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先月(2017年8月)

念仏の鉄さんのレビュー一覧

投稿者:念仏の鉄

5 件中 1 件~ 5 件を表示

紙の本プロフェッショナル

2004/10/03 22:10

落合の野球観の中では、名選手への道が、そのまま真っすぐ名監督に続いている。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 有名なプロ野球選手が引退すると、とりあえず本を書くことが多い。中身は、現役時代の体験談や交友録といったものになりがちだ。
 本書も、ざっと目次を眺めると、有名無名のプロ野球関係者の名前が並んでいて、その類いの本のようにも見える。98年限りで引退した落合が、長いプロ野球人生で関わりのあった人のことを書いている、という意味では、「その類いの本」には違いない。
 だが、人選と内容には、とりわけ中日をリーグ優勝に導いたばかりの今、読み返すと唸らされるものがある。特に、一般にはあまり知名度のない人々に関する項目で。

 たとえば、新人時代に守備を教わったコーチ、河野旭輝について、落合はこう書いている。
「河野さんの指導というのは、無駄のない動きで堅実なプレーを身に付けること」「何歩も動かなくても捕球できる守備位置、イージーな打球のさばき方、二遊間の素早いコンビネーション、確実なスローイング。挙げればキリがないが、これらの動作を基本から叩き込まれた」
 落合は今春のキャンプで、ノックバットを握って荒木と井端を鍛え、十二球団一と言われる二遊間に育てた。いわゆる猛ノックではない。テレビで見る限り、真正面に近い、あまり強くない打球を繰り返し打っていた。まさに、ここに書かれている河野流の通りだ。

 落合は、試合中にマウンドに行く時、いつもニコニコと笑っている。監督がマウンドに行くのはピンチの時ばかりだというのに、何とも肝の据わった人だ、と、いつも思う。
 この、マウンドに行くタイミングについて、広島カープのコーチだった田中尊の項に、こう書いてある。
「田中さんがマウンドに行った時は、相手に傾いた流れを食い止めたケースが圧倒的に多かった。加えて、対戦相手としては実に気分の悪くなるタイミングで試合の進行を止められていた。『あんな間の取り方はできないものか』と考えた私は、それからも田中さんの動きを見て覚えていくことにした」
 現役の一塁手だった時から、すでにこういうことを考えて実行していたわけだ。

 田中の次に登場するのは佐藤道郎だ。ロッテと中日の投手コーチを勤めた佐藤は、落合にとって投手研究の師だったようだ。
「佐藤さんとの野球談義は、主にその日の試合の反省から始まる。(中略)私は口が悪いから、負けた日などは『何であんな場面で代えちゃうの?』とか『あんなピッチャー出したら駄目だよ』と佐藤さんにつっかかる。それに対し、佐藤さんは『俺はコーチなんだ。オチ、少しは立場をわきまえろ』と笑いながら、一つひとつ私の質問に答えてくれる。そして、『打者にとって、こういう攻め方はどうなんだ』などと逆に質問攻めにしてくる」
 その佐藤道郎が、今季から中日の二軍監督を務めている。最も信頼を置いているであろうコーチのひとりを二軍に置いていること自体に、落合の組織マネジメントに対する考え方が現れている。だとすれば、今季の中日で、二軍から上がってきた選手が次々と活躍したことは、決して偶然や幸運ではない。

 というわけで、本書の中には、落合流監督術の原点がいくつもちりばめられている。
 落合は現役時代から、野球を走攻守、さらにベンチワークやトレーニング方法まで含めた総合的なものと捉えて、貪欲に情報収集と思索を重ねていたことが本書からは伺える。だからこそ、あれほどの名選手になった。
 野球界には「名選手必ずしも名監督ならず」という格言のようなものがある。だが、落合の野球観の中では、名選手への道が、そのまま真っすぐ名監督に続いている。
 だから、彼はこの格言を聞いたら、人を小馬鹿にしたような顔で、こう言うかも知れない。
 名監督になれないようでは、名選手とは言えないね。

