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  3. 今村守之さんのレビュー一覧

レビューアーランキング
先月(2017年4月)

今村守之さんのレビュー一覧

投稿者:今村守之

38 件中 1 件~ 15 件を表示

アイリッシュ・ハートビート

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ケルト・ミュージックといえば、癒し系だって? エンヤだって? こういう紋切り型は、つくづくイヤになる。もちろん、その類とされる歌は嫌いじゃないし、エンヤも聴かないわけじゃない。けど、何らかの形で癒されるって意味では、どの歌にもその効用はあるんだから、ヒーリング・ミュージックって呼び方はどう考えても変だと思うけど。

 で、チーフタンズ。もはや結成40年にもなるジジイ集団をつかまえて、熱心かつ微細に紹介しようという酔狂な気力は、正直いってあまりない。けれど彼らが、単なるアイルランド・トラディッショナルの大御所みたいな感じでしかイメージされていないとしたら、これは勿体無い。あなたがもし、ポピュラー・ミュージックのリスナーで、しかもチーフタンズを聴いたことがない、その名も知らないとしたら、いまからでも遅くはない、ぜひ聴いたほうがいい。

 本書は、まったくもって地味な男たちの音楽人生箪だから、ファン以外の人にとっては、読み通すには少々根気が要るかもしれない。でも、日本と欧米の音楽文化の違いを知る手立てとしては、これほど格好の書物はない。ティン・ホイッスル片手に、同胞のヴァン・モリソン、シネイド・オコナーたちならまだしも、ザ・フーやらストーンズやらグレイトフル・デッドやらポール・マッカートニーやらイーグルスやらのメンバーたちとギグる、ジャムる。それをジョン・レノンやミック・ジャガーやエルトン・ジョンやマリアンヌ・フェイスフルらが観に来るなんて……(時制が滅茶苦茶で恐縮です)。

 なに、読み進むうちにこれは読んで良かったって思えるから。ちょいと賢くなったら、手始めに本書と同名のヴァンとの共演盤でも聴いてほしい。

(今村守之・フリーランスライター)

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ディープ・ブルーズ

2000/12/01 16:04

ディープ・ブルーズ

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 ブルーズ深南部への旅−−。本当は、帯にあるこの言葉だけで済ませたいと思う。決して薄くはない(400字詰原稿用紙にして約925枚)本書を読むと、まさにアメリカのディープ・サウスをゆったりと旅しているような気分になってくる。

 ミシシッピ・デルタ地帯、綿花農園の黒人小作人が生み出した音楽。それが、いかにしてブルーズとなったのか。ブルーズマンはどのような生活をしていたのか……。

 著者はアーカンソー州リトル・ロックに生まれ、10代前半から人種間の境界線を超えて、地元の黒人が集まる酒場や劇場にもぐりこみ、さらにバンドを組んで、南部各地の酒場で演奏したという異色の経歴を持つ。それだけに、類書にはない切り込みの深さと確かさがある。

 主人公マディ・ウォーターズをはじめ多くのブルーズマンたちの横顔、当時の風俗・社会・政治までを綿密な取材に基き活写した文章は、具体的で、資料的重要性もさることながら、著者自身のブルーズに対する愛情を余すところなく伝えている。

 本書は、1981年に出版されたオリジナルの全訳である。当初、日本語版は、92年に別の出版社から発売されたものの、絶版になったが、人気が高く、95年からは古本屋でも入手できない状態にあったという。ただ、早逝した全米屈指の音楽評論家が残した名著というだけでなく、全てのブルーズ・ファン、ロック・ファン必読の一冊といっていいだろう。
(今村守之・フリーランスライター)

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失われたレコードを求めてBritishalbumcoverartof50’sto80’s

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 アナログ・レコード(LP)が僕らの前から姿を消してしまったのは、もう随分と前のことだ。勿論、クラブでは今も“お皿”が基本だし、CDとレコードを同時発売するミュージシャンもいるが、リスナーの大半はCD、MDというデジタル媒体、あるいはネット通信にも頼るようになった。

