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  3. 平岡敦さんのレビュー一覧

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    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    中野 ジェームズ修一 (講師),日本放送協会 (編集),NHK出版 (編集)

    5つ星のうち 4.0 レビュー詳細を見る

平岡敦さんのレビュー一覧

投稿者:平岡敦

29 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本タンタンの冒険その夢と現実

2002/06/14 18:15

ベルギーに生まれ、世界中の人気者になった「タンタン・シリーズ」の知られざるエピソード

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 1929年、ベルギーの子ども新聞「プチ20世紀」の連載漫画として始まった「タンタン」は、その後50年以上の長きにわたって描き続けられた。ニッカボッカがトレードマークの少年記者と愛犬スノーウィの冒険は全24作(最後の1作は作者の死により未完に終わった)、世界50カ国以上もの言葉に翻訳され、現在でも根強い人気を保っている。もちろん日本でも福音館書店から「タンタンの冒険旅行」シリーズとして出版され、愛読者も多いことだろう。本書はそのタンタン・シリーズ全作品について、創作の背景や過程、裏話などを豊富な資料をもとに解説した、タンタンノロジー(タンタン研究)の決定版である。

 タンタン・シリーズを描くにあたって、作者エルジェが各地の風景や登場する機械類の正確さを重んじていたのは有名な話だが、エルジェ財団の資料室に保存されていたという新聞雑誌の切り抜き写真と実際の漫画を照合した本書の図版を見ると、あらためてエルジェの緻密な仕事ぶりに驚かされる。それどころか、いつもヘマばかりしている間抜けな二人組刑事デュポン&デュポンや、浮世ばなれした天才科学者ビーカー教授にもモデルがいたなんていう、タンタン・ファンなら思わず身を乗り出したくなるような話題にも事欠かない。

 それと同時に、ここにはまたタンタンという不滅のヒーローを作り出してしまったエルジェの苦悩も描かれている。第二次大戦中、ナチに協力したといういわれなき非難を浴びて作品を発表できなかった不遇の時代や、執筆に疲れきって中断を余儀なくされたエピソードを読むと、健全でいつも前向きなタンタンの陰にこんな人生のドラマがあったのかと、あらためて感慨深い。 (bk1ブックナビゲーター:平岡敦/大学講師・翻訳家 2002.06.15)

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高校時代に読んだ世界文学の名作を読み返す精神の旅路

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 人生という大洋に漕ぎ出す一歩手前にいる10代の少年少女にとって、読書が開いてくれる世界は、これから自分たちが向かおうとしている道の彼方にあるものを知るための豊かなしるべとなる。それゆえ10代でどんな本を読んだかは、ときにその人の一生を左右しかねない。本書は文学、映画、漫画、音楽など幅広い分野でユニークな評論活動を行う著者が、高校時代に読んで感銘を受けた本の数々を、30年以上を経た今日読み返しながら、それらの作品が自らのなかに残していったものの意味を考え直そうという四方田版「舞踏会の手帖」である。
 取りあげられているのは、プルーストの『失われた時を求めて』やジョイスの『ユリシーズ』、フォークナーの『八月の光』、セリーヌの『夜の果ての旅』といった、おもに20世紀文学の傑作十数作だ。これらの作品を10代で読んだというのは、ちょっと背伸びをした文学少年の読書体験として特別珍しいことではないかもしれない。けれどもそれを自らのうちに深く血肉化していった著者の精神的軌跡は、ほぼ同世代であるわたしにとってとても興味深いものだった。
 たとえばアルチュール・ランボーの詩については、こんなふうに記されている。「十七歳のわたしは、世界など一刻も早く燃え滅びてしまえという強い破壊衝動を、心の底から抱いていた。また人生をできるだけはやく通過してしまいたいという、性急な思いに突き動かされてもいた。ランボーの生き方がそのさいに大きな指針であったことは、いうまでもない。」その後は「人生をめぐる無政府主義的な情熱から自分がようやくにして解放されたという安堵感」からランボーを遠ざけていたという著者は、「どうやらわたしは灼熱のランボー伝説から離れて、ようやく純粋状態において彼の作品を凝視することができるようになったのかもしれない。(……)わたしはこれより『イリュミナシオン』の作者と和解することだろう」と締めくくる。
 デュヴィヴィエ監督の『舞踏会の手帖』でヒロインが行う過去への再訪は、ときに幻滅をともなうものだった。けれども若き日の読書をめぐる旅は、豊かな成熟の発見につながるのである。 (bk1ブックナビゲーター:平岡敦/大学講師・翻訳家 2002.01.19)

