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    5つ星のうち 4.0 レビュー詳細を見る

松島駿二郎さんのレビュー一覧

投稿者:松島駿二郎

25 件中 1 件~ 15 件を表示

ペルシア文化渡来考

2001/04/27 13:17

ペルシャの女王が日本に漂着?

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

わたしはいま、日本への異人船の漂着の記録を調べている。というのも、以前に日本の漂流者について調べたことがあり、それで一冊本を著した。そして、ふと思ったのは、日本から漂流者が世界のさまざまな場所に漂着しているのなら、逆に日本にも異人が漂着しているのではないか、ということだった。

 漂流者で有名なのはジョン万次郎やアメリカ彦蔵である。では漂着で知られているのは何かというと、いちばん有名なのは江戸時代以前にポルトガル船が種子島に漂着したことだろう。このときポルトガル人は鉄砲を持ってきた。その鉄砲は日本の戦国時代の戦争のあり方を変え、日本の歴史を変えたといっても過言ではない。

 でも、日本の沿岸を調べていくと、実はポルトガル人に限らず、それこそ世界中からの漂着記録があり、それが日本全国に分布しているのを知って、驚かされた。漂着の記録も安土桃山時代どころではなく、日本書紀にさかのぼってあるのだ。それを著作の冒頭に持ってきているのが、今週紹介する『ペルシア文化渡来考』である。副題は、「シルクロードから飛鳥へ」というものだ。

 ちょっと読み慣れない漢字が感じが続いて難しいが、「日本書紀」からその一節を紹介しよう。本書の冒頭部分である。
「吐火羅國男二人女二人舎衛女一人被風流來干日向」という一節である。つまり、トカラ國の男二人と、女二人、舎衛の女一人が風に流されて、日向の国(宮崎県)に漂着した、というのだ。これは白雉五年つまり西暦でいうと六五四年のことだ。

 さて、ここで問題なのはトカラ国とはいったいどこか、ということだ。わたしはすぐに、鹿児島県の屋久島から南、奄美大島までの東シナ海に点在する小島の連なり、すなわちトカラ列島のことを思い浮かべた。ところが著者の伊藤義教は、高名なイランに関する碩学なのだが、綿密な考証によってその国がトカーレスタン(トルキスタン)であるとする。
 
 この説に従えば、そもそもトカラの一行は、日本にやってくる前に中国を横断しなくてはならない。当時の中国の都は長安(現在の西安)である。西側には巨大な砂漠タクラ・マカンがあって、旅人の通行を拒んでいたはずだ。しかし、中国には、すでに3世紀の初めにペルシャ(今のイラン)からやって来た医者が住んでいたという証拠があるという。中国の江蘇地方である。もう日本までは東シナ海を一またぎ、ちょっと漂流すれば、直ちに日本にたどり着けるではないか。

 トルキスタンとは今のアフガニスタンの北方の地方で、タシケントなどがある一帯だ。日本の日向から見ると遙か彼方の地方である。さらに、伊藤の考証によれば、「舎衛」女一人舎衛というのは女の名前ではなく官位であって、シャーフ(王位を表すペルシャ語)を意味する言葉だ。女一人となればペルシャの女王となる。なんとも夢の広がる話だ。このあと、伊藤はこのころに日本にゾロアスター教(拝火教)が渡来したのではないかとも考える。そして、正倉院の屏風絵や、東大寺の二月堂の修二会(いわゆるお水取り)にも、ゾロアスターの影響があることを示してみせる。

 飛鳥時代の日本にペルシャのゾロアスター教があり、正倉院御物に筆跡を残し、今に残る宗教行事の種をまいた。こう考えることは、日本の古代史を豊かにするだけではなく、今の日本にゾロアスターのかけらが残っているとしたら、日本の文化も、どこかで汎ユーラシア的な要素を持っているのではないかと、ちょっと誇らしい気持ちにもなる。

★松島さんの連載「紀行本を紀行する」はこちらからどうぞ。

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 ロマの現在の人口が1200万人に達するというのが最大の驚きである。彼らはさまざまな都会のスラムに染みのように張り付いて生きているのだ。その広がりは全世界にわたる。わが日本にはロマは確認されていないが、たぶんそれは日本がまだ国際化を成し遂げていないからだろう。本書を読むとロマは国境を気にしていないし、彼らには国境がないことが分かる。そして日本というのは、そんなロマたちにも認めてもらえないつくづくと不思議な国なのだな、と思わされた。

