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  3. 近藤富枝さんのレビュー一覧

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先月(2017年5月)

近藤富枝さんのレビュー一覧

投稿者:近藤富枝

94 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本香千載 香が語る日本文化史

2001/05/09 18:16

現代人のオアシス香道を知るチャンスを見逃さずに読もう

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 香の世界は日本文化のなかでハイソサエティのものとして庶民はふれる機会がほとんどなく、私などは切歯扼腕(せっしやくわん)していたものである。香席に一度連なりたいと思っても、一市井人の身では手づるがなかった。
 幸いにある日香席に招待され、聞香を経験し、一人前の教養人になったようで得意であった。これは日本文化に関心のある人なら、一度はぜひ香席に出席してほしいと思う。いろいろ面倒なことはさておき、香を聞く無我の境地はこの世の極楽である。憂き世を忘れることうけあいである。

 本書は香の歴史を時代ごとにとらえ、香木の話、製法、香席の作法から、さまざまの道具、をビジュアルに解説した美しい本である。香に趣味のない人も一冊は机上において、頭の疲れたときの慰めにするのがよい。同時に香を一本焚てると、一層効果的だろう。

 上流のものであった香が、江戸時代になると庶民まで知識を持つようになった理由が面白い。歌舞伎がその仲介者だという。「伽羅先代萩」(めいぼくせんだいはぎ)「本朝廿四考」「助六由縁江戸桜」(すけろくゆかりのえどざくら)などの舞台面で香を焚く場面があったりしたからであるという。
 香道具の蒔絵のみごとさには今更ながら目をみはる。大名の嫁入り道具は特に豪華で、これが彼らのステータスを示すものであったという。徳川二代将軍秀忠の五女和子(まさこ)姫が後水尾帝に入内のときは、父将軍の命で、一番高い予算をつけた者へ落札させたという話が残っている。日本の工芸がこうして保護されて後世に残ったので、香道の使命も大きいといわなければなるまい。

 この一冊で香道を知ると、香席への憧れが生れるだろう。初めて出席するときは大へんである。何でもいいから隣りの人の真似をせよと教えてくれた人もあったが、やっぱり本書の「香席」「香席のマナー」を読むのが一番である。
 どんな服装をすればいいか。指輪はつけていいのか。遅刻する羽目になったらどうしたらよいか。むろん香の聞き方、持物の注意、etc、みんな書いてある。

 「源氏香」についてもこの際正確な知識を持ちたい。寛永文化から生れたものだそうだが、宮廷サロンの生んだ高級遊戯であるだけでなく、組香の図柄がいつのまにか一人歩きして、きものや工芸品のデザインとして利用され、長年にわたり人びとに愛されているのが面白い。
 一時映画に匂いをつけるという話題がさわがれたことがあった。しかし当分そんな事態にはなるまい。香の世界だけはマスプロとは無縁である。近代人の個の楽しみ方としてこれほど純粋なものはないだろう。

 香席へはなかなか行けないが、腰に匂い袋を提げたり、スティック香を楽しんだり、私も香の大ファンである。 (bk1ブックナビゲーター:近藤富枝 2001.05.10)

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自由主義者西村伊作のデモクラチックでユニークな住居、彼の建築家としての功績を解明する

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 去年の夏、軽井沢で文化学院の催した展覧会で、西村伊作設計の自邸のミニチュアがあり、その楽しさにびっくりした。伊作設計の家具や絵も展示されていて、彼の多才ぶりに驚いたのであった。実はそれまで伊作を、大逆事件で刑死した大石誠之助の甥で、富豪の跡とりであり、文化学院を創立した自由主義者という程度しか知らなかったからである。

 本書は、伊作が明治の末から大正期にかけて果したユニークで啓蒙的であった建築家の面をわかり易く語っているので、目を洗われたような気がした。

 日本の家屋は江戸時代の客室中心の設計を当時守っていたのを、家族中心に改め、またアメリカ式バンガローをとりいれたものを伊作は提唱したのだ。玄関がなく、ベランダから直接リビングに入る。リビングは居間兼応接間、食堂や台所も兼ねた大きなへやで、他に一間か二間の寝室がある。大体平屋で無駄な装飾がない─—といったのがバンガロー住宅だという。
 もともとこの方式は日本住宅の開放的な面を学んでいるというのも面白い観察である。また明治初期の固くるしいヨーロッパ渡りの西洋建築の雅致のなさを伊作は批判している。
 本書はそうした伊作の住家に対する意見や実作についてくわしくしらべているので、日本建築史への貢献にもなる研究であろう。自邸はもとより、作家の佐藤春夫邸をはじめ今も現存する伊作設計の家があるので、それを細かく眺めることで大正デモクラシー時代の、妻や子供たち家族待遇の精神を改めて知ることになるだろう。奈良にある大正時代の志賀直哉の旧居でもそれを感じていたが、直哉もまた伊作の著書の影響を受けた一人ではあるまいか。

 伊作の生涯にも当然筆が及んでいて、ことに第二次世界大戦中にとった彼の反体制の姿勢は立派だった。文化学院では軍事訓練をせず、外国語の時間も廃さず、ついに不敬の文章ありといわれて六ヵ月も拘置所にいたのである。 (bk1ブックナビゲーター:近藤富枝/作家 2001.12.08)

