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  3. 野崎歓さんのレビュー一覧

レビューアーランキング
先月(2017年6月)

野崎歓さんのレビュー一覧

投稿者:野崎歓

16 件中 1 件~ 15 件を表示

小さな国に、大きな多様性——ベルギーの現在を明快に整理!

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。


 今年の夏、ある文化組織に招かれて二週間ほどベルギーに滞在した。多くの作家や詩人と知り合い、話を聞く機会に恵まれたのだが、そこでつくづく不思議でもあり、また面白くも感じたのはベルギーの人々のアイデンティティーのあり方だった。もっぱらフランス語を話す人たちとの交流だったが、「ベルギー人であること」に対し、彼らの意識が一様にきわめて希薄であり、国民国家としての枠組をあまり重視していないかのような雰囲気なのである。ある有名女流作家など、「あなたにとってベルギー人であることの意味は?」とこちらがナイーヴに問うたのに対し、言下に「何もなし!」と答えたものだった。

 また同時に、フラマン語文化圏とフランス語文化圏と、言葉は違えど調和的に混ざり合って暮らしているのだろうなどという漠然としたイメージがまったく通用しないのにも驚いた。それどころか、現在のベルギーは連邦制を敷いており、フラマン語側の独立要求はなお激化する一方で、このまま国家として存続できるかどうかわからないほどだと幾人もの口から聞かされてびっくりした次第だった。

 認識不足を大いに反省したところでこの本にめぐり合えたのは、実に幸運だった。表題がまさに示すとおり、ここにはベルギーが連邦国家への道を歩むに到った歴史的経緯、そして現在の状況、問題が明快に整理されている。ベルギー現代史の勘どころをぴたりと教えてくれるありがたい本なのである。

 一八三〇年にネーデルランド王国から独立したベルギーは、「栄えよ、わが祖国、不壊の統一のもとに…」と謳っている。しかしその歌詞を知るベルギー国民はいまや少数派であるという。数次の憲法改正を経て、一九九三年、ベルギーは「世界で一六番目の正式な連邦国家として」再出発したのだ。第一に、政治、経済、文化においてヘゲモニーをフランス語系の人間が握ってきたことに対するフラマン語側からの復権要求のうねり。さらに第二次大戦後、フラマン語圏経済の隆盛に対しフランス語圏経済の凋落を背景とする、今度はフランス語圏からの対抗運動の高まり。単純化して言えば、これらが分離要求の力となって働いた結果の連邦化であるようだ。なお将来、さらなる国家分裂への可能性がないわけではなく、予断は許されないらしい。

 だが著者は、従来型の国家にアイデンティティーを求めることの不可能なベルギー国民の現状を、積極的に評価する視点を提示している。「小さい国に、大きな多様性」を抱え、誰もが「重層的・並立的な意識」を根底に持たざるを得ないこの国のあり方は、むしろ今後望まれる「地域社会と共存するヨーロッパ」像にとって有力な指標となるのではないか——そんな著者の論旨が刺激的だ。ベルギーという国にいよいよ興味がわいてきた。 (bk1ブックナビゲーター:野崎歓/東京大学助教授・フランス文学者 2000.10.06)

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美しい!目で見る東洋神話の驚異

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 神話事典の類は、これまでどうしても西洋に関する本が主流であった。エジプトからインド、中国まで、本来宗教揺籃の地であり、かつまたありとあらゆる神話の宝庫であったはずのアジアに関しては、その全体を一巻のうちに一望できるような書物はなかったと言っていいのではないか。本書はそうした欠落を補って余りあるありがたい一冊である。

 全体は三部構成で、「エジプト・オリエント・西アジア神話」に始まり、「南・中央アジア神話」を経て「東アジア神話」に到達する。神話でたどるアジア全域の旅というスケールの大きさが頼もしい。しかも特筆すべきは、ビジュアル面での素晴らしい充実ぶりである。

 それぞれのパートに関する「概説」に始まり、「オシリス」や「ゾロアスター」や「ヴィシュヌ」についての簡にして要を得た解説は、事典臭さのないとっつきやすい文章ゆえに読み物としても充分興味をそそるものだ。しかもそれに加えて、そこに添えられたイラストレーション、写真の美しさときたら! カラー図版の見事さは特筆すべきもので、アジア宗教美術の一大アンソロジーとして見飽きない面白さがある。チベット十六世紀の仏像のなんたる壮麗な美! ルネサンス芸術に優に比肩する達成があったことに、今更ながら嘆息するばかりだ。

 ゴージャスきわまるこの事典だが、原著よりも日本版の方がはるかにパワーアップした完全版であることを「訳者あとがき」で知って驚いてしまった。訳者山本史郎氏の言葉を引用すれば——「エジプトを中心とするオリエントについては、(……)ヨーロッパが19世紀以来研究をリードしてきたという堂々たる伝統があるのだが、インドを中心とする中央アジア、中国を中心とする東アジアなどについてはかならずしもそうではなく、そのような地域については、すでに確固たる学問的伝統が存在する日本の読者にとって、違和感をおぼえたり、物足りなかったりというような記述が、原著にはかなり存在した。したがって、この本をわが国でお目見えするにふさわしいかたちに磨き上げるという作業が、出版するための不可欠の条件となった。」