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ボルネオの奥地へ

2001/02/06 17:09

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2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ボルネオ島のカリマンタンと呼ばれる南部には世界最大級の熱帯雨林が広がっている。多種多様な動物と植物とで構成されるこの森は、世界最古(1億8千万年)の歴史を持つエコ・システムである。この安定した(でなければ1億年以上も同じ状態を保てるわけがない)システムに致命的、かつ根本的な刃を振るいつつあるのがわが日本国の木材伐採業者だとしたら、皆さんはどのように感じられるだろうか。ここは棲息する生物種が、地球上でもっとも多い地域としても知られている。博物学者にとって夢の大地である。そこに足を踏み入れた博物学者の愉快な旅行記。めるくまーる社の「精神とランドスケープ」シリーズの一冊で、わたしはすでにこのシリーズの本を7冊もこの欄で紹介してきた。本造りにはコンセプトが大切なのだな、と思わせるシリーズである。

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紙の本夜 心理・生理・行動

2001/06/18 11:25

「世界は深い。昼が思っているよりも。」

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。


 わたしたちは自転する地球の上で暮らしているが故に「昼」と「夜」を持つ。ただし、地軸がちょっと傾いているので、昼と夜はちょうど半分ずつではない。住んでいる地域によって、季節によって昼が長かったり、夜ばっかりだというばらつきが出る。でも、普通の地域、アラスカやカナダの北、北極圏や南極圏に住んでいない限り、ある一定のリズムで昼と夜は繰り返される。また、人間は活動をし続けるわけにはいかない。一定の時間眠って休みを取り、活力を取り戻さなくてはならない。

 睡眠時間でよく言われるのは、1日8時間は眠りなさい、ということだ。忙しい現代人がこの通りの睡眠時間をとっているかは保証の限りではない。でも、ナポレオンですら1日4時間は眠った(6時間だったかな)というから、やはり人は眠るのである。

 この眠っている時間はほとんど意識がない。夢を見るかもしれないが、それはだいたい眠りのなかに勝手に登場する。考えてみればもったいない話である。生産性のいい人なら、この眠っている時間を生産に割り振れば、ぐっと生産力は上がるに違いない。

 だいたい、人は夜に眠る。「夜」という時間を人間は無為に過ごすのだろうか。人生の3分の1から4分の1を無為に過ごすのだとしたら、こんなもったいないことはないではないか。

 「夜」という直截的なタイトルの本がある。「夜」、それだけ。もったいぶった帯が付いている。「世界は深い。昼が思っているよりも。」なのだそうだ。ニーチェの『ツァラトゥストラ』の一節なのだそうだ。

 思いの外深い「夜」は闇によって支配されている。わたしたちは創造主が「光りよ、あれ!」といって、闇から「昼」を作り出したのを知っている。ローマのヴァチカン、システィナ聖堂にいけば、創造主が「光」を、つまり「昼」を造りだした瞬間の有様をミケランジェロ大フレスコ画で見ることができる。

 本書は「夜」を心理的、生理的、行動、といった側面から考察した本である。フロイトに『夢判断』という本があるが、「夜」というタイトルの本は多分類書がないだろう。心理的には闇に対する動物としての恐怖、生理的には休息をとるための闇の必要性と一応理解はできるのだが、夜を行動という側面で見たとき、いったいどのような様相を見せてくれるのだろうか。

