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  3. 斎藤  貴男さんのレビュー一覧

斎藤  貴男さんのレビュー一覧

投稿者:斎藤  貴男

7 件中 1 件~ 7 件を表示

日経ビジネス1999/11/15

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

私は学生時代、心の底から新聞記者に憧れた。社会の木鐸。権力のチェック機能。社会にとって素晴らしい意義を持つ職業だと思った。
 実際に入社したのは業界新聞社だったから、担当企業との癒着などで幻滅を感じても、それは業界紙の特殊性で、一般紙は違うと信じていた。軍部のプロパガンダ機関としての戦争中の報道や、国有地払い下げをめぐる政府との関係も飽きるほど聞いたが、それらはあくまでも例外だ、ジャーナリズムの王道はやはり新聞なのだと思い込み、いや、思い込もうとしたまま、私は週刊誌の記者に転じ、やがてフリーとして独立した。
 ところが今年、私は新聞に絶望せざるを得なかった。日米ガイドライン。日の丸・君が代法制化。盗聴法。日本人が戦後50年をかけて築いてきた民主主義が、自自公独裁政権の下でことごとく破壊され、権力の思い通りに作り替えられていく最終局面で、大部分の記者は抵抗するどころか、むしろ積極的に手を貸した。国民総背番号法(改正住民基本台帳法)の国会審議に至っては、ほとんど報じることさえせず、進んで目くらまし役を演じた。
 中央公論新社「日本の近代」シリーズの1冊として刊行された本書『メディアと権力』を読んで、しかし私は、今度こそよくわかった。何を今さら憤っておるのか。この国の新聞はジャーナリズムなどではない。彼らは常に、権力に寄り添って歩んでいたのだ。
 明治期以来の政府との密接な関係は、戦争程度ではびくともしなかった。戦時の情報統制のため開戦前後に構築された全国紙6紙・各県1紙体制、情報カルテルとしての記者クラブ・システムは、今もほぼそのまま残っている。
 著者の言い回しは慎重だ。新聞には必然的に権力と同化する契機があって、大多数の新聞が政府系紙だった過去を持つと指摘しつつ、<それは新聞が権力の一部だとか、権力の従属物だということを意味しているのではない。新聞の中にはもともと権力や政府に対して求心的な要素と遠心的な要素が共存・混在していて、常にきわどいバランスをとっているということなのである>などと書いている。
 だがそれでも、時には己の命を懸けてでも権力のチェック機能を志さなければならないのが新聞記者であるはずだ。安定したサラリーマンでいたい人間は新聞記者になってはいけない。
 抑えた筆致で綴られるメディアと権力の関係史が物語る現実は、極めて深刻である。ここまで書かれて奮起しない新聞記者が多数派だとしたら、日本はもう駄目だ。
Copyright (c)1998-2000 Nikkei Business Publications, Inc. All Rights Reserved.

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マクドナルド化する社会

2000/10/26 00:18

日経ビジネス1999/7/26

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 世界が猛烈な勢いでマクドナルド化(McDonaldization)している。米国の著名な社会学者の手になり、世界12カ国で翻訳出版されるに至った本書の定義によれば、徹底したマニュアル運用で大成功し、今や米国のシンボルとして君臨するファストフード・レストラン・チェーンを支える諸原理が、世界中を席巻しているという意味だ。
 教育、医療、ジャーナリズム。ビジネス界にとどまらず、あらゆる分野がマクドナルド化から免れ得ないのは、従来は1つだけでも困難だった効率性、計算可能性、予測可能性、そして制御という、合理化の諸要素を、この原理が同時に提供してのけたためである。
 たとえば効率性は、次の3つの課題を解決できれば増大する。多様な過程を簡素化すること。製品を単純化すること。従業員よりも客に働かせること…。こうした作業に従事することは、しかし、まともな大人には耐えがたい。そこで、「ファストフード・レストランはふつう、軍隊と同じように十代後半の若者を雇う。なぜなら、彼らはおとなよりも、簡単に自律性を放棄して機械や手順や規定に従うからだ」。
 もちろん企業内の経済合理性に関する限り、マクドナルドの原理は強烈な優位性を有している。だからこそ世界はこれに覆われつつあるのだが、その存在を許す社会の側が強いられる負担や危険はきわめて重大である点に、大衆はあまりに無自覚だ。
 彼らによって、食卓を囲む時間を大幅に奪われた家族の絆は希薄化する一方だし、労働者は疎外されるのが常態になってしまった。合理化は下位の階層だけに押しつけられるのが通例だから、不平等はさらに拡大され、貧富の差はますます激しくなって、凶悪な犯罪が増える。それを取り締まるための膨大なコストが必要になる。
 ポストモダンの代表として扱われがちなマクドナルドは、その実、モダニズム初期に原始的な経済人仮説から出発したテーラーシステムや、その延長線上にあるフォーディズムにどっぷりと浸かっているという。にもかかわらず、こんなものを「脅威ではなく涅槃の境地」と感じる人が多数派になりつつあり、世界標準になろうとしている現実の描写には、人間の愚かさを目の当たりにさせられる思いがする。
 世界のマクドナルド化に対する著者の論考に、評者はほぼ全面的に賛成できる。それにしても人間性の果てしない喪失は一体何をもたらすのか。人間は現実を直視し恐怖して、せめて明日への処方箋を書き続けることしかできないのだろうか。
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紙の本リストラと能力主義

