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ブルースさんのレビュー一覧

投稿者:ブルース

219 件中 1 件~ 15 件を表示

鋭利な分析が浮かび上がらせる現代日本社会の深刻な状況

20人中、20人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

小泉首相が総辞職した。戦後の首相の中で、3番目の長期政権であったというが、独特のキャラクターも手伝って、その5年5ヶ月の軌跡を論じた書物が多く出版されている。どの内閣でも功罪はつきものだが、小泉首相ほどその治世が光と影に彩られた内閣も少ないであろう。
小泉内閣は、不良債権問題を概ね解消し、規制緩和を行い不況脱出の糸口を与え、郵政民営化や北朝鮮訪問、自民党の党質を変えたことなど評価できるところも少なからずある。他方、中国・韓国との外交を最悪の状態に陥らせたことや、行財政改革が中途半端に終わったこと、格差社会を拡大させたことなど憂うべき点も多い。
この中でも、とりわけ大きな問題となっているのが、社会階層内での著しい経済格差である。
本書は、この格差社会について論じているが、ここで注意しておきたいのは、著者がタイトルを格差社会ではなくて「階級社会」としていることである。著者によれば、現代日本社会は格差社会というよりも、すでに階級社会に突入しているという。「階級」というと、まず資本家と労働者の二つの階級を思い浮かべるが、著者は最新の社会科学的な知見を取り入れて、現在の日本社会は、「資本家層」「新中間層」「旧中間層」「労働者層」の四つの階級(それぞれの階層の定義は本書を参照されたい)に分類でき、それに加えてフリーターと呼ばれる若年層がアンダークラス化している状況にあると分析している。
これらの階層内でも「新中間層」と「労働者層」の格差が必要以上に拡がっていることが社会的な不満を呼び起こしているが、それ以上に深刻なのは、フリータたちの収入が著しく低いことである。
これらの若者たちは、正業に就こうと思っても、就くことが出来ず止む無くアルバイトなどをして生計を立てており、年々増加の一途を辿り、現在500万人にも達するという。これらの若年層は、正業についている同世代と比べて、収入・待遇の面で大きな格差があり、それは年齢が上がるにつれて拡がる一方という。さらに、問題なのは、一度この階層に陥ると抜け出すことが出来ず、社会的上層化を図ろうとしても再チェレンジが非常に難しい状況にあると言われている。
著者は、こうしたフリーターを初めとするアンダークラス層が大量に発生したのは、自助努力が足りないということよりも、企業が不況脱出のために正規に採用すべき若年層を採用される者とそうでない者に分断し、後者をいつでも使い捨てに出来るようにしたという構造的な問題にあるとしている。
著者はこのような階級社会の問題を解決するには、ホワイトカラーを中心にして構成されている「新中間層」の動向にかかっていると論じている。と言うのも、新中間層はある面では、フリーターとは相容れない面があるのだが、全般的に政治的な覚醒度も高く、社会的不公正を是正することに一定の理解を持っているからである。しかしながら、格差社会の問題を新中間層の政治的な是正運動に期待するという著者の処方箋は、アンダークラス化した若者たちについての冷静な分析に比べて、非常に楽天的で真の解決にはほど遠いように思われる。
他方、著者が不公正な格差に反対する最大の理由として、著しい格差はアンダークラス化した若年層から「自尊心」を奪うということを挙げていることには賛意を表しておきたい。人間はただ生きているだけではなく、周囲から社会的に認められ自分自身に尊厳を持たないと、生きて行く意味を失う存在であるからである。
本書を読むと、階級社会の問題は、日本を深部から確実に蝕んでいることを実感させられる。根本的な解決を図る時期に来ていると思わざるを得ない。

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「脱・戦後レジーム」が叫ばれている中、益々輝きを放つ戦後史の書!

20人中、18人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書は、敗戦後の日本が、進駐してきた連合国軍(実質的には米軍)の主導で行われた憲法制定・労働改革・農地解放・女性解放・財閥解体・教育改革など一連の民主的な施策を戸惑いながら受け入れて、民主的な国家として出発する糸口が掴めたのも束の間、占領末期に冷戦のあおりを受けて改革政策が後退し再軍備されるまでを描いている。
著者のジョン・ダワー氏は、著名な日本近代史の研究者で、『人種偏見』などの多数の有益な書物を著している。このような手練の研究者による著作だけに、本書は雄大かつ緻密な歴史書となっている。何しろ登場する人物だけでも、上は昭和天皇・マッカーサーから下は闇屋・街娼まで数え切れないほどで、よくこれほど多くの人たちの記録を探し出して来たものと感心させられる。特に、上巻では戦後文学などのハイカルチャーからカストリ雑誌・ストリップまで多様な文化領域が論じられているので、百家斉放の賑やかさがあり、行間からは当時の世相が匂い立って来る。
このような日本戦後文化のディーテールも興味深いものがあるが、やはり本書で最も注目すべきなのは、一連の民主的な改革を実施しようとする米軍と日本側の生々しい駆け引きの叙述であろう。著者は叙述を進めるに当って、決して米国側の一方的な視点からのみで捉えているのではなく、絶えず日本側の視点も取り入れていることは注目に値しよう。
それは、昭和天皇を論じた章で、米国が天皇を戦犯にしなかったのは、もしそのようにすれば、日本中に大混乱と暴動が起り収拾がつかなくなると占領軍上層部が予想したことによるとする一方、当時の日本民衆は生きるのに精一杯で真に天皇の行末を案じていたのは国民全体の20%にも満たなかったという統計もあることを紹介していることなどに著者の柔軟な歴史観の特色がよく現れている。
本書の出版は、2001年でイラク戦争が始まる前であるが、米軍による日本の占領が成功したことを引き合いに出して今次のイラク占領を正当化する役割を果たしているという声を聞く。イラク戦争前に書かれた本書にそこまで問うのはやはり酷であろうし、それがいかに的外れであるのは、本書の下巻を読めば明らかであろう。下巻では、冷戦の影響で米国の占領政策が右傾化していく様子が論じられている。著者は、この時期に実施されたレッドパージや検閲制度の恣意的でイデオロギッシュな運用にかなり批判的な見解を展開している。
特に、検閲制度についてはそれが当時の日本文化に及ぼした計り知れない悪影響を数々の事例を挙げて明瞭に論難している。と同時に、民主的な改革が軌道に乗り始めた時点で、国際状況の変化で中途半端で終わったしまったことに強い疑義を呈しており、それが現在に至るまで様々な歪みを日本に生み出しているとしている。しかし、他方では、占領終結後も日本が、戦争を永久に放棄した憲法第9条を戦後一貫して堅持していることに深い敬意を表している。
「敗北を抱きしめて」というタイトルは、悲惨な戦争を二度と繰り返すまいとして、米軍主導の民主的な改革を日本の民衆が真摯に受け止めて実現したことを象徴的に表している。最近、「美しい国」などという口当たりの良いスローガンを掲げて「脱・戦後レジーム」を目指す政治家がいるが、一連の戦後改革の歴史と意義を振り返ってみる為には、本書ほど有益な知見と見取り図を提供している歴史書は他にはない。