 ヴィニール・ディスクの記憶容量は少ない。しかし肉声や楽器の発するアナログな手触りや味わいを深く刻む。また30センチ四方のジャケットに展開される絵や写真を中心とするデザイン空間は、今日のパッケージにはない面白さを伝えてくれた。“ジャケット買い”と称して、そのアルバムはおろかミュージシャンの存在すら知らなくても買うことができたのも、あの大きなジャケットがあったからこそである(ときには、ジャケットが欲しくて購入することもあっただろう。サンタナと横尾忠則の『ロータスの伝説』などは、音楽と美術が拮抗した良質なコラボレーションでもあった)。

 本書は、1950〜80年代の英国盤ジャケット600点をヴィジュアル・アートの視点で捉え、一冊にまとめたものだ。「ロンドンと田園」「古典と引用」「サイケデリック」「ヌード」…という具合にモチーフとイメージにより、またピンク・フロイド、レッド・ツェッペリン、さらに後年はユーミンも手がけたヒプノシスや、ビートルズ『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』、ストーンズ『ゼア・サタニック・マジェスティーズ』の撮影で知られるマイケル・クーパーなど重要な作家達の作品もほほ押さえられている。

 A4版150頁に渡って広がるジャケット・アートを楽しむと共に、そこに透けて見える寓意を読みとれば、胸に仕舞ったフェイヴァリット・ソングの数々がまた、新たな輝きと奥行きを醸し始めることは間違いない。企画本でありながら、企画を超えた内実をはらんだ良書、保存版として長く持てることを請け負う。

(今村守之・フリーランスライター)

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Fujirock1997-2001

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 今や英国のグラストンバレーや独逸のパレードといった欧州の有名フェスと較べても遜色ない規模と内容を誇るフジ・ロック。本書は、その五年間を総括したものだ。節目に表れる数頁の文章の他はすべて写真だから、早い話が写真集である。

 こういう足跡を振り返る場合、適当な単位は十年と心得ている。そうでないと、センチュリーの次に設けられたディケイドの意味がない(確かニール・ヤングの「過去への旅路」というサントラ盤にも、それが使われていたと記憶する。つまりディケイドは、過去を振り返る時間単位であるとともに、その時間域へ眼差しを向けるという動詞的なニュアンスも含む)。と、まず中途半端な区切りに注文をつけておく。しかし頁を繰って現場主義的に見ると、これは間違いではないと思い直した。

 第一回、富士天神山スキー場、動員三万人。レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、フー・ファイターズ、エイフェックス・トゥイン、ベック……。
 第二回、東京ベイサイドスクエア、動員六万七千人。ビョーク、エルヴィス・コステロ、ソニック・ユース、イギー・ポップ、ゴールディ……。
第三回、新潟県苗場スキー場、動員七万二千人。スティーヴィ・サラス、アンダーワールド、ブラー、ケミカル・ブラザーズ、ザ・ジョン・スペンサー・ブルーズ・エクスプロージョン、ZZトップ……。
第四回、苗場スキー場、動員六万一千人。フィッシュボーン、ランDMC、ロニ・サイズ・リプラゼント、ステレオラブ、トロージャンズ……。
第五回、苗場スキー場、動員七万九千人。オアシス、ニール・ヤング&クレイジー・ホース、パティ・スミス、エミネム、ブライアン・イーノ、ウィルコ・ジョンソン、ホットハウス・フラワーズ……。

 もちろん、日本の先鋭的なミュージシャンも多数参加。よくぞこれだけのメンバーが顔を揃えたと改めて驚く。誰が来る! 来ない……、と一喜一憂した時代が嘘のようだ。

 ライヴ、バックステージ、オーディエンス……。音とリズムと言葉が強烈なエナジーを発し、錯綜する中に身を置いて初めて共有できる”体験”がある。それらが率直に焼き付けられている。インタヴューした幾人かのミュージシャン、雨風に吹かれてかぶりつきで観た圧巻のパフォーマンス。パラパラとやっているだけであの日あの時が甦る。

 入場料の高さをはじめ問題は幾つもあろうが、ともあれフジ・ロックの果たす役割は大きい。この”魂の記録”を一区切りにして、さらに頑張ってくれ!