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紙の本辻まことの思い出

2001/10/22 22:15

空前絶後!辻まことの類稀な生涯を知ろう。彼は地球人に扮していた男なのだから。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 昔『図書新聞』に毎号載っている三浦一郎の「閑人帖」という囲みがステキに面白かった。それも面白いが辻まことのカットがまた奇想天外で、新聞の発行日を首を長くして待っていた覚えがある。
 おまけに辻まことは辻潤の息子である。ということは伊藤野枝を母とするわけだ。関東大震災の折に母と運命を共にして虐殺されていたかもしれないひとであった。
 どうも辻潤の天才的なところをすっかりもらったのが辻まことらしい。

「辻一(まこと)はすばらしい詩文家であるとともに他方生れながら画才に恵まれていた。その上むささび撃ちの名人で、ギターを手にすれば天下絶品」
 と著者は書いている。それ以外にも山スキーの名手で何を手がけても天稟(てんりん)のありすぎた人であったという。が生涯彼は定職を持たず、その代り本書の著者宇佐美英治や矢内原伊作、串田孫一など大ぜいのすばらしい友人にかこまれていた。

 著者の辻への傾倒ぶりはものすごい。この本の中心は辻の没後三年目に刊行されたという著者の書いた「辻まことの世界」の再録である。著者はこの本でありとあらゆる言葉を彼にささげて讃美した。
「類稀れなる人、辻まこと以前にも以後にも決して現われてこないような人であった」
 とか、辻の著『虫類図譜』に対しては
「研ぎすまされた高い知性と稀な醒覚によって現代のフヤけた文明に巣喰う観念虫を別出検索したものだ」
 などと書く。

 読者は一頁ごとに著者の辻熱に同化され、いつか辻ファンの一人になり、ついには辻の文章や絵がむやみやたらに見たくなる。私もむろんその一人で、たしか『辻まことの世界』があったはずと書庫をさがしたが無念にも見当らなかった。
「彼は地球人に扮していたのではないか」
 と言った人もいる。そんなすばらしい人物に一度も逢わなかったことをくやしく思う本である。 (bk1ブックナビゲーター:近藤富枝/作家 2001.10.23)

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東京の戦争

2001/10/01 18:15

戦中戦後を生きる少年の反骨とプライド

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「戦争は六十年近い過去のものとなったが、きらびやかに彩られた茜色の空のように私の胸に残っている。その色が年を追うにつれて濃さを増し、それならばという思いで筆をとった」
 と「あとがき」で著者は述べている。同時代に生きた我々は、同感の思いでいっぱいである。

 戦中、戦後の姿を東京人の著者が描いているのだが、我々市民の生活は戦後の方が一層苦しかったし、国民の品位の下落も激しかった。少年から青年に移る時期の著者が、激動の時代を「見るべきものは見つ」という思いですごしたことがよくわかる文章である。しかもりんとした東京人の反骨とプライドがあり、後年作家を志す著者の若き日が納得(なっとく)できよう。
 三月十日の空襲にさまざまの死体を眺めた果、死に対する感覚が失しなわれてしまう。そして一日も早くわが家が空襲で焼けて欲しいという奇妙な願いを持つように十八歳の日の著者はなった——。
 実はこれは当時の東京住いの者のほとんどが抱いた思いで奇妙でも何でもなかった。しかし現代人が聞いたら奇妙だろう。こうしたことを考えてしまう異常な生活が戦時というものだった、ということを知ってほしい。この本のポイントである。
 私も著者と同じように初空襲から敗戦の日まで残らず空襲を体験している。家を焼かれたのも同じく昭和二十年四月十三日である。

 そのころ金魚をおがむと爆弾で死ぬことはないという風説がながれたという。池のある著者の家には金魚をもらいにくる老女もいて、空襲がこわく藁でもつかみたくなる心理がいじらしい。
 また空襲の夜、寝巻姿の老女が道を這っているのを著者が助ける。
 「残されまして、残されまして」
 と老女が繰返して言う。病床にいて家族に置き去りにされたらしい。
 その他著者自身が機銃掃射された経験などさまざまのエピソードが語られるが、そのどれもが現代の視点からいうとあってはならないことなのである。戦争を知らない世代の人ならまさに鳥肌たって読む文章なのだ。がそうしたことを、著者は力まず、むしろ淡々と語っている。

 旧制中学生の彼が、空襲前のころには寄席通いをせっせとしていたのは見事だった。歌舞伎や新派にも通い、新劇の舞台も見ている。浅草の六区も軽演劇や映画を観に出かけたというのだからあっぱれという他はない。当時は中学生や女学生は大っぴらには出入りできない場所だったからである。そうした切ない楽しみをすべて奪う戦争のむごさが読者に伝わる。

 戦後体験のなかで「進駐軍」の章は特に読んでほしい文章である。敗戦の民の抱いた屈辱がよくわかるだろう。
 巻末に「私の『戦争』年譜」がつけられてあるのがわかりやすい。 (bk1ブックナビゲーター:近藤富枝/作家 2001.10.02)

