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先月(2017年6月)

志賀信夫さんのレビュー一覧

投稿者:志賀信夫

9 件中 1 件~ 9 件を表示

黒人文化の神秘主義に迫る

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

◆同じ名の神がいる
 「あなたと同じ名前の神がいる」。こういわれてヴードゥーを調べ始めた著者は、いつの間にかこんな大著を表わすことになったという。
 ヴードゥーと聞くと、ブラジルのカンドンブレなどの土着宗教、ゾンビの復活、黒魔術、敬愛するジミヘンドリックスの『ヴードゥーチャイル』などを思い出す。また、鶏を捧げて踊るうちに人々が憑依するという印象がある。
 だが著者は、ヴードゥー教信者になったのでもなく、「ヴードゥー」に淫しているわけではない。とことん調べ尽くした成果をまとめたもので、ある意味で極めて客観的に書かれているから、マニアックでありながら、わかりやすい。
 この本の前半では宗教としてのヴードゥーについて、キューバ、ブラジルなど中南米のヴードゥーをアフリカ宗教や習俗と比較しつつ述べている。そして後半は文化としてのヴードゥー、米国での風習、音楽などにおけるヴードゥーの影響などを詳しく述べている。そして最後は現在の宗教的側面を考察している。ここまで徹底的にヴードゥーをまとめた本はなく、学者の研究書のような堅さ、読みにくさもない。ただ約450頁と大部なので、全部読みとおすのは大変だ。全体をざっと見て、自分の関心のあるところ、例えばブルース、ジャズとの関わりや、ラフカディオ・ハーンらの民話などに目を通してみる。それだけで十分面白い。
◆文化としてのヴードゥー
 この本は、ヴードゥーを宗教として解明するのみならず、アフリカからアメリカ大陸に渡った黒人文化の一つの源流というとらえ方をする。それはニューオルリンズではブルース、ジャズなどを生み、キューバではレゲエを生む。つまりヴードゥー自体が現在の黒人文化の一つの要素といえるのだ。
 僕たちは黒人文化、ブルースやジャズ、ソウルミュージックを若いころから愛しながら、ミュージシャンやレコード、CDなど以上の知識はない。黒人が注目されたオリンピックへの抗議活動、映画『ルーツ』、『ちびくろサンボ』問題の時代を経ても、僕たちの認識が大きく変わったとは思えない。いつの間にかアフリカ系アメリカ人という呼称が通用しているが、名前を変えても差別はなくならない。この表現を聞くと、いかにも米国的ニセ「平等主義」を感じてしまうのは、僕だけだろうか。そんなことを考えながら読んでいると、ヴードゥーとはワスプ、アングロサクソン系プロテスタント白人、いや白人文化全体に対する隠れた対抗文化ととらえることができるかもしれない。
 また、ヴードゥーに関心はあっても、とりあえずコンピュータ、Wikipediaなどで調べて、よしとする人も多いだろう。著者も、多くの文献以外に海外のネットを駆使して著したようだ。しかし、ここには確実にそれ以上のもの、多くの知識が集積され、著者のヴードゥーを黒人文化として、きちんと位置づけるというオリジナルな視点が通底して感じられる。
 今後ヴードゥーを語るときはもちろん、黒人音楽のルーツなどを論じるとき、いや米国文化、中南米文化、アフリカ文化を考える際にも不可欠の本といえるだろう。また、ある意味でヴードゥーをおどろおどろしいもの、神秘的で曖昧なものとしておきたい人、僕もその要素があるが、そういう人にとっては、神秘を明るみに出してしまい、ちょっと寂しい気がする。だが、そうはいいながらも、さまざまな研究を渉猟しながら、黒人文化のなかの神秘主義に徹底的に迫り、かつ学問的に堕っさず読みやすいこの大著を、歓迎しないわけにはいかない。さらに、学者、専門の研究者ではなく、在野でもこここまでやれるということを、はっきりと示した好著だ

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紙の本狐媚記

2004/04/02 20:56

「狐を愛する」

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 狐に化かされる話は多い。獣と人間の中間を描く物語もたくさんある。しかしこの狐媚記は特別だ。