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泣きたい気分

2001/11/19 22:15

フランスの《今》が息づく、シャレて皮肉っぽい短篇小説集

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 もしあなたがフランス映画のファンなら(そう、例えばエリック・ロメールのオムニバス映画とか)、この短篇集の最初に置かれた「サン=ジェルマン作法」がいっぺんで気に入るに違いない。場所はインテリ・スノッブたちが集まるパリ左岸のサン=ジェルンマン・デプレ街。主人公は出版社に勤める文学かぶれの女の子。たまたま通りですれ違った「ちょっと物憂げな」男と微笑を交わし、お定まりの恋の予感が...まずは気取らないワイン・バーで食事をし、いよいよこれからというあとの、まさに《今どき》という感じの皮肉な展開に、読者はにやりとするだろう。

 人生の一断面を描き出すのが短篇小説だとよく言われるが、本書に収められた12の物語はどれも、現代のフランスの人生模様を鮮やかに切り取っている。いいときも(ほんのちょっぴり)あれば、悪いときも(めいっぱい)あるけれど、まあ、それが人生というもの(セ・ラ・ヴイ)。主人公が味わうほろ苦い思いは、どこか身につまされるものばかりだ。

 登場人物はデパートでアルバイトする女子学生や妊娠したばかりの主婦から、休暇中の兵士、年中コンサート・ツアーで忙しいロック・シンガーと様々だが、その描き分けがまた実にうまい。冒頭の数行で、人となりがくっきりと浮かびあがってくる。例えば「ジュニア」と題された一篇の社長息子はこんな具合だ。「真空パックの中で育てられた箱入り息子とは、まさに彼のこと。石鹸の香りと、フッ素入りコルゲート歯磨きの真っ白な歯。ギンガムのシャツを身につけ、顎にくぼみがある。可愛らしくて、清潔。まるで子豚ちゃんみたい。」そんなボンボンがパーティー帰りに遭遇する、何とも情けない悪夢のような出来事には、くすくす笑いを禁じえなかった。軽妙だが、決して軽薄に流れない短篇小説の醍醐味が満喫できる一冊だ。 (bk1ブックナビゲーター:平岡敦/大学講師・翻訳家 2001.11.20)

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紙の本至福の味

2001/09/20 18:15

大料理評論家が最後にたどり着いた究極の味とは?美食の国フランス直輸送のグルメ小説

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 美食の国フランスで「最優秀料理小説賞」を受賞した評判の作品と聞けば(へえ、こんな賞があったのか?!)、日頃グルメとはほど遠い食生活を送っているわたしでも食指を動かされる。主人公は美食の限りを尽くし、料理界に君臨した世界的料理評論家。けれども、今は自宅のベッドに横たわったまま、間近に迫った死の時を待っている。そして、まだ少年のころ口にした「ほかのどんな料理とも違う不思議な味」、忘却のかなたに封印されてしまった「あの味」を思い出そうと、過去の様々な味覚体験を回想している。

 祖母の作ってくれた素朴なジャガイモ料理、タンジールの小さな串焼きレストランで食べた肉料理、ノルマンディーの農園でご馳走になった巨大なアスパラガス。そうしたタイプも様々な料理の描写、その味わいに傾ける薀蓄が、まずはこの小説の読みどころだろう。例えば、熟練した板前が名人芸的包丁さばきで饗する刺身の味は、次のように表現される。「目が眩むようだった。歯の間から、口の中に入ってきたものは、固形の物質でも液体でもなく、その中間の物質だった。歯ごたえのあるしっかりしたものと、もう奇跡としか言いようのないくらいなめらかでやわらかなもの、そのどちらの性質も併せ持つ物質だった。」

 だがもうひとつ、主人公の妻や子ども、孫、使用人やレストランのシェフから飼い猫まで、彼を取り巻く人々の独白が回想の合い間に挟み込まれ、主人公の複雑な人となりを浮かびあがらせる仕掛けがほどこされている。並はずれた味覚とすぐれた表現の才に恵まれながら、家庭内では冷たくて横暴な夫、愛情の薄い父親であった主人公は、いわば「味」という神に生涯を捧げた祭司だ。そんな男が最後にたどり着いた「究極の味」の皮肉な種明かしがされるとき、このグルメ小説が同時にグルメ批判小説でもあったことがわかるのである。 (bk1ブックナビゲーター:平岡敦/大学講師・翻訳家 2001.09.21)

