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  3. 大月隆寛さんのレビュー一覧

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    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    中野 ジェームズ修一 (講師),日本放送協会 (編集),NHK出版 (編集)

    5つ星のうち 4.0 レビュー詳細を見る

大月隆寛さんのレビュー一覧

投稿者:大月隆寛

37 件中 1 件~ 15 件を表示

昭和三十年代、最もイキの良かった頃の京大人文研のまわり

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 長生きはするもんだ。特にこういう語り口を持てる知性はなおのこと。
 八〇歳を超えた老碩学(このもの言いも最近聞かないなあ)が、自分の歩んできた道をふりかえる一冊。専門は経済史。とは言え、そんな堅苦しい歴史学じゃない。昭和三十年代、最もイキの良かった頃の京大人文研のまわりで育まれた、筋金入りの文科系が微細な「もの」や「こと」の側から歴史に向かった次第。確か『時計の社会史』なんて本が、あたしのガラクタ書庫にも並んでたはずだが、そうか、こういう出自背景のシトだったとは。
 大塚史学(当時の歴史学の主流。早い話がマルクス主義バリバリ史観)に対する対抗意識の横溢していた当時の人文研が、そこから「アンチ東京=中央」意識を明確にしていった、なあんてエピソード、いろんな意味でいい証言だ。梅棹忠夫の大風呂敷「文明の生態史観」が出て、今西錦司のサル学がイケイケになってて、そりゃガクモンってのは死ぬほどおもしろいと思える時代だったはず。こういう知性の育まれ方そのものが、今や「歴史」になっちまってるってことも含めて、思いっきり楽しんで読もう。特にいまどき全くヘタレになっちまってる文科系の若い衆におすすめだ。

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オンナだったら何でもまんせ〜、になりがちな偏差値世代の優等生ネエちゃんたちの中では、ひと味違ったもの

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 近代ブンガク史および日本近代史方面で、こういうジェンダー論がらみの立論ってのはずっと流行りらしくて、出版物はもちろん、修士論文なんかの題目を検索してみるとこのテは山ほどひっかかる。一方、新書サイズのライト版専門書ダイジェスト、てなここのところ目立つパッケージングの企画は、ここ青弓社でも立ち上がってて、その双方流行りが交錯したところにできた一冊。とは言え、こりゃ中味はなかなか濃い。
 明治時代に輸入された「恋愛」が、大正時代にどのように現実におろされ、解釈/上演されていったのか、というのがライト・モティ−フ。とは言えこの著者、それを大正期の男性インテリを可能性の相において読み直そうとし、与謝野晶子や平塚らいてうといったお墨付きな「オンナ」の仕事までも、これら同時代の男性インテリとの関係において正しく位置づけなおそうとするのはいい向こう意気で、オンナだったら何でもまんせ〜、になりがちな偏差値世代の優等生ネエちゃんたちの中では、ひと味違ったものになっている。もちろん、佐伯順子の「恋愛」論などもきっちり批判の俎上で、このあたりはあたしも総論異議なし。それにしても、この方面における佐伯順子ショックってのは、そんなに強烈だったんだなあ、と改めて痛感しましたな。小谷野敦が眼の仇にするわけだわ。
 ただ、この著者も琉球大に就職したらしいから、かの沖縄インテリ世間のとんでもない呪縛(化石サヨクというもの言いすら、まだ生やさしい)にかかって、ただの大学のセンセへと「上へ向かって堕落」するのでは、と、ちと気にかかる。文科系のガクモンがメルトダウンしてゆく状況で、こういうテキストと解釈/上演のダイナミズムも含み込んだ「歴史」のとらまえ方をさらりとできる知性ってのは、これから先、間違いなくこの日本語を母語とする版図の第一線で頑張ってもらわねばいけないんだからさ。

