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  2. レビュー
  3. 碑文谷 次郎さんのレビュー一覧

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先月(2017年6月)

碑文谷 次郎さんのレビュー一覧

投稿者:碑文谷 次郎

96 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本新忘れられた日本人

2009/09/02 21:09

忘れられない日本人たち

12人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

地を這う取材からもぎり取った有名、無名の日本人の言葉が重く響く「異色人物論」である。例えば、湘南ボーイとして金持ち坊ちゃんだった筈の石原慎太郎・裕次郎兄弟の父親(石原潔)が、中学もまともに卒業せず、船会社にもぐりこんで痰壷洗いという最末端の仕事から這い上がった境遇であったこと、宴会費用が予算オーバーしたとき部下に命じて会社の金庫から有り金全部を持ってこさせクビになりそうだったこと、小樽支店長に上ってから地元高級料亭の大広間で毎夜大太鼓を打って興じ”ドンちゃん”と渾名されるほど豪快な遊びを繰り返し、敵娼から悪い病気をうつされて苦労したこと、などを知ると石原兄弟のブルジョワ神話のベールが徐々に剥がされてゆくようだ。が、見落としてならないのは、次の最後の一行だろう。「ベストセラーとなった慎太郎の『弟』には、この時代の一家の思い出が書かれているが、そこには当然のことながら、石原兄弟が生まれる以前の潔の荒くれ生活は一行も書かれていない」。この文章に、無軌道な青春謳歌の象徴だった「太陽族」さえも他人からの借り物衣装だったことを暴き、さらには新銀行東京の経営破綻も全て自分には責任がないと自己保身の言い訳に終始した東京都知事を告発する著者の、ジャーナリストとしての鋭い眼光を感じないではおられない。

また、リクルート事件の首謀者、江副浩正についても、その父親の輪郭を追うことで、未公開株のばら撒きを犯した江副の内面を探り当てようとしている。厳格すぎる一方で、派手な女性関係を繰り返し浩正の生母以外に二人の妻を迎え、校長になることもなく数学教師として終えた父良之。その父の特徴的パーソナリティは、「圭角な性格と、世話好きの域を超えた押しつけがましさ」だったという。そのDNAは、リクルート女性第一号社員の結婚式にスバル360という法外なプレゼントをしたことに既に顕れ、「江副浩正の、人を狼狽させる高価な商品の贈与には、それ以上に、人の思惑を無視しかねない善意の押しつけが感じられ」「そうした関わりでなければ他人との人間関係が結べない悲しい人間性」がひそんでいるのではないかと、リクルート事件を引き起こした江副の内に流れる血に深く踏み込んで、事件の真因に迫る。政界、財界への事件の広がりばかりが報道されたが、首謀者の心の闇を抉った唯一のリクルート事件論といえるのではあるまいか。

他にも裸一貫で自分を築き上げた人たちのエッセンスが各6ページ内に活写される。その誰に対しても、著者の強烈な好奇心と共感が漂っており、有名無名を問わず各人の生き方は鮮烈で魅力的だ。例えば、「江頭は創業以来、一日十食の試食を自分に課してきた。その過重負担が、十二指腸潰瘍、直腸潰瘍、胆石、胃潰瘍、盲腸、胆嚢壊疽、肝炎などを発症させ、七つのメス跡となって刻まれた」と紹介される「ファミレスの草分け・江頭匡一」や、「これで食わせてもらっているんですから、コンニャクに愛情はあります。ありますが、だからといって、業界への愛情はないですよ」と言いつつ1948年創刊以来たった一人で「蒟蒻新聞」を発行し続けている「蒟蒻ジャーナリスト・村上貞一」を読むと、人間の持つ無尽蔵な情熱と底力に打たれ、それを丹念に取材する著者の声ー自分が自分の人生を生きるのだーが伝わってくる。決して「忘れられ」ない日本人たちが生々しく息づいている一冊と言えよう。

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懐かしい頑固ジイサン来て又去る!

