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レビューアーランキング
先月(2017年4月)

jyorimotofuさんのレビュー一覧

投稿者:jyorimotofu

11 件中 1 件~ 11 件を表示

「こえ」はいかにして伝達されたか

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

戦没学徒の遺稿を収め、いまなお多くの影響を与えている『きけわだつみのこえ』が、いかに政治的に利用され、歪曲されてきたかを批判するノンフィクション。もともと初版『わだつみのこえ』が、日本に「民主主義」的な指針を与えようとする政治的意図の下に、数多の削除改変が行われていたのは周知のとおりだが、「完本」といわれる現行版が、いかに党派的かつ私欲に侵されたものであるかを本書で知らされた。たとえば長い引用であるが、本書では以下のように説明されている。

「第四次わだつみ会は『きけわだつみのこえ』岩波文庫新版を編むに際して、遺稿の原文、あるいはそれに忠実にもとづいた遺稿集などのすべてに綿密にあたることをしなかった。参考にしたのは一九四九年に編集委員たちが遺稿をガリ版で写したものが中心であり、しかもそれはすべてもっているわけではなく『手にはいる』範囲内で参考にしたにすぎない。その不完全な材料にもとづき、遺族たちの許可も得ずに恣意的に編まれたのが、第四次わだつみ会があたかも『きけわだつみのこえ』の完本であるがごとく言いふらす岩波文庫新版なのである」。

もちろんこれだけならば、許されることではないにしても、編集上の怠慢ということで、その責を問われるのみだろう。むしろ問題は、わだつみ会がある時期から党派的な派閥抗争にあけくれ、それまで遺族という立場から徹底して「こえ」を伝えようとした会を踏みにじった集団が存在したということだ。本書で描かれる山下肇、安川寿之輔らによるわだつみ会掌握にいたるまでの政治闘争は、矮小という以外の何ものでもない。

もちろん、このような抗争があるにしても『きけわだつみ』の価値を認めるに吝かではない。ただ、正義や理念はこちらにあるといった傲慢な視座が、彼らの「こえ」を曇らせていることだけは間違いないだろう。さらにいえば、こちらが絶対的に正しく、あちらは断罪されるべきといった、対話すら存在しないわだつみ会内部の抗争の性格が、戦前期において総力戦体制の正当化を担った言説とあまりにも似ていることに皮肉を感じざるをえない。おそらくわれわれは、彼らが「こえ」を発した場所と、今でもまったく同じところに存在しているのだ。

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紙の本「X」傑作選

2004/01/19 17:00

探偵小説を考える上で必須の一冊

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『X』のほかに『新探偵小説』『真珠』『フーダニット』の諸作品と、総目次、作品リストを掲載。

作品の質はやはり高木彬光や渡辺啓助を擁した『X』が一頭地抜いているといえるが、本書で最大の読みどころは、森下雨村の『新青年』創刊に関する回想と、西田政治の探偵小説をめぐる状況についてのエッセイである。

いわゆるカストリ雑誌として認知された、数多の探偵雑誌が相当な部数を売っていたことは本シリーズの解説などを読んでいればわかると思う。たとえば九鬼紫郎によれば(九鬼紫郎『探偵小説百科』金園社を参照)、『宝石』創刊号は5万部売って足りなかったようだが、その売れ行きに見合ったレベルに達しているのか、日本の探偵小説は? という強烈な問題提起を西田は行っている。

折りしも木々高太郎による「推理小説」という呼称の提案など、敗戦後の「民主主義」に見合った新しい探偵小説像の議論が盛んな時期であった。西田のエッセイは、そういった時代の熱気や息吹を感じさせずにはおかない極めて重要なもので、これを収録した名編集ぶりにはただただ頭が下がる。

今では「探偵小説」という呼び名は、何となくクラシカルな本格といったニュアンスでイメージされているように思えるが、この語が「推理小説」とどういった関係にあるのかは極めて重要な問題である。これに関しては、平林初之輔「探偵小説壇の諸傾向」(『平林初之輔探偵小説選2』所収)や、木々高太郎「新泉録」(『「ロック」傑作選』所収)、中島河太郎「推理小説講座」(中島河太郎『推理小説展望』所収)などを読んでみると、また興味が倍増するのではないだろうか。