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竜のごとく 宮崎滔天伝

2001/08/22 19:57

宮崎滔天だ。誰だよそれ、って口とがらせるいまどきの若い衆よ

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 贔屓ってのはこうするもんだ、ってわけで、同じ葦書房のもう一冊。
 宮崎滔天だ。誰だよそれ、って口とがらせるいまどきの若い衆なら、よし、一発騙されたと思って読んでみてくれ。ウヨだサヨだとしゃらくさい能書きをバーチャルにさえずる片手間にでも、かつてマジに「革命」を、それもシナの「革命」から日本の「革命」をやらかそうと夢想したこういうバカがいた、ってことを知ってもらってもバチは当たるまい。漢文の素養がサムライ出自の知識人にとっての当たり前だった時代、シナもまたほんとに「近い国」だったのだ。
 もとは『熊本日々新聞』に連載されていた原稿。著者には、まだ完成途上の『宮崎兄弟伝』というライフワークもある。滔天の評伝は、同じ熊本人脈の渡辺京二による『評伝・宮崎滔天』が個人的には好きだが、こういう実直な入門書、手軽に読める評伝というのも絶対に必要。「右翼」だの「大陸浪人」だのとレッテル貼りされてきたこれまでの滔天像も、いまどきのこの思想史的大転換の時期には、また新たな読み手と出会って組み換えられるべきだと思う。次には、巻末の参考文献から拾って読んでゆくのをすすめたい。

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正直言って、いまどきのフツーの本読みにゃかな〜りアクが強いはず

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 うはははは、吉田司だあ。
 思想的にも方法的にも経済的にもほぼ溶解しきっているルポ/ノンフィクション界隈で、未だ何とか身体張って〈いま・ここ〉と切り結ぶ「もの書き」として一本立ちして頑張ろうとしている、天然記念物のような御仁。ここのところサブカル出自(なにせ小川プロの助監督やってたくらいだ)のお里がさらにはっきり出てきて、いまどきもう芸風としても成り立ちにくい流行唄だの映画だのを糸口に現象と四つに組むという野蛮なことをやり続けている。それでもあたしゃ贔屓だから読むけどね。正直言って、いまどきのフツーの本読みにゃかな〜りアクが強いはずだ。
 でも、その発酵加減を敢えて楽しむってのもあるぞ。ここは90年代後半からこっち書き散らしてきたさまざまな原稿をまとめた一冊。龍と春樹のダブル村上から沢木耕太郎、松田聖子につんくにたけしに渥美清まで、当たるをさいわい食いついてバリバリ噛み砕こうとするこの馬力は愛でておきたいじゃないか。ただ、これはやはり団塊ゲバ棒世代の限界、宇多田ヒカルや安室、田口ランディ(爆笑)あたりを前にすると、こりゃもう大空振りに空振る。そのズレ具合も含めて、活字で〈いま・ここ〉と取っ組み合うことの難儀を考えるいいテキストになると思う。かつて『人間雑誌』なんてルポ/ノンフィクション史に残るシブい雑誌を自前で出してた版元から出しているのも、編集者の心意気が垣間見えて泣けたぞお。

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旅行用心集 現代訳 新装版

2001/07/25 02:29

江戸時代末期、文化年間に出された旅行のためのガイドブック

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 江戸時代末期、文化年間に出された旅行のためのガイドブックを現代語に翻訳して復刻したもの。三十年ほど前にも一度出たが、またぞろ読みたいという声があっての再登場らしい。
 時代はなにせ『東海道中膝栗毛』が出され、伊勢詣りが全国的に盛り上がり、その他富士講だの何だのと、そういう「信仰」をタテにした愉しみとしての旅行が大衆的に広まった時期。海外の日本研究者が未だに眼をむく近世のモビリティー(移動性)の高さが本格的にはっきりしてきた時代だ。ざっくり言って、二百年前の『地球の歩き方 国内版』だと思っていい。所持品から道中の心得に始まり、「宿屋で蚤を避ける方法」など徹底的に個別具体のアドバイスが続くのが楽しい。「歩く」速度と「旅」とが必然として結びついていた時代。その中での生きる知恵をまとめた、サバイバルノートでもある。外国船がそろそろ来航し始め、江戸では例によって大火が続き、さらには飢饉も干ばつもあった時代なのに、みんなこれだけ「旅」に熱中していた、思えばつくづくけったいな民族だよなあ、われらニッポン人って。