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

山本夏彦翁が編集兼発行人であった月刊誌「室内」に掲載された住宅建築や家具などを巡る対談から選ばれた17編が一冊の本になったものであるが、聞き手が忌憚なく自身の意見をコレデモカコレデモカと畳み掛けて進行する対談も珍しいのではあるまいか。
「今みたいにその道なん十年の職人なら、みんな名人上手みたいにあつかって、片言隻句をありがたがる人があるのは行きすぎですよ」「伝統工芸は貧乏がなくなると、後継者がなくなる」「まじめはふざけないと出てこないものなのに、建築雑誌なんかマジメがマジメのまま出てくる、だから辟易するんじゃないのですか」「人の想像力っていうのはそんなにあるものじゃないんですよ」「この世を支配してるのは流行なんです」「家って暗いもんですよ」「日本の緑をメチャクチャにしたのは建築家です」「僕なんか親孝行なんて気持全くありません」

17名には、当時の大企業会長もいれば、健在だった有名作家も大学教授も国際的建築家もと多彩な顔ぶれであるが、各対談者に対する聞き手ならではの興味が真っ先に言明される。だから夏彦ファンなら、冒頭から”ははあーん、あの話だな”と凡その察しがつく。予想通りのこともあれば、見当違いの話もある。どちらにしても面白い。懐かしいあのダミ声口調(多分)が聞けるのだから・・・。
「前に、韓国でキムチをパックで売りだしたと読んだとき、生活が一新したんだなと察しました」「僕は電通が世界一になったのは”税制”のせいだと思っています」「今一千万人もの男女が海外旅行しているんだそうですけど、知識と学問のない者が旅しても何もならないんです」

一言一言はアッサリして辛辣である。意地悪いが正鵠を射ていると認めざるを得ない。癪な気もするが、真実である。長い間聞けなかった夏彦節。

山本夏彦翁が平成14年10月23日、87歳で鬼籍に入って6年余。もう会えないはずだった頑固ジイサンが突然甦って、現世に残る日本人を一喝し、そしてもう一度本当に去って行ったような、そんな寂しい余韻も残る一冊である。

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新たな平安時代史像

10人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

8世紀から12世紀まで「平安時代」と総称される期間のうち、本書は主に9世紀初から11世紀初までの200年間の日本を生き生きと再現している。通常、この時代は貴族と言うキーワードで代表される華やかで安寧な生活が蔓延しているかのような印象を受けるが、本書を読みつつ先ず思い浮かぶキーワードは「死」である。庶民には飢饉、疫病、天変地異などの自然災害の前に為すすべのない死が、或いは、なまじ高位高官に上れば陰謀、強欲、我執の果ての殺害が日常生活のすぐ裏に張り付いているのだ(縁戚関係が複雑に絡む藤原兼通・兼家の骨肉の権力争いはその一例であろう)。その背景が分かれば、新しい宗教として天台宗や真言宗が生まれた事情も、10世紀以降に浄土教が藤原道長から悲田院に収容された名もない病人にまで広く受け入れられた理由も肯けよう。しかし一方で、私たちの祖先は「市」を開き、買い物に生活の楽しみを求め、「祭礼」にエネルギーを発散させることも忘れてはいない。又、政治力にしても、外交は行わなくても唐物は求めるというしたたかな交易や新羅や渤海に対する小中華思想など、しぶとく生きる知恵に溢れている。その他、現代日本社会にも往々にして見られる「公私」の区別が曖昧になる起源を、天皇の執務場所の変化(大極殿から内裏紫宸殿、更には私的居所である清涼殿へ移ったことにより、天皇のプライベート空間と近臣の政務場所とが一緒になった)に見たり、「古今和歌集」「今昔物語集」「保元物語」等を「吾妻鏡」などと同等の史料として着眼しているのは、類書に見られない新機軸ではなかろうか。そのような考察の結果である本書は、死罪とされても必ず天皇の詔勅により死一等を減じられ9世紀初から3世紀半にわたって死刑が執行されなかったという、世界史的にもユニークな「平安時代」が、まさしく私たちの祖先の生きた時代であることを鮮明に刻み付けてくれる好著といえよう。