 そこで日本における各分野を代表する専門家たちが動員され、原著のあやまち、不備を補うべく記述に修正がほどこされたのだという。この世知辛いご時世にこれほどの良心的編集作業がなされたことには、ただ感嘆するほかはない。不適切な図版に関しても差し替えがなされた。「本書は原本よりもはるかにすぐれた内容の書物となっていることは間違いない」という訳者の言葉が誇らしい。

 座右において折に触れページを繰りたくなること間違いない一冊だ。4800円は安い! (bk1ブックナビゲーター:野崎歓/東京大学助教授・フランス文学者 2000.11.08)

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紙の本転がる香港に苔は生えない

2000/07/10 20:49

香港パワーの秘密に迫る入魂の一冊

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 アジアの本、旅の本は今日本屋に山ほど詰まれているけれども、無責任なトゥーリスト根性とはかけ離れた地点で、異国の人々の暮らし、彼らの人生とここまで深く交わろうとする例は稀だろう。著者は96年、デビュー作『謝々! チャイニーズ』(情報センター出版局)で、中国南部の人々との一夏の交流を鮮やかに描き出して新しいトラベル・ライターの登場を感じさせ、また同時に同じ旅に取材した写真集『華南体験』(同)も出版。アジアの肉感あふれ色彩あふれる人とモノを前に一歩も引かない、堂々たる写真家魂を発揮し、観る者の度肝を抜いた人物である。その著者が、かつて留学した地である香港を久しぶりに訪れ、腰を据えて書き上げた新作、それが本書だ。

 「香港では誰でも、一冊本が書けるくらい物語をもっている」—本書の中でつぶやかれる言葉だが、580ページに及ぶこのぶっとい一冊に読みふけりながら、まったくそのとおりと感心し、感動した。とにかく出てくる人間出てくる人間、過去の苦労も、現在の貪欲も、そして将来にかける思いも半端ではなく、懸命で、雄々しいのだ。かつて著者は、かの魔窟「九龍城」内をほっつき歩いていて、まんじゅう作りの職人と知り合いになった。文革で中国に嫌気がさし、「八時間河を泳いで」香港に密航、光も風も入らない九龍城のちっぽけな工場で、慢性のやけど状態になりながらひたすらまんじゅうを作り続け、故郷に仕送りをし続ける青年である。その後94年、九龍城は取り壊された。一緒に工場で昼食を食べていけと著者を招いてくれたあの優しい青年は、今どこで何をしているだろう? そこから著者の驚くべき探索行が始まる。何とも切ない物語が掘り起こされる。

 だがそれはほんの一例にすぎない。面白い人間が次々に登場し、それぞれの背負う人生のドラマが、いきいきとした筆づかいで描きとめられていく。舞台となるのは中国返還直前の香港社会であり、個々人の生活を通し歴史の無慈悲な力がありありと伝わってくる。

 「私は、香港の人が本当に安心して眠れる夜はないと思っている」と著者は記す。浅い眠りを強いられながら、途方もない緊張にごく平然と立ち向かい、信じられるのは金だけという殺伐とした環境でしのぎを削りながら、不思議なおおらかさを発散する香港人の姿にこれほど間近に迫ったドキュメントを他に知らない。広東語をよくする著者は、どこまでも深く市井の暮らしに分け入って、庶民の言い分に耳を傾ける。あるいは軽食店で働く美少年に惚れて店のそばに引っ越したりするお茶目なパワーも魅力だ。「世界に香港があってよかった。私にはあの街が必要だった」—そんな著者の言葉は、混沌としたパワーに満ちた香港社会の対極にある日本社会への深い懐疑へとつながっていくのだ。

 表紙の写真がまた素晴らしい。本書と対になる写真集もぜひ出してほしいものだ。 (bk1ブックナビゲーター:野崎歓/フランス文学者・東京大学助教授 2000.7.11)

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薔薇の葬儀

2001/09/20 18:15

老いの一徹、骨の髄までの幻想作家最後の短編集

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 マンディアルグはおそらく、フランス以上に日本で偏愛された作家ではないだろうか。澁澤龍彦、生田耕作といった翻訳者たちのカリスマ性にも支えられ、彼の小説はそのほとんどが邦訳されるほどの支持を集めてきた。鮮やかなイメージの美に支えられた短編の名人だったことも、短編小説がフランス以上に市民権を得ているわが国の読者に強くアピールしたのかもしれない。

 本書はそのマンディアルグが残した、生前最後の短編集である。刊行当時著者は七十四歳に達していたが、その作品には依然衰えないエロティックな夢と、エキゾティシズムへの憧憬とがあふれかえっており、生涯おのれの資質に忠実に、特異な小世界を深め続けた作家の面目躍如といっていい。
 日本の読者にとっては、巻頭に収められた表題作や、「谷崎潤一郎の記憶に」捧げられた「ムーヴィング・ウォーク」といった作品がまず気にかかるところだ。いずれにおいても奇妙な謎の日本人たちが出現し、主人公を夢魔の世界にいざなうのである。少々とんちんかんな日本通ぶりもほほえましい。他方、「クラッシュフー号」や「影の反乱」といった短編は、女体の凌辱、幻影への耽溺といったこの作家の最も得意とする主題を扱ったもので、手だれの技を堪能することができる。そしてとりわけ深い感銘を残すのが「パリのコブラ」と題された一編である。ここでマンディアルグは、自らの老いを見つめ、老いの悲しみをかみしめている。しかもなおいささか皮肉なひねりをきかせることを忘れないところが、知的な冷静さを常に捨てることのなかったこの美文家らしい。後継者を持たなかった稀有な個性が失われたことを悼みながら味わいたい一冊である。 (bk1ブックナビゲーター:野崎歓/フランス文学者・東京大学助教授 2001.09.21)

