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さすらいのペシミストさんのレビュー一覧

投稿者:さすらいのペシミスト

3 件中 1 件~ 3 件を表示

新自由主義の認識を刷新する著作

17人中、17人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「新自由主義」という言葉は、1980年代半ば以降、日本でも非常によく用いられるようになった。一般のイメージでは、市場原理主義、市場自由主義、規制緩和、民営化、「小さな政府」の追求、といったものだろう。
 そうしたイメージはもちろん間違ってはいない。しかし、こうしたもろもろの概念は、基本的に「市場か国家か」という枠組みの中に位置している。しかし、著者のハーヴェイは、新自由主義の核心は、戦後の「埋め込まれた自由主義」と「ケインズ主義的妥協」によって抑制された資本とエリートの階級権力を、市場化や金融化などの思い切った手段によって回復して、資本蓄積危機を労働者や社会的下層の犠牲にもとに克服することにあるとみなす。
 「階級権力の回復」に役立つならば、新自由主義の理論はしばしば無視されて、強力な国家介入が要請される。とくに、権力回復プロジェクトとして重要な役割を果たすのが、ハーヴェイの規定する「略奪による蓄積」である。1、私有化と商品化、2、金融化、3、危機管理とその操作、4、国家による再分配、がその主たる側面である。
 もちろん、階級権力回復のプロジェクトとしての新自由主義という観点は、サッチャー主義を支配層の側のヘゲモニー再構築戦略とみなしたギャンブルの『自由経済と強い国家』以来、注目されてきたことであり、ハーヴェイも依拠しているフランスのマルクス経済学者レヴィとデュメニルにもそうした観点が見られるが、しかし、それでも今日、しばしば忘却されている。
 本書は、そうした観点を議論の中心に据え、それをいっそう広い歴史的および地理的文脈で捉えなおし、その歴史的・地理的な不均等発展の過程を丁寧に分析している。同時に、新自由主義論ではたいていネグレクトされている中国の新自由主義化についても1章を割いて論じている点が、類書にない特徴である。
 新自由主義の問題を社会科学的に論じる場合、本書の主張をしっかり踏まえることなしには、視点がぶれることなく正確な議論をすることはできないだろう。
 なお、付録として、日本における新自由主義化について詳細に論じた渡辺治氏の長大な論文が収録されている。
 翻訳は丁寧かつ正確で、読みやすい。独自に編集された事項索引もきわめて詳細で、便利である。

