サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

  1. hontoトップ
  2. レビュー
  3. 1969さんのレビュー一覧

レビューアーランキング
先月(2017年8月)

1969さんのレビュー一覧

投稿者:1969

8 件中 1 件~ 8 件を表示

紙の本ぐるんぱのようちえん

2004/02/06 12:22

3歳からでもハローワーク

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ただ好きだという理由で「本当の仕事」を見つけられるほど、世の中は甘くない。
 
 ぐるんぱは実に5回も「クビ」を経験し、「しょんぼり、しょんぼり、しょんぼり、しょんぼり、しょんぼり」する。この「しょんぼり」感が実に良い。特大のビスケット、特大のお皿、特大の靴、特大のピアノを頭の上に乗せ、特大の車に乗って「しょんぼり」し、「僕はどうして駄目なのか?」と沈思黙考するぐるんぱの姿が愛らしい。
 象の仲間の間でも特別身体の大きいぐるんぱは、作るものも特大。とても商品とは呼べず、雇用主たちも閉口してしまう。ただ大きいことだけを除けば、ぐるんぱの作る品物は決して欠陥品という訳ではない。でも人間が使えないほど特大であるという一点が致命的欠陥であることに、ぐるんぱは全く気付かない。だから雇用主たちは、最後に口を揃えて「もうけっこう」と言う。この言葉の意味は重い。英語で言えば「ノーサンキュー」。絶対の拒絶。この言葉の後に会話は存在しないのである。だから、ぐるんぱは寂しくて悲しくなる。「しょんぼり、しょんぼり、しょんぼり、しょんぼり、しょんぼり」する。

 ぐるんぱが、ようちえんを開園できたのは偶然の所産であった。「たまたま」である。
 でも、私が感心するのは、彼が徹底して愚直であること。頭で考えないで極めて行動的だということ。そこに、「本当の仕事」に辿り着ける必然があったとも言える。だから読者は得心する、「あぁ、そうだね ぐるんぱ、良かったね」と。

 今から30数年前、将来の選択において現在ほど自由が無かった時代に書かれた本書は、当時の世相をこのように反映していたのかも知れない。職業を選択する前に、職業との関わり方がいかに大切か? をぐるんぱは身をもって私達に教えてくれていたのだろう。
 『13歳のハローワーク』がベストセラーになる現在の日本でも、その本質は変わらない、いや私達が変わってしまって、本質が見えなくなってしまったのかもしれない。

 「あれは嫌い、これは好き」の権化のような、リクルートスーツ姿の学生を街でを見るたびに、こう声をかけたくなる。
「ねえ、子供のとき『ぐるんぱのようちえん』って本があったじゃない? あれ、活動前にもういっぺん読んでみない?」

 来年度入社の新入社員には、全員必読にするかな?