(今村守之・フリーランスライター)

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KISS黄金期キッスの全貌

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 評者は別段キッスのファンではない。ただ当時から、存在として面白いとは思っていた。良くも悪くも1970年代の名状し難いロックっぽさを体現したバンドだったからだ。その「全貌」なら読んでみる価値はあろう、と。果たして、読後感は予想をはるかに上回るものだった。

 初めは、いくら読んでも進まないのでもう一つピンとこなかった。アルバム紹介を除いても全330ページ、そのうえ1ページに1800字も詰まっている。あまりにタフなので、一瞬投げ出そうと思った。ところが、元ツアー・マネージャー(12年間!)たる著者の熱心な事実の暴露と考察にいつの間にか引き込まれ、最後は惜しみながら読了したほどだ。こと音楽本において、こういう経験はたやすく起こるものじゃない。

 乱暴にいうと、これはある人間たちをめぐる栄光と没落の物語であり、やや砕けば、この時代にしか生息し得なかったキワモノ・ロッカーが巻き起こしたイン&アウト・フィールドの記録である。彼らには、確かに世界を制した時間があった。当時の金で1ステージ3000万円を稼ぎ、舌の長いパット・シモンズなどは、公演ごとに美人グルーピーから当地の娘を根こそぎ食いまくり、さらに、あのシェールやダイアナ・ロスとも同棲していたと聞けば、その絶頂ぶりの一端が窺えるというものだろう(いまや、大女優の一角を占める大和撫子もホテル・オークラで餌食になった)。

 数年後、運命は逆転する。かつて自分たちの前座を務めていたバンドの前座を務めねばならない立場になってしまう。さあ、ここから、どのように脱退した仲間と邂逅し、再び表舞台に飛び出していったのか。

 昨年、再結成をもバラし、またまた充電期間に入ったが、ヤツらのこと、時を経
て、何かをやらかすのは目に見えている。単純なノスタルジアなら読んでお終いだけど、「現在」と繋がる線として読めば、興味もより増してくるだろう。

(今村守之・フリーランスライター)

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ブルース・スプリングスティーン

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 ブルース・スプリングスティーンはデビュー当時、「第2のディラン」と呼ばれた。その韻律を踏み外した、湧き出る思いを託したような歌い方が、若き日のディランを彷彿とさせたからだ。

 『アズベリー・パークからの挨拶』で見せた向日葵のごとき向日的なチューンと、『リヴァー』や『ネブラスカ』を覆った陰影に富んだチューンとの落差、すなわち幅の広さが魅力であるのはいうまでもないが、そこで歌われる言葉もまた独特の世界をもっている。

 建設現場や溶鉱炉で働く男、退役軍人、刑務所上がり…。一口にいえば、ワーキング・クラスのメンタリティを代表する眼差しなのだ。凍てつくようなインターステートを飛ばすトラックがたどり着く先に、とぼとぼと歩く道の向こうにハッピーエンドは待っていない。諦念の果てに、なお一筋の光を見出す瞬間。そここそを、ブルースは歌う。

 この本は、彼の歌を36編の物語として選び出し、それらを5つの括弧でくくる。いわく、「生気のない町」「異形の旅人」「殺人株式会社」「生きる理由」「生まれ故郷」。いわば、企画編集された詩集の趣である。

 それだけでも十分と思えるだけの濃度があるが、後に添えられた佐野元春、山田太一らのエッセイもなかなか読ませるし、巻末の「ブルース・スプリングスティーンとアメリカ」と題された略年表が、とてもオマケとは呼べない力の入ったものだ。直球あり、変化球ありで、打者(読者)としては、楽しく三振させられたという気がした。

(今村守之・フリーランスライター)

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クレイジー・ダイアモンド

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 シド・バレット。かのピンク・フロイドの創始者にして、『アーノルド・レイン』『シー・エミリー・プレイ』など一連の実験的傑作で初期フロイドを比類なき「ポップ・サイケデリア・バンド」に仕立て上げた人物である。メンバーはおろか、”カンタベリー派”の重鎮ソフト・マシーンやデヴィッド・ボウイほか数々のビッグネームに多大な影響を与えた天才である。

 だが、シドの実質的な活動はほんの数年にすぎなかった。フロイドが、いわゆる「プログレ」の文脈で語られるようになったとき、リードギターはすでにデイヴ・ギルモアに代わっていたから、当時のフロイドをリアルタイムに知る人はきわめて少ないはずだ。にもかかわらず、いまだにシドの存在は伝説と謎に包まれている。いや、逆説的にいうなら、彼のきらめくようなひと握りの楽曲を耳にしてしまった者にとってみれば、その不在ぶりが何とも気にかかるのだろう。

