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  3. 小池滋さんのレビュー一覧

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先月(2017年8月)

小池滋さんのレビュー一覧

投稿者:小池滋

90 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本鉄道重大事故の歴史

2000/07/30 06:15

事故を起さぬ最良の方法は過去の事故を忘れぬこと

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 去る2000年3月の東京の営団地下鉄中目黒駅付近の事故もそうであったが、鉄道事故が起ると新聞、週刊誌、テレビ、ラジオなどが大々的に書き立てるが、しばらくすると一般の人はケロリと忘れてしまう。

 例えば、「桜木町事故」「三河島事故」「鶴見事故」「余部(あまるべ)鉄橋事故」と言われて、すぐにいつ、どのような出来事であったかを思い出せる人は、事故関係者以外の一般人の中では極めて少ないだろう。

 では、プロの鉄道マンはどうか。

 この本の著者、久保田氏は長年国鉄に勤めたベテランの技術屋さんで、退職後は大学の教壇にも立ったことのある人だが、本書の序文の中で次のように書いている。

 「運転事故はなるべく忘れたいものであるためか、事故などを記した鉄道書は今まで非常に少なかった。しかし保安は鉄道運営にとって第一の条件であるから、今までの運転事故の記録をたどり、事故防止対策について苦心してきた経過を整理することは有意義と考え(中略)てきた。」

 この短い文章の中に、本書の重要性がはっきり打ち出されている。長い経験から、神ならぬ人間が動かす鉄道で事故をゼロにすることは不可能に近いことを教えられた。しかし、減らすことは可能で、その最善の方法は過去の事故を(これも思い出したくないのは人情の当然だろうが)忘れずに調べ尽くすことだ、と確信している。しかし、残念ながら、そのような観点から過去の鉄道事故の歴史をふり返った本は、皆無とは言わないが、極めて少なかったことも事実なのである。

 本書のよいところは、何よりもまず、徹底的に事実だけを、客観的に冷静に示した点にある。悲憤の叫びを上げたり、批評家めいたしたり顔で説教を垂れるのは避けて、その分の紙面をデータのために譲っている。また、著者がかつて鉄道マンだからといって、鉄道側に甘いわけではない。あくまで公平な姿勢を貫いている。

 例えば、1986年(昭和61年)12月28日、山陰本線の日本海岸の余部鉄橋から空車回送中(乗客がいなかったのは不幸中の幸い)の客車が41メートル下に転落、下にいた6人が死亡、6人が負傷する事故があった。裁判では、強風中に列車を止めず橋上を走らせた国鉄の運転指令員の過失と判定され、3人が実刑を課せられた。世間一般は、このように理解して、忘れてしまった。

 だが、一部の研究家からは異説が出された。1年以上前に鉄橋の鋼材の取りかえ工事を行った際、一部の材料を元来のものと違ったものに変えたのが事故の遠因である。従って、責任はその当時の工事設計者にある。 結局、これは少数意見として、認められずに終ったのだが、本書ではこのこともはっきり記している。著者がいかに細心の注意を払っていたか、いかに公平無私の態度を貫いたか、の一つの例である。 (bk1ブックナビゲーター:小池滋/英文学者 2000.07.29)

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タミヤニュースの世界

2001/07/26 18:15

プラモデルが示す文化の歴史

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 プラモデルに少しでも関心を持つ人だったら、タミヤの名を知っているに違いない。もともと木製模型メーカーだった田宮模型教材社が、1967年にプラモデル製作に乗り出し、その後(株)田宮模型、さらに(株)タミヤとなって現在に至っている。
 その1967年1月に、宣伝広報誌として「タミヤニュース」第1号が発行され、最初は隔月発行、後に月刊となっていまも健在である。当時はプラモデルのホビー雑誌が少なかったことがあり、社員だけで編集を始めたこのPR誌が多くのファンを得ることになった。いまでは初期の号、とくに創刊号などは「幻の宝もの」になっている。

 というわけで、創刊号から第379号(2000年12月刊行)までの中から、主な記事を選び出して一冊にまとめたのが、この本である。
 プラモデル愛好家にとって懐かしい思い出にひたれる本だが、それ以外の人にとっても、単にひとつの会社の歴史を眺めるだけでなく、日本のプラモデルの歴史、愛好者の変遷、さらには趣味が社会の中でどのような意味を持ってきたかを教えられる点で、文化史的に重要な資料である。

 まあ、そんないかめしいことを言わず、中に登場する飛行機、戦車、自動車、オートバイ、船、それに関連する人形、風景などを眺めるだけでも楽しい。
 「模型ファンをたずねて」というコラムも興味深い。創刊号で日本航空工学の第一人者、木村秀政日大教授が登場するのはよくわかるが、それ以後の名前を見ると、画家の小松崎茂、松本零士、パン屋社長の木村泰造、落語家の三遊亭金馬など多種多才。

