともあってほとんど知られることがなかった。本書は、近年までに公開された膨大な文書と資料を基に、まずそのソ連の核開発の経緯を明らかにしている。
 そこには、驚くほど多くのアメリカ人関係者による情報提供があり、どのような情報がどう流れたのかを知ることができる。戦争中は、アメリカとソ連は最終的に協力関係にあり、核兵器についてもソ連は少しは知らされていたが、スターリンはスパイによる情報収集でより重要なことを多く知っていたことが分かる。しかしスターリンは、アメリカが日本に核爆弾を投下してその成果を目の当たりにするまでは、この兵器に現実味を感じていなかったことも本書でよく分かった。
 しかし、核兵器が実際に投下されると、それは一変して、ソ連でも本格的に大がかりな開発が着手される。そしてまた核兵器は、核分裂によって強大な爆発エネルギーを出す『核分裂兵器』(広島と長崎に投下されたものはこの方式であった)から、二つの原子核が一つに合体した時に生ずる核融合エネルギーを使った、『核融合兵器』に発展した。この『核融合兵器』は、『熱核爆弾』あるいは『水爆』と呼ばれるもので、より大きな爆発力を持つとともに、放射線効果も高まった。この水爆の実用化によって、米ソの核による冷戦構造のテンションはますます高まることになったのである。
 本書では、この水爆の開発経緯、そして米ソがそれを保有したことから生じたいくつもの問題点も指摘している。内容は、時には技術的にかなり細かな部分もあって、核兵器の原理などに関心のない方には読み進めるのがつらいところもあるかも知れないが、20世紀の冷戦構造の裏にあった真実を知ることのできる、貴重な本である。 (bk1ブックナビゲーター:青木謙知/航空・軍事評論家 2001.09.19)

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世界初?の軍事グルメ本

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 著者は、1993年にクロアチアの独立戦争で現地取材を行なって以来、たびたびバルカン半島方面の紛争を取材している(この8月も東チモールに出かけた)、若手の気鋭ジャーナリストである。数度にわたる取材で著者は、正に様々なものを得たが、その中の一つが、以前はCレーション、最近ではMRE(調理済み食料)と呼ばれている、戦闘糧食の食べ歩きであった。
 戦闘糧食というと、少し知識のある人なら、余り美味しくない缶詰をすぐに連想するかも知れない。確かに缶詰が主体だった時期は長く、これがコンパクトで日持ちし、戦場のどこででもすぐに食べられる食料だった。しかし近年、食品の加工技術は急速に進歩して、それは当然戦闘糧食にも反映されて、様々な形態の、いろいろな料理が作られている。しかもその内容や味付けに、それぞれのお国柄が現れていることが、本書でよく分かった。
「腹が減っては戦はできぬ」というように、兵士の軍事行動を支えるのは戦闘糧食である。しかも、基地に戻って食事をする航空機搭乗員や、艦船内の広い食堂で食事のできる艦艇搭乗員と違って、地上の兵士はあらゆるところが食堂となる。そのためこの携帯式糧食には簡単な調理キットも必要であり、それらの工夫も面白い。
 それ以上にすごいのは、22か国27種類の戦闘糧食を集めて、それをすべて試食したことだ。そして個々の戦闘糧食について、軍事ジャーナリストならではの細かな考察が加えられている。さらには量、味、調理性、携帯性を採点し、総合評価を下している。何が1位かは本書を読んでのお楽しみだが、特に味覚についてはあくまでも著者個人の好みが反映されている。
 それにしても、美味しくないとイメージを持っていた戦闘糧食が、こんなにバラエティに富んでいて、調べ出すと面白いとは思いもつかなかった。いいところに目を付けたものだ。

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搭乗員が語る日本本土爆撃の真実——6割の帰還率を30回、米兵も生死スレスレだった