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紙の本反戦軍事学

2007/01/09 21:17

現代軍事学の視点から、「日本核武装論」「憲法九条改正」の問題点を鋭く衝く!

24人中、17人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

年始早々、きな臭い雰囲気が漂っている。安倍首相が年頭のインタビューに答えて、今年夏の参議院の選挙は憲法改正を問う選挙とし、最終的には任期中に第九条を中心とした改正を実現したいというのである。政治的な力量を欠くと思われる安倍氏に、憲法改正という大技が果たして実現できるのかいささか疑問ではあるが、自民党が衆議院の議席の三分の二を占めていることからして予断は許さない状況にある。
評者は、戦後の不戦の誓いが結晶した憲法第九条の理念がなし崩しにされて行く現状を目の当たりにして、このような動きを批判的に見る視座を養っていかなくてはならないと考えるが、本書は、そのような視座を提供し、右傾化している日本に大きな警鐘鳴らすものとして、将に今読むべき書物となっている。
本書がユニークなのは、現代にあって反戦・平和を主張するには軍事上の知識が不可欠という認識に立って、軍隊の構成から自衛隊の装備に至るまで基本的な軍事知識を紹介することから記述を始めていることである。一見すると、平和を願う思いと軍事知識は相容れないように思えるが、本書を読み進んで行くうちに、憲法九条を改正して軍事国家への道へ歩ませようする国防族の主張の虚妄性を衝くには、やはり軍事知識が必要となることが理解できる。
しかしながら、本書の注目すべき点は、基礎的な軍事学の情報を提供すること以上に、こうした知識を踏まえたうえで、最近よく耳にする様になった「日本核武装論」、「日本の歴史認識」、「徴兵制復活を画策する動き」、「憲法改正」などの問題点を批判的に論じていることである。
このうち、「日本核武装論」について言及すれば、北朝鮮の核保有を奇貨とし国防族議員や在野の右翼勢力から盛んに主張されており、北朝鮮が核を保有している以上、日本も対抗上核武装が必要であり、それが敵国の核攻撃を抑止すると同時に国の威信を増すことに繋がるというものである。
著者は、こうした主張に、以下のように真っ向から反論を加え、その虚妄性を鋭く衝いている。
①核兵器がこれまで使用されなかったのは、核保有による抑止効果というよりも、核兵器が余りに非人道的な兵器であるとの認識が共有されるようになったためであり、国際世論の反発を考慮して使用を控えたことによるところが大きい。
②核兵器の保有が国家の威信を高めたり安価な戦争抑止力となっているというのであれば、インド・パキスタン・イラン・北朝鮮といった最近核武装した国々が国際社会で地位が高まったり、より安価な国防を実現したということが言えるのであろうか。事実は、その正反対ではないか。
③軍事史的に言えば、1973年の勃発した第4次中東戦争で、核保有国のイスラエルが非保有国のエジプトに奇襲攻撃され国家存亡の危機に立たされ、緊急避難的に核兵器を使用してもおかしくない状況にあったにもかかわらず、イスラエルは核兵器を使用することは無かった。ここから導き出されることは、核兵器の保有が敵国の攻撃を回避させるという「抑止理論」はもはや有効性を失っているということである。
著者のこのような主張は、誠に理に叶っており、評者としては全面的な賛意を表しておきたい。
なお、著者は、本書の記述を終えるにあたって、憲法改正問題に言及して、憲法第九条が改正されて「集団自衛権」が明文化されれば、自衛隊の若者たちは米国が勝手に定義した「テロとの戦い」に駆り出され、下手をすれば「弾除け」として使い捨てにされる可能性も出てくると警告を発している。何とも、暗澹たる気分にさせられる指摘であるが、これは憲法改正の帰結点かもしれないともなれば、私たちはこの問題にこれまで以上に自覚的に対処していかなくてはならないという思いが募る。

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紙の本教育と国家

2006/12/17 11:44

教育基本法の改正が成立した今、将に読むべき書!

