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先月(2017年8月)

日高優(表象文化論)さんのレビュー一覧

投稿者:日高優(表象文化論)

2 件中 1 件~ 2 件を表示

紙の本明るい部屋の謎 写真と無意識

2001/09/19 12:18

セルジュ・ティスロン『明るい部屋の謎』

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 本書は、そのタイトルから明らかなように、今日では写真論の必読書として名高いロラン・バルトの『明るい部屋』について、著者セルジュ・ティスロンが抱いた幾つかの決定的な「疑念」に対しての、著者自身による回答の書物である。と同時に、精神分析という手法を柔軟に援用つつ、新しい写真論を展開する野心的な書物であるとも言えよう。更に言えば、写真論であるとともに、精神分析の入門的研究書としても読むことが可能であるという何重もの機能を果してくれるのである。謎解きの醍醐味は読者の楽しみに残すとして、まず著者紹介を。

 ティスロンは、さまざまな機関で臨床に携わりつつ、パリ第七大学等で教鞭をとる精神科医、精神分析家。フランス語圏で有名な漫画「タンタン」を精神分析的に読解した論考(『精神分析家を訪れるタンタン』未邦訳)で一躍脚光を浴び、現在も漫画と写真を軸に、生きた「映像」と精力的に関わり、新しい学問のフロンティアを開拓し続けている。だからと言って、晦渋な書物ではない。何故なら本書は、家族写真といった身近で想像しやすい題材を例にとりながら、或いは写真を掲載しつつ具体的に議論を進めるので、精神分析学の細かい用語や概念に親しんでいなくとも、またバルトの『明るい部屋』に未だ出会わずに来てしまった場合にも、十分接近可能なのだ。

 既存の写真論の出発点が、映像の対象や映像そのものの分析に集中する中で、ティスロンは日常の経験レベルの思索を織り込む。経験から出発することは、著者に映像の「以前」と「以後」をも考察することを要請した(この点に関して、私事で恐縮だが、筆者もアメリカ現代写真論をかつて執筆した際に追求した問題であったので、意を強くした)。例えば、我々は旅行に立つ前、ガイドブックや旅行会社のパンフレットを見て、行き先のイメージに予め親しみ、飼い慣らす。そして実際にその場所に立つと、「バスから降りて〈写真撮影〉するや、ろくに写真に撮った対象を眺めもしないですぐに次の場所へと出発する」のだ。我々は、旅先の風景そのものよりも、風景に自己の痕跡を残すことを望む。旅行から帰った後、写真を撮っただけで満足し、プリントせずにほうっておくような経験、あるいは撮影した風景を鑑賞するのではなく、専ら旅行に行った証拠写真として見せびらかす経験が、誰しもあるだろう。

 そしてそもそも、バルトの『明るい部屋』も母の死に直面した彼が、その経験にプンクトゥム(刺し傷)という甘美な言葉を捧げつつ、編んだ作品ではなかったか。『明るい部屋』に対するティスロンの回答、それもまた−−ラカンの母親と幼児を巡る「鏡像段階」の議論を導きの糸にし−−生の直接の経験からきている。我々が母親の写真に対して見出すものは、母親そのものであるというよりも、母親に刻まれた自己の痕跡、母親に自分が現前しているということだ。我々は写真に自己の痕跡を見出すべく、見るという経験を通して写真を心的に加工し、象徴化する。後生大事にされる写真があるのと裏腹に、「失敗した写真」が引出しにしまったままにされたり引き裂かれたりするのは、そのためである。

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グローバルな視点に基づき、写真の根幹から考察する「用語集」

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 本書の原題は、Photo SPEAK: A Guide to the Ideas, Movements and Techniques of Photography, 1939 to the Present.従来、写真史の記述の仕方は、写真の技術的変遷と絡めつつも、著名な写真家やその代表的写真集を年代順に辿る、あるいはドキュメンタリーやファッション写真といった主題別にまとめるものが中心だった。本書はそうした記述ではこぼれ落ちてしまう諸問題を掬うものとしても機能するだろう。例えば、写真の「固有性」や写真表現の「意味」といった問題である。写真を学ぶ人々向けの「キーワード集」として編まれた本書がそうした役割までも担いうるのは、原題の副題にあるように、著者が、写真術の実際の展開(写真家論、写真運動論)を追うだけでなく、写真の根幹の側(写真というものの観念、技術)から考察する眼差しを強く打ち出しているためだ。

 体裁は、キーワード集として「項目」がアイウエオ順(原著はアルファベット順)に色気無く並べられただけのものだが、何しろ、興味深いものが少なくないのだ。「撮影者不詳の写真」、「写真行為」、「写真史」など、技術としての写真の側面が、写真の固有の存在様態そのものを規定していることを深く理解した筆者だからこそ、こうした項目が織り込まれたのだろう。例えば「建築と写真」という項目を見てみよう。我々は写真の技術的な発展を追いつつも、同時に建築物を写真に撮ることの意味の変遷を辿ることにもなる。つまり、写真術の初期、露光時間が長く必要だった時期、静止物として被写体に適していたという建築物写真の意味や、複製可能なカロタイプによってエジプトを調査・撮影旅行したマクシム・デュ・カンの異文化表象という意味から、近年、ルイス・ボルツによってインスタレーションとして制作された、産業開発による工場地帯の風景の文明批評的な意味まで、といった変遷だ。

 著者ジル・モラは、フランス人。『カイエ・ド・ラ・フォトグラフィ』誌の編集長を経、90年代末から「アルル国際写真フェスティバル」のアート・ディレクターを務める。これまでの写真の歴史が、良かれ悪しかれ、書き手のナショナリティを反映しつつ記述されてきた節があるのに対して、ジル・モラの得意分野はウォーカー・エヴァンズやエドワード・スタイケン、ユージン・スミスらのアメリカ写真にも及び、本書は広範な視野をもって書かれている。フランス版に先立ち、英語版が出版されたという事情も、彼の国際性を裏付ける証拠かもしれない。また、「写真行為」の項目では、写真家としての自身の活動にも触れるなど、茶目っ気も見せる。キーワード集という制約上致し方ないが、もっと各項目の紙面を増やして突っ込んだ議論を期待したくなる、そんな本なのだ。

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