サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

  1. hontoトップ
  2. レビュー
  3. 東良美季さんのレビュー一覧

レビューアーランキング
先月(2017年6月)

東良美季さんのレビュー一覧

投稿者:東良美季

2 件中 1 件~ 2 件を表示

紙の本反バンビ症候群

2001/09/28 18:15

女友達とはブックストアで会おう。またもや魅力的な女性コラムニストが登場。

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 古くは向田邦子に胸を熱くし、群ようこに「ガハハ」と笑い、中野翠に「ワカル、ワカルよぉ」なんてうなずいていたら、近年、田口ランディなんてすごいヒトが現われて心の底からびっくりした——。と、何のコトかと言うと女性エッセイスト、コラムニストのお話である。しかしマア何だって女たちの書くコラムばかりこんなに面白いのか?
 とボクなんかついついひがんでしまうのだが(あ、申し遅れましたが私、名前はオンナみたいですが、レッキとした男です)ここに紹介する山田真理サンもそんなオトコのモノ書きを嫉妬させる新しい才能であります。

 真理サンが書くのはこんなコトだ。「空港で見かけるポケモン・ジェット、大の大人が何が悲しくてあんなシロモノに乗らなきゃいけないの?」「結婚指輪が給料の三ヶ月分って、宝石会社のキャンペーンだったって知ってた?」「無くなりかけのケチャップ、水入れてシャカシャカ振ってるのウチだけなの?」云々。フムフムと思い、ハハハと笑いながら読み進めて気がついた。ああ、コレって女友達とのオシャベリだ。夜更けに電話がかかって来る。「ねえねえ、トーラ君聞いてよぉ」「アレってさあ、オカシイと思わないィ?」という例のヤツである。

 考えて見ればそんなオシャベリからはずいぶん遠のいた。男はオジサンになって(ボクのコトです)分別臭い顔になり、女の子もオバサンになり子育てやらローンの心配なんかでそれどころじゃない。ケータイもメール・アドレスも一応持ってるけど、しなくなりましたねぇ、あーゆー一見無駄かもしれないけど楽しい会話。新世紀のコミュニケーション不全なんて言いたいワケじゃない。だってイイじゃないですか? 本屋さんに行けば会える女友達がいるんですから。さらにこの本、挿入されたB・オズボーン氏の写真が不思議な浮遊感をもたらしてくれるというおまけつきだ。オジサンは断固、山田真理サンと女性コラムニストを支持するぞ! (bk1ブックナビゲーター:東良美季/ライター 2001.09.29)

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本まなざしの記憶 だれかの傍らで

2001/03/26 13:33

他者と自分の関わりを考え直すときのヒント

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

哲学っていったい何でしょう? 思想や思索といったイメージを思い浮かべるひとが多いのではないでしょうか。だけど、簡単に言ってしまえば哲学とは〈言葉〉です。これは哲学者・鷲田清一氏が昨年七月に亡くなられた写真家・植田正治さんの七十作あまりの作品に〈言葉〉を添えたエッセイ集であり、私達が生きてゆくうえでとても有効な〈哲学〉をいくつか伝授してくれる本でもあります。

 では何故、哲学とは〈言葉〉なのでしょう。それは我々が普段の生活では、生きてゆくということをごく無意識に無作為に出来るからです。友達とおしゃべりする時、恋人とデートする時、子供を抱く時、小ネコを撫でる時、我々は特に何かを深く考えることなくそれを出来、たいていの場合楽しく過ごすことが出来ます。

 しかし残念ながら人生とは常に上手くはいきません。友達とはささいな行き違いがあり、恋人とは派手な喧嘩をし、子供はむずがりネコも時に爪を立てます。そんな時我々は普段無意識にしている行為を見つめ直し、ひとつひとつ点検していく作業を強いられるのです。友人と〈話す〉とは何か、恋人と〈会う〉とは何か、〈抱く〉とは〈撫でる〉とはいったい何なんだろうと。そしてやっかいなことに、我々人間がそういった行為を点検し修正するためには、〈言葉〉という道具を用いるしかないのです。

 この本の中で鷲田氏は「他者に触れる」ということに関してこう書いています。「物は眼を開けていればいやでも見え、音は耳を塞がないといやでも聞こえ、匂いは嗅がなくても匂う——」、しかしそれに比べ「触れる」とは誰かに「出会おう」という主体の意思が無くては始まらず、また「触れた」瞬間に相手と「出会った」という意思の送り返しを得るものだと。

 また、鷲田氏はあとがきでこうも述べています。「ホスピタリティというものを考えるときにいつも浮かんでくるのが、植田さんが撮られた砂丘とその周辺の情景だった」と。ホスピタリティ——、これもまた本文から引用すれば、ホスピタル、ホスピス、ホスト、ホテルと同様に、「客」を意味する言葉から発生した「他者を迎え入れること」だそうです。つまりこれは哲学者・鷲田清一による〈ホスピタリティ論〉であり、私達が日々の人間関係というものを考え直す時、それを手助けしてくれる有効な〈言葉〉の集まりとも言えるでしょう。

 一方、植田正治氏は六十年以上にわたって鳥取をベースにして、その人々の遠近感を狂わせてしまうような砂丘を舞台にシュールで時にユーモラスな作品を発表してきた写真家。その作風は写真発祥の地フランスでは〈Ueda−Cho(植田調)〉という単語があるほどに有名な存在です。ちなみに先のシドニー・オリンピックの際にミュージシャンの福山雅治がカメラマンとして活躍しましたが、彼が写真というものに目覚るきっかけとなり、今も〈師〉と仰ぎ続けるのがこの植田正治氏だそうです。

(東良美季・ライター/2001.2.27)

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

2 件中 1 件~ 2 件を表示