16人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

長らく戦後教育の骨格を為して来た教育基本法の改正が12月15日に国会で可決・成立した。教育基本法の改正は、安倍普三氏が官房長官時代から温めて来たもので、総理になってからの最重要法案として位置づけて来たものである。
今回の改正の骨子は、基本法が重視した「個人の尊重」という考え方を修正し、国や伝統を愛する心の涵養、公共性道徳の習得などに重点を移すという。これは、戦前・戦中の国家主義的な教育の誤りの反省のうえに立って制定された教育基本法が掲げる理念の重大な改正であり、このような根本的な改正を充分な審議時間をかけずに、今国会で性急に成立させたことに大きな危惧を覚える。
何故、今回の改正が行われたのか、この改正を行った為政者たちの狙いは何なのか、そもそも教育基本法とは何なのか・・・このような疑問に答えてくれる書物はそう多くはない。
本書は、今から2年前の2004年に出版されたものであるが、まるで今回の事態を予測して書かれたようで、将に今読むべき書と言える。
高橋氏は本書の中で先見性に富んだ見解を幾つか示しているが、まず注目すべきは、「戦後教育のせいで子供はおかしくなった」として教育基本法の改正を目指す政治家たちのレトリックを鋭く衝いていることである。これらの政治家たちの意図を探っていくと、その教育の真の目的は、個の尊重から生じる批判精神を抑制し、時の政権が施行する政策に無批判に従う従順な国民を育成することにあるとしているが、核心を衝いた見解と思われる。また、現在の教育現場が混乱していることにも言及し、その一端は、文部科学省が推進している行過ぎた管理主義教育や「人間を勝者と敗者に分け、前者を是とし後者を徹底的に排除しようとする新自由主義教育」などの導入にあり、それが結果的に子供たちのみならず教員や父母の心を蝕んでいるのではないかとしている。
高橋氏は、続いて、「愛国心教育」や「伝統文化尊重教育」の問題点について鋭利な分析を行っている。それによれば、一口に「国を愛する」「伝統を尊重する」と言っても、様々なバリエーションがあり、それを一律に鋳型にはめ教育することに無理があり、ましてやその帰結点が象徴天皇制擁護のイデオロギーになっているとすれば、戦前・戦中の忠君愛国主義教育に逆戻りすることになり大きな問題を孕んでいるとしている。「伝統文化尊重教育」を例に挙げれば、学習指導要領を反映している『心のノート』で伝統文化として挙げられているのは京や江戸などの中央政権から見て望ましいものばかりであり、北海道のアイヌや沖縄などの伝統文化は除外されているとしている。
著者は、この他にも「道徳心と宗教的情操教育」、「日の丸・君が代の強制」などについてもその問題点をシャープに説いている。
その一方で、高橋氏は、教育基本法の時代的な制約も併せて論じ、この法律が日本国籍を有する人のみを対象として、税金を納め日本社会に融けこんでいる外国籍の人たちを適用外とし、それが後に大きな禍根を残したとしている。本書を読むまでは、このような教育基本法の影の部分は知らずにいたが、あえてその法律的な限界にまで踏み込んでいるところは評価して良いと思われる。
教育基本法の改正は、冒頭に述べたように成立し、今後は時の政権の価値観が教育現場にストレートに反映されることになる。私たちは、注意深くそれを見守り、前途ある若者たちを戦場に送ることを正当化するような教育に逆戻することを許してはならない。本書は、その為の数々の有益な知見を提供している。

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気鋭の外交史家によって解明された日露戦争の全体像!

14人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

今年、2005年は日露戦争が戦われて百年の節目の年にあたる。そのため、関連の出版物も多数刊行されるのではないかと思っていたが、意外と出版状況は低調のようである。それは、この戦争を巡る評価、つまり日本という国家の存亡を賭けた戦争であったとする解釈と、韓半島と満州を巡る帝国主義国家間の戦争であったという解釈が鋭く対立しているためと思われる。加えて、現在の韓国や中国との厳しい国際関係も影響しているのであろう。
本書は、このような状況の中で、客観的に開戦に至る経緯、戦争の推移、戦後処理が記述され、この戦争の後世に及ぼした影響が論じられている。
このうち、評者にとってとりわけ興味深かったのは、開戦へいたる日露両国の国内情勢の分析と終章で論じられている日露戦争の歴史的意義である。
開戦に至る過程は、比較的詳しく取り上げられており、本書の中心をなしている。それによると、通説とは異なる開戦の過程が浮かび上って来る。
通説では、ロシアの活発で強固な南下政策によって、やがては韓半島までもがその影響下に置かれることを恐れた日本が挙国一致のもとにロシアに宣戦布告したことになっている。
しかし、ロシアは一貫した政策のもとに満洲に進出したわけではないことが本書で指摘されている。事実、ロシア側の行動は、現地軍や満洲に利権を有する政治家・企業家たちによって積み上げられた行動に過ぎず、何ら強固な政策に基づいて進められたものではなかったという。時の蔵相のウイッテ(後にポーツマス講和会議でロシア全権)などは露骨な利権目当ての行動は日本を刺激するので、こうした動きに始終批判的で、時のロシア宮廷・政府内部では満洲進出を巡って激しい政争が繰り広げられたという。
一方、日本側にも、同じようにロシアと事を構えることについて、様々な意見があり、伊藤博文などは最後の最後までロシアとの提携を模索しており、水面下で行動していたという。また、最大の開戦派と目されていた山県有朋が、開戦を決意したのもそれほど早い時期ではなかったと言われている。
このように見てくると、日露双方とも、様々な思惑が渦巻いており戦争に至る過程は一義的ではなかったことが分かる。また、全般的にロシアは新興国日本の出方を楽観視しており、日本はロシアの行動に過剰反応したという面もあることも指摘されている。
終章『近い未来遠い未来』では、日露戦争が現代までも両国に影響を及ぼしていることが論じられている。
著者は日露戦争の敗北はロシア人の人々の心に長く残り続け、それは1922年のシベリア出兵、張鼓峰事件、ノモンハン事件などの日ソ間の軍的な緊張によって絶えず憶い起され続けたという。
1945年8月のアジア・太平洋戦争終結直前になって、スターリンが日本に宣戦布告したのも日露戦争敗北の恥辱を雪ぎ、失われた領土を回復する狙いがあっためであり、その結果として、戦後に北方領土問題という重い課題が生じたと著者は論じている。著者は、このようなことから、日露戦争は過ぎ去った過去の出来事ではなくて、その影響は今なお両国に遠い影を落としていると指摘している。
本書は、司馬遼太郎『坂の上の雲』のように上昇期にあった若き近代国家の熱いうねりを描くのでなくて、戦争いたる複雑な動きや百年前のこの戦争が現代にまでも残している負の遺産を明瞭に指摘している点で、歴史の重さを考えさせる優れた近代史の本となっている。

