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須摩智佳子さんのレビュー一覧

投稿者:須摩智佳子

8 件中 1 件~ 8 件を表示

紙の本三色ボールペンで読む日本語

2002/05/07 22:15

三色ボールペンを使って読書力を身につける技を伝授する一冊

2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 スポーツや技術を身につけるときは、上手な人の技をまね、盗むことを通じて上達する。本書は、本と自分がより親密になって読書力を身につけるために、三色ボールペンを使った技を伝授しようという本だ。書物を深く味わうためのユニークなアイディアが詰まっている。

 相撲における四股、算数における九九という基本的な「型」と同じに、斎藤さんは読書において脳を鍛える「型」として、「三色ボールペン方式」を提唱しているのだ。

 本を読むときに手を動かして線を引くことを習慣づけていると、肉体的な行為が本との関わりを強くさせ、考えることが技となって身に付く。筋肉運動によって、読む喜びを身体で味わうことができる。消すことができるエンピツや、コピーしたら写らない蛍光ペンと違い、線を引く勇気と覚悟が必要なボールペンをもつことで、身体は「臨戦態勢」に入る。普通に読むのでは生まれない集中力が出る。このときに、三色であることに意味がある。それはなぜなのか。

 三色は大きく客観と主観に別れる。赤は客観的に見て最重要だと思うところ、青は客観的にある程度大事だろうというところ、緑は主観的な好みでおもしろいところという区別をする。赤と青を引くことで、要約力を向上させる。

 ボールペンは最初は青にセットしておき、少しでも大事だと思えばどんどん引いていきながら、線を引くことに慣れる。そしてここぞと思ったときに赤を引く。青から赤に切り替えるときのカチッという音で、最重要のモードに切り替わり、そのギアチェンジが思考力をアップさせる。

 常に携帯して手帳の書き込みなどに使い、日常の道具として自分になじませるのが三色方式を技化させるコツ。
 線を引く動機やきっかけは、情報を整理するためというだけではなく、感動があり、その文章に引き込まれ魅了されるが故に、線を引かずにはいられないとなるのが理想的だ。

 この本は、三色ボールペン付き! 読んでいるだけではわからない。一冊の書物の一節だけでも試してみよう。例文もたくさん載っている。「全体をパラパラとめくったときに、そこだけが浮き上がって自分に迫ってくるのを感じる」でしょう。 (bk1ブックナビゲーター:須摩智佳子/企画・編集者)

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自分の核をしっかり持って、他者には開いたからだで柔軟に対応していく

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 子どもたちが長く歩けない、立ち続けていられないなど、立つ、歩く、座るという人間にとっての基本的な日常的動きの質が、急激に低下していると指摘されることが多い。
 また、人とのコミュニケーション能力の低下も現代の課題になっている。笑えば笑い返す、声をかければ声が返ってくるといった自然な反応が鈍くなっているのだ。

 反応できない心身の状態の対極にあるのが、自然体の構えであると、齋藤孝さんはおっしゃる。自然体とは、自分の基盤をしっかりもち、自分の中心は崩れないで、他者に柔軟に対応していくという、対人関係の基本が身についた身体のこと。自分自身に中心を感じることができ、自分の存在が確かに感じられれば、他者に対する余裕も生まれ、外側へ開かれると齋藤さんは考える。
 コミュニケーション能力のなかから、齋藤さんは、他者からの働きかけに何らかの応答をする力、つまりレスポンスする力(返答、応答、反応、感応、反響など)に重点を絞った。

 この本は、<自然体>と<レスポンスする身体>という二つの身体のあり方を文化として捉え、技化(わざか)してだれもが身につけられるようにという願いを込め、具体的な技法に即して書かれたものだ。できるだけシンプルに、技(わざ)として身につけられるように工夫されている。写真とイラストがわかりやすい。

 第1部では、自然体のつくり方を、東洋の伝統的な身体技法を基盤にしながら練習する。たとえば、最大のポイントである中心感覚の感じ方。野球選手のイチローのストレッチで有名な、四股立ちや肩入れなどを例に挙げた足腰のつくり方。足裏や肚(はら)の感覚など。特に、肚の感覚の項では、「懐を深くする」や「肚を据える」など、身体的裏付けのある言葉の深さが実感できる。
 人間の心身のコントロールにおいて最も重要なものが、吐く息を長くする丹田(たんでん)呼吸法。呼吸法は、身体文化の中でも中心部をなすと、その重要性が語られる。