 狐の子を生む女月子。心当たりがないのに夫に叱責され、子は殺される。しかし夫が魔法に凝っており、狐玉を使って妻を呪いで狐に犯させて生ませた子だった。ところが1人目の息子星丸が、狐玉を日に当ててダメにする。星丸は成長し、女犯、放蕩に浸っているが、ある日、磔になって手足を怪我した女を連れてきて、月子に看病を頼む。すると翌朝女は狐になっており、月子はそれを野に放つ。星丸はしかしその女の虜になっており、見つけて野原で愛撫しあう。白緑の玉を口移ししあう戯れが繰り返されるうちに、星丸は生気を吸い取られ、女が絶頂に達するときに星丸は息絶え、女の胎内には狐玉が宿る。このような物語だ。

 夫が妻を魔法で狐に犯させて、狐の子を懐胎させる。これだけだったら単純な幻想譚だが、以前に生んだ息子を絡ませて、美しい近親相姦の場面を示し、その性交が息子の命を奪い、再び狐玉が生まれるという輪廻の物語を作り出した。それは複雑かつエロティックで、澁澤ならではの発想だ。
 狐の魔法を使って女を犯させ狐の子を生ませるというのは、インクブス、スクブスという夢のなかで性交する夢魔と重なっている。澁澤はことあるごとに、この男性と女性の夢魔について語り、こだわっていた。いや愛していた。これは夢精を表したといわれるが、フュスリの絵画『夢魔』は、それを具体的にイメージしたものだ。眠る人の上に小さい悪魔がしゃがんでいる、あの絵だ。

 狐、狸ともに人を化かすというが、狐にはエロティシズムが似あう。狸が女性になっても巷の誰かをイメージしてしまい、どうもいけない。狐に似た女は性格が悪そうだが、狐にエロスがあるとすれば、あの毛並みと尾ではないか。特に狐の尾は美しく、魅力的である。女性に化けても、何気なく尾が残ってしまうとかいうのが、化け狐の魅力だ。そういえば、北海道で闇の中に消えたキタキツネの尾を思いだす。また、狐媚記という名は媚びるという音を含み、狐の媚態と両方のイメージが重なっている。古事記などとの音の共通性もあるのは澁澤のしゃれだろうか。
 この中に登場する、管に入れて運ぶという小さな狐、管狐は魔術の遣い魔の一つとして、イズナ(飯綱)とも呼ばれている。これをさりげなく川上弘美は短編「消える」の中に登場させていたのも印象的だった。いまはちょっと」フェレットをイメージしてしまっていけないが、「いい匂いのする」と川上のいう管狐、ちょっとほしくなる。
 鴻池朋子の絵は、まず表紙が素晴らしい。黒いくぐもった中に描かれる狐女は、不気味さを隠し持ちながらも美しい。物語の展開に合わせて描かれる絵も魅力的だが、ちょっとメルヘンチックな匂いが漂い、それを抑えた方向に進んでほしいという思いがある。しかしこの狐媚記という本には、うまく合っているのも事実だ。近親相姦を含んだ物語を生々しすぎないようにするのには、この絵がちょうどいいのかもしれない。

 化かす狐といういわば、化け物、魔法の王道のテーマを立てながら、それをとことん広げて、夫の妻への不義の疑惑と理不尽な呪い、近親姦などを重ねていく。そして近親姦、狐との獣姦が登場するのだが、その場面はすこぶる美しい。それは、忌まわしいものと聖なるものは常に背中合わせであることを、顕著に示したものだ。
 その美しさもさることながら、この『弧媚記』という作品が素晴らしいのは、狐が人間の愛憎と絡み合い、さらに性愛物語になって展開し、輪廻として昇華するという複雑な構造をもち、読者がそれらに惑わされるからだ。あたかも狐に化かされたかのように。澁澤が意図したのは、そんなことかもしれない。読者を狐の術で騙すという。そういえば、いま、すれ違った女には、尻尾があったような……。