 精神科医のモーリス・シャッツマンという男は眠っている間に問題解決するという方法を勧めている。難しい問題を頭のなかにもって、眠りに入る。すると、その夜に見た夢が問題解決の方法を示唆してくれるというのだ。彼が解決したという問題をここに出してみよう。英語の問題なのだが、多分中学生でも知っている単語だと思うのであえて、英語のままここに提出する。次の単語のなかで同じ集団に属さないものをひとつあげよ。
bring、catch、draw、fight、seek、teach、think
難しい単語ではない。でも、すっと回答を出せる人はあまりいないだろう。シャッツマンもそうだった。だから、この問題をもって眠りについた。夢を見た。それは映画俳優のマイケル・ケインみたいな男が、しきりに肩越しに後ろを指さし、イライラしているという夢だった。眠りから覚め、シャッツマンはマイケル・ケインの仕草について考えてみた。
 そして、はたと気付いた。彼は肩越しに後ろを指さすことで、「過去」を示していた。先に挙げた英語の単語の過去形で末尾が ght で終わらない単語はただ一つdrawだけだった。睡眠の問題解決力、夢の生産性のひとつの例証だが、でも、まったくうまく解けたものだと思う。

 よし、なんでももってこい、とわたしも考えて、クロスワードパズルの未解決部分を考えながら眠りについたのだが、夢も見ずに熟睡してしまう始末だった。面目ない。

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知識には隙間がある

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わたしたちはアメリカという国のことをよく知っていると思っている。確かにアメリカの文化はあらゆるレベルで日本に押し寄せ、わたしたちはそれらを、ほとんど諸手をあげて迎え入れているようだ。映画、音楽、ファーストフード、コンピューターネットワークなどはみなアメリカ発の文化であり、それらに浸りきっていると、この国のことなどなんでも知っているような気になるものだ。

 でも、知識には隙間がある。そんな隙間は、ひょっと指摘をされると、ああそうか、実は何も知らなかったな、ということになる。隙間はおもしろい。なにしろ、隙間だからそれまで誰も気が付かなかったことを指摘するからだ。わたしたちはアメリカの独立革命についてはまあまあ知っている。ワシントンが活躍し、ジェファーソンが独立宣言を書き、といった浅薄な知識にしろ、一応把握している人は多いだろう。また、南北戦争についてもある程度の知識はある。奴隷解放に努めたリンカーン大統領、『風と共に去りぬ』の舞台となったアトランタでの激戦など、詳細は知らなくても頭の片隅で聞いたことがあるはずだ。

 では、アメリカ独立から南北戦争までの間にアメリカで何があったか、という点に関しては、ほとんどの人が白紙であるはずだ。かの国の小中学校で国史を勉強しなければ、この辺りは白紙のママなのは仕方がないだろう。

 この日本人のアメリカ認識のニッチに切り込んだ本がある。といっても、難しい史料をひっくり返して並べたような本ではない。佐伯康樹の『アメリカ太平記』という本がそれだ。サブタイトルに「歴史の転回点への旅、1845」とある。ニューヨークはマンハッタンのダウンタウンの西側、ハドソン川を渡ったところにホーボーケンという町がある。物語りはここから始まる。

 ベースボール発祥のエピソードから、葉巻を吸う女メアリー・ロジャースの殺人事件、その解決に乗り出すエドガー・ア・ランポーと顔が出そろえば、おもしろくないわけはない。また、アメリカ独立1776年の36年後の1812年に英米戦争があったことを知る人もあまりいないだろう。

 今うたわれている、「星条旗よ永遠なれ」というアメリカ国家ができあがったいきさつもおもしろい。この国家はフランシスコ・スコット・キイという医師兼詩人によってこの戦争の時に作られた。折から英国軍はチェサピーク湾内にあるアメリカ軍が立てこもるマクヘンリー要塞を猛爆撃していた。しかし、この様子を見ていたキイは、要塞内にいたのではなく砲撃を加えているイギリス側の船上に、捕虜引き取りのための医師として乗っていた。そして、猛攻撃の夜が明けるとともに、要塞の上に翻る「星条旗」を見た。キイは大感激し、イギリス兵たちが酒場で飲んだときに歌う歌のメロディを拝借して、一編の替え歌を作った。

 敵の陣地でキイが書いたこのときの歌が、やがてみんなに酒場でうたわれるようになって、「星条旗よ永遠なれ」として、アメリカ国歌になったのである。酒場の歌が国歌に昇格する、交戦国にオリジナルがあるメロディをいただいて国歌にする、しかも書かれたのは敵陣のなか、この辺りのおおらかさがアメリカという新興国の真骨頂だ。本書のベースボール発祥の物語りもおもしろいし、球場に行けば試合開始の前にみんなで「星条旗」を合唱する。わたしもヤンキースタジアムで、知らないおじさんたちと肩を組んでうたった記憶がある。ところでスコット・キイの子孫に、1920年代の時代の寵児となった作家フランスス・スコット・キイ・フィッツジェラルドがいる。そんな因縁もこの本は教えてくれる。
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ザンジバルで笛ふけば湖水の人びとが踊り出す