 第2部では、<レスポンスする身体>をキーワードに、うなずいたり、ほほえんだりすることから始め、息を合わせることに進み、各々の癖を技にして、個性的なスタイルをもつ魅力が述べられている。

 なおこの本は、『身体感覚を取り戻す』と『声に出して読む日本語』の技法編・身体編となっており、3編読まれて腑に落ちると、お伝えしておきたい。 (bk1ブックナビゲーター:須摩智佳子/企画・編集者)

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ガンを体験した7人の子どもたちの、いのちと祈り

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 はじめて原稿を手にしたとき、私は、子どもが先に逝ってしまう親としての悲しみだけに心奪われ、少し読んでは涙が出る原稿を、まともに読み進むことができませんでした。

 それでもなんとか読み通し、次に、できあがったばかりの本にきちんと向き合って読んだ頃、やっと、この本がほんとうに伝えたいことを感じ取ることができたような気がしました。

 ここに登場している子どもたちは、「たくさん泣いていいよ。でも、私たちの声をしっかり聴いて、私たちがまいた種を大きく育ててくださいね」と、力強く呼びかけていたのです。

 亡くなった4人の方、今は元気に生きていらっしゃる3人の皆さん(お一人はお母さんの手記)は、病気や死に向きあったときの絶望や苦しみや怒りを表していますが、それを乗り越え、病気の受容と、病気にかかった自分自身の受容、たくさんの出会いのすばらしさと感謝、親へのいたわり、明日への希望などをたくさん書き記しています。
 人としての深さは、子どもだから、大人だから、という年齢には関係のないことを、はっきり示していると思いました。

 編著者である佐藤律子さんの次男、拓也さんは、1年2カ月の闘病生活の後、骨膜肉腫によって高校1年生で亡くなりました。
 厳しい治療をしてもガン細胞が勢いを盛り返し、腫瘍が大きくなったことに動揺した拓也さんに、病院長はひとつの提案をします。それは高校の級友の前で闘病宣言をすることでした。拓也さんは前向きに闘病していたのですが、友だちに自分がガンだと話すことは、それまでできなかったのです。けれど、まず仲のよい友だちに、それから高校のクラスメートに闘病宣言をしました。その後のみんなの応援が、拓也さんへの大きな励ましになりました。
 また逆に拓也さんは「つまらないことに落ちこんだりしたらだめだぞ」と、友だちを慰めたりもしています。

 西田英史さんは、脳幹部グリオーマ(悪性脳腫瘍)によって、「ではまた明日」と日記に書きながら18歳10カ月で亡くなりました。お母さんはいま、中学校の心の相談員や緩和病棟のボランティアをされています。

 工藤育さんは、2歳で急性リンパ性白血病を発症しました。1年の入退院、1年以上の通院を経て、2000年春、小学校へ入学することができました。手記は、育さんを見守るお母さんによります。

 清水真帆さんは、21歳の大学生のとき、急性骨髄性白血病の診断を受けました。全国のキャンパスに広がった、骨髄バンクへの理解と協力を呼びかける活動を続けながら、23歳で亡くなりました。

 小俣智子さんは13歳のときに、急性リンパ性白血病を発症しました。17回の治療入院を経て、19歳でふつうの生活にもどります。医療福祉を学び、医療ソーシャルワーカーとして病気と闘っている仲間を励まし続けています。

 加藤祐子さんはやはり13歳で、急性骨髄性白血病と診断を受けました。1年間の化学療法ののち退院しましたが、3年後に再発。告知を受けてから、たくさんの人に出会うきっかけとなった闘病記を書き、骨髄移植手術を受け、19歳の冬、亡くなりました。

 瀬尾日東美さんは、生後8カ月のとき神経芽細胞腫の手術を受けました。その腫瘍の圧迫による、脊髄側わん症の手術を中学生で受け、同じく腎臓への圧迫による慢性腎不全もあります。医療不信ののち、信頼できる医療者との出会いによって、深い学びを得ることができました。

 7人の子どもたちとそのご家族の姿は、現在も苦しみながら闘病している人、病気ではなくとも生きていくのはきついなあと思っている人など、たくさんの人々を勇気づけてくれるに違いありません。

 告知の実際、家族や友人たちの支え合い、巻末の「小児ガン支援団体情報」など、きめ細かい情報提供の書でもあります。

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当事者の行動と言葉の力強さに、勇気づけられる

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 ノーマライゼーションという言葉が広まり、バリアフリーの社会をといわれ、「障害」者が主役のドラマや、本が売れているが、実際に社会は、差別のない、共に生きるという方向へ転換しているのだろうか?