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中世から現代まで、知られざるフランス児童文学の世界を概観した興味深い文学史

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 フランスの童話といえば、誰でもまっ先に挙げるのが『星の王子さま』だろうが、さてその他にどんな作品があるかというと、案外思い浮かばないのではないか。もちろんフランスにだってすぐれた童話、児童文学はたくさん存在するし、翻訳されているものも少なくないのだが、例えばドリトル先生シリーズやナルニア国物語、指輪物語、ゲド戦記のように、ロング・セラーとして日本で広く読まれている作品があまり見あたらないのも事実だ。繰り返し再話され現代に生き続けているペローの童話(「赤ずきんちゃん」や「眠りの森の美女」など)、エクトール・マロの『家なき子』やジュール・ヴェルヌの諸作品あたりがせいぜいだろうか。というわけで、知られらざるフランス児童文学の世界を紹介するべく、中世の伝承やからル・クレジオやダニエル・ペナックら現代作家まで概観したのが、本書『フランスの子どもの本』である。

 当然のことながら、ここでは普通の文学史では取り上げない作家や作品について詳しく触れられている。それだけでもフランス文学を学ぶ者としては大いに参考になるのだが、作品を生み出した歴史的背景に関する分析もまた興味深い点だ。例えば、17世紀に大流行した妖精物語。その作者である「女流作家たちの送った不幸な私生活は、おそらく当時の宮廷生活と華やかなサロンにひそむ悲惨な現実の写し絵であったのだろう。だからこそ、彼女たちが現実を忘れるために紡ぎあげる夢の世界が、多くの人々の心をとりこにした」というわけだ。なるほど、不幸なヒロインが妖精の魔法によって最後は幸福を手に入れる妖精物語とは、17世紀の女性たちにとって「ハーレクイン・ロマンス」のようなものだったのか。

 あるいは、普仏戦争の敗戦により祖国愛が高まるなかで書かれた『家なき子』は、「ナショナリズムの高揚が叫ばれ、それまでのメロドラマ風みなし子物語から脱却して旅と冒険をとおして力強く働くといったモラルを確立する教養小説としての特徴をもとめられていた、当時の時代的な要請にこたえるものであった」という指摘も、子どもの頃に親しんだこの作品に対する見方を新たにするものだ。

 とはいえ、いくつか残念に感じる点もあった。ひとつは、せっかく挿絵作家、絵本作家についても紙数を費やしているのだから、実物を示す図版がもっと欲しかったということ。もうひとつは、取りあげた作品に邦訳があるかどうかが網羅的に示されていないこと。「駄洒落が連発され、魔女も巨人も悪魔もじゃれのめされて爆笑を誘うといった話ばかり、大人も十分楽しめる」と言われればどうしたって読みたくなるピエール・グリパリの『ブロカ街の童話集』が、『木曜日はあそびの日』というタイトルで岩波少年文庫に入っていることは、読者としてはぜひ知りたいところだろう。 (bk1ブックナビゲーター:平岡敦/大学講師・翻訳家 2001.05.08)

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紙の本図説ロボット

2001/01/23 18:15

ロボットをテーマにして、アメリカのSF雑誌から集めたイラストレーションの数々を一挙代放出。

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 野田昌宏氏は、知る人ぞ知る日本一のアメリカSF雑誌コレクターである。予備校生時代に福岡の古本屋で『アスタウンディング・サイエンス・フィクション』誌と運命的な出会いを果たして以来四十数余年、集めた数千冊の雑誌は「3LDK二棟をパンクさせかけて」いるという。その「野田SFコレクション」のなかから、ロボットをテーマにした興味深いイラストを集大成したのが本書『図説ロボット』である。

 冒頭、「SFとは絵なのだ」という有名な《野田テーゼ》が掲げられている。そういえば今からもう30年ほど前、当時毎月愛読していた『SFマガジン』誌でもこの名言を目にした記憶があるから、野田氏長年の自説なのだろう。その主張どおり、本書に集められたイラストの実に魅力的なことよ。何といってもロボットは、異星人やモンスターと並んでSFの華である。恐ろしげなロボット、ユーモラスなロボット、どこか哀しげで哲学的な表情をたたえたロボットなどなどヴァリエーションは千差万別。それに較べたら、カッコいい宇宙服に身を包んだヒーローや肌もあらわな美女も、いささかかすんで見えてしまう(もっとも野田氏は、美女のほうもけっこうお好きらしいが)。

