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  3. hamushiさんのレビュー一覧

レビューアーランキング
先月(2017年6月)

hamushiさんのレビュー一覧

投稿者:hamushi

283 件中 1 件~ 15 件を表示

無発語という暗闇に住む息子からの手紙のようでした

54人中、53人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

作者は養護学校の中学部に在籍する無発語の自閉症の少年。お母様や療育者とともに懸命に努力してパソコンで本を綴れるまでになったという。本書の存在をネットで知り、即座に注文を出した。届くまでの日数をこれほど長く感じた本は他にない。読後、これこそ私が最も読みたかった本だと心底思った。
 私にも自閉症の息子がいる。九歳の今も無発語で、文字の読み書きは覚えたけれども、自分の気持ちを言葉にするというスキルを身につけることができない。話せないために実際以上に幼く扱われ、知能検査では言葉の理解の不足のため測定不能に近い最低数値をたたき出す。期待されるようなことは何もできない子。それが息子の知的能力に対する一般的な評価である。
 作者の東田君は、そんな自閉症児の真情を切々と訴える。「僕たちだって成長しているのに、いつまでたっても赤ちゃん扱いされます」「赤ちゃん扱いされるたびに、みじめな気持になり、僕たちには永遠に未来は訪れないような気がします」そして彼は言う。「本当の優しさというのは、相手の自尊心を傷つけないことだと思うのです」。生活場面の大半で「何もできない子」として扱われている息子がときおり癇癪として発せざるを得ない気持ちが、鮮やかに代弁されていると感じた。
 東田君はこうも言う。「僕は色々なことを学んで、成長したいのです。僕と同じように思っている人は、他にもいると思います。僕たちにとっての問題は、自分だけでは勉強できないということです。僕たちがみんなのように勉強できるようになるためには、時間と工夫が必要です」。
 息子が重度の発達遅滞であると分かったとき、周囲の一部の人々は「この子に勉強なんかさせるのは可哀想」と言った。でも親の私には、息子の脳内に知的な思索や観察の力が詰まっていることが言葉を介さずとも理解できた。ふとしたはずみに見える、知性的で情感豊かな表情やふるまいが、それを雄弁に伝えてくれるからである。けれども息子にはそれを他人に知らせる方法がない。放っておけば決まり切った儀式行動に耽るばかり。
 東田君は言う。「自閉症の人が繰り返しを好きなのは、自分のやっていることが好きだとか、楽しいからではないのです」「たぶん、脳がそう命令するのです」「僕がそれに従わないのならば、まるで地獄に突き落とされそうな恐怖と戦わなければならないのです」。
 息子の常同行動をうまく止めることができると、息子はパニックを起こしながらも、どこかホッとした表情をすることがある。自分でやりたくてやっているのでないことは、そんな様子からも分かる。けれども「自閉の子を落ち着かせるには、同じことをさせておけばいい」という固定観念が世間では強く、彼らの本心はないがしろにされがちである。本当は新しい経験をたくさんしてみたいのかもしれない。けれども思い通りにならない脳と体に妨げられて、自閉の檻に閉じこめられている…そのことを東田くんの本は言葉ではっきりと教えてくれる。
 無発語の自閉症者の手記は、他にビルガー・ゼリーンというドイツの青年の「もう闇のなかにはいたくない」という、すばらしい作品を読んだことがある。ビルガーは自閉症状がとても重かったため、作品が贋作ではないかと疑われ、マスコミに叩かれるという憂き目にあい、傷ついて執筆をやめてしまった時期もあるという。自閉症の子を取り囲む闇は、脳障害と周囲の無理解という、二重の暗い壁によって形成されていることを痛感する。東田君も、少なからずそうした闇に苦しんできたことだろう。
 内側から外に手を伸ばすことのできない孤独に苦しむ子供たちを、闇に放置しておいてはならない。そのことを改めて強く感じた。

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他人の説明することの難しい親子問題を抱える若い方々に読んでほしい一冊

18人中、17人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

人格障害的な親にコントロールされつづけることで苦しむ、年若い方々に、できるだけ早い時期に手に取って読んでもらいたい本である。

中年以降になってからでも遅いとは言わないけれども、年を経るほどに、積み重なってきた人生の問題が相当に抜き差しならなくなってしまい、どのように動くにしても、犠牲が大きくなる可能性が高くなる。

間違った友人や恋人や偶者を選んでしまってボロ布のようになる前に、能力を生かしてのびやかに暮らす可能性をことごとく自分の手で潰してしまうことになる前に、さらには長年の不条理なストレスからくる重篤な病気によって人生の可能性を大きく損なってしまう前に、自らのクビを絞めつづけ、自由な感情を殺そうとするものの正体が「何」であるのか、どうかはっきりと見極めて、人生の主体性を取り戻してほしい。