 「当事者からの福祉論」という副題のついたこの本は、生きる場を求めた当事者の激しく長く、力強い闘いの歴史が記されている。「障害」の有無に関係なく、どの一編を読んでも、読んだあらゆる人の気持ちを解放してくれるだろう。さらに、どーんと背中を押し出してくれるだろう。「当事者から」、それがもっとも重要だと考える。

 「1960年代からの障害者自身による社会変革・制度改革運動を全国の29個人、15団体の記録で綴った障害者運動史の集大成ともいうべきものです」(担当編集者より)。
 自立生活運動と障害者団体の活動をまとめた団体編、障害者運動に取り組んだ歴史をまとめた個人編、今後のあり方を展望したシンポジウムの三部構成になっている。
 目次を見て真っ先に読んだのは、聞き書きで読みやすい個人編、内田みどりさんの「障害者であり、女であることの狭間で」だった。二重の被抑圧者としての苦しい立場は、少しは察しがつくし、この480ページもある膨大な「障害」者運動の歴史への入り口として、私には入りやすかった。読む人が、興味を引かれるところから読むと
いい。
 内田さんは言う「(1979年の)養護学校義務化がなかったら、弱い立場の私たちを学校に残して共に生きることを考えたとしたら、きっと今みたいな、こんな寂しい学校にはならなかったんじゃないかな」と。強く共感する。

 小学校に入学するときの、就学時健康診断をご存じだろう。「障害」がない人にとっては成長の嬉しさばかりを感じる「就健」も、「障害」をもっている子どもと親たちにとっては最初の、大きな、分離のための関門である。
 誰もが、行きたいところにいけばいいと思うのだ。教育委員会は、すべての情報を親子に提供し、どこでも選択可能で、選んだところが「障害」に対応していなかったら、すべてが整うように、工夫を凝らして、人の配置も施設も対応する。それがルーティンになっている。そうなるといい。そうであれば、少なくとも、差別はやめましょう、みんな仲良くしましょうなんて、おためごかしに道徳教育をする必要もなく、子どもたちは日々「障害」のある子どもたちを前に、各々のつきあい方を考えるに違いない。頭で考えたことではなく、からだどうしぶつけあいながら、実感できることがたくさんあるに違いない。
 「みんな、行きたいところに行こうよ。制度が整っていなかったら、実行することで変えていこうよ」という積極的な、勇気ある行動をとる友人たちが私にはいる。分離教育という国の制度は少しも変わらないが、彼らは回りの人間を変えていると思う。

 心が大きく波打ち、触発されるものがいっぱいある本だ。すぐにでも、たくさんの方に読んでほしい。

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新生児医療を巡る様々な問題が提示されている

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 本書は、新生児集中治療室(NICU)の「内幕」が徹底的な取材によって記されている。著者のピューリッツアー賞受賞者でジャーナリストのエドワード・ヒュームズ氏のペンは、新生児医療現場の報告にとどまらず、4人の個性的な医師たちと、看護婦などさまざまなスタッフたち、赤ちゃんを託すことになった親たちの悩みや喜びといった人間性までも克明に描き、読者は一気にNICU内部に入って、登場人物と喜怒哀楽をともにしてしまう。

 本書の監訳者であり、アメリカへの学会出張時にこの本に出会った加部一彦医師は、日本の「Baby ER」最前線の新生児科医。私の友人でもある。手のひらにのってしまう小さな赤ちゃんたちが助かっていく様子を、いつも話に聞いていたこともあり、登場する医師たちの奮闘ぶりが加部さんと重なって胸が熱くなった。
 彼もまた、世界で新生児死亡率が一番低い日本の、飛躍的な進歩の道を切り開いてきた一人なのだ。