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紙の本中世の非人と遊女

2005/07/17 19:59

あなたの知らない日本の中世

10人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

昨年物故された日本歴史学者が、生涯一貫して探究し続けた「職人」をキーワードとして、本書は、”非人”と”遊女”という、現在一般的に賤視の対象となる人たちの、その発生の起源と変遷についての論考集大成といえよう。
学術論文の故、気安く通読できる本とは言いがたいが、書評者のような全くの門外漢にとっても、中世日本に確かに存在した(筈の)我々の祖先の姿を垣間見ることは、語弊を恐れずに言えば、高質なエンターテインメントを味わう心地よさに通じるものである。
例えば、遊女についていえば、鎌倉時代くらいまでは、決して賤視されていたわけでなく、もしろ天皇に直属する形で宮廷に出入りしていたとのこと。また、非人もこの時期までは、「清目」(きよめ)を芸能として、天皇、神仏に直属する供御人、神人、奇人と同様に聖なる存在として畏れられていたことが、丁寧に論証される。そして、鎌倉時代前までの、「職人」身分は、「天皇、神仏など聖なるものに直属することによって、自らも平民と異なる聖なる存在としてその職能ー芸能を営んだ」と説く。
本書には、(たぶん)たいていの人が知らない、我々日本人の中世の生活が活写されている。非人や遊女を、弱者とか差別の対象として見ないどころか、むしろ、己の芸能を力として生き延びてゆく強靭な生命力に驚嘆と共感を寄せる著者の息吹が伝わってくるようだ。

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秀吉はいつ知ったか

2008/11/17 13:24

歴史の風に吹かれて・・・

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

山田風太郎の変幻自在、自由奔放なストーリーは、決して荒唐無稽な思い付きではなく、広範且つ詳細な事実がベースであることを改めて読者に思い出させてくれる薀蓄溢れた歴史エッセイ。「一休は足利義満の孫だ」「福沢諭吉と榎本武揚の痩せ我慢論争」「秘密を知る男・四方庵宗偏」「妖人明石元二郎」などは、著者の並々ならぬ好奇心の広さと造詣の深さをうかがわせる。とりわけ、書名にもなっている「秀吉はいつ知ったか」は、高松城攻略中で現場にいた秀吉が、200キロ以上先の本能寺の変を知ったタイミングが異様に早いことに着目し、その謎解きに例の想像力を駆使する名編である。すなわち、6月2日朝本能寺に信長を殺害した明智光秀が、信長の長子信忠のいた二条御所の攻撃に取り掛かったのが午前8時頃。その首尾を見届けた飛脚の発足は早くとも午前10時として、秀吉がそれを知ったのは翌3日の午後10時頃らしいので、一人の飛脚が「平均時速6キロ」のハイペースで悪路を36時間突っ走るという不可解さに疑問符をつけ、更に、その翌日4日朝10時に高松城将(清水宗治)を切腹させて和議降伏を取り付けるやいなや、5日早々、光秀退治に馬を進めるという手際のよさ。
著者はポツリと意味深長な一言をつぶやくー「すべてが、プログラム通りであったとしか思われない」。

よく知られた本能寺の変の影に、「智謀と肉体の燃焼」の限りを尽くして光秀の天下を11日間で終息せしめついに自らの天下を掴んだ秀吉の全知全霊を傾ける情熱があるのだが、著者はサラリと末尾をこう締めくくっているー「どうでしょう?そしてまたこうなると、もののふの花、清水宗治も、秀吉の酒に酔ってその掌上で舞いを舞っただけに過ぎなくなり何やら現代でもよくある例の「課長補佐の自殺」然として来るのですがー。」

又、この本には著者終の棲家のあった聖蹟桜ヶ丘近辺の町歩きが紹介されている。著者もきっと歩きながら、秀吉や信長などと一杯お喋りしたに相違ない。小春日和の一日、そのガイドに沿って、お気に入りの散歩コースを一度歩いてみたい。

