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  3. バナールさんのレビュー一覧

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先月(2017年8月)

バナールさんのレビュー一覧

投稿者:バナール

19 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本エチカ 倫理学 改版 上

2003/06/17 23:24

生きることの眩暈

7人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 意あって力及ばず、というのがそのころの僕の実態であったと思う。
たぶん同じような境遇にいた僕の友人たちも似たようなものだったとそう思いたい。

 当時、村上春樹の新刊は一大ブームを巻き起こし、買ってすぐに読んだ記憶がある。『蛍』が本当に好きだったので、一度目はあっという間に読み終えた。
 僕の通うキャンパスには影も形も残っていなかったテイストに酔いしれたものだ。めずらしく続けてもう一度読もうという気になり、再読したあとに、それはたぶん夜遅い時間だと思うが、これはやばいと声が出ていた。
 なにがやばいのかは往時も今も見当はつかないが、上下二巻の赤表紙と緑表紙をごみ箱に放り込んだ覚えがある。
(僕は高校生ぐらいから本に対する執着(愛着)心といったものがあまりなく、なんのためらいもなくもういいやと思った本はすべて捨てていた。必要ならばもう一回買えばいいと金もないのにいまもそう思っている。たぶん、悪癖なのだろう。)
 村上の小説と決別し何を勢い込んだのか僕は岩波文庫の哲学書上下二巻に取り組み始めた。

『ノルウェイの森』から『エチカ』への転回はそのようにして行われた。

                   
 ノートをとりながら書物を読んだのはほとんどそれが初めてだったと思う。
極めて思弁的でありながら途中で放り出したくなるような箇所はひとつもなかった。けれどもそれは読解が容易に進行するということを意味はしない。
少しづつ本当にゆっくりと読み進めた。意味がわからないところは意味がわかるまで、どうしても分からないところは、分からないという感じが僕のあたまに馴染むまで立ち止まった。
 そのようにしてようやく読み終わったときのノートも感慨も僕の元をすでに去ってしまったが、やばいというあの時の感覚は僕の邪魔をしないぐらいにまで小さくしぼんでいた。
 ある種のリハビリが僕の中でなされたのだろう。
それがベストの選択であったかどうかの自信はもちろんないが間違いではなかったと思う。100%の恋愛小説から逃れるためには幾何学美を備えた倫理の書が必要だったのである。
                   
 スピノザは言う。
なにかから遁れるためには、そのなにかを考え続けるしかない。
そしてそのような時にだけ、ひとはそのなにかから遁れることができる、と。


 僕は本当のところ“なに”から逃れようとしていたのだろうか。
小説は人を怯えさせるし、哲学も人を不安にする。小説は人を助けるし、哲学も人を救う。けれども小説も哲学もない世界で人は生きることも死ぬこともできはしないのだ。

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紙の本漱石論集成 増補

2003/06/12 22:05

ギタリスト・ソリスト・セオリスト

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 レッド・ツェッペリンが『レッド・ツェッペリン』を世に問うたのは69年である。その当時日本のロックは言うまでもなく橋にも棒にもかかっていなかった。
 が、肩を落とす必要などない。なぜなら、「批評」はケタが違っていたためである。才能の差など洋の東西にありはしないのだから、日本国はロックというジャンルに毛嫌いされていただけなのであろう。

 この年、柄谷行人はそれまでの漱石論を根底から覆す『意識と自然』を発表しデビューするが、それ以後彼はスターであり続けている。後に「考える機械」と呼ばれもする男はピックではなくペンのほうをやはり手にとったのである。

 例えば、今一人のスターであるジミー・ペイジはツェッペリンの全アルバムのプロデュースをやってのけてしまうほどの才能の塊であったが、このギタリスト(独行者)はあるひとつの言辞とともに人々の記憶に深く残る愛嬌を有してもいた。

曰く、(ギターが)あまりに速すぎて指がもつれてしまう 

 今までこのフレーズを数多くのロックファンと同じように私自身もある種の敬愛の念を持って口にしていたのだが、案外に違うのかもしれないと最近思うようになった。というのも、これを最後には指がもつれてしまうのだから速弾き損ねであるととれば、話はそこで終ってしまうし、また逆説を反転した単なるレトリックなのだと見なすならば、彼を速弾きギタリストのひとりに位置付けるだけになってしまう。

