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    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

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    中野 ジェームズ修一 (講師),日本放送協会 (編集),NHK出版 (編集)

    5つ星のうち 4.0 レビュー詳細を見る

斎藤環さんのレビュー一覧

投稿者:斎藤環

9 件中 1 件~ 9 件を表示

紙の本自閉症だったわたしへ 2

2001/10/01 18:59

「哲学的障害」を乗り越えて

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 著者の処女作「自閉症だったわたしへ」は、自閉症者の自伝として十四カ国で翻訳出版され、ロングセラーとなっている。この第二作は、すでに古典とも言うべき第一作が書かれ、出版されて反響を呼ぶなかで、ドナが未来の伴侶となる男性に出会うまでの三年間の記録である。
 専門家の説明だけではわかりにくい自閉症者の世界が、ここではリアルな手触りとともに描かれる。たとえば「対人関係」という、私たちには当たり前のことが、彼女にとっては苦痛と困難のたえざる源となるということ。もし人が歩くときに、たえず足を出す順序や歩幅、重心などを意識し続けていたら、すぐに転んでしまうだろう。ドナの対人関係は、あたかもこうした、歩き方を考えながらたどたどしく歩く人さながらだ。
 世間が「当たり前」とみなすことを、その都度徹底して考え抜いてしまう人を哲学者と呼ぶ。生き延びるために考えざるを得ないドナの明晰な言葉は、しばしば哲学者よりも遠くまで届くだろう。驚くべきことに、ここには哲学や心理学が語り損ねてきた「感情とは何か」という問いへのヒントすらあるのだ。強靱な意志と努力、さまざまな人々との出会いによって、これら「哲学的障害」を乗り越えていくドナの姿は、多くの自閉症者とその家族に、希望と向上のための意志をもたらすだろう。しかしたとえば「自分が自分であることに対して、体ほど大きな保証はない(大意、515頁)」といった指摘は、当事者のみならず私たちをも励まさずにはおかないはずだ。(斎藤環/精神科医 2001.4.24)

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歴史的時間のテーマに焦点をあてて、丁寧に解説

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 「パサージュ論」などで知られる思想家・ヴァルター・ベンヤミンは、エッセーや断章、アフォリズムや豊かな隠喩を駆使して思考を展開したことで知られる。今村さんはベンヤミンの絶筆「歴史哲学テーゼ」における歴史的時間のテーマに焦点をあてて、この短い作品を丁寧に解説してくれている。進歩主義のもたらす未来優位の時間論は空虚さにつながる。そうではなくて、過去の廃墟やぼろくずの中に、可能態としての未来を見いだし、それについて語り始めること。クレーの「新しい天使」から着想された、あまりにも有名な歴史の天使、過去に堆積する廃墟をみつめながら、吹き付ける「進歩」の風に翼を閉じることもかなわず、後ろ向きに未来へと飛ばされる天使の姿にこそ、彼の夢想した歴史的時間の本質があらわれている。僕はこの本を、フロイトの精神分析を参照枠として読んだ。メランコリーに陥ることなく過去を認識すること。その行為こそが、われわれの行動の意味と方向を決定づけてくれるという解釈には、あきらかに治療論にも通ずるなにものかがふくまれている。

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紙の本子どもの危機をどう見るか

2000/11/09 12:18

「スクールデモクラシー」による学校再生の提案に胸躍る思い

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 学級崩壊について、噂には聞いていた。しかし現場からそれを生々しく伝える本書の導入部分は、今更ながらショッキングだ。このほかにも、いじめ、新しい荒れ、不登校、ひきこもり、非行など、現代の学校が抱えるさまざまな問題が具体的に描き出される。これらの現象から、同調圧力の問題、いじめにおける加害者救済の必要性、「母子カプセル」の密室が生む虐待、教師による「評価する視線」の有害性などといった、多くの重要な問題点が抽出され、それぞれに具体的な処方箋が示される。尾木さんはこうした危機を心配しながらも、けっして子どもたちを理解不能な異物として管理する発想にはくみしない。むしろあくまでも子どもたちの萌芽的な主体性を信頼し、彼らの自己決定権を尊重しようとする。そして「スクールデモクラシー」による学校の再生を提案する。それは決して現場から乖離した理想主義ではない。学校をひとつの中心として地域社会の活性化を図ろうという「スクール・コミュニティ」の発想をみよ。その実現可能性には、私のようなすれっからしの精神科医ですら、胸躍る思いを禁じ得ない。