 小さな赤ちゃんがNICUにやってくるまでには、原因不明を含め、生殖の最先端の問題を含むいろいろな経緯がある。不妊治療が誘発する多胎出産や未熟児出産が今後もっと増える可能性、「市場原理」に委ねられた「医療費削減政策」による乱暴な事態など、本書には、新生児医療を巡る様々な問題が提示されている。

 日本の事情は加部さんの説明でよくわかる。その中で特に目を見張るほど新しい状況が、NICUが「家族が中心」「家族も参加」する方向へ変貌しつつあるというものだ。ケアは当然とし、その上で赤ちゃんの人間的生育に必要な環境を整えるための工夫が凝らされている。そんな時代になってきたのだ。

 専門用語の説明がくわしく、関連書籍、ホームページの紹介もていねいだ。NICUに赤ちゃんが入院することになった人はもちろん、これから出産しようとしている人、一般の人にも、人間の出発点の厳しいドラマを知ってほしい。

 次はぜひとも加部さんに、日本のNICUを舞台に書いていただきたいと切望している。 (bk1ブックナビゲーター:須摩智佳子/企画・編集者)

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自分の核をしっかり持って、他者には開いたからだで柔軟に対応していく

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 著者は「科学一途の、天文学者であり、コンピュータ大好き人間であり、インターネットユーザ」であるからこそ、コンピュータを利用する上で払う代償や、否定的側面について取り上げることが大切だと考えている。何が失われ、どんな価値が踏みにじられてしまうのか、幅広い議論の喚起を願って本書を著したそうだ。

 遠山文部科学大臣によると、2005年度までにパソコン1台を5.4人の児童・生徒が教室の授業で使い、インターネットは、米国では現在98%の学校が接続しているが、日本は今年度中に100%にしたいと考えている。
 しかしこの本を読むと、子どもたちとコンピュータとの関係がそれほどバラ色ではないことが見えてくる。

 学校現場で使うときの問題として、米国やカナダのたくさんの具体例があげられている。
 自然界の出来事を、不自然に簡略化したアニメーションを見せることで、勉強や思索や観察に対する意欲を子どもたちからそいでしまっている。
 図書室や音楽室や美術室が、コンピュータ実習室になり、化学も生物も物理も実験は行われず、コンピュータ・シミュレーションに取って代わられつつある…。
 インターネットの中毒性や、膨大な時間・エネルギー・費用が奪われる事実の指摘も鋭い。

 子どもとコンピュータとを一切遮断すべきだというのではない。しかし学校への導入で何か素晴らしいことが実現できるに違いないというような、過度な期待をかけることは避けたい。教育への予算配分のバランスが適当であるかということにも、関心を向ける必要がある。

 では子どもたちは、どれくらいのスキルを身につけておけばよいだろうか。
 大学進学を目指す高校生で、ワープロと、表計算、データベースを何かひとつ、電子メールが使え、ウェブが閲覧できれば十分だが、その程度のことは2、3週間でできるようになるから、多くの授業時間を割くことはないと著者はいう。
 私も全くその通りだと思う。多忙な教師の子どもとつき合う時間や授業時間を奪い、躍起になるようなものではない。コンピュータとの長い良いおつきあいのためにも。この本を読んで改めてそう思った。 (bk1ブックナビゲーター:須摩智佳子/企画・編集者)

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子どもは一人一人がスペシャルだ

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 僕は9歳、大学生。でも、大学に入るために勉強してきたのではない。勉強していたら、結果としてこうなったんだ。
 僕が幼稚園に入ろうとしたら、小学校2年生の学力があるから、小学校に入るように言われて両親はびっくりした。4歳でIQ(知能指数)テストを受けると、9、10歳のレベルだったそうだ。

 父さんは日本人、母さんは韓国人。でも「のびのびと、思いっきり能力を伸ばしてやろう」と考えた父さんは、僕を日本の学校に入れようとは思わなかった。勉強から学ぶ喜びを奪いとる、受験一辺倒の詰め込み教育が、僕に不利だと思ったからだ。
 日本では、普通でないことが「変わりもの」とみられ、僕は「問題児」にされるだろう、いじめに会うかもしれないって父さんは考えた。

