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  3. 片岡直子さんのレビュー一覧

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    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    中野 ジェームズ修一 (講師),日本放送協会 (編集),NHK出版 (編集)

    5つ星のうち 4.0 レビュー詳細を見る

片岡直子さんのレビュー一覧

投稿者:片岡直子

84 件中 1 件~ 15 件を表示

基本的にローマ字読みをすればいいというイタリア語。「ひとりでも作文の練習ができるよう工夫」された一冊

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 習ってもいないのに、イタリア語が親しみやすく、懐かしく思えるのは、何故だろう。

 先日、イタリア大使館で知り合った、翻訳家の女性は、「単語が母音で終わるからかしら」と、おっしゃっていたけれど、何か拒絶されていない感じがある。
 普通に日本で暮らしていて、受け取るイタリアの印象というのは、陽気で、開放的で、とにかく明るくて、楽しそう。海に囲まれた半島の国の、美味しいお料理、ピザ、パスタ、ワイン、そんな感じだ。

 以前書いた詩が、この度、イタリア語訳されることになり、イタリア文化会館の「詩の祭典」に参加しているうちに、本書を手にとってみた。

 けれど、本書は、初歩から少し踏み込んだ内容だったので、本書と並行して、基本的な会話の本、旅行ガイド、TVの初級講座のテキストなども、読み進めていった。
 電車や、ベッドのなかや、トイレや、いろいろな場所で読んでいたら、なんだかイタリアという国が、自分に開かれているような気がしてきて、親密な気持ちになる。
 ドイツ語とフランス語、それからスペイン語は初級と中級を一度に受講したりして、かなり無謀な感じで、大学の選択でかじったけれど、イタリア語は全く未知だった。
 「イタリア語は基本的にローマ字読みをすればいい」と、NHKのテキストにもあり、自己流で発音してみれば、なんだか、イタリア人に一歩近づいた気分になる。

 A mia sorella piace l’Italia.
 私の姉はイタリアが好きです。

 このあたりから、「基本表現」が始まってゆき、その後に、「ワンポイント」や、「基本表現の解説」があり、「応用練習」へゆく。「旅のお供」的な会話の本より、もう少し踏み込んだ、文法的な解説が、なされている。

 「この本の特徴と使い方」には、「この本では、日常生活においてよく使われる表現や構文を、文法やテーマ別に52の課に分け、作文の形式を通して練習していきます」とある。
 著者の、木下大朗による「はじめに」には、「ひとりでも作文の練習ができるよう工夫しました」とあり、本格的にやるのなら、ペンを手にして、書いて覚えてゆかないとな、という感じ。それでも、「難しいと思ったら、先にイタリア語を見てしまうのもひとつの方法です」ともあり、何はともあれ、堅苦しくなく、イタリア語に親しんでもらおうという意図が、伝わってくる。ノートを買ってきて、まずはイタリア語を書いてみようと思う。 (bk1ブックナビゲーター:片岡直子/詩人・エッセイスト 2001.05.25)

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「紙の辞書」によるハンディの究極を追求。四半世紀ぶりの全面改訂によるコンサイス英和の大きな活字版

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 辞書を支えているのは、何といっても誇りだろう。この辞書の変遷を、本書の後ろの「コンサイス英和辞典の歴史」で読み、興味を持ったので、三省堂に電話をしたら、本書の1922年発行の初版の『袖珍コンサイス英和辞典』は、水道橋駅近くの三崎町の本社に保管してあるとのことだった。機会があれば事前に連絡をして、見せてもらいにいこうと思っている。ちなみに、初版があるのは、英和だけで和英は無いとのこと。また、2001年には、この初版の復刻版が、発行されている。四半世紀ぶりの全面改訂を経て、その充実は計り知れない。「まえがき」には、「英米の最新の辞典・事典ばかりではなく、英米の新聞のCD−ROMの検索によって、用法の確認も怠らなかった」とある。辞書は長い期間を費やして改訂されるので、編者が亡くなられたり、編集担当が替わったりと、その全てが、一冊にまとめられてしまう。その辺りの心意気を読んだ上で使用すると、辞書の魂が乗り移ってくるような気持ちになる。256ページ増えたことを、conciseを旨とする本書の編者の木原氏は、残念がっておられるけれど、この軽さなら、従来のコンパクト感を保ったまま、懇切丁寧な解説と、豊富な用法を知ることができるのだから、読者にとっては、良いことばかりだろう。私が学生時代にお世話になっていたのは、コンサイスの英英だった。柔らかい手触りと、カバーの白とが大好きで、愛される辞書の特徴を備えていると感じていた。重い「紙の辞書」を買うよりも、電子辞書を買おうという人も増える中、今後の展開を見守り続けている編者のためにも、この労作がたくさんの人々の手元に届くことを願っている。また、どうしても最新の情報を見たい人のために、インターネットとの連動があっても良いだろう。そのことにより却って、「紙の辞書」が、生き残ることが可能になるのではないかと思う。 (bk1ブックナビゲーター:片岡直子/詩人 2002.05.25)