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紙の本私の幸福論

2006/05/07 16:57

半世紀前の人生羅針盤

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書は今から半世紀前の昭和30年ー31年にわたって、「若い女性」という雑誌に連載された文章集であるが、半世紀を経ても色あせないエッセンスを見事に突いた人生論といえよう。従って、その論考は男女の区別無く、私たち人間が生きてゆくうえでの貴重な羅針盤の役割を果たしている。
先ず、「人間は美醜によって損得があるのは当たり前の現実だ」と、人間平等を前提とする人生相談の模範回答をバッサリと斬り、そういう現実から目をそらすな、美醜・貧困・不具などのマイナス面があるなら、マイナスはマイナスとして肯定せよと諭す。そこからしか幸福への第一歩は踏み出せないのだ、と。
論考は、「自我」「宿命」「自由」「青春」「教養」「職業」「女らしさ」「母性」「性」「恋愛」「結婚」「家庭」と続いてゆく。随所に、著者の現実直視の冷徹な眼と、その現実の中を生き抜く優しい知恵とが散りばめられている。例えば、《「理解」は決して結婚の基礎ではない。むしろ結婚とは、二人の男女が、今後何十年、おたがいにおたがいの理解しなかったものを発見しあっていきましょうということではありますまいか。》(結婚について)と。
幸福論とはもともと結論の出ない主題であろうが、著者は最後に、「自分ひとりが孤立する」だけの快楽と、「そんな快楽よりももっと強い欲望」である幸福の違いに言及しつつ、将来、幸福になるかどうか分からないが、自分はこうしたいし、こういう流儀で生きてきたのだからこの道を探るーという生き方を励まし、自分や人間を超える、より大きなものを信じることによって、どんな不幸のうちにあっても猶、幸福であり続けるのだと締めくくっている。
いつか心衰えた日に、どの一節でも静かに味読し、半世紀前の著者と対話したい名著である。

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紙の本吉本隆明の東京

2006/02/13 22:01

情熱に燃えて・・

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

11回の転居を経たという吉本さんの住居の後を、よくぞここまでと感嘆させるほど丹念に辿った労作である。読み進むにつれてそれぞれの住居で、大衆の一員として生活した吉本さんの思想が匂いとして全篇に拡がっている。例えば幼い娘への思い出話の一つとして何気なく読み過ごしていた「佃渡しで」という詩(「わたしが生きてきた道を/娘の手をとり、いま氷雨にぬれながら/いっさんに通りすぎる」)も、月島地区への並々ならぬ庶民としての愛惜がこめられていたのだった。
住居探索は、必然的にその時の同居家族へ言及され、吉本さんを取り巻くファミリーの夫々が、くっきりとした輪郭で描かれている点にも注目したい。船大工として一家を支えてくれた父親への率直な畏敬、優しい母親との微妙な距離、結核で若死にした姉への無念の想い、工事現場で落下して死んだ一級建築士の弟、そして、三角関係の結果得た妻と二人の娘(「ただ、子どもが小さいとき医者から、奥さん身体が弱いから、旦那さんが育児の手助けをしなければ、子どもを育てるのは難しいですよ、と釘をさされました。そんなこともあって、育児と炊事当番だけは我ながらよくやったほうだと思います」)。
このように時系列に沿って、”住居+家族”を複合的に辿った結果、本著は吉本さんの一級の半生記に仕上がっている。住居や家族との写真、間取り図も豊富に収録されており、ここまで行動する著者の情熱と、著者をここまで情熱的に駆り立たせた吉本隆明の魅力を共に体感せずにはおられない。

