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坂口緑さんのレビュー一覧

投稿者:坂口緑

8 件中 1 件~ 8 件を表示

生涯学習論の基本文献。国内外の議論を整理し、理解するための最良の一冊。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 教職課程や学芸員課程、社会教育主事課程の必修科目として「生涯学習概論」が定着して久しい。1965年、ユネスコにて「生涯教育」の重要性が提唱されて以来、日本でも生涯にわたって学習する機会の充実が政策として推進されてきた。図書館や公民館など、従来の社会教育施設の活用方法も、生涯教育という観点から見直され、現在もその改革は続いている。

 大学の授業として「生涯学習概論」が定着して以来、多くの教科書が出版されている。ただし、その多くが数人の研究者がそれぞれの視点から書き下ろす共著であるのにたいし、本書は、めずらしく、ひとりの研究者が一定の視点から考察した生涯学習論となっている。

 著者は、ユネスコのポール・ラングランやフォール報告、ハッチンスの理論やOECDのリカレント教育提案など、生涯教育論の基本となる報告書や提言を概観する。そして、エリクソンやハヴィガーストらの自我発達理論、ウェルナーやノールズの成人教育論など、ドイツやアメリカにおける基本文献を再度、考察し直すことで、「アンドラゴジー」を重視する視点を打ち出している。

 アンドラゴジーとは、ペダゴジーと対比される言葉で、成人教育を意味する。ただし重要なのは、「教育」という語のもつ強制的な意味は含まれない。また、アンドラゴジーは必ずしも「成人」のみを対象とするわけでもない。その意味で、アンドラゴジーに「成人教育」という訳語を当てはめるのは、二重に間違っている。本書でも明らかなように、アンドラゴジーとは、他律的なペダゴジーとは異なり、自律的な個人が、自らの関心にしたがって学習する「自己主導型学習」を特徴とする。ノールズ理論を重視する著者も、アンドラゴジーが「これからの時代を生きる子どもにも適用」されるべきだと考えているようだ。

 自らの関心を発見し、問題を解決していくような「自己主導型学習」を支援する体制づくりのために、アメリカにおける実践例も報告されている。 (bk1ブックナビゲーター:坂口緑/大学講師 2000.08.25)

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ルソーという「謎」を解明するミステリー仕立ての論文集

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 ルソーは「謎」である、と著者はいう。たしかに、学問分野によって、ルソーの位置づけは微妙に異なる。哲学においては、啓蒙時代の啓蒙批判者。政治思想においては、代議制による参政権の提唱者。教育学においては、「子ども」や「自然」の発見者。しかも、短いサイクルで解釈の流行が訪れる。疎外論、精神分析、カント主義。最近では、多様な中間団体からなる政体を想定するトクヴィル型共和主義にたいし、中間団体の権力や支配構造を問題視し、中間団体ではなく「市民宗教」によって統一性が保たれる政体を想定するルソー型共和主義という対立図式が、多くの議論で援用される。けれども、いずれの解釈もルソーが残した思想の一部分でしかない。かくして、ルソーは常に、そして否応なしに、「謎」だとされてきた。

 本書の目的は、この「謎」の解明にある。著者によれば、ルソーが「謎」に見えるのは、「自分でありつつ同時に秩序と一つであること」という、一見、両立しがたい二つのことを同時に望んだからだという。この両立しがたさゆえに、ルソーは徹底した個人主義者とみなされたり、いや、むしろ全体主義者だとレッテルを貼られたりしてきた。しかし著者は、ルソーにおける「自我と秩序の相互包摂的関係」を理解できてこそ、ルソーの実像に迫ることができるのだと主張する。

 個人における自我と秩序、社会における自由と秩序。一見、両立しがたいテーマがいかに一貫しているかという問いの立て方自体は、ルソー研究にとっておそらくさして珍しくはない。しかし本書が独創的なのは、ルソーの批判的視点が一貫していることを強調するのみならず、「個が全体と出会える」と信じるルソーの「オプティミズム」を冷静に抽出し、同時に、そこにひそむ「ペシミズム」を指摘している点である。