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日本映画研究の空白を埋める意欲的な試み

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 トーキー以降の映画にとって、音楽のはたす役割は絶大である。ヒッチコックにおけるバーナード・ハーマンやフェリーニにおけるニーノ・ロータの例を持ち出すまでもない。もし音楽をすべて取り去ってしまったなら、大半の劇映画はおよそ気の抜けたものになるか、とりつく島のない難解なものになるかのどちらかだろう。音楽は脚本にも演出にも演技にもかかわる、決定的な要素なのだ。

 それにもかかわらず映画音楽についてのつっこんだ研究はまだまだ少ない。とりわけ日本映画の音楽に関しては、充実した研究書はいまだほとんど書かれていないといっても過言ではない。本書はその欠落を埋めるべく執筆された、貴重な試みである。
 第一巻に収められたのは、溝口や黒澤、成瀬を支えた早坂文雄。黒澤や岡本喜八とのコラボレーションで知られる佐藤勝。モダンな感覚で映画音楽に新風をまきおこした武満徹。そして軍歌から『君の名は』や『モスラ』まで、大きな足跡を残した古関裕而の四人をめぐる論考だ。いずれもまず取り上げられるにふさわしいビッグネームばかりである。周到な調査をもとに、それぞれの経歴、映画業界入りへの事情を語るくだりがまず非常にありがたい。たとえば早坂と佐藤のいずれもが北海道育ちであるというような基本的データさえ知らなかった者にとって、伝記的事実だけでも教わるところが多い。そして著者はそれぞれの膨大な業績から、あえて一曲だけ——早坂ならば『七人の侍』、佐藤なら『用心棒』といった具合——を選び、綿密な分析を通しそのスタイルを明らかにしていく。創見に満ち、読み応えがある。たとえばあの「モスラ ヤ モスラ」の歌詞をめぐる謎の紹介や、古関に対する「土俗的民族音楽の影響」の指摘は興味深い。伊服部昭や芥川也寸志らを取り上げた第二巻と並んで、ここに日本映画研究の本格的第一歩が記されたことを喜びたい。 (bk1ブックナビゲーター:東京大学助教授・フランス文学者/野崎歓 2001.09.15)

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上海を席巻した伝説的スターの一代記

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 このところ、上海をめぐる書物や映画がめじろおしで、いにしえの「魔都」の威光はいよいよ強さを増したかの感がある。和田博文他『言語都市・上海』(藤原書店)のような貴重な論集が出るかと思えば、カズオ・イシグロの小説『わたしたちが孤児だったころ』(早川書房)が日本軍の上海侵攻をドラマチックに描き出す。ウォン・カーウァイ監督の『花様年華』が香港に流れ着いた上海人たちのコミュニティを再現すれば、注目の新鋭ロウ・イエ監督が『ふたりの人魚』で上海の現在を夢幻的に映し出すといった具合で、この都をめぐる話題はじつに彩り豊かだ。

 本書はそうした中でも、戦前から戦中にかけて、上海がその魔力をもっとも強烈に放っていた時代を実際に生きた人物による回想としてきわめて重要な一冊である。しかもその人物が、日本人であることを隠し、謎の舞姫マヌエラを名乗って文字通り一世を風靡した伝説のスターなのだから面白さはひとしおだ。日本が軍国主義一色に染め上げられ、「欲しがりません勝つまでは」を誰もが国是と信じて疑わなかった時代に、エキゾティックで可憐な容姿と見事な踊りのパフォーマンスによって上海に君臨し、巨額のギャラを稼ぎ、特注のドレス姿で租界を闊歩していたゴージャスな日本女性がいたのだから仰天してしまう。「自分がどこの国の人間か、なんてことは次第にどうでもよくなっていった」というその述懐が痛快であり、踊る女の身体に宿る越境性がいきいきと伝わってくる。

 踊りにすべてを捧げ、同時に数多くの恋の花も咲かせながら、「露出の多い衣装を付けても、オヘソまでは見せなかった」という、昨今のギャルとは一味違う慎ましさに、明治女の純な心がうかがえる。日本統治下の朝鮮で生まれてから、松竹での修行、上海時代を経て、戦後の活躍に至るまで、賛嘆するほかないあっぱれな女性の一代記である。 (bk1ブックナビゲーター:野崎歓/東京大学助教授・フランス文学者 2001.09.01)

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キネマ三国志

2001/07/04 15:18

血わき肉おどる香港映画論集成

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 かたや、チャーリー・パーカーから梁石日まで、山口百恵から座頭市まで、向かうところ敵なしの論鋒でエネルギッシュに語り尽くす異能の評論家・平岡正明。こなた、ハリウッドから日本映画、インド映画までそのエッセンスを存分に取り込みながら、いっさいに格別の生命感を吹き込んで最強のローカル娯楽を作り上げた香港映画界。相性の悪かろうはずのない両者ががっぷり四つに組んで熱いファイトを展開した、そのドキュメントが本書である。期待どおり、味わいは濃厚にして歯ごたえ満点。香港映画に肉薄しつつ日本、アジア文化のかんどころを一気に開示するような著者ならではのはなれわざ満載だ。