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ただ、一陣の風のように・・・

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

副題に「山田風太郎に聞く」とある通りのインタビュー集であるが、同様構成のインタビュー集である「コレデオシマイー風太郎の横着人生論」(講談社+α文庫)と比較して、本著が面白いのは次の2点によるものと思う。
まず第一に、聞き手である森まゆみさんが、実に広範、詳細に山田風太郎を読みこなしており、それをベースに話が展開されるので、特に各「明治小説」の丁寧で正鵠を得た”自著解説”が聞けることである。
例えば、「明治波濤歌」について、森「この作品は「週刊新潮」連載のときと単行本では順序がちがうんですね。」山田「あ、違うんですか。知らなかった。」
こういう聞き手に対して、発言は自ずから懇切丁寧で(それが山田さんの元来の持ち味であったかもしれないが)、読者にとっても快いリズムで会話のキャッチボールが進行している。
第二には、”逐語録”として、会話がそのまま記録されていることである。
例えば、インタビュー中に西瓜が出された場面で、山田「塩、ここにある」と臨場感ある言葉が収録されているし、話の流れと関係の無く突然、「えらい葬式だったらしいね、勝(新太郎)は。」「あれは玉緒さんが女を上げたな。」とか「ところで鴎外の二度目の奥さんてのは美人だね。」
そして、基調低音として、「人間臨終図鑑」の著者の「ただぼうぼうと風の音」を聞く孤独が静かに伝わってくるー所詮、風のように生まれて風のように死ぬだけの一生ですな、と。

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「白熱教室」への誘い

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「白熱教室」で、様々な意見を巧みに交通整理してくれたものの、それであなたはどう考えるのか?という疑問には十分こたえてくれなかったサンデル教授が、本書では、その思想的基盤を十分開示してくれている。「正義(権利)は善(道徳)に優先するか」を一つのキーワードとして読み進むと、改めて「白熱教室」のテーマが理解しやすい。例えば教室で最初の議論である「暴走列車」。本書で、≪英語圏で支配的な正義の構想は功利主義だった。法律と公共政策は、最大多数の最大幸福を追求しなければならない、というものだった≫と、五人の線路工事人を殺すよりも一人の線路工事人のいる線路へハンドルを切る運転手の功利主義的選択への、やむを得ない不可避的同意の後に、善(道徳)の切り口から≪ロールズはこうした見方を、個人の権利を尊重していないとしてはねつけた≫と功利主義への批判を展開するのだ。

その一方で、リベラル派について、例えば≪コミュニティ内の行進可否≫という二つの係争を事例としてその限界を指摘する。≪ホロコースト生存者の多く住むコミュニティ内のネオナチ行進≫と≪南部の人種差別主義者の多く住むコミュニティ内のM.L.キング行進≫は許されるかという課題に直面し、両ケースともに言論の自由という正義(権利)の下に、行進は許されるべきだというリベラル派に対し、≪ホロコーストの生存者が共有する記憶は道徳的な敬意を受けるに値するが、人種差別主義者の団結はそうではない≫と断じ、「道徳的区別」を持ち込んだ判断の重要性を説く。

とりわけ印象深いのは、「信教の自由の権利」について、信仰の内容や宗教そのものの道徳的な重要性については判断せずに、自由で独立した自己が持つべき信教の権利を主張するリベラル派への疑問である。ここでも、サンデル教授は≪安息日に職場を休む権利と、フットボールの試合見物に休みを取る権利は同じか?≫という例えを出しつつ、≪宗教的信念は、その実践を通じて特定の社会を特徴づけるに際し名誉や評価に値するさまざまな存在や行為を生み出す≫という道徳的価値を力説して、正義(権利)という美名の陰でミソもクソも一緒に扱う過ちを鋭く衝く。本書を携えてもう一度「白熱教室」に通ってみたい気がする。

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豊かに生きるための「貧乏」

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

年金生活の心細さに、どうすればお金のない貧乏生活に耐えられるか―というハウツー本を期待して読みました。見事に期待を裏切られました。

スーパーで「百円の中国産の椎茸と三百円の岩手産のどちら」を買うか?そりゃあお金のある方は誰だって迷わず無害安全な岩手産でしょうが、年収200万円では中国産を選択せざるを得ません。しかし、著者はこう云います。《ほんとうは岩手産がいいのだけれどと思いつつ、ケチって中国産のものにする》ことは、《中国産がいけないわけではありません。その時の敗北感、怒りが、私たちを不幸にします。そのことがいけないのです。》確かに一寸した敗北感は感じます。でもその敗北感が不幸につながる・・とは思っていませんでした。百円の椎茸で我慢するけど、居間にはBOSEの最新CDコンポがあるし、Dyson掃除機(DC22)だって持っているんです。そんな私がどうして不幸なんでしょうか?