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もしかしたら一生登ることの無い山からの風景を楽しむだけではなく、写真撮影までが、できてしまう一冊。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 私には、とても良いおもちゃだった。
 けれど、これで遊ぶには、少し予備知識があった方が良いだろう。
 どこから眺めると、どの山がどう見えて、どの時間帯に、どう光り輝くかなどということを知っていると、かなり楽しめる。
 大学のとき、自転車部で日本中を走り回り、富士山をはじめとして、気持ちの良い高い山々にも、自転車で登った。多分私の場合、自転車部に入らなかったら、日本の地理についても、もちろん山々についても、あまりにもチンプンカンプンのうちに、死んでしまったと思う。
 夫の転勤で、長野に住んだ時は、一日のうちの六時間、娘を連れて、その頃使っていた軽自動車に乗って、毎日、観光育児にでかけた。
 北アルプスの山が美しいのは、朝日を浴びる午前中なので、全速力で出かけて、山肌に見とれていたりした。
 そういうことがわかっていて景色を探すと、山の風景の楽しみ方も膨らむ気がする。
 勿論本物には負けるけれど、勝手に、無い湖を造ったりという楽しみ方もできる。
 画面上に線を引くだけで、簡単に断面図が作れるし、雪景色も、晩秋の色使いも、思いのままの、写真を撮影することもできる。
 アルバムに保存しておくと、いろいろなことに使えるし、山には名前が表示されるので、何だっけこれは? などと、ぼんやりせずに済む。
 関連サイトを開いてみたら、火星の写真まで撮影されていた。
 親切すぎる一冊かもしれないけれど、とにかくすごい。 (bk1ブックナビゲーター:片岡直子/詩人 2002.05.09)

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紙の本例解新漢和辞典 第2版

2002/02/13 18:15

「日本語での用法」欄では、漢字本来の意味と日本語独特の用法を区別して解説。頭が切開されるようで嬉しい

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 人類が滅びる時、漢字も一緒に滅びてしまうのかと思ったら、とても虚しく思った記憶がある。漢字ほど、人々の思いの込められた文字も無いのではないか。
 本書は3年前に出たものの第2版。「初版を愛用される方々にも、また他の漢和辞典を利用される人にも、この新しい一冊を座右に備えていただいて、決して無駄ではないと自負する」とある。辞書は生き物であり、一冊あるから、それで終わりというものでもない。

 本書には、「日本語での用法」という欄がある。これは、「漢字の『本来の意味』と『日本語独特の意味・用法』を区別して説明」するための欄で、例えば、「砌」という漢字は、「階段や軒下の、石をしきつめたところ、石だたみ」の意味であるのに、日本語では、「暑さの砌、幼少の砌」のように、「…の折。…のころ」の意味で使われる。それらを、はっきりと区別して解説している。日頃、それらをごちゃまぜにして「日本語」として使用している頭を切開されるような、新鮮な感覚を覚える。

 また、ぱらっとページを開くと、「長嶋」と「長島」の「嶋」と「島」の違いについて解説したりする囲み記事「漢字に親しむ」がある。日頃、「嶋」の方が曰くありげだとか、「島」の方がすっきりしているなどの感想を反芻し続けていた二つの文字が、元は同じで、そして、まだ別に二つの同じ字があり、古くは「山」の上に「鳥」が乗る形だったけれど、「山と鳥との組み合わせであればそれでよく」、「嶌」の形の「しま」もあることなどを知る。こんなことから漢字の成り立ちへの興味をそそられることもある。

 「編者から一言」には、「中学生とそれ以上の人々のために作った」とある。小中学校の段階で、辞書との付き合い方等は概ね決まる。がっぷりと辞書と手を組むか、あるいは、よそよそしい関係になるかは、ひとえに辞書との出会いによる。大人が使っても楽しい。 (bk1ブックナビゲーター:片岡直子/詩人 2002.02.14)