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事実から目を背けてはならない

14人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書は、1937年(昭和十二年)に日本軍による南京攻略作戦とそれによって引き起こされた中国の民衆への加害と殺戮(所謂南京事件)を南京難民区で活動していた外国人の記録や証言を基に明らかにしている。
著者は、まず南京事件へと至る前史と事件が引き起こされた要因を論述している。それによると、急遽編成された上海派遣軍が作戦終了後も軍事行動を南京にまで拡大し上海戦終了後は故郷に帰れると思っていた兵卒の士気の大幅な弛緩を招いたこと、日本軍の物資現地強制調達に伴う中国民衆への犯罪行為が日常的に積み重ねられていて犯罪への感覚が鈍磨していたこと、上海戦で多くの戦友を失い中国人への敵愾心に燃えていたことなどが事件の背景にあったとしている。この指摘は、軍の陣中日誌や陸軍軍医報告書などの史料をもとに論じられているので、強い説得力がある。また、南京攻略戦に伴って、日本軍による南京渡洋爆撃も行われたことも明らかにされている。これは、南京市民を無差別に攻撃の対象とするもので当時の国際条約に照らし合わしても重大な違反行為としている。
続いて、著者は日本軍による南京農村部での犯罪行為、南京城占領後に起きた違法な強奪や殺戮、中国人婦女子へのレイプを克明に記述している。この箇所は、本書の中核を成し、その生々しい記述には言葉を失うほどの衝撃がある。故郷では良い夫であり父であった兵卒がこのような非道なことを無抵抗な婦女子に対して行ったのかと思うと暗澹たる気持ちに捉われる。しかし、日本と中国の両国に中立の立場にあった外国人の記録の重みは否定できないものがある。
終章で著者は、南京事件によって犠牲となった中国民衆の死者を考察している。著者は、当時の状況からみて、正確な死者を把握するのは困難としながらも、南京大学の社会学者ルイス・スマイスが南京戦終了直後に行った『南京地区の戦争被害』というレポートをもとに、農村部の民間人の死者2万6千人余り、都市部の民間人の死者1万2千人、計3万8千人という数字を紹介している。これには、武装解除後に殺害された中国兵捕虜3万人や、南京陥落後に脱出しようとして殺害された多くの市民や難民は含まれていないので、殺害された総数はもっと膨大なものとなるであろうとしている。
このような記録が残されていたことにまず驚かされるが、信頼できる資料に基づいて事実に迫ろうとする著者の姿勢は充分評価できる。
この書評を終えるにあたって一言付言しておきたいことがある。最近、この南京事件や従軍慰安婦の実態に迫った書物が刊行されたり紹介される度に、それを打ち消すような言動が見られるが、このような動きは幾重にも誤りを犯していると言わざるを得ない。それは、まず歴史認識を深める契機を失わせることであり、女性への戦争犯罪を軽視することに繋がっており、何よりも他者の痛みへの配慮に欠けているからである。私は、このような動きをことさら助長したり煽ったりする言論人や文化人と言われる人たちの姿勢には強い疑問を感じる。自国の過去に向き合うのを避け過去を徒に美化するのは、一時のナショナリスティックな感情を満たしても決して日本の国益にもかなうことにはならない。それは、靖国問題を発端にして現在の日本と東アジア諸国との関係が非常にシビアなものになっていることからも明瞭である。日本は地勢的に、好むと好まざるとに関わらず韓国・北朝鮮・中国などと外交関係を持たざるを得ず、それら東アジア諸国共存共栄していくためには、自国の過去に向き合い歴史認識を深めていくしかない。確かに自国が過去に犯した違法行為に向き合うのは痛みが伴うが、長い目から見るとそれが東アジア、ひいては世界の安定につながると私は確信する。本書はその第一歩となる重要な歴史書である。

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紙の本愛国の作法

2006/10/22 17:34

「愛国」を巡る多面的なアプローチから浮かび上がる現代日本の現状

12人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この10月に朝日新聞社から朝日新書が創刊された。ラインナップを見ると、朝日新聞社らしく現代的なテーマについて等身大の情報を提供することを主眼に置くという。いかにもこの新聞社らしい編集方針で、個人的に今後応援していきたいと思う。
さて、本書はこの新書のトップバッターに相応しく力の込った論考である。著者は、気鋭の政治学者・姜尚中氏で、国を愛することとはいかなることかということを様々な角度からシャープに論じている。
著者は、まず最初に、愛国心の担い手となる国民について、民族(エトノス)と市民(デーモス)という相反する観点から論じている。ここで言う民族は、従来、自明なものとされ、日本は単一民族であり悠久の歴史をほこり美しい自然と伝統文化を有しており、この美しい国を愛することは国民として当然ということになる。このような血縁・人種・美的感性を前面に打ち出した情緒的な考え方は、最近とにみ勢いを得ており、若い人にも徐々に浸透している。
他方、デーモスと呼ばれる国民は、著者の言葉を借りれば、「高度な自発性と主体性の契機を通じて絶えず作為的に形成される」共同体の担い手であり、従って国民国家とは、民族から構成される共同体ではなく、また代々受け継がれてきた価値観や伝統の延長上にあるのではなく、むしろそれを解消することで国として成り立つものであるという。このような自立的な個人に重きを置く社会契約的な国家観は、近代的な国家原理そのものであるとしている。
このように国を愛する担い手である国民に二つの相反する見方があることを著者は指摘し、上述のデーモス(市民)的な面を否定する情緒的なエトノス的「愛国」の声が声高に語られている現状に強い危機感を表明している。
さらに、著者は、愛郷心がそのまま愛国心につながるわけではないという重要な指摘をしている。安倍首相の著書『美しい国へ』の中でも、愛郷心がそのまま愛国心になることを当然視している。しかし、よく考えてみると、私たちの故郷は具体的なものであり、遠くにあっても生き生きと思い浮かべることができるものであるのに対して、国というイメージは非常に漠然としており、何か強いシンボルがないと想起できないものである。ということは、両者は同じものではなく別なものと言ってよく、例えば、アジア・太平洋戦争中で軍上層部が恐れたことは、従軍兵士たちが里心がついて、故郷のことを思うばかりに厭戦感を抱くことであったという。ここには、国という抽象的なものよりも故郷に心を寄せる兵士たちの偽らざる姿が垣間見られる。
以上、著者の愛国心を巡る多面的なアプローチの一端を示したが、それでは、著者のいう愛国の作法とは一体どのようなものなのであろうか。
それは、故郷をいとおしむ自然な感性を尊重し、疲弊している地域(故郷)の再生に向けて取り組み、対外的にはアジアとりわけ東アジア諸国との連携を図ることこそ、「愛国」が今後取り組む課題としている。私自身としては、姜氏のこの意見に賛意を表しておきたい。
なお、本書は、多くの有益な書物からの的確な引用があり、多くの知見を齎せてくれると同時に、所々に「在日コリアン」としての身を裂くような著者の個人的な体験も語られており、読後感を深いものにしていることも申し添えておきたい。