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御庭番の明治維新

2001/07/13 22:15

のんびり江戸っ子お庭番にふりかかってきた動乱の時代を斬る

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 明治維新という言葉を聞くと、私には特殊反応がある。敗戦の折にであった東京の動乱のなかで自身に訪れた挫折と、ひしがれたプライドと、敗者の哀しみと、そのすべてを思い出してしまうのである。
 従って明治維新のときの幕臣の姿、彼等の妻や娘たちの運命などに同情と共感がわき、彼らは私の親戚だと思うくせがある。

 本書は御庭番の体験した明治維新というので読む前から興味がわいた。第一御庭番という役目についてもあまり知識がないので、どんな内容なのか想像がつかないのがよい。
 果して想像外のお庭番が主人公だった。徳川将軍直々に放つスパイだから、大名に対し佐幕か勤王かドッチにつくのかさぐるお話かと思ったらちがった。

 「御庭番はそうした本務以外に、おのおの表向きの役職についていて、主人公である 閑斎(かんさい)もかつては新潟奉行にまで登用されていた人物である。」隠居のくせに二十五人もの使用人に囲まれている果報人(かほうじん)で、どうもスパイという暗い印象ではない。おっとりムードの結構人、家庭円満、妻は賢夫人、子孫繁栄のいうことなしの人たちに維新がやってくる……というお話。

 大政奉還した徳川慶喜が恭順の意を現わすために江戸にいる二万数千人の徳川直臣たちが月代(さかやき)を剃らずにいたという話ははじめて本書で知った。約三ヵ月後に禁令が解ける。どれだけの人が守ったのか知らないが、ずいぶんユーモラスな話である。

 著者曰く、
 「かならずしも江戸時代は庶民に酷な時代ではなかった。ごく幼いころから激しい能力競争を強いられて、のんびりと暮らすことなど許されない現代のほうが、よっぽど酷な時代ではなかろうか」
 と。また、日常の折の御直参(幕臣)の江戸弁は、中位の商人と大して違いはなく、御家人たちの遣う「べらんめえ言葉」は大工、左官などの職人言葉と似通っているそうである。江戸ファンにとってはこうした著者のさりげない発見が砂の中から拾う桜貝のような感じで楽しい。

 全篇江戸小説ではあるが七つの短篇から成り立っている。そのうち本のタイトルでもある「御庭番の明治維新」をはじめ三篇がお庭番を主人公にした作品である。
 このなかのお庭番の一人は紙屑拾いに変装して、収賄の疑いのある重職の屋敷を見張っていた。そこへ嫁と孫が通りかかり、
 「あっ。おじいちゃま」
 と孫が見破り、嫁が逃げる舅を捕えて、
 「お城の近くで紙屑拾いの真似をなさるなんておやめくださりませ」
 と泣き声を出すのだ。
 さむらいの家の嫁ともあろう者が、お務めに大事を考えない人間的な行動をするが、これが江戸の真実に近いと著者が机を叩いて言いたいところなのである。 (bk1ブックナビゲーター:近藤富枝/作家 2001.07.14)

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日本の民族学の父と言われる渋沢敬三とその仲間たちの功績に、改めて脱帽。

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 学術研究といっても、最初は一握りの個人的な努力で始まっていることはめずらしくない。当初はまともな学問とは認知されずに、傍流に甘んじていたような学問であればなおさらである。日本の民族学も、渋沢敬三という個人が銀行勤めのかたわらに続けた研究がその元となっているのだ。

 本書は、「くらしの博物誌」という題名だけれど、サブタイトルにもあるとおり、民族学の父と言われる渋沢敬三とその仲間たちの功績を、多くの写真とともに紹介する本でもある。

 渋沢敬三は、日本経済界の生みの親といわれる渋沢栄一の孫にあたる人だ。敬三は、栄一が清水喜助(清水建設の始祖)に依頼して建てた深川の和風建築(後に港区三田に移築)に洋風な部分を増築して住んでいた。その物置の屋根裏部屋を発祥とするのが「アチック・ミューゼアム」なのである。

 アチック(attic)とは、「屋根裏部屋」という意味と同時に「古典的な」という意味もあるようだから、2つの意味を掛けていたのかも知れない。
 まだ大学生だった敬三と10人程度の仲間たちは、その屋根裏部屋に集まり郷土玩具の収集を系統的に行うことを画策する。敬三は後に日銀総裁や大蔵大臣を歴任する人物だから、本業の方だけでもずいぶん多忙だったと思う。そのうえ土日には研究の旅に出てしまうのが常だったというのだから、家庭生活は多少なりとも犠牲になっていたことは想像に難くない。

 この屋根裏クラブともいうべきグループが収集したコレクションが「アチック・ミューゼアム」と言われるまでになり、それが日本民族学協会附属民族学博物館に引き継がれた。これがやがて万博跡地に創設された国立民族学博物館(みんぱく)にも受け継がれることになる。敬三らは日本全国を歩き回って、竹や藁で編まれた民具を集めている。中には寄贈によるモノもある。圧巻は瞽女が集めた足半(あしなか)である。かたちも製法も異なると思われる足半が無数に収集されている。

 本書は、大阪みんぱくの企画展の図録も兼ねているので、どのページにも各地のさまざまな民具が沢山並んでいて、目くるめく思いがする。それでもあとがきに、
「渋沢敬三とアチック・ミューゼアムの全容をとらえることは容易ではない。展覧会を企画し、本書を編集する過程で、私は改めて敬三という人のスケールの大きさを痛感した。」
 とある。その通りだと思う。