我が子の人生を根底から損なうほどの「毒」を与える親というものをイメージできる人は、あまりいないのかもしれない。人格障害的な親を持ってしまった「子供たち」は、意を決して他人にそのことを相談した結果、「そうは言っても親子なんだから、許してあげたら」とか「どんな言葉であれ、親は子供の幸福を願って言っているのだから、受け止めるべき」などという、一般論的な「親孝行」「良き母性」もしくは「あたたかな父性」について説教され、いつのまにか自責の穴に落とされて終わってしまうことが多いようだ。

けれども、それでは何の解決にもならないのである。全く子供を愛さない親、愛することをそもそも知らない親、さらには子供の傷をえぐることでしか自らの生きる手応えをつかむことのできないような壊れた親のもとにある子供たちは、とにかく親の手から自分の人生を取り戻し、身を守って生きる道を見いだすしかないのである。

私は忘れない。
子供に死ね死ねという罵りの言葉をぶつけているとき、あるいは子供が重病で危うく命を落としかけたときに、最も強い光を目に浮かべて生き生きと振る舞っていた「ある親」の顔を。忘れないだけでなく、同種の問題に苦しみつづける年若い人達に語り、一人でも自助の道を見いだせることを願いたい。

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紙の本食べ物を変えれば脳が変わる

2009/02/03 18:46

うつ病と戦うための、参考書

16人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

うつ病の家族を守るために、一家の主婦として台所で出来ることはないものかと、方法をいろいろ探していて、この本に出会いました。

うつ病の改善には、セロトニンの材料となるトリプトファンの摂取が望ましいということは、知識として知っていました。

けれども、トリプトファンを多く含むとされる食材を、せっせと料理して食卓に載せてみても、目に見えるような改善の手応えがないまま、時間だけが過ぎていきます。悪化は防いでくれているような気はするけれど、はっきりと「よくなる」ということがないのです。


やはり「ただの食品」では薬のようにはいかないものなのかと内心落胆しつつ、けれども代謝の過程など詳しく調べて対処することで、もっと効率よく「効く」ようにできないものかと、ずっと思っていました。


とはいえ、アミノ酸の世界はすさまじく広大で、猛烈に複雑です。

何冊か本を買って読みましたが、その方面のシロウトにとっては、密林の奥地か地底世界に迷い込んだようで、とても手に負えませんし、勉強しているヒマもありません。生まれ変わったら、こうしたジャンルの研究者になりたいとまで思いましたが、来世を待っていては家族は救われません。


ですので、この本の「うつを撃退する栄養素」という章を読み、もしかしたら今生でなんとかなるかもしれないと思ったときには、脳内にどーんと花火が上がりました。大袈裟ですが、脳障害や精神疾患の家族のいる家庭は、それほどに追いつめられる場合もあると、ご理解いただければと思います。


本書では、トリプトファンの摂取にはコツのあることを教えてくれています。


トリプトファンが血液-脳関門を通過するために必要な「運搬人」が存在するのですが、その「運搬人」は、他のアミノ酸をも運ぶ仕事をしているため、高タンパク質の料理を食べると、他のアミノ酸に押しのけられてしまい、トリプトファンが脳に入りにくいというのです。


ところが、甘いものを食べると、トリプトファンが血液-脳関門を通りやすくなるそうなのです。糖質によって分泌されるインスリンが、トリプトファンの運搬を手助けするために、そのようなことが起きるのだとか。うつ気味のときに甘いものを食べると気分が向上することがあるのは、そういう理屈によるのだそうです。

だからといって、トリプトファンを脳に送り込むために甘いものばかり食べるわけにはいきません。精製された砂糖やデンプンの摂取による血糖値の乱高下が脳に悪影響を与えるということも、本書では指摘されていますし、不健康な肥満の原因にもなることは言うまでもありません。


そこで、トリプトファンと他のアミノ酸との競合を避けるために、なるべく胃がカラッポのときに、トリプトファンとフルーツジュースなどを一緒に食べるといいと、本書では勧めています。

劇的な改善というのは、難しいかもしれませんけれども、少しでも早く、よくなってもらうために、台所部隊も精一杯がんばってみようと思います。


以下は蛇足です。
本書は、ある程度、脳の構造や神経伝達物質の名称やしくみ、脂肪酸やアミノ酸などの知識がないと、用語に振り回されてしまって、一読して理解するのは若干厳しいかもしれません。また、うつ病のご本人が読まれると、疲弊してしまう可能性があるかと思います。余力のあるご家族にとっての参考書としては、お勧めできる一冊です。