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紙の本神無き月十番目の夜

2006/04/05 23:42

横暴な領主に叛旗を翻し滅んで行った人々へ捧げられた鎮魂歌

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

飯嶋和一氏は、これまで誰も取り上げたことがない人物を主人公にした歴史小説を幾つか書いている。歴史上の著名な英雄や英傑たちを主役にしたものが多い歴史小説の中にあって、著者のように忘れ去られた人々や敗者を真正面から描く作家は貴重な存在と言える。
本書の登場人物も歴史の表舞台には登場しない人々ばかりであるが、著者の練達した筆致によってユニークな歴史小説となっている。話は、藩命を受けた侍が、急に無人になってしまった山間の村を訪れるところから始まる。少し前まで村人たちが通常に生活していた痕跡が残っているにもかかわらず、村人たちは一人残さずどこに消えてしまったのか・・・。
このようなミステリアスなシーンから始まる歴史小説も珍しいが、中々魅力的な書き出しと言えよう。
小説の書評という性格上、ストーリーに詳しく立ち入ることはできないが、飯嶋氏は、小説のテーマになりにくいと思われる村の地侍や農民たちと領主たちとの争いを巧みに描いている。それは、主人公の地侍が初陣を飾る戦闘の躍動感溢れる描写や過酷な検地の模様、舞台となる村が攻められるシーンなどによく現れている。また、登場人物たちの人間的な弱さや卑小さも余すところ無く描かれており、作品に奥行きを与えている。
加えて、この作品を魅惑的なものにしているのは、民俗的な知見が随所に盛り込まれていることである。舞台となっている村自体、一種の桃源郷として設定されており、先に紹介した冒頭のシーンなどは伝説や昔話で語られているような隠れ里に足を踏み入れる趣さえ漂っている。
また、領主側の軍勢に追われた村人たちが逃げ込んだ避難先が、「サンリン」と呼ばれるところであり、そこに逃げ込めば世俗の権力は一切手出しができないアジールという設定になっているのも興味深い。著者は、このような民俗学的な知見を取り入れて物語に膨らみを与えている。
最近、歴史上の敗者を描く小説は比較的多く見かけるようになって来たが、その中にあっても本書は、権力の横暴さの前に滅んで行った人々の無念さがひしひしと伝わってくる傑作となっている。

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偏愛文学館

2005/07/31 18:10

倉橋由美子らしい文学的な感性に彩られた見事な遺作!

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

倉橋由美子は、暫く休筆状態が続いていたが、最近になって短編集や評論集がぽつぽつ刊行されて健在ぶりを示していた。そう思っていた矢先、訃報に接した(2005年6月10日永眠69歳)。もうこの作家独特の文学に触れることができないかと思うと、寂しい思いが募る。ご冥福をお祈りしたい。
本書は、この数年間、作家が文芸誌などに連載していた書評を纏めて一書としたものである。主に、愛好する内外の幻想文学が多く選ばれており、この作家ならではの感想が綴られている。
冒頭では、夏目漱石の『夢十夜』を取り上げ、その細部の描写の妙とイマジネーションの豊かさを賞賛している。そのうえで、漱石の多様な文学的可能性に触れ、このように述べている。「(漱石は)弟子にとりかこまれた大文豪なんかにならずに、大学の先生でもしながら気楽に小説でも書いていれば、もっと型破りで面白い小説を沢山書いたのではないか・・・」。
倉橋由美子が言うように、苦悩する人生の探求者としてよりも、もっと幅のある文学の作者としての漱石を想像するのも楽しい。倉橋文学の特色の一つは、悪意ある文学と言って差し支えないように思われるが、この書評集でも同類の文学への共感を隠していない。例えば、ジュリアン・グリーンの『アドリエンヌ・ムジュラ』には、多くの頁を費やして紹介している。グリーンと言えば、かの遠藤周作も注目しており、その救いのない世界のリアルな描写を絶賛していたと記憶する。倉橋由美子は、これとは異なった視点、つまり怪物のようなヒロインを臆せずに描いたことでグリーンという作家にエールを送っている。グリーンの悪意ある文学世界は、倉橋文学に深く通じるものがあるとこの共感溢れる書評を読んで思った。
この書評集のもう一つの特色は、詩的で神話的とも言える文学に高い評価を与えていることである。フランスの作家ジュリアン・グラックの『アルゴールの城』『シトルの岸部』には、最高のオマージュが捧げられている。
グラックという作家は、明確なストーリはなく、「端整で宝石細工のような輝きを帯びた文章」で幻想的な世界を描いていると言われる。グリーンを論じたこの美しい書評を読むと、倉橋由美子が文体から小説の作り方までグリーンに大きな影響を受けていることが分かる。
本書は、このように作家が偏愛する文学のみを選んで、独自の観点から論じているが、中には意外とも思える作家の作品が取り上げられているのが興味を惹く。例えば、壷井栄の『二十四の瞳』、ラヴゼイ『偽のデュー警部』、ジェフリー・アーチャー『めざせダウニング街10番地』・・・。壷井栄やアーチャーの小説などは、倉橋由美子の文学世界とは対極に位置すると思われるのだが、高い評価が与えられている。これは、明晰な文章と首尾一貫した作品世界を評価しているからであろうが、こうした一見自己とは正反対とも思える作品の底にある同質性を鋭く見抜くところにこの作家の並々ならぬ洞察力を感じずにはいられない。本書は、頁数は200頁余りの書評集であるが、倉橋由美子らしい文学的な感性に彩られた見事な遺作である。

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日本人の戦争観がどのように形成されたのかを戦後史の歩みの中で検証。歴史を正しく認識することの重要性を改めて実感する!