 とくに注目すべきは、現在タミヤ代表取締役社長である田宮俊作が、創刊号以来欠かさず書いて来た「表紙裏コラム」である。その中で、わたしがとくに関心をひかれたのが、1973年3月号の文章である。
 「あの、子供の作るもので何かよいプラ模型はありませんか」
 「はい。お子様はおいくつで」
 「……自動車が欲しいというのですが…… ……この大きいのはいくらですか」
 「これは小さなお子様には、ちょっと難しいんですが……」
 「いや、これでいいいんです。これ、いただいていきます」
 もうおわかりだろう。欲しいのはいいおとなのご本人なのだが、そう言うのが恥ずかしいと思う人が多い時代だった。模型屋の包み紙でなく、新聞紙でくるんでくれと頼む客もいたのだ。

 いまはまさか、こんなことあるまいが、ホビーというものに対する一般社会の認識がどのようなものだったから示す、象徴的なエピソードではあるまいか。さきに、わたしが文化史的資料と書いたのが、決して誇張でないことが、おわかりいただけたと思う。 (bk1ブックナビゲーター:小池滋/英文学者 2001.07.27)

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紙の本ケルトの神話・伝説

2001/01/05 15:15

ヨーロッパ芸術の源流を伝えてくれる

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 最近日本でもケルト人やその文化についての関心が高まり、多くの本が出版されている。とくに装飾芸術や音楽に関してはブームがまき起っているように見える。

 だが、ケルト文化の基盤にある神話・伝説について、きちんと情報を伝えてくれる信頼できる資料は案外少ない。本書はその数少ない資料のひとつである。

 本書の著者フランク・ディレイニーは、1986年にBBC(英国放送協会)が制作したテレビ番組『ケルト人』の案内役として画面にも登場した。この番組は日本でも1989年に放映されたことがあるから、彼の顔を見た記憶のある人も多かろう。

 訳者の鶴岡真弓さんは現在京都の立命館大学教授で、ケルトの芸術・文化については、日本での第一人者である。多くの著者、訳書があり、広く知られているから、いまさら個々の題名を挙げて紹介するまでもあるまい。

 内容を簡単に紹介しよう。

 第1部「アイルランドの伝説」には、アイルランド国造りの神話や英雄の伝説などなどが収められている。ケルト伝説ナンバーワンの英雄クー・フリンは、後世の文学作品、例えばW.B.イエイツやグレゴリー夫人の作品によっても知られるが、ここにその源流が示されている。

 「悲しみのデルドレ」(あるいはディアドリ)の物語も、イエイツやJ.M.シングの劇によって知られている。

 フィン・マク・クウィルの息子オシーンは、後にオシアンとしてその名が英国のみならずヨーロッパの各地に広まった。スコットランド人ジェイムズ・マクファーソンが18世紀になって、オシアンの詩を現代語に翻訳したと称して発表したのであるが、その真偽について議論百出となった。現在では、忠実な訳ではなく、マリファーソンの創作であろうと考えられているが、ヨーロッパのロマン派文学者に与えた影響は大きかった。

 第2部「クアルンゲの牛捕り(と)り」にも、英雄クー・フリンが登場する。

 第3部「ウェールズの伝説」には、「アーサー王伝説」として今日多くの人たちが知っている物語が含まれている。

 第4部では「トリスタンとイゾルデ」の物語が紹介されている。ワーグナーの楽劇のお陰で全世界で有名になり、いまさら筋書きをここに書く必要もあるまい。しかし、楽劇の筋と、ここに紹介されている物語とをよく比較してみると、いろいろ面白いことを発見するだろう。

 ケルトの伝説の構造上の特徴に、一度終ったと思われた物語が始まりとなるという「繰り返し」「らせん的再生」がある、と訳者は書いている。ジョイスの『フィネガンズ・ウェイリ』を読んだことのある人なら、はたと気づくはずだ。現代文学の「終りない構造」の源泉は、ここにあったのか、と。 (bk1ブックナビゲーター:小池滋/英文学者 2001.01.07)

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一般教養の概説書の形をとった独創的なイギリス史専門書

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「新しい時代の大学テキスト・シリーズ」と銘打たれた叢書の一冊で、教養科目としてイギリス史を学ぶ人を目標に書かれた本である。しかし、それ以外の読者にも充分すすめる価値のある名著である。

 その大きな理由は、副題に示されているように「帝国=コモンウェルスのあゆみ」という独自の視点を貫いているからである。その点で、これまでも多く世に問われて来た一般教養書としてのイギリス史概説の中で顕著な特色を持っている。

 「大英帝国」という言葉は多くの人びとがごく当たり前のように使っているが、イギリスという国が「帝国」になったのは、いったいいつから、どのようにしてであったろうかと、はっきり問題を設定して、それをテーマにした歴史書は、それほど多くはなかったように思われる。