 おそらくこの文句が真に意味しているところとは、才能の「奔出」であろう。

 ジミー・ペイジの頭の中にある「何か」は彼の指を介さなくてはこの世に生まれはしないし、我々の耳に届くこともない。つまり、彼の内の圧倒的(爆発的)なうねりはどこまでいってもその指やギターといった物質が現出させることのできぬ「なにものか」であったのだ。
 音楽の天才は形を生み出すこと(ROCK)を仕方なく諦め、ただその迸りを解き放ち自らも押し流されてしまうこと(ROLL)を已むなく選択した。音が音としての姿形を留められぬのはここに必然となる。

 けれども批評はそれを許さない。なぜならそれは詩ではないからだ。詩と最も遠い処にある言葉、これを人は批評と呼ぶ。詩が容易に近づけぬ地平に柄谷は独りで立っている。

 (思考が)あまりに速すぎても、もつれるべき対象である指などどこにもない

セオリスト(ソリスト)柄谷は、いまも掻き鳴らすことを決して止めようとはしない。

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顔について

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

年を取ったら小林秀雄のような“面構え”になりたい。
当時のわたしの素願であった。近代が持ちえた「最良の透徹性」というものが表皮に顕れているように思えた。
新しい学年が始まると現代国語の教科書だけはさっさと読み終え、卒業するまでにそれが三回続いた。作品の最後に著者の略歴と顔写真が各々掲載されていたが、小林以外の顔は魅力的ではなかった。
“内職”をする気もなく、その“表情”を眺めながら物思いに耽ってばかりいた。考えてみると、“顔”への道のりとは程遠い毎日を過ごしていたものである。

 「無常という事」を再読した。やはり小林は「分からない」ということだけをできうる限りの精確さで他人に伝えようとしていた人なのだと腑に落ち、少しばかりうれしくなった。
なまじ文章が明晰であり、しかも「肝心なこと」は書かなかったために、数多くのあらぬ誤解を今なお受け続けているのも仕方ないことかとあらためて思った。
 例えばそれは解説で江藤淳が引用している青山の次のような発言に代表されるであろう。

 「暗い蝋燭を囲んで青山二郎、大岡昇平の両氏と酒を飲んでいた小林氏は、
いつもの例で青山氏にからまれ出していた。小林氏の批評が『お魚を釣る
ことではなく、釣る手付を見せるだけ』で、したがって『お前さんには才
能がないね』というのである」。


 小林は、“人はどのようにしても『魚』を『釣』ることができはしないのだ”という地点から出発している。
従って『釣る手付を見せるだけ』とは、対象ならびに他人に対するぎりぎりの倫理的姿勢に他ならないのだ。
つまり、「分からない」という処から“先”には決して“行こう”とはしなかったのである。これを「技術的(美意識の)問題」と解釈するならば、『才能がないね』という不毛な結論にしか至らない。小林に対する最大の誤解がここにある。『才能』は常に、いるはずのない『魚』を『釣』り上げて釣果を誇り、“ぼうず”である者を笑い独り納得するが小林は黙って釣り糸を垂れ続けた。
「分かった」という思想が今日的に“ぼうず”の様相を呈していることは言うまでもない。『才能』を放棄しえる「才能」を授かって(気付いて)いたのは小林だけであった。
 昭和十七年(1942年)に、孤高の批評家はこう述べている。

  —現代人には、鎌倉時代の何処かのなま女房ほどにも、無常という事
がわかっていない。常なるものを見失ったからである。— 

 
 小林は“常なるもの(日本)”が亡くなることを確信しながらこれを書いたのであろう。われわれが、“常なるもの(小林)”を失くして今年で二十年になる。
この国から“いい顔”をした老人がいなくなり始めたのも、ちょうどそのあたりからである。

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紙の本キッズ・リターン

2003/07/11 13:31

エンドレス・リターン

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 それが尋常ならざる映画史的事件の始りであることを予感したのは、淀川長治と蓮實重彦というふたりのシネフィルだった。映画監督には二種類しか存在しないと淀川=蓮實は断言する。映画を愛する者と映画に愛される者と。
『その男、狂暴につき』により北野武は映画に深く愛されることを許された数少ないひとりとなった。

 北野のフィルモグラフィーにおいて『キッズリターン』と『あの夏いちばん静かな海』が特権的な位置を占めるのは、監督自身のフィルム的不在に拠っているが、たとえば、冒頭に二人の高校生を乗せた自転車が暴発的疾走感を撒き散らしながら一気に歩道橋を駆け抜けようとし、運動それ自体としてタイトルバックが、音楽が、なだれ込んでくる。