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今回3500語が加わった21世紀初めの日本語。辞書は、版が改まるたびに生まれ変わる。見やすい縦組ワイド版。

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 辞書は端っこが面白い。
 見返しには、「ことのは」をイメージしたのであろう、紅葉や銀杏の葉っぱのデザイン。「はしがき」には、「刊行以来四十余年を過ぎたこの辞典にとっても、ひとつの区切りとなる年に第八版を世に送ります。人間にたとえるならば、壮年期というところでしょう。しかし、辞書と人間が異なるのは、辞書はつねに若くなければならないということです。版を改めるということは、そのたびに生まれ変わるということでもあります」とある。
 新しい言葉を選択し、すくい上げてゆくのは骨の折れる作業だ。2000年夏に、『外辞苑 平成新語・流行語辞典』の書評をしたけれど、新しく造られる語の中にも、「新語」になれるものもあれば、「流行語」として、「あのひとはいま」状態になるものもあるので、新しい語を取り入れるには、正確さの裏付けのある速さが求められる。本書には、「辞書に要求されるのは」「変化することばの実態をとらえ、それが日本語として必然の流れであるかどうかを見極めて、記述していくこと」とあり、その見極めが効いている。
 手元に、ワイド縦組版とワイド横組版と普通版の3冊の小学館『新選国語辞典 第8版』があり、使い勝手を比べてみる。大きな手の人だと、どこでもワイド版で大丈夫。私のおそらく普通サイズの大きさの手だと、出先や立って使うには、ワイド版だと大きすぎる感じがする。横組版は、個人的には、まだ「横書きの国語辞典」というのに慣れていなくて吐き気をさそうけれど、和英辞典感覚で使う時には、英単語の記述が自然。それに、この「新選」の場合は、デザインが良いので、大丈夫かもしれない。たまにしか国語辞典を引かないのかもしれない中学生の男の子は、「使いやすいよ」と感想を言ってくれた。
 自分のためなら普通版で、たまに辞書を引く男の子には、ワイド版縦組を贈ろうと思う。 (bk1ブックナビゲーター:片岡直子/詩人 2002.01.29)

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紙の本フェイバリット和英辞典

2002/01/22 15:16

辞書から離れて応用で表現してゆく時にそれを勇気づけるパートナーになりうる力強くポップな味方。青灰色。

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 和英辞典というのを使わないまま、育ってしまった。中学高校の教師から、英和や英英だけで単語力をつけなさいという指導を受けたからなのか、もう忘れてしまったけれど。 表紙の色は、落ちついたブルーグレー。英和辞典の明るい藤色と合わせると、楽しく学ぼうとか、勇んで引いてみようという気にもなる。
 解説も丁寧。「はしがき」の、「自分の目的に合わせた上手な利用法を工夫すること」には、「単語でも、完全には一致しない」とか、「類似表現を応用する」などの、当たり前のようで、言葉にされるとなるほどと思う親切なアドバイスがあり、使用法の次には、「日本の事物紹介一覧」「短歌・俳句一覧」「主な図版一覧」などに感動する。
 英和辞典と同じく、本書にも、会話のCDが付いているけれど、英和よりも、読む速さがゆっくりで、和英の意義に合致している。
 「テーマ別表現集」では、「スキーとスノーボード」のように、新旧を比較しながら表現できるように工夫されていたり、他にも、「高齢化と介護」「性」「サッカー」「相撲」「野球」など、まさに今の表現に必要な項目が、解説付きでまとめられている。
 「英作文ノート」も楽しく工夫されていて、「赤道の上か下か?」「握手には2つの手が必要!」とか、「『アメリカン』は好きですか?」など、学習初心者の陥りやすい過ちが、ユーモラスに解説されている。「『いろいろ』囲み一覧」では、「犬のいろいろ」(「秋田犬 Akita」から)、「部のいろいろ」(軟式テニス部、茶道部、鉄道研究部、等々)と、隅々にまで行き届いている。

 辞書というものは完全なものではないと、はしがきにあるけれど、後は、応用でやってゆくわけで、少なくとも、それを勇気づけるパートナーになりうる力強くポップな味方。 (bk1ブックナビゲーター:片岡直子/詩人 2002.01.23)

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人は手で触れるものから何かを創り出す。日用品を確認する旅は、目線が低く、とても基本的。楽しい旅の提案