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紙の本菊灯台

2003/12/04 15:17

どこにもない小説

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

20年のブランク
 「澁澤龍彦が再び小説を書かないだろうか」と望んでいた時期がある。70年代後半のことだ。初期「犬狼都市」などの透明感のある物語に魅了されていた。しかし20年近くも書いておらず、また名翻訳家の小説必ずしもという例もあり、いまさら無理だろうとも思っていた。
 そんなとき『唐草物語』が登場し、期待を遙かに超えて、「ついに小説家澁澤が誕生した」と思った。培った博識と古今東西の物語の大胆な借用と異化は、芥川の今昔もの以上の、まったく独自の世界を見せてくれる。そして、さりげなく織り込まれた過激なエロティシズムと、時代を自在に飛ぶ展開は、あっという間に、遺作『高丘親王航海記』へと昇華していった。この「菊燈台」は、そんな小説集『うつろ舟』のなかでも、とりわけ美しい作品だ。
 菊燈台とはなにか。それはここでは明かせない。ただ、菊花のエロスを背景に、覗き、手もぎ、河童などが登場するなかで繰り広げられる、若者の愛の物語だとしておこう。
 このシリーズ「ホラー・ドラコニア少女小説集成」の妙味は、澁澤作品と現代美術家の取り合わせにあるが、山口晃の絵は期待にたがわない。束髪のためか「日出処の天子」にも似た秀麗な青年と少女が漂わせる静かなエロティシズム。よく見ると何気なく現代の事象が取りこまれていて、それが奇妙な雰囲気を作りだす。特に厠の覗きと菊灯台の場面が好みだが、好む場面によって、読者は自分の性癖に気づくかもしれない。
 澁澤の後期小説は、古い時代の設定に、現代の言葉や事柄がまぎれこみ、さりげなく時空を飛び越えるのだが、それは「歴史小説的」になることを拒んでいる。それゆえに澁澤の小説は、時代としても、その特異さの点でも、「どこにもない小説」となっているのだが、山口晃も絵画の世界で同じような道を目指しているのだろうか。

声に出して読む
 このシリーズのもう一つの特徴は、文字が大きく総ルビであることだ。絵本のような雰囲気をもたせるためだろうが、この文字で読むと澁澤の文章に改めて感心する。現代とはちょっとずらした表現、漢字と「かな」の使い分け方など、長く岩波書店の校正をした澁澤ならではの言葉へのこだわりが感じとれ、その文章を味読することができる。これをいま流行りの「読み聞かせ」のように子どもに語ってみたらどうだろう。それは悪魔の囁きとなるのだろうか。
 この作品が入った単行本『うつろ舟』は、日本的な緑の文字と箱のデザインが惹きつける、装幀家菊地信義の傑作だったが、このシリーズは鈴木成一のこだわりをあちこちに楽しめる、非常に美しい本に仕上がっている。山口の挿絵は小説に合わせた書き下ろしのため、前作『ジェローム神父』のような、会田誠の絵と澁澤の文の「ずれ」のもたらす驚きはないのだが、それを求めるのは贅沢にすぎるだろう。ク・ナウカの宮城聡には、一人芝居『菊燈台』の再演を願いたい。どのように演じたのだろうか。筆者

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紙の本淫蕩学校

2004/03/15 14:59

町田久美の発見−『淫蕩学校』に入ろう

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 時折、新しい画家を発見することがある。しかし本に添えられた絵にこれほどインパクトを感じることも珍しい。えてしてそのような絵は、挿絵的で優しく、あたりさわりのないものが多いからだ。
 町田久美はまったく違う。「あたりさわり」があり、個性が際立つ。まず、一見マジックインキで、すーっと書かれたような線がストレートに入ってくる。コンピュータかとも見まがうシンプルな線だ。しかしよく見ると、これは丁寧な作業の結果であることがわかる。しっかりした筆致が感じられ、かつセクシャルな表現の軌跡だ。顔に薄墨で淡彩が施されていることから、筆の線だと推測が立つ。解説によれば、筆を丹念に重ねたものだという。彫刻家の舟越桂は、そんな町田の作品を「自分の中を見つめるところから生まれている」と評している。
 そしてこの線のみならず、作りだす表情、フォルムの完成度が極めて高い。柔らかな曲線、そこに茶運び人形などにも共通する独特の表情がきざす。京人形、雛人形などではなく、巷に打ち捨てられたお土産民芸のような風情。それがかっちりとした線とともにエロスを醸し出す姿は、いいようもなく美しい。
 そのなかで、男根をはっきりと描いた絵などは、ビアズリーにも通じるところがあるが、むしろ隠れたエロス、微妙に感じられるエロスが、ほんのりと立ちあがる作品こそ町田にはふさわしいように思える。それが文章とあいまって、なんともいえない雰囲気を醸しだしている。