 敬三は生涯にこの研究に私財十億をそそぎこんだと言っている。昭和三十八年頃の十億である。スゴイと思う。若い学者を援助し、ひたすら知られざる常民のナマの歴史に光を当てることに情熱をそそいだ。その紙碑としてぜひ一読をすすめたい本である。 (bk1ブックナビゲーター:近藤富枝/作家 2001.04.10)

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元禄のスーパーレディの語るみごとなライフスタイル。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 江戸時代の女性は文学的な業績についてほとんど見るべきものがなく、その生活や意識などについての資料や研究にも乏しい。まして上流深窓の奥方や姫君となると、想像をたくましくする以外に実像をさぐる方法がなかった。
 本書はその空隙を埋める待望の一冊である。无上(むじょう)法院とは第一〇八代後水尾天皇の第十六皇女で品宮(しなのみや)常子内親王のことで、近衛基煕(もとひろ)の正室であった女性である。

 二十二歳で近衛家に嫁いでからのちの三十四年間の日記なのであるが、父院の寵愛の深い彼女は毎日のように宮廷に出入りして教養の高い父の影響を受け、また名家近衛家の北政所としての責務を果し、著者の言葉によるとその晩年は「元禄のスーパーレディ」と呼ぶのにふさわしいという。夫は関白にまでのぼり、同腹の兄が霊元天皇で、長女は甲府宰相徳川綱豊夫人となった天英院煕子(ひろこ)で、のち夫は六代将軍になった。また長男の家煕も人物で、家庭的に実に幸福な女性であった。

 そういう上流の女性が好奇心に富み、世話好きで、楽天的な性格であることに著者は新鮮な驚ろきを述べている。私も同感でしかも最上流の人たちというのは家族の情も薄く、それぞれの殻に閉じこもって兄弟の交りもないと想像していたのに、品宮の周囲は親子、夫婦、兄弟が深い想いであたたかい関係を作っているのに感動した。
 後水尾という帝王は寛永文化の頂きにある人で、その人間性の深さが語られているのもこの書の収穫である。また、
 「禁中へ法皇御幸にて我身も参る。今日より源氏の御講釈はじまる。先づ桐壺を四五枚程あそばさるる」
 とあり、法皇が『源氏』の講義もされた記述も貴重だ。

 夫は霊元天皇と仲が悪く、そのため出世も遅れるが、関白になってからの晩年には宮廷行事をさぼりながら、我が家で料理をして家族にふるまったりすることが日記に出てくる。基煕は趣味が広かったが料理までやったのである。
 造園に夢中だったのが家煕で、当時の貴族たちは「モノマニア」的な傾向があり、あるときは天皇はじめくじ引きに夢中だった。操り人形にこったり、揚弓に熱中したりした時もあったという。

 品宮は細工が得意で、裁縫も巧く、夫の直衣や指貫を指図して染めている。琴もよくし、ガーデニングも好きだった。物見は欠かさず、ことに桜と紅葉はその時季になると毎年あちこちを眺めにいき、あくことがなかった人である。時世粧(ときの流行)にも目をとどめ、そのくせ経済観念もたっぷり持っていた。

 あまりに面白くて私は一気にこの本を読んでしまった。今のこの苦しい世相に、品宮常子のような明るい思いでいたら女性たちは救くわれるのではないかと思う。彼女は縁談の世話や官女たちの周旋もよくし、少女を預かって躾ることも行なっている。とても善意であふれた女性だった。当時の宮廷が隣家の人たちのように感じられるのは何とも楽しい。 (bk1ブックナビゲーター:近藤富枝/作家 2001.02.15)

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岡倉天心アルバム

2001/01/19 15:15

天才岡倉天心世界人岡倉天心のすべてを知るアルバム今こそ彼の大きさを知ろう。

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 文久二年生れの岡倉天心にこれほど多くの写真が残されていることは驚きである。写真が好きであり、パフォーマンスを演じることの多かった彼なので、一葉一葉が物語を持っていて眺めても眺めてもあきない。大体その服装は何だろうか。百年前の当時としても異装と思える道士風で何枚もカメラに収まっている。彼が校長をしたころの美術学校の制服も面白い。先生も学生も奈良朝風の冠帽と欠腋(けつてき)の袍を着ている。天心がそういう姿で馬で通勤しているスナップがある。美術家だから大層おしゃれで、外国にいっても堂々と和服を着ている自信満々の顔が面白い。ことに隠者(いんじゃ)が身につけるドテラのようなものを羽織ってボストン美術館の中庭で微笑している姿は圧巻である。いつも渋面の彼が微笑している写真はこれ一枚しかないという。

 本書は天心のアルバムではあるが、天心の姿形だけでなく、天心の事業や、天心の思想や、天心の心や、天心の恋をも総轄(そうかつ)した厚みのあるアルバムである。

 そもそも岡倉天心とは何者であろう。十七歳で結婚し、十八歳で東京大学文学部を卒業。彼はその第一期生である。文部省に勤め、美術行政を受け持ち、二十八歳で東京美術学校の校長だった。横山大観、菱田春草など多くの日本画家を育て、野に下って日本美術院を創設、とにかく嵐のような男だった。さらにアメリカ、ヨーロッパ、清国、インド等、世界を歩いて日本美術を拡め、五十歳で死んでしまった。明治でなければ生れなかった大器、早熟の天才であり、わずか五十年の生涯でしたことの大きさ、深さがしっかり伝わってくるアルバムの構成である。