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犯人に告ぐ 1

2004/09/15 09:51

「劇場型捜査」という大嘘を突き通すためには細部のリアリティが不可欠で、本書はその点で成功していると思う。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この本を読んで、『身代金』というアメリカ映画を思いだした。息子を誘拐された成金実業家(メル・ギブソン)が、テレビ局のスタジオに、身代金として用意した札束を積み上げ、「この金はお前の懸賞金だ。身代金は、やるものか!」と言い放つ場面が鮮やかだった。犯人に追い詰められて破滅の瀬戸際に立っていたはずの被害者が逆ギレし、一瞬にして狩る者と狩られる者が逆転するという構図が印象に残っている。

 本書にも同じような場面がある。だが、テレビに出演して犯人に語りかけるのは、被害者でなく警察官だ。幼い男児4人が連続して殺される事件の捜査に行き詰まった神奈川県警は、着任したばかりの曽根本部長のアイデアで、捜査の責任者をテレビ出演させ、手がかりを集める奇策に出る。一歩間違えば生贄の羊となるであろうその役を担うために県警本部に呼び戻されたのは、曽根が刑事部長だった6年前、手痛い失敗を犯して田舎の署に追いやられた過去を持つ、巻島警視だった…。

 組織内部に巣くう野心、欲望、敵意、保身、縄張意識、さまざまな思惑を知りつつ、あえて火中の栗を拾い、孤立無援の戦いに挑む巻島の人物像に惹かれる。捜査に失敗し、世間に敵視され、組織内部でも見捨てられ、それでも刑事であることをやめようとしない巻島と、彼を支える気概を持った、ほんの数名の部下たち。奇抜な捜査方法が引き起こす内外の反響をリアルに描きながら、物語はぐいぐいと進む。最後まで一気に読めた。

 警察内部の組織人たちの思惑、巻島という素材に対するテレビ局の反応や他局の対応、世間の風向きが変わったと見るや一転して冷淡になるディレクターの態度などが、いかにもありそうに描かれる。「劇場型捜査」という大嘘を突き通すためには細部のリアリティが不可欠で、本書はその点で成功していると思う。
(逆の例を挙げれば、たとえば乱歩賞を受賞した『破線のマリス』。この作品の根幹をなす出来事は、職業として報道に携わった経験のある人間から見れば信じられないほどずさんな行為なので、馬鹿馬鹿しくて読んでられないという気分になってしまう)
 そして、そんなもろもろの情報を盛り込みながらも、物語を通じて、事件解決に向ける巻島の信念という軸が一本通っていて、大きなブレがない。

 ただし、面白いことは面白いのだが、難を言えば、後半は県警内部の暗闘に重心が寄りすぎて、本筋の捜査の影が薄くなってしまった感がある。もう少し、犯人との知恵比べにウエートがあってもよかったのでは。
 そう感じるのは、巻島が左遷後のダメージから立ち直る過程で、部下の津田から、こう諭される場面があるからだ。
「犯人を怖がっちゃいけませんよ。ただの人の子なんです」
 これは実にいい台詞だ。本書の書き出し、
「刑事を続けていると、自分が追っているはずの犯人に、ふと、そこはかとない恐怖心を抱くことがある。たいていの場合、それは相手の姿が見えないからだ。」
という巻島の内面の記述を受けてもいる。
 せっかくよいモチーフを提示したのだから、最終的に、公開捜査そのものがこの津田の台詞に収斂していけば、より味わい深い物語になったのではないだろうか。

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戦争ってのはどう始めて、どう終わらせるものなのか。

2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 皆さん、一国の政府がどのようにして戦争を始めるか、知ってますか?
 私は知らない。半世紀以上も戦争を他人事扱いしてきたこの国に、それを具体的かつ実践的に知っている人物が、いるのだろうか。
 最近、やたらに自衛隊を海外に出そうとしたり、戦争ができるように憲法を変えたがっている人たちが増えてきたが、私は彼らに聞いてみたい。
 あんた方、戦争ってのはどう始めて、どう終わらせるものなのか、知ってるんですかい?