 中国映画の俳優と香港映画の俳優の「顔」の違いを論じ——前者は「深刻で社会主義的」、後者は「あけっぴろげで能天気で資本主義的」——、武術および京劇の血脈を継ぐ香港俳優の「肉体」に対する日本人俳優の肉体欠如を嘆く。「現存の中華世界最大の作家の一人」金庸の魅力を熱く語り、「儒教とホモ」をめぐる考察を経て王家衛[ウォン・カーウァイ]監督『ブエノスアイレス』の「映像主義」を叩く等々、ページを開けばどこからでも、論述はごった煮的ホンコン・ムーヴィーからアジア伝統芸能の世界へと四通八達していく。天下の美女ブリジット・リンの「割れている」顎がなぜいいかをエロチックに語る一節や、「徐克[ツイ・ハーク]は鳥類学的人物」であり、「母親の胎内にいたとき、鳥の段階の胎児の見る夢をたっぷりしこんでこの世に現れたのか」とその空飛ぶワイヤー・アクションを称える一節など、香港映画ファンにとってはこたえられまい。

 しかも本書ではゲストとして四方田犬彦、宇田川幸洋、内藤誠、上野昂志といった凄玉が居並び、平岡氏を相手にそれぞれ必殺技をくりだして応戦するのだから大変だ。あの「ミスターBoo」シリーズの許冠文[マイケル・ホイ]をここまで読み込むかという平岡VS四方田の熾烈な読み込み合戦に続いては、平岡&宇田川がそれぞれの香港映画との出会いを直截に語り合う大御所対談がくるといった具合。めくるめく各取り組みのいずれにおいても、平岡氏の一語一句を裏打ちするはてしなきウンチクと、大山倍達直伝の肉体性ムンムンの力感に感嘆しないわけにはいかないのだ。

 ざっと十五年以上におよぶ足跡を集成した本書であるので、香港の現在に照らした場合のズレが感じられる部分も時にある(たとえば「香港で世界最初に後退させられた」と言われているケンタッキーフライドチキンは、現在も人気チェーンの座を保っている)。しかしかつて香港映画論の「かけがねをはずした」先駆者の言葉はその貴重さをいささかも失ってはいない。「あとがき」に見られる、香港映画はこれにて終了という言葉にさからって、本書に指南を仰ぎつついよいよ香港芸能に深入りしたくなった。 (bk1ブックナビゲーター:野崎歓/東京大学助教・/フランス文学 2001.07.05)

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遠い場所の記憶 自伝

2001/04/12 03:15

意外や意外!劣等生だった大批評家の回想

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 サイードといえば20世紀後半、もっとも大きなインパクトを世界的に及ぼした批評家、思想家の一人である。その著書『オリエンタリズム』は、ヨーロッパが「オリエント」にいかなる眼差しを注いできたかを分析しながら、西洋主体の価値観を根本から問い直す、圧倒的力量を感じさせる偉業であった。さらには邦訳完結が待たれる『文化と帝国主義』や、パレスチナ問題をめぐる発言により、ラディカルでかつ時事問題に鋭く反応する発言力をもった思想家として、サイードの姿はいよいよ迫力を増すばかりだったのである。

 本書はそのサイードが、難病に犯されてしまったことを契機として、自らの半生を振り返ってつづった回想の書である。一九三五年、イギリス委任統治下のエルサレムで生まれたのち、カイロで教育を受けつつヴァカンスはレバノンで過ごし、そして十六歳でアメリカの高校に留学。その後プリンストン、ハーヴァードで学ぶまでが辿られている。

 卓越した思想家の知的遍歴の記録が読めるのかと思いきや、意外にもここに描かれているのは、どこかプルーストの主人公にも似たひ弱さと、傷つきやすい精神を抱えた少年の、いささか情けなくもありまたいじらしくもある肖像なのである。まず親子関係の重圧。固陋なガンコ親爺ぶりを戯画的にまで発揮するサイードの父は、精神的のみならずときには身体的な暴力を、ハーヴァードの大学院生となった息子相手にまでふるうのであり、一方母親はといえばサイードおよび姉妹に対し独特の残酷な心理操作を加え、子供たちに末永く執拗な支配をおよぼす。思春期のサイードの下着に「夢精」の跡がないのをとがめて、おまえは忌まわしい自慰の悪徳にふけっているのだろうと詰問する父母の姿には恐怖さえ覚えてしまう。彼らにとってサイードは、ひたすら無力で弱々しい息子であり続ける。
 家庭の重圧に加わるのが学校の重圧だ。イギリス人やアメリカ人が経営する小・中学校に学んだサイードは、そこで優勢を占める白人生徒たちのあいだで違和感にさいなまれ、あるいはアラブ人を人とも思わないイギリス人教師たちの無理解と差別にさらされる。高校時代のサイードは、自他ともに認める落ちこぼれ学生、素行不良の劣等生であり、ついには放校処分を受けてしまう。後年、当時の同級生は有名人となった彼の姿に「本当にあのサイードか?」と仰天したという。