 この物語りは、ヤクザとボクサーになりそこねたふたりの少年をポジに、そして漫才師志望の冴えない二人組みをネガにして構成されている。
 学校を離れるに従い、この二組の二人組みは対照的な生の軌跡を描いていく。
 漫才コンビはやがて寄席にあがり、自らの才能に直接に向き合いながら芸の現場に留まり続けようとする。彼等にとって何度も舞台の上にリターンすることこそが栄光への過程に他ならぬのだ。

 ところが、もう一方の社会的人格を獲得しそこねた若者たちは、幾ばくかの希望を纏いながらも人生を乗り上げてしまう。頓挫した生を生きるものの末路は決まって元の木阿弥に帰すどころではなく、もう二度と可能性に触れ得ない地点までの後退を余儀なくされるしかない。色の付着した画布をたとえ白色で塗り直そうと二度と元の白地には戻らない。

 よって何者かになり損ねた人間が最後に呟く、「まだなにもはじまっていない」というセリフは原点に自分たちは回帰できるのだというやり直しを約束するものでは決してない。

 そうではなく、ひとはどこにもゆくことができないことがここで直截に語られているのである。そのことは年齢と何等の関係もないし、若さの過剰が口を挟む余地もない。
そしてそのような生にはもちろん、はじまりも終わりもない。ただ反復があるだけだ。

なにをどうしようとひとは早晩リターンされてしまう。
なにに? 自分自身に。圧倒的で不可避的な「わたくし」性に。

 これを観ることにより我々が得ることのできるリターンとは、拡散する絶望であろう。それは陽の光を浴び無限に回転する前輪のスポークのようにキラキラと輝いている。

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紙の本さらば愛しき女よ

2003/06/30 18:25

翻訳の底力

2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 近くの大学の学園祭を訪ねることに決まったはいいが、利便性豊な交通手段などなかったために歩きで行くこととなった。山の上に在ったことと向かい風が半端ではなかった理由から、地面を睨みつけながらひたすらに上り坂を歩き続けねばならなかった。
 苦労して到着すると、アイドルのミニコンサートがあと小一時間ばかりで始るらしく、時間をどこかでつぶそうかということになり教室を覗いてみることになったが、そのひとつに現代文学に関する討論会が開かれんとする教室があって嫌な予感がしたが、まあとりあえず座ろうと各々が空いている席についた。案の定とはこの事で、薄ら寒い言葉が飛び交い始め、進展する気配もない。馬鹿らしくなって出入り口の方を見やるとさっさと教室をあとにした者もいる。自分もそろそろと思ったその矢先、隣にいたその学校の教師がなにやらしゃべりはじめてしまった。出るタイミングを失い仕方なく聞いているふりをした。ひと通りしゃべり終えてしまうと今度はわたしの方に顔を向けて話しかけてくる。
 無視するわけにもいかず、付き合う羽目となった。英語圏の文学が専攻のようでチャンドラーの話になった。その頃、わたしは偶然にも清水の名訳に没入していたが、英文にまでは手が廻っていなかった。相手は「チャンドラーの文章は本当に勉強になります」と、ひとりで言語学的な解説を始めたはいいが、できれば必要最低限の原書に当たり、あとは避けて通りたいタイプだったので、曖昧な頷きだけを繰返すしかなかった。
 そのうちしゃべり疲れたのか主催者側が教員にだけ配っていた弁当に箸をつけ出したが、黙々と口に運ぶその集中ぶりに呆気にとられ、ここが潮時と席を蹴った。外に出ると先に退出した仲間が所在なげに煙を吹かしていて、聞けば、あまりに風が強いために予定時間よりも早くミニコンサートは切り上げられたというのだ。
 その夜、帰りに買ったペーパーバックを読み進んでいる最中に突然腹立たしくなり、それを壁にむかって力いっぱい投げつけたのをいまでも覚えている。

 チャンドラーを原書で読んだのは、「Farewell My Lovely」だけである。
それはやはり「勉強」にはならなかったと思う。なぜなら、清水俊二訳を先行して読んでいたからだ。つまり、アルファベットに眼を走らせながらも、頭の中では清水訳が分泌する匂いのようなものをわたしは追っていたのである。
 あの“弁当”教師の言わんとした、英語圏の他の文学を横に並べたときに始めて浮かび上がってくるような言語的“差異”など嗅ぎ取れはしなかったのだ。
 「勉強」にはならなかったが、けれどもそのおかげで、“日本語のチャンドラー”の素晴らしさは知ることができた。あの教師は今も「勉強」を続けているのだろうか、続けているんだろうなぁ。Farewell, Our Hard heads.