 一つには天心の学説はもちろん周囲の友人、学者、門下の日本画家たちの写真もたっぷりのせてあるので読者にわかり易くなっている。さらに時代の雰囲気を伝える工夫もよくされていて、『風俗画報』から転載された「美術学校教室の図」が面白い。岡倉の「日本美術史ノート」と岡倉の講義を筆記した学生のノートが並んでいるのも興味深い。

 仕事におわれ、外国歩きに多くの時間を使い、ことに晩年はボストン美術館勤務のために日本とアメリカを往ったり来たりしている忙しさのなかで、九鬼隆一夫人初子と灼熱の恋を交し、インドの女流詩人とも愛を語らう。本書は彼のそうした面も、庶子のあることまでも洩れなくアルバム化しているので、この本一冊で天心のすべてについての知識を得ることができる。

 天心というのは大変わかりにくい人物である。彼の考えていたことは洋化の波に敗退し、生前は充分な成果を日本で得ることはできなかった。当時はむしろボストンやヨーロッパで彼の理論は受け入れられていたようである。没後の月日も日本での評価は時により変動したが、現代になって理解者がふえつつある。本書がそうした流れに一層力を貸すにちがいない。 (bk1ブックナビゲーター:近藤富枝/作家 2001.01.22)

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紙の本大正天皇

2000/11/30 21:16

人間として生きようとした若き天皇の悲劇。─その謎にせまる──。

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 尊いご身分にふさわしくないかずかずのエピソードのある大正天皇の実像を知りたいと思ってから長いことになる。しかし資料はまことに少く、わずかに『ベルワ日記』でその片鱗をうかがうだけであった。 大正天皇については陶芸家の故浜田庄司さんが明治以来の書のなかでの最高の方と私に賞讃されたのに驚き、以来心して天皇の書を拝見するようになった。まことにお立派な字で、この方に対する世間評を疑うようになったのはそれからである。
 本書は天皇の幼少時の御病気、皇太子時代の健康をややとりもどしてのはつらつとした日常、度重なる地方巡啓がまず克明に語られ、人間的でいささか饒舌で、知りたがりやで、純情な天皇のイメージを浮び上らせている。この時代に天皇をきびしく拘束する人たちから守ったのが有栖川宮威仁親王(ありすがわのみやたけひとしんのう)であった。この方は大へん立派な宮さまであると聞くが、その事績についてはあまり知られず、この時代東宮輔導であったことは意外であった。
 本書では東宮輔導としての有栖川宮の闘いと、煩悶とがとらえられ、天皇のあるべき姿への問いかけとなっているのが意外で、かつ楽味を呼ぶところである。
 そして有栖川宮の辞位、皇太子の結婚、度かさなる巡啓が資料を通して語られるうち、明治天皇が崩御され、天皇となる。再び自由を失い、その果に健康を悪化させた大正天皇の悲劇が着実に資料から語られていく。ついに歩行困難、言語少々に不明瞭という症状となり、くるべき時がくる。御長子である裕仁親王の摂政就任である。
 ここで悲痛な出来ごとが語られる。御用の印籠(いんろう)、これは可、聞、覧の御印のある函だが、その御下げを侍從長が願ったところ、天皇は快く渡されず、一度は拒まれたというのである。著者は、
 「もはや言葉の自由のきかない状況の中で、精一杯の抵抗の姿勢を見せていた」
 と推察する。
 後陽成天皇が徳川幕府の圧力で退位し、御子の後水尾天皇に同じようにいろいろ渡さずに抵抗されたことを思い出す。帝王の悲劇、そしていつもその背景にある黒い権力者の手が、近代国家をもくもらせていたのを知るのである。
 資料は主に一級資料にのみ據ったために、節子皇后とのエピソードが多くないのが惜しい。側妾を置かれなかった大正天皇なので、その辺りもくわしく知りたかった。
 皇太子時代学習院を中等科一年修了して退学されているが、私の旧師は当時同級生であった。皇太子と相撲をとり、投げとばしてしまったけれど叱られなかったと五十年後のこれは回想である。
 あまりにも語られることの少い大正天皇に対し、これは待望の書であり、続篇を著者に期待したい。 (bk1ブックナビゲーター:近藤富枝/作家 2000.12.01)

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何てったってこんな面白い本はない。言々句や小沢式発言のことのユニークさ。