 サドの『淫蕩学校』は、有名な『ソドム百二十日』の一部、淫らな僧侶や貴族たちが、少年少女を惑わかさせて集める部分で、少年少女の選び方と審査などが描かれる。実際の快楽の前の場面が中心だが、だからこそこのような町田の隠されたエロティシズムがふさわしい。サディズムとマゾヒズムが表裏一体であることをよく示した絵。かつ描き手のマゾヒズムが静かに漂う作品で、わずかな淡彩と最小限の色使いも、なんとも巧みである。
 この『淫蕩学校』は、エロティシズム、サドの世界への導入、学校にならえば入学試験のようなもの。誰しも根底に持っているこのような感覚、性の世界への入口として、本書はふさわしい。その先にははかりしれない深淵がある。安易に実践されるプチSMではなく、この本によって、本当の『淫蕩学校』の世界に人々が足を踏み入れると、日常が少し変わってくるような気がする。添えられた澁澤龍彦の「反社会性について」とともに、このような視点の獲得が、いまこそ必要であるような気がする。

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紙の本ジェローム神父

2003/10/09 16:32

幸福な出会い

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 澁澤龍彦の作品、翻訳や小説の一編、抄訳でミニ・アンソロジーを組むと聞いて、また手を変え品を変えて見せていると思った。しかし、実物を手にして驚いた。少なくともこの「ジェローム神父」については、美術家会田誠との素晴らしいコラボレーションが成立している。会田の作品の持つエロティスム、残酷性をうまく捕らえて、サド、澁澤とぶつけている。単純な挿絵的マッチングでないところが新鮮だ。
 会田はロリコン的美少女と戦争画、原爆など性と社会性のあるモチーフを合わせて取り上げ、時に日本画的構図の中に納め、ある時はマンガの手法もとり、「自殺未遂マシーン」などのインスタレーションを行ったりと多彩な活動を展開している。独特の個性とアクがありながらも、非常にきちんと作品に向かい合う美術家、絵描きだ。それは近日封切られるドキュメンタリー映画『≒会田誠〜無気力大陸〜』(玉利祐助監督)にも、よく現れている。
 会田の作品は国際的にも評価が高く人気も上昇中だが、彼のエロティスムに澁澤をということは考えつかなかった。衝撃的な「ジューサーミキサー」「とれたてイクラ丼」から「開きの天日干し」「犬(雪)」など、いずれも傑作揃いで、ミニ画集としても手元に置きたい一冊だ。鈴木成一の美しい装丁も本としての魅力を引き立てる。
 シリーズとして5冊刊行するらしく、次回は澁澤の『うつろ舟』から「菊燈台」。ク・ナウカの宮城聡がかつて1人芝居で演じたことのあるこの作品に、大和絵風の山口晃がどうからむのか、「九相図」が登場するのか。すぐに「過去」として消費される時代に、澁澤作品に対しての若手現代美術家の起用は本当に楽しみだ。5巻完成後は、ぜひ展覧会を期待したい。筆者