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紙の本理論への抵抗

2003/06/28 15:13

「穴」と「ジャンプ」、あるいは、盲目と明察

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ポ−ル・ド・マンは次のような意味のことを言っている。

「われわれはものが分かったと思う瞬間、“穴”に落ち込んでしまう。 
別の言い方をすれば、分かるということは、暗闇の中での“跳躍”なのだ」。

 彼の云うことは、一読するだけでは論理的破綻をきたしているようにみえなくもない。けれども時間をかけてその一節に向き合うならば、彼が何を伝えようとしたのか、同じことだが、“何を伝えられないか”を伝えようとしたのかが分かるだろう。
 「ものが分かる」という行為を我々は日常的に経験しており、それはあまりにも自明の事柄に属している。が、ド・マンの視線はそのような自明性それ自体に注がれている。それは、「ものを早計に分かったつもりになることへの戒め」といった「自明」性に対する注視ではない。そのような意味に解釈すれば別の“穴”に落ちるだけであろう。
 「分かる」とは、“たったひとつのもの”を選び取る行為である。すなわちそれ以外の可能性の純然たる「放棄」であるわけだが、この必然を人は免れうることができない。というのも、我々はその「選択」を選び終えることでしか物事が了解できないためである。
 だが実のところ、その選び取る行為には如何なる根拠も些かの理由もありはしない。ただ、根拠や理由があるようにみえる(思いたがる)だけなのである。
 つまり、仮に「分った」地点から遡行するならば、最後に根拠や理由に突き当たるはずだというその“論理性”こそが人が落ち入る“穴”に他ならず、そしてそれはしばしばありもしない根拠や理由を「捏造」して知らぬふりを決め込んでしまうのだ。
 論理的であることは「ものが分かる」ということと、やはり何等の関係もない。

 「分かる」とは、“切断された不連続”な行為である。
人は“連続的”に理解を推し進めてはいないのだ。決して予想もできず見通すことも不可能である絶対的な“困難さ”が、「ものが分かる」ということには常に付きまとわざるをえないと、ド・マンは云い続ける。それは文字通り「奇跡の到来」とでも呼ぶほかないものであるのかもしれない。既知が連続する平原を直進するような気軽さからはわれわれは何も知ることができない。そうではなく、何も見えない暗闇のなかで一歩先が断崖である可能性が横たわる只中を飛び出さねばならぬ、そのような瞬間に始めて「ものが分かる」という行為が開かれうるのであろう。
 「分かる」とは、“唐突”であり“野蛮”なる一行為に違いあるまい。
 
 何か行き詰まったような感覚がわたしを無条件に支配するとき、ド・マンのことばが頭に鳴り響んでくる。「お前はものを分かっているのか」と言われているような気持ちになる。

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坂口安吾全集 04

2003/06/17 23:07

風と光りと無数のわたしと

2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 安吾を嫌いな人はいない。
 無頼派・新戯作派のひとりと理解されてはいるが、他の作家たちとはやはり一線を画している。
 太宰治ならアンビバレントな恋愛感情(それは読後すぐに強烈な好き嫌いに変わる)を読者に直ちに喚起させるだろうし、石川淳をひも解くならば、奇妙な熱情を注入され運が良ければ“文学通”になれるかもしれない。
 が、安吾を読む者は彼等とはまるで異なる感情に全身を包み込まれてしまうはずだ。
それは、安吾への圧倒的な肯定以外のなにものでもない。
 したがって、安吾を好きではないという結論を誤まって持するような輩は、今後二度と「文学」に近づかない方がお互いのためであろう。
つまりそういうことだ。
 
 わたしは、経験したことのない強度で読む者をねじ伏せる、『堕落論』が安吾の最上であると賛同する者のひとりであるが、『風と光と二十の私と』という作品にどうしようもなく惹かれ離れることができないでいる。

 詩人の三好達治は安吾を評して次のように言ったことがある。

   「かれは堂々たる建築だけれども、
     中に入ってみると、畳がしかれていない感じだ」

 わたしにとって『堕落論』とは「堂々たる建築」である。
 そして『風と光と二十の私と』とは、そこには「しかれていない」“畳”なのだ。それは、そのような体験を一度たりとも持ちえたことがないのになぜか懐かしい匂いがし、その上に寝転がると、ひんやりとした抒情性に体の隅々まで満たされてゆく“まぼろしの畳”なのである。