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現在(2005年4月)、かってないほど中国や韓国で日本批判が高まっている。発端は、日本の国連の常任理事国就任計画や小泉首相の靖国神社公式参拝にあるようだが、その根本的な原因は、先の大戦でアジア諸国に多大な惨禍を与えたにもかかわらず、充分な謝罪や反省もないままに経済路線を歩んできた日本の姿勢にあると言える。さらには、アジア諸国のことばを借りれば、「歴史教科書などで、過去の出来事を歪曲して、侵略行為を正当化」しようとしている日本の配慮を欠く姿勢にもあると言える。
本書は、アジア諸国から激しく糾弾されている日本人の戦争観がどのように形作られたのかということを、「政治家・知識人の発言、戦記物、雑誌の記事、シュミレーション戦記、「海軍史観」・「宮中グループ史観」に基づく刊行物、果てはコンピュータゲームソフトに至るまで多種多様な素材を通して検証しようとしている。それ故、本書の内容を要約するのは、難しい面があるのだが、基本的なスタンスは、「対外的には最小限の戦争責任を認めつつ、国内的にはその問題を棚上げないしはタブー化する」日本のダブルスタンダード的枠組に異議を呈することにある。
戦後の歴史を振り返って、日本の戦争責任が大きな問題となったのは、国際関係の影響を受けるかたちでのことが多く、例えば、1960年代には日韓基本条約締結に伴う韓国への賠償問題、1970年代には日中国交回復に伴う日中戦争戦後処理問題、1980年代には侵略を進出と書き換えることで国際問題に発展した「教科書検定」などの例が思い浮かぶ。いずれの場合も、国際的には最小限の責任を認めることで問題の解決を図っている。
日本の戦争責任が海外で問題になり、国内でも歴史認識を深化させようとすると、その揺り返しが必ずと言ってよいほど起っている。著者は、「東京裁判史観批判論」、「戦争両義的性格論」などのそうした動き(歴史修正主義)を批判的に取上げている。前者は、A級戦犯を裁いた国際裁判を勝者による一方的な裁きとしてその正当性に異議を唱える立場だが、著者は最近の研究を紹介したうえで、「日本の保守勢力も水面下でこの裁判に協力し、戦争責任をすべて陸軍に押し付ける方向で動いたこと、この限りではこの裁判は日米合作劇としての側面」を有しているとし、この史観の矛盾点を突いている。後者の「戦争両義的性格論」は、先の大戦は侵略戦争の面も有したかもしれないが、アジア諸国を欧米勢力から解放した面もあるとする史観である。著者は、このような史観について、「開放の側面を恣意的に解釈し、植民地大国として朝鮮・台湾を保有しながら欧米支配からの解放を唱えることの欺瞞性」を鋭く指摘している。
著者は、従来の戦争観との内面的対決を経ずして歴史からの逃避を続けるのなら、「私たちは過去の歴史をいつまでも対象化できずに、未だに戦争の世紀を生きていることを意味している」とし、戦争観を冷静に検証する必要性を訴えて本書を結んでいる。
本書の刊行は、2005年2月であるが、オリジナル本はその10年前に刊行されている。しかし、現在の日本の置かれた状況を見れば、この本の中で著者が指摘したことは歴史的妥当性を失っていない。いや、それどころか、ますます重要となって来てさえいる。中国や韓国を始めとするアジア諸国と将来に渡り良好な関係を保っていくには、日本の戦時中の行為を目を反らさずに認識し、他国の痛みを知ることから始めなくてはならない。それが、本書を読んだ率直な実感である。

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紙の本ルポ貧困大国アメリカ

2008/03/17 13:28

極端な民営化の果てにアメリカが陥った惨状を曇りない眼でレポート

12人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

私が生まれた1950年代は、アメリカは憧れの国であった。テレビのスイッチをつけると、「ウチのママは世界一」「パパは何でも知っている」などといった明るいアメリカのホームドラマが放送されていた。そこには、頼りがいのある一家の主人、優しく賢明な妻、素直なこどもたち、芝生のある大きな白い家・・・などが映し出されていた。敗戦に打ちひしがれていた当時の日本にとって、そのようなアメリカの姿は理想郷そのものであった。
本書は、そうしたアメリカの半世紀後の現状を曇りない眼で伝える衝撃的なレポートである。この書を読むと、アメリカが、かって憧れの国であったことが想像するのが難しい程の状況に陥っていることが分かり慄然とさせられる。

著者は、まず、2005年にアメリカ国内で飢餓状態を経験した人が3510万人(全人口の12%)もいるという驚くべき事実を明らかにしたうえで、病気に罹り入院を余儀なくされた中間層が世界一高い医療費によって次々と破産していることや、学資ローンの返済に行き詰まった学生たちを経済的に援助することで巧妙な経済的な徴兵が行われていることや、民間の派遣会社に雇用された貧困層が明日の糧を得るためにイラク戦争に行くことを余儀なくされ生命や健康の危機に晒されている現状、などを次々に明らかにしている。

著者は、アメリカがこのような事態に陥ったのは、見境の無い新自由主義政策の導入にあるとしている。導入当初は、行政が担ってきた業務の無駄を省き効率的な運用が期待されていた新自由主義だが、利潤追求を第一義的に進めるあまり利潤に合わないものは切り捨てられることになり、数々の弊害が生じることが明らかになっている。そして、最大の問題は、「教育」「暮らし」「いのち」という行政が責任をもって行うべき分野が民営化され、その恩恵に与れる人とそうでない人に二極化され、取り残された人たちは益々下層化する途しか残されていないという点にあると著者は明確に指摘している。

本書を読むとまことに暗澹たる気分にさせられるが、アメリカが陥っている現状は決して対岸の火事ではなく、我が国も無関係ではないことは明らかである。昨今、我が国で大きな問題となっている救急医療態勢の不備や、医師不足で病院の閉鎖が相次いでいること、正社員の途を閉ざされワーキングプアに陥った若者たちのことなどの社会問題は、アメリカ流の新自由主義政策の導入に端を発していると言っても過言ではない。このまま行けば、我が国もアメリカの二の舞になることは火を見るよりも明らかである。そうならない為にも、私たちは著者の勇気ある警告に謙虚に耳を傾けるべきであろう。

最後に、本書の第4章「出口をふさがれる若者たち」から、インタビューイの印象的な言葉を引用しておこう。
『仕事の意味とは、ただ生活費を稼ぐ手段ではないのです。若者たちが誇りをもって、社会の役に立っているという充実感を感じながら自己承認を得て堂々と生きられる。それが働くことの意味であり・・・将来に希望をもてる若者を育ててゆくことで、国は初めて豊かになっていくのです。』