 父がアメリカ国籍をもつゆえもっぱら西洋式教育を受け、それに反発を覚えながらしかしパレスチナ人としての正統性も主張し得ない。まさしく原題どおりの「アウト・オブ・プレイス」、居場所なしの青春がヴィヴィッドに活写されていて、共感とともに読むことができる。そして「アウト・オブ・プレイス」こそは自らの定めと悟ったその時に、思想家サイードの誕生があったのだろうと想像されるのである。 (bk1ブックナビゲーター:野崎歓/東京大学助教授・フランス文学者 2001.04.12)

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映画監督は男にとって最高の職業なのだ

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 昨年末から渋谷・ユーロスペースで開催されていた増村保造特集のもりあがりは凄かった。終盤になってようやく通ったのみだが、整理券は出るわテレビはくるわの大騒ぎ。若い観客たちが息を飲んで増村ワールドを発見する様を目の当たりにして、あのころの日本映画の素晴らしさが決して古びていないことを再認識した。

 本書の主人公、川島雄三監督もまた、増村同様、戦後日本映画が頂点に登りつめるのと軌を一にして快作を連打した人物である。ビデオ化されて残っている作品を一本でも見れば、天才的才能のきらめきを放った映画作家だったことは明白だ。増村、川島双方と最高の仕事をした女優、若尾文子によれば、「もう増村さんと正反対」で「非常に大人のね、いい意味の遊びがあって」「全然仕事しないで、落語とかなんかばっかり研究して」いた、「シャレた、大人っぽい」監督であったという(川本三郎『君美わしく』文藝春秋による)から、人柄も興味深々ではないか。本書の著者藤本義一氏は、もちろん作家として著名だが、若くして川島監督に弟子入りし、名作『貸間あり』の脚本を書いた人。二十過ぎの青年と四十過ぎの鬼才は、ともに宿に泊り込み、一晩で酒を二升開けながら納得のいくシナリオを求めてあくなき闘いを続けた。その苦しくも充実した時のすべては、若かった藤本氏の胸にそっくり刻まれて残った。さまざまな時期に師匠の生をめぐって綴られた文章を集めた本書を通読すると、あまりに特権的な出会いを、人生の出発地点において果たした者の恍惚と悲しみとがひしひしと伝わってくる。

 川島映画の特色は、出演する人物の誰もが奇人ばかりという点にあった。本書には殿山泰司、小沢昭一という、個性派バイプレーヤーとの対談、そして長部日出雄氏との対談も収められており、いろいろな視点からの証言が楽しめる。「映画監督というのは、男の中の男の仕事」という長部氏の発言がうなずけるようなエピソード満載の楽しさで、それだけでも必読の一冊と言える。しかしながら、本書で最も読み応えがあり、感銘深いのは結局のところ何と言っても、藤本氏が師匠の没後七年の距離を置いて書き、直木賞候補となった中編小説「生きいそぎの記」ではないだろうか。限られた命と知りながら、全エネルギーを傾けて映画作りに集中する監督と、その姿に魅惑されきった若者の姿が実に鮮やかに描き出されている。「〜でげす」という、下北生まれの川島の奇妙な江戸弁からして臨場感あふれる。ときに文章を晦渋にする詰屈は、若書きゆえというよりも、むしろ師の病魔に冒された身体の不自由をその行文がなぞるかのようで、切々と痛ましい。創造者のエゴイズム、サド・マゾ的鬱屈をさらけ出した果てに、監督が藤本氏とのあいだに得た「濃い和み」の光景は、涙なくしては読めない。素晴らしきかな、この師弟愛。 (bk1ブックナビゲーター:野崎歓/東京大学助教授・フランス文学者 2001.02.13)

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秘事

2001/02/01 18:16

さらりと、しかも濃密な、まったく新しい恋愛小説の誕生

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 学生時代のサークル活動を通して知り合った、関西生れ、関西育ちの「三村」と「木田さん」。二人が結婚してから、死別するまで、昭和三十年代前半から現代にまでいたる長い時間の流れをとおして互いに育み続けた、夫婦間の変わらない愛を描き出した長編小説である。

 「変わらない愛」などという大雑把な呼び方は、しかしこの小説を形容するのにふさわしくはないだろう。一見ごく淡々と、穏やかな夫婦のたどった歳月をつづったこの作品は、世の夫婦仲に恵まれた夫婦ならば日々味わっているたぐいのあくまで平凡な幸せを、透徹した文章で織り上げていこうとする。だが「平凡」な装いとはうらはらに、人生の深い事柄がいかに豊かな感情のひだを隠しているか、いかにかけがえのない意味を含んでいるかを、河野多惠子の文章は冷静で細やかな筆致のもと、実に鮮明に伝えて見せる。落ち着き払った揺るがぬ境地を示しつつ、その陰に驚くべきエモーションと、官能的なエネルギーの沸騰がひしひしと感じられるのである。その結果、夫婦愛は決して真相を人目にさらすことのない〈秘事〉であるかのような、緊迫に包まれた謎と化して、いよいよ強くわれわれの興味をそそるのだ。