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 今さら小沢昭一の著書を読み、話芸の達人とか、抱腹絶倒などとはしらじらしくて書く気がしない。もっと別の人という気が本書を読み終って思った。
 十七人を相手に対談してまとめた本であるが学者あり 俳優あり 落語家あり 写真家、騎手、漫画家、ニュース・キャスター、作家と、多士済済。ジャンルの違った人たちだいうのに、それぞれの分野に深い知識と経験を持つこと、小沢昭一的世界がいかに凄いかを改めて知った。
 著者が一九二九年生れというのが何とも嬉しい。この年はドイツの飛行船ツェツペリンが日本に飛来した年で、平和な日本と軍国的日本との境目である。まことに著者が生れるのにふさわしい。果ものがくさり出して何とも微妙な深みのある味になったといったような年であるからだ。
 白状すれば小沢昭一さんの美意識はとても特殊であり、すっかり度肝をぬかれてしまった。例えば柳家小三治師匠との対談で二人が真野音頭のなかの“地蔵踊り”というのをほめ上げている。
 小沢 あんなおもしろいものは、ない 一見、ただの盆踊りの輪踊りでしょう。ところがそこへ、関係なく本物の石の地蔵を背負った人が、うつむいて苦しげに通過してしていくというので、小沢さんはこれを日本が誇る芸能でパリでやろうと、ニューヨークでやろうと納得させることができるーという。八〇キロもある本物の石の地蔵を苦しそうな顔もせずに男の人が舞台を通り過ぎるだけの素朴な芸能である。バカバカしさの極地。それがすばらしいというのでこの二人の感動ぶりに読者がわからぬながらにわかったような気分になって感動するということになってしまう。私も佐渡にいき“地蔵踊り”が見たくなったから不思議だ。
 どの人との対談にも必ず隠し弾というか、思いがけない昭一的解釈が存在していて読む方は世の中の見方を根底からゆさぶられることになるのだから面白い。とやりあっているなかで、阿川佐和子さんとの一篇は、相手が若い女性のせいか、珍しく素直な発言があり、孫自慢がとび出してきたので愉快だ。彼にとっての最高の芸人は美空ひばりと藤山寛美であり、自分自身については“ニセモノ”ときめつる。おまけに落語家にコンプレックスがあるようで、
「落語より新劇のほうが人生を深く捉えているなんて考えたこともありましたが、とーんでもない、落語のほうがずーっと実に深い」
 なんて発言もある。この辺り当方の見解とはずいぶん開きがある。しかしよくわかる。この人、シャイで、一歩人より下るくせがあり、感性はメチャ鋭く、よかれ悪しかれ全くの東京人である。今までラジオのトークだけで、ちゃんとした舞台を見ていないのを後悔している。全国をまわり埋もれつつある芸能をさぐり、古今東西の文献にもくわしく、俳優であると同時に学者さんである。 (bk1ブックナビゲーター:近藤富枝/作家 2000.11.24)

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紙の本やまと余情 入江泰吉の世界

2000/11/15 18:15

時間と空間を超えて、なつかしい奈良に誘ってくれる写真集。

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 奈良に写真美術館があることなど、少しの間全く気付かなかったし、最初に聞いたときには何か場違いな印象さえ持った。東京都の写真美術館のような現代的なイメージが、写真にはあったのかも知れない。けれども、入江泰吉氏の寄贈された写真が発端と聞いて、「なるほど」と納得した。本書は、奈良市写真美術館所蔵の8万点にも及ぶ膨大な入江氏の写真から厳選された写真集である。

 納得はしたのだが、考えてみると撮影対象となった被写体のすぐそばに写真を展示するということの意味は、今ひとつ私にはピンと来なかった。まぁ、それは今度奈良を訪れるときまで、宿題にしておこうと思った。

 けれども、予想をしてみるのも面白いと思う。

 たぶん、入江氏の写真を見て実際に撮影された地点に行ってみても、同じ風景は見られないと思う。油絵の風景画なら、もっと「ここだ!」と思えそうな気がするのだが、写真の場合は映像がリアルなだけに、きっと同じ場所とは思えないのではないだろうか?

 つまり、奈良に生まれ育った入江氏が撮影した映像は、撮影したその時点の入江氏の中にしかなかったのではないか、と思うのだ。

 ちょうど夕暮れ時でなかったり、花が咲いていなかったり、風が吹いていなかったり、雪が積もっていなかったりするのは当たり前だ。氏が撮影のタイミングを掴むためにどれだけの労力を払ったかは本書の解説にもある。しかし、たとえ同じ条件でも同じ風景には見えないのではないかと思う。なぜなら、入江氏が撮影したのは、そこにある空間ではなくて時間だったような気がするからだ。氏の写真を見て感じるのは、この時間である。“時の流れ”と言ったほうがより正確かも知れない。

 そういえば、この写真集には人物は写っていない。わずかに東大寺の僧と田園遠景に小さく歩む女性のみである。入江氏は「その風景に合っていれば、人物が入ってもいい」と語っていたそうだが、やはり歓迎されない存在であったことは予想がつく。

 最初にこの写真集を見たときには、何故こんなに写真の扱いが小さいのか訝った。多くの作品はハガキ大より少し大きい程度で、2ページに渡る見開きで掲載されている作品はわずかなのだ。「写真が中心なのだからもう少し大きくても罰は当たらないだろうに」と思った。けれども、これは逆に小さな写真の全体をじっと見るという不思議な体験をさせてくれたのである。

 これは、奈良という場所にではなく、“時”に誘ってくれる貴重なタイムマシンなのである。 (bk1ブックナビゲーター:近藤富枝/作家 2000.11.16)