 加えて、この男は繊細すぎる性格とオーヴァー・ドーズからか極度の神経衰弱に陥り、グループを追放されてからは、2枚のソロ・アルバムを残して音楽活動もほぼ停止し、家族以外の人間とはほとんど会わなくなっていった。

 本書は、シドの少年時代から1960年代後半の栄光と狂気、そして英・ケンブリッジで隠遁者となって暮らす近年までを、大勢の証言をもって語り綴っている。

 これまでシド関連の書物はきわめて少なかった。アルバム再発を含め、シドへの関心が再び高まりつつある昨今だけに、このリリースはタイムリーだ。リユニオンしたフロイドは、ロジャー・ウォーターズを欠いている。しかし残る3人は、決してロジャーに『ウィッシュ・ユー・ワー・ヒア』とはいわないと思う。シドは彼らにとっても永遠なのだ。

(今村守之・フリーランスライター)

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クラフトワークロボット時代

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 クラフトワークを聴いたことがあるだろうか。一般には1970年代に活躍したドイツ・デュッセルドルフ出身の“電子バンド”で、かのYMOが広めたテクノ・ポップのオリジネイターとして知られている。

 本書の著者は、元クラフトワークのエレクトリック・パーカッショニストにして、現在、自身のプロジェクトYAMOで活動を続けるヴォルフガング・フリューア(セカンド・アルバムは今年中にリリースの予定)。

 全編を興味深く読んだ。本人が書いているからだ。
 バックデータをどれほど丹念に拾い集めたところで、そこからはおぼろげな像しか浮かび上がらないだろう。三人称では歪みや揺らぎを追い払う手立てがない。あるいは二人称で、著者の完全インタヴューという形式をとったとしても、やはり印象を交えた他者の言葉にすぎない。なにより一人称は、出てくる話の密度や奔放さがまるで違う。

 たとえば、アフリカ・バンバータのシングル『プラネット・ロック』にクラフトワークの楽曲2曲が無断借用されたことについて、「私はこの男を『アフリカ・ダマシ』と名付けたいくらいだ」と書く。1981年の日本公演を、「腹が立ったのは、警備員がステージを取り囲んでいたことである。(中略)私たちがファンに近づけたのはホテルのベッドでだけだった」と述懐する。

 99年、デュッセルドルフの朝を、「私は弛むことなく勃起し、それは人が涎を垂らしながらアルミ箔をはぎ取るつやつやしたチョコレートのようにパリッとしている。「ぼくの陰茎って何て綺麗なんだろう」と自己溺愛の気持ちを抱きながらその張りを見つめるが、この美味しそうな露な姿はもう消えてしまう」と描く。

 いや、それくらいパーソナルな記述が随所に見られるということを言いたかったわけで。自伝とはいえ、スター・ミュージシャンがここまで書くのは珍しい、と。まして、知的イメージで売ったクラフトワーク。その落差が面白い。 もちろん、音楽とバンドの話もいっぱい出てくるのでご安心を。
                                      
(今村守之・フリーランスライター)

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ビートルズのここを聴け

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 ミュージシャンにまつわる各種各様の資料・伝記を読むのが、好きだ。そこに描かれた事実や情報を知る楽しみも、勿論小さくはないが、それ以上に場所や時代によって、あるいは著者の性格や、主人公との関係性などによって、視線の注ぎ込まれようがまるで違うところが面白いのだ。

 ところが、ただ冊数が多ければいいかというと、そうではない。多彩な入射角を持つからこそ、プリズムは発色し、光の像を結ぶ。つまり、聴き手が、そのミュージシャンからどれほど深く、広い想像力を得られたかどうか、が分かれ目となる。

 ビートルズは聴き手に、おそらく最も重層的な視点を与え得たミュージシャンである(その意味では、ボブ・ディランもマイルス・デイヴィスも誰もかなわないだろう)。いわゆる「ビートルズ本」が圧倒的な量を誇るのは、編集者の算盤勘定などというケチなものじゃない(そういう駄本もなくはないが……)。

 本書はあまたある「ビー本」からすると、かなり異色、いや異端異形といっても差し支えないようだ。「リヴァプールとニューオリンズをむすぶ、新・ビートルズ学」なる副題のもとに、実に四百字詰原稿用紙にして実に千数百枚分のテキストがギッシリ、ズッシリ。全四章のなかに、「レノン/マッカートニー・ソングスは、亡き“MOTHR MARY/JULIA”へのトリビュートから始まっている」など二つのメイン・テーマを据え、濃密な情報と個性的な考察をこれでもかといわんばかりにブチ込んでいる。その読みでのあったことといったら! 