 それを知りたかったら、たとえばこの本を読んでみるとよい。
 本書に書かれているのは、90年代のアメリカの外交と軍事政策だ。
 湾岸戦争が終結し、政権がブッシュ・シニアからクリントンに、さらにブッシュ・ジュニアに移った2001年初頭までの間、アメリカ政府は国際紛争(主にバルカン半島での紛争)にどうかかわってきたか。大統領、政府高官、軍幹部らの誰がいつ何を考え、どういう判断を下し、どう動いてきたか。大統領が軍を動かすためには、どんな準備が必要だったのか。司令官たちからは、どのような意見が上がってきたのか。そんなことが、この本には克明に描かれている。
 たとえば政治家の自己防衛、役人の責任回避、軍隊の組織防衛といった要因が含まれてくるところは日本とも似ている。だが、決定的に違うことがある。
 戦争というのは、あくまで外交の一部なのである。本書に登場する各国の政治家たちは、自国の世界戦略に基づいて外交交渉を行い、その手段のひとつとして戦争という選択肢を選ぶ(あるいは、選ばない)。この本でのクリントンの(あまり鮮やかとは言えない)戦争のやり方を追っていくと、そういうことが自然と飲み込めてくる。
 この本には、日本のことはほとんど何も書かれていない。にもかかわらず、私はこの本を読んでから、日本の外交が実によく見えてきたような気がしている。
 正確に言えば、「日本の外交に欠落しているもの」が。

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人生を自ら難しくしてしまう傾向のある人にとっては、現実的に役に立つ指針になるだろう。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 私は「人生相談」がわりと好きで、新聞や雑誌に載っていればページをめくる手を止めて読みふけり、ラジオから流れてくれば耳をそばだてて聞いてしまう。
 相談される悩み事の大半は、私には何の共通点もない他人事なのだが、それでもつい耳を傾けてしまうのは、何らかの世界の著名人である回答者たちが、どのような機智や人間性を駆使して相談者を納得させるか(あるいは、納得させられないか(笑))、その答え方に現れる回答者のキャラクターの面白さによるのだと思う。

 そのような、いささか不埒な「人生相談」の楽しみ方を、真っ向から否定しているのが本書である。著者は、まえがきに言う。

「人生相談の考え方は『投資』に似ています」「投資の考え方を、人生選択に応用すると、何をなぜ選択するべきなのかクリアに分かるようになるのではないかと著者は考え、試してみました」
「著者のような『普通の人』でも論理的に人生選択の答えを出すことができるような、明快な人生選択の技術の確立にチャレンジしたところに、本書の価値があります」

 回答者が著名人である必要はなく、ある種の公式に当てはめれば答えは出るのだ、と著者は宣言する。ネット上で募集したという実際の悩み相談に対する著者の回答は明快で理性的であり、情緒が介在する余地がない。相談者を優しく励まし、厳しく叱咤する「人生相談」の定石からは大きく外れている。
 とりわけ、問題の枠組み自体を、相談者の想定と全く別のものに組み替える手際は鮮やか。全編を通して読めば、本書は確かに、人生に立ち向かうひとつの姿勢を示しており、人生を自ら難しくしてしまう傾向のある人にとっては、現実的に役に立つ指針になるだろう。

 しかし、本書の価値が、著者が表明した「人生選択ツール」の確立という点にのみ存在するかといえば、実はそうでもない。私にとって面白かったのは、例えば次のような記述だ。

