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先月(2017年6月)

金村修さんのレビュー一覧

投稿者:金村修

1 件中 1 件~ 1 件を表示

まほちゃん

2002/02/06 18:15

「待っている」写真

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「僕の写真はあくまでも〈ウォッチング〉ですから。登久子さんやまほを撮るのも、犬や猫や、自転車を撮るのと同じで、〈ウォッチングの対象〉なんです」(島尾伸三インタヴュー、『月光』第19号、南原企画)。
 写真はただ見ること、ただひたすら見ることだけ。写っているものが自転車でも子供でも画面の中ではみんな同じだ。子供や自転車という社会的な理解の枠組みを越えた所で写真は写ってしまう。子供も自転車も写真の中ではみんな同じモノだ。子供の意味内容や子供を何かに説明するためにこの写真集はあるのではないし、もともとこの写真集には何かを意味づけたり探求したりするものが何もない。指示されるような気持ちよさもなく、何も指示しない。ただ見ている事だけが全てのような、どんな言葉にも置き換えられない写真。これは“可愛い”子供とか、“懐かしい”風景とかの形容詞が取り払われた世界。
 「僕が登久子さんや子供(真帆)を撮る時って、犬や猫や自転車を撮るときと同じ気持ちなんですよ」(前出)。写っているものは子供だろうが、それが子供について何かを指示している訳ではないし、何かを指示しようにも一枚一枚の写真の中にはたくさんの量のモノが写り込みすぎて、一体何を指示しているのか分からなくなっている。島尾伸三は、「観察して、おもしろいからから撮る」という。その「おもしろい」に積極的「おもしろ」さがある訳ではなく、ただ待っているだけ。待ちうけるとかではなくただ待っている。目の前の被写体を黙って肯定するだけの消極的な、「待っている」。だけど写真家にほかに何ができるだろう。写真家は何も出来ないし、何かをやる気持ちもない。何かを写す何かのためとかいう積極的な気持ちを写真の中から放棄することで、『まほちゃん』はただ写真としてだけで存在する。
 “可愛い”子供とか、“懐かしい”風景なんて写真の中には存在しない。写ってしまったものは全てみんな同じモノになってしまうだろうし、島尾伸三の写真は子供とか風景とかの一般的な階層区別を廃棄してしまう。『まほちゃん』は共同体的な通念に回収されることを拒否する。『まほちゃん』は“何か”を写して、“何か”を問題にしている写真集ではない。“何か”を廃棄することで写る写真集だと思う。(金村修/写真家)

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