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一気に読まされてしまう「腹の底」

16人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 百タイプの「医師」と、さまざまな「患者」たち。
 類型化されているにもかかわらず、どの「医師」も「患者」も、声や気配が伝わってきそうなほど、生々しい。そのことに、少し困った気分になりながら、夢中になって読んでしまっている自分がいる。

 何かと病院から縁の切れない生活であり、数は多くはないものの、成りゆきでさまざまな分野の医師に出会い、話をする機会があった。
 そのときに、目の前の医師の腹の底が全く分からないと感じたことは、実はない。そしてこの本のなかで、実に身も蓋もなく、時には容赦なく自らに刃物を振るようにして割られて見せられた「腹の底」は、どこかで見知ったものばかりだったように思う。
 
 書かれている内容は、ともすれば、業界の裏事情を暴露するかのような際どいものに思えるかもしれない。できれば消滅してもらいたいようなトンデモ医師が何人も出てくるし、患者の立場にある人が読んだならば、相当に心境複雑であろうと思われる、迷いや困惑を秘めた医師の「本音」も語られている。
 けれども、医師も人間だからと、ありきたりなことを言って納得するために、この本があるのではないと思う。

 結局のところ、精神病や深刻なパーソナリティの問題を抱えて生きるということ、そしてそれを「治す」ということが、どういう意味を持つことなのかを、医師の立場からこれでもかというほど厳しく問いかけ、論じようとした本なのではないかと思われた。
 
 それにしても、この本はどんな読者に向けて書かれたものなのだろう。精神科医や、それを目指そうとする人達だろうか。でもそんな人はそう多くはないはずである。

 患者の立場の人には、この本の内容はキツすぎるのではないかと思う。本書に出てくる「体重三百キロの患者にこそ相応しい超ヘヴィーな処方を平気で出す医師」の話は、私も知人から直接聞いたことがあるけれども、患者を薬殺しかねない医師の話など、これから投薬を受けようとする人なら聞きたくもないのではないかと思う。「わがままな患者に対して、陰険で持って回った意趣返しをする医師」なんて話を読んだら、疑心暗鬼気味の人は、診察を受けられなくなってしまいそうである。

 患者でも医師でも看護師でもないものの、精神医療の場に少なからず関わらなくてはならない立場の人間ならどうだろうか。医師の側の腹の底を垣間見ることで、自分なりのスタンスを見出す手がかりを得ることはできそうである。しかしここで語られている事は非常に重く、また深い奥行きのある問題意識へと引き込むものばかりである。リアルな生活を抱えた意識で、そこまでつきあえる人はどのぐらいいるのか。

 そういえば著者は、若かりし頃、ウィリアム・カーロス・ウィリアムスという、詩人であり医師であった人の「物語」の影響を強く受け、文学との親和性をも考慮して、精神科の医師になることを選んだそうである。

 この本は、もしかしたら、文学書のようにして受け止めることで、手に余るものではなくなるのかもしれない。

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親の抱える問題の生け贄にならないために

15人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書を読み進め、紹介されている事例の大半が自分の体験に重なることに、慄然とした。たとえば次の症例。

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「おふくろと俺との、すさまじいけんかは、一発触発だった。とにかくひどいもんで、暴力的で、悪意に満ちていた。あんな猛烈な罵りあいは、ほかのだれても、一度もしたことがない。相手が男だったら殴り合いになるところだが、この場合は母親が相手だし、自分の母親とそんなことをするなんて、考えもつかない。でも、おふくろはしつこくて、くだらないことをあげつらうんだ。一度なんて、屋根が吹っ飛ぶほどのけんかをやらかした原因は、俺が歯磨きをサボッた、ってことだったくらいだよ」

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私には信じられないことだが、「屋根が吹っ飛ぶような親子喧嘩」の話を聞いて、"牧歌的"というような感想を持つ人というのは、世間では少なくない。「腹を割ってつきあえる、いい親子関係じゃないか」「信頼関係がなければ、そこまでの喧嘩はできないだろう」というのである。

私に言わせれば、冗談ではない話である。

腹を割るどころか、これは、母親の人権蹂躙から身を守るための命がけの闘争なのだ。屋根が吹っ飛ぶような騒ぎになるのは、子どもが「家から逃げ出すことを禁じられている」からである。

執拗な蹂躙や干渉から身を守りたければ、とっととそんな家から逃げ出せばいいのである。けれどもドアはふさがれ、出口はどこにも見つからない。逃げ出せば、屋根が吹っ飛ぶ殴り合いよりも「恐ろしいこと」が待っていると、子どものほうはわきまえているのだ。だから、逃げられない。