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

この夏、行く人も、行けない人も「南の風」を感じる一冊

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 旅にでるのに、ガイドブックを開かない人はまずいないだろう。良くも悪くも、私たちはそういう時代を生きている。
 「私は一切開かない。事前に情報収集するなんて愚の骨頂! 行き当たりばったりが旅の醍醐味!」と言い切る人もいるが、そう言える人はとても幸福な人。誰もが時間的・金銭的に余裕があり、放浪に近いような旅ができる訳ではない。せいぜい2泊3日、長くて一週間が限度。これが現実ではないだろうか?
 そんな旅は、必ず目的的になる。「空気の良い高原に行きたい」、「きれいな海で泳ぎたい」、「子どもに自然を見せてやりたい」。理由は様々だが、僕を含めた一般庶民の旅はまずガイドブックに触れるところから始まる(旅行記を読んでその土地に行ってみたくなる場合もある。しかし、大多数の人はまずガイドブックだろう)。初めて行く土地の場合は尚更だ。その土地の風土・交通手段・地図・宿泊・食事・見物先・土産物、ひと通りの情報が満載され見知らぬ土地でも迷子にならないよう配慮が施された本を、私たちは「ガイドブック」と呼ぶ。
 しかし、このガイドブックが以外と厄介な存在なのだ。あなたが、この夏「きれいな海で泳ぎたい」と考えたと仮定する。近くにきれいな海がないので、旅行を計画する。本屋に行き、ガイドブックの棚の前に立つ。きれいな海というキーワードから、あなたはまず沖縄の海を連想する。沖縄に関するガイドブックを手にとって眺める。瀟洒なホテルの眼前に広がるコバルトブルーの海、砂浜に立つビーチパラソル、よく日焼けした水着姿の男女が波打ち際に佇み、亜熱帯植物がビーチにやさしい影をおとす。海で泳いだあとは、サンセットクルーズ、オープンテラスでフレンチのコースを楽しみ、ホテルの部屋は全室オーシャンビュー。まさに南の島のビーチリゾート、しめてお値段58,000円也…。そう、あなたが好む好まざるにかかわらず、全ての情報が紋きり型の商業イメージに記号化されているため、自分の旅の目的が陳腐で即物的に思えてしまい、せっかくの旅が興醒め。これがガイドブックの悪いところ。
 「じゃあ、どうしたらいい?」とお困りのあなたにお薦めしたいのが本書。夏の旅行シーズン目前なので、この時季にどうしても紹介してみたかった。
 JTA(日本トランスオーシャン航空)が機内誌として発行している『Coralway』に掲載された、宮古・八重山(先島諸島)の記事をピックアップして「沖縄離島情報」としてまとめたもの。「え! たかが機内誌でしょ?」とあなどることなかれ。この『Coralway』、実は地元沖縄ッ子(ウチナンチュ—)の間でも評価が高い。わざわざ定期購読している人もいるくらいの人気ぶりで、書店流通はしていないが下手な雑誌よりよっぽっど読み応えがある。情報過多の雑誌編集者は、本書を読んで少し反省してもらいたいぐらいだ。内容をおおまかに言えば、特集コラムと連載記事で構成されていて、コラムで取り上げた島々(地域)の詳細情報、ガイドブック的な「食べる・見る・泊まる」情報もきちんと押さえてある。勿論過不足はあるがそこはご愛嬌。執筆陣も池澤夏樹・椎名誠、写真は垂水健吾と豪華絢爛だが、記事の視点はあくまで「旅人」。そう、ヒト・モノ・風土に対する「出会い」に重点を置いている。だから、テーマをあまり深く掘下げていない。でも思い入れはたっぷり。この辺のバランス感覚が絶妙である。情報量も適当で、「知り過ぎず、知らな過ぎず」。教養主義的ではないので読んでいて楽しい、行ってみたくなる。
 
 この夏、沖縄に行く人は旅のお供として、行けない人は読んで「南の風」を感じて欲しい。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

「閉じない」ために、僕は読む

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 昨年発刊された『新世紀にようこそ』の第二弾。
 感傷的ともいえる書名のために、手に取ることを躊躇してしまった人もいるだろう。

 でも僕は手に取った。そして精読した。前作を読んでいたこともある。しかし、それ以上に今回は書名に惹かれた。『世界のために涙せよ』というこの直截なタイトルが、今の世相にどれだけ響くのか? いったいどれだけの人々がこの問いかけに応えてくれるのか? 
 声高にもの言う人ではない池澤が、敢えてこの書名をつけたのは「挑戦」であると僕は思った。これは、僕達の、そして池澤自身の「スタンスではなくアティテュード」を問いかけている。

 作家である池澤が、9.11以降の世界について、メールコラムを書き、コラムの読者からの返信にときに答え、現在の「僕達の状況」を浮彫りにしていく試みは、話題となった。新世紀にようこそ 第二弾である本書は、アフガニスタン空爆後からイラク戦争勃発までを掲載しており、ネット上のコラムも現在のところ本書以降の更新はない。本書と前作の間に、池澤はイラクへ赴き、『イラクの小さな橋を渡って』を上梓した。