これに対し著者は、欲望からくる欲しいものではなく、人間存在の基幹の”衣食住”と”自分の再生産”にかかわる必要なものを満たしていくことは、《ケチケチすることによって心が濁らされていくことから私たちを守る》のだと云います。そして、終極的に、「欲しいものをすべて手にした者が知る不幸のなかから」仏道が生れてきたのだと、釈尊の思想に触れて、《不幸の黒幕は、心そのものに組み込まれた欲望のカラクリなのだということ》に気付くように諭します。

著者の青春時代の体験も引き合いに出して、”持ち物”、”お金”、”物欲”、”節約”、”幸不幸”等のキーワードを丁寧に具体的に説きほぐしながら、先行き不安な時代のなかで人間として豊かに生きるとはどういうことか―著者にヒントを貰った気がします。2500年前に説かれたという原始仏教がとても身近で、今に生きる思想だということも・・・。今度は思い切って、三百円の岩手産椎茸を買ってみよう、と思います。

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紙の本幕末史

2009/03/13 18:25

縦横無尽な寺小屋風講義

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「あとがき」に述べられているように、社会人向け公開講座での語り下ろしである。だから、格段、テンポが快い。1853年のペリー来航から1878年の”そして誰もいなくなる”までの4半世紀のドラマが、翔ぶがごとく、一気呵成に展開する。が、舌好調の弁士(半藤さん)の独りよがりでもなさそうなのは、登場人物自身の書簡のみならず、当事者以外の「証言」も周到に張り巡らされて、説得力を発揮しているからであろう。そして最終章の次の一節にたどり着くのだー《国策が開国と一致したのに、あえて戦争に持ち込んで国を混乱させ、多くの人の命を奪い、権力を奪取したのです。「維新」とカッコよく呼ばれていますが、革命であることは間違いないところです。・・・では、つぎにどんな国を建設するのか、という青写真も設計図もヴィジョンもほとんどなく、なんです。》いかにも、半藤さんは、「維新のヒーロー」たる大久保利通、岩倉具視、木戸孝允等の作り上げた政官政府の政令によって、国民がどれほどの忍耐・犠牲を強いられたかという負の視点からも、この4半世紀のドラマを観ている。そして、問いかけるー「明治はいまの日本をつくりあげた母胎であるという近代論は、本当に正しいのでしょうか?」と。

成る程、自分が教科書で習った「明治維新」の背後には、一筋縄では括れない多重な裏もあるのだろう。しかし、本書の面白さは、そういった重層を解きほぐす歴史観の披瀝にのみあるのではあるまい。多様な登場人物による、260年来の江戸幕府の瓦解と明治の創設というドラマ自体が面白くないわけがなく、半藤さんも縦横無尽に登場人物と一緒になってドラマ展開を楽しんでいることこそ、むしろ本書の醍醐味と言えよう。例えば、薩長同盟盟約に出てくる「皇国」について、《幕府が支配している日本に対する、朝廷が支配する日本、というくらいの意味であって、私たちが意識している天皇というほど、この時代の人たちは天皇を意識していなかったのではないか》とか、「ええじゃないか」狂騒曲に言及しつつ《この大騒ぎは、薩摩藩の人たちが倒幕に向けて暗躍するためのカムフラージュで、秘かに金も流れていたのではないか》と、かつての薩長中心史観に半畳をいれてみたり、決断の土壇場で二転三転する徳川慶喜に呆れ返ったり、大久保利通と西郷隆盛の最後の面談に示される二人の大人気なさに苦笑したり、そんな中で一貫して男らしい香気を放つ勝海舟に静かに共鳴したりして、まるで自分が見てきた史実を物語るがごとく、爽やかな口調である。