 例えば、というテーマで描かれた一連のイラストがある。砂漠に咲いた一輪のバラにロボットが水をやっている図や、廃墟から掘り出した本をロボットが読んでいる図など、絵を見ているだけでも頭に何か物語が浮かんでくるほど強烈なインパクトがある。なるほど、「SFとは絵なのだ」という説を裏づけるに足る作品である。「廃墟のなかのロボット」というイメージには、よほどわれわれの想像力を強烈に刺激する要素があるのだろう。宮崎駿のアニメ『天空の城ラピュタ』でも、それが効果的に使われていたことが思い出される。

 色鮮やかなカラー写真でふんだんに紹介されている、そんなロボットの数々を眺めているだけでも十分楽しめること請け合いだが、ロボットSFの流れを概観した解説もなかなか読みでがある。1926年、SF作家としても名高いヒューゴー・ガーンズバックによる世界初のSF雑誌『アメージング・ストリーズ』の創刊以来、百花繚乱のパルプ雑誌全盛期から、アイザック・アシモフに代表される知的なロボットSFの時代を経て現代に至る変遷は、ロボットを中心にしたSF小史として面白い。なかでも野田氏お気に入りのスペース・オペラ(宇宙を舞台にした冒険活劇もの)の解説には力が入っており、おかげで野田昌宏訳による「キャプテン・フューチャー」シリーズや「ジェイムスン教授」シリーズ(いずれも、ハヤカワSF文庫刊)を、ひさしぶりに読み返したくなってしまった。 (bk1ブックナビゲーター:平岡敦/大学講師・翻訳家 2001.01.24)

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紙の本横尾忠則ポスタア芸術

2000/07/10 20:49

どのページを開いても哄笑の沸きあがる横尾忠則の近作ポスター135点の集大成

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 横尾忠則の絵には、ともかく有無を言わせぬ迫力がある。例えば地下鉄の通路を歩いていたとしよう。まだはっきりと知覚しないうちから、彼方に何やらただならぬ異形のものの気配がする。ふらふらと吸い寄せられるように近づいていくと、そこには案の定横尾忠則のポスターが張られているのである。

 そんな横尾が主に1995年以降に制作したポスター135点を、展覧会、個展、イベント、観光、神社仏閣、映画、演劇等々17のカテゴリーに分類、集大成した本書も、当然のことならものすごいエネルギーを発している。見ているほうにまでそのエネルギーを伝わってきて、何だか元気になってくるから不思議だ。個人的には精神世界とかいった話に興味ないのだけれど、その方面に対する作者の傾倒ぶりが決してポーズやスタイルでないことは、作品が発散するこのエネルギーからも明らかだろう。

 けれども横尾作品の凄いところは、そうした精神性が真面目くさった悟りの表情をまとうのでなく、哄笑に満ちたユーモアを伴って表現されている点だ。実際、この本のどこからも、高らかな笑いが沸きあがってくる。いや、いや、これは単なる比喩ではない。嘘だと思うなら64、65ページを開いてみるといい。墨絵風に描かれた幽玄なる深山の景色には、何とまあ「ウワッハッハッハッハッハ...」とひときわ高くこだまする笑い声が、そのままに書き込まれているのだ。

 あるいは『万歳七唱 岡本太郎の鬼子たち』という展覧会ポスターでは、赤鬼、青鬼にふんした横尾忠則はじめ7人の現代美術作家を、岡本太郎の鋭い眼光が見据えているのだが、ここでも眼光と言ったのは比喩ではなく、岡本太郎の目からは文字通り光が発している。漫画じゃあるまいに、などと言うなかれ。近代のデザインがめざしたわかりやすさ、大衆性の、究極のかたちがここにはある。そういえばこの本には、作者による短い自作解説がところどころ付されているのだが、『櫻の宮』と題された櫻木神社のポスターについて、こんなエピソードが書かれていた。「このポスターは別に神社を宣伝するためのものではない。神社にお参りに来た人たちがそっと買って帰って、わが家に飾ってくれているという。それも『作品』などという概念を持たない一般の人が多いと聞く。このポスターの制作者などに特別興味はない。ただ家に飾っておくためらしい。」いい話ではないか。おそらくは横尾忠則の名前すら知らないだろう人たちが、彼のポスターに魅せられ買い求めていくのだ。