とにかく、本書は「戦後」と探偵小説を考える上で、必読の一冊であるといってよい。

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紙の本日本人の法意識

2004/01/10 03:04

想像上の過去としての「前近代」

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昨年、何かと話題になった小熊英二『と』だが、要は戦争を招来した日本という国家と、その構成員たる「国民」の前近代性をいかに乗り越えるかという問題意識において、敗戦の記憶が持続しているうちは、少なくとも革新、保守ともに表層の差異を除けば同根であることを膨大な資料をもとに明らかにしてゆく著作であった。そこで大きく取りあげられた丸山真男、大塚久雄も、当然そのような意識の下に出現しているのだが──そして付言すれば吉本隆明はそういった彼らの問題意識、「国民」観への批判者として現れる──、本書の著者、川島武宜も彼らとそれを共有している。

たとえば1967年=昭和42年に書かれた「はしがき」を見てみよう。
「本書における私の関心の対象は法意識である。しかも、わが国に広汎にのこっている『前近代的』な法意識である。[…]今日もなお、前近代的な法意識は、われわれの社会生活の中に根づよく残存し、『社会行動の次元における法』と『書かれた法』とのあいだの深刻重大なずれを生じているのであって、[…]前近代的法意識を指摘することが、われわれの家族生活・村落生活・取引生活・公民としての生活を前進させるために緊要である」。

当然、川島はズルズルベッタリと規範と事実をなしくずし、前者を蔑ろにするような「前近代的」法意識を批判するのであり、さらに敗戦後20年たってもそれが払拭されない日本への危機感を随所に顕にしている。いうまでもなく、川島は「前近代」を超えた立場からそれを批判してゆくのだが、注意すべきは「前近代」とは、それを超えた位置に立つことで出現した、想像上の過去であるということだろう。それは「近代」化が進むことで超克されるものでもなく──現に約40年前に初版出版されたにも関わらず、本書はまったく古びていない──、また西欧から立ち遅れたものでもない。問題は、たとえば憲法9条を恣意的に引用し、自衛隊の派兵を法的に正当化するような、法の政治的遂行ひとつひとつであり、それらを批判してゆくことこそが重要なのだ。転覆及び改変すべき法や法意識が存在するのではなく、その遂行こそが問われるべきなのだ。

とはいえ、帝国憲法や判例の批判的読解から導かれる「前近代的」法意識の様相は、極めて刺激的であり、大いに参照に値する。特に「近代」について興味がある人には、うってつけの一冊ではないだろうか。

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悲の器

2004/03/23 04:49

類稀なる法学小説

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さる批評子が本書について、深刻なテーマを重厚な文体で語った本書は、読みやすい小説でも面白い小説でもないが、人生の意義、人間の倫理・責任について考えさせられるが、小説を読む醍醐味とはこのような本を読むことにある、と述べている。おそらく彼/彼女は『悲の器』を何ら読めていないか、事実上、読んでいない。本書のような類稀なる法学小説を前に、どの書籍にでも当てはまるような感想で能事足れりとする感性をもって、ステレオタイプな感想を流通させるような評者が、延々と「文壇文学」=「純文学」を成立させてゆくのであろう。

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社会学のおしえ

2004/02/18 00:18

「黒っぽい」「黒」い本

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古本業界では思想書など、改行が少なくページが活字で埋まっているような本を「黒っぽい」というらしいが、本書は間違いなく「黒」い。とはいえ古本業界的「黒」さではなく、アイロニカルという意味で。むしろ実際に見ればわかるが、本書は改行が多発する「白」い本である。しかしウェーバーの行為の類型や、ルーマンの社会システム論など、社会学の発想をおさえつつもアイロニーが随所に散りばめられた本書は、意外に「黒っぽ」く、その点でかなり貴重だ。というのも「黒っぽい」「黒」い本というものは、かなり珍しいのだ。本書を読み進めながら微苦笑を浮かべ、知らずのうちに「社会学」の「おしえ」の何たるかがわかってくるはず。

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ダーウィンの世紀末

2004/01/14 11:50

ニューヒストリシズム入門にどうぞ

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本書は同著者の『シャーロック・ホームズの世紀末』と対の一冊といえる。ただしその内容は、ピクチャレスク、優生学、ジェンダー、ジェイムソン『政治的無意識』など、ニューヒストリシズム理論の読解とその実践といった趣で、前掲書に比してより論文集といった性格が強い。