 事実、河野多惠子はここで平穏無事な夫婦生活をサスペンスフルに描くという、これまでほとんど誰も挑んだことのないような難事に挑戦し、まんまと成功しているのである。自分の臨終の時には子供たちは席を外してほしい、と夫は予告する。それは妻に素晴らしい言葉を聞かせたいからだ、「うんと楽しみにしていてくれ。ほんとに、あんたのびっくりするような素晴らしい言葉なんだから。」そうした謎のような予告を随所に配する語りの巧みさは、読者の気持ちを決してそらさない。しかもこれまでに河野多惠子の作品をときに彩ってきたような残酷趣味やサド・マゾシズム的幻想はここではまったく拭い去られている。性的なことがらが直截に描かれることはなく、それがまた飄々とした日々の記述にそこはかとない緊張感を与えるといった具合なのである。有名商社のニューヨーク支店長となった夫と妻とのニューヨークの日々を描くくだりなど、ほとんど観光旅行的気楽さが文章に弛緩を招いているかとさえ感じられるのだが、それが一転して終幕の感動へと雪崩れこむあたりの息遣いは、まさに戦慄的なほどのみごとさだ。

 ヒロインの顔の怪我、関西弁の柔らかさ、そして黄疸という病など、作者の長年親しむ谷崎潤一郎の世界を思い起こさせる細部に事欠かない。しかし何よりも、谷崎的「多幸症」を、現代日本のまったく平凡な一夫婦の生涯を通して描き切ったことに、大変な貴重さを感じるのである。 (bk1ブックナビゲーター:野崎歓/東京大学助教授・フランス文学者 2001.02.02)

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紙の本不穏の書、断章

2001/01/18 15:15

知られざる有名詩人との甘美な出会い

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 装丁から文字使い、写真の挿入まできめこまかい配慮の行き届いたこの一冊には、「フェルナンド・ペソアへのオマージュ」というしおりまで入っている。そこに名前を連ねているのはボルヘス、オクタビオ・パス、ローマン・ヤコブソン、タブッキ、カルヴィーノ、そしてドゥルーズといった面々。そうそうたる文学者、思想家がこぞって賛辞を惜しまない。しかも彼らのみではない。ヴィム・ヴェンダースやアラン・タネールといった映画作家たちもまたペソアの世界に惹かれ、ポルトガルまで出かけて映画を撮ったりしてもいる。要するにすでに久しい以前からヨーロッパではひそかな、しかし熱烈な「ペソア・ブーム」が巻き起こっていたのであり、この十九世紀に生れ第二次大戦前に死んだリスボンの詩人は、いつのまにか二十世紀の詩人として最大級の支持を集める存在となっていたのだ。そしてここに、ペソアの魅力に深く魅せられた訳者・澤田直氏の丹精によるアンソロジーが編まれ、ようやく日本語でもペソアの世界に近づくことが可能になった。

 恐れるのはただ、先に上げたような著名人たちによる「お墨つき」が効果を発揮しすぎて、一般の読者を遠ざける事態にならないかということだけである。なにしろペソアはやたらに難解な、あるいは秘教的な詩人ではないし、その作品はいたずらに高度な知的構築物などではないからだ。澤田氏の案内によってペソアとの初対面を果たした読者は、意外にナイーヴで古風、素直な言葉遣いが読む者の心に染み入るような、いかにも詩人らしい詩人を見出して安堵するのではないだろうか。

 「私は自分自身の旅人/そよ風のなかに音楽を聞く/私のさまよえる魂も/ひとつの旅の音楽」

 一つところにいながらにして、さまざまな旅を経験し、未知の調べを聞くことのできるその想像力のあり方は、しかしむやみに放恣でも超越的でもない。「もうずいぶんまえから、私は私ではない」——自己がふわふわとさまよいでるその足取りの頼りなさ、個我の希薄さをむしろよりどころとして、「わたしとわたし自身とのあいだのこの間」を測定しようとするペソアのしぐさには、むしろマイナーポエット的な肌合いが感じられ、われわれをある親密な読書体験へと誘うのである。

 七十にのぼる別人格をこしらえた、例の「異名」の問題を始め、ペソアは確かに異例な文学のあり方を示唆する存在でもある。だがともかくこの親しみ深い、メランコリックでシニカルな声に耳を澄ますことから始めたい。さいわいすでに本書は好評を得て、重版が決定しているという。この一冊を足がかりとして、今後さらなる紹介が推し進められることを強く期待する。 (bk1ブックナビゲーター:野崎歓/東京大学助教授・フランス文学者 2001.01.19)

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映画を通して浮かび上がるアジア近代史の光と影

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 田村志津枝氏は、侯孝賢監督の名作を出発点とする『悲情城市の人びと——台湾と日本のうた』以来、台湾と日本の関係を中心に据えた歴史の掘り起こし、読み直し作業を精力的に続けている。ステレオタイプによりかからず、当時の資料および当事者の証言を丹念に集めた上で新たな展望を開いていくその手法は手堅く、誠実さにあふれている。性急な断言を避け、じっくりと対象に迫るスタイルが、穏やかな迫力を生む。そして魅力的な映画ガイドブック『台湾発見——映画が描く「未知」の島』(朝日文庫)が示すとおり、情理を兼ね備えた氏の文章は、作品批評の場でも鮮やかな切れ味を見せるのだ。

 本書はそうした田村氏のこれまでの仕事の延長線上にあって、一つの総決算となるような通史の試みである。冒頭、読者は一八九六年にマルセーユの港を出た汽船の甲板上にいざなわれる。そこにはリヨンで紡績業を学んだ稲畑勝太郎が立っている。稲畑はかの地でリュミエールという男から「動く写真」を見せる機械を委ねられ、リュミエールの部下の技師ともども、日本に持ち返る途中であった。