幕末について詳しい経緯は自信はないが凡そのことなら分かっている筈という程度の知識の自分には、新たな興味満載の寺小屋風講義であった。

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紙の本藤原氏の正体

2009/01/31 21:13

平安という暗黒時代のドラマ

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

平安時代の藤原道長がわが世を「欠けることのない満月」と自讃したことは教科書で読んだ覚えがある。そして満月はいずれ必ず欠けるように、藤原一族もやがて歴史の表舞台から去っていったのではなかったか。が、その「正体」といわれると、さて?・・・本書は、そんな程度の知識しか持たない「素人」がふと手にして、「意外にも近代、現代日本は、藤原氏の呪縛から逃れることができないでいるのではあるまいか。」との驚きの終章まで一気通貫の読書に引き込まれる、藤原氏パワーの起源と盛衰史を独自の視点から追求する好著である。

大化の改新は本当に正義の改革だったのか、という通説への疑問からスタートし、蘇我氏、中大兄皇子、中臣鎌足と主要メンバーを俎上にあげて「藤原氏の正体」に迫ってゆくのだが、最もスリリングな論考は、謎に包まれた藤原氏の”出自”に向けられている。「日本書紀」中に前後の脈絡なく唐突に中臣(藤原)鎌足が登場し、その過去はもとより親についてさえも一切触れられていない理由はなにか?・・・著者は、梅原猛氏など先達諸氏の考証にも言及しつつ、独自の仮説を立てて推理し検証している。その手際は細心、慎重且つ緻密というほかない。律令制度を定着してゆく過程で政権を私物化し、その反動で祟りに怯え続けた藤原氏一族の光と影が、昭和天皇の前で足を組んで話をしたという近衛文麿まで1000年にわたって活写される。その筆致は単なる歴史研究の無味乾燥とは程遠く、たとえば平安前期に書かれたという日本最古の物語「竹取物語」には、卑劣な謀略家「くらもちの皇子」が登場するが、これは当時の権力者藤原不比等をあてこすったもので、全編藤原一族糾弾の書であることを念入りに紹介して、読者を飽きさせない。

更に本書を読んで注目したのは、著者(関祐二氏)が、専門の学者ではなく、「独学で古代史を学ぶ」在野の人であるという点だ。往々にしてこの種の論考は大学教授の独占領域となりがちであるが、著者は伸び伸びと「独学」の成果を披瀝し、生き生きと1300-1400年前の社会を眼前に拡げて見せてくれる。その「独学」を支える著者の情熱が読む者の胸を静かに打つ。

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紙の本熟年革命

2008/05/03 20:01

おシャレでチョイ悪「プラチナ」人生のススメ

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「鈍感力」で私たちの常識を覆らせた渡辺淳一氏が、50歳代以上の人を、ゴールドほど派手ではなく、シルバーほど地味でもない「プラチナ」世代ととらえ、ややもすると「年相応」のいじましさに籠もりがちな、特にこれら男性にも恋愛感情を通して自分自身の輝きを追求することを力づけてくれるエセーである。

「この世で生き残ってきた動物はすべて、強い動物でもない。賢い動物でもない。それより、その時どきの環境の変化に対応できた動物だけが、生き残ってきたのだ」というダーウィンの一節を引きながら12章にわたって、渡辺氏が試みようとするのは、何事も「まあ、年だから・・・」という隠れ蓑で、ダサイ洋服を不思議と思わず、人を好きになるという人間の本性を押し殺し、長年連れ添った妻に簡単な言葉一つかけられない「プラチナ」男性に対して、”そういう気持ちは良く分かる”と先ず一緒に寄り添った上で、”でも、こうは考えられないかな・・”と諄々に固定的観念を解きほぐすことである。その語り口は、柔軟で、例えも豊富であり、整形外科の領域で使われる「廃用性萎縮」という医学用語の定義から、恋愛感情を大切さを説き、品川のホテルをマクラに恋愛による自己革命の素晴らしさを自分自身の体験として率直に語り、又、曽我ひとみさんのストレートなスキンシップを讃える。そして、読み進むうちに徐々に口調は熱を帯び、「男はシャケ・女はマス」(その理由はぜひ本書一読を)という秀逸理論を導き出し、更には加齢セックスのメリットがさりげなく且つ説得力をもって披瀝される。最終章で、妻への言葉には、「心を込めないこと」というアドバイスは、一見異様に聞こえるが、本書を読めばそのココロが良く理解できて、深く頷いた。

