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    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    中野 ジェームズ修一 (講師),日本放送協会 (編集),NHK出版 (編集)

    5つ星のうち 4.0 レビュー詳細を見る

sadaさんのレビュー一覧

投稿者:sada

4 件中 1 件~ 4 件を表示

紙の本ウルトラ・ダラー

2006/03/14 20:25

獅子身中の虫は誰か?

10人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

手嶋さんが以前にお書きになったノンフィクション2冊が面白かったので、本作も期待して読んでみたんですが、内容はともかく、小説としてはイマイチです。
人物描写は稚拙ですし、自動車やら映画やら、作者のうんちくらしきものが長々と語られるのも、出来損ないのスパイ小説のようで、いただけません。
テレビに出演された手嶋さんは、この小説の責任を個人で負うためにNHKを退職された、と話しておられましたが、それならば、すべて実名を挙げてレポートすれば済む話です。この内容であれば、枝葉の部分をカットすれば5〜6枚のレポートにまとめられたのではないでしょうか。
では一体なぜ、手嶋さんは小説という形式にこだわったんでしょうか。
取材して得た情報を事実と断定するまでには到らなかったのか。あるいは、情報があまりにも衝撃的過ぎ、発表した場合の影響の大きさを考え、フィクションの形をとって焦点をぼかしたのでしょうか。
物語の中心人物であり、問題の核心である「外務省審議官」のモデルが誰なのかは明白ですし、もしこれが作者の憶測や偏見に基づく創作であれば、まかり間違えば、名誉毀損になってしまいそうなほどです。
むしろそこまでの展開を想定し、告発され裁判に持ち込むことによって真実を白日の下に曝そうとする、捨て身の深謀なのでしょうか。
完全に黙殺されるか、それとも大きな話題になっていくのか、本作の周辺には、当分目が離せそうにありません。

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グロテスクで無邪気なアジ演説

73人中、66人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

なかなか手に入らないと聞き、つい手を出してしまって、後悔しています。確かに面白いことは面白い。しかし、これは「アジ演説のビラ」の類ですね。韓流ブームもかなり下火になってきたようですが、この本もそれと同じで、すぐに忘れ去られることでしょう。
中身に関しては否定しません。正論だと思います。知っている人は知っている、しかし大多数の人は何となく漠然と感じている、あるいは断片的な知識として知っている、そんなレベルの事柄を整理して簡単にまとめた点では、意義のある本だと思います。しかしここに新しい発見、未来に向けての生産的な提言が、何か一つでもあるでしょうか。作者は相手と交流するためには相手の真実の姿を知らなくてはいけない、とお考えのようですが、さてこの本を読んで、韓国人と付き合ってみたい、取引してみたいと思う人がいるでしょうか。韓国人とはこれほどまでに風変わりな、偏屈で、コンプレックスの塊で、まともにコミュニケーションも取れない、ダメな民族である。こんな人たちとは、なるべく関り合いになりたくない、そう感じる人がほとんどではないでしょうか。
マンガという形式にも問題があります。マンガ全般を否定しているのではありません。情報伝達の方法に関する話です。文章の場合、文字を読み、読者が脳内で教養や持てる情報を総合し、イメージを構築していきます。一方、映画やマンガは、直截に観客や読者にイメージを植え付けます。かつて映画を宣伝媒体としてもっとも効果的に使った集団こそ、ボルシェビキでありナチスでしたが、マンガの持つ洗脳力は、おそらく映画の比ではありません。映画はなんと言っても、実際の風景の中で実際の人物が演じるわけですから、些細な表情、編集の作為を丹念に読み取れば、作者の意図は簡単に見破ることが出来ます。しかしマンガの場合、総てが作者の主観で構成されています。イメージに疑問を差し挟む余地が無い。受け手の認識レベル(教養のレベル)によって、自由自在に宣伝効果を発揮すると言っても良いでしょう。その基本はキャラクタリゼーションです。登場人物の容姿・表情・動きを見れば、作者がその人物にどのようなメッセージを付加して読者に伝えようとしているのか、一目瞭然です。絵に描いたような純真無垢なカップルと、冷静沈着なインテリの先輩らによって構成される主人公グループ。対する韓国人・市民運動家たちの、頑迷・異常・歪んだ人格丸出しのキャラクター。このグロテスクなまでにデフォルメされた登場人物たち、彼らによって展開される無邪気なまでの善悪二元論、この幼児性にはほとほと呆れます。まるでナチスのユダヤ人排撃の挿絵並みじゃないですか。作者が攻撃してやまない韓国人特有の偏屈な感情論と同レベルだ、とも思います。しかし日韓を始め、アジア情勢の現実は、こんなに単純なものではない。
企業が大量購入している、との情報もあるようですが、実際のところはどうでしょうか。虚弱な新興企業ならばいざ知らず、圧倒的な情報と人脈の蓄積を誇る一流の大企業では、ここに書いてある事柄などはとっくの昔に折込済み、むしろそれを踏まえて長期的な戦略を立てています。この程度のマンガに頼るまで、日本の企業は落ちぶれてはいませんよ。