 田村氏はその稲畑と同じ船に、正金銀行や日本銀行の重鎮たちが乗り合わせていた点に注意を向ける。「彼らは帝国政府の代表としてロンドンに出張しての帰りで、出張の目的はといえば、清国から日本に支払われた賠償金の査収であった。」すなわち日本に映画は、日清戦争の戦勝金と一緒に運び込まれたわけなのである。まさしく著者の言うとおり「玄妙な偶然」のはたらきではないか。発明されたばかりの映画はたちまち大衆の支持を集める。同時にまた、庶民に夢を吹き込むその魔力ゆえに、映画はきわめて政治的な装置として機能せざるを得ない運命であった。日清戦争以後、アジアに対する蔑視にもとづく帝国主義的、植民地主義的政策を、日本映画は陰に陽に支えることになる。だが同時に、日本支配化の台湾では、抑圧に苦しみながらも、日本式「弁士」の影響をも受けつつ、支配者側の押し付ける映画とは別の中国映画が活力を発揮してもいた。田村氏は豊富な資料調査にもとづいて、その様子をリアルに再現してみせる。

 そこには、「生蕃討伐」とその映画による記録といった、軍国主義日本のおぞましい所業も細かく語られている。正義派の高みから旧悪を暴き立てて事足れりとするのではない、ニュアンスに富む筆致ゆえに、本書の記述は説得力を増す。進歩派映画批評家・岩崎昶の功罪を慎重に分析するくだりなどに、田村氏のふところの深さがよく表れている。そしてまた、「さまざまなものを飲み込んで、思わぬ方向へうねっていく」芸能、映画への強い愛着が、全巻にポジティヴな輝きを与えているのである。今後アジアと映画を考える上で大きな指標となる一冊だ。 (bk1ブックナビゲーター:野崎歓/東京大学助教授・フランス文学者 2000.10.20)

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こんな映画監督がいたのか!と愉快に驚愕する一冊

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 松竹の黄金時代を代表する監督であり、小津安二郎も、溝口健二も一目置く存在——それが清水宏だった。だが小津や溝口に比べ、現在の知名度はひどく低いと言わざるを得ないだろう。かく言う評者自身、十年ほど前だろうか、パリ滞在中にシネマテークで「Shimizu Hiroshi」特集が組まれたとき、誰のことなのかわからないという体たらくであった。

 さいわい近年、『泣き濡れた春の女よ』や『簪(かんざし)』といった作品の数々がビデオ化され、また山田宏一『エジソン的回帰』で魅力的に論じられたことも手伝って、清水宏の名前はようやく忘却の淵を脱し、正当な評価の対象となり始めたようである。本書はその清水ワールドにアプローチするための、絶好の、そして現在のところ唯一のガイドブックである。

 清水宏の映画が実に独特の呑気さ、おおらかさ、そして美しさに包まれたものであることは、一本でも作品を見れば明らかなのだが、さて、清水とともに映画を作った人たちの貴重な証言を集めた本書から、その映画作りの秘密を探ると——
 「——清水さんは現場で脚本をいじったりするんですか?
 いじらないよ。脚本なんか最初からないんだもん。(中略)ほとんどアドリブで撮ってるし。だから早いんだ。」(脚本家・斉藤亮輔の証言)
 「——清水さんの演出というのは、どういう感じなんですか?
 いい加減だよ(笑)。これで繋がるんかなと思うぐらいいい加減。(中略)
 ——清水さんは編集に立ち会われたんですか?
 いいや、撮りっぱなし。アフレコにちょっと立ち会うだけ。音楽は伊藤宣二に任せっきりだし。清水さんは出来上がりも見てないんじゃないかな。」(撮影助手を務めた古山三郎の証言)
 といった具合で、もう嬉しくなるほどに豪快というかいい加減。理屈が大嫌い、「演技」が大嫌いで俳優にはとことん演技なしを強要。逆に子供や自然が大好きで、戦後は浮浪児を拾ってきては家で養い、彼らと一緒に映画を作る。この野放図きわまる天然無垢の精神——編者の一人、田中眞澄の言うとおり、彼のわがままに振りまわされた周囲の人たちにとっては、そこに「多少異常性を帯びた(?)神経」も感じられたのかもしれないが——、それが人間も動物も自然もまるごと一緒に盛り合わせてしまう、何とも器の大きな映画世界につながったのだろう。

 匹敵する者としてはジャン・ルノワールしか思い当らないような、その堂々たる巨体のポートレートを眺めながら、清水映画が見たくて堪らなくなってくる。実に愉しい一冊だ。 (bk1ブックナビゲーター:野崎歓/東京大学助教授・フランス文学者 2000.10.06)

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紙の本ナチ娯楽映画の世界

2000/09/21 21:15

歴史の封印を解く果敢な試み

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 「ナチ娯楽映画」—いやはや、何というおどろおどろしい響きであることか! そこでは誰もがハイル・ヒトラーと叫びつつユダヤ人を冷酷に痛めつけ、アーリア人純潔主義にもとづく第三帝国の栄華に酔いしれているに違いない—とつい思ってしまう。何しろ、ナチ時代のドイツとは史上最悪の洗脳社会であり、しかもヒトラーとゲッペルスは名にしおう映画マニアである。その彼らに迎合し国民をマインドコントロール化におくべく量産された娯楽映画ほどにおぞましいものを、人は想像できるだろうか?