「論理的に言って相談者に悩みはありません」
「なお、『子供すぎるかどうか』ということは全く心配には及びません。実のところ相談者が『子供すぎない』のであればそれは問題にならないし、『子供すぎる』のであればそれを直すことなどできないからです」
「相談者は私の大学の後輩ですか。我々の卒業した大学(引用者注:東大のこと)の出身者は、年齢が進んでも無防備に自己肯定を温存している人物が多く、いい大人になってから気がついたときには大変なことになっていた、ということがしばしばあるようです。お互い気をつけましょうね」

 この種の歯切れのよいアフォリズム、身も蓋もない発言が随所に鮮やかに挟み込まれ、そのたびに読む者は膝を打つ。これは「人生選択ツール」の思想と不可分とはいえ、やはり著者自身のキャラクターの産物であろう。
 こういう評価は、個人的魅力や経験に頼らない人生選択ツール、という趣旨に反することになり、著者にとっては不本意かも知れないが、そんな辛口のユーモアも、合わせてお楽しみいただきたい。
 不本意とは言いながらも、この種のレトリックを用いる書き手なら、それが鮮やかに決まることを密かに楽しむナルシシズムを、多少は持ちあわせているに違いないのだし。

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ゲームのルール

2003/10/05 12:30

彼を名審判たらしめているのは、このShowmustgoonの精神に違いない

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 2002年ワールドカップの決勝戦。敗退が決まり、ゴールポストにもたれて動けなくなってしまったドイツのGKオリバー・カーンのところに、わざわざ自分から出向いて握手を求めた主審が、本書の著者であるピエルルイジ・コッリーナだった。ビッグゲームを仕切る彼の姿は、一度見たら忘れられない。それは、見上げるような長身とスキンヘッドという印象的な容貌のせいだけではなく、彼のジャッジが、常にこのようなこまやかな心遣いを備えているためだろう。

 本書は、そのコッリーナが審判生活を振り返った半生記だ。当然、2002年ワールドカップをはじめ、いくつものビッグゲームが登場する。日本がトルコに敗退した時、日本のキャプテン宮本に「自分たちのしたことに誇りを持っていいと思う。悲しむんじゃない。胸を張れ」と話しかけたエピソードも記されている。
 もっとも、98年ワールドカップや2000年欧州選手権では、彼は予選リーグの笛しか吹いていない。チームが上位に勝ち上がった国の審判は、大会後半には外されてしまうのだ。サッカー大国の優秀な審判ほど主要な試合を担当できないという大いなるパラドックスに耐えなければならない寂しさも、本書には記されている。2002年大会におけるイタリアの早期敗退は世界中の人々を失望させたが、コッリーナを決勝に送り込んだという点においては、サッカー界に貢献したわけだ。

 審判の知られざる日常、喜びと苦しみ、イタリアの審判制度の仕組み(彼のような世界最高峰の審判でさえ、二週間に一度の合宿講習を受けて技術向上に努めているという)など、それぞれに興味深いが、もっともスリリングなのは、やはり試合の経験談。それも、予想を超えたトラブルに巻き込まれた時に、彼がどのように対処してきたか、というトラブルシューティングのケーススタディである。

 一度は認めたゴールが実は副審の見間違いとわかった時(しかも試合はインテル対ユベントスの首位攻防戦)。ホーム側ゴール裏の荒れたファンがGKに物を投げつけ、危険きわまりない状況に陥った時。試合中に大雨が降って続行が危ぶまれた時。コッリーナは、待ったなしの難問に直面するたびに、サッカーの常識にはないような解決方法を見いだして、試合を無事終わらせることに成功する。この種の困難な状況を打開するには、ただ正確にジャッジするだけでは充分ではない。コッリーナは正確さと同じくらい、選手が能力を発揮し、試合が円滑に進行することを重視する。彼を名審判たらしめているのは、このShow must go onの精神に違いない。

 私生活やCM出演についての感想も記されているが、昨年大阪で放映されたというタコ焼きのCMについて言及されていないのが、唯一残念な点である(笑)。

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