 本書の編著者の一人、川北稔氏は1980年代のかなり早い時期から、「帝国とジェントルマン」という独自の視点を設定した研究を世に問うて来た。他の執筆者も、多少の差はあるにしても、同じ視点を共有して、これまでそれぞれ研究を発表して来た。

 「ジェントルマン」という言葉も、日本ではよく使われ、これについて多くの本が書かれたが、なかなかはっきりした結論が出にくい。本書では情緒的・ムード的な説明を排して、はっきりした資料に基づいて「ジェントルマン資本主義」という理論を紹介している。


 「コモンウェルス」という言葉は、いまでは通常「英連邦」と訳されている。かつての大英帝国の植民地が、第一次世界大戦頃から独立の姿勢を強く打ち出すようになり、本家がそれを抑え切れなくなって、コモンウェルスという体制に移行したのである。

 しかし、第二次世界大戦後、その連邦体制すらが崩れ始めた。イギリスは「斜陽の老帝国」だという声が、日本でも一般に聞かれるようになった。そして旧連邦からイギリス本土への逆移民が増して、さまざまな問題をひき起している。

 だが、あっさりと大英帝国と英連邦は消え去ったと決めつけてよいのだろうか。いまさらイギリス史を「帝国の歴史」として描き、ジェントルマンを主人公として設定するのは時代遅れもいいところだ──と、考える人がいたら、ぜひ本書を読むことをおすすめしたい。知的刺激を受けずにはいられまい。

 以上のように考えると、本書を単なる大学の一般教養授業のための概説的テキストとあっさり片づけるのはもったいないと思う。いま日本ではイギリスとその文化に対する関心が大きく高まっているが、ムード的な流行にあき足らない思いをしている人がいたら、本書を開いてみるとよい。

 全体の文章はわかりやすく、図表やコラムを多く入れて理解の助けがなされている。しかし、内容は歴史についての一級の専門書と言っても誇張ではないと確信する。 (bk1ブックナビゲーター:小池滋/英文学者 2000.12.05)

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紙の本猫の本棚

2000/09/27 18:15

古今東西の文学をにぎわわせた猫たちの手をかりた本

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 ワガハイは──じゃなくて、あたいは猫なのよ。名前はQチャン。うちのおかあちゃんはダンナサマと3人の息子と一緒に藤沢市に住む主婦だけど、前は東京女子大学の英米文学科を出て、出版社の編集部員だったこともあり、アメリカやイギリスにいたこともあるんですって。猫好きはインテリが多いのね。

 猫好きが昂じて、市の図書館へ出かけて行って、いろいろ本を読んでから、とうとう猫についての本を一冊書いて岩波書店──ほら、ご存じでしょ、『猫』で有名な漱石の全集を出している会社よ──から出したの。

 話によると、日本や外国の古今の文献に出て来る猫ちゃんたちが182ページの中にひしめいているんですって。日本では古いところは『源氏物語』の「若菜」から始まって、江戸時代に南町奉行だった根岸肥前ノ守(かみ)──ほら、平岩弓枝の『はやぶさ新八御用帳』のヒーロー、新八の上役よ──が編んだ『耳ぶくろ』という本の化け猫の話。それからもちろん漱石先生の家の猫も。

 歌舞伎で有名な作者、河竹黙阿弥(もくあみ)は大の猫好きで、飼い猫の中には大変なグルメがいたんですって。カツブシごはんなんかじゃそっぽを向く。魚も本場ものと場違いの区別がわかった。ああ、あたしは遅く生まれすぎたのねえ。

 もっと新しい昭和の御代では、『鞍馬天狗』の生みの親、大佛(おさらぎ)次郎は一生を通じて500匹以上の猫の世話をしたんですって。いつも15匹分のお皿を並べてご馳走してくれたそうです。『スイッチョ猫』という短い童話を「わたしの一代の傑作」と呼んでいたとか。

 外国の猫もたくさん出て来るんですよ。猫のお蔭で貧しい徒弟の小僧から一躍大金持になれた、ロンドンのディック・ウィッティントンは実在の人物でした。もっとも、猫の話はどこまで真実か、いろいろ議論があるようですわね。

 いま日本でもよく知られているミュージカル『キャッツ』の原作は、ノーベル賞を貰ったこともあるアメリカ生まれでイギリスに帰化したT・S・エリオットの詩作品なのよ。エリオット自身も大の猫好きでした。

 他にもいろいろいるけれど、この本に入れて貰ってない文学上の有名猫や、猫好きの文学者は、まだたくさんいるはず。ですから、猫好きの皆さん、いえ、猫嫌いの皆さんでも、ぜひこの本を買ってまばたきもしないで読んでちょうだい。われこそ、この本の続篇を書いてやる、くらいの意気ごみでね。

 そうすれば、この本もよく売れて、重版が出ることでしょう。印税が著者の松村さんのふところに入れば、あたいにもおこぼれがやって来ますものねえ。あたいは黙阿弥のグルメ猫みたいなぜいたくは言いませんわよ。