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 街のどんな店がつぶれてしまっても、文房具屋さえ残っていれば生きてゆける。そう考える私にはぴったり? と思って読んでみた。
 フィンランド、スウェーデン、イギリス、フランス、オランダ。
 次々に訪れる先で、スーパーマーケット、郵便局、トラム、地下鉄、フェリー、マンホール、古本屋さん等で、文房具から、切手、パンフレット、チケットまで、観察して、購入して、撮影している。日本で普通に生活していても、誰もが皆、必ずお世話になっているところばかりに注目しているから、親しみやすい。
 それから、馴染みの主人公たちの、例えば、フィンランドのムーミンのポストカードや切手、スウェーデンの『ニルスの不思議な旅』の著者セルマ・ラーゲルレーヴの20クローネ札、ピッピの絵本、フランスの『星の王子様』グッズと、著者サン・テグジュベリの50フラン札なども興味深くながめた。

 各国の文房具も日用品も雑貨も救急用品も一緒になって、宝箱のように、コンパクトな本に納まっている。他にも、ダイモ、お道具箱、「ペン立てのにぎわい」、「素敵な古絵本」、「歌の古本」、ぬり絵など、著者の趣味でまとめられた写真を眺めるのも楽しい。「旅のまとめ」には、「手紙が欲しかったら、手紙を書こう」とか、「『外国の人が困っているのを見かけたら出来る限り助けてあげたい』という気持ちが強く心に残った」とか、「こんなものを旅に持っていくと役立ちました」とか、当たり前のように、認識しているつもりのことでも、改めて文にして見せられて、はっとしたりした。

 人は皆、手で触れるものから何かをつくりあげてゆく。それぞれの国の日用品を確認する旅は、目線を低く持てるし、多分浮足立つこともない。とても基本的で面白い旅の提案。 (bk1ブックナビゲーター:片岡直子/詩人 2001.11.20)

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白くてお洒落な、てのひらサイズ。新語も豊富。「会話に役立つ表現」「手紙の書き方」等もコンパクトに掲載

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 大学生の時、先生の薦めを無視して、フランス語の辞書を色合いやデザインで選んだ。
 そしたら、やはり、薦められた一冊の方が使いやすそうで、あとから後悔して、意気消沈したけれど、なんとか買い足した。
 結局、当時は、見た目と中身で選んだ、2冊の辞書を並行して使用した。
 現在、フランス語の辞書は、また増えて、3冊になっている。
 今度は厚みで選んだのだから、何ともいえない。
 今の仕事には、何の関係も無いけれど、辞書が好きなのだから、仕方がない。
 書店で、本書より、もっと大きなサイズの、イタリア語の辞書を見てみたけれど、今のところ、初心者の私には、このコンパクトさが丁度良い。

 辞書の真ん中は、日本語とイタリア語が併記されたかたちで、「会話に役立つ表現」や、「手紙の書き方」、それに、ファックスやe−メールの例文も、掲載されている。
 まえがきには、「気軽に携帯できてしかも本格的な『伊和』と『和伊』の機能を合わせもつ辞典」として企画されたことが記されている。
 それから、「現代のイタリアを理解するために必要な人名・団体名・地名・略語を積極的に取り入れた」こと、「語義の提示順と訳語を決めるにあたっては話し言葉での用法を重視し」たこと、「語義や用法の確認には独自の話し言葉データベースとインターネットを活用した」等のことが書かれている。
 初心者のためには、「綴り字と発音の対応」「発音の注意点」等も、丁寧な解説とともに、載っている。

 「和伊辞典」の部分では、今年の発行なのだから、この辺は、当たり前と言えば、当たり前だけれど、「アイコン icona 女」「アイティー IT tecnologie informatiche 女」「アドレス(電子メールの)indirizzo(di posta elettronica)男」なども、普通に見出し語として、掲載されている。
 白くてお洒落な、てのひらサイズ。
 本当の初歩から始めるのなら、辞書っていうのは、案外ここら辺からなんじゃないかと思っている。

 足りているうちは、このコンパクトさが、心地良い。
 気持ちのどこかが卓上版を必要とする頃になったら、買い足せば良い。
 テレビのイタリア語講座のテキストも、すでに、6月号が店頭に並んでいるのに、私はまだ、4月号のページを、後生大事に、めくっていたりするのだから。 (bk1ブックナビゲーター:片岡直子/詩人 2001.06.18)