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 この本はザンジバルが舞台である。アフリカ大陸の東岸には巨大な珊瑚礁帯が存在する。オーストラリアのグレート・バリアー・リーフのアフリカ版と考えればいい。そんな珊瑚礁のなかに無数の小島が点在する。ザンジバルはそんな島のひとつである。国籍はタンザニア(ケニアの南)、タンザニアの首都のダル・エス・サラームから水中翼船で2時間ほどの距離だ。

 でも、巨大なアフリカ大陸に地質学上のある時期に切り離されてしまったのだろう。水中翼船や短距離定期航空便が開発される前は、離島だった。しかし、離島にしばしばありがちな、知られざる離島という形容は、この島にはふさわしくない。それどころか、ザンジバルはインド洋を航海するインド人やアラビア人にとっては、たいへんに高名な島だったのだ。

 当然、島にはさまざまな文化が訪れる。そして、混合していく。アフリカ本土の土着的なスワヒリ文化、インドのエキゾチックで東洋的=ヒンドゥー文化、そして、汎世界的なアラビア=イスラム文化などが混ざり合って、ザンジバルに特有な文化を醸成していった。

 まずザンジバルの位置と大きさを示しておこう。アフリカ大陸から約40キロの東方洋上にある。大きさは日本の規模に換算すると、佐渡島の約2倍。アフリカ沿岸には巨大なマダガスカル島があるが、それに比べてもケシ粒のようなものだ。

 ところが、ザンジバルはインド洋貿易の拠点として大いに栄えた一時期があった。広大なインド洋には強い季節風が吹く。4月から11月にはアフリカ海岸からインド洋を大きく北上して湾曲しながら、ペルシャを経て、インドにいたる風だ。また、11月から3月にかけてはこの向きが逆になり、インドからペルシャを経て、アフリカ大陸に到達する風となる。このモンスーンの風を利用して帆掛け船がインド洋を自由に横断していた。この船はダウという木造の船である。帆に受ける風が頼りの航海なのだから、貿易の周期は1年に1度ということになる。のんびりとした周期の交易である。でも、19世紀の最盛期には年間500艘ものダウ船がザンジバルに寄航したという。ケシ粒のような島にしては殷賑を極めたといってもいいだろう。

 ザンジバルの主な町はストーン・タウンと呼ばれている。「石の町」とは奇妙な名前だ。ダウ船の航路をずーっと見渡してみても、石造りの町が存在する地域はない。としたら、一番近い石造りの町はヨーロッパということになる。

 ザンジバルに最初にやってきたヨーロッパ人は15世紀のポルトガル人だった。白人はザンジバルに黒人奴隷の貿易拠点を建設した。その名残りがストーン・タウンなのである。さらに島は激動に襲われ、アラビア半島のオマーン帝国がポルトガルに対抗しようと試みる。その抗争の発火点になったのもザンジバルだった。
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16世紀の後半を生きた男の自伝

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わたしたちは、歴史書を読むとき、「エルサレムの攻防40日」、あるいは「ドイツ30年戦争」などと書いてあるのをみて、うんうん、そうかそうか、といってあっさりと読み飛ばして行く。そのとき、実際の戦場がどういったものであるか、ほとんど忖度しない。まあ、20世紀の戦争については、さまざまな映画などでその実情を知っているといえる。しかし、中世の戦争となるとどのようなものであったかはほとんど知らないといっていいだろう。

 たとえば、中世のヨーロッパの東端は、つねにトルコの侵略の脅威に脅かされてきた。ドイツから大勢の兵士がポーランドやスロヴァキアを越える長い行軍を続け、苦難の果てにトルコ軍と対峙する。そして、実際、そのときの戦争がどのようなものであったかを、ほとんど知ることはない。

