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    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    中野 ジェームズ修一 (講師),日本放送協会 (編集),NHK出版 (編集)

    5つ星のうち 4.0 レビュー詳細を見る

雲胡丸さんのレビュー一覧

投稿者:雲胡丸

4 件中 1 件~ 4 件を表示

魔羅の肖像

2003/06/18 19:07

スリリングな「女性器」の研究書

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書はタイトルで損をしている。男性であれ女性であれ、「魔羅」の研究書を読みたいという人は多くはあるまい。ところが本書は、「菩々にとって良い魔羅とは何か」という観点から菩々(女性器)を研究した書でもあるのだ。
 かつて女性の「性」に対する抑圧が強かった時代にはクリトリス・オーガズムの存在そのものが否定され、ウーマンリブ〜フェミニズムの文脈では「女性は子供を産む道具ではない」との観点から膣オーガズムが否定されクリトリス至上主義が生まれた。誇張でも飛躍でもなく、「性」は政治的な問題なのである。
 松沢呉一氏は、そんな政治的言説のウソを徹底的に暴きつつ、精力的なフィールドワークによって「本当はどうなのか?」を追求している。
 例えば、処女の中にも「巨根の男性への願望」を持つ女性がいるという。凡庸な論者ならここで「やはり女性にも巨根願望があるのだ」と結論づけてしまうところだが、松沢氏は「その場合の巨根とは、物理的実体としての巨根なのか、イメージとしての巨根なのか」と問う。そして、男性にも女性にも「イメージとしての巨根」願望を持つ者はあるが、それは「実際に挿入して気持ちいいかどうか」とは別問題であることを解明してゆく。
 性教育の現場では、「生殖としての性」は語られるが、「快楽としての性」が語られることは少ない。だが、われわれ大人は主として快楽のためにSEXをするのではないか。「快楽としての性」を語ること自体が、そのような政治的状況に対する異議申し立てでもある。
 しかも、「快楽としての性」を語ることは、それ自体が楽しいことでもある。やめられませんな。

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紙の本風俗ゼミナール 上級・お客編

2003/06/06 04:55

風俗業界から現代社会が見えてくる!?

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 風俗に行かない人が読んでも面白い、風俗業界の研究書である。
「かつて人気のあった元AV嬢に、人妻ヘルスで出会った」
「クイックマッサージ店で本番しちゃったヘルス店長がいる」
「元ホームレスの青年が、風俗誌を出す出版社で働いていた」
「高級接待クラブを利用する客は、中途半端な会社の社長や中途半端な芸能人が多い」
「ホストにハマる風俗嬢はそれほど多くなく、ハメを外しがちなのは看護婦」
「ワキガの風俗嬢もいる。また、ワキガの男が好きという女もいる」
「警察が厳しく、業界でも自主規制をして健全化につとめている地域では、ボッタクリが地下に潜行してしまうケースがある」
 こんな怪しいエピソードの数々から、現代社会の諸相が浮かび上がってくる。よくある雑誌やムックの風俗記事と違って、単なる興味本位ではなく、歴史や法規制や社会的背景を踏まえている。しかし決して堅苦しい本ではなく、笑って読める楽しいエッセイだ。
 松沢呉一氏の『風俗ゼミナール』シリーズは、「女の子編」「お客編」「上級女の子編」に続き、この「上級お客編」で4冊目となる。タイトルがタイトルだけに、風俗に行かない人にとっては買うのが恥ずかしいかもしれないが、風俗に行く人のフリをして買おう。

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紙の本日本の治安は再生できるか

2003/06/21 07:20

「結果無価値」論者の変節だろうか!?