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紙の本もっとも危険な読書

2001/05/29 22:18

「ほんとうに好きな本のことはあまり書きたくない」のは、本書を読んだ私も同じ。希代の薦め上手の読書案内

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 「わたしたちに必要なのは危険な読書だ。いや、あらゆる読書は危険でなければならないのである」という言葉で、本書は閉じられる。
 ここ一ヵ月くらい、本を読むことそのものについて、じとっと考えていた。
 あの、ガッとのめり込んでいく瞬間のことや、そこからの短いようで長い時間のことや、あるいは、そう仕向けてくれた本そのものについて、何か言おうとすると、何も言えなくなり、ただ、凄かったで、終わってしまう。
 本書は、おそらく、ある部分では、常にクールさを残しつつ、ある部分では、ガッとのめり込んで、本を読み続けた筆者による、本の紹介。
 けれど、私自身が、「あまり凄いと思っている人、及び本については、饒舌には語れない」という状況に、まさに、ここで、陥ってしまっていて、困っている。
 軽い気持ちで褒めるわけにはいかない。そういうことをするには(そういう人は本当に沢山いるに違いないのだけれども)私も、高橋源一郎さんの本を、ガガッと読みすぎた。

 氏の本には、とても、お世話になってきたと思う。穏やかなトーンとか、思い込みを裏返す発想の仕方に、ほれぼれしながら、安心して寄り添うことができた。
 そうやって、ほとんどの著作を読んできた。
 雑誌連載中に、「突然、鈴木いずみが読みたくなった」を、立ち読みした私が、新宿の紀伊國屋書店で、鈴木いずみコレクションを探していたら、さっき近くのカフェで原稿を渡して、お別れしたばかりの編集者さんに、追いついてしまい、どこにあるか教えていただき、なおかつ、鈴木いずみは、その方の高校の先輩であること、そして、高橋さんは、薦め上手であることなどを、お話しして、今度は本当にさよならをした。
 「ほんとうに好きな本のことはあまり書きたくない」。
 これは「ゴダールの言葉に耳をすませて」の冒頭。「それは大事にとっておきたい秘密の一つなのだが、今回はそんなこともいっていられない」。それは、今の私も同じ。
 「他人に考えることを促す思考、それをぼくたちは批評と呼んでいるのである」。
 おこちゃまな、狭量さを競うような批評を呼んでいると、哀しくなるばかりだ。わだかまってゆきがちな、読者を、すんなり「腑におちた」気持ちにさせてくれる。
 そういう書き手は沢山いるようで、本当に少ない。
 「ぼくの秘やかな夢は日本語をいまより千倍、聴き、見ることができるようになること」(「音を聞く、音を書く」)などなど、あまりに名言がいっぱいで、それを、書き出すだけで、終わってしまう。 (bk1ブックナビゲーター:片岡直子/詩人・エッセイスト 2001.05.30)

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例文に必然性と、情動までがある。仏語を忘れた者も引き込まれて発音してしまう。不思議な魅力を湛えた辞書

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 辞書が好きだ。
 国語辞典をひくのが好きなだけで、国語の教師になったこともある。
 カタログには、「フランス語で『発想』できる、読んで面白い画期的辞典。大活字版」とあったので、大学時代に少しだけやったフランス語を、思い出すことができるかしら?と、リクエストしてみた。
 例文がすごい。 ぱっと開いたところで、

 Je me vengerai de toutes les hontes qu’ il m’a infligées.
 奴から受けた辱めは全部仕返ししてやるからな。

 何だかいきなりすごい。
 20年前に買った辞書の比ではない。
 大島弓子さんのイラストでカバーを作り、旧姓の判子が押してあり、毎日触られてよれよれになり、ピンクやブルーのラインマーカーで賑やかになっている、小振りな、三省堂のクラウンを、本棚の奥から、引き出してくる。「この感触が好きだから、フランス語をやっていられるというもの」という、当時のメモがある。「Oh, my商売道具」とも書かれている。過去のものすごい愛着の感じだけが、そこに残っている。
 けれど、本文を読んでみると、おそらく例文が短かすぎるのだろう。情動という部分にまでは、働きかけてこない。
 翻って、本書の細かな例文の訳を読んでいると、しばらく発音してみもしなかった、発音の仕方が、自然に蘇ってくる。
 例文に必然性がある。

 Vous avez entendu comment il parle à sa mère? C’est honteux!
 みんな、聞いた?母親に向かって何て言いぐさでしょう。とんでもないわ。

 情動や、気合までがある。だからつい、声に出してしまう。
 これで、フランス語の辞書は3冊目になるけれど、開いた時の香りはなんとも言えない。そしてもちろん、それを超えてなお、読む者を引きつける、不思議な魅力を湛えた辞書。 (bk1ブックナビゲーター:片岡直子/詩人・エッセイスト 2001.05.24)