 かつてヴァルター・ベンヤミンは、複製技術の発達した近代において、芸術作品の持つ唯一性のアウラが消失すると看破したが、複製技術を駆使した横尾の「ポスタア藝術」には、いくら複製しても失せないアウラが満ちている。 (bk1ブックナビゲーター:平岡敦/大学講師・翻訳家 2000.7.11)

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奇怪で魅力的な異星人のオンパレード。見ているだけで楽しくなるSFイラストレーションの集大成

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「SFは絵だねぇ」の名言をキャッチフレーズにして、SF雑誌イラストレーションの魅力を縦横に語った「野田コレクション」シリーズ。本書は『図説ロボット』『図説ロケット』に続くその第3巻である。

 宇宙人でもなければエイリアンでもない、「異星人」というこのアナクロチックな呼び名ほど(ワープロでも一発では変換されないくらいだ)、けばけばしいパルプマガジンの表紙を飾った異形の地球化外生物にふさわしいものはないだろう。それに「異星人」は何といってもSFの華、画家にとっても自らのイマジネーションを発揮するには恰好の題材だ。そんなわけで、ここには奇奇怪怪で荒唐無稽な生き物たちが、ところせましと跋扈している。

 冒頭を飾るのは、もちろんH.G.ウェルズの『宇宙戦争』。この作品は、地球人とはまったく異質な生物としての「異星人」をイメージした最初の思考実験として、近代SFの嚆矢というべき作品である。重力の低いために脚が細く、知能が高いので頭ばかりが大きくなった「タコ型」火星人の姿は、なるほど異なった環境のもとではこんな高等生物の進化もありうるかもしれないと納得させられるに足るものだった(よく考えれば、こじつけがましいのだけれど)。

 こうして、ひとたび発想の転換が起これば、あとはいくらでもイマジネーションは湧いてくる。昆虫のような異星人、鳥のような異星人、蛇のような異星人……いや、ほかにも言葉ではとうてい表現できないグロテスクな怪物が、肌もあらわな美女に襲いかかるお定まりの構図は、まさにSF画の真骨頂だ。ここに並べられた絵の数々を眺めていると、SFの本質はやはりセンス・オブ・ワンダーにありとあらためて思い至る。 (bk1ブックナビゲーター:平岡敦/大学講師・翻訳家 2002.07.04)

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ミステリ小説や映画に登場する銃のあれこれがよくわかる、極めつけの銃器大全

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 この日本で普通の市民生活を送っている限り、たいていの人には銃なんて実際に撃つことはおろか、手にとってみる機会も必要性もなきに等しい。リボルバーとオートマチックの違いすら知らなくても、ちっとも困りはしないだろう。

 けれども、ミステリ小説の世界に一歩足を踏み入れれば、ことはまったく違ってくる。どんな銃を持たせるかが、登場人物の人となりに密接にかかわってくることだってありうるのだ。かく言うわたしは銃の知識はからきしで、自分で翻訳中の小説になにやら難しげな専門用語でも出てこようものなら、たちまち困りはててしまう。読者のほうでも、銃の描写ははっきりとしたイメージがわかないままに読み飛ばしている場合が多いのではないか。そんな人たちのための力強い助っ人として役立ってくれそうなのが、本書『小林宏明のGUN講座』だ。

 従来、銃に関する本というと、機種の羅列を主としたカタログ的なものが多かったが、本書の特徴は銃の歴史や構造、機能面について突っ込んだ解説がなされていることにある。しかも著者はベテラン翻訳家だけあって、実際のミステリ小説や映画のなかで銃がどのように描かれているか、豊富な実例でもって示している。

 映画『ランボー』のなかでスタローンがでかいマシンガンをかかえて乱射するシーンについては、「あんなことできるわけないよ」という声も多かったけれど、著者によればまったく荒唐無稽なことでもないらしい。いっぽう、あるミステリ小説のなかには、弾がきれたら引き金がストップするはずの拳銃なのに、登場人物が引き金を引き続ける場面が出てくるという。そんな薀蓄話もふくめて、銃がぐっと身近に感じられるようになる(現実の世界ではあんまり親しく接したくはないけれど)一冊である。 (bk1ブックナビゲーター:平岡敦/大学講師・翻訳家 2002.07.03)

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日本有数の海外ミステリ・コレクターが、秘蔵コレクションのジャケット・アートを全公開