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 第二次世界大戦の末期、日本は占領していた南太平洋の島々をアメリカに奪還され、硫黄島も占領された。これによってアメリカは日本本土を、重爆撃機による空爆の範囲内に収めることが可能になった。特に硫黄島の占領は、爆撃機に護衛戦闘機を随伴させることを可能にした。
 日本本土爆撃の主力は、ご存じの通り、4発重爆撃機のボーイングB-29であった。本書は、その搭乗員であったチェスター・マーシャルが、自身の記録を元に、忠実にそのミッションを記したものである。著者によれば、日本本土への爆撃は作戦上の必然であり、アメリカが自信を持っていたことが分かる。しかし、個々の隊員にすれば、常に個人の生死の境目に経たされており、毎回の出撃で生還できる割合は60%だったと、著者は述べている。そして、大平洋派遣任務を解かれて本国に帰れるのは、30回の対日本爆撃を完了した搭乗員だけであった。6割の帰還率を30回続けるというのには、運も大きく影響することが本書には記されている。
 著者のB-29のクルーは、全員無事に30回のミッションを達成し、終戦直前に本国に戻っている。しかしその間には、一歩間違えれば死に至っていたことが書かれている。もっとも、今日の常識で見れば、出撃を回避しなくてはならない状況になっても、彼らは航空機を飛ばしていた。これは義務からのものではなく、彼らの判断であった。戦争当時は、アメリカ人でも合理的な判断ができていなかったことを伺わせる。戦争はその日の出撃で終わるのではなく、翌日、翌々日も続くと考えるのが当たり前で、無理をして貴重な搭乗員と航空機を失うよりは、翌日に備えるべきであるのだが、さすがのアメリカでも当時はそうはいかなかったようだ。
 しかしそれ以上に、当時アメリカが日本のあらゆる情報をしっかりと把握し、戦略を立てていたことが、本書の端々から伺える。また補足の形で掲載されているアメリカ軍人捕虜への処遇は、いくら戦争中とはいっても、日本人として恥ずかしいと思わざるを得ない。

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今日の防衛政策を知ることのできる資料集

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 朝雲新聞社から毎年発行されている『防衛ハンドブック』の最新版。この『防衛ハンドブック』は、いわゆる資料集であり、日本の防衛政策における重要な文書類を全文掲載するなど、日本の国防に関する基本的な事柄を知る上で必要不可欠なものである。本書は14章立てになっていて防衛計画、防衛庁と自衛隊の組織と編成、人事、教育訓練、災害派遣と民政協力、予算、装備、施設、国際貢献などといった防衛庁関連のものに加えて、日米安全保障体制や米軍関係の資料、諸外国の防衛体制などについても章が割かれているし、日本の各政党の安保・防衛政策も掲載されている。

 この種の本は、資料的な価値しかなく読んでおもしろいというものではないことは確かだが、防衛政策を考える上で基礎的な知識を持つためには必須のものといえる。また中には、自衛官1人あたりの平均維持費が年間1千108万7千円かかるとか、航空学生出身者がF-15パイロットになるには、標準で4年11.25か月必要で、その養成経費は1人6億572万6千円かかるなどといった、雑学的な要素も入っているところがおもしろい。いずれにしても、日本の安全保障を研究する上では、欠くことのできないハンドブックである。

(青木謙知/航空・軍事評論家/2001.05.14.)

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旧ソ連時代の研究機に関する貴重な情報源——膨大なソ連航空機研究の歴史が今ここに!

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 旧ソ連、そして今日のロシアは、今でもアメリカに並ぶ世界の二大航空大国である。アメリカで、実用機の陰に隠れて多くの試験機や試作機が作られていたように、ソ連でも航空技術の研究機や、試作のみに終わった航空機が多数あることは知られていた。しかしそれがどのようなもので、どのくらいの数があったのか、正確なところは分からなかった。

 1980年代後半から始まったソ連の情報公開は、新型のソ連製航空機を西側にも披露するようになったのに合わせて、古い航空機に関する情報も流出することとなった。本書もそんな情報源の一つで、ソ連の航空技術が大きな進化を見せた1931年から、最新鋭戦闘機スホーイSu-27“フランカー”の原型機までの、様々な研究機や試作機が収録されている。構成は、時系列に沿ってこれらを並べており、ソ連の航空技術の進歩の課程や、あるいはどの時期にどのようなことを考えていたのかも分かり易い作りになっている。

 四半世紀前には推測するしかなかった航空機の全貌が、公文書や公式情報によって知ることができるようになったのである。なかには、これまで全く知られていなかった航空機もある。ソ連航空機の研究の歴史を知る上では、欠かすことのできない一冊といえよう。

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神風特攻の記録

2001/03/19 10:19

第一神風特別攻撃の正確な記録

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 今更いうまでもないが、特別攻撃とは敵を倒すための自爆攻撃である。今日の感覚では理解できない作戦ではあろうが、当時選ばれた隊員は国のためにと身を捧げた。この作戦は決して尊敬されるものではないが、非難されるべきはそれを立案し命令した司令部であり、尊い命を捧げた個々の隊員では決してない。また、その記録を正確に残すことが、彼らの行為に報いることになろう。