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紙の本赤瀬川原平のブータン目撃

2000/10/13 00:15

「考える時間は長い方がいいのだろうが、感じる時間は短いほうが強力である」。力まない眼差しと言葉が崇高

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 もう本当に見て、読んで、気に入ってしまった。
 ブータン「目撃」だし、激写ならぬ「軟写」だし。
 赤瀬川原平は、そこらへんにいる詩人よりも、ずっと詩人だ。実は、必要に応じて、本書と並行して、某詩人の詩集を読んでいた。息苦しくてたまらなくなって、本書に逃げ込んだら、ずっとずっとオリジナルで、風通しの良い「言葉」に出会えた。
 「ブータン街道で見かけるトラック野郎。満艦色の雄姿。ヘッドライトのところに、必ず魔除けの目が描いてある。運転席を飾るのも、何かしらの宗教図像であるところが、日本と異なる」。後ろの方にもトラックの写真は出てくるけれど、目をこらして見ると、全部、ライトの上に目が描かれており、そういえば、以前こんな、大きくて垂れ目の男の子に会ったことがあるなどと思い出して笑ってしまうくらい、愛嬌がある。
 「寝ているような人びと。実は信仰のための五体投地の人なのだけれど、よく見ると手前の人は本当に眠っている」と、普通ならここまでだけれど、赤瀬川氏だと、「それもまた、修行の一つか」というのがくっつく。「よくご覧ください。入口の両側を飾るのは見事な男根。ブータンでは家の神聖な守り神とされている。魔除けの意味もあるらしい」ときて、またまた「そんなこと、当たり前の子供たち」という言葉がつけ加えられる。
 対象に入り込んでいるというか、対象の身体をくぐって戻ってきたような言葉。
 写真と並ぶ言葉が、写真に沿いながらも、独立した味わいを放っている。
 「ブナカゾンの脇に咲くライラックの花が、たまらなく綺麗だった。写真を何枚撮ったかわからない」そして、「ぼくはずいぶん長生きしている……、そんな感覚に、包まれる」「ティンプーの外れでこの美味しい水の輝きを見た後、ぼくは高山病になってしまった。天国に着いてから息を引き取る、そんな境遇を想像する」「もう、何もいうことはない」
 これらの言葉を、軟らかく写したブータンの写真と一緒に受けとめる時、ただの、「幸せ」だけではない、もちろん「不幸」でもない、本当のこと、本当の真実(少しおかしな言葉だけれど)を、ほいっと手渡されたような気持ちになる。
 本書の真ん中あたりのエッセイの冒頭に、「とうとうブータンで朝を迎えた」とある。往復に四日かかるブータンでの、一週間弱という短い滞在を、一冊の本にするのに、無理をしない、肩肘張らない方法が、「目撃」であり、「軟写」だったのだろう。けれど、滞在が長くても短くても、赤瀬側氏の味わいをしっかり伝えている。「短いだけに、その輝きは凄かった。考える時間は長い方がいいのだろうが、感じる時間は短いほが強力である」(「あとがき」より)。とてもおすすめの一冊。 (bk1ブックナビゲーター:片岡直子/詩人・エッセイスト 2000.10.13)

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紙の本いつもひとりで

2000/07/10 20:49

幼少の頃、着物を着た女性を見ると、「オヨメー」と叫んでいた阿川佐和子の「やはりひとりで」エッセイ集

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 「物心ついた頃から、自分は将来、お母さんと呼ばれる存在になるものだと信じていた」という阿川佐和子のエッセイ集。

 本書の中の、「不安定好き」には、「『肩書きは何ですか』と聞かれるのがいちばん苦手」とある。アガワさんの肩書きは、「阿川佐和子」なのだと思う。マルチと言われる人の中にも、ただ多方面なだけで、本体に魅力がない人は沢山いる。けれど、アガワさんの輝きには、何か信じたいものがある。日本の女性の、あるひとつのかたち、やや伝統的な方に属する、心の「有りよう」を、現代的に具現化しているのが、彼女のように思う。

 本書と並行して、文庫本や、『ウメ子』等を読んだ。
 檀ふみとの往復エッセイ『ああ言えばこう食う』の読後に考えたのは、「このひとたちに、性生活は無いのか。大人なのに」ということだったのだけれど、文筆する分泌物が全て性とともに転がり出てくる私の常識で世の中をはかってはいけないと思った。『ああ言えば』の「おわりに」には、「ビフォー・アガワとアフター・アガワ」という檀ふみの、お手製の年号が出てくる。檀ふみが、アガワに会う前とそれ以降という意味なのだけれど、アガワさんの場合、「いつもアガワ」である。