 ルソーは個と全体をつなぎとめる役割を「市民宗教」に求めた。それは、ニーチェと同様、「キリスト教によって知ることのできた個の内面的自由を否定して再び古代に帰ることはもとより不可能」だと考えたからだ。しかし、「人間の自然的善性」は欠損の形態でしか認知できない。そこにルソーは、近代の終わり、すなわち「キリスト教ヨーロッパが本来もつ問題性」が露呈される「衰弱過程の始まり」を見いだしている。

 ルソーにとって、著作をしたためる作業は、ヴァンセンヌの獄中にいるディドロを訪ねる途中で、突如、降りかかってきた啓示の体験を理論化することだった。ルソーは次のように言う。
「15分のあいだに、あの木の下で、私の光明を与えてくれた偉大な真理の内から、私がとらえることのできたすべては、まったく弱々しい形で、私の三つの主な著作に散らばっています」(「マルゼルブへの手紙」)。
 著者は、「散らばって」いる「弱々しい形」を探り当て、ルソーという「謎」を解く手がかりとして利用する。テキストの綿密な読解をとおして、ルソーの主要なテーマが読み解かれる本書は、まるで上質のミステリーのように、読者を惹きつける魅力を有している。 (bk1ブックナビゲーター:坂口緑/大学講師 2001.01.24)

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紙の本停電の夜に

2000/12/14 21:15

もったいなくて、先を急いで読みたくない本

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 ラヒリのこのデビュー短編集は、とにかく絶賛を浴びている。アメリカではたくさんの賞を受けているし、日本でも翻訳が出たとたん、多くの新聞や雑誌で取りあげられた。文学好きの友人に、熱心に勧められた人も少なくないはずだ。私自身もそうだった。本好きの友人たちに、何度か、読んだ?と尋ねられた。けれども、長い間、まだ、と答えていた。

 ラヒリの存在自体はずっと気になっていた。昨年、『ニューヨーカー』に原文が掲載されていたのを目にしていたし、The Best American Short Storiesに選ばれたのも知っていた。そしてついに今年の夏、小川高義訳で出版されたのを知り、読んでみようと心に決めていた。けれども、多くの著名人がこぞって褒め称えるのを見聞きしながらも、まあいいか、もう少し落ちついたら読もう、などと言って、のばしのばしにしてきた。

 そして晩秋。本書をやっと手に取り、読み始めた。その途端、私はほんとうにびっくりした。もったいなくて、先を急いで読みたくないと思ったのは、久しぶりの感覚だった。それくらい、とてもいい。表題作の「停電の夜に」、原題になった「病気の通訳」。もちろん、どちらも素晴らしい。けれども、もしあなたがラヒリと同じ30代の女性だったら、「セクシー」から読み始めてはどうだろう。

 混み合うデパートの化粧品売場で見かけた、見ず知らずの男。冬のボストン。その男をもっと見ていたいというだけで、店員のセールスを熱心に聞き入る主人公、ミランダ。男は、妻の化粧品を選んでいる。妻がインドに里帰りするのだという。男はミランダにそう言って、見え見えの誘い文句を並べてくる。それでもミランダは、狭いアパートに彼を招き入れ、日曜日ごとに、彼好みのパンやトルテを用意する。なぜなら、「高校でつきあった男の子をそのまま大きく重くした」のではなく、「いつでも勘定を引き受けてくれて、ドアを押さえてくれて、テーブル越しに手をとってキス」をするのも、「六個のグラスを総動員しないと入れられないような花束を持ってきたのも、高まっていきながら彼女の名前を何度でもささやきつづけるのも、彼が初めて」だったから。

 著者ラヒリは、始まった途端、終息に向かうようなふたりの関係を、ミランダの同僚ラクシュミのいとこ夫婦の破局に並行させて描く。そうすることで、雑誌によく載っている典型的な不倫と、テレビ番組でよく披露されるありきたりな離婚とを、非凡な方法で抽出する。

 物語の最後、男からの電話を避け、ミランダは日曜日の早朝、散歩に出る。思い出の場所をずんずん通り越して歩き続ける彼女は、やがて、いつだか男に「君はセクシーだ」とささやかれたことのある、大きな教会の前に出る。彼女は教会前のベンチに坐り、温かいコーヒーを飲み、列柱とドームと青空を見上げる。そんなミランダの姿に、私たちは、フィルターが突然はずされたように景色がくっきりと見えてくる、あの、恋が終わる瞬間を思い出す。夢見がちで軽率な恋が、どんな結末をもたらすかを知っている30代の私たちは。 (bk1ブックナビゲーター:坂口緑大学講師 2000.12.15)