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紙の本関ケ原合戦と大坂の陣

2008/01/26 15:06

斬新な見解で明らかにされる関ヶ原合戦の深層

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

笠谷和比古氏は、『主君押し込めの構造』などの一連の優れた歴史書の著者として知られている日本近世史家である。上述の書は、藩主の権力が絶対と思われていた江戸時代に、いかに藩主であろうとも、お家を危うくする行状を取った場合は、家臣たちから強制的にその地位を追われる慣行があったことを解明した名著であった。この書物は、一歴史学の領域を超えて様々な分野に大な影響を与えたと言われている。評者も、この書物に接して、近世史の面白さに開眼させられた一人であった。

今回刊行された書物は、そのような著者の近世史研究の原点とも言える長年の関ヶ原合戦研究の成果を集大成した注目作である。
著者のこの合戦への思い入れは相当深いようで、「歴史としての関ヶ原合戦が開示するドラマツルギーは、シェークスピアたち最高の劇作家をもってしても到底およぶことができないような、切れ味鋭い逆説と冷厳なアイロニーに充ちていた」と評している。実際、本書を通読すると、関ヶ原合戦に至るまでの流れは極めて陰影に富んだもので、通説が説くように家康率いる東軍が圧倒的な優性のうちに戦局を進めたのではなくて、東軍の勝利には相当な紆余曲折が伴ったことが理解できる。
本書の記述に従えば、そのようになった最大の理由の一つは、石田三成が起こした反家康の企てが、当初の三成ら少数派の謀反の段階から豊臣政権の正式な支持を得た公戦へと謂わば二つの段階を辿っており、それに伴って、「豊臣系諸将が当初表明した家康支持の前提が覆ってしまい、同誓約は有効かどうか、誰にも答えられない『絶対的な混迷』のうちに合戦のドラマ」の幕が切って落とされたからであった。著者のこのような見解は、関ヶ原合戦に至る複雑な過程をよく捉えた優れた見解であると評したい。
著者は、この他にも、家康が中山道を進軍中の徳川軍本体を率いる秀忠の到着を待たずに豊臣系武将たちから成る東軍だけで合戦に臨んだ理由、さらには合戦に臨んで西軍の「鶴翼の陣」の奥深く入り込むような一歩間違えば包囲殲滅されかねない危険な布陣をした理由、などについても新しい見解を示しており、改めてこの合戦の奥深さを認識させられる。

それに対して、大坂の陣については、関ヶ原合戦ほどの妙味は感じられないとして、著者は戦局の推移を詳細に追うことに筆を費やしている。それ故、関ヶ原合戦と比べ叙述がやや平板になっているのは否めないが、同合戦に倍する激戦であった各戦闘の模様や、圧倒的な徳川勢を前にして怯むことなく奮戦した豊臣方の武将たちの勇姿が臨場感豊かに描かれており、優れた歴史小説を読むような趣きさえある。また、大坂の陣に至る過程も詳述されており、例えば、同合戦の誘引となった方広寺の鐘銘について通説とは異なる見解が示されているのは注目される。

以上、本書を通読すると、著者にやや徳川氏への身贔屓が見られるのは記述の客観性という点で、正直なところ疑問を感じないでもないが、手垢に塗れた関ヶ原合戦像を一新させる数々の見解を示しているのは、著者の歴史学者としての卓抜さを示して余りあるように思われる。昨年(2007年)に刊行された一般向けの歴史書の中で、最良の部類に入る書物と躊躇わずに評することが出来る。

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紙の本丸山眞男 リベラリストの肖像

2006/08/01 12:59

丸山眞男についての現在望み得る最良の評伝

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岩波新書(新赤版)が千点刊行されたのを機に、この四月から編集方針を一新し、装丁も一部かえて再スタートした。本書は、新編集のもとに刊行された一冊であるが、リニューアルした岩波新書に相応しい力作となっている。
本書は、「評伝風思想案内」と謳われているように、丸山の学問・思想がその著作の精密な解読を通して明らかにされている。その中で一際印象的なのは、丸山の学問には、一貫して日本人の個としての精神的な自立とそれを阻むものを解明しようとする強い姿勢が見られるという指摘である。具体的に言えば、戦後日本で民主主義が充分に育たずひいては日本人の精神的な自立が遅れているのは、日本社会特有の権威主義や封建的なモラルの残滓が充分克服されていないことに起因しており、それは天皇制の問題とも大きく関わっているということなどは、今なお考えさせられる問題である。
また、丸山のもう一つの大きな業績として、日本の政治思想を従来とは異なった角度から分析していることが挙げられている。例えば、江戸の儒学者の荻生徂徠について、古代中国の聖人が説く「道」は自然なものではなく作り出されたものであることを解明したとして、これは、「道」は自然界の運動法則が反映されたものという通説とは大きく異なり、今まで見過ごされていた荻生徂徠の思想を評価することに繋がったとしている。著者は、丸山のこのような鮮やかな視点で日本の政治思想史を解明している点について、思想史の分野に止まらず、多方面に大きな影響を与えたとしている。
この他、本書の中では、丸山の人生を辿る中で、意外とも思える事実が明らかにされていることも注目される。それによると、丸山の父親は、当時はよく知られた新聞記者であり、丸山自身も父に倣って当初は新聞記者を目指していたという。ところが、父親に「新聞記者は一代でたくさんだから」と反対され止む無く、たまたま募集していた東京大学法学部の助手に応募したという。また、助手になってからも、指導教授の南原繁から西洋政治思想史ではなくて、日本の政治思想史を研究することを勧められて、嫌々ながら徳川時代と明治時代の思想家の著作を読み始めたという。これは、後の丸山の業績を知る者ものとしてはなはなだ興味深い逸話と言える。
著者は、研究者としてのあり方について、「問題発見型」と「体系建設型」というタイプがあるとすれば、丸山は前者にあたり、これまで丸山は余りにも後者に見立てられることが多く、そのために実像が見えにくくなっているのではないかという重要な指摘をしている。的確な指摘と言えよう。
丸山を論じた書物は、概して熱烈な礼賛派か否定派にはっきり分かれ、余りにも丸山に捉われ過ぎていることが多い中、著者は世代的に丸山とは適度な距離を保つことが出来、それがプラスに働いて説得力のある丸山像を描くことに成功している。そのため、本書は、今後多く出版される丸山関係の書物の中で、スタンダードの位置を占め続けると思われる。

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中国古典小説の尽きぬ魅力を名調子で紹介!