 本書のタイトルの通り、「ひとり」のアガワさんは際立っている。知人といて、あれこれ、すったもんだして、揉めたりしている時以上に、「ひとり」のアガワさんは、きらきらしていて、痛快で豪快。勢いがある。

 子供のアガワさんもすごい。
 小さい頃のことを書くと、筆が、より活き活きする。「涼の夢」では、「小さい頃から部類の汗かきだった私は、母にジョウロとあだ名をつけられた。」「『水風呂、小っていーい?』/台所の母に向かって叫ぶときは、すでに半分、裸である。「パシャンと水音高く小さな風呂桶に飛び込む。水しぶきが上がり、」「その瞬間の快感といったら、思わずケラケラ笑い出したくなるほどだった」。

 和田誠のカバーにも描かれている、「雨降りお月さん 花嫁の謎」では、「ままごとや人形遊びなど、女の子らしい遊びにことごとく関心の薄い私が、花嫁願望だけは幼少の頃から強かった。着物を着た女性を見ると、電車のなかだろうが道端だろうが、あたりかまわず『オヨメー』と叫ぶので、母は閉口したという」。

 はっきりした性格のひとは、好きと嫌いが激しい。
 だから、読むひとが、アガワさんの好き嫌いと、自分の好き嫌いとを、読みながら比べてみるのは面白い。私の場合も、ある部分までは、すごくよく似ている気がするのに、あるところから全然違っていってしまう。地図を見るのが好きとか、音楽へのアプローチの仕方とかは似ていると思ったのに、風呂が嫌い、子供の頃から本を読むのが苦手とか、なで肩を両面テープでとめた肩パットで調整している等の話は、とても遠い。「人生の最終目標は平凡な結婚のはずだった。なのに」と帯にあるのを読むと、これが一番遠い。私は母親にだけは絶対にだけなるまいと思っていたのに、親になってしまった。それで、母親になると思っていたアガワさんが、ひとりでいるのは、不思議だ。人生はイメージしたことの反対になるものなのだろうか。

 タイトルの「いつもひとりで」から思うのは、一人でいる時間が、これほどまでに活き活きとしているからこそ、沢山の人のなかにいても、魅力的な存在なのだということ。様々の媒体に発表されたエッセイなので、全体で見ると、やや散漫な感じはあるけれど、親譲りの、ただでは済まさない文体が読む者を放さない。 (bk1ブックナビゲーター:片岡直子/詩人・エッセイスト 2000.7.11)

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辻希美・加護亜依写真集

2002/07/02 22:15

ベイビィであることを義務づけられている、そのことによく答えてあげている彼女たちの、飛ばない写真集

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 幼さが求められるところで思いきり幼くするのは、容易いけれど、いつか本人たちが、それに飽きてしまう。2人は、すでに飽きているかもしれない。中身は15歳だけれど、小学生やそれ以下の存在として、あることを求められている。
 いつも2人一緒にいることは、彼女たちに、どんな未来をもたらすだろう。タンポポ派の私は、そこにいる加護と、そこにはいない辻について、時々考える。
 アクセントのような天使姿が可愛らしい。写真だと、加護の頭が絶壁なのも、よくわかる。上を向けられて、安眠していた赤ちゃんだった加護を想像する。本当に天使だったことだろう。今は「太るぞ」などと突っ込みを入れながら、見ているけれど、あとほんの少しで、そんな突っ込みもできない、美しい女の人になってしまうだろう。
 朝礼台の上で、S字になって踊っているジャージ姿の加護が、一番好きなのは、おそらくそれが一番年相応に見えて、彼女たちの息苦しさを感じずに済むからかもしれない。
 常に、ベイビィであり続けた彼女たちの今後を想像する。マリリン・モンローのように、時代のニーズに答え過ぎた人の悲劇を産むだろうか。そんなことを、考えさせる。それは、写真の彼女たちが、はじけ飛んでいないから。精一杯の若さではなく、常に抑圧されたベイビィであり続けるからなのだろう。
 辻のふくらはぎの筋肉は、バレーボールで培われたものか? 加護の薄さとは対照的だった。風船が割れたときの加護の顔は真顔だろうか。タキシード姿の辻は、ほとんど加護だった。一緒にいると顔までが似てしまう。サッカ−ボールの中、「知恵の頭」としてしゃがんでいる2人。子どものファンも安心して買うことができる。けれど視線によっては変な大人が、楽しめるものでもある。 (bk1ブックナビゲーター:片岡直子/詩人 2002.07.03)