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「奉仕」や「しつけ」や「がまん」の押しつけではなく、共感する心を育むために

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 近年、「道徳教育」に注目が集まっている。とくにこの一年は、「教育改革国民会議」を意欲的に進める森首相や「道徳教育の充実」を公約とする石原都知事など、政治家が政策の一環として「道徳教育」に言及する機会が増えている。これは、日本だけの現象ではない。アメリカでもイギリスでも、消費主義の蔓延、陰湿な犯罪の増加、伝統的家族の崩壊などを例にあげ、道徳の頽廃を「道徳教育」でなんとかしようという議論があとを絶たない。

 ただし、そこで言われる「道徳教育」にはふたつの種類がある。ひとつは、伝統的な徳目主義への回帰である。教育勅語を称揚する森首相のように、合理的な説明なしに親孝行や夫婦相和など、いくつかの徳目を「良いもの」として教え込もうとする考えである。もうひとつは、民主的な道徳的議論の再考である。消費主義の蔓延、陰湿な犯罪の増加、伝統的家族の崩壊は、道徳の頽廃ではなく、いままでの道徳が通じなくなったため起こっているのだとし、この転換期にふさわしい道徳教育のありかたを提案する考えである。

 伝統的な徳目主義を復活させるという考えは、復古的なばかりでなく不可能でもあるのは自明だろう。したがって、現代的課題は、転換期にふさわしい道徳教育のありかたを考えることにある。

 本書は、この転換期に際し、たいへん重要な示唆を投げかける。従来、日本では、コールバーグの理論を中心とする「段階的発達理論」が広く知られてきた。死にかけた妻のために薬を盗むべきか否か、定員オーバーの救命船から取り除かれるべきなのはどのような職業の人か、といった極限状態の道徳的ジレンマを問いかけ、その答えと理由付けを考察することで、子どもの発達段階を測るという手法である。しかし、それは「正義」や「公正さ」という価値を最高のものとみなし、共感したり感情移入したりする心の動きを価値の低いものだとみなす偏向をかかえている。それにたいし、ノディングスやギリガンといったアメリカの教育学者は異を唱える。そして、模倣や対話が他者に共感できる「ケアリング」の心を育てる点を重視する。

 本書は、そのような「ケアリング」の理論と実践とを概観した貴重な一冊である。とくに、実践編は注目に値する。大学の研究者と現役の教師がともに研究会を重ね、ボランティア活動、動物飼育、学級会、ロールプレイングなどをとおした「ケアする心」の育成方法が、丁寧に描写されている。「正義」や「公正さ」を最高の価値とみなすコールバーグの理論が、ややもすると建て前の議論に陥る危険があるのにたいし、「ケアリング」の理論は人間関係を築くその過程を重視する。極限状態を想定して思考実験するコールバーグの理論が、机上の空論に陥る危険があるのにたいし、「ケアリング」の理論は日常生活での実践を重視する。

 孝行や相和といった徳目を教え込むことでは見えてこない、人間関係の気づきを基礎に、「ケアリング」の理論は展開される。建て前としての「正義」や「公正さ」に意味が見いだせなかったり、極限状態における道徳的ジレンマにリアリティをくみ取れなかったりする場合、別のアプローチを試みる価値は十分にある。現在、無根拠のままに唱えられている、「奉仕」や「しつけ」や「がまん」といった森首相や石原都知事の提案にたいする代案として、本書の実践編がもっと注目されてもいいと思う。 (bk1ブックナビゲーター:坂口緑/大学講師 2000.08.25)

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アアルトやコルビュジェを愛する堀井和子さん。かわいい雑貨やお菓子のイラストも満載です。

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 「粉」もの料理研究家として、堀井和子さんの右に出る者はいません。堀井さんに影響されて、何度スコーンを、そば粉入りクレープを、カヌレを、パンケーキのラズベリー添えを作ったことでしょう。料理研究家がカレーやソースのCMでライフスタイルの切り売りに走るずっと前から、堀井さんは、スコーンが、そば粉入りクレープが、カヌレが、パンケーキがもたらす幸せを、多くの読者に届けてくれていました。