 本書の最大の意義は、そうした思いこみがまったくの無知によるものでしかなく—事実、我々のほとんど誰も、「ナチ娯楽映画」をこの目で見たことなどないのだ—、そうした無反省な思いこみ自体が判断停止のあかしであると証明してみせたことにある。ドイツで現在もなお当時の作品が上映され、あるいはテレビ放映されているばかりか、ナチ文化への極度に偏狭な見方を脱した旧東独出身の研究者たちは、冷静な態度でそれらフィルムの再評価に向かっているという。そうした動きに敏感に反応した著者は、何とこの十年のあいだに「合計約千百本のナチ映画のうち七百五十本以上を観て」しまった!「おそらく、ドイツの『知的映画研究者』で、これほど多くのナチ映画に接している人はいないと断言してもよいだろう」という著者の言葉に凄味がある。映画体験の驚くべき蓄積をもとに、著者は次々と、恥辱と忘却の淵に落としこまれたナチ映画の実相を明らかにしていく。

 その指摘の数々は、われわれの漠たるイメージを打ち破る発見に満ちたものだ。いわく、政治的プロパガンダ映画など全体の10%程度にすぎず、政治色のないコメディが主流をなしていた。いわく、「純血」をたてまえとしながら、多くのトップ俳優は外国人であった。いわく、「むこう見ずな男」というキャラを演じて当時最高の人気を博した金髪碧眼の男優は、「ナチ政府に公然と対立姿勢を表明していた」・・・。こうして、ナチ時代のドイツが、実はレヴュー映画から山岳映画、けったいなSFファンタジー映画からこてこての喜劇映画までなんでもござれの、娯楽映画の楽園であったことを、著者は雄弁に示して見せるのである。

 もちろんその熱い解説を読みながらも、われわれのうちにある種の逡巡、ないしは恐怖心が残ることは確かだ。そもそも「ナチ娯楽映画」の名称にそこまでこだわる必要があるのだろうかという疑問もわく。反ナチを表明しつつ活躍した男優がいたのであってみればいっそう、「ナチ」の呼称は逆に映画の実態にそぐわないようにも思えるのだが。また、抑圧あらばこそ花開く娯楽映画の本質が、ここにこそ純粋形で現れているとする著者の立場に反論の余地もあるはずだ。だがこれが歴史の封印を解く力業であることに間違いはない。今後、実作に触れる機会が広まった上で、大いに議論が沸騰することを期待したい。 (bk1ブックナビゲーター:野崎歓/フランス文学者・東京大学助教授 2000.09.22)

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紙の本われらが〈他者〉なる韓国

2000/08/25 09:15

鮮やかな青春の韓国体験

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 十三年前に刊行された四方田氏の重要なエッセイ集が、増補版で蘇ったことを喜びたい。スウィフト『ガリヴァー旅行記』に関する浩瀚な修士論文を書き上げた25歳の四方田氏は、ソウルの大学に客員教授として招かれ、さして年齢の違わない学生たち相手に日本語や日本文学を講じた。KCIAの部長による朴大統領暗殺事件が起こったのは、著者滞在中のことである。政情不安が人心に深い翳りを与え、危機の緊張がはりつめるソウルの日々、書物を読み映画を観、そしてさまざまな人々との邂逅を重ねるうち批評家の精神に刻まれた韓国体験の精髄が、情熱あふれる文章によって語られる。読む者を引きこまずにいない力をもつ青春の一巻である。

 「どうして韓国に行く気になったのですか」と、当時著者は多くの人たちに質問されたという。著者によれば、その問い自体がある無意識的倣岸さを露呈している—「なんとなれば、質問者は自分の立っている場所の不動の安定を素朴に信じたまま、いかなる動機もなく言葉を発しているからであり、みずからの属しているイデオロギーに無頓着であるためだ。」

 この切り返し方に四方田氏の批評精神がみごとに表れている。自らの立つ場所を常に問い直しながら、〈他者〉の領域に向けてあくなき越境を試みること。それがきわめて高度な知性の営みであるとともに、キムチの「エロティシズム」に惑溺するような肉体的実践でもあることを、ここに収められたテクストの数々がみごとに証明している。

 民族仮面劇から張本勲まで、夭逝した映画作家・河吉鐘から「巨大な物語そのもの」のごとき生涯を全うした詩人・金素雲まで、惜しげもなく投じられる素材の新鮮さは今なお少しも失われていない。そのなかでも、「境界性を潜在的に乗り越えてしまう」ことを本質とする映画をめぐる思考は、本書の最もスリリングな部分をなす。一本のメロドラマを日本、韓国、北朝鮮のそれぞれの観客がまったく異なった見方で受容する事実の分析は、映画を観ることの政治性を鋭く解き明かす。しかしまた、「韓国人が好きになるとき」のようなさりげない印象記にこめられた、〈他者〉なる韓国への真率な思いにも胸をつかれずにはいられない。

 そしてまた、最新刊『日本の女優』などではすでにヴィルチュオーゾというべき練達の語り口で圧倒する氏の、若き時代のみずみずしく詩的高揚に満ちた文章を読むたのしみもある。「朝の鮮やかな国から」と題された一篇こそは、若き批評家にのみ許された抒情の美しい結晶ではないか。

 著者は近々ふたたび韓国に長期滞在する予定だという。本書の続編が今から待ち遠しい。 (bk1ブックナビゲーター:野崎歓/フランス文学者・東京大学助教授 2000.08.20)

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