本書では特に、社会進化論と優生学に関する論考と、ジェイムソン読解が優れている。構築主義、歴史修正主義論争などを経て、今では常識となりつつあるニューヒストリシズムも、未だ日本では紹介が立ち遅れているといわざるを得ない。何せHayden White“Metahistory”の訳すら出版されていないのだから(確か、この訳は富山氏が請け負っていたはずだが…)。そういった状況下で、本書は数少ないニューヒストリシズム入門の訳を果たす一冊となるだろう。

ただしイギリス「文学」に関心がないと、実践の各論は少々きついかもしれない。とはいえ、鋭利な思考、平明な文体が十分に理解への筋道を与えてくれるだろう。すでに10年近く前の本ではあるが、今でも一読に値すると思われる。

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誰なんだお前は?

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165人のアーティストとともに、彼らの推奨盤をそれぞれ2〜7枚ほど挙げたジャズ案内。
この類のアルバム紹介本は多いのだが、のきなみチャーリー・クリスチャンやパーカーといったバップ創成期からマルサリスあたりまで、と相場が決まっている(ちなみに現在ならば山中千尋を紹介しないような本は、信用に値しないと思われる)。もちろんアルバムの出来不出来は、ある程度常識的に判断がつくもので、よほどのことがないかぎり見たこともないようなアルバムやジャズメンが登場することはない。
たとえばビル・エヴァンスといえば“Portrait in jazz”がまず間違いなく挙がってくるが、薬でラリッたまま演奏に臨み、曲によってはtakeが20近くに達している異色作“Loose blues”や、デイブ・パイクの唸り声の横で合いの手を入れる“Pike's peak”のエヴァンスが最高だ、といった意見は未だに聞いたことがない。
要は、ある程度限定されたこの類の本で個性を出すためには、変わったミュージシャンを出すか、独特の意見、聴き方を前面に押し出すしかないように思えるわけだ。ところが、本書はその「変わったミュージシャン」が多数登場する。バニー・ベリガン、バンク・ジョンソン、ジミー・ランスフォード、ジョニー・ドッズなどなど。もはや、お前は誰なんだ? といったレベルである。つまり本書は、バップ以前のスイング期からマルサリス近辺までのミュージシャンを扱った書籍で、いわゆるモダン以降しか聴かない当方にとっては、未知の領域をうかがう絶好の機会となった。
難点をいえば、初版が90年というせいもあろうが、原盤のみの情報が大多数を占め、CD化に関して本書で学べるものがほとんどない点だろう。
さらにいえば、意外に重要な人間が欠落しているのも痛い。たとえばロイ・エルドリッジが紹介されてブルー・ミッチェルはなく、ポール・デズモンドがいるのに、ソニー・クリスは影も形もないのはどうかと思う(デズモンドはブルーベックと一緒に紹介すればいいと思うのだが。現に推奨盤もほとんどがブルーベックとの共演である)。
とはいえオールド・ジャズから新主流派あたりまでをコンパクトにまとめた本書の驚異的な情報量には、しばしばご厄介になりそうな予感がする今日この頃である。

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査問

2004/01/11 13:43

理念の実体化を考える

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宮本顕治は、1976年=昭和51年の講演において、次のように発言している。

「日本共産党は、自発的意志による入党者からなる政治結社です。そして、入党者は綱領、規約を承認し、共産党は派閥をつくらない、分派活動はしない、そして意見は自由であるが決まったことにはしたがって、そして自分の意見は保留する自由もあるというこのルール、これを承認して共産党に入るわけです。目的も活動のやり方も承認して、そこで入ってきているわけでありますから当然、党内においては、それからはみだして分派活動をやったりすることは結社の自由の建て前から見ても、それを公然と裏切るわけであります」。