 父さんは、僕のことを他のだれとも違う「スペシャル」だと言う。勉強ができようができまいが、体が自由不自由であろうが、他人がどう分類しようと、子どもは一人一人がスペシャルだと。

 日本のテレビ局の人が撮影に来て、多くの人が僕の知能指数を強く気にかけていることに僕は少し驚いている。僕は習うことへの従順さと、自分が成功するための意志や意欲が大切だと思う。勤勉が大切なんだ。
 僕は、たくさんのことを感じ、夢を見、考え、計画を立て、いろいろなことをする。勉強もそれ以外のことも集中して精一杯やっている。ピアノは2時間前後練習するし、自由時間のほとんどは読書している。テコンドーも好きで一生懸命練習する。野菜も育てる。雪が降った日は、妹や近所の友だちと雪合戦をしたり、雪山をつくったりして遊ぶ。

 僕は将来は医者になり、同時にピアニスト・作曲家になりたい。医者は、命を助けたり病気を治したりして患者と家族の痛みを取る。音楽も同じような役割をする。

 この本は、僕の日記や詩と、父さん母さんの僕への思い、養育法などが一冊になったものだ。皆さん読んでね。 (bk1ブックナビゲーター:須摩智佳子/企画・編集者)

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しあわせも愛も、かたちはさまざま

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▼流産の後、回復できない

 3人目の赤ちゃんを流産したのは6年前。それ以来、空虚な気持ちが続き、居場所のない感覚が私を苦しめた。
 そんなとき、姉の住むハワイで看てもらった精神科のドクターに、PTSDだと告げられた。

 「PTSD(心的外傷ストレス障害)は、精神的衝撃が引き金になり、精神的、感情的な緊張、ストレスの、不安定、混乱を起こす心の病です。アメリカでは、あなたのような病気の人は非常にたくさんいます」と、医師は説明した。

 こうして、私、モデルやキャスターとして活躍し、ドラマ「ちゅらさん」の父親役で個性的な役を演じる俳優、堺 正章の妻だった岡田美里は、自分の過去、心の奥底と向きあっていく。

▼完璧な良妻賢母でありたい

 三人姉妹の真ん中に産まれ、母親にあまりかまってもらえなかった寂しさ、中毒といえるほどアルコールを飲む父親の暴力、親に振り向いてほしくてグレてしまった中学時代、父母の離婚、父と二人で暮らした高校3年からの4年間、受験勉強に集中することで、父親が暴れる音をかき消そうとしていた日々…。 

 父親は故E・H・エリック、 俳優岡田真澄は叔父。自宅は原宿という岡田家の暮らしは、家庭内に葛藤を抱えているとは誰も気付かない、贅沢で華やかなものだった。
 早く自分の家族がほしい。結婚したらすぐに子どもがほしいと思っていた堺との結婚生活は、出産後は、母として、極めて多忙な俳優の妻としての役割に、忙殺される日々が続く。

 そんな中で、よい家庭には仲のよい夫婦がいて、子どもを中心にほのぼのとした生活を営むと、形にこだわり、家庭像に縛られ、完璧な良妻賢母であろうと努力した。

 一般の女性から、あこがれの視線を浴びる半透明のベールをはずしてみると、アダルト・チルドレンとしての痛みを抱え、妻、母、仕事人の三役に奮闘する、ひとりの孤独な女性がいた。

▼さまざまなしあわせ

 「夫の前で、真実の自分が出せない。怒られそうで、怖くて言えない。そんな違和感のある家が、世の中にはたくさん存在しているに違いない」。精神科医師のカウンセリングを受けながら、離婚を決意。
 それぞれの人間の、秘められた過去を、自分で完全に引き受け、表現して認識し、解決する。とても知的な岡田美里は、自己分析を繰り返す。そんなつらい作業を経てこそ、重荷を下ろすことができると考える。

 離婚後、夫の家の側に居を構えながら、前を向いて、自分にとっての「しあわせ」を模索する著者の姿が、すがすがしい。
 PTSD、もしかしたら私もそうかもしれない。そんな気持ちにさせられて立ち止まり、自分を振り返らせてくれる本だ。

(連載コラム「合い言葉はであい」より→?aid=&tpl=dir/01/01051100_0019_bn.tpl>バックナンバー)

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