 では、みなさん、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。この手で福をどっさり招くことにしましょう。 (bk1ブックナビゲーター:小池滋/英文学者 2000.09.28)

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ドッキリさせて安全教育

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 原書は民営化する前のブリティッシュ・レイル(日本ではイギリス国鉄と訳されていた)が1991年に発行した、無料の宣伝用パンフレットで、駅などで配っていた。
 訳者は鉄道経営学を専攻する大学の先生で、イギリスに調査に行った時に、たまたま駅でこの原書を見つけて、邦訳してわが国に紹介しようと思ったとのこと。

 原書はもともと子供向けに出されたものだから、イラストがふんだんに入っている。文章を依頼されたロアルド・ダールは1916年に生まれて1990年に死んだ作家。
 わが国では『チャーリーとチョコレート工場』などの邦訳で知られ、一般に児童向けの本の著者と見られているが、大人のための短篇小説集も出している。『あなたに似た人』や『キス・キス』などの邦訳で、一部の読者からは熱狂的に好まれた。ブラック・ユーモアにみちた、最後にドキリとさせるショート・ショートの名手である。
 イラストを担当したブレイクは1932年の生まれで、ダールの多くの本にこれまで共同で仕事をしている。
 これでわかるように、本書にもかなりドッキリさせられるようなユーモアが、文章と絵によって示されている。窓から首を出した子供の首が電柱にぶつかって飛んでしまった絵など、日本人にはちとドギツイと思えるかもしれないが、イギリスの児童文学(例えば「アリス物語」など)を見慣れた人には、それほど異常には思えないだろう。

 というわけで、邦訳本は子供よりも大人を楽しませてくれるだろう。訳者の意図もそちらにあったらしく、英国の鉄道について、とくに日本の鉄道との違いを説明してくれているが、大いに有益である。
 駅のプラットフォームで自転車やスケートボードに乗ってはいけない、という文章は冗談でも誇張でもない。このあたり日英鉄道事情の比較をする好材料になる。 (bk1ブックナビゲーター:小池滋/英文学者 2002.02.22)

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紙の本図説ヴィクトリア朝百貨事典

2001/11/22 22:16

19世紀英国のモノの博覧会

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 「百貨事典」というのは字の誤まりではない。19世紀イギリスの文字通り「モノ」ばかりを列挙した百科事典なのである。ヴィクトリア女王(在位1837−1901年)の時代の一般の人びとが、何を食べ、何を着て、どんなものを使って日常生活を送っていたかを、具体的な図版をふんだんに使って示してくれる。

 著者が「まえがき」の中で言うように、あたり前のものほど記録に残りにくい。当時の人びとはわかりきっていると思って、何の説明もつけてくれなかったために、後世の人が──例えば翻訳をしたり、論文を書く時などに──とんでもない誤解をしたり、無知をさらけ出す危険がひそんでいる。

 アイロンからローラー・スケートまで五十音順に並べられた80の項目のうち、今日の読者にもよく知られた名前がほとんどであるが、実はそこに落とし穴がある。例えばアイロン。もちろん電気のない時代であるから、何で熱したのか? またお金持の家では毎朝配達されたばかりの新聞に召使がアイロンをかけたという。なぜか? (毎朝濡れてしわが寄るはずはない。)

 コルセットといっても病人が使うわけではない。女性(とくに結婚適齢期の)にとっては大切なものだった。もうひとつ女性の衣服でブルーマーというのがある。現在かなりのお年の方なら、小学生の女の子が体育の時間にはいていた短いパンツと思うかもしれないが、これも違う。くるぶしまで届いて、そこを紐で固く絞める長ズボンである。しかもその名は、アメリカの女性解放運動家、いまでいうフェミニストの元祖アミーリア・ブルーマー夫人から出ている。なぜ? このように思いがけないことが満載だから、19世紀の研究家以外の一般の人が見ても興味をひかれるだろう。当時の文学・絵画を鑑賞する際にも大いに役立つ。例えばホームズ物語によく出て来る「ハンサム」とは何か? (bk1ブックナビゲーター:小池滋/英文学者 2001.11.23)

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鉄道線路の水子地蔵を建てる

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 同じシリーズの中に『鉄道廃線跡を歩く』という本が何冊もあり、廃線跡ウォークが最近流行になっている。でも、ともかく一度は生きて活動していた鉄道線路は、まだ幸せものと呼んでよかろう。もっと哀れなのは、計画され免許まで与えられながら、結局生まれることなく葬られ、その形跡すら残っていない路線である。

 本書はいわば「鉄道線路水子地蔵」とでもいうべき本で、夢破れて消えた計画線へのレクイエムである。なにしろ具体的証拠に乏しく、資料を集める──どころか、所在を突きとめることすら至難のわざだから、著者の努力と執念はなみなみならぬものであったろうと脱帽する。