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 謎、犯罪、殺人、怪奇、恐怖……そんな言葉を一枚の絵によってあらわすとしたら、どうなるだろう。殺人者の影に怯える美女をエロチックに描くか、ナイフを突き立てられた死体をデザインするか、はたまた不気味な骸骨を躍らせるか、答えは千差万別だが、画家にとっては自らのイマジネーションと技量のほどを発揮するのに恰好の画題ではないか? そうした作品の数々を一堂に会した大展覧会ともいえるのが、海外ミステリのジャケット・アート(表紙絵)数百点をオールカラーで紹介した本書『ミステリ美術館』である。

 展示室は4つに分かれている。「ミステリの巨匠たち」ではクリスティー、カー、クイーンら大作家の傑作が並び、「ジャケット・アートで見るミステリ史」では両大戦間の本格ミステリ黄金期から現代に至るジャケット・アートの変遷を追っている。しかし、何といっても楽しいのは「ミステリ・ア・ラ・カルト」だ。「音楽、スポーツ、ファッション、歴史、動物、鉄道、飛行機——あらゆるものがミステリの主題となり舞台となる。ここではジャンルや発表年代にとらわれず、ジャケットに描かれた題材に注目し、テーマ別にコレクションを編集してみた」というこの部屋からは、膨大な蔵書コレクションを嬉々として並べている編著者の姿が目に浮かぶようだ。最後に置かれた「翻訳ミステリの世界」では、ちょうどわたしがミステリを読みはじめた頃の創元推理文庫のカヴァーが懐かしかった。展示室を歩き疲れたら、合い間に配された薀蓄コラムと、山口雅也、若竹七海らによるゲスト・エッセーでひと休みと、いたれりつくせりの構成になっている。

 本書によって英米原書の魅力に開眼した読者には、併せてピート・スフリューデルス『ペーパーバック大全』(渡辺洋一訳、晶文社刊)を読まれることをお勧めする。アメリカの主なペーパーバック・シリーズの歴史や特徴から、カヴァー・イラスト製作の裏話まで盛り込まれて(図版も多数ある)、これも興味深い一冊だ。 (bk1ブックナビゲーター:平岡敦/大学講師・翻訳家 2002.02.22)

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赤の文書

2002/02/20 22:15

中世のパリを生き生きと描き出すハードボイルド・タッチの時代ミステリ

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 代書人という商売をご存知だろうか? 日本では役所に提出する書類作成の代行をする行政書士を指すようだが、フランスでは文盲の人たちに個人的な手紙や書類の代筆業として、中世以来続いた仕事である。さすがに今では廃れたものの、セバスチャン・メルシエの『十八世紀パリ生活史』(原弘訳、岩波文庫刊)には、パリのイノサン墓地にずらりと軒を並べる代書人の様子がユーモラスに描写されている。本書はそんな代書人を主人公とした、ハードボイルド・タッチの時代ミステリだ。

 舞台は15世紀初頭のパリ。主人公はかつてソルボンヌで学問を志しながら、学寮事務総長の背徳を知ったばかりに大学を追放された過去をもつ。10年間にわたりヨーロッパ各地を放浪したのちパリに戻って、いまはボルデル門の近くでひっそりと代書屋を営んでいる。一度は人生に挫折を見たものの、ささやかながら落ちついた暮らしには満足していた。けれども、かわいがっていた野良猫が何者かに殺され、それがきっかけで知り合った幼い娼婦までもが殺されるにいたって、彼の怒りに火がつく。ひそかに事件を調べ始めた代書人の行く手に、次々と怪しげな人物があらわれる。首からメダルをさげた騎士、赤い胴着の男、弓の使い手、《夜の教皇》と呼ばれる謎の男、そして彼を追放させたソルボンヌの僧侶までも。やがて代書人は、町の有力者たちが関わる犯罪を突きとめる。

 こうしたミステリとしてのストーリー展開もさることながら、本書の魅力は中世パリの様子が生き生きと描写されている点にある。入り組んだ路地がそこここに走り、日が落ちれば深い闇の包まれる町、死や危険と隣り合わせになって暮らす人々を、短く簡潔な文体が巧みに表現している。「名無しの代書人」はシリーズ化されるらしく、フランスではすでにもう一作が出ているという。引き続きの邦訳を期待したい。 (bk1ブックナビゲーター:平岡敦/大学講師・翻訳家 2002.02.21)