 「大選帝皇軍医にして王室理髪師、ヨーハン・ディーンツ親方自伝」はちょうど16世紀の後半を生きた男の、生々しい自伝である。自伝というのは注意して読まなくてはならないのだが、この本の巻末につけられた公文書資料の、婚姻登記簿、あるいは聖モーリツ協会の洗礼簿、営業権申請書などを見せられると、内容についても信用が置けるような気がしてくる。

 原本はベルリンの王立文書館にあるものをもとに書かれた本だ。この男の仕事は軍医、同時に王室の理髪師だった。理髪師はほとんど外科医と同じ仕事を、当時はしていたという。手術、瀉血、手足の切断、そして、薬草を煎じる、というのがヨハン・ディーンツの仕事だった。表紙に恐るべき図版が掲載されている。なんと、椅子の上に座った男の脚を4人がかりでのこぎりで轢き切ろうとしている現場である。説明に脚部の切断手術とある。16世紀末の版画だ。

 見た限りでは切断しようとしている脚の下にはたらいが置いてある。多分出血した血をそれで受けるためのものだろう。手術室はそれなりに設備が整っているようにも見える。この大胆な手術も、野戦病院の様子ではなく、歴とした病院でのものではないだろうか。だとしたら、設備の整わない戦場の野戦病院で患者が受ける手術というのはいかばかりのものだったのだろうか。想像するだに、背筋が寒くなる。→続きを読む

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紙の本渡り歩き

2001/05/15 16:54

本の海を泳ぐように

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 タイトルが抜群にうまい。『渡り歩き』という。本から本へと渡り歩く、そんな著者(岩間宏)の、本の海を泳ぐような感覚が伝わってくる。

 著者が1950年代の終わりころ、神田の古本屋で手に入れていた洋書が、ズットどこかに眠っていた。著者はエリオット・ポールというアメリカの作家だ。あわててアメリカの作家辞典を広げてみるのだが、掲載されていない。有名作家ではないのだ。本のタイトルは『スペインのある町の生と死The Life & death of a Spanish Town』というものだ。この本がおよそ半世紀ぶりに目を覚ます。

 あるスペインの町とはどの町のことか。読んでいってわたしはびっくりした。なんとサンタ・エウラリアという町だという。こんな町のことなど誰も知らないだろう。でも、読んでいくうちにわたしは、町の名前は覚えていないのだが、確かに足を踏み入れたことのある町だ、と気付いた。サンタ・エウラリアという町はスペインのバルセロナから海路280キロも離れた島、イビッサ島の町だという。

 イビッサという島はバレアレス諸島の中のひとつの島で、マジョルカ(ショパンとジョルジュ・サンドで名高い島だ)、メノルカといった島をひっくるめた島々をバレアレス諸島という。わたしが渡ったのは六〇年代の前半のことで、実は町の名前も忘れていた。でも、地中海を見下ろす丘の上の放牧場や、真っ白に塗られた家々の輝き、オリーヴの葉のきらめき、そして、抜けるような空の青などは鮮明に覚えている。

 なぜこの島に行ったかといえば、理由はひとつ。あそこでは安く暮らせるぜ、と仲間のヒッチハイカーに教えられたからだ。とにかく懐が乏しかった。乏しいどころか、一銭もなかった。だから最後の小銭をはたいて、渡船に乗った。実は、船にもただで便乗してやろうとバルセロナの船着き場で2日ほど粘ったのだが果たせず、とにかく島に渡るだけ渡ってやろう、その後は神の思し召しだ、などと思ってイビッサ島にやってきたのだ。とにかく平和な島だった。ショパンが啓発されたのが分かるような気がした。

 で、岩田が紹介するエリオット・ポールの本の内容を読んで愕然とした。なんと、この島はスペイン戦争にまともに巻き込まれたのだという。まず、共和国軍が町を制圧し、ついでファシスト軍が報復爆撃(空爆だ。イビッサ島にはまったく馴染まない攻撃法だ)を行う。その結果、セント・エウラリアは完全に破壊された。その時の被害者は死者55人、そのうち42人が女性と10歳未満の子供だったという。