ここでいわれる「分派活動」の疑いから「査問」──被査問者の同意による党員権利の制限と、党の調査審議──に付された経験を赤裸々につづったものが本書である。しかし本書をよくいわれるような組織の官僚化、民主集中制の弊害といった観点からのみ読むべきではないだろう。重要なのは、それが何らかの強制によるのではなく、著者を含めた党員及び関係組織の人間が、自発的に査問に応じたということ、つまり党がある理念を体現していると信じていたがゆえに、結果的には軟禁状態に陥ったとはいえ、彼らが「自発的意志」からそれに臨んだということである。理念を体現した共産党という信念は、査問者においても共有されている。たとえば「君が分派活動をやったかどうか、それを判断するのは君ではないんだ。党なんだ」といった本書に登場する査問者の言葉は、そのような信念を雄弁に物語っている。ここにおいては、党の理念が個々の査問結果に先行しており──とはいえ、査問の過程も完全に操作されていることが、本書には明瞭に示されているのだが──、理念は形成されるのではなく、いつもすでに存在するというその実体化が顕となっている。その点で、査問者と被査問者の姿勢にさほどの差はないといえる。ただそれは、理念をめぐって査問するか、査問に付されるかという違いに過ぎない。だからこそ、査問終了後も多くの被査問者は党員であり続けたし、それを表に出すこともほとんどなかったわけである。そのような信仰、理念の実体化を党と切断して考えることができるようになったとき、本書はあらわれる。それは理念が実体として出現するような状況への批判として読まれる必要がある。

われわれは理念のそのような様相を招来した過程と、その事態を考えねばならない。もちろん理念は幻想に過ぎない、したがって、あたかもそれが存在するかのように振舞わねばならない、という思考もありうるだろう。しかしある理念が、いわゆる超大国によって体現されているかのようなとき、いったいここでは何が起きているのか、と問い続けることが重要なのではないだろうか。

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紙の本日本人であるということ

2004/01/30 15:16

実在する「かのやうに」、国家を考えること

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一時期、アンダーソンなどを援用しつつ、国家や民族を実体化する思考を批判し、「国民国家」を論ずる風潮があった。本書では「日本人であること」を意識化することなく動いてゆく「日本」の危機的な状況を論じるのだが、さりとて作者は日本というものを何かの実体として前提しているわけではない。

たとえば「[家族や国家、世界情勢などを]心配する、あるいは慮ったりする心の片隅にしか、国が国であるという支えはないし、あるいは国そのものもないかもしれないのです」といった一節などを読む限り、彼はありきたりな体制的言説を弄しているわけではないことがわかる。

かつての日本が、「日本人であること」への徹底した意識化とその貫徹によって国家を運営してきた過程を語りながらも、「日本人であること」とはすでに「共同幻想」(やや懐かしい言葉ではあるが)でしかなく、逆にそうであるがゆえに、あたかもそれが実在する「かのやうに」考える作者の姿勢は、明らかに戦略的なものである。

ただ、日本が危機的な諸問題を抱えているがゆえに、「かのやうに」振る舞おうという作者の立場は、日本語という言語を読解する作者及び読者といった回路をあまりにも前提としており、換言すれば、日本が危ない、ならばどうすればいいかといった問題の共有を前提としているのだが、むしろ問題はなぜ「日本人であること」がかくも論じられる必要があるのか、といったところに存すると思う。

当然、語り下ろしの本書にそこまでの問題域を求めるのは筋違いかもしれないが、自分がなぜこのような本を書き、読んでしまうのか、といった問題をも考える必要があるのではないだろうか。

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テクストとしての都市は、いかにして交通するか

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関東大震災以降、急激に進展する都市化と軌を一にしてあらわれた「モダニズム」。それは都市を種々の要素で構成された「テクスト」としてとらえ、自らの生産する諸テクストがそれを織り込みつつも、そこに織り込まれているという二重の視点をもった運動の産物であった。
そのような諸ジャンルを越境した運動を貫く「機械」「速度」「映画」といった主題化した諸テクストから、当時のテクストとしての都市を再構成しようとするのが、本書である。
大量に接木されるテクストにより浮かび上がる都市は極めて刺激的であり、諸テクストの邂逅が文字どおり都市化にともなう「交通」に基礎づけられているという詩的は興味深い。
古賀春江など大量に掲載された図版や諸テクストの引用で構成された本書が、まさに「テクストの交通」そのものであることはいうまでもない。

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紙の本横溝正史自伝的随筆集

2004/01/08 06:02

横溝正史の生涯を自身の筆で

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本書は単行本未収録の「続・書かでもの記」を中心に、横溝正史のエッセイを編年的に並べることで、自身の筆による作者の生涯が追える編集となっている。目玉は何といっても「続・書かでもの記」であるが、予想通り今までどこかしらに書かれていたことが大半であり少々失望した。しかし横溝正史の未収録の文章を新たに出版するという意義は大きく、その意味で本書の試みは貴重である。少なくとも横溝正史のエッセイ群を未読の読者には、本書が恰好の手引きとなることは間違いない。

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