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妖精の教育

2002/01/16 22:16

妖精の魔法を現代によみがえらせる、不思議なラブ・ストーリー

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 三つの願いを叶えてくれる不思議な妖精の存在を、紛れもない現代を舞台にいともやすやすと読者に信じさせてしまうという離れ業を、作者はこの物語で行っている。
 主人公はおもちゃやゲームづくりを仕事にしているニコラ・ロッケル。自由人だった父とは幼くして死別し、別な男と結婚した母親とは離れ離れになって少年時代をすごした彼には、どこか大人になりきれていないところがある。そんなニコラが、ある日空港に向かうバスのなかで出会った女性イングリッドとその息子ラウルにひと目惚れしたところから、この小説は始まる。イングリッドは鳥類学者で、NATO軍のパイロットだった夫をボスニア紛争で亡くしたばかりだった。
 ニコラとイングリッドは結婚し、ラウルもニコラを本当の父親のように慕っている。そうして幸せな4年半が過ぎたとき、突然イングリッドが離婚を申し出る。ニコラにとっては青天の霹靂だった。イングリッドが口にする別れの理由も、まるでとりとめのないものだ。新しい男ができたのだろうか? ラウルには何て説明しよう? ニコラの悩みは尽きない。けれどもそれだけなら、夫婦の危機と家族の絆を描いた数多い小説のひとつにすぎなかったことだろう。そこにもうひとりの主人公セザールが登場したあたりから、この作品は俄然輝き出す。
 フランスの大学に入学しようとイラクからやって来た彼女は、レジのアルバイトをしていたスーパーでニコラと出会い、二人は密かに心を通わせる。それは二人が辛い現実のなかで、夢見る力を持ちつづけていたからだ。やがていくつかの偶然から妖精役を演じることになったセザールが、魔法の杖をひとふりするがごとく事態をハッピーエンドに導く結末に、読者はおとぎ話を読み終えた幼い日の感動をよみがえらせるに違いない。 (bk1ブックナビゲーター:平岡敦/大学講師・翻訳家 2002.01.17)

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紙の本ボーイソプラノ

2001/12/11 22:16

「パレ・フラノ」シリーズ第2弾は、隻眼の私立探偵<捜し屋>ヴィッキーがハードボイルドに活躍する。

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 『ペロー・ザ・キャット全仕事』(徳間書店)によって鮮烈なデビューを果たした若き新人作家による第2作が、早くも刊行された。舞台は前作に続き、近未来フランスの街パレ・フラノ、悪の天才パパ・フラノが支配する犯罪の王国だ。今回主人公となるのは、『ペロー』でなかなか渋い脇役を演じた私立探偵<捜し屋>ヴィッキーことヴィクトル・デュボアだとあって、いちだんとハードボイルド色の強い作品に仕上がっている。

 物語は定石どおり、ヴィッキーの探偵事務所をひとりの依頼人が訪ねるところから始まる。もちろん謎めいた美女、と言いたいところだが、それは少女と見まがうばかりに愛らしい男の子だった。少年は《恋人》である神父を捜して欲しいと言う。神父はフラノ・ファミリーの秘密警察に連行されたまま行方不明だった。聖職者と暗黒街にどのような関わりがあったのか?いわくありげな少年の正体は? やがて奇怪な獣人の出現によって、事件は恐ろしい惨劇へと向かっていく。

 こうしてヴィッキーは心ならずも、フラノ・ファミリーをめぐる陰謀と復讐のなかに巻き込まれてしまう。めまぐるしく展開するストーリーの構成はいささか緻密さを欠くものの、ほとんどチャンドラーのパロディかと思うほどベタなハードボイルド文体に(「フィリップ・マーロウは腹が立つほど名探偵で、私を置き去りにして、ダンディに事件の核心に近づいていった。今は何一つ共感できなかった」なんていうヴィッキーの独白が、さりげなく挟まれている)、聖書からスタンダール、ラヴクラフトのクトゥルフ神話まで、随所に散りばめられたおびただしい文学的引用が作り出すブキッシュな味わいこそが、この作者の本領だろう。聞けば「パレ・フラノ」シリーズはまだ一作続くらしい。次は誰が主人公になるのか(超セクシーな女用心棒シモーヌ?)、今から楽しみなところだ。 (bk1ブックナビゲーター:平岡敦/大学講師・翻訳家 2001.12.12)

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『天才バカボン』と『レッツラゴン』を中心に、赤塚不二夫の天才的ギャグを集大成したファン必読の一冊