「恐ろしいこと」とは何か。

それは、死よりも重い罪悪感である。

子どもを裁く立場の母親に言わせれば、全世界を裏切るに等しい罪業、というところか。なにしろ「世界」というのは、母親自身の精神の安寧のことにすぎないからだ。

ほんのささいなこと、たとえば上の事例のように、歯を磨くのを忘れたとか、学校に忘れ物をしたとか、あるいは食事中ニコリともしなかったとか、そんな程度のことで、気まぐれに凶悪犯罪者のように裁かれる子どもの日常がどんなものか、想像できる人は少ないと思う。

言い訳や口答えは一切許されない。
少しでも反発すれば地獄の釜の蓋が開く。
かといって謝罪も全く受け入れられない。奴隷のようにひれ伏そうが、恭順の態度を示そうが、母親が飽きるまで、徹底的な人格攻撃や罵倒が続く。

ときには一晩中、枕元で罵られることもある。そういうことが一週間、七日七晩続けば、さすがの私も物が喉を通らなくなったものだったが、誰に事情を話しても、いつ自宅が地獄と化すか分からないという異様さを正しく理解されることはなかった。

親子関係に苦しみ抜いた果てに、親がボーダーであるという結論に達した人は、いまでは日本でもたくさんいるのではないかと思う。とくにネットでは、情報がいろいろと出回っていて、「もしかして」と思う人の道案内となるようなサイトやブログも出来はじめている。

そういう方々が本書に出会うことは、理不尽や干渉や罪悪感によって奪い取られ、閉ざされかけている人生の可能性を大きく広げる契機となるかもしれない。

ただ、できることなら信頼のおけるセラピストや支援者、理解者とともに、問題の解決にあたってほしいと願うのである。とくに難治性の鬱病に苦しんでいて、なおかつこの問題を抱えている人(とても多いのだ)には、ぜひとも支援が必要である。物心ついてからの長い歳月、生き延びるために恐怖の中心から目をそむけ、感情を抑圧してきた人にとって、「本当のこと」を認識する作業は、心身にとてつもなく負担のかかる、恐ろしいものであるかもしれない。孤独に立ち向かうには、あまりにも大きな試練である。

どうしても支援をすぐには得られない人は、心のなかで、自分の人生や命を親の生け贄に捧げることは金輪際やめにして、自分の人生を守るのだという、強い意志を固めた上で、全力で知性を駆使して事に当たってほしいと思う。

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「同じ」ことと「違う」ことは、共にとても大切なこと

13人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この夏、二歳半の末娘に一番愛された絵本です。

 「みんなおなじ でも みんなちがう」

 そういいながら、いろんな長さの鉛筆をならべてみたり、自分の指を眺めたりしています。
 末娘にとって、この絵本との出会いは、カテゴライズするということと、かけがえのない、唯一の個体として認識するということの違いを意識する、貴重な経験であったようです。それはある種の快感をもたらす体験でもあったようで、同じ文しか出てこないこの本を、とにかく何度も何度も、親のほうが音を上げるまで、繰り返し音読することを求められました。
 みんなおなじ、でもみんなちがう。この認識は、たとえばハンディキャップを持った人と生活の場面を共にするときにも、とても大切なものであると思います。同じ人間であるということと、同じようにはいかない問題が存在することを、共に正しく認識し、相互に分かり合うことは、簡単なことのようでいて、なかなか難しいことだからです。
 我が家には自閉症の息子もいて、「同じだけど、違う」「違っているけれど、同じところや、結構似ているところもある」ということを、日々痛感させられていますけれども、この絵本の教えてくれていることを素直に受け入れている末娘は、いずれ自分の兄弟の問題についても、客観的な理解と思いやりを持って相対することができるようになると信じています。


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紙の本許可証をください!