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ふり返る野辺の道

2000/10/19 00:15

誠実で活力に充ちた85年の生涯に出あった人たちのすばらしさ。

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 戦前生れのよき日本が生んだステキな方という讃辞を本書の著者にまず捧げたいと思う。一九一五年生まれの著者は森有礼(もりありのり)を祖父に、岩倉具視の娘を祖母に持っている。父は基督者だったが早世した。しかも十五銀行の破産で上流家庭なのに切りつめた生活となるが著者は少しもへこたれない。

 労働を嫌わず、「自主性、協力性、創造性」をモットーに、次々と道をひらき、アメリカ系の銀行勤務をふり出しに自活の道を歩むが、やがて一冊の本に出逢ってボランティアの道に進むことになる。その本は『聖者ダミエン』というベルギー人の神父の本である。

 そして本書の楽しさは、結婚して研究者の夫君とともに松本に、パリに、アメリカに赴き、また奈良での、さまざまの人との出逢いの美しさである。ケネディの撃たれた日、たまたまアメリカにいた著者は市民の誠実な動静に感動する。しかもケネディが亡くなり、犯人がオズワルドであるとわかったとき、一牧師が、
 「ケネディ大統領を殺したのはオズワルドではありません。われわれ皆が彼を殺したのです」
 と語るのにもっと胸を打たれる。

 兄は哲学者の森有正である。一年間著者一家はパリに住む町があり、妹の見た有正の横顔が語られる。有正ファンにとってはこれも貴重な資料の一つであろう。

 ヴァイオリンの豊田耕児さんとも著者は深い関係がある。天才児として鈴木鎮一先生の特種教育を受け学校へは行かない彼のために、著者が英語の個人指導を受け持ったのであった。松本時代のことで、これは耕児少年が留学するときの準備としての師の配慮だった。週二回、二時間ずつの授業で英語以外は使わないという約束である。耕児少年の復習と記憶力の完璧であることに著者は驚いている。耕児少年はやがてパリに留学するが、一人の才能を育てるための周囲の献身と叡智がすばらしい。

 この書では著者自身の業績についてはあまり語られていないが、大へんな努力家で、上級学校には進まずに、抜群の語学力を身につけ、YWCA会長として、核否定のスローガンのもとにさまざまの国際会議で発言をつづけたみごとな足跡は世間周知であろう。

 実は二十年くらい前に関屋さんにお目にかかったことがある。森有礼について話を伺ったのだが、今でも「いい方だった」と時々思い出すことがある。立派ないくつもの肩書など頭にうかばないほどソフトで、人間理解の巾が広く、しかも気の置けない方であった。

 著者は働いても疲れず、いつも楽しさと活力のあふれる生活が持てたのは十五歳の時のYWCA野尻湖キャンプの中で身につけたことであったという。私も時代は少し後だが野尻湖キャンプに誘われたことがあった。行かずに惜しかったと本書を読んで悔いている。 (bk1ブックナビゲーター:近藤富枝/作家 2000.10.19)

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紙の本おんなえ 近代美人版画全集

2000/10/13 00:15

60年前の窈窕たる美女たちがよみがえる!五葉、深水など40人の画家が描く“おんなえ”の世界。

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 「美人画」というのは、日本画の1ジャンルと言ってもよいと思うが、この画集はその版画版である。時期は明治後期から大正、昭和にわたり、40人の画家の約270点の作品を収録している。最高は伊東深水の75点だが、鏑木清方は1点しかない。どういう観点で作品が選ばれたのかは定かでないが、おそらく作家ごとの版画の作品量というのは我々が肉筆画の数から想像するのと違うのだろう。作品は、作家別に収録されている。作家の中ではほぼ年代順である。

 本書をパラパラとめくっていると、やはり美人画には一つの様式というものがあるように思える。昭和も2桁になると、洋画の影響を受けたと思われる構図や題材がみられるが、それ以前は一定の様式にしたがっているようだ。構図的には全身、腰から上、バストショットのほぼ3種類で、日本女性が着物を着て日本髪を結っているのだから、似た印象を持つのかもしれないが、どうもそれだけではないように思われる。

 とにかく、こうした「おんなえ」を見るときの私の興味の一つは、時代と土地柄と職業による服装と髪型の違いである。芸妓などの玄人と素人の違いはもちろん、東京と京都の着物の柄の違い、時代による髷の大きさ、鬢のはりかたの差など、観察するほど面白くゾクゾクするほどだ。半衿の多彩さだけでも一見の価値がある。

 また、版画であるというのも興味をそそられる点である。肉筆画と違い、一般庶民を対象に安価に配布されたわけだから、浮世絵ほどではないにしろ、表現の内容にもおのずとその影響がある。

 昭和期に入ると、映画や舞台の女優がけっこう描かれている。石井伯亭は水谷八重子や水ノ江滝子をモデルにしているが、他の無名のモデルの顔もどこか水谷八重子や栗島澄子の面影を宿しているのは、やはりこの時代を象徴する顔ということなのだろうか。

 伊東深水は数が多いだけに、構図や表現にさまざまな工夫がみられて楽しいが、圧巻はやはり橋口五葉で、西洋画のように立体を想起させない線の確かさが、浮世絵を彷彿とさせる。「浴場の女」では、横尾忠則を思いだしてしまった。もう一つは、服飾の収集・研究家だと思っていた吉川観方が版画をものしていたというのが、新しい発見であった。