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携帯電話という「もの」の氾濫がもたらした変化

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 浅羽センセイ、満を持してのひさびさの登板、であります(なんかもう雰囲気は岩田鉄五郎みてえ)。
 法政の二部でやってた講義をもとに携帯電話論をやる、ってハナシはずいぶん前から耳にして期待してたんだたけど、こうして何とか形になったのはまずめでたい。ただ、編著、なんだよねえ。書き下ろし原稿は各章のアタマにそれぞれあるだけで、ボディの部分は、山田太一や大平健、斎藤環に朝倉喬司、果ては何の間違いか今一生なんて場違いなのまで引っ張り出しての対談原稿をさしはさむ組み立て。う〜ん、途中で息が切れたかあ? このへん、旧別冊宝島以来の担当編集にして現編集長I氏の苦労がしのばれるってもんだが、それでも、だ。中味は必要十分な水準を満たしている。さすがだわ、センセイ。
 芸風が今となってはいささか古色蒼然、80年代テイストな衒学的文体になるのも仕方ない。SFから商品音楽、映画などなど、氾濫するサブカルチュアの銀幕に映し出されるモバイル気分を散りばめながら、携帯電話という「もの」の氾濫がもたらした変化を七転八倒、語ってゆく。細分化され硬直したガクモンやルーティンワークしかできなくなったジャーナリズムではすでに全貌が見えなくなっているニッポンの〈いま・ここ〉の姿を素手で何とかわかろうとする、このアホな心意気こそが今や絶滅品種たる活字の知性の心意気ってもんだ。

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とにかく「洋楽」に触れることが、まだひとにぎりのサブカルエリートたちの特権だった頃の「いい話」が満載

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 ワイルドワンズったって、いまどきピンとくるのは四十代後半以上だろうが、かつてのグループサウンズブームを、その渦中にいたひとり加瀬邦彦がゆったりと回想する一冊。
なにせ幼稚舎からの慶応ボーイ、学生バンドからスパイダースに、そして寺内タケシとブルージーンズへと移籍したが、「ビートルズを客席から見たい」という理由で脱退、ビートルズを意識して結成した新しいバンドがワイルドワンズだった。ギターでコード主体という我流の作曲ぶりに、音大で正規の音楽教育を受けてきた当時売れっ子の作曲家宮川泰が眼をむいたこと、弦にライトゲージのあることが理解できずにチョーキングのために指の筋トレまでやった話、……とにかく「洋楽」に触れることが、まだひとにぎりのサブカルエリートたちの特権だった頃の「いい話」が満載。組み立てはいささかゆるいけれども、高度経済成長期の情報環境を地道に考える際の、貴重な民俗資料になるはずだ。

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紙の本政治の教室

2001/11/28 08:18

読みようによっちゃこれ、プロレタリアート……じゃなかった「公衆」独裁論にもつながるフシもある

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 とにかく、新書ラッシュであります。このオーバーヒートは近い将来、ミソもクソも一緒くたの新書市場大崩壊を招くでありましょう。具体的には、目先の関心を拾ってゆくような、言わば雑誌の特集記事の水増し解説版として読み捨てられるばかりで、書物という鈍重なメディアの蓄積に寄与できないまま表層を忘れ去られてゆく、と。これ、ひとまずあたしの予言ね。ただ、敢えてネガティヴな点だけでなくポジティヴなところも言っておけば、甲殻類のような知的言語の文体がぐっとくだけた話し言葉に近くなってきたこと。早い話、誰もに読みやすい文章でないとインテリもやってられなくなったってことで、それはひとまず慶賀すべきことだと思う。
 で、橋爪大三郎の出番となる、と。社会学者の肩書なれど政策的提言と身のこなしは古典的な大学人(今や「バカ」の異名だが)よりもむしろ、官僚ブレインなどに近い。語り口も穏健で冷静、かつ常識的。ここでは草の根民主主義こそが民主主義の基本、と今どきなお恥ずかしげもなくアジりまくる。と言って、このシトだからありがちなバカ市民主義には堕さないのね。「いい大人が大勢集まって、治安のこと、教育のこと、道路や水道や電気のこと、雇用や産業のこと、軍事や外交のことを、まじめに議論しあう。そして実際に、政府や社会制度をつくりあげてしまう」ことを生真面目に考え、具体的な方法まで丁寧に示唆するのであります。
 大文字のもの言いの役立たずさがいまどきの文科系不信の根源だとしたら、その大文字に実践という背骨を叩き込もうとするシトなのは間違いない。これをこのままテキストにして選挙に出馬するのが出てくるのもあたし的にはいやん、だが、でも、読みようによっちゃこれ、プロレタリアート……じゃなかった「公衆」独裁論にもつながるフシもあるから、そのヤバさに免じて眼をつぶろう。そう、ヤバいのよ、橋爪センセって。だって他でもない、あの小室直樹の愛弟子、だったんだもんねえ。