 わたしはそんな過去があったことはまったく知りもしないで、ノーテンキに海を見つめて終日暮らしていたのだ。本の『渡り歩き』にはいいところがある。記憶を掘り起こしてくれたのだ。心のメモ帳にエリオット・ポール『スペインのある町の生と死』と書き込んだ。こんどニューヨークに行ったら、世界最大の在庫を誇るという(検索力も凄い)ストランドという古本屋で、この本を探してもらおうと思ったからだ。

 まあ、このインターネットの「紀行文を紀行する」も、わたしの『渡り歩き』だと考えて、許してつかぁさい。

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アレクサンドリア

2001/04/17 17:29

伝説の古代都市

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 アレクサンドリアという町の名はさまざまなものを想起させる。伝説の古代都市、巨大な知の宝庫としての大図書館、地中海を照らす七不思議のひとつ巨大灯台、そして、クレオパトラ、もちろん町の名の寄ってきたったアレクサンダー大王、幾何学の祖ユークリッド・・・。これくらいでじゅうぶんだろう。

 そんな町に一人のイギリス人作家があるとき降り立った。1915年というから、第一次世界大戦の勃発時であった。かれは国際赤十字に志願して、この地にやってきたのだ。ちょうどトルコ軍が迫っていたころで、ちょうどアラビアのロレンスとほぼ同時代にアフリカの北端で過ごすことになった。フォースターはそれから三年以上この町に居続ける。「きさまは蛭(ヒル)のような奴だな」と上官に罵倒されながらも、この町にしがみついていた。その時の経験をまとめたのが本書である。

 さすがに高名な作家の筆になるだけに、歴史記述が読みやすいので助かった。まえに一度、アレクサンドリア図書館のことが知りたくて、関連書を読み始めたことがあるのだが、エジプト人名とアラビア人名とが錯綜して、途中で放り出してしまった苦い記憶があるだけに、この本の歴史記述の読みやすさには、ほっとした。

 この町を建設した男であるアレクサンダー大王と、稀代の美女、妖婦であり、当時の支配王朝プトレマイオス家を滅亡させたクレオパトラに至るまでの人物たちが、的確に描かれている。

 幾何学に普及の名を残し、ユークリッドの証明で我々を苦しめたユークリッドはアレクサンドリアの図書館の館長でもあった。その図書館はムーセイオンという学問の府のほんの一部でしかなかったことからも、アレクサンドリアの学問的雰囲気がどのようなものだったかをうかがい知ることができるだろう。勘のいい方ならおわかりだろうが、ムーセイオンという学府は、現在のミュージアム(博物館)の語源になった言葉でもある。

 一つの町に蛭のように吸い付いて離れない、このような町との接し方がわたしには羨ましくてならない。皆さんに問いたいのだが、もし蛭になるとしたら世界中のどの町に吸い付いて、思う存分血液を吸い取ってみたいか考えていただきたい。

 わたしはためらいなく答えられるのだが、それはアイルランドのダブリンである。でもそれはわたしの個人的なことである。誰もがそんな町を一つ選び出したくなるような、そんな本であることは確かだ。

 もう一つ紹介しておこう。愛が生まれ、愛を語るときの常套句「胸に投げ矢」とか、「瞳にため息」とか、「互いに抱き合う胸と胸」とかいった表現は、アレクサンドリアのムーセイオンで誕生したものなのだそうだ。表現は恥ずかしくなるほど陳腐だが、常套化したということは、その表現に普遍性があったということなのだろう。

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紙の本シルクロード・キャラバン

2001/04/17 17:27

馬上の孤独

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 自分のことから書かせてもらえば、旅をしているときわたしがいちばん孤独を感じるのは移動中のことだ。ジェット機で成層圏を貫いて飛んでいるとき、わたしは必ず(できる限り)窓際の席を取り、窓の外をじっと見ている。あるいは船で大洋を横切っているとき、わたしは昼間のほとんどの時間を海を見て過ごす。汽車で移動しているときも、窓の外を走りすぎる風景をぼんやりと見て過ごす。そんなとき、いつも限りない孤独感を感じるのだ。なぜだろうか。たぶん、ある特定の目的に向かって、地表上を動いているのは自分一人だ、という感じがわたしを捕らえるからだろう。同乗者はいても、彼らの目的はわたしとは違うものなので、やはりわたしは孤独なのだ。