1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 おそらく、司法試験の受験生で前田雅英の名を知らぬ者はいないだろう。今や受験界の主流となっている「結果無価値」説の代表的な学者であり、受験予備校のテキストも前田説をベースにしているものが多いはずだ。
 かつての主流であった「行為無価値」説は、犯罪行為そのものが「悪い行為」であることを処罰の根拠とする考え方であり、倫理・道徳を重視する立場と結びつきやすい。これに対して「結果無価値」説は、犯罪行為のもたらす「悪い結果」を処罰の根拠とする考え方であり、「他人に迷惑をかけない行為は処罰に値しない」という個人主義的・自由主義的な立場と親和性がある。
 多くの学生・受験生が「結果無価値」説を自説としているのは、単に「とっつきやすい」「体系がすっきりしていて論証が書きやすい」からにすぎないだろう。だが、なぜ彼らが「論証が書きやすい」と感じるのかと考えれば、現代日本人の価値観になじみやすい説だからではなかろうか。
 ところが、である。本書で前田氏は、「結果無価値」説を放棄しているわけではないが、個人主義・自由主義の「ゆきすぎ」に対する懸念を表明し、処罰範囲の拡大・法規制の強化を提言している。「外国人犯罪」と「少女売春」の増加という問題への処方箋として…。
 気になるのは、前田氏の考えが一貫していないように思える点だ。
 凶悪犯罪を起こす外国人は、定住外国人ではなく、はじめから不法目的で来日する外国人だと前田氏は指摘している。では、彼らが日本に犯罪をしに来るのは、法規制が緩いからなのか。警察・入国管理局が腰抜けだからなのか。それもあるかもしれないが、むしろ「治安はお上が守ってくれるだろう」という日本人一人一人の自己防衛意識の甘さこそが問題ではないだろうか。
 出会い系サイトの規制について前田氏は、「売る側の少女を含めて処罰すべし」という意見が多数を占めるとのアンケート結果を提示している。だが、この意見の背後には、「なんとなく援交は良くないと思うが、自分で子供たちを叱る勇気はないので、お上が何とかしてほしい」という、オトナたちの責任回避の姿勢がありはしないか。そんなオトナたちに対する不信や軽蔑こそ、売春という行為そのものよりも深刻な問題ではないのか。
 もちろん、現代の状況に応じて法規制を見直す作業は必要であろう。しかし、今ここで安易に法規制の強化に走ってしまうことは、「お上が何とかしてほしい」というニッポンのオトナたちの無責任体質を温存してしまい、真の解決にはならないのでは?という懸念を覚える。本当の問題は、「法規制が甘い」ことではなく、「法に触れなければ何をしてもいい」という考え方ではないだろうか。
 おそらく前田氏は、各種審議会等に関わる中で、「刑法学者として何をするか」という責任を問われる立場にあるのだろう。だが、本書でも述べているように、法や警察のできることには限界がある。その限界を明確にし、「何もかもお上任せにするな!」と説くことこそが、刑法学者としての責任を果たすことではないだろうか。
 その意味で、今こそ「結果無価値」説の真価が問われているのかもしれない。

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石原都知事「ババァ発言」のネタ元!

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 石原慎太郎氏の「ババァ有害発言」というものがある。「松井孝典によると、女は閉経すると子供を産めなくなる。そんなババァが生きてるってのは文明がもたらした悪しき弊害だそうだ」という内容で、当然ながらフェミニスト諸氏は激怒し、訴訟にまでなっている。
 『石原慎太郎の値打ち。』(宝島社)所収の椎名玲氏のルポによれば、松井孝典氏はそんな無茶苦茶なことは言っていないというのだが、はたして間違っているのは松井氏なのか、石原氏なのか。実は、両方なのである。
 その「ネタ元」にあたるのが本書だ。人類学者クリスティン・ホークスらが唱えた「おばあさん仮説」というものを長谷川真理子氏が紹介し、これを受けての長谷川氏・松井氏らの座談会が収録されている。
 この座談会の冒頭、松井氏は「おばあさん仮説」を要約して、「明らかに他の動物と一線を画す事実として、女性が繁殖という役割を終えてもなお行きつづける、という不思議なことがある。そのおばあさんの知恵が次世代の子育てに活かされて、ヒトはここまで増えることができたのではないか、という仮設ですね」と述べる。これがすでに間違っているのだ。
 長谷川氏は生物の繁殖戦略について、「少なく産んで確実に育てる」戦略と「たくさん産むが死亡率も高い」戦略があるという話もしているのだが、まさに「おばあさん仮説」こそが「少なく産んで確実に育てる」戦略の典型例なのである。したがって「おばあさん仮説」は、ヒトが「生き延びてきた」事実は説明できても、「ここまで増えることができた」事実の説明にはならない。ヒトが「ここまで増える」ためには、別の要因が必要なのである。
 実際、長谷川氏は座談会の中で、閉経という現象が発生した当時は高齢者の数は少なかったであろうこと、そして文明の発達によって高齢者の数が(人類の遺伝子が想定していないレベルにまで)増加したことを指摘している。ここのところを松井氏は全く理解しておられない。もっとも、長谷川氏もまた松井氏の間違いに気付いていないようなのだが…。
 なお念のために言うと、「おばあさん仮説」そのものは、ちゃんとした学説である。これを的確に解説した書として、ジャレド・ダイアモンド『セックスはなぜ楽しいか』(草思社)をお勧めしておこう。
 それにしても、生態系を破壊するほどにまで人類が増えた原因はどこにあるのだろう。全人類の希求と言えばそれまでだが、古来、皇帝や将軍といった人々が不老長寿と精力絶倫を追求してきたことを思えば、文明がもたらした悪しき弊害は「ジジィ」の存在…おっと、失言。

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