2007/02/24 09:09

とりあえず、町で見かけるフォークリフトから目が離せなくなる一冊です。

13人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 このジャンルの小説の中で、一番気に入っているシリーズです。もう何回読み返したか分かりません。化学とは縁もゆかりも興味もなかった完全文系人間の私が、お話の中に出てくる、中小の化学工場がどんなものかと思って、ネットで検索してイメージを膨らましたりしています。でも「化学工場 勤務 中小」なんていうキーワードで検索をかけると、トップででてくるのはこの本について書かれたサイトだったりします。ブログや書評コーナーで取り上げる方がたくさんいるからでしょう。私同様、何度も読み返すという愛読者も多いようです。
 とにかくお話がおもしろいです。出てくるひとたちは、大半が働くおじさんなのですが、味わい深い面々ばかりです。主人公はもちろん、脇役の一人一人に至るまで、作者の愛情をたっぷりうけて大切に育てられたキャラクターたちなのだろうなと、読み返すたびに思います。それだけに、存在感が並大抵ではありません。作業服着たおじさんたちが、相当に濃い圧迫感を持って、目の前にずらりと並ぶような錯覚さえ覚えます。愛やら恋やらを語るお話には、およそふさわしくなさそうな情景ですが、違和感は全くありません。
 恋愛小説、ということになるのでしょうが、主人公の弘と前原の関係は、仕事を抜きにして語ることができません。美貌のインテリで、頑固だけど天然ボケ系の弘と、現場で叩き上げられてきた、強面で強引な若頭の前原では、気性も生い立ちも考え方も全く違うのですが、技術者として、また責任を持って人の上に立つ人として 非凡な面を多く持っている二人だけに、共に触発しあい、ときには反発しあいながら、最大限の情熱を仕事に向けることによって、プロジェクトXもびっくりするようなドラマが次々と嵐のように巻き起こります。
 そんななかに、これでもかというほど情のあついシーンが織り込まれ、恋愛というよりも、魂の爆発的遭遇とか融合とでもいいたくなるような展開を見せるので、読んでいて退屈するヒマなどありません。
 ちょっと特殊な状況での恋愛ではありますが、人生をかけて人を好きになるというのは、こういうことかもしれないなあと、素直に思わされるものがあります。そこにものすごくリアルな説得力のある、まっとうな強さや正しさが存在するからでしょうか、読んでいて、とても前向きな元気を貰えます。それが、このシリーズの再読を促す一番の理由だろうと思います。

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紙の本烈火の契り

2007/07/12 11:26

「契り」はしあわせなほうがいい

13人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

非常に濃厚な印象のお話でした。
 沖縄戦の影を深く残したまま無人島となった「神喜島」と、そのリゾート開発を計画する不動産会社社員たちの不協和音の強い人間関係を背景に、社員の一人である斎と、島の出身者であり幼い日を共にしたこともある高良との、運命とも因縁ともつかない絆が、恐ろしいまでに深いものであったことが語られていきます。
 高良が島の秘密の「伝い手」という立場にあること、そして「伝い手」は「つがい」と呼ばれる同性のパートナーとしか結ばれてはならないというしきたりがあることなどは、いかにもこのジャンルに都合のいい設定ではあるのですが、島の歴史や住んでいた人々の感情などが、開発の下見にやってきた社員たちの抜き差しならない思いや軋轢をも交えながら、生々しく回顧されていくので、いつの間にか納得させられてしまいます。
 お話のなかでは犯人および殺害方法不明の殺人事件や、極限状態に追い込まれた者同士の傷害事件まで起こるなど、ミステリー小説の様相を呈している部分もあるのですが、メインはあくまでも、斎と高良という二人の青年の互いを思う気持ちと、運命に対する覚悟であるのだと思います。
 秀香穂里氏の作品では、恋愛感情の強さがとにかく半端でなく、互いに侵食し合いたい、丸ごと食らってしまいたいというレベルであることが多いようですが、この作品においては、人格の壁をぶちぬいて互いに融合してしまいたいという意味の発言が繰り返しでてきて、心に迫ります。「融け合いたい」というのは言葉にしてしまえば簡単なことですが、それをリアルな思いであると感じさせるだけのお話にしてしまう作者の秀香穂里氏、いつもながら、すごいと思います。
 蛇足ですが、上田秋成の「雨月物語」に、「菊花の契り」という、BL的な要素が、露骨にないでもないような気がしないでもない作品があるのですが、もしかしたらこの作品のタイトルはそこから来ているのでしょうか。約束を果たすために死を選ぶという痛ましい結末となる「菊花の契り」とは違い、このお話の二人は因習という檻に取り込まれながらも幸福に融合するのですから、江戸時代の秋成には書けなかった、「菊花」のハッピーエンド版と言えるのかもしれません。