 筆者のアンヌ・フィリップはシルクロードを馬に乗って旅している。馬で旅したことは残念ながらわたしにはないが、ロバでアンデスの山岳地帯を旅したことはある。だから、たぶん同じような感覚なのだろう。最初は大きな動物(ロバは意外に大きい)に緊張している。でも、すぐに慣れてくる。慣れてくるとロバの背という場所はたいへんに退屈な場所だということに気が付く。そして、標高の高いアンデスの山々に囲まれて、途方もない孤独感に襲われた。たぶん、馬の背も、ラクダの背も同じように退屈で孤独な場所なのだろうと思う。

 本書の著者であるアンヌ・フィリップは1948年に中国の奥地である新彊省からインドのカシミールまで旅をした。最初はトラックの荷台に載って、その後は馬の背に乗り換えて、キャラバンとともにパミールの高原を超え、ヒマラヤの高地の峠を越え、ハードな旅を見事にこなした。いまではテレビの4WDのクルーが訪れて、珍しい光景を日本の各家庭に運んでくるが、その当時、アンヌのたどった道は、誰一人知らないような土地だった。年代に注意してみれば、毛沢東が中華人民共和国を創立する1年前のことだと分かる。以降、永らくこのパミール高原一帯の道は鎖国政策のため閉ざされた。わたしたちは行こうと思っても近づくことのできない幻の一帯となった。そういう意味で、鎖国の寸前に中国からインドに抜ける道がどんなものだったかが窺える貴重な資料でもある。

 そして、いつも驚かされるのはそのような辺境のまた辺境に、人々が日常生活を営んでいる、ということである。そして、彼女が合流した、というより一緒についていくことにしたキャラバンの男ワヒッドはいう。
 「ぼくはキャラバンの生活が好きです。ラサ(チベット)にいる叔父が、大規模なキャラバンを持っていて、ダージリン(インド)と交流をしているんです。(中略)こんな風に一生旅をしていたいのかどうか、よく分かりません。ぼくはインドで学業を終え、インド語に加えて、チベット語、ウルドゥー語、ペルシア語、英語、それに中国語を少し話せます。」キャラバンはこの地域の砂漠と高山の連なりのなかをまるで帆船のように航海していたのだ。ワヒッドは東南アジアの練達の船員たちがそうであるように、立派なコスモポリタンである。

 この本の巻末には鶴見俊輔と長田弘の短い対談がついている。それは「馬上の孤独」とタイトルがうってある。キャラバンは何人かで隊列を組まなくてはならないが(つまり他人とのチームワークが必要なのだが)、それでいながら一人一人は行途の馬上で孤独なのだ、という。孤独なコスモポリタンたちでなくては、たぶんシルクロードのキャラバンは組めないのだろう。

 わたしはそこに大きな共感を感じた。

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クレオール文化とは

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 『聞書・アフリカン・アメリカンの誕生』という本がある。アフリカン・アメリカンとは新しい言い方だが、アフリカにルーツを持つ黒人系のアメリカ人のことを言う。ニューオルリンズではよく「クレオール」という言葉を耳にするが、端的に言ってしまえばアフリカン・アメリカンとはクレオールのことである。

 では、クレオールとはなんだろうか。アフリカ大陸から奴隷商人によって多人数の黒人が新大陸のプランテーションでの労働のために輸送された。その黒人たちが奴隷解放によって自由民となり、カリブ海、アメリカ大陸の主として南部で子孫を残した。その純血の、あるいは混血の子孫を総称してクレオールというのだ。

 クレオールはフランス語なのだが、辞書を引くと驚いたことに「なにもせずゆったりと暮らす」とある。羨ましいライフスタイルをクレオールたちは築き上げたのだ。クレオール語というのもある。クレオールたちの創案になるもので、わたしが最初に耳にしたのは1960年代の半ばに、ハイチでだったが、耳にはほとんどフランス語のように、さらに読んでみると英語のようにも見える、不思議な言葉だったのを覚えている。さらには彼らの祖先のアフリカの部族語も実際には混合しているらしい。奴隷労働に従事していたアフリカ人が白人の主人とコミュニケーションを計るために生み出していった言葉なのだ。