 今回の池澤のメッセージは端的だ。それは、「閉じるな」ということ。思考を停止させ、自分の理解できないこと、答えの出ない、結論を導きだせない事は考えない、それではいけない。有益な情報を収集し、分析し、導き出された結論を疑い、また思考する。こうした連鎖を通して、沈着で忍耐強い精神が生まれる。武器は思考しない。自分はおろか相手の思考までも停止させてしまう。でも言葉は思考を促す。他者にむけられた言葉は、相手の思考をも喚起する。
 だから、閉じてはいけない。人間は閉じた時にこそ武器を使いたがる。それを止めるために自分は何が出来るのか? 結局戦争は止められなかった。でも、まだだ、まだ僕達は閉じてはいけない、始まったばかりなのだ。戦争という結果がまた次なる問題を提起しているのだから。

 本書において、そうした池澤のメッセージはより強くなったように思う。前作では、コラム読者からの感想に対する池澤のコメントを本文中で展開する構成になっていたが、本書にはそれがないことが少なからず影響している、と僕は考えている。池澤の主張が前作より際立ってみえる構成になっている。池澤は、なぜそうしたのか理由がわからないとしながらも、「今回、僕は独りで沈思の方へ促された」と記している。読者の感想は今でも寄せられているし(ウェブ上で閲覧可能)、インタラクティブな着想から始まった企画であるのだから、読者の感想は載せるべきだとも思ったが、良い悪いは別にして僕は本書を前作より刺激的に読んだ。読者の感想の代わりと言うと語弊があるが、巻末に中村哲・『旅芸人の記録』のアンゲロプロス監督・二人のジャーナリストとの対話が収載されている。彼らも世界のために涙する人々である。

 僕はどうか? まだ憤りが強くて涙にならない。そう、少し「閉じている」のかもしれない。だから僕は「閉じない」ために、本書を読む。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本神話と日本人の心

2003/09/22 13:54

「河合老人力」まだまだ健在

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 昨年発刊された『口語訳 古事記(完全版)』(文芸春秋刊)は、随分と売れたようだ。本書の著者河合も指摘している通り、グローバリゼーションに晒される日本人にとって、ルーツ探求(身体的にも精神的にも)がブームとなっているし、本書の発刊もタイミングが良い。

 もっとも、タイミングが良いと言っても、本書は40年来河合が日本神話の中に見抜いた「中空均衡構造」(二項対立的空間の中に、無為の第三者が存在することにより、対立概念の善悪ならびに行動の成否について明確な結論をさけ、バランスを保持する)によって、神話に見られる日本人の精神特性に言及したもので、一神教の「中心統合構造」との丁寧な対比は、見事という他ない。
 また、この「中空均衡構造」は外来の新しい対立概念ですら周縁部から徐々に取り込み、いつのまにか新しい構造としてシステムを更新してしまうという、なんとも凄まじい特性を持っているのだ。日本におけるキリスト教の発展的経過のくだりをみても、もうそれは薄ら寒いほどにはっきりと分かる。河合は、西洋社会にみられる「中心統合構造」の問題点を指摘しながらも、この「中空均衡構造」は無責任を招きやすく、バブル経済によって拡散・蔓延した無責任システムの危機を警告する。
 
 河合の指摘は、私たちの日常性のなかに頻繁に思い当たる節があって怖い。
 私は『古事記』をむしろ物語として楽しんできたのだが、無意識裡にこうした物語性に自分も取り込まれてきたのか、と思うとゾッとしてしまう。刺激的・衝撃的といっていい内容だった。
 
 しかし、ただひとつ残念なのは、本書は河合の独壇場であり反証がほとんど無い。河合自身も「あとがき」で、「最近老人力が増してしまい…」、他の論考を精査することなく発刊に至ってしまったことを自戒している。それでも、茶目っ気たっぷりに「まあ、この歳になれば、こういう書き方も許してもらえるだろう」と言うところがこの人らしいのだが、むしろ反証はこれからの日本を担う若い世代の読者諸氏に任せる、というのが本音であるように感じられた。

 「問題提起だけをして、それはないよ」と言いたいところだが、ぐっとその言葉を飲みこんで、最後に「してやられた」と思いながらも、考えさせられてしまった一冊だった。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本金曜日の砂糖ちゃん