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紙の本

2007/12/01 17:51

母達のしたたかさが印象的でした…

13人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。


 いつも活動的なプラスエネルギーに充ち満ちた登場人物の多い烏城作品と、暗い影やどうしようもなくジメジメして肌寒い因縁話のよく似合う今市子氏のイラストという組み合わせに、「おや?」という思いを抱きつつ読み始めたのですが、読み始めてすぐ、心の底から納得感を覚えました。
 なにしろこの作品の主人公である稔は、学業を半ばで放棄したあと、何も仕事をしていないのです。好きな道はあったのですが、とある陰惨な事情で断念し、それっきり将来の展望も持たないまま、家に籠もって暮らしています。いちおう、不治の病を抱える母親の介護をするという役目はあるものの、母がいなくなれば、父の残したお金を食いつぶして過ごすだけの、無為の人生が待つばかり。
 主人公の好きになる宗司という男も、唯一の家族である母親と口も聞かずに、家に閉じこもってデイトレードに明け暮れるような人物です。この人はどうやら有能らしいのですが、仕事の様子はほとんど語られず、最初のうちは、穏やかな相貌の裏に、何らかの理由で瓦礫同然に破壊されたらしい心を隠しているらしいことが伺えるのみです。
 こんな後ろ向きの人物ばかりが、烏城作品に出現するということだけでもオドロキですが、さらに「檻」というタイトルに示唆されているように、稔が巻き込まれていく事態は、外の社会につながる空気穴すらふさがれたような、おそろしく閉鎖的な様相の濃いものです。
 難病を抱える母親の介護をしながら、世間から隔絶されたような暮らしを送っていた稔は、伯母の勧めによって、母親と共に母の生家に戻ることになります。伯母というのは母親の兄嫁なのですが、母の兄はすでに亡く、広い屋敷で息子である宗司と二人暮らしをしながら、夫から継いだ財団の仕事をしています。世慣れていない稔は、伯母について慣れない仕事を学ぶ傍ら、幼少時から人に言えない思いを寄せていた宗司との同居に心をときめかせ、淡いながらも気持ちの通じ合う過程を喜んでいるのですが、屋敷の庭に存在する、出入りを禁じられた開かずの茶室にまつわる「何か」が、稔以外の家族たちを重く縛り付けていることを感じ、不審に思い続けます。
 やがて稔は、家族としての好意とも底の見えない執着心ともつかない、微妙な感情を向けてくる宗司に対して、口に出せない思いを抱えきれなくなり、その茶室に引きつけられるようにして入り込んでしまうのですが、そこは稔が知るよしもない、いまはこの世にいない、血を分けた者たち……稔の母の兄であり宗司の父でもある宜哉と、母のもう一人の兄である尚秋の残した、愛憎の亡霊の住みかだったのでした。
 稔が茶室にいるところを見てしまった宗司は、稔を尚秋の亡霊と思い込んだかのように、普段の温厚な性格をかなぐり捨て、殺さんばかりの憎悪を向けて稔に乱暴をはたらきますが、自分のしてしまったことに気づくと、悔恨とともに自室に引きこもって出てこなくなります。稔は自分の存在が宗司を苦しめると考え、母の生家を出ることにするのですが……。
 稔も宗司も、極端に社会性というものに乏しい人材で、生い立ちやトラウマを考えれば同情の余地が多いとはいえ、正直、発破をかけたくなりました。とくに稔よりもずっと年上であるはずの宗司は、口もきかない関係の母親の手のひらの上で暮らしつつ、稔の勇気と包容力に救われるばかりで、最後までほとんどいいとこナシであるだけでなく、蓋を開ければサド系というキャラで、なんとも情けない限りでした。
 それに対して、彼らを見守り、理解し、絶妙な立ち位置で支えながら、最終的に二人の息子を幸福に導いていこうとする母親たち……稔の母である由美と、宗司の母である聡子の、強さとしたたかさは、たとえば烏城作品の「許可証」シリーズの主人公である弘と前原の、愛情深く元気で明るい母親たち(天然と苦労人のコンビでした…)や、「LinS」の主人公である惇を、強引に生涯のパートナーと引き合わせてしまう、親友の里村今日子のたくましさに、深く通じるものがあるように思い、やっぱりこれは烏城作品なのだなあと、うれしい気持ちになりました。二人の母は、屋敷の茶室にまつわる過去のために、人生が壊れるほど傷ついてきているはずなのですが、それを乗り越えて、一癖も二癖もある深い愛情を持つ女性になっていったのでしょう。
 稔と宗司がいつの日かたくましく成長して、母たちの手のひらからはみ出るほどの魅力を持つ人間になるのかどうか、いささか心許ないものがありますが、頑張ってほしいものだと思います。