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紙の本動物園で撮った家族の写真

2002/06/13 15:15

読み進むにつれ、自らの動物園物語に浸りこんでしまう。その懐に抱かれた記憶は、お腹の底で温かい

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 息子が、動物園や牧場で発した言葉というのは、意外に印象深く、その時の口調も、幼かった身体の線と一緒に覚えている。「シマウマぁ、はやちゃんのところへ、おいでぇ!」と声をかけたり、手で草をやってから、ほっとして、「お母さん、牛、噛まないわぁ」と歓びの声を上げながら、こちらへ走ってくる様子とか。今の四分の一ほどの身体で、動物と相対していた幼かった、別人のような息子が思い出される。
「上の動物園があるなら、下の動物園もあるんでしょ?」といったのは、幼い頃の私なのだけれど、本書の後ろのエピソード集を読んでいたら、24歳の女の人も同じことを言って家族を笑わせたとあり、いったい何人の子どもが、対義語としての「下の動物園」を思い描いたのか、知りたくなった。
 新聞の広告に寄せられた写真と手記をもとに構成されている。時代を映すエピソードを読み進めるにつれ、読者も自らの動物園物語に浸りこんでしまう。実際どこかの写真の背景にあなたが写っているかもしれない。「私の後ろの二人は恋人同士のよう。動物園がデートコースの時代」などというコメントを読むと、その二人は今どうしているのだろうと思う。
 写真の年齢が今の歳であるところもミソで、はつらつとした若いパパに「70歳」、乳母車の赤ちゃんに「38歳」などとついていると、つい笑ってしまう。平成11年の写真のエピソードには、動物園の人の多さも書かれていて、改めて動物園の不思議を思う。そういえば私は、ある時期から頭で考える動物園が嫌いになっていたことを、今頃思い出した。けれど、こうして本も取り寄せ、感想を書いているところを見ると、その懐に抱かれた感覚というのは、おなかの底の温かい記憶として残っているものらしい。 (bk1ブックナビゲーター:片岡直子/詩人 2002.06.14)

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紙の本少女スタイル手帖

2002/06/12 18:15

世の中への最初の媚が可愛らしいお色気になっている。時代を背負ったものだけが持ちうる美しさ

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 決め手になったのは、「ぱっちんどめ」という言葉だ。
 個人的には黒いピンのほうが好きだった気がするのだけれど。本を取り寄せてみてまず、表紙のビニル靴に引き寄せられる。これは妹がはいていた靴ではないか! 母がごしごし洗って、いつも月曜日には新品のような靴で、私も妹も出かけていた。
『昭和30〜40年代 少女の想い出大百科』は、『クレヨンしんちゃん』に出てくる大人でなくても、懐かしさに狂ってしまうだろう。著者の宇山あゆみさんの写真は美人だ。美人だけれど、どぎつくない。それは本書に取り上げられているおもちゃを見るように眺めることのできる大人の写真だ。
 首をかしげる人形は、友達の家でもピアノの上で私たちを見おろしていた。それらは、「ポーズ人形」というのだそうで、かなり目つきの怪しいのもある。ちょっと美しすぎるけれど、当時の茶の間を再現した写真や、ベランダの様子を外から写した構図の写真、赤ちゃんの部屋の写真も、なかなかだ。「動物柄のふとん」の解説欄に、「どの動物も顔が大きく描かれていて、まつげの長い目にはどこか色っぽさがあります」とある。これが全てという気がする。可愛くて年少用なのにすごく色っぽい。こんな可愛い色っぽさは今のおもちゃからは消されており、大人向けのフィギュアなどには、別のどぎつい色気が加わっている。世の中に対する初歩的な媚が可愛らしいお色気になっている。オルゴールメリー、子供用タンス、まんが運動靴、チャーミングバッグ、プリントおりがみ、ぬりえ、着せかえ人形、こづかいちょうに、アクセサリーシール。それにしても、現在撮影するものは、どんなに古くても、新しくきらきらしてしまうのだろうか。いや、やはり時代を背負ったものだけが持ちうる美しさなのだろう。 (bk1ブックナビゲーター:片岡直子/詩人 2002.06.13)

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