 そんな堀井さんのエッセイ集、『小さな家とスイスの朝食』。大衆(=サザビー)路線とは一線を画し、アアルトやコルビュジェを愛する堀井さんの、趣味のよさをうかがえる一冊です。

 本書は、レマン湖畔に建つコルビュジェの「小さな家」を訪れる旅から始まります。ヴヴェイという小さな町の、湖の際に建つ、小さなグレーの建物。下調べをしないアバウトな堀井さんは、家の中に入ることのできる日までそこに滞在できなかったため、あこがれの家をただただ外から眺めます。細いバルコニーの手すりや小ぶりな長方形の窓をおさめたスナップ写真。緑色の木立にひっそりと建つコルビュジェの小さな家の佇まいを感じることができます。それから、宿泊するオーベルジュの朝御飯をイラストつきで紹介したり、ダークグレーのパンツに白いシャツを着た子供達がはずかしそうに「ボンソワール」と挨拶していく様子を報告したり。堀井さんが大好きなカラフルな自転車の観察記録とともに、スイス、フランス、スペインの旅は続きます。

 堀井さんが魅せられるのは徹底して、小さなもの。マンホールのふたや黄色いポストに気を取られる様子も、外国の日常生活を想像する楽しみを知っているひとなら誰でも自分のことのように思えるはずです。木のかごいっぱいに盛られた朝食のパン、添えられた蜂蜜とミントの葉。小さな出来事にいちいち歓声をあげたくなる気持ちが伝わってきて、とても幸せになる本です。 (bk1ブックナビゲーター:坂口緑/大学講師 2000.08.25)

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看護の魅力

2000/07/10 20:49

ちょっとつかれた若手ナースのみなさん、看護の世界はこんなに広いんです

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 看護専門学校で講師をつとめて5年になる。無邪気でキャピキャピしていた学生たちが、3年間のカリキュラムを終える頃にはすっかり大人の顔つきになり、看護婦として巣立っていく様子を何度か見届けてきた。最初に担当した学生たちは、もう立派な中堅の看護婦である。けれども、気になっていたことがある。それは、専門学校を卒業し、あこがれの看護婦の職についた途端、ほんの数年であっさり辞職する人が少なくないことである。看護婦は激務である。長時間勤務に加え、緊張の強いられる場面が多い。体調を崩すこともあるだろう。それでも、あれだけ苦労して手に入れた資格を、なぜいとも簡単に捨ててしまうのだろう。

 看護の魅力をいろんな角度から紹介する本書は、「ちょっとつかれた若手ナースのみなさん」に向けられた、貴重な一冊である。看護婦志望の人だけでなく、すでに看護婦として活躍中の人、将来のことを思って不安になっている看護学生にこそ、ぜひ手にとってほしい本である。

 本書を手にとったら、まず、18頁を開いてみよう。「広がるナースの活躍フィールド」という図が載っている。看護婦が、白衣を身につけ病院で働くもの、というイメージがくつがえされるかもしれない。看護婦は、「医療機関、社会福祉施設、シルバービジネス、学校の保健室、海外留学・国際協力、研究者、健康関連産業、保健所、訪問看護」などといった、いくつものフィールドにまたがる職業になりつつあることがわかる。看護婦なら必ず、白衣を身につけているわけでもない。たとえば訪問看護では、医師や看護婦が白衣を身につけるべきかどうかが問題になる。せっかく、病院ではなく自宅で診療を受けたいと希望している患者に、白衣を着て訪問すると緊張させてしまうのではないか。やはり介護者やヘルパーさんと区別するために、白衣の制服に身を包むべきなのか。そんなところから、実は「看護」とは何かという問いは始まっている。

 医師の担当する領域が「治療」という目的に向かうものだとしたら、看護婦の担当する領域はどんな目的に向かうものなのだろう? 著者はそれを「人を癒すだけでなく、自身も癒される」と表現している。たとえば、鼻に差し込まれたチューブでしか栄養を摂取できない患者さん。実はラーメンが大好物。それを知って、ある看護婦が、お昼にラーメンの出前をとったという。もちろん、患者はそれを食べることはできない。しかし、もうろうとした意識のなか、スープの匂いを感じ、縮れた麺を想像することはできたのだろう。しばらくして、スープをひとさじ飲むところからはじまり、やがて食事ができるようになる。そんな回復の様子を目の当たりにし、癒されているのは看護婦のほうだと著者は言う。