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中国四大奇書と呼ばれる長編小説がある。「三国志演義」「西遊記」「水滸伝」「金瓶梅」などの明代から清代に書かれた小説である。本巻は、名うての読み巧者として知られる中国文学者の井波律子氏が、上述の四大奇書のうち、「三国志演義」と「西遊記」を論じている。この両方の小説については、著者はこれまでにも多くの書物を著しているが、以前刊行された書物の単なる焼き直しに終わっていないのは、取り上げられている小説が尽きない魅力に溢れていることにもよるが、やはり著者の平明な語り口と卓抜な視点によるところが大きい。実際、井波氏に手にかかれば、寄席で名人の至芸を聞くかのように、小説の情景がありありと浮かんでくる。特に、ヒーローが活躍するシーンではその語り口はいかんなく発揮されており、三国志などでは、武将たちが華麗な甲冑に身を固め駿馬を自在に駆って戦場を所狭しと暴れ回る描写は躍動感に溢れている。これは、著者の作品への並々ならぬ思い入れがあって初めて可能となるものであろう。

著者は、小説のストーリーを魅力的な語り口で紹介していると同時に、文学者らしい視点から小説を分析している。分析とは言っても、理論をそのまま当てはめるような堅苦しいものではなく、文学理論を自家籠絡中のものにして、長年親しんで来た古典文学を論じているので、新鮮な発見を齎せてくれる。例えば、「三国志演義」の劉備玄徳や西遊記の三蔵法師は、物語の中心に位置しながら自ら何もしないことで周囲を活性化させているとし、このような主人公の類型を他の世界文学の中に求めている。また、中国古典小説には、「作者が全能の語り手として登場人物の内面まで透視しその心理状態を説明することはなく、内面や心理にかかわることは登場人物どうしの会話のなかで表現され、こうした小説のありかたは全能の語り手を否定する現代小説に通じるものがある」とし、古いものは新しいものに通じると述べているのは興味深い。

この他にも、女性研究者らしく、著者は、「三国志演義」に登場する女性たちにも目配りをしている。この作品では、慫慂と運命を受け入れていく女性たちも見られるが、中には運命に抗い自ら道を切り拓いたり、状況が悪化して気弱になった男たちを叱咤激励して共に危機を乗り越える役割を果たす印象的な女性が幾人か登場する。三国志というと男だけの世界を描いた作品というイメージが強いが、上述のような気丈な女性たちの活躍が描かれていたことはあまり知られてはおらず、新鮮な指摘となっている。

下巻では、「水滸伝」「金瓶梅」「紅楼夢」などの長編小説がさらに作品の構造に光を当てて論じられるというが、今から刊行が待たれる。本巻を読むと、著者の井波律子氏は、当代きっての中国古典小説の読み手であると改めて実感させられる。

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紙の本淀殿 われ太閤の妻となりて

2007/06/04 20:58

淀殿を豊臣秀吉の「正妻」の一人として位置づけ、その実像を探る!

10人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

作家の司馬遼太郎は、大坂城を舞台にした小説『城塞』で当初は、豊臣秀吉夫人淀殿を主人公にするつもりであったが、調べてみると「全く取るに足りぬ人物」と判り、城そのものを中心に据えた作品に構想を変更したことをエッセーで語っている。
そのせいではあるまいが、淀殿の評判は古来芳しくない。NHKの大河ドラマでも、淀殿は否定的に描かれることが多いようである。それには、高貴な血筋を誇るあまり、時勢を見る眼に乏しく、徳川家康の天下取りの野望の前に豊臣家を滅ぼした「浅はかな女」という通説が背景にある。著者はこのような予断を排して、当時の史料から淀殿の実像を浮かび上がらせようとしている。
著者は、まず冒頭で、淀殿や淀君という名称は、後世の江戸時代になってからつけられたもので、当時の良質の史料からは見受けられないとして、浅井茶々(あざいちゃちゃ)という本名を用いて記述を進めている。(タイトルが「淀殿」となっているのは、通称となっていることを考慮したためとしている。)
これは、中々見識のある叙述の仕方であるが、注目すべきは、淀殿を秀吉の正妻と位置づけていることである。通常、秀吉の正妻というと寧々(ねね)ということになっており、淀殿や有力大名の子女の京極龍子・前田まあは側室とされて来た。
これは、正妻は一人で残りの女性は側室か妾という暗黙の前提があったからであるが、史料を吟味すると、このような前提は江戸時代になってから成立したもので、戦国時代や安土桃山時代には遡ることはできないという。事実、当時の古文書を見ると、淀殿を簾中と称しているものもあり、秀吉自身、京極龍子を「よめ」と自書書状の中で表記しており、こうしたことから、少なくとも、淀殿・京極龍子・前田まあは、それぞれ秀吉の正妻の一人であったとしている。その一方で、秀吉の糟糠の妻である寧々は、絶えず正妻の筆頭にあり尊重されてきたとしている。
著者は、このような見解に立って淀殿の生涯を追っていくが、随所に著者ならではの見解が盛り込まれており、このミネルヴァ評伝シリーズの中でもとり分け印象に残るものとなっている。
例えば、淀殿と寧々は、通説では仲が悪く、こうしたことが豊臣家の滅亡に繋がったとされていたが、著者は他の歴史学者の説を敷衍するかたちで、両者は時には悪感情を持つことがあっても、総じて関係は良好で、その証拠に両者で豊臣家を守り立て、関係する人たちに一致協力して救援の手を差し伸べることもあったとしている。
淀殿の晩年とその最期については、さらりと触れられているが、史料をして語らしめる叙述からは、その悲劇的な滅亡がひたひたと胸に迫ってくる。
本書は、以上のように、鮮明な問題意識と鋭利な史料分析に貫かれており、著者の歴史家としての優れた資質を窺わせる歴史人物評伝となっている。

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