 今、電車に乗っても盛り場に行っても、「おんなえ」の女人は見当たらない。60年前の窈窕たる美女を知りたい若人は、本書を見るべし。 (bk1ブックナビゲーター:近藤富枝/作家 2000.10.13)

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日本髪は芸術である。古代から現代に至る日本女性の華麗なヘアスタイル。

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 黒髪は黒い目と同じく性能のよいものと思える。「女の髪は大象をつなぐ」とかいわれ、強靱なものとして日本では賛えられている。その強い髪をまるで曲芸のように、たわめてさまざまの形を作ったり、あるいは結んだりした日本の古い髪型はすばらしい。一たい誰が考案したのか。アブストラクトの現代美術に少しの遜色もない。

 明治のときに日本にやってきた異国人たちは、ぬかみそのにおいと共に日本髪の鬢つけ油のにおいに高い鼻をつまんだものである。ところが馴れている日本人にとってはこれが懐かしいにおいなのだからおかしい。

 『日本の髪型』は上古からの女性の髪型について忠実に歴史をたどり、これを現代に再現して写真にとり、カラフルな本としたもので何とも楽しい一冊である。

 演劇関係者や時代小説を書く人たちにとって必携の書であることはいうまでもなかろう。しかしそうでない人たちにとっても胸のトキメク一冊で、我々の先祖がこれほど髪に手をかけていたのかと驚く。ヘア・スタイルだけではない。櫛、笄(こうがい)、手絡(てがら)やかんざしの類も実に華麗で、かつての日本は女心をつくして髪のおしゃれにうき身をやつしていたことがわかる。

 戦前(1945年以前)はけっこう日本髪は下町のおかみさんたちにも結われていたけれど、これが100%消えてしまった今は技術保存のことが問題となってくる。京都の南千恵さんという方がこの道を守るため長年努力していた。本書の技術指導をしている南登美子氏はそのゆかりの方であろう。

 そもそも日本人は髪を長くたらしているのが好きであった。それが中国文化の影響で、上にあげ結ぶことを命令されていやいや結髪の道を歩み出したのである。というのに、そうなったらなったで芸術にまでこの道を高めたので、日本人の器用さが力を発揮したのだ。

 頁を繰るごと、どの髪も結ってみたかったと思う。「おしどり」という江戸後期に十五、六の町娘が結った髪はことに愛らしく、少女のころに憧れていたものであった。この髪にはめすのおしどりとおすのおしどりの区別まであるというので、その藝のこまかさには舌を巻いてしまう。

 これらの芸術的髪型が現代も生きている世界が京の祇園で、たっぷり頁を使って「割しのぶ」(われしのぶ)にはじまり何種もの型がていねいに解説されている。

 ほとんどの写真が正面、後、横、ななめ横と角度を変えて並べ、懇切な解説がついている。しかも文庫型の小冊だから女性ならハンドバックに、男性なら服のポケットに忍ばせることができ、どこでも手軽るに読むことができる。 (bk1ブックビゲーター:近藤富枝/作家 2000.08.03)

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幕臣としての思いを貫くことで、明治の建築界を闘いぬいた天才児!

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 日本における初期西洋建築の魅力に打たれている人たちが年々増えているようである。私も日本建築界の父ともいえるジョサイア・コンドルの作品を訪ねて、日本のあちこちを廻った時期がある。妻木頼黄(よりなか)はコンドルの弟子の一人として工部大学校に学びながら、中途でその流れから出てアメリカに留学した。帰国後は官僚としてさまざまの大建築に関与する。
 本書の表紙に使われているのは旧横浜正金銀行本店(現神奈川県立歴史博物館)で、私も一度行ったが、実に重厚な西洋建築であった。現存の妻木作品は少いので貴重な存在だ。その他日本橋の柱のデザインも妻木の苦心の作であり、キリンと獅子の彫刻となった。日本勧業銀行本店の設計も彼だった。そして勧銀は西洋建築一辺倒だった時代に日本風の寺院を思わせる大建築で、人々の意表をつき、妻木の存在を印象づけた。彼は生涯の目標であった議事堂建築をめぐって、時の建築界の帝王であった辰野金吾とわたりあい、どちらへ設計の全権がまかされるか長い戦を挑む。その勝敗をめぐっての攻防が本書の面白さだが、その結末は一読していただきたい。
 思わず呻ったのは妻木頼黄の出自である。一千石の旗本の跡とりだが、維新の動乱で家禄(かろく)を失い、父はすでに亡く、母もつづいてなくし、みじめな少年時代であった。彼の小柄なのはそのころの栄養不良のためにちがいない。そうした境涯からの立身で妻木の才能のすばらしさがわかる。
 ことに興味を感じるのは、彼と旧幕臣とのつながりである。維新間もない時代の官界での闘争が、出身によって敵味方にわかれた例として、辰野対妻木の対立が描かれている。
 作者は妻木の心境を、
「頼黄は、明治という時代に倒された江戸のことをずっと思い続けていた、といっていい。薩長の田舎侍たちによって、無理やりに江戸はその姿を変えられた」
 少くとも頼黄はそう思っていた──と書いている。 (bk1ブックナビゲーター:近藤富枝/作家 2002.07.05)

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