 『風と光と二十の私と』は、二十歳であったかつての自分の一年間を四十一歳になった安吾が綴った作品である。小学校の代用教員をした時分の思い出だけでこの作品は織り上げられている。その中につぎのような一節がある。


  「私は放課後、教員室にいつまでも居残っていることが好きであった。生徒
  がいなくなり、ほかの先生も帰ったあと、私一人だけジッと物思いに耽って
  いる。音といえば柱時計の音だけである。あの喧騒な校庭に人影も物音もな
  くなるというのが妙に静寂をきわだててくれ、変に空虚で、自分というのが
  どこかへなくなったような放心を感じる」。


 このような“思い”が自身を通り過ぎた経験を持たぬ者はいないはずだ。
それは凛としていながら暖かい。
 何度でも言おう。安吾を嫌いな人は、いない。

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紙の本旅の王様

2003/06/15 09:10

ザ・クール・トラヴェラー

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 『旅の王様』と名付けられたこの書物はいわゆる旅行記ではない。
これは「オール・ザッツ・トラヴェル」、言い換えるならば、ひとはなぜトラヴェルするのかという問いをめぐって綴られた書物である。
 けれどもそれは辛気臭く退屈な言説により成り立ってはいない。
その逆に、トラヴェルすることの喜びに満ち溢れている。
したがって、頁をめくり終えたその後に「旅」に出ようと思わない人間などいないはずだ。
 トラヴェルすることの自由なる感覚に導かれ、
人はまだ見ぬ地へ、戻るべき場所へ、
そして「いまここ」へと向かう自分自身をみつけるだろう。

 

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哲学教授のくせに哲学者

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 ショーペンハウエルは哲学者と哲学教授を峻別し前者のその高貴さと稀有さを賞賛したが、残念ながら現代においてもその区別は有効に機能しえている。
 けれども、例外的存在はいつの時代にも必ずいる。
“哲学教授のくせに哲学者”である野矢茂樹という人物だ。
思えば、この人の師にあたる大森荘蔵もそうであった。

 野矢は“あとがき”にも書いているように根っからの哲学青年ではなかったらしい。哲学を志し、最初に読んだ本が「論理哲学論考」であった。

 そして分からないながらもどうにも「かっこいい」と思ってしまうのだが、ここに書いていることは本当に正しいのだろうかという疑念が頭を離れなかったみたいだ。その後、後期の「哲学探究」に魅了され自分の思索を続けるが、数年ほど前より内的な変化が生じ、「哲学探究」よりも「論理哲学論考」の虜になったというのである。
 このようなプロセスを辿り、その過程を告白する“真摯さ”こそが野矢を“哲学教授のくせに哲学者”たらしめているのだとあらためて強く思う。
 
 執筆のねらいを、“はじめに”において野矢は次のように述べている。

  「論理哲学論考」を生きているまま立ち上がらせ、その肉声を響かせること。
  そうして、「論理哲学論考」をただ読んだのではなかなか聞こえてこないだろ
  う声を響かせること。

 そのために野矢はひとつひとつの論考に対し注釈を補足していくという丁寧なスタイルを採っている。
 ゆえに、直接にウィトゲンシュタインと向き合うよりもウィトゲンシュタインその人を知ることができうるのだ。

 ところで「論理哲学論考」は有名な次のような結論で締め括られている。

       — 語りえぬものについては、沈黙せねばならない。— 

野矢はこれに以下のような補足的解釈を施しペンを置く。

       — 語りきれぬものは、語り続けねばならない。— 

「論理哲学論考」に対するこれ程見事な理解(蘇生)をわたしは知らない。
哲学者はやはり「かっこよく」なければならない。

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紙の本

2003/06/12 22:17

思い出の教え

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 個人史に属する事柄から始めたい。

 当時、下宿専用に改造された一軒家の一室を寝処と定め大学へと通う私は幸運にも二階を占める四つの部屋のうち、ベランダに面するひとつを自室とすることができた。

 読まねばならぬという想いが部屋内と同等に頭の中を横溢する日々に埋もれ、一冊の書物を読み通す忍耐力にあまり恵まれているとは云えない私はチェーンスモーキングならぬ「数珠読書」により、自らの欠陥を少しでも補うべく活字の消化に勤しむ始末であった。