 「東京山手急行電鉄」とか「名古屋急行電鉄」とか、名前だけはご立派だが、結局陽の目を見ることのなかった会社が日本全国に数多くある。マニアならぬ一般の人でも、見ようと思えばいつでもその夢の跡を見ることができる。ひとつだけヒントを紹介しよう。京王井の頭線明大前駅のすぐ北の甲州街道と旧玉川上水の下をくぐるところに、線路は二本なのに、四本分のスペースがとってあるのはなぜか。あとは本書を読んでのお楽しみとしておこう。
 当然のことながら、鉄道建設計画免許をとりつける陰には、数多くの汚職事件があった。もっとも有名なのは1929年(昭和4年)の五大私鉄疑獄だ。政友会の田中内閣当時、副総理とか金庫番とか呼ばれた小川平吉鉄道大臣がワイロを受取ったという疑いで、田中内閣が倒れた後に起訴された。贈賄側は北海道鉄道から博多湾鉄道汽船まで全国にわたっている。

 詳しくは本書に譲るが、政党政治に対する一般国民の不信感を強めたことは事実で、これに右翼が便乗して、5・15テロ事件にまで波及する。単なる鉄道史の一挿話ではなく、昭和史の重大事件なのであった。 (bk1ブックナビゲーター:小池滋/英文学者 2001.11.06)

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紙の本メイド・イン・トーキョー

2001/10/31 22:15

建物がくりひろげる異種格闘技

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 最近「建築探偵」の類が流行で、東京の中を歩きまわって興味ある建築を探す本がよく見られる。この本がそのひとつであるが、著者がいずれも1960年代後半生まれの若い建築家だけあって、従来のものと大きく違っている。
 都市建築から過去を掘り起そうとするノスタルジックな姿勢ではなくて、(著者のひとりの言葉をかりると)「自分たちには今の都市がどう使えるか」「実際に東京で建物を作ろうとする」「未来へのパースペクティヴを描きたかった」から生まれた成果なのだ。

 文化が薫る「建築」ではなく、事物としての「建物」を求めて歩いた。「機能だけ、あるいは他者を意にも介さない欲求が、脚色なしに提示されたような、欲望の零度、常識の外部ともいうべき建物」が関心の的となっている。

 そのような70の物件の写真と線画による絵が、見ひらきに展示され、コメント(しばしばユーモラスな)が付けられている。字だけで紹介したのでは、その面白さを伝えることはできないが、実例をいくつか挙げよう。
 07番「パチンコカテドラル」は新宿歌舞伎町にある3つの別々のビル。中央の尖塔型のパチスロタワーの両側に、サラ金関係のテナントが多く入るペンシルビルがぴったり寄り添って、まるでパリのノートルダム寺院を思わせる。ゼニ信仰の大本山だ。
 70番の射撃墓地は新座市にあり、自衛隊の射撃練習場(東京オリンピックの時に競技場だった)を墓地がとり囲んでいる。墓から射撃は見えないが、銃声は聞える。

 東京という大都会では、とんでもない異種のものがごっちゃに混じり合って、誰もが気づかぬし、気づいても平気でいる。まさに「異種格闘技」のリングであることを、目の当たりに見せつけられる。英文説明も付いているから、全ページにあふれるブラック・ユーモアは外国人にも理解して貰えるだろう。 (bk1ブックナビゲーター:小池滋/英文学者 2001.11.01)

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文学にとってアルプスとは何だったのか

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 文学の専門家向きの本であるから、決して読みやすいとは言えないが、一般の読書好きの人にもぜひおすすめしたい刺激に充ちた本である。
 そのために、まず表題の説明をしておかねばならない。「アルパイン」は英語で「アルプスの」という意味、「フラヌール」はフランス語で「ぶらぶら歩く人」の意味である。
 19世紀の近代都市が文学の舞台として適わしくなったのは、フラヌール、つまり、目的もなくぶらぶら歩く人の視線で見たものを描いたからである、とドイツの批評家ベンヤミンが言った。彼は詩人ボードレールのことを言っているが、日本文学でも永井荷風の作品(例えば「日和下駄(ひよりげた)」)を読めば、このことが理解できよう。
 しかし、フラヌールは都市だけを歩くとは限らない。イギリスのロマン派の詩人たち、例えばワーズワースは、自然を愛し、自然の中に住み、自然の中をとくに目的もなしにぶらぶら歩いた。
 また、国内に高いけわしい山のないイギリスの人びとにとって、初めて見たヨーロッパ・アルプスの山々はまさに文化ショックであった。普通の人にとっては交通の障害、苦しい憎むべき敵であるアルプスだが、ある種の芸術家にとっては憧れの的、わざわざ見るために出かけて行く価値のある聖地ともなった。そこに神を見ることさえできた。