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紙の本純情ロマンチカ 8

2007/02/06 12:31

なかなか「しあわせに暮らしました(完)」とはいかない人々

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 行きつけのスーパーの子供用品売り場に隣接した書籍コーナーの少女漫画の棚で、堂々と全巻平積みになっているのを見かけたのが、このシリーズとのとの出会いでした。
 ずいぶん売れているようだけれど一体どんな作品なのだろうと、ちょっと買って読んでみたら、実に驚愕の内容だったのですが…そのままハマり、新刊が出るたびに購読しつつ、今日に至ります。
 「ロマンチカ」篇の主人公である、美咲とウサギさん(宇佐見秋彦)をはじめ、実の親との縁が薄いなど、過去に何らかの深刻な喪失を体験している青年たちが、出会うべくして出会い、お互いをかけがえなく思う気持ちを育てながら、一緒に暮らしていくという物語なのですが、全編、強烈なギャグや独特の暖かみに包み込まれているためか、この種の深いトラウマがベースになっているお話にはありがちな暗く湿った印象を全く感じさせない、希有な作品であると思います。
 今回も、木彫りの四本鮭熊(北海道産の例のオブジェが異様な方向にパワーアップした土産品)の登場に、心の底からやられました。
 このお話では、せっかくうまくいきかけているカップルの間に、強烈な妨害者が割り込み、これでもかというほど引っかき回していくという展開がお約束となっているようです。
 ウサギさんと美咲の間には、美咲の兄である孝浩、出版社専務の井坂、ウサギさんの兄、美咲の先輩である角など、すでにお腹いっぱいになるほどのお邪魔キャラが挟まっているにもかかわらず、今回は新たにウサギさんの父親まで現れて、二人の間に余計な波乱を巻き起こします。この妨害の多さは、おそらくはウサギさんという人物の持つ業の深さそのものに比例しているのだと思うのですが、彼の謎めいた過去の経緯は、今回もはっきりとは語られず、次に持ち越された形になりました。まだまだ波乱とともに物語は続いていくのでしょう。
 「エゴイスト」篇の上條(ヒロさん)と野分の間にも、野分の病院の先輩だという津森という人物が割り込んできて、ありもしない野分の「不倫」を演出して上條を動揺させたり、これみよがしに自分の立場の優位さを見せつけるなどして、上條をどん底に突き落とします。いつもなら、成層圏よりも高いプライドが邪魔をして、直情径行モードになれない上條ですが、さすがに今回は素直にキレて、津森の脳天に怒りの鉄槌を振り下ろします。その鉄槌が、カカト落としだったのか、手に持っていた野分の黒カバンだったのか、絵を見ただけでは判然としなかったのですが、「ちょっとからかった」だけとは思えない、津森のあからさまな邪念や悪意を思えば、よりダメージの大きいワザであったことを願いたい気持ちです。鬱陶しいし、他にもキャラのかぶったような人が何人もいることですから、彼はできれば小児科で気絶したまま永久に引っ込んでおいてもらいたいところです。

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紙の本やさい

2007/01/23 11:05

しっかりした、よい絵本です

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 重度自閉症の息子と、読書の時間に読みました。
 最初のページは、あふれるように生い茂った大根の葉っぱを両手でまとめてひっぱって、土の中から掘り出すところ。スーパーで売っている大根しか見たことのない子供には、おもいがけないシーンであるようです。
 次はキャベツ。畑のなかで、花のように広がる濃い色の葉につつまれたキャベツの姿は、やはりなかなか目にする機会のないものですから、息子にはそれがキャベツであると、すぐには分からなかったようです。なんども指さしして「きゃべつ」と教えても、不思議そうな顔をして見ていました。
 文章は、見開きに十五〜二十字ちょっと。目で追いながら、一緒に音読するのに、ちょうどいい長さです。つくりの丈夫な絵本なので、同じものを繰り返し、長く長く読み続けたがる自閉の子のニーズに、十分答えてくれます。

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紙の本ぶーちゃんとおにいちゃん

2008/01/05 18:50

子どもたちの「今」を鮮明に描き出し、残してくれる絵本。

11人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 年の離れたお子さんを二人以上お持ちの方は、「そうそう! うちとそっくり!」と思われるような、リアルな兄弟関係を描いたお話だと思います。
 うちの子供は、上から順に、十一歳(長女)、十歳(長男)、二歳(次女)なのですが、二歳の末っ子が、今まさにぶーちゃん状態。毎日毎日、小学生の姉と兄につきまとい、いかに邪険にされようとも、どこまでも追いかけていこうとします。
 なんでもかんでもまねしたがり、対等に扱われたくてピラニアのように食らいついてまわるチビの妹に対して、姉と兄はぎりぎりまで我慢するのですが、いつも結局堪忍袋の緒が切れて「あっちいけ」と追い払ってしまいます。妹は地団駄踏んで大泣き、姉兄は素知らぬ顔でどこかへ待避……でも、しばらくすると、ぶーちゃんとおにいちゃんの二人のように、妙に仲良く結託して遊んでいたりするのです。
 子供たち自身がこの絵本を読んで、どう思うのかは、いまのところ分かりません。
 長女は読んだものの、なぜか妙な表情をして感想を語りません。身につまされるものがあるのでしょうか。
 長男は、重度の自閉症のため、込み入った感想を聞き出すことができないのですが、日常会話が全くできないにも関わらず、しつこくからんでくる妹を叱りつけるときだけは。明確に言葉が出てくるという、不思議なスキルを持っているので、もしかしたら、絵本の内容についても、言いたいことはたくさんあるのかもしれません。
 末っ子も、理解できそうな時期がきたら、ぜひ読んでもらおうと思っていますが、そのころには、お兄ちゃんお姉ちゃんに対して、一途に追いかける今とは違った、もう少し複雑な感情を持っていたりするのかもしれません。そう思うと、毎日毎日、これでもかというほどトラブって大騒ぎする子供たちの日常が、なんだか愛しくなってきます。