 何冊もの書籍を疎むが端より次から次へと渡りゆくその所作は何巡しようとも然したる異化作用が脳の裡で生じるわけもなく、ただ一刻も早く本からの逃避を希求させる無駄仕事に堕するばかりで、そうするうちに意識が燻りはじめると冬はさっさと蒲団を被る外なかったが、はたして夏は違った。

 書物を放擲し明りを消すとベランダに腰を下して何ということもなく煙草を喫んだ。その度ごとにほっこりとした静寂が私を重囲した。さっきまで読んでいたあまたの断片が各々に呼応することは稀にしかなく、大抵薄ぼんやりとした想念の切れ端が紫煙と捩り合いながら私の元を去っていった。

 暫くするとヘッドフォンをしたままベッドに潜り込みそのまま寝入るのが日課となっていたが、どうしても眠れぬこともままあり、そのような時は決まってぐずぐずと逡巡した挙句に起上がり小説に向き合った。

 そのようにして私は『岬』と出遭った。

 それは一晩で読み通すことを拒絶し、読後感をごつごつした塊として直ちに意識の上に招引させない何かを有していた。それが自らの内で意味化することなどなく、最後に無理やりにひり出し形と成ったのは「シンプル」という一言であった。

 それは単純や簡素といった意味を今も帯びてはいない。そしてその対概念は「コンプレックス(複合・重層)」とは違う。「シンプル」には対概念がごそりと抜け落ちている。

 すなわち、『岬』を語るときの言葉としてそれは唇につたい昇るとりあえずの一語に他ならないのだ。読む者を包み込むのと同じ力で突き放すそのような小説を私は漱石の『こころ』以外知らない。

 還りたくとも戻りえない場所が原初の型をもはやとどめないながらも、辛うじてその暖かな核心めいたものと取り結ぶ物語りが確かに存在し、私を離さないのだ。

『岬』を「読む」ことはもう二度とないのだろう。

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紙の本風と光と二十の私と

2003/07/06 18:30

安吾アゲイン

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 安吾を嫌いな人はいない。
 無頼(新戯作)派のひとりと理解されてはいるが、他の作家群とはやはり異なる「突端」に佇っている。太宰に触れるならばアンビバレントな恋愛感情が直ちに喚起されるだろうし、石川淳を紐解けば、奇妙な熱情を注入され運が良ければ“文学通”になれる可能性が出てくる。が、彼等が読者から掻い出すものとは異質の感情に、安吾に接する者は全身を統べられてしまうだろう。それは、安吾への「圧倒的な肯定」以外のなにものでもない。わたしは、常軌を逸した強度で読む者を感電させる『堕落論』が安吾の最上であると賛同する者の一人であるが、『風と光と二十の私と』という作品に抗い難く惹かれ離れることが今もできないでいる。
 ところで、詩人の三好達治は安吾を評して次のように言ったことがある。

 「かれは堂々たる建築だけれども、中に入ってみると、畳がしかれていない感じだ」

 「堂々たる建築」を仰ぎ見れば、『堕落論』のような「大柱」だけが目に飛び込んでくるはずだ。おそらくそのせいで、「畳がしかれていない感じ」がするのだろう。しかしながら、詩人が射抜いているように、「畳」は「しかれていない感じ」がするだけである。「畳」は間違いなく「しかれてい」る。だが、そこにあるべきはずの“千畳”は“見えない”。なぜならそれこそが、“安吾”なのだから。例えば、太宰は「家庭」を廃棄しようとしたが、彼自身はいつも読者にとって、“お茶の間”であった。寛ぎ横になることのできる、at home であったのだ。けれども、「堂々たる建築」の内で「寝転がる」ことは許されはしない。が、一歩踏み込めば、懐かしさに縁取られた涼やかな抒情性が体の隅々にまで浸み上がってくるのがわかるはずだ。目を瞑り、大の字になって、伸びをするための、“まぼろしの畳”を感じるであろう。その“一畳”こそが、『風と光と二十の私と』に他ならない。

 『風と光と二十の私と』、と呼ばれる作品は二十歳であったかつての自分の一年間を四十一歳になった安吾が綴ったものである。それは小学校の代用教員をした時分の思い出だけで織り上げられている。その中につぎのような一節がある。

「私は放課後、教員室にいつまでも居残っていることが好きであった。生徒がいなくなり、ほかの先生も帰ったあと、私一人だけジッと物思いに耽っている。音といえば柱時計の音だけである。あの喧騒な校庭に人影も物音もなくなるというのが妙に静寂をきわだててくれ、変に空虚で、自分というのがどこかへなくなったような放心を感じる。」