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紙の本レーニン

2007/03/28 00:31

良質の訳で読む等身大のレーニン像

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 レーニンほど激しい毀誉褒貶にさらされた歴史的人物はいない。スターリンでさえそれに及ばないだろう。激しいスターリン批判がなされた時代でさえ、その批判の規準となったのはレーニンであった。レーニンはいわば、左翼の世界で、正しさをはかる不変のものさしとみなされていた。だが、ソ連・東欧の擬似「社会主義」体制が轟音とともに崩壊し、無数のレーニン像が引き倒されてから、かつてレーニンを奉っていた人々から、おのれのかつての盲目的レーニン賛美に対する復讐であるかのように盲目的なレーニン叩きがなされるようになった。
 だが、そろそろ、盲目的賛美でも盲目的非難でもない冷静なレーニン評価がなされていい頃である。本書は、レーニンの同時代人であり、レーニンとともにロシア革命と内戦を指導してその勝利を導いたトロツキーによる、身近に接した等身大のレーニンについての回想である。
 トロツキーの人物論には定評がある。レーニンは、何らかの人物論を書いたことがなかった(おそらくはトルストイ論を除いて)。彼にあっては、個々の人物は自分の政敵か味方なのであって、粉砕するか、批判して矯正するか、あるいは説得の対象であった。それに対し、トロツキーは無数の人物論を書いている。トロツキーは多くの同時代人を鋭く観察し、その内面をまるでエックス写真のように赤裸々に見透し、その人物の強さと弱さのいっさいを暴き出し、その人物を歴史的文脈に位置づけ、そのしかるべき大きさと高さを正確に測定する。自己を偉大に見せようと虚勢を張る人物ほど、トロツキーの容赦のない人物評の餌食となった。本書でも、イギリスの作家H・G・ウェルズ、イギリスの保守党政治家チャーチルなどが、見事に料理されている。
 レーニンが死んだ1924年に出版された本書は、着々とトロツキー包囲網が狭まっていき、ソヴィエト民主主義が窒息させられていく緊迫した雰囲気の中で書かれた。トロツキーはレーニンを語りながら自己を防衛し、レーニンによる闘いを描きながら、政敵に一撃を加える。だがそうした政治的文脈にもかかわらず、さまざまなエピソードを通じて等身大の生き生きとしたレーニンの姿が浮かび上がってくる。よく笑い、犬や子供を優しくなで、しばしば絶望的な様子でユーモラスに手を振り、会議に遅れまいと一生懸命クレムリンの庭を走るレーニン。
 トロツキーの『レーニン』は戦前にも戦後にも訳されているが、いずれも1925年の英訳訳からの翻訳であった。この英語訳は非常に不評で、レーニンについてもマルクス主義についてもよく知らない人物が商業的に翻訳したもので、誤訳だらけのものだった。そのため、戦後、アメリカでもイギリスでも改訳版が出されているほどである。数年前、中公文庫から、戦後の訳である『レーニン』の復刻版が出されたが、これも同じ1925年版を底本にしている。それゆえ、ロシア語原著からの正しい翻訳での『レーニン』が長らく待たれていた。それが今回、ようやく実現の運びとなった。良質の翻訳で読むトロツキーの『レーニン』はまた格別である。
 本書には原著の『レーニン』に加えて5本の付録が収録されている。いずれも珠玉の小品だ。本書を通じて、レーニンという人物が、そのあらゆる誤りと失敗にもかかわらず、スターリンとは根本的に異なった類型に属する人物であることがわかるだろう。そしてその彼とトロツキーが指導したロシア革命も異なった色彩を帯びて読者の前に浮かび上がってくるだろう。

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紙の本グローバリズム

2007/03/30 14:30

経済地理学者のグローバリズム論

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 日本の代表的な経済地理学者である水岡不二雄氏の啓蒙的なグローバリズム論である。
 筆者はグローバリズムを、1、新古典派の市場原理主義者が言う抽象的で均質的なグローバリズムのイデオロギー、2、多国籍企業の戦略としてのグローバルな経済活動、3、覇権国家が周辺国を従属させる仕組みとしてのグローバリズム、という3つの類型でとらえ、1を批判しつつ、2と3の実態を浮かび上がらせるという手法を取っている。
 新古典派の市場原理主義の理論を基礎からわかりやすく説明した第3章や、今日のグローバリズムの実態を経済地理学の理論装置を用いながら明らかにした第4章などは、個人的におもしろかった。とはいえ、経済地理学でなければ分析できなかった決定的な論点を提出しているわけではない。すでに知られていることを、経済地理学用語で解説しなおしたという側面が強い。
 また、現在進行中のグローバリズムに対抗するオルタナティブを提示する第5章は弱いように感じる。利他的で共同体的な「互酬」という概念をオルタナティブの核心にすえるのだが、社会組織を分類した座標軸には、市場か共同社会か(横軸)、利己主義か利他主義か(縦軸)しかなく、階級関係という軸がネグレクトされている(180頁)。
 こうした限界は、オルタナティブの担い手としてもっぱら市民のNGOを想定するという限界に結びついている。労働者階級を基盤にした運動体である労働組合と労働者政党の役割がほぼ無視されている。この点はデヴィッド・ハーヴェイの場合と対照的だ。
 日本に関しては憲法9条の扱いが低いのも気になる。日本をアメリカに従属させたという否定的役割に一面化されており、そこから、対米自立と東アジアの集団安全保障という条件がありさえすれば憲法9条を改定してもよいという意見につながっている(231頁)。階級的な支配従属関係と帝国主義の観点をネグレクトした憲法9条論は、リアリティを持たない。
 とはいえ、初心者のみならず、従来のグローバリズム論に飽き足らない経済理論指向の人にとってもおもしろく読める著作である。

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