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紙の本言葉にのって

2001/10/11 20:16

それは気のせいです

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 東浩紀氏の仕事などが契機となって、若い世代にもデリダが読まれ始めているようだ。精神分析家ジャック・ラカンの決定的影響のもとで臨床を営む僕としては、デリダの存在は正直言ってなかなかに煙たい。しかしそれでも、デリダの翻訳が文庫で読めるという類い希な機会を逃す手はない。
 本書はデリダが1998年に、フランスのラジオ番組に出演したさいのインタビューを再録したものである。けっして平易でも読みやすくもないが、それでもじっくりと取り組むだけの価値はある。本書でデリダは、驚くべきことに自身のトラウマについて語っているのだ。ユダヤ系フランス人としてヴィシー政権下のアルジェリアに生まれ、入学者数制限法によってリセを追われながら、ユダヤ人向けのリセへの所属も拒むデリダ。
 「入るよりも出るほうが好き」だった子供は、この経験から「共同体」への徹底した不信感を育んだ。だからデリダは、たんなる「正しさ」には関心がない。正しさは権威と共同体性に容易に結びつく。そうではなくて、明晰な論理と正確な隠喩を用いながら、さまざまなアポリアの位置を補足し指し示すこと。言葉とイメージの対立には「エクリチュール」を差し出し、生と死との対立に対して「生き延びること」を置くデリダ。その身振りがどれほど正当なものであるか、それは常に怪しい。しかしデリダ自身が言うのだ。「壊れやすさ、私はそれをみずから要求しましょう」と。常に壊れやすさの先端に身を置きながら考え行動すること、その肯定性にこそ「脱構築」の真髄が見て取れるような気がする。もちろんデリダは「それは気のせいです」と言うだろうが。(斎藤環/精神分析医)

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遺言状を書いてみる

2001/10/11 19:37

ちょっと書いてみようかな

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 僕はよく、患者さんや患者の親御さんに遺言状を書くように勧めることがある。ときどき「遺書を書けだなんて」と妙な顔をされることもある。

 もちろん遺言状は、相続に関わる法的文書であって、遺書とは全然別物だ。ただ、人に勧めておきながら、僕は遺言状の書き方を正確には知らなかった。木村さんは、実に懇切丁寧に、かつユーモラスな筆致でその方法を伝授してくれる。

 圧巻はなんと言っても、第1章の著名人による遺言状の実例である。福島瑞穂、清水義範、石坂啓氏らの「作品」を読んでいると、なにか風通しの良い、爽やかな気分になってくる。自らの死を前提とした文書でありながら、この爽快感はどうしたことか。

 「メメント・モリ(死を忘れるな)」という言葉がある。しかし「死」そのものをイメージすることは難しい。遺言状を書くということは、自分の社会的な位置や人間関係に対して、自分の死がどのような効果をもたらすかを慎重に考えるきっかけになる。おそらく僕らは、自分の死について、これ以上の正確なイメージを持ち得ない。そのイメージは、人を謙虚に、さらに言えば正気にする力を持つだろう。本書にはほかにも、相続にまつわる判例や、さまざまな遺言状の形式がわかりやすく紹介されている。しかし本書の効能は、ものぐさな僕にすら「ちょっと書いてみようかな」と思わせてくれた点にこそあるだろう。(斎藤環/精神科医 2001.3.20)

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実証的な姿勢に貫かれた本

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 ひとはことばをどのようにして学びとるのか。これは精神医学、とりわけ精神分析にとっても重大な関心事だ。これまでフロイトやラカンらによって、エディプス期とか去勢とかといった、抽象的な議論がかわされてきた。しかし正高さんは、それらとはおよそかけ離れた方向から、恐ろしく説得力のある言語獲得の過程を描き出してみせる。それは単なる概念の操作などではなく、リズムや動作、身振りといった身体感覚に深く根ざした過程にほかならないというのだ。
 たとえば赤ちゃんに歌を歌ってきかせることが、いかにことばの学習に役立っているか。「指さし」というシンプルな行為が成立するには、どれほど複雑な概念操作が必要になるか。無限にあるはずの対象の属性から、ひとつだけを抽出することがなぜ可能になるのか。とりわけ「行く」と「来る」の正確な表現が、身体運動という「からだ的思考」の獲得を前提としており、相手の身になって考える能力にも関連づけられるということが実験を通じて明らかにされる過程は、実に刺激的だ。音楽とはテキストとしての言語から排除された身体性によって構成されている、という詩的な仮説も、これほど実証的な姿勢に貫かれた本文の末尾に添えられると、なにかリアルな発見のように思われてくる。(斎藤環/精神科医 2001.5.22)