2004/02/13 11:42

お姉さんの幸せ

1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 酒井駒子のような姉がいたら、僕の子供時代はさぞかし幸せなものになっていたのではないか、と時々考える。人に話すと、単なるシスターコンプレックスだと笑われそうだが、本当にそう思っているので仕方がない。
 きれいな絵を描く、指の白くて細い(これは想像というより妄想)3つ年上のお姉さん。いつも僕の傍にいて、クマや花や虫たちの話を聞かせてくれて、時々詩を書いたりもして、家族で旅行に行くと決まってスケッチに忙しい、寡黙な姉。
 勿論、こんなものは勝手なイメージである。なんの根拠もなければ、酒井の少女時代を知っている訳でもない。ただ、彼女の描画からは、自分の身近な、特にちょっとだけ歳の離れた弟に向けられる眼差しを感じてしまう。『よるくま』は言うに及ばず、『ロンパーちゃんとふうせん』や『赤い蝋燭と人魚』にすら、そうした文脈が見え隠れしているように思えてならない。こういう言い方が解りにくければ、少女に向けられて書かれている、というより少年に向けて書かれていると言い切ってしまおうか?(相当の非難は覚悟して書いています)

 そんな僕の論拠の弱い仮説をいよいよ確実なものにしたのは、今回お姉さんから届いた3篇の物語(というより詩に近い短いお話)だ。
 表題の「金曜日の砂糖ちゃん」のカマキリの気持ち、「草のオルガン」の少年と原っぱの邂逅、「夜と夜のあいだに」の幼女に宿る精霊のごとき浮遊感。いずれも、「ねえ、君にはわかるかな?」と幼い異性に問いかける、やさしさと意地悪さを同時に持ち合わせている。
 
 特に男の子を主人公とした「草のオルガン」に惹かれる。昭和40年代に東京や大阪などの大都市圏で少年期を送った人ならば分かると思う。誰もが通過儀礼として経験する「原っぱ」。開発の途上で、いつのまにか忘れられた場所。あるいは、いずれビルや工場が建ち、別の空間に移行してしまう期間限定の土地。廃墟とも違う、独特の喪失感や限定的な実存が漂う場所。酒井がこれを体験的に描いたのか、想像力だけでディーテイル描写をしたのかは分からない。しかし、そこにはまさしくあの「原っぱ」がある。少年がくぐるバラセン(有刺鉄線のことです)、遠景から捉えた全体図、壊れたオルガン、そして、舞い降りるカラス。歌にならないメロディーを奏でる少年とオルガンに注がれる、どこまでもやさしい「姉的視線」。とおの昔に少年を捨ててきた僕に、単なるノスタルジーを超えた現在進行形の「少年」を浮かびあがらせる。

 それにしても、駒子お姉さんはとっても幸せな人だ。今この不況の嵐が吹く出版界の中で、装丁を含めてこれほど自由に本を創れる人は、そうはいない。このまま、伸びやかに、しなやかに仕事を続けていって欲しいものだと、弟としては切に願うのである。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本だれが「本」を殺すのか