2000/10/26 00:22

日経ビジネス2000/4/17

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 ほとんどの人々が誤解している。というより、無理にもそう考えておいた方が精神的に楽なのかもしれない。グローバライズされた市場原理の下では、昨今のようなリストラの嵐は不可避なのだ、と。
 だが断じてそんなことはない。暴走しているのは市場原理ではなく、実は日本企業の“大本営”、すなわち人事部門や役員会にほかならないと、著者は指摘するのである。
 “大本営”流リストラには、大きく分けて4つの誤りがあるという。消費税率の引き上げや医療費負担増が重なった最悪のタイミング。生産性向上や雇用吸収が追いつかない、速すぎるスピード。インプット削減だけで事足れりとする間違った方向性。そもそも、能力主義(正確には成果主義)という考え方に対する致命的な見落とし…。
 “見落とし”論が特に興味深い。著者によれば、雇用慣行を特徴づける分析軸には、能力が平等かという縦軸のほかにも重大な横軸が存在する。能力主義を謳うなら職種や勤務地に本人の意思を尊重する個人優先主義が伴わなければならず、会社側の都合でそれらを選ぶ企業優先主義を採るのなら、結果の平等が図られる必要が生じるのである。
 自由だが自己責任を問われる米国は前者、不自由だが会社が責任を負ってくれる日本は後者。長く続いてきた両極は、それぞれが合理性を持っていた。本書は言う、「ところが、いま多くの日本企業が行っているリストラは、能力主義を急速に強化しながら、依然として企業優先主義を放棄していない。これは犯罪的な行為である」と。
 税制も個人に自己責任を求める姿勢とは完全に矛盾している。源泉徴収と年末調整のシステムで、個人の所得税納税の一切合切を勤務先に委ねるサラリーマン税制がある限り、日本人は永久に自立できない。
 本書の言葉を借りれば、「いま行われているリストラは、従業員をロープでぐるぐる巻にして海に放り込み、『さあ、自分で泳ぎなさい』と言っているのに等しい」。
 だから、誰も冒険しない。まるでスターリン体制下の旧ソ連のように、思想統制も含めた恐怖政治が企業社会に罷り通る。「ただ目立たず、はしゃがず、決してボロを出さない、そしてひたすら会社にしがみついていくだけのサラリーマンが急増している」と指摘する。リストラを語りつつ、鋭い文明批評にも仕上がっている。日本の本質を抉る分析が、フリージャーナリストや評論家でない、金融系シンクタンクという企業社会の内部から登場した意義は極めて大きい。
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日経ビジネス2000/5/15