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誠実で知的興奮に満ちた本

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 病跡学という学問がある。さまざまな天才の作品や生涯を、精神医学の視点から眺めたらどのように見えるかを探るものだ。よく精神科医は天才まで病気におとしめてしまうと非難されがちだけど、この本を読めばそんな誤解も解けるだろう。何かを創造するという行為がどれほどその人の気質によって影響されるものか、それを探る過程は、けっして創造の光輝を曇らせるようなものじゃない。
 ところで、この本の特異なところは、主に科学者が対象とされているところだ。通常は文学者や芸術家が選ばれがちななか、こういう選択はかなり珍しい。たとえばニュートンとヴィトゲンシュタインは分裂病圏の科学者であり、創造には孤立と媒介者を必要とする。ダーウィン、(ニールス・)ボーアは躁うつ病圏で、仕事の完成には庇護的な空間と協力者を必要とした。僕がもっとも興味深く感じたのは、フロイトや(ノーバート・)ウィーナーが神経症圏の天才と「分類」されていることで、この組み合わせには意表をつかれた。しかし、その生涯を辿ってみると、両者とも抑圧的な父、甘やかす母のもとで育ち(まさにエディプス的関係!)、晩婚で自立を勝ち取るために苦労し、学問の中に自己を解放するきっかけを見いだすことなど、実に共通点が多いことが判る。昨今あまり評判の芳しくない精神医学ではあるけれど、こういう誠実で知的興奮に満ちた本を読めば、ちょっとは見直してもらえるかもしれないな。(斎藤環/精神科医 2001.8.21)

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純愛時代

2000/12/14 15:15

若者たちの切実な願いがかいま見える

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 大平さんは私と同様、精神科の勤務医である。にもかかわらず著書を読むたびに、同業者としての共感よりは、発見や驚きのほうが多い。これは臨床家としての経験や知識とは別次元の、患者さんを見る視線の細やかさ、みたいな問題だと思う。僕の臨床が地上波のテレビなら、大平さんのそれはハイビジョン並、走査線の本数からして違うのだ。この本には、そんな繊細な視点がとらえた若者の「愛」の風景がくっきりと描かれている。第三世界の恋人、インターネットでの出会い、風俗店に勤める女子大生など、どのエピソードにも確実に「いま」の断面が切り取られている。大平さんのすごいところは、彼らをけっして安直に理解しようとしないことだ。そこでは「診断」すら禁欲される。かといって、何でもトラウマに結びつけるような安易さも、みじんもない。愛に悩む若者たちに寄り添い、彼らの葛藤の核心を丁寧に解きほぐす、その手つきの鮮やかなこと。その風景の向こうには、「純愛」という言葉に託された、みずからの生の必然性を信じたいという若者たちの切実な願いがかいま見える。

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私とハルマゲドン

2000/11/08 18:43

あまりに共感しすぎてしまい、冷静に評価しにくい本

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 あまりに共感しすぎてしまい、冷静に評価しにくい、これはそういう本である。私は竹熊さんとほぼ同年、すなわち「オタク第一世代」の人間だ。竹熊さんを「変の道」に導いた同級生・国鉄さんのエピソードなど、私もほとんど同じような体験を持っている。共通体験として、アニメや特撮、漫画しかなかった最初の世代。オタクも新人類もここから生まれたのだ。本書の価値はまず、オタクがみずからの来歴をはじめて率直に語ったことにある。それにしても、その自己分析の冷静かつ正確であることには驚くばかりだ。竹熊さんは巧妙にも、自己分析に際して、オウムをみずからの鏡像として利用した。しかしそこには「わが裡なるオウム」といった、過剰な深刻さはない。「大晦日の論理」、「旅人の論理」など、ユニークな生存のための知恵を通じて、竹熊さんは「未完成であること」「途上であること」を堂々と肯定する。リアルな根拠からも成熟の可能性からも見放され、ひたすら小器用になるほかはないわれらの世代。そこに秘められた可能性と病理を、竹熊さんは微苦笑とともに示してくれる。歴史観が世代論にすりかわりつつある時代にあって、本書はその双方に開かれたドキュメンタリーとして、まさに間然するところがない。

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