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薄っぺら

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

中身の無い本ですね。まあ最近は、新書ブームで粗製濫造。中公新書なども一時期に比べてずいぶん堕落しましたが、老舗の岩波新書も、かなりレベルが落ちて来ているようですね。
内容は、最近の日本の社会風潮を、6つの切り口( (1)イラク人質事件被害者へのバッシング (2)自動改札・携帯電話の普及 (3)「心のノート」 (4)防犯カメラ (5)新自由主義 (6)ブッシュ大統領と小泉首相 )で取り上げ、全体を「閉塞感・不安からの逃げ場としてのファシズム」でまとめ、現代日本を俯瞰してみよう、といった構成になっています。
しかしながら、一つ一つのテーマの掘り下げが浅いために、(1)については状況を振り返る程度に終わり、(2)と(4)は被害妄想によるコジツケとしか言いようが無く、(3)は負の側面を強調するばかりで偏った印象を受けますし、(5)と(6)は、あまりにも内容がお粗末です。
むしろこの本の中でも紹介・引用されていますが、フロム「自由からの逃走」、エーコ「永遠のファシズム」などの原著に直接当った方が、問題を理解するうえでの大きな示唆を得られると思いますし、(5)に関しては、金子勝氏の一連の著作(とくに5年程前の「日本再生論」)の方が、よほど的確に問題点がまとめられていて、理解の手助けになります。
昨今、この種の体制・風潮批判本を見かけるとすぐに「サヨク」のレッテルを貼りつけ、ピントはずれの悪口雑言を恥ずかしげも無くわめき立てるバカ丸出しのアジテーターが溢れ返っていますが、この本も、逆の立場であの手の白痴どもと同レベル、似たり寄ったりだと思います。著者が警告する「ファシズム」到来に対し、なんの抵抗力も持ち得ていません。

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紙の本レディ・ジョーカー 上

2005/11/06 17:17

優等生が書いた人形劇

12人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

高村薫さんの小説には長編が多く、しかもどれもこれも全力投球の力作揃いですね。壮大な構想に基づいて構築されたプロットを最後まで、破綻なく書き進めて行く才能には、いつもながら敬服しています。しかし、いつも中身が空っぽですね。重厚長大とよく云われますが、高村さんの小説に関しては、「長大ではあっても、重厚さが無い」、そんな印象を持っています。
この作品なども、グリコ森永事件を下敷きにしながら、ただの刑事小説・犯罪小説の域に留まらず、山崎豊子風の企業小説、松本清張風の社会派小説、そして野間宏の全体小説までをも髣髴させる、特定のジャンルでは括ることの出来ない、多面性を持っています。しかしどの面をとっても中途半端で、カタルシスが無い。実に多くの登場人物が活躍しますが、それぞれの人物の社会的背景については詳しく説明されはするものの、一人ひとりが抱え込んでいる心の闇にまでは作者の筆致が入り込んでは行かず、結局その人物がどのような人物なのか、最後まで要領を得ません。核心のキーワードとして、「悪鬼」なる言葉が提示されてはいますが、読み終わっても、その実体がわからない。結局、つかみ所の無いこの社会全体を丸ごと捉えるべく、小説世界として精緻に再構成してはみたものの、つかみ所の無さを一生懸命説明するだけで終ってしまっている。読み終わった後には、ただただ言いようの無い徒労感が残るばかりでした。
この小説を読む限り、高村さんはバルザックを目指しておられるのかと思ったのですが、高村さんご自身の言によれば、目標とする作家はドストエフスキーなのだそうです。しかし小説のタイプとしては、まったく逆ですね。ドストエフスキーの場合、プロットはある程度決めておくだけで、登場人物の造型をとことん深く掘り下げていく。小説の進行に合わせて、登場人物に作者の想念を自由自在に語らせ、プロットはどんどん形を変え、時には破綻してしまう。作者の想念がプロットから溢れ出して一人歩きして行くような、まるでアメーバのような小説、それがドストエフスキー文学だと思っています。一方、高村さんは、全体のプロットをしっかり作ってから、登場人物を配置する。登場人物にはプロットを説明する役割が振られているだけで、枠からはみ出すような動きはしない。小説としては破綻していませんが、登場人物が生きてこない。人物造型の足りない部分を、作者が文章で説明して埋め合わせるわけですが、時としてそれがやかましく感じられる。まるで始終ナレーションが横からがなり立てているような、人形劇です。
あえて言いますが、私は、高村さんが小説家として一皮剥けるためには、思い切り破綻してしまうことが必要だと思っています。身近な狭い世界で、地に足をつけ、登場人物を掘り下げ、破綻を恐れず高村さんご自身の想念を語り尽くすこと、それがドストエフスキーとまではいわずとも、野間宏の「青年の環」、大西巨人の「神聖喜劇」のような全体小説・思想小説をものにできる、必須条件だと思います。
さて現在、私の目の前には高村さんの新作、「新リア王」上下巻が置いてあります。今回は政治の世界に挑戦されたようですが、またしても破綻の無い、優等生が書いたような、気取った人形劇に終ってしまっているのか、あるいは破綻を恐れない巨大な文学を、ついにものにされのか、期待と懸念を持って、頁を開けることにします。

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