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 去る4月14日、ニューヨークの株式相場が大暴落した。週明け早々に回復したが、永遠の経済成長を謳うニューエコノミーとやらの化けの皮は、今後、次第に剥がされていくことになるのだろう。アメリカバブルの崩壊も、既に時間の問題だ。
 アメリカ市場原理主義を真理と崇めない者イコール守旧派のレッテルが張られる現代において、思っても口にしにくい見通しを評者がハッキリ断言できるのは、“世界初の本格的なバブル通史”たる本書『バブルの歴史』を精読したためである。なんと愚かなことに、それはそのまま、人類の歴史とほとんど同義であった。
 投機は共和制時代のローマに始まっている。紀元前2世紀、早くも現代の株式会社に酷似した企業プーブリカーニの仕組みが登場し、彼らが発行する株式をはじめ、不動産や通貨などを対象にした投機が続いた結果、しばしば経済危機がもたらされたという。
 以来、今日に至るまで、世界中で数えきれないほどのバブルが膨らんでは、破裂した。有名な17世紀オランダのチューリップ・バブルや、18世紀英国の南海会社サウス・シーバブルだけではない。今世紀20年代の大恐慌も、景気循環は過去のものになったとする金ピカの“新経済”(ニューエコノミクス!)時代を経てこその悲劇だったのだ。
 何らかの“転位”を契機に始まった投機への熱狂は、それを受けた株価の上昇によって初心者を巻き込み“陶酔”へと発展し、社会から理性を失わせていく。これがバブルという名の愚か者の祭りであり、その影響は経済にとどまらず、政治や社会、風俗など、あらゆる領域に及んでしまう。破産した投機家が市場から撤退しても、次々に新しい世代が参入してくるから、適者生存の原則は永久に成立しない。
 そして今、10年来のアメリカニューエコノミー、さらにはIT(情報技術)革命の到来である。インターネットの匿名性を悪用した投資フォーラムの跋扈で、ただ単に上がれば買い、下がれば売るだけの“相場の勢いにつく投資モメンタム・インベストメント”が当然視されている有り様では、この先、どんな経済危機が待ち受けていることか。
 本書には、バブルのすべてが説き明かされている。——と、ここまで書いて、息抜きにあるビジネス誌のページをめくったら、授業中に携帯電話で株のネット取引に熱中しているガキどもの記事が載っていた。
 またしても…か。額に汗して真面目に働く人間の生活が、このような手合いに何度も何度も脅かされなければならない社会とは、いったい何なのだ。
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紙の本黄禍論とは何か

2000/10/26 00:19

日経ビジネス1999/10/4

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「帝国主義は、ブルジョワジーが資本主義の競争原理を政治の世界に持ち込むことによって起こった」とは、社会学者で哲学者でもあるハンナ・アーレントの言葉である。ドイツを代表する近・現代史家である本書の著者によれば、要するにこんなメカニズムが働いたのだという。
 <倫理的衝動、責任感、使命感、そして名誉欲といった要因が競争略奪の精神と奇妙なかたちで結びついて、帝国主義を押し進めたのである。そしてこうした動機がイデオロギーとして凝縮し、「白色人種の使命」とか「世界ミッションに対するゆるぎなき信念」というかたちをとって現れたのである>
 黄色人種の脅威を煽った、いわゆる黄禍論は、欧米社会のそのような時代の空気の下で発生した。破格の低賃金で働く中国人苦力クーリーたちが世界の労働市場を席巻していく構図。極東の島国日本が、熊のように巨大な帝政ロシアに勝利したという奇跡…。すでに帝国主義国家として空前の経済的繁栄を謳歌していた欧米各国は、それまで劣等民族と信じて疑わなかった黄色人種の台頭に限りない不安を抱き、自らの没落の予感と結びついて、黄禍論はやがて政治的スローガンとなっていく。
 英国の歴史家、ピアソンは、いずれ白人は黄色人種に呑み込まれてしまうのではないかという悲観論に苛まれた。後に大統領になるアメリカのルーズベルトはその逆で、黄色人種を排除することは、デモクラシーが健全な本能を持っている証拠だと言い放った。
 悲しいことに、黄禍論は過去の歴史の1ページではない。今日に至っても厳然として存在し続け、時に世界を動かす原動力になっているようにさえ見える。“禍”として扱われる我々の側もまた、彼らに反発し、あるいは追従したりといった、複雑で屈折した感覚から抜け出られない。
 冒頭に紹介したアーレントの定義は、しかも当時以上に、現代の世界にこそピタリと当てはまっている。敢えて多くは言わないが、日本が置かれた状況、国内の情勢も、1世紀前と酷似しているとはしばしば指摘されることでもある。歴史は繰り返す。とすれば、黄禍論もまた、今風に形を変えながらではあるにせよ、再び国際政治の表舞台に登場してくることになるのではないか。
 本書の原書は、1962年に出版されている。40年近い空白を経て日本の読者に届けられた本書は、民族的な怒りを単純にかきたてるようなものではない。これからの秋の夜長、知的好奇心を大いに刺激されつつ、歴史と現在を理解するのに役立てたい。
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紙の本家族が自殺に追い込まれるとき