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紙の本子どもの発達と感覚統合

2007/02/04 11:38

知的な発達障害を感覚の統合という側面からとらえ、改善をはかる道。

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 知的な発達の遅れを持つ子どもの多くは、体のバランスが悪かったり、特定の皮膚刺激に対して耐性が弱かったり、よくころんだり、激しい回転運動をしても目の回る様子がないなど、さまざまな運動・感覚上の問題をも抱えていることが多いものです。
 多くの親たちは、育児するなかでそのことに気づいていますが、そうしたことが知的な発達の遅れと深く関わっているということや、適切な療育によって運動・感覚上の不都合を改善することで、他の問題にも好影響を与える可能性があるということまでは知らない場合が多いだろうと思います。
 本書では、学習障害や注意欠陥多動性障害など、発達上の困難さを持った子供たちの問題を、脳内での感覚統合という側面から具体的に解き明かし、運動や刺激による有効な治療法を示しています。
 幼児期の息子を診てくださっていた児童心理の先生に、「この本を読んでいます」と話したところ、知的な発達の問題を抱える子の親にとって必読の一冊であると、強く推奨されました。
 言葉が遅い、視線が合わない、落ち着かない、年齢相応のことがどうしても出来ない……そんな心配な状況が重なり、しかるべき機関に相談して「発達障害」の可能性があると言われると同時に、多くの母親は、混乱や精神的なプレッシャー、そしていわれのない罪悪感にさいなまれるのが実情であろうと思います。
 そんなときにかけられる言葉の多くは、「まだ子どもが小さいのだから様子を見ましょう」「考えすぎでは?」という無責任ななぐさめだったり、「母親の愛情さえあれば問題ない(愛情が足りないから問題が起きる)」というような、根拠のない精神主義であったり、「とにかく声がけやかかわりあいを多くしてあげればよい」という、具体性を欠くアドバイスだったりします。
 少しでも子どもの人生を守りたいと願う母親は、こうした言葉に翻弄され、見通しのもてない育児に疲弊し、孤独で辛い日々を送ることになります。私も、多動とパニックの収まらない息子の状態改善について公的機関の指導者に相談しては、「こういう子どもたちは誰からも愛される人に成長すれば、それでよいのだから」などと言われ、あ然としたものでした。
 問題に直面した直後の親子にとって、本当に必要なのは、「発達障害」として具現化している脳の問題の本質であり、その改善に必要な。そして有効な治療教育の情報であるはずなのに、そうした発想で、障害児とその家族を早期からトータルでサポートするような公的な援助は無きに等しいのが日本の現状です。
 本書は、子どもの状況を医学的根拠のある視点から客観的に観察し、状態改善のための建設的な療育の指針を持つという道があるのだということを教えてくれる、貴重な水先案内の書となってくれると思います。

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紙の本くだもの

2007/02/06 10:11

「どうぞ」という、やさしい言葉を教えてくれます

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 二歳の娘と九歳になる自閉症の息子が愛読する絵本です。
 娘はこの絵本を繰り返し読み聞かせるうちに、くだものの名前をきれいに発音できるようになり、「はい、どうぞ」という言葉も覚えてくれました。
 息子のほうは、物の名前を自分から口に出すことが難しいという脳のハンディを持っているのですが、私の読み上げるのを聞いて、きれいに発音をまねしてくれます。もともと果物を食べることが大好きなので、絵本のなかのリアルなくだものたちを見ることが、とても楽しい様子です。

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たべものたくさん、ひらがなも豊かに集う、あったかい一冊。しかもよく考えて作られています。

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「あいうえお」の本は、いろいろな趣向のものがたくさん出版されていて、私も何冊も集めましたが、この本のすばらしいところは、濁音や半濁音が「おまけ」あつかいされず、省略されることもなく、清音のひらがなたちと同等の扱いをされているところです。
 こういう楽しい絵本であれば、読み聞かせのなかで、濁音や半濁音の表記の仕組みに、自然に親しんでいくことができます。うちの二歳児が、いま喜んで眺めています。
 自閉傾向のある就学前のお子さんが、この本で楽しくひらがなをきちんと覚えたという話も聞きました。はやし歌のリズムと、おいしそうな食べ物の絵が、自閉の子の好奇心をうまくくすぐって、文字の習得に力を貸してくれたのでしょう。
 うちにも自閉症の子がいます。ひらがなはすでに習得済みですが、目下カタカナの学習中で、「はんばーぐ」や「びすけっと」など、ひらがなで表記された外来語の下にカタカナ表記が添えられている本書は、まさに学習にうってつけです。これからどんどん読ませて、一緒に楽しんでいこうと思っています。

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