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紙の本聞き書きにっぽんの漁師

2001/11/22 13:56

「近代」は陸よりもむしろ、海から先に浸透したところもある

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 何のけれんもなし。文字通りに「聞き書き」であります。
「(…)漁業が明らかに廃れつつある。漁具も装備も船も変わった。素晴らしく高価なものが装備されているのに、漁獲は下がる一方である。かつて水産国ニッポンといい、水産物を輸出していた国が自給率五十パーセントほどの輸入国になってしまった。私たちの食卓に並ぶ魚介の半分は他国の漁師がとったものである。」
 沖縄・糸満から北海道・宗谷まで、全国一三人の漁師たちの記憶と経験とを素朴に紙に移した。元が『新潮45』の連載だからまとめっぷりが穏やかというか、良い意味で「ブンガク」風味になっていて、訛りや語彙などもかなりなめされているようでちと残念だけれども、著者の仕事自体の誠実さは伝わる。「近代」は陸よりもむしろ、海から先に浸透したところもある、というのはあたしの持論だけれども、そんな先端で堆積されてきた膨大な経験の気配は、道具についての工夫や知恵の語りの微細さからもうかがわれる。できれば、元のテープベースのゆるいテキストなんかもどこかで活字化してもらえれば、と思うのは、すまぬ、民俗学者の欲目ってやつでありまする。

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「馬力」と通称された小輸送の馬匹たちについての本

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 素晴らしい。ただそうとしか言えない(涙)。
「馬力」と通称された小輸送の馬匹たちについての本である。企画したのは(社)東京都トラック輸送協会。ささやかな「業界」の歴史についてこうやってまとめておくという志は、さまざまに出されて蓄積されている社史(実はあたしゃかなり贔屓だぞ)なんかもそうだけれど、いずれ大きな「文化」の土俵できっちり評価されるべきものだ。
 中長距離は鉄道というインフラで、そこから先は大八、荷車、リヤカーその他も含めた馬力で、という組み合わせで「日本」という国土をカバーしようとした輸送史の近代。それがトラックにとってかわられてゆく過程を見てゆけば、いきおい消えゆく馬と馬力輸送にも眼がゆく。そんな長年の資料探索と聞き書きとが、こんな形に結実した。
 とにかく、競馬の側から「馬の近代」を見ようとしてきたあたしなんかにすりゃ、死ぬほど興味深いエピソードが満載で宝の山なのだが、ひとつ紹介すれば、池袋西口の「びっくりガード」がもともと馬力の馬たちが電車の音にびっくりすることから名付けられた、という導入から入って、その界隈が池谷戸と呼ばれる馬力業者の集積地帯だったことを解きあかしてゆくくだりなんかもう民俗学丸出し、脱帽ものだ。コラムなどで「馬マニア」たちのささやかな好事家ぶりを紹介し、小さな資料を発掘してゆくあたりも泣ける。経済史関係でもとりわけこういう交通史、流通史、中小企業論てな方面の仕事には、民俗学者の眼で見てほんとに豊かな細部が満載、ってことが結構あって、そのへんもまた、文献史学の正規軍の可愛げのなさ(それはいまどきのカルスタなんかにも「伝承」されてるようだが)と実に対象的。ガクモンっていいな、と柄にもなく思うぞ。