 このような“思い”が身の内をゆっくりと通り過ぎた経験を持たぬ者はいないはずだ。それは凛としているが暖かい暈を持つ。何度でも言おう。安吾を嫌いな人は、いない。

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紙の本映画と表象不可能性

2003/06/24 05:09

思い起こす事

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 映画とは想起である。

 たとえば、「映画における哀悼的想起 大島渚 パゾリーニ ファスビンダー」に身を浸すとき、根拠もなくひとは我知らずそう呟いてしまうだろう。

 本文の中で、四方田は次のようにベンヤミンを引用している。


  「科学が『確認』したことを、哀悼的想起は修正することができる。
   哀悼的想起は未完結なもの(幸福)を完結したものに、完結した
   もの(苦悩)を未完結なものに変えることができるのである」                             

 これは決して生の技法ではない。「歴史」の所作、其れ自体である。
表象可能性(人間)は表象不可能性(歴史)を表象せんところにしか生起しない。四方田は表象の権化である映画自身の中に″そのことだけ″を想起せよと、そう言う。陽が沈みきった後の残り照が世界の只中を輝かすように、あるいは、夜明け前の空の青が来るべき日の昇りを物語るように、想い起こせと云うのだ。
 
人の生(映画)とは想起でしかない。

そう。なにを見ても何かを思い出す雨の午後。
できればそのような「とき」に手にとってほしい、「歴史的記憶」の裡の一冊。

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紙の本あどりぶシネ倶楽部

2003/06/17 23:19

「映画」と「映画の記録」の遠近

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 …………よーい、ア・クション!…………

 大学の映研を舞台にしたこのマンガに登場する人物たちはひとりの例外もなく倫理的である。おそらくそれはその時代の節度が要請したことであるのだろう。
 映画は言うまでもなく産業に従属している。映画館での一日当りの上映回数に比例し興業収入は増加するのだから、一本のフィルムの上映時間は売上げの命運を全く握っている。
 それが傑作かそうでないかの芸術的・大衆的問題とは別のところで映画は物理的な制約をその誕生から蒙り続けているのだ。
 現代においては残念なことに10時間におよぶ超娯楽傑作巨編などどこの小屋にもかかりはしないと云える。このような基本認識をふまえながら物語りは丹念に進行してゆく。

 NGを除いてもらくらく4時間あまりあるフィルムを70分に纏め上げることがプロデューサーから突きつけられた至上命題となる。
 苦労の連続で撮り上げた思い入れたっぷりのフィルムはあと30分縮めなければならない地点から一歩も進まなくなる。

 「私たちが作ってるのは、“映画”であって“映画の記録”じゃない」。
 
 映研の代表であるプロデューサーの片桐のことばはカメラの佐藤を揺さぶり、最後に、70分に収められたフィルムは映画の記録から映画へと生成する。

 このマンガが今も私を捉え続けるのは、この作品の底に流れている倫理性が静謐であると同時に我々の生にとって説得的であるからだ。
 我々はものを作ろうと作るまいと、ともすれば「“映画の記録”」にしがみつきそれを後生大事に手放そうとはしない傾向にある。
 そのような錯覚は幸福であるがやはり偽ものというしかない。
 「“映画”」は独りよがりな思い込みやこだわり、熱き想いと言ったものと無関係である。そのような自分勝手は自分にとっても至極迷惑な代物であろう。
 ひとの生とは、倫理=「“映画”」に身をさらし、それを生き切ることである。
誰もが口にしたがる、自分=私らしさなど、ただの「“映画の記録”」にすぎやしない。

                ………はい、カァット!!・NG!………

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富士

2003/06/17 23:15

「一等」の文学

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 これまでに読んだ小説のなかでどれが一番良かった(印象に残った)と聞かれるたびに、私は決まって泰淳の『富士』を挙げていた。
 よくよく考えてみると十数年以上もそれを凌駕する書物に出遭っていない勘定になってしまうが、もちろんそんなことはない。
ものぐさや記憶力の悪さとは別に、なぜかそう答えてしまうのである。

 ところで、これと同様の質問である、“小説”を“映画”と取り換えた問いには、ジャームッシュの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』と答えていた。
 先日、止めておけばよかったと後悔したのだが、ビデオを借りて『ストレンジャー』を観たのである。
 それが、まあ案外で、なにか損をしたような心持になった。おそらく、この映画が「懐かしい時代」とあまりに結びつきすぎていたためであろう。