 けど、苦言を一つ。文章をもう少し簡潔にしてほしい。全体に句点から句点が遠くて、内容が頭に入りにくい。活字も小さいしね。労作だけに、そこが惜しかった。 

(今村守之・フリーランスライター)

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ベック

2001/06/05 19:28

ベック

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 日本のポップ・リスナーにおいて、べックは、世代の分水嶺的存在といってもよい。ある年代以上は、べックといえば、かつてエリック・クラプトン、ジミー・ペイジと共に“三大ギタリスト”と呼ばれた元ヤードバーズのジェフ・べックを思い浮かべ、「X世代」の当事者たる1970年生まれあたりから、ジェフ抜きのべックにすり替わるのだ。

 80年代はプリンスの時代であった、といわれる。そういう言説に倣えば、90年代はオアシスでもブラーでもニルヴァーナでも、ましてテクノ/トランスのORBでもヒップホップのニュースクーラーでもなく、べックの時代であっただろう。なぜなら、優れたトレンド・セッターやコンセプト・メイカー、いわんやアーティストは数多く登場したが、ポップスのジャンルを軽々と越境し、パラダイム・チェンジを促したのは、おそらく彼を措いていない。しかも源流を破壊するどころか、手元に手繰り寄せて、綺羅星のような音楽をほぼ一人で創り出したのである。

 本書は、LAのエスニックタウンで生まれ育った貧乏な少年時代から、時給4ドルのバイトをしながら、小さなライヴハウスで演奏をしていた頃を描いている。もちろん、94年のメジャーアルバムデヴュー、96年、ダスト・ブラザーズと組んだ傑作『オディレイ』など様々なサウンドプロダクションやツアー、キャンパスライヴでの反応なども、(おもに各紙誌でこれまでに行ったインタヴューをモンタージュし)盛り沢山だ。

 音楽はあらゆる物から成っている。
 そのことを音楽と自らの言葉で、“ポップス界のフルクサス”たるべックが明らかにしてくれる。

(今村守之・フリーランスライター)

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だから私はブルースを歌う

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 あらゆるポップミュージックは、ブルースなくして生まれ得なかったといってもいいだろう。デューク・エリントンもマイルス・デイヴィスもエルヴィス・プレスリーもローリング・ストーンズもボブ・ディランも、時代や形態こそ異なれど、ルーツはブルースだ。
 B.B.キングは、最も名を知られたブルースマンの一人である。ブルースに新しさを取り入れ、一般に広めたという意味で、おそらく右に出る者はない。半世紀のキャリアを持ちながらU2と共演し、「セサミ・ストリート」にギブソン335を抱えて出演するブルースマンが他にいるだろうか。百万長者となり、名誉博士号、名誉勲章、グラミー賞、ホールズ・オブ・フェイムなど数々の栄誉も受けた。

 だが、それだけの成功を収めたにもかかわらず、B.B.に対するリスペクトやインスパイアの声は意外にも小さい。先達のロバート・ジョンソンやサニーボーイ・ウィリアムスンやマディ・ウォーターズへのそれとは比べるべくもない。

 本書は、奴隷の末裔としてミシシッピの綿花小作人の家に生まれ育った頃から、齢75歳になる現在までを連綿と書き綴ったものだ。自伝記者デヴィッド・リッツは膨大な数のツアーに同行し、楽屋、あるいは旅のさなかで取材を重ねた(B.B.はいまも年間300本以上!のライヴをこなすという)。