 イギリスの文人たちがアルプスをどう眺め、それをどう文学として表現したか。さらにそれだけではなくて、アルプスがイギリス・ロマン派文学者の自意識の深渕をどのようにあばいたのか。
 いまでは観光地として世界中に知られているアルプスであるが、自然を観光産業の資源にしてしまった現代のわたしたちは、この本で取り上げられている文学作品をもう一度読み直して、考えを新たにする必要があるのではなかろうか。 (bk1ブックナビゲーター:小池滋/英文学者 2001.10.18)

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六十にして老子の道を知る

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 著者の加島祥造さんは1923年(大正12年)に東京の神田に生まれた、ちゃきちゃきの江戸っ子。アメリカ文学を専攻して、いくつかの大学で教え、その方面の著書、訳書も多くあるが、老子の思想にひかれてタオ(道)についての本を書いている。いまはすべての職から退き、伊那谷に小屋を建てて住んでいる。

 この本に収めた随筆はすべて、自分で書きたいことを書きたい時に書いたものだと「あとがき」の中で言っている。長さとか締切日とかを決められてではなく、もちろん原稿料も貰わずに書いた文章を、自分で『晩晴館通信』という題の8ページのパンフレットにして、印刷も発送も全部自分でやって、年に4回発行して知人に配っている。

 「晩晴館」とは、横浜の山手にある加島さんの自宅につけた名前である。中国の古典詩から取った言葉で、「雨上がりの夕方の景」という意味だそうだが、加島さんは日本流に「梅雨(つゆ)晴れの夕方」の意味にとっている。といっても、「港が見える丘」(その名の公園は近くにあるが)なんてシャレた家ではなく、陽当りのよくない湿っぽい木造二階建てとのこと。

 60歳を過ぎてからの加島さんは、人生のベクトルを考えなおし「アメリカ文学から老子へ、知識を使った著作から詩と画作に転じてきた」(「あとがき」より)本の中やカバーの絵も自分で描き、カバーを飾る表題と著者名も自分で墨をすり筆をとって書いたものである。

 このように書くと、ひどく年よりじみた仙人めいた内容のように思えるかもしれないが、実はそうではない。若い者への説教なんかまるでない。いや、文章自体が若々しい。まさに手づくり菜園でとれた新鮮な野菜をご馳走になっているような読後感を持つ。

 加島さんの説明によると、老子の教えというのは、決して古くさい固苦しいお説教ではないとのこと。例えば「足ルヲ知ル者ハ富ム」という一句は、「貧しさを我慢する精神」を教えるものではない。「富ム」とは「内なる自由、心の自由」のことであって、しゃれた洋館に住み、外国旅行を楽しみ、グルメ・レストランに毎日通うというような──つまり、いまの日本人の多くが満足とか富裕とか考えているものとは正反対のものだ。

 これもよく聞かされる「怨ニ報イルニ徳ヲモッテセヨ」の一句についても、新しいことを教えられる。「徳」とは外から押しつける倫理的規制とか道徳律とかのことではなくて、人間のみならず万物に宿るパワー、自然のエネルギーのことなのだ。

 加島さんが上のことに気づいたのは、ある日おつながりのトンボの群にも、嫉妬や羨望の行動があることを知ったからだった。

 ヤキモチは人間だけの醜い感情ではなくて、命に対する愛の感情と同じく、すべての生物共通のものだと悟ったのだった。 (bk1ブックナビゲーター:小池滋/英文学者 2001.07.28)

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紙の本乗り物の博物館

2001/07/09 15:15

リピーターの足と目と手で書いたガイドブック

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 日本全国で乗り物の博物館はいくつくらいあるのだろうか? 乗り物といっても、鉄道、自動車、船、飛行機などなど多種多様。その一種類については物知りと自負できる人でも、乗り物全般となると、お手上げになってしまうだろう。本書の目次を眺めただけで、エーッ、こんなにたくさんあるの! と驚くに違いない。一度ずつ行くだけでも大変だと、ため息をつくだろう。

 この本の著者は、自身いくつかの交通博物館に勤務した体験の持ち主であるばかりか、ここに示されている博物館に、一度ならず、何度も足を運び、自分の目で見て、自分の手でカメラのシャッターを押してから、この本を書いた。
 そうした体験から得た結論を、序章「博物館というところは」の中で記している。つまり「博物館には完成はないのだ」と。だから、博物館のよい利用法は、何度も足を運ぶこと、よいリピーターになることだ、と。

 本書のもっともすぐれた価値は、著者自身が「よいリピーター」であることだ。それは本書の隅々にまで、ちょっとした記述によっても証明される。著者のそれぞれの施設についてのコメントは、決してきれいごとの外交辞令ではない。かなり手きびしい、辛口の注文があちこちに見られる。しかし、それは現場に足を何度も運んだ上での評価だから、読者は納得できる。