著者は、限られた現存する資料や、関係者への取材を進めるうちに、たとえば公文書自体に誤りがあることなどを発見する。いくつかの資料のクロス・チェックから、公文書とはいえども誤りは誤りとして、新しい真実を探り出した。隊員の役割が違っていたり、氏名が間違っていたりなどを多数訂正しており、またなぜ敷島隊が最初の特攻部隊として誤って記録され、今日まで語り継がれているのかなど、多くの真実を本書で明らかにしている。

 これだけ詳細な調査に、かなりの労力を必要とすることは想像に難くない。このため本書は、第一神風特別攻撃隊に主に対象を絞っている。多角的なとらえ方で当時の戦況も詳しく述べ、さらには生存者の証言でも1章を設けている点も本書の価値を高めている。

 それにしても、最初の特別攻撃の報告を受けた昭和天皇が、「かくまでやらねばならぬということは、まことに遺憾であるが、しかしよくやった」という叱責を込めた愛惜の言葉が、なぜ現地には「激励」の意味に変わって伝えられたのか? この軍部の勘違いが、その後の特攻競争を生んだのは間違いなく、物事を自分の都合の良いように解釈して悲劇を増大した悲惨な例といえよう。

 また、『神風』は、『かみかぜ』と読まれることが多いが、正しくは『しんぷう』である。ワープロ・ソフトで『しんぷう』で変換できないものがあることが悲しい。

(青木謙知/航空・軍事評論家/2001.03.17.)

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紙の本佐久間艇長の遺書

2001/03/05 11:07

軍人であり父親であり……

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 明治43年4月15日に、日本海軍の第六号潜水艇が、母船から離れて半潜行の訓練に入った直後に海水が進入する事故を起こし、艇長であった佐久間勉大尉(30歳)以下、14名の乗組員全員が死亡した。今でも潜水艦の潜行中の事故は、乗組員が生還できる可能性は低く、当時としては尚更のことであった。佐久間艇長は浮上するためのあらゆる手段を採ったが、浮上は不可能となりそのまま死を待つしかなくなった。そこで佐久間艇長は、事故の模様などを含む比較的長い遺書を書き残した。その内容は当時深い感銘を与え、後に夏目漱石が『文藝とヒロイン』というエッセイを書いた。

 本書は、その佐久間艇長の遺書に加えて、母船の『韓崎』に残されていた家族宛の遺言状のそれぞれ全文が中心で、他に第六号艇の遭難と各種資料が付けられている。潜水艇内で書かれた遺書と公遺言は、軍人そして潜水艇艇長として、死に直面しながらも最後まで義務を果たすという佐久間艇長の責任感が感じられる。しかし佐久間艇長がばりばりの軍人ではなく、家族などへの思いやりもあったことが、家族宛の遺書から読みとることができ、わずかの文章ではあるが佐久間艇長の人となりをうかがい知ることができる。

 現代では、このような話が感銘を与えるかは分からないが、ふとしたときに読み直すと、自分を見つめ直すことができるかも知れない。

(青木謙知/航空・軍事評論家/2001.02.28.)

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紙の本第一次世界大戦 下

2001/02/22 20:10

20世紀最初の大戦の徹底分析

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 以前に紹介した『第二次世界大戦 上下』と対をなす、リデル・ハートの名著の復刻版で、これで戦争の世紀といわれた20世紀の世界大戦の全貌が分かる。本書も1970年にイギリスで初版が刊行され、1976年にフジ出版から翻訳版が発行されていたもの。その後長く品切れ・全般が続いていたが、このほど復刻されたものである。

 第一次世界大戦の主戦場はヨーロッパであり、世界大戦とは言うものの日本は直接は関係していない。それだけに、第二次世界大戦に比べれば縁遠いものに感じられるが、第二次世界大戦の遠因は第一次世界大戦の終戦処理にある。その点では二つの戦争は分断できるものではなく、この戦争の発端からどのような経緯をたどったのかは重要である。本書は、様々な文献や資料を駆使し、第一次世界大戦を多面的に分析し、著者が戦争研究者としての名声を獲得した名著だ。

『第二次世界大戦』と同様に、巻末には豊富な研究資料や年表などがあり、その充実度は第二次世界大戦以上である。20世紀前半の世界を知るには、『第一次世界大戦』と『第二次世界大戦』はともに不可欠の書と言えよう。

(青木謙知/航空・軍事評論家/2001.02.20.)

※リデル・ハート『第二次世界大戦』、上巻はこちら→、下巻はこちら→、です。(青木さんによる書評付き!)

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