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 ギャグ漫画を読みながら声をあげて笑うという経験は、案外少ないのではないか。もちろん頭の中では笑っているし、4コマ漫画でクスッとするくらいのことはある。けれども、基本的には絵と文字によるセリフだけがたよりの漫画では、映画や芝居のような瞬間的笑いのインパクトがどうしても弱くなりがちだ。いっそ文章だけのほうが、イマジネーションを広げられるぶんずっとおかしかったりする。

 ところが赤塚不二夫の漫画で、わたしは今まで何度となく笑いころげてしまった。電車の中で読んでいて、笑いを抑えるのに苦労したことさえある。本書は、漫画というメディアにおいて最大限に笑いを引き出すことに成功した「天才」がのりにのっていた1970年代前半を中心にした、赤塚ギャクの集大成だ。

 この時期、赤塚は『天才バカボン』と『レッツラゴン』という2大傑作の連載を同時に行いながら、破天荒で前衛的なギャグを毎週のように連発していた。例えば『天才バカボン』でやった実物大漫画。ページをめくると、まずは見開きいっぱいにバカボンのパパの顔があり、次のページにはやはり見開きいっぱいにバカボンの顔があるなんていう二度と使えないシュールなギャグも、ここでは雑誌連載時のサイズでしっかり再現されている。

 そしてあの「山田一郎」改名事件。赤塚不二夫は突然山田一郎に改名すると宣言し、実際タイトルのページから目次まで、山田一郎名義になっている。この改名は短期間に終わったけれど(赤塚不二夫に戻ったとき、いちファンとしては少しほっとしたものだ)、漫画という枠を破り、編集者たちをも巻き込んで、自らの存在をギャグ化していこうというエネルギーのあらわれだった。そんななかで重要なキャラクターとして活躍した「デカバナ武居」記者や「バカラシ(五十嵐)」記者らによる巻末座談会も爆笑ものだが、「先生がずーっとオレにいっていたのは、『上品でないとダメ』」という武居記者の言葉は印象に残った。たしかに赤塚不二夫の漫画は、どんなにシモネタを扱ってもどこか品がある。そこがまた、凡百の漫画家たちと一線を画する点なのだろう。 (bk1ブックナビゲーター:平岡敦/大学講師・翻訳家 2001.12.04)

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現在活躍中の英米作家が自作を語る生の声を集めた、興味深いインタビュー・エッセイ

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 ジョン・アーヴィング、ゲイ・タリーズ、デイヴィッド・ロッジ、ジュリアン・バーンズといった、日本でもよく名前が知られ、現在第一線で活躍中の英米作家にひとりの日本人作家を加えた、総勢27人におよぶ「同時代文学の語り部たち」のインタビュー集。けれども1問1答式のインタビュー記事とは違い、それぞれの作家、作品に対する著者自身の思い入れがはっきりと伝わってくるのが本書の特徴だろう。出会ったときの第一印象、話す口調、質問に答える表情などの描写からは作家の人となりが彷彿とし、あたかも短編小説を読むかのような心地よさがある。

 話題の中心となるのは、やはり彼らの作品。タイトルどおり、各作家につき一作を選び出して、創作の意図や過程、いわゆる「生みの苦しみ」などを作者の口から見事に引き出している。アーヴィングは『ガープの世界』について「この小説の意図するのは、誇張しコミカルな表現によって示される男女間の不和だ」と言い、ブレッド・イーストン・エリスは「『アメリカン・サイコ』で描いているのは、自分に夢中でその世界から出られない男の話だよ」と語る。作家たちは皆、自作について饒舌だ。今、その作品が書かれるべき意義をきっちりと見据えたうえで執筆にあたっている。

 はたして日本の作家の場合、同じような答が返ってくるのだろうか?ふとそんな疑問を抱きながら、この本で扱われているただひとりの日本人作家、村上春樹の章まで読み進めたとき、「フェアネス(fairness=真摯さ)」という言葉が目にとまった。村上春樹はカポーティーやカーヴァーといった作家から、小説を書くうえでのフェアネスを学んだという。「日本語の小説においては、そうした文章のフェアネスというものがあまりありません。フェアネスという概念自体が、あまりないと言った方がいいかも知れない。そうしたものより、センシティビリティとか美しさ、流れ、雰囲気、響きを大事にする小説、言語であり、文体なのです」と彼は語っている。言われてみれば「フェアネス」は、ここに取りあげられた作家たちすべてにあてはまる。それが外国小説を(そして村上春樹を)読む楽しみだったのかと、あらためて認識させられた。 (bk1ブックナビゲーター:平岡敦/大学講師・翻訳家 2001.11.10)

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