 一般読者は日本全国の乗り物の博物館のよいリピーターになることはできないのだから、本書のような信頼のおけるガイドに頼るしかない。その点で本書を多くの人におすすめしてもよいと思う。写真や図が盛りだくさんなのもありがたい。

 乗り物の博物館というと、また、そうした施設のガイドブックというと、一般の人はともすればマニアックなものばかりと敬遠しがちであろうが、本書は決してマニアだけのお楽しみ本ではない。また、各施設についての説明も、マニアだけを満足させようとしたものではない。むしろ、そうしたかたよりをなるべく避けようとした努力があちこちに見られる。

 著者の個人的思い出、感想などが散りばめられているのも、そうした努力のひとつとわたしは評価したい。事実とデータの羅列ばかりでは、筋金入りのマニアは喜ぶかもしれないが、この分野に初めて興味を覚えた読者は敬遠したくなるだろう。
 といっても、データについて不備があるわけではない。巻末にある「乗り物が数多く見学できる博物館施設」のリストは、驚くほどの充実ぶりである。本書でとり上げていない施設が、まだまだ全国にたくさんあることを教えてくれる。

 本書を読むことによって、乗り物マニアではない(とくに若い)人が、「よいリピーター」になりたいという気持を抱くようになるだろうと、わたしは信じている。 (bk1ブックナビゲーター:小池滋/英文学者 2001.07.10)

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紙の本小野二郎の書物論

2001/07/06 18:15

美しく読みやすい芸術品としての書物

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 著者の小野二郎については、知る人ぞ知るで、熱烈なファンもかなりいるが、広く知られてはいないので、簡単に記そう。
 1929年の生まれで、東京大学卒業後、明治大学教授をつとめ、ウィリアム・モリスや民衆芸術についての著書がある。出版社晶文社の編集顧問として、多くの個性的な本の刊行に貢献した。教師とか学者とか編集者とかいう狭い枠におさまりきれぬユニークな活動により、多くの若い後輩を育てたが、1982年に53歳の若さで死んだのが惜しまれる。

 小野は生涯「書物とは何か」にこだわり、それについての書物を書き続けた。書物にとって大事なのは内容であって、本そのものは単なる手段、媒体でしかない──こう考えている人が多いのではあるまいか。でも、本がそれ自身美しい芸術品であってもよい──いや、そうでなければならないと考えたのが、ウィリアム・モリスという19正期末イギリスの芸術家であり、小野もその考えに共感した。

 といっても、いわゆるデラックス版、値段が高くて稀少価値のある骨董品のような本がよいというわけではない。本書の中の一章「書物の『読み易さ』について」を読むとわかるように、見て美しいだけでなく読むに快い本が大事なのだ。そのためには、活字の「面(つら)」、字間、行間、ページの上下左右の余白、などなどといった具体的な点についての職人芸的なデザイン感覚が必要だ。

 本とは成り金が装飾品として誇るものではあってはいけない。あくまで実用品であって、一般民衆の手の届くところにあって、なおかつ美しい芸術品でなければならない。かつて小野は、
 「書物が書物たりうるのは、その内容ではなくして、その形式によってである」
 と書いた。本人は「舌たらず」と反省しているが、今日ではこのことはある程度の共通感覚として認められている。エディトリアル・デザインという言葉も、そう突飛なものではなくなっている。実は、そうなったのはウィリアム・モリスの主張が広くわが国に紹介されたからであって、小野はその先駆的功労者の一人と言っても、決してほめすぎではないと思う。

 それ以外にも、日本の書物独特のものである「題扉」と「奥付」について、あるいは、書物芸術におけるケルト的伝統について、などなど、多様な問題についての発言が入っている。出版社社員のための実用的マニュアルとしても使えるし、普遍的・哲学的論考として読むこともできる。このような点でも、小野の人柄と同じく、ひと筋縄でいかないのがその文章の魅力である。

 といっても決して読みやすい内容・文体ではない。すいすいと斜読みできる本ではない。しかし、格闘して読んだ後には、ずっしりしたものが心の中に残るはずである。 (bk1ブックナビゲーター:小池滋/英文学者 2001.07.07)

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パリだけがフランスではない

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 表題だけを見るとフランスの路面電車を紹介した、鉄道ファン向きの本だと早合点したくなるが、そうではない。フランスの都市づくりの最新情報を教えてくれる本で、著者は鉄道ファンではなく、都市計画の専門家である。
 フランスは日本人にとって、いつもあこがれの地であった。いまでも、ヨーロッパ観光旅行というと、フランスは大きな目玉で、ほとんど欠かすことのできない土地となっている。
 ところが、見るのはパリだけ、あるいは、せいぜい地中海沿岸のリゾート──ニースやカンヌくらいで、それ以外の地方都市に関心を持つ人は少ない。
 フランスに勉強に行く日本人も多いが、やはり大多数は芸術がお目当てで、都市行政の勉強に行く人は少数派となる。この本の著者はまさにその少数の一人で、日本人にとって、なぜフランスの新しい都市づくりがよい参考になるかを、熱っぽく語ってくれる。