2003/06/19 11:35

第3弾に期待したい

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 相変わらずの取材力・筆致力には舌を巻くが、佐野氏にとっても「現場」である業界を描いている為か、『巨人伝』や『カリスマ』に見られるような第三者的視点で「相手の懐に飛び込んで行く」気概が感じられなかったのは私だけだろうか?
 確かに本書は、現在の出版不況の一側面は言い当てている。書評や図書館までを綿密に取材し、トレンドであるオンライン書店・電子出版も漏らさず、それらの意義にまで言及した本は中々ないだろう。同様に「取次悪玉論」に陥りがちな無知な業界人に喝を入れる姿勢は爽快ですらある。
 しかし、多角的に分析したが故なのか、あと少しで問題の核心に迫れるのに、そこに至らなかったことが残念だ。
 欠落しているのは、「メーカーとしての出版社」という視点である。本が生み出され、読者の手に届くまでには様々な指紋がつく、と筆者は説明しているが、その指紋のつきかたが省略されてしまっている。三章の「版元」では経営者、五章の「編集者」では編集者にしか話を聞いていないのは明らかに片手落ちだ。日本の出版社の歴史、あるいは現在のどこでもよいから具体的な版元を綿密に取材するべきだったのではないか? 版元はメーカーである以上、編集・製作以外の業務も機能として持っている。そういったプロダクト部門以外の版元の姿を描きだすことで、自ずと版元の経営実態が明らかになった筈だ。現在の出版社倒産の多くは、コーポレートガバナンスがとれていないことに起因している。出版労組に言及したところで著者はこの点ももっと深く掘下げるべきだった。
 取次・書店に対して何の提案もない出版営業の実態(書店がメーカーとして版元をどう見ているのか?)、返品に溢れかえる版元倉庫の商品管理の杜撰さ(返本が全て断裁処分される訳ではない。「死ぬ本」「生きる本」の判断基準は?)、「昼時に注文の電話をかけたら電話すらとらない版元」と書いてはいるが、それが何故なのか?(どういう神経しているのか?と憤慨し呆れているだけでは読者は納得しないのでは?)

 本書は、縦横に業界を描いてはいるものの、本質的な部分を抉り出しているとは言い難い。類書の業界本も合わせて読むことをお薦めするとともに、著者には第3弾の執筆を期待したい。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本神々の食

2003/08/25 15:07

本を作るって難しい

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 雑誌の連載が書籍化される。 
 毎月毎月楽しみに読んできた記事が一冊の本になるのは嬉しいものだ。
 まとめて一気に読めるし、保存形態として雑誌より本のほうが断然安定感がある。また、活字も読み易いし、本になった触感を楽しむ人もいるだろう。あるいは、改稿、追加原稿が入ったり、変化を楽しむこともまた面白い。
 しかし、連載作品を本にするのは、そんなに簡単なことではない。むしろ難しいし、編集者の技量とセンスが一番試されるのもこのケースだ。
 つまり、作家が執筆に至った経過を知り、作家の書籍化に対する意欲や熱意を汲み取り、用紙・装丁・文字組み・レアウトを考えて、どのジャンルで販売ルートに乗せるか、を考えていかなければならない。
 最も大切なのは、連載時の作品が放っていた輝きを損なわないこと。あるいは、連載時からの読者の期待を裏切らないこと。「書籍化は、連載時の作品とは全く別物」と考える著者もいるが、そういう考え方は本来有り得ない。既にその作品には読者がいるのだから。
 
 はっきりいうと本書は連載当時のものが良かった。期待していただけにがっかりした。
 JAT(日本トランスオーシャン航空)の機内誌「コーラルウェイ」(「サンゴの道」という意味)は、沖縄県民もこよなく愛する空飛ぶ雑誌だ。JATの航路は主に沖縄の本島・離島間を結ぶものだから長くて1時間。水平飛行時間も10〜30分だから機内誌を読んでいる間もなく目的地に到着してしまう。おまけに機外のきれいな海に眼を奪われている時間も多い。それでも、この雑誌が多くのファンを持つのは、記事内容が優れているのもさることながら、テキスト自体が機内で読む質量としてちょうど良いからだろう。気楽に、楽しく、ためになり、且つ量も適当。池澤自身も当然このことを意識していると思うし、連載ごとに現地取材を行って思い入れはかなりあるが、けっして内容は「重くない」。

 本書の編集者は、当然このことを知りながら、「文芸書」として本書を発刊してしまった。池澤は小説家である訳だし、販売ルートに乗せるにも書店の棚に陳列するのにも文芸書のジャンルと考えるのは当然である。しかし、手にとってみてまず違和感がある。版型は文芸書王道の四六版、上製本より軽いイメージのあるフランス装にした意図は、作品内容がコラム・エッセイであり「柔らかい読物」としての印象を与えるためだろう。でもわざわざそうするくらいなら、思い切って文芸書の道を捨て、もう少し大型の版型で本書を編めなかったかのか?
 この連載の読みどころは池澤の文章であるが、垂水健吾の素晴らしい写真にもあった。原色のあでやかな食材と、それを作る生産者の誇らしげな姿が印象的な写真をもっと活かす版型にするべきだろう。おまけに、マット系の用紙を使っているために発色が悪いし、写真の大半が死んでしまっている。一部連載時の写真とは別のものに差し替えられているものもあったが、連載時の写真の方が断然インパクトがあった。
 