 ならば『富士』はどうなんだろうと思ったりもしたが、やはり怖くて読み返せないでいる。
とはいうものの、ひょっとすると「素晴らしき日々」なんかにちっとも関わっていそうにもないから今まで通り“一等”のままかもしれないという想像もふくらむ。
 
                     
 東大で支那文学を、そして終戦を上海でむかえた、もと赤(左翼運動家)で、坊主。日本人離れという言辞が、世界水準からみてどのようなポテンシャルであるのかそんなことはこの際どうでもいいが、次から次に発表するその小説、『快楽』が、『蝮のすえ』が、『風媒花』が、『森と湖のまつり』が、『ひかりごけ』が、『貴族の階段』が、『わが子キリスト』が、度し難く島国離れしている。

 戦後の日本(昭和)文学は“ラディカル(根底的)”であり、誰にも似ていなかったと、そう言わしめてしまう圧倒的な豊穣さのそのどてっぱらに常時君臨していたのが、この特異で掴みどころのない知性である。

泰淳を知らない? 読んだことがない??

それは本当にご愁傷様としか謂いようがない。
教えてくれ。あなた方は一体全体なにを読んできたんだ。
眠っていたのか。目を覚ませ。顔を上げろ。顎を引け。そして見ろ。

                    
  生きているのがはずかしいという苦しみは、もう致命的で自分も他人も
  どうする事も出来ない。このどうする事も出来ない苦しみにとりつかれ
  ると、人は時たま徹底的に大きな事を考えたくなるらしい。 『司馬遷』


 言葉とは鈍器である。
昏倒し野晒しのまま人は朽ち果て、歴史に踏み躙られるしかない。

『富士』。

それは、
精神病院を舞台にした自意識から世界全体へと反転せんとする物語の大塊である。

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紙の本村上龍自選小説集 8巻セット

2003/06/15 16:50

「情報」という装置

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 村上は二度「化けて」いる。

一度目は『コインロッカー・ベイビーズ』で。二度目は『愛と幻想のファシズム』で。元々熱心な読者ではなかったのだが、『愛と幻想のファシズム』を読んで以来、新刊が書店に並ぶことがたまらなく待ち遠しくなった。
 しかしながら、これを読んだ時の「衝撃」以上のものをその後の作品で得たことはない。
 ところで、村上の〃親友〃である中田英寿がこの作品を非常に気に入っているという文章を読む機会があった。
 思い返せば、自分も二十代の早い時期にこの小説に出会ったのだから、その年頃の男が「イカレル何か」が作中に存するのであろう。

 一言でいえばそれは、〃情報〃である。

 たとえば、村上はSMのことを執拗に描写する。勿論わたしは実際的かつ経験的なレベルにおいてSMについては何も知りはしないが、村上がSMを語ることにより「何を伝えたいのか」は明瞭に理解できる。
 それはSMを現実的に体験しなくとも了解可能であり、さらに謂えば実際的経験が村上の言わんとすることを的確に捕まえる保証などどこにもない。
 愛好家でもない限り、誰も村上の小説中にSMに関する「novel(新奇)」な知識(情報)を捜し求めてはいないはずだ。おそらく、村上の行間に自分たちが欲しているものがないことに、マニアは読めば直ちに気付くであろう。

 村上は知識(情報)ではなく〃情報(視座)〃だけを我々に提供しているのだと言っても強ち過言ではないと思う。
 それは、ひとつの視点を足場とし世界の別のフェイズを垣間見せる概念装置である。特定の人間だけが知りうる「お得」な知識とは何の関係もない。
 『愛と幻想のファシズム』を素通すと、わたしの眼前に拡る世界とは、政治が隠し切ることのできぬ剥き出しの「野蛮性」、それ自体だけで組み上げられていたのだった。

 このような村上の〃情報(視座)〃は或るときは、
ドラッグであり、ロックであり、テニスであり、キューバであり、郊外であり、基地であり、教育であり、ワインであり、恋愛であり、サッカーであり、経済であった。…あった。
 
 最近、村上の小説から急速に離れてゆこうとする自分がいる。認めがたい事実だ。もしかすると、世界が様々なフェイズを明け透けに開示し始めたためなのかもしれない。

中田も、そう(龍離れ)なのだろうか?
今度、nakata. netにアクセスしてみよう。 

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