 訪問看護でも海外協力でもいい。「ちょっとつかれた若手ナースのみなさん」、看護の魅力を再発見したら、病院を飛び出して活躍するのもアリなのでは? (bk1ブックナビゲーター:坂口緑/大学講師 2000.7.11)

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紙の本教育思想事典

2000/07/10 20:49

現代の教育論を理解するのに最適。繰り返し読みたくなる事典です。

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 近代教育思想史の再検討という課題に取り組む教育思想史学会が、10年かけ完成させた労作。なかでも人名情報がたいへん充実している。現代の教育論において、必須の知識になっているフーコーの権力論やブルデューの文化的再生産論、ハーバーマスのコミュニケーション的行為の理論など、思想のエッセンスが的確に解説されてあるだけでなく、論争点についても言及されている。多くの言葉が理解できて嬉しくなる事典である。

 しかし本書を読み進むにつれ、教育における課題が山積していることを実感する。「公教育」の項目を読むと、語義、公教育成立の歴史、公教育思想の構造に加え、「公」概念の歴史的展開やわが国における公教育の展開といった項目が並ぶ。単に公教育の歴史を叙述するだけでない。そこに潜む問題を明るみに引き出すのである。筆者は、公における「価値中立性」の原理が、「支持の組織化」と国家主導の制度構造とを媒介して、さまざまな対立を隠蔽してきた構造、「公」の機能不全、不在状況にも言及している。

 意義ある問題提起を受けとめながら、繰り返し読みたい一冊。 (bk1ブックナビゲーター:坂口緑/大学講師 2000.7.11)

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紙の本コミュニティワーク入門

2000/07/10 20:49

10年後、20年後の暮らしはどうなっているんだろう?

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 今日、福祉が「ひとごと」ではすまされなくなってきた。介護保険制度の発足や年金制度の見直し議論を目の当たりにすると、私たちは自分がどのように歳を重ねていくのかをイメージせずにはいられない。新聞やテレビで断片的な知識を手に入れることはできる。しかし、10年後、20年後の暮らしがどうなっているのかはなかなか想像できず、不安になる。そんなとき、このような最新の「教科書」が役に立つ。

 本書は、社会福祉士を目指す人のために書き下ろされたテキストである。コミュニティ・ワークという「地域援助技術」を中心に、わかりやすい解説が並ぶ。地域のニーズをどうやって把握するのか、活動計画をどのように立て、どのように住民や自治体の承認を得、実施できるのか。またその評価をどうするのか。社会福祉士になるための、また社会福祉士として実際に活動するための基本的な知識が詰まっている。

 しかしユニークなのは、本書が「教科書」としての役割を超え、未来の暮らしの青写真を見せてくれる点である。たとえば、「コミュニティ」に関する視点である。社会福祉の領域では、「コミュニティ」は長いあいだ「地域社会」と理解されてきた。これは「コミュニティ」を地理的な概念として定義したものである。したがって、「コミュニティ・ワーク」も、行政が区分する地区を担当するもの、という前提があった。しかし本書は、コミュニティが実は「開放的でしかも構成員相互の信頼感のある集団」である内実に目を向ける。これは「コミュニティ」を関係性の概念として理解しようという提案である。したがって、「コミュニティ・ワーク」もまた、地理的な区分のみにこだわらず、人々の連帯意識や関心、共感といった「共同性」をくみ取る必要性が強調される。あるいは「ネットワーカー」として、積極的にネットワーク作りに参加する重要性が強調される。

 地理的な概念としての「コミュニティ」がなくなるわけではない。行政による区分が不要だというわけでもない。けれども、コミュニティが一枚岩の「地域社会」だけでないという発想は、とても重要だと思う。ボランティアや住民参加といった、今後ますます重視されるだろう理念が、理念としてだけでなく現実のものとなるには、出入り自由でありながら共同性をもつコミュニティが成立しなければならないからである


 高齢者向けの食事サービス、訪問看護のシステム、食物アレルギーをもつ子どもたちのサークル、知的障害者のための自立支援施設。実例も豊富に紹介されている。本書で学んだ「コミュニティ・ワーカー」たちと一緒に、私たちが10年後、20年後の暮らしをプランニングできたなら、少しは不安も解消されるだろう。 (bk1ブックナビゲーター:坂口緑/大学講師 2000.7.11)

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