 クレオール文化というと、なにがしか奴隷という言葉と結びついているような気がするが、それをアフリカン・アメリカンというと、何か新しいもののように聞こえる。この本は「聞書」とあるように、クレオールの研究者であるシドニー・ミンツに編者である藤本和子が質問を投げかけ、それにミンツが答えるという形式を取っているため(一種のQ&Aである)、たいへん読みやすい。普通なら民族学の専門書になりかねないところを、藤本は巧みに読みやすくしてくれた。

 わたしがいちばんおもしろく感じたのは、先のハイチ訪問の時にも感じたことなのだが、露天市場で女性の勢いがたいへんに強いということだ。実際、市場での商売を取り仕切っているのは女性だったし、今でもそうだという。アフリカでは市場を取り仕切るのはマーケットママという逞しい女性たちだ。これも、わたしがナイジェリアやギニアの路上市場で目撃したことである。この伝統がアフリカン・アメリカンにも引き継がれたのでしょうか?という藤本の質問に、ミンツはそうとも言い切れないと答える。

 ミンツの答えはこうである。アフリカでの伝統はプランテーションでの奴隷労働という過酷な労働の継続でいったん切れているのではないか。しかしその労働環境は性差を無視した環境だった。男も女もおしなべて重労働にさらされたのだ。その経験のなかで男は女性の自立を受け入れる器量ができたのではなかったか、という意見を述べる。そして、自由になった以後、ハイチやジャマイカで女たちはその自立精神を行使して、市場での商行為を牛耳るに至ったのだという。

 ここで重要なのは、女たちの自立の伝統が、プランテーション労働によっていったん断ち切られていながら、性差のない過酷な労働環境のなかで再生したという事実である。ジェンダーギャップということが言われ始めて久しい。「女に何ができる」という社会環境に一石を投じる本だと思い、わたしには刺激的だった。

★松島駿二郎の連載『紀行本を紀行する』はこちらからどうぞ。

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 自分の本をこの欄で紹介するのも…と思うが、それでもあえてここに紹介するのは、わたしのこの著書とダイアモンドの著書とのテーマがあまりにも似ているからだ。ダイアモンドの本の中には絶滅した人種の話がそれこそ山のように記述されている。わたしのこの本はタスマニア島というあまり知られていない島に先住していたタスマニア人の絶滅に的を絞ったものである。興味のある人は読んでみて下さい。わたしの感想としてはこの本をかくまえにダイアモンドの著書を読んでいれば、もう少し本の中身に厚みが出せたかな、というものだ。

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 人類の置かれた環境の違いによって、一方は産業革命、一方は依然として石器時代という大きな差がついた。読みながら感じたことは確かに人種の運命は、環境によって決まるということであり、しかし、同時にどっちが幸せだったか、という根本的な問題に対する答えがどうなるか、ということであった。東京という特殊に突出した都会に住む人たちと、石器を使いながら毎日平穏に暮らすジャングルのなかの人たちとどちらが幸せかという問題には明快な答えが出せない。

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 フロー、メリッサ、オリー、パッションという四人(のチンパンジー)とその家族がこの本の主役である。わたしたちは世界を理解しようとするとき、いろいろな窓を通してその世界をのぞく。ではグドールの「心の窓」を通してチンパンジーの世界をのぞいたらどのように見えるのか。それをつぶさに叙述したのが本書である。チンパンジーの家族生活と、生と死のドラマはまことに複雑で、わたしグドールのような窓を持ってみたいと切望した。

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紙の本利己的な遺伝子

2001/02/06 17:20

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 20世紀にたぶんもっとも衝撃をもたらした遺伝学の書物であり、19世紀のダーウィンの『種の起源』にも匹敵する影響力を及ぼしたのではないか。DNAは利己的にみずからの保存に奔走し、他を省みないというのが簡単にいった論点だ。グドールはこの書に異議を申し立てる。彼女は遺伝子は利己的であろうがなかろうが、遺伝子によってできあがった生物、人間やチンパンジーやその他あらゆる生物は克己の精神を持ちうる、というのだ。人間は幾多の自己犠牲を過去の歴史のなかで証明してみせた。そこに生命の未来と希望がある。そのことをグドールはチンパンジーの観察から学んだのだった。

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