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火天の城

2004/08/06 13:03

「想像力の建てる城」

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プロジェクトXではない
 なんとも面白い小説が登場した。歴史小説の範疇に入るのだろうが、織田信長の時代を描きながら、激しい合戦は出てこない。これは城を作る物語なのだ。その名は安土城。幻の城として、建築愛好家や歴史家を惹きつけてきた。その城を作る大工たちの話、職人物語だ。しかし並の大工ではない。設計、意匠から着工、完成、そして維持まで、武士以上に男気を見せる男たち。反対勢力による忍者の暗躍や、自然・建築の困難と戦いながら巨大な建築プロジェクトを実行する、プロジェクトXのような物語だ。
 しかしあの仕組まれたような番組の「技術が、日本が」というある種のナショナリズムに取りこまれない。職人や企業の個人のがんばりを、「日本はすごい」に安易につなげるのは、プチナショナリズムだ。「教科書派」が日本の左翼を自虐思想と見事に名づけたが、その反対概念は自慰思想だろう。
 その日本賛美に陥りがちなプロジェクトXとは違う。国よりも職人魂が、天下国家を論じる信長を簡単に飛び越えてしまう。いま残るさまざまな建築はその証しだ。京都・奈良・鎌倉の寺院のみならず名もなき村の寺に至るまで、千年の世を生きてきた建築の力は、大名や将軍を超えている。紙と木で作られたものが、石による西洋建築を超えその姿をとどめる。この小説はその秘密にある部分で迫っている。

教会と城
 幻の安土城は新奇な姿だったと話題になったり、宮大工の仕事に注目が集まったことは何度かある。私たちの好奇心をそそっていたこれらのモチーフが、ドキドキ感を伴う小説として花開いた。教会建築の意匠を取り入れて設計する描写などからは、マニエリスムを感じさせる。美術史的な意味でなく、マニエリスム絵画のもつ歪んだフォルムと特異な色調、奇想に通じる世界が、この安土城には現れる。借景として風景を取りこんだ狩野永徳の絵画、天主の八角堂と朱瓦などは琳派どころではない強烈さで、悪趣味と思われるほどの色とコントラストが眼前に現れる姿と、それを作りだす過程は、マニエリスムとしか名づけようがない。
 考えてみると、日本の城に惹かれることはなかった。目にするのは観光用に手を加えられたり、コンクリートで再建された城ばかりで、城の魅力を感じるきっかけはない。むしろ教会建築が魅力的だ。上智大学の旧イグナチオ大聖堂のみならず、東京の巷にある小さな教会には、その歴史ととともに込められた時間と祈りが漂う。例えばロシア正教会の荘厳なニコライ堂はもちろんだが、千葉の農村、北海道の工場地帯の隅に建てられた民家と見まごう教会に、祈りつづけられたイコン、イコノスタシス(イコンの壁)があり、いまも集まる人々とともに教会を支えている。城づくりに教会を重ねた意味は、そんなところにあるもかもしれない。このような建物がどのような人々の営為、精神と思いで建てられるかを示したものだ。そして落城という末路が知られているからこそ、この建物はより美しく輝く。
 著者はかつて存在したこの城を、想像力によって丹念に作りだし、この城を作るという思いを極限まで強調する。そしてそれは虚空に消える。作りだしたもの自体が想像、空想であるがゆえに、美しさも際立つ。その意味で筆者はまぎれもなくこの城を建立し、そして崩した。読者はそれを惜しみ、悲しみつつも納得する。そのときに読者の中には、作者の築いた空想の城、安土城がいつのまにかそびえたっている。これはそういう小説だ。

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紙の本哲学マップ

2004/08/06 13:06

「大胆なマッピング」

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 新書版には哲学入門がよく似合う。手軽に教養をという時代には新書のベストセラーを担っていた。その哲学入門に対しては、「哲学とは何か」から入って、作者の得意分野に引きつけて終わるか、教科書的な概論に終わり、「いかに生きるべきか」がつけ加えられるか、その程度という偏見をもっていた。この本も確かに導入は知りあいのダンサー「イリツカ」さんの疑問から入るという「哲学とは何か」だ。しかし実はもっと大胆な哲学の整理学だった。哲学をマッピングしようということ。これは「哲学入門」以前の整理でもありながら、同時に諸々の哲学を分類し、その全体構造を関係性の網で覆うという大胆不敵な行為だ。古代から現代までの思想・哲学を仕分けて客観的にマッピングする試みは、キリスト教など特定の宗教の影響が少なく、東洋文明の一員でありながら早くからの近代化で西洋的メンタリティをかなりもつ日本人だからこそできるものではないか。