 一口にいうと“正直爺さん”の生涯の独白である。米・深南部における黒人差別と戦いながらミュージシャンとして育っていく日々は、映画「スタンド・バイ・ミー」のようだし、私生活、わけても「性」については、かくもスターがこれほど明け透けにしてもいいのか、と思えるほど赤裸々な言葉が登場する。とにかく音楽以外は、ほとんど女とヤルことしか考えていない(15人の女性に15人の子供を産ませた!)。その面白さたるや、特にブルース・ファンでなくとも無類である。

 B.B.を誤解していたようだ。なんといっても、素直に気持ちを表わす、欲情したら「ベイビー、俺のナマズを試してみないか?」と歌うのがブルースの原点。音楽以前に、彼の存在自体がブルースだったのだ。

 よくぞ語ってくれた、と最後のブルースマンB.B.に感謝したい。

(今村守之・フリーランスライター)

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キューバ音楽

2001/06/04 17:27

キューバ音楽

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 筆者は八木啓代に2度会ったことがある。最初は某誌でのインタヴュー。
そして、2度目は新宿ゴールデン街。ある店で、編集者と止まり木で呑んでいると、偶然隣りに腰かけてきたのだ。中南米の音楽や情勢、彼女の現地における生活などの話を聞いた。

 面白く、欲張りな人である。
 日本のラテンジャズ・バンド「HAVATAMPA」のリード・ヴォーカルを務め、中南米でソロ歌手として活躍、現地でCDをリリースするほどのキャリア・ミュージシャンでありながら、本を書くことにも余念がない。
 本書は、同じくHAVATAMPAのキーマンとして、また、ジャズ、ラテン音楽についての著作をもつ吉田憲司を加えた、いわば二人のキューバ通によるものだ。

 『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』のブレイクがもたらした、キューバへの熱い視線。ところがその内実は、『ブエナ・ビスタ〜』関連書や紀行文、あるいはキューバ文化の案内書が大半で、キューバ音楽自体を取り上げた書籍はほとんど見当たらない。

 この本の最大の手柄(というか、出版の動機でもあるが)は、キューバ音楽の歴史、サルサとの違い、さらには、キューバ音楽の理論などを、五線譜や軽快なコラムを交えて、わかりやすく解明してくれているところだ。巻末には、クラーベを中心とする理解と実践(基本と応用)、さらには、参考譜例(代表的なリズムの種類とリズム・パターン)も付く。

 あくまでも音楽が主役だが、その成り立ちに応じて、さまざまな知識を適度に得られるのも読者にはありがたい。

(今村守之・フリーランスライター)

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オン・ザ・ロード,アゲイン

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 『オン・ザ・ロード(路上)』。アレン・ギンズバーグ『ハウル(吠える)』とともに、ビート世代のマニフェストとして知られるジャック・ケルアックの代表作である。

“路上”とは自らの足元から繋がる無限の風景、そのなかで連続する時間、また、人との出会いや別れ、それらがもたらす感情など、孤独な環境に身を置く人間の内外に起こるすべてを表わすものだ。

 この道を、ケルアックに始まる放浪の系譜を、これまでどれだけの人々が辿ったというのだろう。
 ボブ・ディラン、ウィリー・ネルソン、あるいは写真家のロバート・フランク、映画監督のジム・ジャームッシュ…。いや、われらと同じく平凡なグラスルーツこそが、あてのないルートをさまよったのに違いない。

 先の二人は本書と同名の歌をそれぞれ歌った。その意味では彼らも、紛れない“ビートの子供たち”である。

 著者は、1997〜98年の2年間にアメリカ西海岸を巡った。
 目次にはヘンプ(大麻)、ビート、ヒッピー、アシッド、ソーラー、メリー・プランクスターズ、ロック、ジョン・レノン、リサイクル、グレイトフル・デッド…。60年代に端を発し、いまもなおオルタナティヴ・ウェイを突っ走るものから、時代の徒花として枯れ果てたかのように映る事象・人物まで、著者は“神話と伝説の掘削者”の手つきを交えつつ取材している。

 しかし、たとえ神話化され、伝説化されていても、それらのいくらかは熟成と発酵を経て、いまだに途轍もないグルーヴを発散する。その現場に立ち会った歓喜と興奮、そして考察と主張。これまで、ありそうでなかった本だ。

 誰もが興味をひく内容ではないかもしれない。その代わり、60年代から脈々と連なってきた確信的なレーンをのぞこうとする者にとっては、またとない一冊。豊富な写真群も臨場感が高い。
 1960年代生まれという周回遅れのランナーだからこそ記し得たものが、きっとある。

(今村守之・フリーランスライター)

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誰がジョン・レノンを殺したか?