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眼前の風物から「歴史」を引き出し、「日本」を透視しようとする姿勢

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 松本健一、ってのは、さて、どういう具合に「評価」したらいいんでしょ。
「思想史」ってやつがはっきりひとつの枠組みとしてあった頃なら、間違いなく「評論家」の主流。「論壇」ってやつもきっちり仕切れるひとりだったはずだけれども、なにせ冷戦構造の崩壊という外枠に、サブカル状況の全面化という内部事情があわさって、こういう「思想史」の枠組み自体がまずは雲散霧消。七〇年代当時は「土着」派の新進気鋭として出てきたこのシトも、いつしか「保守」のレッテル張られて、時には小説まで書いたりしながら、かなりきつい渡世をやらかしてる印象がある。
 これは、もともと『週刊読売』(リニューアル前のね)連載の原稿とか。こういう風土や景観に何やら「深遠な歴史」(オビにこう書いてあるもん)を見る、てな芸風は、これで一番ゼニ儲けにしたのは五木寛之、ひところは石牟礼道子や森崎和江あたりも得意技にしてたし、あとは梅原猛やら時に山折哲雄、谷川健一あたりのベテラン学者系がやらかしたりするもの。でも、さかのぼればこれって、小林秀雄や保田与重郎あたりの「日本浪漫派」界隈のブンガクあたりから形成されてきてる手口で、いまどきだと一歩間違えたらトンデモに横転するヤバさも十分含み持ってる、と。
 紀行が紀行として成り立たず、カタログ的なアイテム紹介か、でなきゃ広告コピーまがいの空虚なクリシェで十分な昨今、こういう芸風を受け入れる読み手がどのへんにいるのか、かなり謎だけれども、それでも「思想史」の仕込みはダテじゃない証拠に、眼前の風物から「歴史」を引き出し、「日本」を透視しようとする姿勢は、さすがにコスプレ保守世代のスカたちにはできない芸当。ちりばめられた固有名詞をひとつひとつほぐしてゆきながら読む辛抱強さがあるなら、ある種叩き台として読んでみるのは悪くないかも知れない。

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紙の本河内 社会・文化・医療

2001/10/30 21:30

〈いま・ここ〉の「河内」イメージのその下敷きになっている歴史・風土について

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 地方の小さな出版社てのが、いまどきどういう具合に食いつないでいるのか、なにせ東京その他大都市の御本尊がかなり断末魔の昨今、気にはなっていてもなかなかそこまで眼くばりができないでいたのだが、こういう本も出るならまだ希望はある。
 地方史という枠組みでのひとつのオムニバス的な仕事と言っていいかも知れない。古代から中世、近世あたりまでの文書を中心に、自由民権運動あたりまでもちょろっと視野に入れながら、「河内」という地域の文化、風土、地域性といったものの形成を、行基や小野篁の伝説を素材にしたり、城郭の遺稿を扱ってみたり、あるいはお約束の村での騒動の地方文書を引っ張り出したり、あの手この手で明らかにしてゆこうとする。方法的一貫性はないが、全ては「河内」に収斂する、というわけで、ひとまずそういうまとまりは持たせてあるという次第。後半、近世末から近代初期にかけての地域医療の展開についてのパートが、おそらく一番ウエイトが乗った章だが、いずれにしても、〈いま・ここ〉の「河内」イメージのその下敷きになっている歴史・風土について、その概略を知ろうとする上でのエントリー文献になる一冊ではある。値段2,800円。初版部数推定、う〜ん、二千部あるかなあ。でも、図書館その他には入りやすいはずだし、地道に地元で読まれたらいいな。

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窮屈で硬直した当時の農村・村落史界隈に新しい空気を持ち込んだ