さて、後は実行あるのみだ。まぎれもなく「プラチナ」男性の一人である私自身、この書評投稿後、さっそく”さりげなく”老妻に一言をかけよう・・

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紙の本やがて消えゆく我が身なら

2006/02/25 17:34

死に向かう途上にて・・・

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

痛快な著である。人間最大の課題である「死」を、発達しすぎた脳の副作用と断じ、金と時間をかけたがん検診の結果の「がんもどき」で苦悶するくらいなら「本マグロの中トロをさかなに、久保田の万寿でも飲んでいる方が絶対に長生きする」と諭す。
作者は粋がっているのではない。「未来がわからないということは、実は生きていることと同義」であり「なるべく未来が未決定であるかのような人生の方が、より生き生きしている」という醒めた目で人生を見据えての発言なのだ。
作者がそう悟ったのは、どうやら虫取りで行った山梨県の山中でジープ転落事故に遭って一命をとりとめた自分自身の体験によるものらしい。そこで次のような実感が身についてくる。「もう少し体の調子がよくなったら、もう少しお金ができたら、もう少し暇になったら、多くの人はそう思って、自分にとって最も大事なこともやらないで、時間だけはどんどん過ぎてゆくのである。しかし、体の調子はこれ以上良くならず、お金は決して増えず、暇にもならず、気づいた時は不治の病を宣告されているかもしれないではないか。」
その延長線上にあるのか、突然、”a x b = c”の「エロ度一定の法則」が紹介され、老いらくの恋における強烈なエクスタシーの体感が紹介される。
このように、本書は、やがて消えゆくわが身であればこそ、巨大化した脳の犠牲になって自殺などに走らず、「人間、今一番大事だと思うことをすべし」と痛快に生命賛美を貫き通す好エッセイ集といえよう。

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紙の本夫婦が死と向きあうとき

2005/07/30 16:12

あなたも、また・・・

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故山本夏彦の言によると、「一夫一婦制は、人間の考えたものの中では良く出来ている」とのこと。真の友達など存在せず、友に似たものがいてくれれば十分なこの世の中で、夫婦として友のごとき関係を10年、20年と続けていられたら、それは立派な友である、と。
本書に紹介される夫婦像は、意識の戻らぬ夫を22年介護し続けた妻、癌で妻を亡くした現実を受け止めようと苦闘する夫、乳母車を二人で押して四国遍路を続けた果てに妻に先立たれてしまった夫、など死を前にして多様であるが、いずれも最後までお互いをかけがえの無いものとして支えあう姿が綿密な取材を通して活写される。
なかでも、車の中で寄り添って餓死した老夫婦は、自家用車を近所の裏通りにとめて車内生活を送り、カップヌードルとパンのみを食べ、最後は空のペットボトルを持参して売店の水を乞い、「二人で日向ぼっこしているように」「奥さんは夫にもたれかかるようにして」死んでいるのを発見される。
確かに痛ましい形の死には相違あるまいが、一方、最後の最後まで共に闘い、共に力尽きたこの二人は戦友として互いに信頼し、共に満足して果てていったのではあるまいか?・・・本書は、さまざまな状況下で死と向き合う夫婦を通して、必ず自分にもやってくるその時を警告し、且つ力づけてくれる迫真のドキュメントである。

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