 フランスは伝統的に強力な中央集権国家であったが、1980年代ころから地方分権化政策が積極的に進められて来た。フランスの地方自治体の最小単位は「コミューン」と呼ばれ、日本の市町村に相当する。都市計画ではこのコミューンの長が大きな権限を持つことができるようになった。
 連合王国であるイギリス、連邦国家であるアメリカやドイツは、日本にとって本質的に違うので、なかなかお手本にしにくいが、

「強力な中央集権的社会から地方分権に移行し成功させたフランスの経験は、われわれ(日本人)の社会制度と近かったからこそ参考になるに違いない」(39ページ)

と著者は言う。大都市の悩みの種といえば、都市公害──大気汚染、交通渋滞などなどであるが、フランスの各都市は、いろいろな形で答案を出している。多くの都市が中心部と郊外を結ぶ新しい高性能路面電車(フランスでも英語をそのまま使ってトラムと呼ぶ)をとり入れている。

 日本では路面電車というと「チンチン電車」とか「下町の人情」とか、何か古いものへの郷愁ばかりが連想されるが、欧米では最新の技術を導入した交通システムとなっている。騒音もなく、大気汚染もなく、低床でバリアフリーの車体は、老人、子供連れ、車椅子使用者など、これまで「交通弱者」と呼ばれて疎外されて来た市民に歓迎されている。(日本では広島、熊本などで見られる。)
 他にも、電気自動車の使用、自動車乗り入れ制限、VAL(東京のユリカモメのような無人交通システム)など、各都市の詳しい紹介が見られる。またフランス語は日本人に耳慣れないので用語解説がつけ加えられているのも親切である。今度フランスへ行ったら、地方都市にもぜひ足を向けたくなった。 (bk1ブックナビゲーター:小池滋/英文学者 2001.06.03)

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北海道の鉄道

2001/04/05 18:15

開拓の主役をつとめた鉄道の歴史

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 日本最初の鉄道は明治5年(1872年)開業の新橋・横浜間であることは多くの人が知っている。二番目は? 答えられる人は少なくなるが、おそらく関西の大阪あたりだろうと見当をつける人はかなりいる。それが正解である。では三番目はどこ?
 こうなると答えられる人はもっと少なくなるが、答えは北海道である。明治13年(1880年)に手宮(現在の小樽市内)から札幌までの鉄道が開業した。この線は翌年にはもっと東へ伸びて、炭坑のある幌内(ほろない)まで全通した。

 というわけで、北海道の鉄道は120年以上の歴史を持つ。ところが本書を読むと、もっと意外なことを教えられる。これまであげて来た鉄道は、すべて公共交通機関、つまり金を払えば誰でも利用できるものだ。ところが、炭坑や工場内の専用鉄道までを含めると、日本最初は何と北海道は岩内近くにある茅沼(かやぬま)炭坑内に、明治2年(1869年)設けられた、鉄板をはりつけた木製レールの軌道とのこと。石炭を積んだ車は坂道を自転して下り、空になると牛が引張り上げたそうだ。

 これを鉄道と認めるかどうかは議論の分かれるところだろうが、北海道の鉄道が石炭を運ぶ目的で誕生したことは間違いない。都市を結ぶ目的で生まれた本土の鉄道とは大きな違いがあった。また本土の鉄道がもっぱらイギリス人技術者の指導で作られたのに対して、北海道ではアメリカの技術者の助けをかりた。義経号や弁慶号のような、純アメリカ・スタイルの蒸気機関車の第一号が北海道にお目みえしたのも当然であった。

 以後の発達については、本書に豊富に収録されている写真を見るだけでもわかる。だが、特に注意すべきなのは、北海道にしか見られなかった「殖民軌道」である。(第4章第3節を参照)

 北海道の中でもとくに不便だった北部や東部の開拓民の生活の足として、大正13年(1924年)以来、道庁が殖民費を使って建設した軽便軌道である。ゲージ(左右のレールの間隔)は省線のそれより狭い76.2センチが多く、最初は馬が引いたが、後に蒸気やガソリンの動力に変った。建設して10年間は地元住民は無料で利用できた。運営は道庁または地元の運行組合が多い。

 昭和20年(1945年)までに全部で33線、全長660キロも作られたが、戦後道路の改良が進み、モータリゼイションが広まるにつれて次第に消えて行き、昭和47年には全滅した。


 著者は北海道生まれのもと国鉄マン、北海道の開拓にはなくてならぬ存在だった鉄道の歴史を書くには適任者である。図表やデータも豊富に盛り込んである。わが国の中でも鉄道斜陽化がもっともひどいのは北海道で、読んでいてつらくなることが多いが、後世に残す文献としては貴重である。 (bk1ブックナビゲーター:小池滋/英文学者 2001.04.06)

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