2000/10/26 00:18

日経ビジネス1999/8/30

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 1993年3月、大手造船会社のベテラン設計課員(当時46歳)が、福井県の海で自殺した。月間140時間近い残業を重ね、それでも与えられた仕事を達成しきれない苦しみに耐えかねて死を選んだ彼は、夫人にこんな遺書を残していた。
 〈家族のことを考えるとひどいことをしていると思うが、自分の弱い心に負けている。頑張ろうとするがだめや! 恨むなら、俺と会社を恨めよ! ああ残念無念〉
 自殺者が急増している。警察庁のまとめによると、昨年は史上初めて3万人の大台を突破した。深刻な雇用不安を反映してか、仕事上の問題を動機とした人、とりわけ中高年が目立つのが特徴だ。
 だが多くの場合、勤務先や労働基準局は、自殺と仕事との因果関係を認めたがらない。労災補償を出し渋るためなら、あらゆる強弁を駆使してみせる。疲労の極みで縊死を遂げたプレス工場の中堅作業員(当時30歳)のケースでは、「自分の『飯島』姓よりも夫人の旧姓『松嶋』の方が立派そうなことを窮屈に感じていたのが自殺の原因だ」などとした精神科医の滑稽きわまる“意見”が、一度はそのまま採用された局面さえあったという。
 つくづく酷薄な社会である。この国では、自分の頭で物事を考えようとする人間は辛い人生を強いられる。
 労働問題には定評ある著者の筆は、死に追いやられた人々のドラマを描くだけにとどまらない。むしろ遺族の苦悩を思いやり、彼らをさらに怒りと絶望の淵に追い詰める制度上の欠陥を浮き彫りにすることにこそ力点が置かれている。そして著者は叫ぶのだ。
 〈人間的にはたらくことと人間的に生活することは、本来けっして相矛盾することではないはずだ。無理な仕事はしない、できないものはできない、という。それを保証するためには、はたらくもの同士の信頼と共感と連帯への道を、もう一度とりもどすしかない〉
 新聞報道によれば、雇用不安下での自殺者急増の事態を重く見た労働省は最近、従来の考え方を改め、自殺についても幅広く労災認定を行う方針を固めたという。事実とすれば評価したいが、必ずしも喜べない気もする。方向転換の裏には、家族のことは心配ないから、自殺したくなるほど働け、というナゾが隠されているのではないか?
 もちろん邪推である。だが、日の丸・君が代をめぐって県教育委員会と教職員の板挟みになり、切羽詰まって首を吊った高校校長の死さえ、平然と法制化の材料とした人々が牛耳る国のこと。警戒心はありすぎるくらいでちょうどいい。
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日経ビジネス1999/6/7

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 プロ野球を支配する「読売」グループに、生涯をかけて挑み続けた男の人生を描いた大河ノンフィクションである。
 三原脩。日本のプロ野球契約選手第1号にして読売巨人軍、西鉄ライオンズ、大洋ホエールズなどの監督を歴任し“魔術師”の異名を取り、しかし結局は夢を果たせないまま死んでいった男のドラマは、読む者を魅了せずにはおかない。
 香川県の大地主の息子として生まれ育った少年の日。本格的に野球を始めた丸亀中学のころ、才能を花開かせた高松中学、早稲田大学時代。愛していた巨人軍に裏切られ、西鉄に移って古巣の打倒を誓った転機…。
 ある程度は語られてきた話題ではある。が、著者の定評ある取材と考え抜かれた構成は、半可通のしたり顔を鮮やかに粉砕してくれる。読者はただ、物語の運びに身を任せていればよい。
 三原の人生で最も輝いていたのは、やはり西鉄の監督時代であった。九州・福岡という土地をリードする電鉄会社が地元を愛するがゆえに球団を興した。その志のもとで野球をやれた、幸せな時代だったというほかはない。
 だがここでも、彼は結局こっぴどい裏切りにあっていた。背景には福岡の、ひいては日本という国が辿った歴史が色濃く影を落としていた。
 そこまでをも活写した本書は、高い志から生まれた人間集団あるいは組織体が、いかに成長し栄光をつかみ、ついには破滅に至るかというプロセスを、三原という傑出した人物を通して描いた書だということもできる。そして三原自身、西鉄の選手たちにしてみれば裏切られたと思わせる行動も取っていた。
 ひとり三原だけではない。男の人生とは裏切り、裏切られの連続なのではあるまいか。誰からも肯定される道だけを歩める幸福な男もいるだろうが、そんな男の人生は、あくまでも往々にして、という条件付きではあるものの、浅く、薄っぺらいものであるに違いない。
 晩年の三原は寂しかった。日本ハムファイターズの球団社長に就任し、理想を追求するためにはと目標にしていたコミッショナーの座。まさに王手をかけようとした時期に遭遇した“江川事件”は、彼の理想が「読売」を頂点に戴く、どこまでもくだらぬ興行の論理にせせら笑われた瞬間でもあったからだ。
 ビジネスマンの読者を意識してか、三原に“最高の人心掌握術”を学ぼうといった趣旨のキャッチコピーが帯にある。だが評者としては、あまりそんなふうには読んでもらいたくない。男の人生を、できれば自分もこのようにありたいと思いつつ堪能したい。
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