 「諸般の事情により」というところだろうが、どうも発想が単純すぎる感がある。読者にどう読んで欲しいのかがまるで見えてこない。素材を活かす努力をする余地はあっただろうに。連載が素晴らしかっただけに残念でならない。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

勇気ある「失敗作」を読む

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 また、凄惨な事件が起こってしまった。
 「誰かに責任をとってもらいたい」が社会全体に蔓延する。犯人に? その親に? 少年法に? 彼を育んだ地域に? そしてこの国のシステムに?
 しかし、誰のせいにしたところで死者は還らず、犯人の少年のリビドーは不明のまま。たとえ動機が解明されたとしても、遺族にも、加害者の家族にも、地域住民にも、そして事件に関心をよせる全ての人のなかにも、喪失感と虚しさが残るだけ。そして、犯人の顔写真がメールで出回り、ネット社会は犯罪すら消費してしまう。

 本書は「神戸連続児童殺傷事件」を追ったノンフィクションである。著者の高山が事件発生直後から現場に入り、月刊誌「新潮45」に1997年8月号から4回に亘って連載した「ドキュメント『地獄の季節』」に加筆・修正を加えて発刊したものだ。
 単行本発刊当時からその存在を知ってはいたものの、今まで読むことをしなかったのは、事件があまりにも生々し過ぎたからだ。前代未聞といわれ、その残虐的犯行手口と、14歳の少年が実行犯であった衝撃。(僕は事件の第一報を、行きつけのお好み焼き屋で知った。店の客全員が、夕刊と7時のニュースにくぎ付けになって食事どころではなかった当時の店の雰囲気を、そのまま再現することだって出来るほどだ)
 たまたま書店の文庫の棚で、本書と再会したのが3週間ほど前。「もうそろそろいいか」と思い読み始めると、止まらなかった。
 
 労働組合がつくり、墓所も警察も歓楽施設もない清潔な「顔のない街」ニュータウン、過熱する事件報道、象徴的な「タンク山」、少年の両親が育った南の島とその因習、少年の家族の形。それらのトポロジーについて考察し、また高山自身の少年時代に少年Aを照らし合わせ、一見特殊に見える少年を取り巻く環境や心象が、実は僕達の身の回りに散見することができる事象ないし兆候であることを提示して見せる。「特殊性」という言葉の、数々の欺瞞を暴こうと高山は果敢に事件に挑む。途中、加害者両親の事件に対する態度を痛烈に批判するところが鼻に付くことを含めて、迫真のドキュメントといえるかもしれない。
 しかし、残念ながら本書は「失敗作」である。最大の原因は肝腎の少年Aの人物像を描ききれていないこと、そしてそれを普遍化できていないことだ。勿論少年に直接取材することはできないし、周辺取材にしても事件後間もなかったこともあって、十分ではない。しかし、(不謹慎な言い方を許して頂ければ)この本は面白いのだ。高山が深く深く水底の迷宮に潜っていく。息切れと方向感覚の麻痺に見舞われながら、高山の「迷い」と「揺らぎ」だけが水面に浮遊し、読者である僕達はそれを注意深く手ですくって、再検証することを要求される。
 
読後感を一言で言えば、「藻に絡まって抜け出せない」というのが正直なところだった。事件は陰惨で救いがなく、学ぶべき教訓を導き出すことすら不可能に近い。でも、僕達はこの勇気ある「失敗作」を、今読む必要があると思う。長崎や沖縄の事件を、本書を読んだことで単純になぞるのは愚かな行為だが、なり振り構わず高山のように迷宮に飛び込んで行く勇気だけは持とうと思う。

 高山は本書の約半年後、『「少年A」14歳の肖像』(新潮文庫)として再びこの迷宮に入っている。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

8 件中 1 件~ 8 件を表示