 筆者は先日、舞踏と死と日本の宗教について、あるオーストリア人から質問を受けた。その問いに答えながら、日本の死生感や宗教意識はかなり混沌としていると実感した。個人差はあるが、信じる思想・宗教を持たない、あるいは持っても疑い続ける日本人は、西洋人の理解を超えているところがある。その意味では非常に客観的に東洋と西洋の思想を見ることができるのかもしれない。ただそういいながらも、「無」を西洋人の理解できるように説明することは、とても困難で、その点でも私たち自身が「東洋の神秘」なのかもしれないが。

 ここでは貫成人がフッサールの現象学を学び、舞踊にも詳しいということは脇において、この本のニュートラルな魅力と、入門的に見えて実はなかなかアヴァンギャルドな試みであることを再び強調するにとどめる。頻出するさまざまな「例え」も面白く、独特の諧謔が感じられる。抽象的な学問をなんとかリアルに引き付けようとする作者の努力が感じられる。たぶんイマドキの学生たちを相手に苦闘した成果だろう。古典哲学からポストモダン、さらに東洋思想にまで言及したこの哲学マップは、「ぴあマップ」より有用かどうか不明だが、700円ちょっとで哲学が買えるのだから、これはお勧め。なお続巻は古今の哲学から拾った小ネタ満載の「哲学のトリビア」はどうだろう。いやトリビアはもう古いか。

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紙の本うつくしい人生

2004/07/30 13:44

「うつくしい人生を探して」

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 刺青師志望の友人の遺骨を届けにカナダに来た青年が、日系移民の老人たちと奇妙な交流をする。貧乏な老人の成功した移民との関係に、過去の移民の歴史が浮かび上がる。そこに老人たちのかつての愛がからみ今につながる。

 欧州、カナダ、メキシコで日系社会と関わった筆者が描く世界は、中上健次の「路地」にも似た濃密な時間と空間を作りだし、他の作家にはない物語へと読者を誘う。それにしても今の僕たち、するべきと、したいことがそれほどない、という状況をよく把握している。

 南米の濃密な世界に触れていると、日本が生ぬるく感じないだろうか。作者はそういうある種の歪んだ強い嗜好を持っており、それが作品に独特の密度を与えている。

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小説を打ちのめせ

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引用と注釈の愉しみ
 長編小説を読む機会が少なくなった。とりわけ日本のものは稀だ。タイトルは知っていても読んでいないものが多い。そんなとき、この本は一つのきっかけになる。
 選ばれた50冊は、国枝枝郎から古井由吉、高村薫までと多岐に渡る。著者は「小説とは描写である」として引用を呈示する。まずこれが面白い。作家の文体もさることながら、括弧内に用語の注釈がついており、こと細かい。当初、本来の文章が読みにくくなると感じたが、読むうちに意外と知らないことが多いことに驚き、とても楽しめる。
 著者は短大で長く文学を講じているため、現在の十代がいかに言葉を知らないかを熟知し、懇切丁寧な注をつけて、教科書にも使えるようにしたのだろうが、一般読者にはギャグのように読めてしまう。最初、作家の文章を読み、その後で注釈と戯れてはどうか。
 また、時代的解説や作家のプロフィールなど、便利なブックガイドになっている。著者は現在、最もオーソドクス(正統)な読みができる文芸批評家だけに、内容は客観性が高いが、小説選びにはマニアックさも散見する。

読む価値のない小説は
 ただもう少し批判的部分があってもいいように思う。それぞれの項の末尾に五つ星(★)で「衝撃力」「構想力」「文章力」「浸透力」の五項目が示されているが、二つ星以下がないのは少しさみしい。もっとも「この本を読め」という趣旨のものなので、そうもいかないだろうが。読者はここを自分なりに書きかえてみるといい。100点満点の採点と歯に衣着せぬ批判で物議をかもした福田和也の『作家の値打ち』と同じ編集者によるものだが、著者には、次回作「打ちのめされるようなひどい小説」として、有名なのに実はつまらない、読む価値のない小説を呈示してもらいたい。『夕暮れまで』『失楽園』などはどうだろうか。筆者

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