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 表題に関する直接的な解答なら、特に、ジョン・レノンやビートルズのファンでなくとも知っていても不思議じゃない。合衆国深南部出身で、看護士の経験を持つマーク・デイヴィッド・チャップマンという25歳の男が現行犯逮捕されたことは、当時、あらゆるメディアが伝えたからだ。

 1980年12月8日。マンハッタンの自宅前で、ジョンが、チャーター社の「アンダーカヴァー・38スペシャル」の凶弾に倒れたことを、僕はしばらく知らなかった。彼の最後のアルバム『スターティング・オーヴァー』はすでに聴いていた。けれども、そのときは同じ国(ハワイ)にいながら、帰国して訃報に接するというトンマを演じた。

 本筋に戻る。
 ジョンが、CIAから目を付けられていたのは有名な話だ。そこでクローズアップされるのが、「ヒューマン・ガン(人間銃)」の存在。ヤクザの世界の鉄砲玉とほぼ同義だろう。つまり、背後の誰かがチャップマンに銃撃させたのではないかという疑問であり、著者は、そこを中心に本書を展開する。

 たとえば殺害犯を、J.D.サリンジャーの名作『ライ麦畑でつかまえて』の16歳の主人公、ホールデン・コールフィールドになぞらえる(この場合、ジョンはイカサマ野郎だ)というような珍妙な仮説は当時からいくらもあった。これを主張した担当弁護士が、もしある権力と結びついていたら……(いくら、ジョン・デヴィッド・サリンジャーだからって、ねぇ)。何もわからなくなる。

 著者は弁護士にして、犯罪に関するジャーナリストで、中国人の秘密結社やミステリ作家ジョルジュ・シムノンの生涯に関する著作なども刊行している。謎解きには、まさにうってつけの人物だ。
昨秋、「懲役20年から終身」の判決に基づきチャップマンは仮釈放を申請したが、ヨーコ・オノはこれに反対を表明、数日後に却下された。20年経ったとはいえ、ミュージシャンが暗殺されるという前代未聞の事件の幕はいまも下りていない。

 大冊540ページ。ノンフィクションとしても面白く読めるだろう。 

(今村守之・フリーランスライター)

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歌が時代を変えた10年/ボブ・ディランの60年代

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 本書を手に取って、やや大上段に振り被った題名だと思った。歌が時代を変える、だって?! 日本では、宇多田や浜崎が何百万というアルバムセールスをいとも簡単に(内幕はすさまじいけど)記録した。GLAYがワンマンで10万人を動員、なんてこともあった。

 そういう欧米の著名アーティストにも引けを取らないメガトン級の数字が、若い世代の”現場”の空気感を変え、ひいては群像や社会そのものへも影響を与えていることは事実だろう(それらの集積として、新興のレコード会社が最大手となり、株式市況を賑わすなどの諸現象を含めて)。

 だが、それでも、と思う。1960年代の米国西海岸を中心に巻き起こった一連のムーヴメントと本邦のそれとは、時間差や民族性を差し引いても、まったく異なる。まして、歌は本質的に時代を変え得るのだろうか、と。

 ボブ・ディランが62年にアルバムデビューを果たし、異色とも言える『ナッシュヴィル・スカイライン』で60年代の幕を閉じるまでに、リリースしたアルバムは10作。この本の「章」も10。つまり、アルバム名をそのまま章立てとして、この期間の自作曲全曲について、その内容と個人的および社会的背景について考察し、解説を重ねたものである。

 それぞれに関わった音楽界の人々、そして、ジャケット写真に登場したかつての恋人や、やはり元恋人で盟友のジョーン・バエズ、さらには、公民権運動前後の”激動期”におけるディランの姿勢なども、かなり具体的に描かれている。

 いいことも、わるいことも。

 ただ、賛美するだけでなく、「人間ディラン」を炙り出そうとした著者の意図は成功しているのではないか。
                   
(今村守之・フリーランスライター)

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