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 これまた八〇歳に近い老学者の手による一冊。今やそのスキーム自体が崩壊しちまったような農村史・村落社会史が専門のひとりってことになるのだろうが、人文地理学の方向から「ムラ」に関心を持って入ってきたってあたりが、史料と観念でがんじがらめになりがちだったはずの歴史学プロパーからのシトとの入射角の違いになっている。このへん、同じく経済学から経済史てな方向から「ムラ」にやってきたシトなどと共に、窮屈で硬直した当時の農村・村落史界隈に新しい空気を持ち込んだ流れだったってことだ。「地歴」なんてもの言いで、地理と歴史がひとまとめだった時代のガクモンの枠組みを知らないと、このへんちと手ざわりがわかりにくくなってるかも知れない。
 時代区分マンセ〜、な文献史学のタテ割り官僚主義に対して、ムラは近世以前からずっと連続して存在しているという当たり前の見方を提示できたのも、「ムラ歩き」(確かに、こういう言い方してたなあ)の賜物。こちとらからすりゃ、民俗学の内側からはこの程度の「ムラ」認識すら出てこなかった、ってあたりが情けないが、いずれすでに歴史的産物になっちまってるこれら「ムラ」まわりのガクモンってやつも、きちんと引用/参照できるような環境整備がそろそろ本腰入れて必要ってことになるのだろう。

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紙の本都市の穴

2001/10/11 03:54

『新・耳袋』の著者たちが出した一冊

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「都市伝説」ってもの言いも、すでに定着したと言っていいんだろうな。かつて、“urban legend”の概念を提出したアメリカ民俗学のマスターピース、ブルンヴァンの『消えるヒッチハイカー』を海のこっち側に持ち込んだ首謀者としては、まあ、喜ばしいっちゃ喜ばしい。
 一時期、類書が翻訳されたりしていたけども、ニッポン自前での「都市伝説」と四つに組む仕事はなかなか出ない。民俗学界隈でもないし、その他ブンガクや社会学がらみでも、妙に「噂」論みたいなところでちぢこまってやがって、ブルンヴァンのあの闊達さはかけらもない始末。そりゃあ、一般世間ってやつはたかだか『学校の怪談』程度でいいんだろうけど、「都市伝説」の概念が、本来持っていた知的排気量からすれば、このへん情けねえよなあ。
 これは、そういう類書の中では最近、結構売れたらしい『新・耳袋』の著者たちが出した一冊。耳タコの定番「猫バーガー」から「死体洗いのバイト」から「ディズニーランドの迷子」から、一応網羅され紹介されているエントリー版てなところか。こまっちゃくれた分析や解説はあらかじめ禁欲してある分、乾いた資料として読めるのは悪くない。中身は薄いけれども、「読みもの」レベルで「都市伝説」を知ろうという向きには、とりあえず手にとってみていい本だとは思う。でも、ワイドショーとかのネタ本として売れそうな気がするけどね。

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沖縄の戦後サブカルってのは興味津々

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 最近、この出版不況の真っ只中でも、映画関係の資料性の高い本は確実に出るようになっている。ホームムービーはもちろんのこと、高性能パソコンやDVDの普及などで、映像制作に色気を持つ素人が増殖していること、音楽から映像へというマニアックな志向性がこれまで以上に広がりを持つようになってきていることなどが理由だろうが、何にせよ、これまでの「映画史」をもう一度相対化してゆくためのささやかな資料環境が整備されてゆくのはありがてえ。
 こんなのも出たぞ。沖縄の映画状況を概括的に知るためにはいい一冊。沖縄の戦後サブカルってのは興味津々で、小那覇ブーテンとかワタブーショウとか、いわゆる「お笑い」バラエティの成立に至るアメリカ経由の直接接触事例として、あたしも気にかけてはいたのだな、これが。そういう芸能がらみの外濠というか、少し前までサブカルの王様だった映画がどれだけ盛大に盛り上がっていたのかについての具体的な証言がまとまったのは、すばらしい。とにかくその熱狂ぶりは、こりゃもうほとんどニッポンじゃない(笑)。巻末の資料も例によって誠実だし、沖縄でのCIEの文化統制についても概略知ることができるし、手もとに置いておきたい資料だ。地元の活動弁士、瀬那覇肇なんていい顔してるぞお。

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